第149回 課題文 解説


お待たせしました!

今回の課題は、
旅行ジャーナリストとして
世界の魅力を伝えた
兼高かおるさんの追悼記事です。

兼高かおるさん(本名兼高ローズ)は
1928年兵庫県神戸市生まれ。

香蘭女学校を卒業して
(後輩にタレントの黒柳徹子さんがいます)、
ロサンゼルス市立大学に留学後、
英字新聞社「ジャパンタイムズ」などのライターを経て、
TBS系テレビ「兼高かおる世界の旅」の
リポーターになりました。

「兼高かおる世界の旅」は
1959年に始まり、1990年まで
31年間に渡って放送されました。

兼高さんの総移動距離は
地球180周分、
訪問国は約160ヶ国に及ぶそうです。

訪れた国は
先進国だけでなく
独立以前のアフリカ諸国など
衛生状態の不安な場所もありましたが、
兼高さんは
現地のものを何でも食べ、
食べることで現地の人と
親しい関係を築いていきました。

画家のサルバドール・ダリ(1959年)や
アメリカ大統領のJ・F・ケネディ(1962年)など
世界の著名人と会ったり、
スカイダイビングに挑戦したり、
科学者を除く女性として初めて
南極点に立ったり(1971年)、
その後、北極点にも到達するなど(1989年)、
何事にも動じず、
行動力、冒険心ともに旺盛、
まさにチャレンジ精神のかたまりでした。

兼高さんは
番組の企画、交渉、取材、編集、ナレーションなど
全て自分でやったそうです。

知的な美人で、ことば遣いも
「~ですのよ」という上品さで、
いいとこのお嬢様のような風情なのに
どこからあのパワーが出て来るのか…。
その魅力は神秘的でさえありました。

彼女に憧れ、
自分も世界に羽ばたこうと
英語の勉強に精を出した人も
多いでしょう。

彼女に恋した男性も
たくさんいただろうと思われます。

Chida-san, you wrote :
you were one of them.

1994年、
朝日イブニングニュース(2001年廃刊)
に掲載されたインタビュー記事では
「なぜ海外旅行を続けるのか?」
という質問に対し、
「日本人の人種差別意識をなくしたい」
と答えておられました。

「旅が夫」と生涯独身で、
2014年には
「一般財団法人兼高かおる基金」を設立、
縁の深い兵庫県淡路市の
関西看護医療大学の学生に
奨学金援助もしていました。

2017年2月、88歳の時、
TV「徹子の部屋」に出演され、
相変わらず、凛とした美しさに
感動しました。
その時は
お元気そうだったのですが…。

2019年1月5日、
心不全で亡くなりました。
享年90歳。

ご冥福をお祈りいたします。

さて、訳出のヒントですが、
今回は、追悼記事なので、
追悼文を書いているつもりで、
全体に「です・ます調」にして
適宜、敬語も使い
ていねいなことば遣いを目指しました。

今回は、
千田良一さんと
久しぶりに、chamy さんが
応募してくださいました。

お二人とも
ありがとうございました。

千田さんは以下のコメントをくださいました。

***************

"Kaoru Kanetaka: The World Around Us"
was my favorite TV program.

Well, before I knew it,
I might be tellng you how "old" I am.
A black-and-white TV set
of the 14-inch CRT display
came to our home of five family members
in a small coal mining town in Hokkaido.
As I remember,
that epoch-making event
in our family's history
took place in time for the wedding ceremony
of Crown Prince Akihito and Princess Michiko
in 1959.
That's besides the point.
I'm sorry I'm flying off on a tangent.

But anyhow,
Kaoru Kanetaka was a hero of mine
in those days.
Just as this assignment says,
I was definitely one of those
who dreamed dreams of
visiting the countries
Ms. Kanetaka had introdueced to us on TV.
Her charm, femininity and outgoing personality
with grace really overwhelmed
a young elementary school boy like me.
I found myself falling in love with her,
and I wanted to marry her.
But it was, of course,
the height of stupidity
coming from pure ignorance of my childhood.

While writing above,
I've just remembered something.
The TV show was initially supported by PAN AM
(Pan American World Ariways).
It was then the largest international airliner in the world.
Where has it gone now ?
Gone with the jet stream ?

The days of 1960s are long past,
but they quietly live in the pages of history books
and vividly in my memory.

***************

千田さん、どうもありがとうございました。

私の訳例も載せますが、
あくまでも一例として
参考にして下さい。

尚、
「兼高かおる世界の旅」は
今でもTBSオンデマンドなどで見られます。

◆ 第149回 課題文

 海外旅行番組の草分けとなった「兼高かおる 世界の旅」で知られる旅行ジャーナリスト、兼高かおるさんの追悼記事を訳してみましょう。兼高さんの魅力が伝わるよう訳文を工夫してみてください。


(1) Kaoru Kanetaka, a travel journalist who became a household name by hosting a popular TV show that gave Japanese a glimpse of the outside world when overseas travel was still restricted, died on Jan. 5, her office said Jan.9. She was 90.

(2) Kanetaka, born Rose Kanetaka in Kobe, attended a U.S. college before becoming a freelance writer for an English language newspaper in Japan. She made headlines herself in 1958 by circumnavigating the globe in 73 hours, 9 minutes and 35 seconds, a record at the time.

(3) The following year Tokyo Broadcasting System launched a TV travel program featuring Kanetaka as a reporter, which later became "Kanetaka Kaoru Sekai no Tabi"(Kaoru Kanetaka's "The World Around Us").

(4) Back then, traveling overseas was still a pipe dream for most Japanese as travel restrictions were lifted only in 1964. Kanetaka introduced exotic destinations, local cultures and lifestyles of people in countries her audiences could only dream of.

 [ 出典: 2019年1月20日付け Asahi Weekly ]

[語句のヒント]
 (2) circumnavigate the globe 地球を周回する (3) Tokyo Broadcasting System TBSテレビ (4) a pipe dream 手の届かない夢

 
(1) Kaoru Kanetaka, a travel journalist who became a household name by hosting a popular TV show that gave Japanese a glimpse of the outside world when overseas travel was still restricted, died on Jan. 5, her office said Jan.9. She was 90.

Kaoru Kanetaka, a travel journalist who became a household name by hosting a popular TV show「旅行ジャーナリストの兼高かおるさんは、テレビの人気番組のリポーターをすることにより誰もが知る存在になりました」。

reporter は「リポーター」「レポーター」。どっちがいいのでしょう。日本新聞協会では、1980年代頃から、より原語発音に近い「リポータ」を採用しているそうなので、「リポーター」にしました。

that gave Japanese a glimpse of the outside world when overseas travel was still restricted, 「(その番組は)海外旅行がまだ制限されていた頃、日本人に世界を垣間見せてくれました」

全部まとめるとこうなります。「旅行ジャーナリストの兼高かおるさんは、海外旅行がまだ制限されていた頃、日本人に世界を垣間見せてくれた人気テレビ番組のレポーターをすることによって誰もが知る存在になった」。

これでもいいですが、せっかくなので、もう少し表現をドラマチックに書き換えました。「兼高かおるさんと言えば、旅行ジャーナリストとして世に知られ、海外旅行がまだ制限されていた時代に、日本人に海外の魅力の一端を伝えてくれる人気テレビ番組のレポーターとして活躍されました」。

traveling abroad「海外旅行」は、旅行に限らず海外に行くことが制限されていたので、「海外渡航」に変えました。

died on Jan. 5, her office said. 「1月9日、所属事務所により1月5日に亡くなったことが発表されました」。

She was 90. 享年90歳でした。

chamy さんはこの(1)全体をすっきりとうまく訳出されています。「海の向こうの様子を日本人に紹介した」、情景が目に浮かぶようでいいと思います。

(2) Kanetaka, born Rose Kanetaka in Kobe, attended a U.S. college before becoming a freelance writer for an English language newspaper in Japan. She made headlines herself in 1958 by circumnavigating the globe in 73 hours, 9 minutes and 35 seconds, a record at the time.

Kanetaka, born Rose Kanetaka in Kobe, 兼高さんは神戸生まれて、本名は兼高ローズ」。これでもいいですが、「兼高かおるさんは兼高ローズとして、神戸に生まれました」の方がすっきりします。

attended a U.S. college before becoming a freelance writer for an English language newspaper in Japan. アメリカの大学に留学後、日本で英字新聞社のフリーライターになりました。

She made headlines herself in 1958 by circumnavigating the globe in 73 hours, 9 minutes and 35 seconds, a record at the time. 「1958年、兼高さん自身、73時間9分35秒という短時間で世界一周を成し遂げて当時の世界記録を打ち立て、世間の注目を浴びました」。

これでもいいですが、ここもドラマチックになるように語順を変え、ことばも補いました。「1958年、兼高さん自身が世間の注目を浴びたのは、短時間世界一周に挑戦し、73時間9分35秒という世界最短記録を樹立した時のことでした」。

circumnavigating the globe「世界一周」というのは、1958年、スカンジナビア航空主催の「世界一周早回りコンテスト」のことを指します。そこで「世界一周早回りコンテスト」に変えました。

make headlines は「ニュースの見出しを作る」という意味ですが、「大きな話題となる」「世間の評判となる」「世間の注目を浴びる」「マスコミを賑わす」などいろいろな訳が考えられます。

(3) The following year Tokyo Broadcasting System launched a TV travel program featuring Kanetaka as a reporter, which later became "Kanetaka Kaoru Sekai no Tabi"(Kaoru Kanetaka's "The World Around Us").

The following year Tokyo Broadcasting System launched a TV travel program featuring Kanetaka as a reporter, 「翌年、TBSテレビが兼高さんをレポーターに起用した旅行番組の放送を開始しました」。

which later became "Kanetaka Kaoru Sekai no Tabi"(Kaoru Kanetaka's "The World Around Us"). 「その番組は、後に「兼高かおる世界の旅」となりました」。

chamy さんはここを「後の番組名「兼高かおる世界の旅」です」とすっきり訳されています。

(4) Back then, traveling overseas was still a pipe dream for most Japanese as travel restrictions were lifted only in 1964. Kanetaka introduced exotic destinations, local cultures and lifestyles of people in countries her audiences could only dream of.

Back then, traveling overseas was still a pipe dream for most Japanese 「当時、ほとんどの日本人にとって海外旅行は手の届かない夢物語でした」。

as travel restrictions were lifted only in 1964.「海外渡航制限が解除されたのはやっと1964年になってからのことです」。

Kanetaka introduced exotic destinations, local cultures and lifestyles of people in countries her audiences could only dream of 「兼高さんは、日本人視聴者にとって夢物語でしかない異国の地、その土地の文化、海外の人々の暮らしを紹介されました」。

「夢物語でしかなかった異国の地」を「行きたくても行けない異国の地」と少しドラマチックな表現にしました。

■ chamyさんの訳

海外への旅がまだほんの一部の人たちのものだったころ、海の向こうの様子を日本人に紹介した人気テレビ番組を努め、世に名を知られた旅行ジャーナリスト兼高かおるさんが、1月5日に亡くなりました。1月9日事務所が発表しました。90歳でした。

兼高かおるさんは、神戸でローズ兼高という名で生まれ、日本の英字新聞のフリーライターとして仕事をする前は、アメリカの大学で学びました。兼高さんは、1958年に世界を73時間9分35秒で回るというその当時の記録を作り、新聞の見出しを飾りました。

翌年、TBSテレビは兼高さんをリポーターとした旅行の特集番組の放送を開始しました。後の番組名「兼高かおる世界の旅」です。(kaoru Kanetaka's "The World Sround Us")。

旅行規制は1964年になってやっと解禁されたので、その当時海外への旅はほとんどの人々にとって、まだ手の届かぬ夢でした。兼高さんは、観るものにとっていまだ夢物語である、エキゾチックな場所や様々な国の田舎の人々の文化や生活を日本の人々に伝えたのでした。

chamy さんのコメント]
 記事が伝えようとする雰囲気を出せるように言葉を選びました。兼高さんの、明るくキラキラした行動力ある女性像を表せるよう考えてみました。

■ 千田良一さんの訳

兼高かおる。ある旅行記者が誰もが知っている名前になった。海外旅行がまだ制限されていた時代、人気テレビ番組のホストとして、彼女は日本人に外の世界を垣間見る機会を与えてくれた。その彼女が1月5日に亡くなったことを1月9日に彼女の事務所が発表した。90歳だった。

兼高さん。神戸で生まれたローズ・兼高さんは、米国の大学に進学した後、日本の英字新聞社のフリーライターになった。1958年に73時間9分35秒で世界を一周したことで新聞の見出しを飾った。

翌年、東京放送(TBS)が兼高さんをレポーターとして起用。彼女を前面に押し出したテレビの旅行番組を開始、それが後に「兼高かおる世界の旅」(兼高かおるの「私たちの回りの世界」になった。

その当時、海外旅行は、ほとんどの日本人にとって依然として夢のまた夢だった。というのも、旅行規制が解除されたのは、やっと1964年になってからだった。兼高さんは、聴視者が夢見ることしかできなかった異国情緒ある国々を訪問し、その土地の文化や人々の生活の様子を紹介したのだった。

[千田さんのコメント]
 上記掲載。

■ 小沢の訳

兼高かおるさんと言えば、旅行ジャーナリストとして世に知られ、海外渡航がまだ制限されていた時代に、日本人に海外の魅力の一端を伝えてくれる人気テレビ番組のリポーターとして活躍されましたが、1月5日に亡くなられました。享年90歳。1月9日に所属事務所が発表しました。

兼高かおるさんは兼高ローズとして、神戸に生まれ、アメリカの大学に留学後、日本で英字新聞社のフリーライターになりました。1958年、兼高さん自身が世間の注目を浴びたのは、世界一周早回りコンテストに挑戦し、73時間9分35秒という世界最短記録を樹立した時のことでした。

翌年、TBSテレビが兼高さんをレポーターに起用した旅行番組の放送を開始しました。この番組は後に「兼高かおる世界の旅」(英語タイトル:Kaoru Kanetaka's "The World Around Us")となりました。

当時、ほとんどの日本人にとって海外旅行など手の届かない夢物語でした。海外渡航制限が解除されたのは、やっと1964年になってからのことです。兼高さんは、日本人視聴者にとって行きたくても行けない異国の地や、その土地の文化や、海外の人々の暮らしを紹介されました。

[小沢のコメント]
 兼高さんのスケールの大きな魅力が伝わったら嬉しいです。彼女のような日本人女性がいたことに励まされます。