福 井 県

 ≪奥越地方≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪勝山市≫
 ■旧・勝山町
       ⇒勝山上元禄町・勝山下元禄町・勝山立石町・勝山郡町・勝山袋田町・勝山上後町・勝山中後町・勝山長淵町・勝山富田町・勝山沢町・勝山芳野町・勝山下後町
元町1丁目19−24 神明神社 9/18 神輿、大太鼓
昭和16年9月17日、神輿・大太鼓(曳太鼓)奉納式。これは京浜奉賛会(京浜在住の勝山出身者)による奉納。昭和50年頃まで町内リレーにより担がれたが、痛みが激しくなり現在はトラック渡御。
立川2村中33 鵜草神社 10/10 例祭
郡町大門26 村岡神社 9/7 例祭
滝波宮の後8 白山神社
昭和町2丁目水無尾3−2 水無尾神社 9/10 例祭
長山町長山2 山腰神社 9/1日曜 例祭
 ■猪野瀬地区
    =昭和6年(1931)4月15日、勝山町に編入
     ⇒猪野口、猪野、若猪野、上高島、下高島、北市、片瀬、毛屋、下毛屋、畔川
猪野口字堂前27 八幡神社
猪野字大宿り10 白山稚児神社 9/5 例祭
若猪野字陣屋敷9 白山神社 9/1 例祭
上高島13村中9 白山神社 8/16 例祭
北市8−3 住吉神社 8/16 例祭
片瀬町17−6 白山神社 獅子舞
毛屋字堂の東9 八幡神社 9/5 例祭
 ※旧・勝山町以外の区域は旧村名を冠称
遅羽町ウ崎34−17 春日神社 10/9 例祭
遅羽町大袋9−31 住吉神社 9/22 例祭
遅羽町北山19−1 白山神社 10/9 例祭
遅羽町比島庵の上6 白山神社 9/22 例祭
遅羽町蓬生1字21甲.乙 白山神社 9/9 例祭
平泉寺町岩ヶ野14宮川 神明神社
平泉寺町平泉寺125 神明神社
平泉寺町赤尾35新九郎 白山神社
平泉寺町大矢谷18堂前 白山神社
平泉寺町大渡28小沢4 白山神社 9/11 例祭
平泉寺町岡横江6崖田4 白山神社
平泉寺町小矢谷21堂前 白山神社
平泉寺町笹尾23長坊山 白山神社
平泉寺町平泉寺56−63 白山神社 4/20(毎年) 例祭
平泉寺町壁倉10ユバエ2 八幡神社
北谷町北六呂師堂ノ上6 白山神社 8/15 例祭
北谷町木根橋63西腰64−1 白山神社 8/15 例祭
北谷町河合19−7 白山神社 8/15 例祭
北谷町杉山堂ノ下14 宮谷神社 8/16 例祭
北谷町中尾7−20 白山神社
北谷町小原荒山7 白山神社 9/27 例祭
北谷町中ノ俣尾山25 大山神社
北谷町谷87中21外地2 伊良神社 2/16頃の日曜 はやし込み行列
はやし込み行列=江戸中期に始まり、毎年2月16日に行われていたが過疎化で1972年にいったん途絶えたが、元住民らが保存会を作り、2000年に復活させ、旧盆に行っている。
出稼ぎに出掛けた住民が全国各地の芸能や行事を持ち帰ってできたとされ、行列には獅子や七福神、馬などさまざまな“キャラクター”が登場するのが特徴。
殿様行列を模し、先頭の「庭掃き」が大きな箒で道を掃き清めながらゆっくり進む。笛や太鼓の賑やかなお囃子が響く中、仮装した一行が寺から約300m離れた伊良神社まで練り歩いた。神社では神楽などを奉納。
村岡町栃神谷宮腰5 神谷神社
村岡町寺尾堂ノ上26 寺尾神社 9/10 例祭
村岡町五本寺長尾1 長尾神社
村岡町浄土寺23 水上神社 9/8 例祭
村岡町暮見18−36 伊弉册神社 9/14 例祭
村岡町滝波宮ノ後8 白山神社 9/11 お面さん祭り
鹿谷町保田字宮川1 日吉神社 9/21 例祭
鹿谷町本郷50−4 天神神社
鹿谷町北西俣宮ノ腰5 白山神社 9/23 例祭
鹿谷町西遅羽口字山腰 白山神社 9/22 例祭
鹿谷町東遅羽口40大平 白山神社
鹿谷町志田字若宮46 八幡神社 10/7 例祭
鹿谷町発坂字宮ノ前 白山神社 10/9 例祭
鹿谷町杉俣26南山36 八幡神社
鹿谷町矢戸口51水谷 水谷神社 10/9 例祭
鹿谷町西光寺字宮ノ前1 白山神社 9/25 例祭
野向町牛ヶ谷西浦102−1 西浦神社 平成18年(2006)、9戸、18人
野向町薬師神谷堂ノ中1 白山神社 9/9 例祭 平成18年(2006)、29戸、91人
野向町竹林境田7 竹林神社 9/13 例祭 平成18年(2006)、11戸、40人
野向町野津又139−1 白山神社 9/12 例祭 平成18年(2006)、45戸、172人
野向町横倉92−8 白山神社 平成18年(2006)、4戸、10人
野向町龍谷上山10 神明神社 9/13 平成18年(2006)、63戸、268人
野向町深谷14−29 梅本神社 9/10 平成18年(2006)、32戸、116人
野向町聖丸窪田4−18 狭間神社 9/12 例祭 平成18年(2006)、33戸、150人
荒土町堀名中清水田 日吉神社
荒土町細野向田6 白山神社
荒土町細野向田6 白山神社
荒土町伊波24−31 白山神社 9/16 例祭
荒土町北宮地山岸1 白山神社
荒土町別所2−3 白山神社
荒土町細野口30−1 白山神社 9/10 例祭 氏子は細野、戸倉、西ヶ原、新道
荒土町松田中上野35 白山神社 9/12 例祭
荒土町松ヶ崎門川1 白山神社 10/9 例祭
荒土町妙金島村前3 白山神社 9/22 例祭
荒土町新保欠落25 白山神社
荒土町清水島15−32 八幡神社 9/3 例祭
荒土町田名部4−13 八幡神社 9/9 例祭
荒土町布市堂ノ下25 小名彦神社 9/7 例祭
荒土町新在家9−21 少彦古那神社
北郷町岩屋13−4−1 稲荷神社 8/16 例祭
北郷町志比原蔭割1−2 神明神社 9/21 例祭
北郷町森川影割115 白山神社 9/14 例祭
北郷町伊知地71畔山 白山神社 9/23 例祭
北郷町西妙金宮東5−7−2 白山神社 9/22 例祭
北郷町桧曽谷堂山2 白山神社 9/21 例祭
北郷町桧曽谷西京所10 大日霊神社 9/21 例祭
北郷町東野小山88 大剣神社 9/25 例祭
北郷町坂東島48−81−2 坂東島神社 9/30 例祭
 【消滅集落】
北谷町中野俣=文政5年(1822)の家数人数改帳によれば、家数44、人数249とあるが、昭和38年(1963)1月の豪雪で過疎化に拍車をかけ、翌39年に全世帯が移転し廃村となる。
望郷の碑が中野俣出身者一同により昭和55年に建造された。
秋祭りは9/16〜19で例祭をした。また左義長祭りも盛大だった。

村岡町暮見谷=昭和15、16年頃に廃村。鎮守は白山神社。

野向町横倉=明治初期の「足羽県地理誌」によると、戸数」82、人口453を数えた。
しかし昭和38年の豪雪で、雪崩で16人の死者が出たことが遠因となり、昭和38年に無人化となる。その後は民宿1軒と出づくり別荘が2軒ある。

鎮守は白山神社。昭和38年の豪雪で壊れたが、離村したにも関わらず建てなおした。夏祭りや秋祭りには出店も出たという。

北郷町岩屋=昭和40年頃に廃村。明治44年、42戸・228人。神社は稲荷神社。

 ≪大野市≫ 
  平成17年(2005)11/7、大野市+大野郡和泉村が合併。
 ◎旧・大野市
 ■大野地区
   ⇒旧大野町(大野西一番町、大野亀山町・大野水落町・大野清水町・大野東一番町・大野西二番町・大野東二番町・大野西三番町・大野東三番町・大野西四番町・大野東四番町・大野五番町・大野七間町・大野横町・大野神明町・大野寺町・大野清滝町・大野篠座町・大野春日町)の区域
清瀧124−16 清滝神社 5/4〜7 曳山廃絶 明治初期の火災を機に廃絶
天明5年(1785)には芸山が9町内より出ている。天正3年(1575)から江戸末期まで一年置に亀山へ御山渡り(神輿渡御)の祭礼が行われていた。その折各町内では奉賛の催し物を造り、競い合って大変賑わったと伝えられている。
鍬掛字宮82 白山神社 4/5 例祭
高砂町8−2 熊野神社 4/12 例祭
飯降14−3 飯降神社 4/18 例祭
篠座42−5 篠座神社公式HPへ 4/20、21 里神楽 篠座獅子舞保存会
神輿は2021年9/23開催の“篠座OHIGANフエステバル」で約60年ぶりに担がれる。
稲郷3−19 八幡神社 9/15 里神楽
79字鉄砲台4 西谷神社 5/5 例祭
大和町1−2 神明神社 7/16 例祭
下舌三四字堂前50 春日神社 8/15 例祭
春日221−1 春日神社 8/16 例祭
上麻生島31 八幡神社 8/22 例祭
七坂30−7 稲荷神社 8/24 例祭
柿島29−10 白山神社 8/4日曜 例祭
荒土町新在家9−21 少彦古那神社 9/3 例祭
中荒井町1丁目1301 八幡神社 9/15 例祭
神明218−16 日吉神社
下黒谷18字明ヶ沢52−1 白山神社
上大納30−1 白山神社
下山47−26 白山神社
後野11−13 白山神社
亀山228−20 柳廼社
 福井新聞2005年5月5日の記事に『大野市明倫町の区民らが子供みこしを新調し五日、地区の祭りで初披露した。職人らがボランティアとして協力して作り上げたもので、本格的な出来栄え。子供らも「きれいだね」と喜びながら、早速区内を練り歩いた。古くなった神輿を新調しようと昨年末に明倫町二区の有志らで話し合い、年明けから町内の職人数人がこつこつと作ってきたという。建設業が本体を作り、板金業が銅板屋根を担当。仏壇店が漆塗りや金ぱく張りを行うなどし、本体高さ約七十センチのみこしを作り上げた。
この日は地元神社の祭りに合わせ、児童25人がみこしを引っ張りながら町内を練り歩き、「わっしょい、わっしょい」。住民らも「立派になった」と誇らしげに行列を見ていた。
同区の子ども会育成会の広瀬武会長(45)は「子供が少なくなっている中、新調したみこしとともに活気が続くことを願いたい」と話していた。
』とある。
 ■下庄地区
   ⇒菖蒲池、中保、堂本、友江、中挟、中荒井、中野、西市、庄林、中津川、横枕、南新在家、東大月、西大月、太田、大矢戸、小矢戸
菖蒲池字村中25 白山神社 4/18 例祭
中保字村東5 白山神社 9/15 例祭
友江字宮ノ下14 清瀧神社 4/7 例祭
中野41−26 白山神社 4/5 例祭
庄林20野々林1−2 白山神社 8/21 例祭
中津川字久保田17 白山神社
横枕23−3 白山神社
南新在家14−22 愛宕神社
西大月字磐倉1 磐座神社 8/20 例祭
太田字屋敷12 白山神社
大矢戸28字住吉4 風速神社 9/14 例祭
小矢戸字狐堂40 八幡神社 9/15 例祭
 ■上庄地区
   ⇒[第1分団]稲郷、上据、野中、森山、西山
    [第2分団]大西出、中西出、中村町、荒子町、木本領家、宝慶寺
    [第3分団]平沢、今井、佐開、上五条方、下五条方
    [第4分団]東山、御給、友兼、開発、森政地頭、森政領家、医王寺、北御門
    [第5分団]下郷、猪島、吉、中据、下据、西据、東中、榎

    [廃村]上若生子、下若生子
稲郷3−19 八幡神社 9/15 獅子舞
野中15−10 稲荷神社 4/18 例祭
森山31−10 八坂神社
西山1 白山神社 4/18 例祭
木本148−21 神明神社
木本160−22 高於磐倉神社
宝慶寺2−16−1 白山神社 4/18 例祭 かつて30軒ほどあったが、今は寺のみ
平沢10 日吉神社 4/18 例祭
今井20 白山神社 4/18 例祭
佐開55 荒島神社 9/12頃の日曜 例祭
五条方16−1 日吉神社 4/18 例祭
東山3−9 神明神社 4/18 例祭
御給19−24 八幡神社
友兼13 八幡神社 4/18 例祭
開発6 加茂神社 4/18 例祭
森政地頭1−1 八幡神社 4/2 例祭
森政領家5−14 日吉神社 4/5 例祭
吉13−18 白山神社 4/18 例祭
中据6 白山神社 4/15 例祭
下据14 白山神社 4/18 例祭
東中14乙29 国生大野神社 4/1日曜 例祭
 ■五箇地区
   ⇒上打波、下打波、東勝原、西勝原。仏原は廃村。
上打波字上出39 白山神社 9/秋分の日 例祭
下打波字中開津16 白山神社 8/17 例祭
東勝原字村中23 白山神社 8/15 例祭
西勝原10−9 八幡神社 8/28 例祭
 ■阪谷地区
   ⇒伏石、柿ヶ嶋、八町、森本、松丸、萩ヶ野、花房、不動堂、石谷、大月、御領、橋爪、蓑道、落合、堂島、金山、小黒見、南六呂師
伏石12−49 白山神社
八町18−47 八幡神社 8/29 例祭
森本白山堂甲16 白山神社 9/3 例祭
松丸字本村37 白山神社 8/25 例祭
萩ヶ野字下久保10 八幡神社 8/24 例祭
花房山田7 気多神社 8/26 例祭
不動堂南26−30 春日神社 8/27 例祭
橋爪上宅地10 神明神社 8/25 例祭
蓑道下丸山28 少名彦神社 8/28 例祭
堂島大字後4−甲 白山神社 8/22 例祭
南六呂師12上ノ堂18 白山神社 8/30 例祭
 ■富田地区
   ⇒下唯野、蕨生、木落、井ノ口、土布子、新河原、森目、新田、富島、上麻生島、下麻生島、川島、田野、上野、土打、七板
下唯野13 健速神社
蕨生71−2−2 垣安姫神社 4/9 里神楽 東・西2地区に分けて毎年交互に行う。
木落字欠甲1 白山神社
井ノ口23 八幡神社 9/29 例祭
土布子21上出27 八幡神社 8/20 例祭
森目字大門先 春日神社 8/25 例祭
富島字堂下17−8 白山神社 8/17 例祭
下麻生島58中出5 白山神社
田野3 白山神社 8/20 例祭
田野130−29 塚原神社 8/28 例祭
上野17 白山神社 9/1 例祭
土打40−55 八幡神社
 ■乾側(いぬいかわ)地区
   ⇒矢、牛ヶ原、大門、尾永見、坂戸、花山、上丁、中丁、下丁、犬山
矢47字堂上46 白山神社
牛ヶ原字新堂15−3 八幡神社 4/18 例祭
牛ヶ原150字森ヶ谷12−2 坂門一言神社 4/2 例祭 尾永見区八幡神社に合祀されたが昭和21年8月15日復社
牛ヶ原147字稲荷山34 八幡神社 4/3日曜 例祭
上丁1字西平山1 少毘古神社 4/3土曜 例祭
中丁72字的場 白山神社 4/3土曜 例祭
下丁二十字七兵衛6 白山神社 4/18 例祭
犬山三字西本村 白山神社 4/2 例祭
犬山15−28 白山神社 4/2 例祭
 ■小山地区
   ⇒鍬掛、新庄、飯降、右近次郎、深井、下舌、上荒井、上黒谷、下黒谷、上舌、阿難祖領家、阿難祖地頭方
鍬掛字宮82 白山神社
新庄17 八幡神社 9/15 例祭
深井27−43 春日神社 4/18 例祭
上黒谷村下16 少名彦神社 4/18 例祭
仏原=昭和40年(1965)着工。43年(1968)完成の仏原ダムで水没した集落だが、ダム建設で保証金を貰い廃村になったわけでなく、九頭竜ダム工事建設 等で取り残されるとの危惧から話し合いの結果、地元議員の仲介で木の本開拓地へ移転。移転地には榎が生えていたので集落名を榎と命名。神社は白山神社だったが、現在は榎神社。

葛ヶ原(くずがはら)=仏原の枝村。仏原ダムの建設に伴い昭和32年、全戸が木本原(現・榎)の開拓地に移住。現在は湯上発電所の用地となり、跡形もない。昭和30年頃は戸数6、鎮守は白山神社。
 【真名川ダム(麻那姫湖(まなひめこ)】
昭和47年(1972)着工。1978年竣工。
上若生子
(かみわかご)=昭和44年、集団離村。昭和30年、48戸、236人。鎮守は白山神社。篠座町の篠座神社に合祀。「ふるさとの碑」あり。


下若生子(しもわかご)=昭和44年、集団離村。昭和30年、21戸、124人。鎮守は白山神社。篠座町の篠座神社に合祀。「ふるさとの碑」あり。
 ◎旧・大野郡西谷村
  昭和45年(1970)6月30日付けで廃村、翌7月1日に大野市に編入。これは昭和41年(1966)真名川ダム建設が決定し、村全体の離村が決定したため。
大野郡旧西谷村は,県南東部(奥越),九頭竜川支流(真名川)の川筋にあり、下笹又、上笹又、中島、黒当戸(以上中心部)。本戸、小沢、下秋生、上秋生(以上笹生川筋)。巣原、熊河、温見(以上雲川筋)の11集落からなっていた。昭和30年の村の規模は585戸,3436人であった。
 【笹生川ダム(笹生川貯水池)】
昭和30年(1955)4月工事開始。昭和32年(1957)7月貯水開始。
昭和32年(1957)の笹生川のダム建設のため笹生川筋の4集落(小沢、下秋生、上秋生が水没。本戸は準水没)が離村。

本戸(もとど)=昭和5年、14戸、61人。昭和30年(1955)は12戸、ただしダム工事の住宅を含むと84戸、685人。鎮守は磐倉神社。

小沢=昭和30年(1955)43戸、219人。鎮守は白山神社。

下秋生=昭和29年(1954)の世帯数33戸、181人。文政6年(1823)は戸数21、人数113だった。

上秋生=昭和29年(1954)の世帯数27戸、154人。
 【三八豪雪】
昭和38年(1963)1月の豪雪で長期間に渡り交通が途絶えたことをきっかけに移住者が出てして、昭和40年(1965)9月の集中豪雨により温見、熊河、巣原の集落が離村。
当地に雲川ダム建造。準水没扱いとなる。

温見=明治初期の戸数13、人数160だった。鎮守は白山神社。「ふるさとの碑」あり。
当地には将門まつりがあり、旧暦1月3日(新暦では2月3日)に深い雪の中、温見で行われたが、豪雪なので近隣の町の人も見たことが無いそうである。
 大野市塚原地区の文集「塚原のあゆみ」に「我が家の歩み」と題して掲載された文章から転載『お祭りは2月の1〜3日で3日祭りともいう。平将門祭りともいい、当地の草分けといわれたお宮は集落の中心部にあった。宮こしらえで飾り物をしたり、道開けといって道路の除雪をしたが、お宮の上と下の2〜300メートルは、神主が羽織袴で草履で歩けるように幅も1m位は除雪する。作業はけがれのない若者がすることになっていた。お供え物は、灯明、ロウソク、お神酒1合、お餅である。この餅には特徴がある。先ず年寄りの枯れたけがれのない婆さんが、米を洗い若い衆が杵を持ってつく。その量も大変で全戸数へ普通の雑煮用を9個ずつ、約300個作った。このとき形が悪いものはサイコロ型に切り、これは種餅といった。
3日目の朝、26戸の戸主がお膳を持って集まり、そのお膳の前へ餅を配った。その後、家中皆でお御堂に集まり祭りを行う。取り持ちは若い衆で行い、後で大きなお盆2つに山盛りしたサイコロ型の種餅を、今年の豊作と家内安全無病息災を祈願して隅から隅まで蒔いた。この時には子供から大人、おじ、おば皆で種蒔き歌を歌いながら拾った。一粒でも多く拾えばそれだけ幸運が巡り来ると信じていた』。

熊河=昭和30年、32戸、180人。鎮守は白山神社は離村に伴い大野市篠座の篠座神社に合祀。

巣原=平家落武者が落延びた村。地すべり地帯に位置し、奥地の温見や熊河が豪雪のため離村し、孤立集落になるので昭和41年、集団離村。巣原小学校は昭和41年3月23日に廃校式を行った。
太鼓踊り(平家踊り)=県指定無形民俗文化財。旧盆に神明神社境内で日暮れから深夜まで、首にかけた太鼓の音頭に合わせて、男女が一緒になって踊った。男声と女声を交互に歌うのが特徴。太鼓踊りには5種類の踊りがあり、「しりふり、茶うす、かごめし、1つ返し、2つ返し」である。ただし「2つ返し」は書物などに残っているだけで、その他は、廃村となった今でも、元住民が大野市内を中心に踊っているという。
 【奥越集中豪雨】
昭和40年(1965)9月14日の集中豪雨で中心部の中島、上笹又、下笹又の家屋の9割強が流出,土砂埋没の被害を受け、行政村としての機能は止まった。村人のほとんどが大野市内の仮設住宅へ避難した後も,再建構想が画策されたが、翌昭和41年7月の真名川ダム建設決定により村民離村のやむなきに到った。
 【真名川ダム】
昭和47年(1972)着工。1978年竣工。下笹又、上笹又は水没。黒当戸は準水没扱い。
下笹又=昭和29年、世帯数22戸、人口135人。離村記念碑あり。

上笹又昭和29年、世帯数37戸、人口221人。

中島=昭和30年、190戸、932人。昭和40年の集中豪雨では、公的施設の埋没や154戸のうち、流出58・埋没86であった。鎮守の春日神社は離村に伴い大野市下裾の西谷神社に合祀。

黒当戸=昭和30年、126人。真名川ダム完成により孤立化のため、準水没扱いとなる。鎮守の白山神社は大野市下裾の西谷神社に合祀。
 ◎旧・大野郡和泉村
   ⇒上穴馬地区(影路、野尻、大谷、米俵、持穴、箱ヶ瀬、池ヶ島、半原、荷暮、上半原、下伊勢、中伊勢、上伊勢、久沢、東市布)
   下穴馬地区(朝日前坂、角野前坂、板倉、後野、伊月、川合、貝皿、朝日、下山、上大納、下大納、角野、鷲、長野+旧・石徹白村の一部[三面、小谷堂])
朝日17−2 熊野神社 10/10 例祭
上大納30−1 白山神社 10/10 例祭
下山47−26 白山神社 10/10 例祭
後野11−13 白山神社 10/10 例祭
野尻54−1−2 総社穴馬神社 5/5 例祭
離村の際、数多くの祭神、御神体を合祀するため、村内の野尻地区に総社を造営、昭和50年宗教法人の認証を受けた。
以来毎年5/5を例祭日と定め、離村した人びとも集まり、祭事が行われている。
 
 ■上穴馬地区
面谷(おもだに)=大正11年の銅山の閉山とともに廃村。最盛期の明治44年、141戸、879人。明治37年に図書館設立ほど栄えた。大正9年、93戸、438人。
 【九頭竜ダム(九頭竜湖[くずりゅうこ])】
 九頭竜ダム建設は昭和40年4月に着工し,昭和43年6月に完成している。昭和39年前後に全集落が離村した。水没戸数529戸、農地191ha、山林868ha。
 ■上穴馬地区
水没集落は影路、野尻、大谷、米俵、持穴、箱ヶ瀬、池ヶ島、半原の8集落。半水没は荷暮、上半原の2集落。下伊勢、中伊勢、上伊勢、久沢、東市布の5集落は水没していないが、中心集落の水没により生計が出来なくなり廃村となる。

影路(かげじ)=水没。昭和39年離村当時、43戸、197人。

野尻=水没。昭和39年離村当時、18戸、92人。

大谷=水没。昭和39年離村当時、143戸、574人。ふるさとの碑あり。

米俵(とめどうろ)水没。昭和39年離村当時、30戸、146人。

持穴(もちあな)=水没。望郷の碑あり。

箱ヶ瀬=水没。昭和39年離村当時、28戸

池ヶ島=水没。昭和39年離村当時、35戸、142人。

上半原=半水没。昭和39年離村当時、36戸、181人。鎮守は神明神社。

下半原=水没。昭和39年離村当時、99戸、411人。鎮守は皇大神社。

上伊勢=準水没扱い。昭和39年離村当時、15戸、74人。鎮守は神明神社。氏子は上・中・下伊勢の3地区。

中伊勢=準水没扱い。昭和39年離村当時、16戸、80人。

下伊勢 =準水没扱い。昭和39年離村当時、14戸、74人。

久沢(くざわ) =準水没扱い。昭和35年、30戸、174人。ふるさとの碑あり。

東市布 =準水没扱い。昭和39年離村当時、17戸、91人。
 ■下穴馬地区
=九頭竜ダムより2.5kmほど下流だが、九頭竜川電源開発計画の一環として同時期に完成した鷲ダムにより水没。昭和39年、離村時は11戸、55人。
鎮守の白山神社は明治41年に大野の春日神社に合祀。

長野
=準水没扱い。昭和39年離村当時、33戸、141人。鎮守は神明神社。


三面(さつら)=準水没扱い。昭和39年離村当時、15戸、55人。

小谷堂(こたんどう)=準水没扱い。昭和39年離村当時、17戸、75人。