福 井 県


  ≪若 狭≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪敦賀市≫
曙町11−68 気比神宮 9/2〜4 鳳輦、神輿 大人神輿6基、子供みこし9基、樽みこし1基
山車6台 御所辻子山車(元町)、金ヶ辻子山車(桜・蓬莱町)、唐仁橋山車(相生町)、東町(旭)山車(相生町)、観世屋町山車(相生町)、鵜飼ヶ辻子山車(相生町)
御所ノ辻子山車(現・元町&桜町)市指定文化財。「大坂冬の陣」。人形は「後藤又兵衛と上杉景勝」。
水引幕の内2面を平成20年復元新調。残り2面は平成21年復元新調。以前のは中国製。


金ヶ辻子山車(桜・蓬莱町)=市指定文化財。「刀根坂の合戦」。人形は織田信長、朝倉義景、山崎吉家。
この山車は一度敦賀を離れたが、篤志家により市に寄付され、再び気比祭りを彩ることになる。

唐仁橋山車旧・富貴区:現・相生町)=市指定文化財。「山崎の合戦」。人形は羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀。

東町(旭)山車(現・相生町旭組)=平成6年復元新調。「賤ヶ岳の合戦」。人形は秀吉と柴田勝家。

観世屋町山車(現・相生町西清明組)=平成6年復元新調。「関が原の合戦」。人形は石田三成、大谷吉継、小早川秀秋

鵜飼ヶ辻子山車(現・相生町鵜飼組)=平成6年復元新調。「大坂夏の陣」。人形は真田大助、淀君。
神輿渡御は市内11地区から大人神輿6基、子供みこし9基、樽みこし1基が出る。
 天正年間に織田信長が山車を見たとの伝承は残っているが、信長が朝倉侵攻の際に、氣比神宮を焼き落としているので、信憑性が薄いという意見もある。
近世においては旧暦8月2日の宵宮、3・4日の本祭で山車が曳き出されていた。当時は大山車と小山車の二種類の山車が存在しており、また2日の宵宮には宵山も出されていた(宵山に関する記述は近世後半の文献しか登場しておらず、信憑性が薄いという説もある)。
 小山車は近世期に於いて、最大で40〜50基、少ない時でも30〜40基、曳き出されていた事が史料で判明している。当時は、各地区の商人が1基丸ごと所有していたという。敦賀は古くからの港町であり、近世期には北前船の寄港地でもあったので、資産を有した敦賀商人たちは、その資産を元手に小山車を新造・購入していたと見られる。この小山車の大きさは、現在曳かれている山車とほぼ同じ大きさだったらしい。
 大山車は4日の本祭のみ曳行されていた。大山車は門前町の各地区が所有していた。大きさは特定されていないが、現存する幕などから判断すると小山車の倍ほど大きさが推定されている。この大山車が12基曳行されていたと伝わっている。

明治5年(1872)に大山車・小山車が廃止となり、小山車の大きさで各地区が山車を所有する事になった。また、旧暦から新暦に変更するに伴い、8月2日〜15日⇒9月2日〜15日になった。
さらに町の再編成により、現在の6基に当る6町になった。

 戦災により3台になったが、平成6年に氣比神宮の倉庫や各地区の元山車庫や個人が所有し残されていた山車の骨組や設計図を元にして残る3台も復元新調された。

 ≪小浜市≫
小浜男山10  男山八幡神社 9/連休土日(元・15 24区が隔年ずつ奉仕する。 山車9区、大太鼓5区、神楽5区、神輿1区、獅子4区よりなる
西暦奇数年 山車4、大太鼓3、神楽3、獅子2
西暦偶数年 山車5、大太鼓2、神楽、獅子2、神輿
 ◆西暦奇数年
山車…今宮区(高砂山)、清滝区(大津山)、竜田区(大臣[おとど]山)、飛鳥区。 廃絶…玉前区(大黒山) 
大太鼓 …広峯区、住吉区、大宮区 
神楽…津島区、白鳥区、神田区
獅子…日吉区、玉前区
 【山車】
清滝区(大津町山)
=慶応4年(1868)年制作。見送り、胴幕は昭和3年、山鹿清華師の作品。 
江戸期は藩主に下賜された大小の刀を飾っていた。

今宮区(今宮山)=明治7年に「高砂山」を出していた上市場、下市場、安居町と「行者山」を出していた突抜町が合併して今宮区となる。
現在の山車は昭和3年、長浜の山車を模して制作されたが、随所にこれら2台の山車の部品や装飾品を使っている。見送りは「高砂山」で使われており、文化6年(1809)に京都より購入。また「行者山」で使われていた見送りは、本陣飾りに使われる。延宝7年(1860)以前から「高砂山」が出たと記録があり。

飛鳥区⇒寺町・清水町よりなる。
=大正3年制作。舞台型山車。昭和50年、見送り新調。以前は「翁」。

竜田区(大臣[おとど]山)=明治35年創建。人形は「武内宿禰」見送り幕は川島織物作。
 以前は練り子。
 【大太鼓 】
広峯区=昭和28年に住吉区の技術伝承を受け継ぐ。
大正、昭和初期は神功皇后の出兵を題材にした練子や舟形山車を出していた。

住吉区=寛文11年(1671)酒井忠直公時代からの歴史の流れを汲む。当時は上小路(鵜羽小路)の傘鉾として祭礼に出ていた。そのため一番に宮入りする。

大宮区=別称は力太鼓である。城内区より伝習し昭和31年より奉納。
 以前は「賤ヶ岳七本槍」の練り子。 
 【神楽】
津島区=昭和3年より神楽を奉納する。昭和34年に屋台を修復する。
明治〜大正は謡曲の「弓八幡」を題材にした練り子を出していた。

白鳥区⇒風呂小路・二ッ鳥居町よりなる。
=明治40年に鹿島区より教えてもらい奉納する。

神田区=明治42年より。
 江戸期は広小路、東宮前町は「餌差(鳥差)」の練り子を出していた。
 【獅子】
日吉区=明治43年に男山区より伝習する。
 江戸期は達磨小路、薬師小路は「鵜遣」の練り子や、「三番叟山」の出し物で参加していた。

玉前区=明治24年に旧・関東組より獅子舞を伝習する。
 往古は山車(大黒山)だった。そのため本陣飾りに大黒天の人形を飾る。
 ◆西暦偶数年
山車…塩竈区(高砂山)、酒井区(布袋山)、貴船区(貴船山)、生玉区(蛭子山)、大太鼓 …鈴鹿区、大原区、神楽…鹿島区、白髭区 獅子…多賀区、男山区 神輿…香取区。
 【山車】
塩竈区(高砂山)
=明治40年より山車で参加。昭和2年に漆塗りに改装。見送りは「姥と尉」。
 それまでは「作物」、「引物」等。

生玉区(蛭子山)
=見送りは「東方翔」。

酒井区(布袋山)
=三代目。明治34年(1901)制作。大正15年に塗りと金具を新調。二階には布袋面と唐子人形を飾る。
 延宝7年からの伝統を持つ。明治期に一時期、山車が他地区に売却された時期もあった。

貴船区(貴船山)⇒猟師町・浜浦町・文殊丸町よりなる。
=明治36年(1903)制作。昭和56年に金具等を改装。
 江戸期には文殊丸町・浜浦町は「参宮」や「異国来朝」の練り子を出していた。


浅間区(浅間山)⇒石垣町・滝之町よりなる。
富沢町(本町)=延宝7年(1679)は「進上山」。同8年以降は「蛭子山」を出した。蛭子人形は本陣飾りにしている。
 【大太鼓 】
鈴鹿区=明治43年に西津福谷区より伝習し、大太鼓を奉納するようになる。

大原区⇒今道町・清水町よりなる。
=西津七年祭りの小松原川西地区より指導を受け、昭和33年より奉納。
 【神楽】
鹿島区⇒八幡小路・中西町・福岡町・富田町よりなる。
=文久2年(1862)制作。
昭和3年修復。宝暦3年(1755)に「神楽太鼓」が出たと記録にある。

白髭区=三人の巫女の舞を伴う神楽だったが、昭和63年を最後に休止し、各区の本陣廻りはせず、八幡神社への奉納のみ。
 【獅子
多賀区
=明治41年から獅子を出している。
江戸期は州崎町・川崎町は「木賊山」や「異国凱旋」の練り子などで祭礼に参加。

男山区⇒中小路・八幡小路・西宮前町よりなる。
=明治28年に出し物を獅子にすることが決まり、区内在住の旧・藩士武久釘五郎氏から伝習する。明治34年には旧・小浜藩主酒井家より井筒の紋の使用の許可を得る。
 【神輿】
香取区⇒柳町・常在小路よりなる。
=もともと八幡神社の神輿を譲り受け、修復して使われる。
千種(ちぐさ) 広峰神社 7/17、18 障子鉾1本、剣鉾3本、子供用1本、鎌鉾3本
『広峰神社祭礼絵巻』には笠鉾、棒振り、大太鼓、神楽、山車などが描かれているが、明治以降廃止される。

 ≪三方郡≫     
 若狭町
 平成17年(2005)3/31、三方郡三方町+遠敷郡上中町が合併して誕生。
 ◎旧・三方町
気山129−5 宇波西神社 4/8 山車3台 美浜町の金山、大藪は王の舞当年に出す。牧口は田楽の舞当年に出す。
氏子は若狭町の気山、海山、北庄と美浜町の日向、笹田、久々子、松原、郷市、金山、大藪、牧口の11集落。
 【奉納芸】
王の舞
=海山、北庄、金山、大藪。
獅子舞
=久々子、松原、郷市。
田楽(べんさらさ)
=日向(2年)、牧口(1年)。
浦安の舞
は各地区輪番で女子8名で演じる。
気山字寺谷 秋葉神社 3/15 山車1台  
気山字中村228−4 川中神社 4/15(毎年) 山車1台
気山333−14−2(字切迫 大山祇神社 4/16 山車1台  
気山字 日吉山王神社 4/18 山車1台  
海山49−1 熊野神社 4/18 山車1台  
三方41−12 熊野神社  9/12 山車1台 幅約5m。奥行き約3m。高さ約4m。
山車=平成21年(2009)、44年ぶりに山車新調。5月より建設委員会が制作に着手。一部滋賀県の宮大工に制作を依頼し8月下旬に完成。
 先代は鉄骨造り。最後の平成20年は鉄柱が錆びるのでふるさと会館前に置き動かさなかった。
岩屋字山王谷16−13 日吉神社  10/5 山車1台 平成10年数十年ぶりに曳く
小川6−1−1 小川神社 7/14 山車1台 平成9年より休止
横渡 能登神社 9/15 山車1台 平成になってから出ていない
能登野19−3−1 能登神社 9/15 山車1台 昭和54年頃より出ていない
井崎字夜長52−8 稲荷神社 山車1台 昭和53年頃より出ていない
上野木55−8 河原神社  ?  山車1台 昭和28年頃より出ていない
 ◎旧・上中町
下タ中16―26 八幡神社 7/24に近い日曜
(隔年)
山車1台
大鳥羽4−22 石 神社 4/3頃の日曜 山車1台  
無悪47−11 観音様 開帳の折りの祭り 山車  
熊川30宮ノ下9 白石神社 5/3(元・15) 山車1台 見送り幕は3本とも現存
明和9年(1772)5月、神社社殿の屋根の葺き替え、並びに上屋の竣工記念に山車を作り、上・中・下町より松山が作られた。文化文政(1804〜30)には祇園祭りの山鉾に擬した黒塗りの山車に見送り幕を垂らし、山車蔵まで建てたが、弘化3年(1846)の大火で焼失し、その後明治時代に1台作り昭和38年まで曳かれたが廃絶した。その後トラックを用いて祭りをしていたが、平成13、14年度の2ヶ年をかけて、ふるさと文化再興事業として、40年ぶりに新しい山車が作られ、平成14年9/29、山車新調入魂式で復活した。
市場16−13 市姫神社 1/13 子供みこし
天徳寺40−1 岩上神社 4/20 子供みこし
小原23−41−42 石按比古比売神社 4/20 王の舞、獅子舞
河内43筒引1 白石神社 5/3 例祭
新道40雹谷1 白石神社 5/3 例祭

 美浜町
早瀬17−13 日吉神社 5/5(元・7〜9) 山車1台  
山車=安政4年4月創建。総工費建造費手間銀2貫108匁6分也塗師1貫匁也」と古文書に記されている。
安政3年に早瀬地区にコレラが流行した。その時、宝光山瑞林寺の和尚が「神仏のたたりだから、人身御供として子供歌舞伎を奉納せよ」とのお告げを受け、さっそく区民一同が集まり、奉納用の曳き山を建造することを決め、同年6月に建造にかかり、翌年4月に完成した。5/8に、日吉神社、瑞林寺(曹洞宗)、浄明寺(真宗大谷派)、区内に奉られている林神社、市姫神社、宗像神社、江頭神社、水無月神社などに新しくできた山車を曳きまわして子供歌舞伎を奉納したところコレラも治まったと伝えられる。
新庄 雷神社 9/連休日曜 山車廃絶  
平成24年(2012)に見に行かれた名古屋市のゆいささんによると、神事は午前中に行われるものの、山車も祭礼も廃止されていたとのこと。
また
同氏はこれより10年ほど前に行かれた時は公会堂前に簡単な屋根無し台車(四輪)の中央に松の木を飾った素朴な山車や祭礼道具を見られたとのこと。
佐野25−15 愛神社
佐野39 八幡神社
佐野47−10 天満神社
河原市2辻13 市姫神社
日向47−36 稲荷神社 9/2 太鼓を乗せた山車
9/3 奉納相撲
郷市25−16 伊牟移神社
気山101−1 大山祇神社
北田29−4 織田神社
佐田97−6 織田神社 5/11 神輿
8/20 子供みこし
氏子は三区あり。佐田区の「王の舞」・大田区の「獅子舞」・山上区の「ソッソ」の当番の人々と、三区の主役人ら、そして神輿をかつぐ佐田区の人々多数が勢揃いして、神輿のお渡りがある。
夏祭り=午前中は写生大会が行われる。氏子の子供が絵を描き、展示して神社の役員に作品を選んでもらい、賞状賞品を贈る。午後からの子供みこしは、元気いっぱい境内をかけめぐる。
笹田4−6 風宮神社
木野7−6 木野神社
久々子6−4 佐支神社 7/14、15 神輿 子供神輿
菅浜98−3 須可麻神社 6/2 神輿 手作り子供みこし
竹波13−1 高名弥神社
和田10−2 常神社
中寺7−19 西宮神社
丹生33−8 丹生神社
麻生20−37 八幡神社
五十谷11−1 八幡神社
新庄50−10 八幡神社
新庄65−29 広嶺神社
新庄65−42 山神社
興道寺38 日枝神社
坂尻14村内21 一言主神社
松原16−19 日吉神社
金山26−6 日吉神社
佐柿29−2 日吉神社 4/13 山車1台
山車=高さ約3、5m。往古はお囃子行列。
新庄65−52 日吉神社
松原16−19 日吉神社
大薮35−1 広嶺神社
安江3−1 三島神社
宮代7森下2 弥美神社 5/1 王の舞 獅子舞
弥美神社の氏子は、旧「耳庄」と呼ばれた耳川流域の19集落(新興住宅地含む)である。
 永禄5年の記録には「御幣村、上村、下村、王村、獅子村、田楽村、神子、…」などと見える。
当日は朝から各集落から行列がやってきて、順次、御膳を神前に供える。全ての集落が揃うと、大御幣を中心に各集落の御幣が並び、そろって御幣を振る「幣招き」、一本幣・七本幣、王の舞、獅子舞などに相対して大御幣をゆっくりと振り神霊を移すといわれる「幣迎え」、大御幣が暴れる「幣押し」などがある。「幣押し」は昼過ぎから夕方まで延々続き、幣串だけになってしまってから、大御幣差しの子供を乗せて神前に納められると、各集落の御幣も納められ、やがて王の舞が始まる。王の舞が終わると獅子舞があり、獅子舞がすむと、神前から下げられた御膳を持ち、各集落へ帰ってゆき、祭りは終了する。
南市11−10−4 明治神社
山上69−7 山上神社

 ≪大飯郡≫     
 おおい町
 平成18年(2006)3/3、大飯郡大飯町+名田庄村が合併。
 ◎旧・大飯町
本郷本郷138−15 日枝神社 10/18 神輿 子供みこし
山車1台  
本郷浜 水無月神社 7/27、28 神輿渡御・奉納相撲
神輿=大正6年再調。始めは小祠をそのまま渡御していたが、寛政10年(1798)に神輿を創建して今の祭りの主体となる。
川上108−3(字神水) 新鞍神社 10/15 豊年祭・伊勢踊り・宮当祭 氏子は川上・三森
福谷48−7 伊射奈伎神社 10/15 豊年祭・神代祭・獅子舞・太刀舞・神楽・山・神事能 福谷、石山、久保、安川、小車田、佐畑
福谷(宮元区)=神代の舞。
石山
(脇宮元区)=神楽と獅子舞。元は太刀舞を奉納。明治初期より獅子舞をまねるようになり、明治20年(1887)に獅子頭を京都で購入し、働きに出てきた名田庄村下の木挽きに伝授してもらう。
久保=神楽と獅子舞。
安川
=神楽と獅子舞。

小車田
=元は獅子舞。現在は適宜奉納。
佐畑
適宜奉納。
鹿野24−3 八幡神社 10/15 豊年祭・太刀舞・宮当祭
広岡字宮の奥15−14 八幡神社 10/15 豊年祭・神楽
万願寺8−1 熊野神社 10/15 豊年祭・神楽
笹谷7−5 熊野神社 10/15 豊年祭・獅子舞・神楽・面当
岡安字西谷口4−7 依居神社 10/15 豊年祭・神楽・神事能
神崎堂ノ前1−1 熊野神社 10/15 神事能
父子46 静志神社 10/5 豊年祭・神楽・三者舞・棒ふり・翁面当
氏神祭=神社の幟を新調した年や、神社関連の新築があった年(古くは豊作の年)等の特別な年に行われる。杉の枝葉を集めて舟型にした山車や御神楽が出され、棒ふり太鼓、鉦、笛が鳴る中、そぐら(踊り場)から静志神社までを、2名の棒振り役が先導し、その後をおおこべ、ひょっとこ、おたやんなどの三役とともに、山車・御神楽を引く「のぼり引き」の行列が続く。
野尻18宮下16 六社神社 10/8 神楽・翁面当・棒ふり
岡田8−13 若宮神社 10/8 例祭
山田4−1 大飯神社 10/10 神事能 氏子は岡田・山田・芝崎
本郷字東下薗 日枝神社 10/18 例祭
尾内39−44 黒駒神社 3/8 宮当祭・持立行事
長井11−1 黒駒神社 3/5 宮当祭・子持持立行事
犬見22−3 犬見八幡神社 3/2 豊年祭・三社舞・神楽
大島宮留83−1 島山神社 10/20 王の舞・神事踊・神事能
 ◎旧・名田庄村
三重5−25 熊野神社 10/4 松上げ神事
虫鹿野14−37 熊野神社 10/8 例祭
虫鹿野13−50 広峰神社 10/8 例祭
槙谷19宮ノ下2 八幡神社
挙野21−19−2 山神社
井上19−32 伊津岐神社
納田終127−4 加茂神社 10/2 例祭
口坂本28森ノ鼻1 未多徒神社 10/17 例祭
奥坂本32宮谷口5 加茂神社
小倉17字宮ノ谷 苅田彦神社 10/2 例祭
下3−15 苅田比売神社 10/3 獅子舞
例祭の他5年に1度の大神楽には剣の舞を舞う。この剣の舞は秘伝で、他の舞を全部習得した長男だけが受け継ぎ、土蔵の中で先の舞手より直接伝授される。
記録では安永4年(1774)に伊勢の御師より伝授されたとされる。
奥坂本50−20 野津多徒神社 10/2 例祭
西谷10−21 日枝神社
中27−22 虫尾神社
 【廃村】
久田川上流のダム建設予定のため出合、挙原、永谷の3集落が水没のため1985年頃に離村。しかしながらダムは未だに建設されていない。
 【南川砂防ダム】
納田終(のたおい)の小松=昭和63年(1988)に竣工した南川砂防ダムにより水没。かつては数軒の人家があったが、明治中期以降は1軒のみとなっていた。

  高浜町
宮崎59−3 左伎治神社 10/12、13 例祭(毎年) 能祭りと称される
6月(元々・巳の年と亥の年ごとに旧暦六月卯の日から酉の日までの七日間) 神輿3基 東山、中ノ山、西山
曳山7台 横町、赤尾町、本町、中町、大西、今在家、若宮
獅子神楽 畑、立石、中寄
例祭=能祭りと称され毎年、10/12、13に行なわれる。子供による浦安の舞、壮年による謡曲、仕舞いなどが神楽殿で奉納される。昭和初期までは能役者を頼んで能楽の奉納が行なわれた。
高浜七年祭=佐伎治神社の式年大祭である。
巳年と亥年の7年(実質的には6年)ごとに行われる夏祭りを「七年祭」と呼び、氏地を、神輿とともに3つに分けられ、それぞれの地域内に御旅所が設けられる。
氏子の範囲は、江戸時代に「木津荘十箇村」と呼ばれた地域=旧高浜地区全域を氏子として営まれる、
  祭りの期間は6月の卯の日から酉の日の7日間と決められ、中山(中ノ山)、西山、東山の3基の神輿が渡御する。
  神輿それぞれに、太鼓打ちと芸能衆が行列をなして付き従い、神輿の出発前や到着後に芸能を披露する。芸能の種別は太刀振り、お田植、神楽など。曳山では若連中による「屋台囃子」と、子供たちによる日本舞踊や太鼓の演奏が演じられる。
  七年祭は京都の祇園祭や小浜広峰神社の祇園祭礼と同様に御霊会の性格を持っており、様々な芸能は御霊や疫神を慰撫するためのものと考えられる。
  祭りの起源は不祥だが、織豊期の連歌師里村紹巴の紀行文「天橋立紀行」、永禄12年(1569)6月19日の条にに「高浜祇園会」とあることから、この頃すでに行われていたと考えられる。
■初日(神幸祭)
  中山(中ノ山)、西山、東山の3山がだしを先頭に大太鼓・太刀振・駕籠丁・警護などが行列を作り3基の神輿が渡御する。
神輿の出発前や到着後に芸能を披露する。芸能の種別は太刀振り、お田植、神楽など 。
 夕方に神輿は御旅所に戻り、締めくくりの太刀振りが奉納される。

■二日目(巡行祭)
 9時頃に7台の曳山は神社参道に集合し、横町・赤尾町・本町・今在家・中町・大西・若宮の順で宮入りする。
同じ順序で曳山芸能の奉納があり、15時過ぎより宮入りの順序と逆に宮出する。

■三日目(巡行祭)
 7台の曳山は御旅所や本陣で芸能を披露する。

■四日目(中日祭)
 各御旅所に安置されていた神輿がそれぞれの氏子区域内で練られる。
ただし西山神輿が駅前通りで方向転換するために中ノ山区域の宇治区、若宮区、大西区を通ることがあるが、それ以外は原則として氏子区域内で練られる。


■五日目・六日目(巡行祭)
 7台の曳山は御旅所や本陣で芸能を披露する。

■七日目(還幸祭)

 7時頃に各神輿は御旅所を出発。15時半頃に神社に還幸。還幸祭の神事の後、奉納芸の奉納。奉納終了後の17時半頃に鳥居浜に到着、足洗いの儀が行なわれる。
 【東山】
神輿=祭神は稲田姫命。「東山神輿帳」によると、文政4年(1821)4月に大坂心斎橋本町、錺屋鎌田常右衛門より購入し、4/7に龍蔵院(左伎治神社の別当寺院)に納めている。
この時大坂世話人、湊屋正右衛門と若狭屋喜兵衛から鉾2本の寄進を受け今もだしと共に先頭を進む。(湊屋正右衛門と若狭屋喜兵衛は高浜出身)。

太刀振=東部若連中(薗部区、岩神区、笠原区の合同)。

曳山
横町=大正6年制作。大工、塗師は西舞鶴の人。文政11年(1828)に胴幕を新調したという記録がある。 

赤尾町
=弘化2年(1845)道具箱には文久3年(1863)の年号がある。
 【中ノ山】
神輿祭神は素盞鳴尊。大工は不詳。制作年は不詳だが、瓔珞などの錺道具箱に明和四亥年(1767)五月吉日とある。
 巡行順は昭和34年以降は中ノ山、西山、東山。

太刀振=塩土区。

お田植=事代区が奉納。

曳山
本町
=詳細不詳。

中町
=見送り幕に文化3年(1806)とある。

大西
=曳山の天井に張られた龍の絵の奥付には、長谷川素后画で天保4年(1833)の年号がある。

今在家
=江戸期の作。

若宮=欄間彫刻は大正12年、吉田自然の作。
 【西山】
神輿=
祭神は大己貴命。後の大国主命。「佐伎治神社記録」によると、和3年(1803)に坂田村の大工勘助と立石村の仁平により制作。

太刀振=子生区と畑区・立石区・中寄区。

獅子神楽=立石区・畑区・中寄区の青年により奉納されお囃子が伴う。獅子頭は立石区・畑区に伝わる。
3区の中から、獅子舞役3名、囃子方は鞨鼓が2名、笛が10名前後である。
上車持21宮ノ上1 広嶺神社 4/14 神楽山(囃子山)1台  
和田字愛宕山129−1 新宮神社 10/14 囃子山3台  
青字宮脇15−1 青海神社 10/17 囃子山5台  
東三松12−4 日枝神社 10/17頃の日曜 囃子山2台  
小和田51−14 伊 諾神社 10/17 囃子山 軽トラックを利用した舟形のもの
高野80傅堂3 青葉神社 10/17
(3年に1度くらい)
囃子山1台  
鎌倉11−26 杉森神社 10/17頃の日曜 囃子山1台  
上瀬2−9イカシメ 山神社 10/17頃の日曜 担い囃子山、傘鉾  
六路谷宮ノ前24−3−1 杉森神社 10/17 囃子山1台  
音海42−26 気比神社 10/18 囃子山1台(担い)  
下車持字高森 香山神社 4/23 神輿渡御 氏子は下車持、おおい町小堀

  ★展示場     
 【みなとつるが山車会館】(公式HPへ
敦賀市相生町7−6。 0770-21−5570。開館時間は10:00〜17:00。休館は月曜(休館日が祝祭日の場合はその翌日)9月9日〜12日、年末年始(12月28日〜1月3日)。
平成9年開館。“敦賀まつりの山車の保管庫を兼ねた施設。6基ある山車のうち3基を展示し残り3基も保管する。スクリーンシアターのマルチ映像とともに敦賀まつりを紹介する”入場料は300円。
 【高浜町郷土資料館】
高浜町南団地1−14−1。 0770−52−5270。開館時間は9:00〜17:00。9〜3月:9:00〜16:00。休館日は月曜、年末年始。料金はおとな200円、小中高生100円。
第一展示室には「高浜町の宗教美術」、「高浜七年祭」、「高浜町の獅子頭」、「祈りとくらし」の4コーナーから構成されている。
平成5年開館で開館4年目までは曳山を1基ずつ2年サイクルで展示したが、豪雨で浸水時に曳山が傷む恐れがあるので中止となる。