福 井 県


  ≪若 狭≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪小浜市≫
 ■小浜地区(旧・小浜町)
   小浜町:明治7年(1974)6月、小浜城下町方の旧52町の町割りを改め24町1村に集約。各町名は有名神社名により名付けられた。詳細は各町参照。
    雲浜(うんぴん):西津、竹原(たわら)、上竹原(かみだわら)
    西津:湊、堀屋敷(ほりやしき)、小松原、北塩屋、福谷、新松原、下竹原
小浜男山10  男山八幡神社 9/連休土日(元・15 24区が隔年ずつ奉仕する。 山車9区、大太鼓5区、神楽5区、神輿1区、獅子4区よりなる
西暦奇数年 山車4、大太鼓3、神楽3、獅子2
西暦偶数年 山車5、大太鼓2、神楽、獅子2、神輿
 【小浜放生祭】(公式HPへ
小浜市小浜男山に鎮座する旧・県社の八幡神社の例大祭で9月連休の土日に行われる。福井県指定無形民俗文化財である。
旧小浜町の氏子24区が半数ずつ隔年で、大太鼓・神楽・獅子・山車・神輿といった祭礼芸能を繰り出す。
 ◆西暦奇数年
山車…清滝区(大津山)、今宮区(高砂山)、竜田区(大臣[おとど]山)、飛鳥区。 廃絶…玉前区(大黒山) 
大太鼓 …広峯区、住吉区、大宮区 
神楽…津島区、白鳥区、神田区
獅子…日吉区、玉前区
 【山車】
清滝区(大津町山)
⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。大津町96戸・松本町の内15戸・川縁町の内2戸・本町の内5戸を合わせる。合併時の戸数118。
=慶応4年(1868)6月再建。小浜放生祭の山車では最古。昭和3年作の見送り幕「萬歳楽図」、昭和36年作の横幕「四神図」は山鹿清華師の作品。見送り房掛金具の龍一対は天保15年(1844)作。

 寛文11年(1671)は長刀の練り子。
 延宝7年(1679)は長刀山。翌8年(1680)は大名山。
 文化14年(1817)頃は刀掛山を祇園祭に出していた。
廣嶺神社が所蔵する文政年間の「小浜祇園例祭絵図」(県指定有形民俗文化財)には刀掛山が描かれていて藩主より拝領した大小の刀が二階に飾られているのが見える。
ちなみに鳥毛槍・見送り幕・横幕なども拝領したと伝わる。しかし嘉永6年(1853)の大火で焼失した。
今宮区(今宮山)⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。突抜町・上市場町・下市場町・安居町を合わせる。合併時の戸数124。
明治7年に「高砂山」を出していた上市場、下市場、安居町と「行者山」を出していた突抜町が合併して今宮区となる。
現在の山車は昭和3年(1928)5月、長浜の山車を模して制作されたが、随所にこれら2台の山車の部品や装飾品を使っている。支払い帳に金440円。
見送り幕は「高砂山」で使われており、文化6年(1809)に京都より購入。平成22年、復元新調。「五仙図」、(有)祭禮懸想品研究所の作。
「行者山」で使われていた見送りは、本陣飾りに使われる。延宝7年(1860)以前から「高砂山」が出たと記録があり。
飛鳥区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。柳町の一部と青井村の一部を合わせる。合併時の戸数120。
=大正3年(1914)制作。舞台型山車。昭和50年、見送り新調。以前は「翁」。
当初は芸妓の見習いや舞妓などが舞踊を披露したが、現在は子供の舞踊。
竜田区(大臣[おとど]山)⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。今在家町42戸・材木町51戸・松寺小路の内6戸を合わせる。合併時の戸数99。
=明治35年(1902)創建。人形は「武内宿禰」。当初は出囃子が無く、錺金具もほとんど無かった。
昭和27年(1952)台輪、車輪を新造。部材に飾金具を追加。見送り幕・横幕、毛槍、旗、彫刻類を新調。
昭和29年(1954)出囃子を増設されこの年より子供による小太鼓の囃子披露始まる。
昭和35年(1960)彫刻:見送り・袖舞追加。彫師は滋賀県山東町本町の高畑郁造。彩色師は京都市下京区柳馬場通りの田中厳龍。
昭和56年、出囃子の上部の唐破風の屋根新設。
平成11年、
見送り幕・横幕左右一対新調。見送り幕、川島織物作で図柄は「武内宿禰 応神天皇を抱く。背景は紅葉と流水」。横幕は「風神雷神」。
平成17年(2005)彫物追加。彫師は西山聡。彩色師は不詳。
平成27年(2015)台輪新調。伊勢神宮の式年遷宮に伴う檜の古木を用いる。

 寛文11年(1671)は餅つきの練り子。

 延宝7年(1679)は山車「餅搗山」を材木町と今在家町が合同で出す。
 文化末期(1871)頃は「花」。
 安政5年(1858)は相撲取の練り子
 【大太鼓 】
広峯区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。川縁町ノ内・和泉町・松寺小路ノ内。合併時の戸数94。
=昭和28年(1953)制作。大工は地元の本城喜三郎。彫師は滋賀県の醒ヶ井の二代目森丹渓。住吉区の技術伝承を受け継ぐ。

 大正、昭和初期は神功皇后の出兵を題材にした練子や舟形山車を出していた。
住吉区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。永三小路・上小路・石屋小路・質屋町の一部を合わせる。合併時の戸数110。
=寛文11年(1671)酒井忠直公時代からの歴史の流れを汲む。当時は上小路(鵜羽小路)の傘鉾として祭礼に出ていた。そのため一番に宮入りする。
昭和57年(1982)制作。大太鼓の屋形新調。台車は西本鉄工所(西本庄治)。太鼓台は山下保。屋根は指物師の内藤義信。漆塗りは本間氏。金具は滋賀県の人。

 江戸期は大太鼓だったらしい。
明治7年(1874)住吉区となって傘鉾を大太鼓とする。
明治14年から休止?明治40年(1907)復活。
大宮区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。欠脇町107戸・東宮前町の内8戸を合わせる。合併時の戸数115。誕生当初は四宮町。明治9年に大宮区と改称。
=昭和31年(1956)城内区より伝習し棒振り大太鼓を奉納。
平成5年(1993)9月制作。別称は力太鼓である。
 大工は水尻工務店(水尻義信)。彫師は地元の西山聡。

 また7/13には後瀬山山頂の愛宕神社に大松明を奉納。

欠脇町は寛文11年(1671)と延宝7年(1679)は「小刀売」の練子。
文化14年(1817)頃は「花」。
安政5年(1858)は「陣立」の練り子。
明治31年は国旗を立てて済ませる。
明治39年頃〜戦前は練り子。

昭和29年(1954)は荷馬車を飾り付けた剣舞山車で「賤ヶ岳七本槍」の練り子を引き連れた。
 【神楽】
津島区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。松本町の内50戸・川崎町の内51戸を合わせる。合併時の戸数101。
=昭和3年(1928)より神楽を奉納することにし、神楽屋台を新調。大工は本城佐吉。彫師は大工が頼んだと思われる。これは欄間4枚が別項目で立てられていることによる。塗師は本間重蔵。
昭和34年に屋台を修復で漆塗りや飾金具を付ける。
 明治〜大正は謡曲の「弓八幡」を題材にした練り子を出していた。

 松本町は文化14年(1817)頃は「大小指」、安政5年(1858)は「長刀」の練り子を出していた。
 川崎町は寛文11年(1671)は須崎町と合同で「木賊(とくさ)」の練り子。
延宝7年(1679)も須崎町・川崎町合同で「木賊山」の山車。
享保5年(1720)は川崎町の「木賊山」。享保の改革により京都の祇園祭以外の山車が幕府により禁止されたので
享保6年(1721)は「とくさかり」の練り子で以降川崎町の山車は復活しなかった。
文化14年(1817)頃は須崎町と共に「作り物」。
安政5年(1858)は「俵藤太」の練り子。 などで祭礼に参加。
白鳥区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。風呂小路・二ッ鳥居町。合併時の戸数114。
=明治40年(1907)に鹿島区より教えてもらい奉納する。
昭和の御大典に、大工本城佐吉により再建。彫師は不詳。平成17年(2005)両屋台の漆の総塗替え。
神田区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。東宮前町・廣小路・薬師小路ノ内・今町ノ内。合併時の戸数101。
=明治42年(1909)白木で制作。彫師は不詳。大正12年(1923)、に本間漆店で漆塗り。昭和27年(1952)本屋形を台車曳きに改造。昭和43年(1968)先屋形も台車曳きに改造し、本屋形も修復。

 江戸期は広小路、東宮前町は「餌差(鳥差)」の練り子を出していた。
 【獅子】
日吉区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。達磨小路・薬師小路・今町の一部を合わせる。合併時の戸数125。
=明治43年(1910)に男山区より三匹獅子舞を伝習する。同年9月、大の獅子新調。日吉区の大工、荒木亀蔵らの作。調製者は渡邉亨。
大正4年(1915)5月、小の獅子組追加。
 現在使用の獅子頭は昭和63年11月制作。大小2組新調。京都の神祇西沢の作。

 江戸期は達磨小路、薬師小路は「鵜遣」の練り子や、「三番叟山」の出し物で参加していた。
玉前区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。瀬木町・新町・塩濱小路の一部を合わせる。合併時の戸数101。
=明治24年に旧・関東組より獅子舞を伝習する。
 平成7年(1995)京都の神祇工芸西沢で大小6頭の獅子頭新調。
獅子頭の板裏に墨書きで明治24年8月新調。明治45年5月改修繕とあり。下地は服部喜作の作と伝わる。毛植えなどの調製は旧藩士の渡邉亨と伝わる。
小獅子は大正7年(1918)新調。

 往古は山車(大黒山)だった。そのため本陣飾りに大黒天の人形を飾る。

 お面が伝わる。箱の表書に「文久2年(1862) 大国主神御面 瀬木町什物」とあり。
 ◆西暦偶数年
山車…塩竈区(高砂山)、酒井区(布袋山)、貴船区(貴船山)、生玉区(蛭子山)、大太鼓 …鈴鹿区、大原区、神楽…鹿島区、白髭区 獅子…多賀区、男山区 神輿…香取区。
 【山車】
塩竈区(高砂山)
⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。魚屋町47戸・安良町44戸・本町の内5戸・北本町の内10戸を合わせる。合併時の戸数106。
=大正5年(1916)制作。見送りは「姥と尉」。
昭和2年(1927)5月、彫物・漆塗り・錺金具を追加し完成。彫師は高畑明眸。
昭和59年(1984)見送り幕を留める木彫りの「双鶴」が金箔仕上げで取りつく。彫師は西山木工所(西山聡)、塗金箔は本間伝統工芸士。。
 明治36年(1903)、山車で参加。人形は「高砂」。40年に清滝より囃子を習う。以前は三味線囃子。
 明治31年は作物。明治39年は「引物」。明治40年以降は山車もしくは山と記されている。

 魚屋町は寛文11年(1671)・延宝7年(1679)共に「弓持ち」の練り子。
延宝8年(1680)は安良町と合同で山車「湯立山」。
安政5年(1858)は塩屋町と合同で「弓鉄砲」の練り子。魚屋町は合同した年を除くいつも「弓持ち」の練り子である。
 安良町(荒町)は寛文11年(1671)は「長柄」の練物。
延宝7年(1679)は「花筏」の練物。
文化14年(1817)頃は「鵺」の練り子。
延宝8年(1680)は安良町と合同で山車「湯立山」。
生玉区(蛭子山)⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。本町(旧・富沢町)の内49戸・八百屋町64戸・川縁町の内1戸を合わせる。。合併時の戸数114。
=江戸末期〜明治初期制作と思われる。合併以降は本町の蛭子山を引き継いで生玉区のだしものとする。
昭和2年、御大典を祝して新調。大工・彫師は不詳。見送りは「東方翔」。横幕は右が「麒麟」、左が「鳳凰」。

本陣には蛭子人形を飾るが、その収納箱には文久元年(1861)の墨書きあり。

 本町(富沢町)=寛文11年(1671)瀬木町と合同で「進上」の練り子。
延宝7年(1679)は山車で「進上山」。翌8年は「夷山」、享保5年(1720)も「夷山」。享保の改革により京都の祇園祭以外の山車が幕府により禁止された。
享保6年は「長刀持」の練り子。

宝暦7年(1757)頃に「夷山」復活。
文化14年(1817)頃の記録では、本町の「恵毘須山」となっている。


 八百屋町=寛文11年(1671)は「愛宕」。
延宝7年(1679)は「愛宕参り」の練り子。
延宝8年(1680)は山車「愛宕山」。享保5年(1720)も山車「愛宕山」。享保の改革により京都の祇園祭以外の山車が幕府により禁止された。
享保6年(1721)は「愛宕参り」の練り子。
文化14年(1817)頃は「花」。
安政5年(1858)は「愛宕参り」の練り子。
酒井区(布袋山)⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。質屋町・片原町・松寺小路ノ内を合わせる。
=三代目。明治34年(1901)制作。質屋町から続く伝統。大正15年に塗りと金具を新調。二階には布袋面と唐子人形を飾る。

 延宝7年からの伝統を持つ。明治期に一時期、山車が他地区に売却された時期もあった。
貴船区(貴船山)⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。浜浦町61戸・文殊丸町54戸合わせる。合併時の戸数115。
=明治36年(1903)制作。34年説もある。三代目。大工は多賀区の村松作右衛門。囃子・笛は清滝区、太鼓は今宮区から伝授。
昭和51年(1976)改修で出囃子や毛槍・見送り幕などを新調。見送り幕は着物の打掛を仕立て直す「羽衣」。彫刻:見送掛欄間を追加。彫師は西山聡。
昭和56年に金具等を改装。
 明治31年は作り物。明治33年は奉納。

 寛文11年(1671)は西七町として文殊丸町・浜浦町は「参宮」の練り子。
 文化14年(1817)は文殊丸町・浜浦町で「異国来朝」の練り子。
浅間区(浅間山)⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。石垣町・滝之町・今道町ノ内。合併時の戸数80。
 山車としては明治39年(1906)近江より購入して始まる。
舞台型だったが、昭和57年(1982)に現在の二階型に改修した。大工は区内の上田稔。
平成5年(1993)彫物、雲龍を追加。彫師は西山聡。

文化年間(1817)頃はツルメソ(石垣町)、花(滝之町)、花筏(今道町)で参加している。
 【大太鼓 】
鈴鹿区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。塩屋町60戸・北本町(旧・裏町)の内48戸を合わせる。合併時の戸数108。
=明治43年(1910)に釣姫神社氏地の西津福谷区より伝習し、大太鼓を奉納するようになる。
大太鼓は明治44年新調。現在の大太鼓は平成2年(1990)制作。大工は不詳。
 明治7年は布団太鼓。明治31年は傘鉾。明治39年は引物。明治40年は太鼓。明治42年は布団太鼓。
なお日清戦争祝賀会(明治28年)や日露戦争祝賀会(明治38年)には賑物として布団太鼓を出した。

 塩屋町=寛文11年(1671)は「鉄砲」の練り子。延宝7年(1679)は「鉄砲持」の練り子。文化14年(1817)頃も「鉄砲」の練り子。
安政5年(1858)は魚屋町(現・塩竃区)と共に「弓鉄砲」の練り子。

 北本町(裏町)=寛文11年(1671)・延宝7年(1679)は上小路(現・住吉区)と合同で祇園祭の行列の先頭を行く「傘鉾」を出す。
文化14年(1817)頃は傘鉾を北本町。大太鼓を鵜羽小路(旧・上小路)が担当。
安政5年の行列は1番が北本町の「傘鉾」、二番が鵜羽小路(旧・上小路)の大太鼓が担当。
大原区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。清水町44戸・今道町の内45戸を合わせる。合併時の戸数89。
=昭和32年(1957)制作。翌33年に大太鼓として出場。大工は田中師。建具は川村・太田師。塗師は金井師。
西津七年祭りの小松原川西地区より指導を受け、昭和33年より棒振り大太鼓を奉納。

 明治39年は引物。それ以降は「練物」、「練り子」と記録にあるが、詳細は不明。
 大正末期〜戦前は「在原業平の東下り」の練子。
 昭和26年の式年大祭と昭和27年・29年の放生祭は「八木節」。


 清水町=寛文11年(1671)は西七町として「参宮」の練り子。
延宝7年(1679)は西5町〔山岸町・甲呂木町・文殊丸町・濱浦と合同〕で「異国来朝〕の練り子。

 今道町=延宝7年(1679)は「能因法師」の練り子。
安政5年は「花筏」。
 【神楽】
鹿島区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。中西町41戸・福岡町31戸・富田町37戸を合わせる。合併時の戸数109。
=中西町として文久2年(1862)制作。
昭和天皇の御大典に合わせ昭和3年修復。二重垂木となり、飾金具新調。
彫刻収納箱に「鳳凰 彫刻師 近江 森丹渓作。七福神 彩色師 京都 吉岡宗兵衛 錺金具 彫刻師 彦根 桑原計國作」とある。 

 中西町は寛文11年(1671)は「巡礼」の練り子。延宝7年(1679)は「洲浜」の練り子。
宝暦3年(1755)に「神楽太鼓」が出たと記録にある。
 福岡町(旧・山岸町)富田町(旧・甲呂木町)は「参宮」、「八百比丘尼」、「ツルメン」、「武者」などの練り子を出した。
白髭区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。洲大蔵小路・新町ノ内・塩濱小路ノ内・松寺小路ノ内を合わせる。合併時の戸数109。
=三人の巫女の舞を伴う神楽で明治40年5月新調。彫刻の図案は吉岡松郎。彫師は京都の秋田留蔵。明治45年(1912)5月、塗を小浜の本間重蔵と浦谷権平が施す。
昭和63年(1988)までは曳いていたが、現在は福井県立若狭歴史博物館で展示保存されている。
現在は各区の本陣廻りはせず、八幡神社への奉納のみ。
 【獅子
多賀区
⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。洲崎町(須崎町)の内75戸・川崎町の内28戸を合わせる。合併時の戸数103。
=明治41年(1908)から一番町から伝授した獅子舞を出している。
明治43年(1910)5月、獅子頭新調。町内の大工加福太治郎らの作。毛植え 等の調製は渡邉亨。
昭和9年9月、中獅子新調。
平成7年(1995)獅子頭修復。太鼓・笛・水引幕の修復。


 江戸期の記録では須崎町・川崎町合同で寛文11年(1671)「木賊」の練り子。
延宝7年(1679)も須崎町・川崎町合同で山車で「木賊山」。
享保5年(1720)は川崎町の「木賊山」。享保の改革により京都の祇園祭以外の山車が幕府により禁止された。
享保6年(1721)は「とくさかり」の練り子で以降川崎町の山車は復活しなかった。
文化14年(1817)頃は須崎町と共に「作り物」。
安政5年(1858)は須崎町は「異国凱旋」の練り子、川崎町は「俵藤太」の練り子。 などで祭礼に参加。

 明治以降は明治31年は「提灯」。
明治39年・40年は「引物」。
男山区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。中小路32戸・西宮前町35戸・八幡小路27戸を合わせる。合併時の戸数94。
=明治28年(1895)に旧関東組の獅子頭3頭、太鼓3個を購入し、区内在住の旧・藩士武久釘五郎氏から伝習する。異説として明治30年4月、小浜鉄道敷設仮免許交付の祝賀会にでたのが始まりというものもある。
明治29年に新調の記録もあり。
明治34年には旧・小浜藩主酒井家より井筒の紋の使用の許可を得る。
昭和61年9月に大1組が追加となる。

 江戸期の記録では寛文11年(1671)と延宝7年(1679)は西宮前町と八幡小路は合同で「夷大黒」の練り子を出した。
文化14年(1817)頃も合同で「恵比寿大黒」。安政5年は合同で「諸商人」の練子を出した。
 【神輿】
香取区⇒明治7年(1874)の区割り改定により誕生。猟師町50戸・常在小路37戸・柳町ノ内10戸を合わせる。合併時の戸数97。
=明治35年(1902)6月、八幡神社の神輿を譲り受け、修復して使われる。

平成20年(2008)、京都で大修理。

 猟師町・常在小路・柳町いずれも江戸期の祇園祭に練り子などを出したという記録は無い。
明治以降の記録では明治31年は「作り物」、明治33年は奉納、明治39年からは「神輿」となっている。
城内1丁目7−55 小浜神社 5/2、3 お城祭り
一番町=元は竹原の一部。江戸期の竹原侍屋敷のうち広小路にあたる。税務署がある。
県指定無形民俗文化財の雲浜獅子を奉納。

大手町=元は上竹原・竹原の各一部。市役所や小浜病院がある。

後瀬町=元は上竹原・伏原の各一部。小浜第二中学校がある。

山手1〜3丁目=元は西津・湊・北屋敷の一部。昭和48年までは中山手・東山手と称した。西津侍屋敷跡。
お城祭り=5/2、3に行われる若狭國藩主であった酒井忠勝公を祀る小浜神社のお祭り。
大太鼓や子供神輿、県指定無形民俗文化財の雲浜獅子が出る。
千種2丁目3−7(旧・雲浜村竹原) 広峰神社 7/17、18 障子鉾1本、剣鉾3本、子供用1本、鎌鉾3本
『広峰神社祭礼絵巻』には笠鉾、棒振り、大太鼓、神楽、山車などが描かれているが、明治以降廃止される。
北塩屋20−11 宗像神社 5/13〜15 例祭 式年7年大祭
水取1〜4丁目=元は湊の一部。
 ■内外浦地区
      ⇒田烏(たからす)、矢代(やしろ)、志積(しつみ)、犬熊(いのくま)、阿納、西小川、加尾、阿納尻(あのじり)、甲ヶ崎(こがさき)、宇久(うぐ)、若狭、仏谷、堅海(かつみ)、泊
田鳥62−6 天満神社 5/25(元・9/25) 能楽があった 田烏・釣姫(つるべ)・谷汲(たんぎょ)・須ノ浦の4集落よりなる
矢代5−4 加茂神社 4/3 例祭
志積14−18 日枝神社 5/1(元・10) 例祭
犬熊5−8 得良神社 10/23 例祭
阿納16−23 春日神社 10/15 例祭
西小川4−20 斎神社 5/16 例祭
加尾13−1 白山神社 5/16 例祭
阿納尻29−1 白山神社 4/3 例祭
甲ヶ崎3−10 白髭神社 4/20 例祭
宇久5−4 久須谷神社 5/11 例祭
若狭18−5 椎村神社 5/5 神輿、王の舞
仏谷9−5 熊野神社 1/18 流鏑馬 現在は休止か?
4/23 例祭
堅海10−4 久須夜神社 10/11 例祭 式内社。例祭は元・5/11
7−27 若狭彦姫神社 4/10&9/10 例祭

 ■松永地区
     ⇒池河内(いけのこうち)、門前、三分一(さんぶいち)、四分一(しぶいち)、上野、東市場(といちば)、大興寺、平野
池河内35−11 廣嶺神社
門前7−1 山祇神社
三分一71−10 泉神社
四分一59−2 紅梅彦姫神社
上野54−1 天満神社
東市場52−20 日吉神社
大興寺35−23 日枝神社
平野28−32 桜神社 3/8 蛇の目を射貫く神事
 ■遠敷地区
     ⇒遠敷、竜前、下根来、忠野(ちゅうの)、金屋、国分:上根来、中ノ畑
遠敷65−41 若狭彦神社下社(若狭姫神社) 10/中旬(元・10) 大太鼓、棒振り 養老5年(721)2月10日、上社より分祀
龍前28−7 若狭彦神社上社
2社合わせて式内社で旧・国幣中社である。室町以前は祭祀の中心は上社であったが、以降は下社中心となり、現在は神事はほとんど下社中心である。
下根来 白石神社 白石の鎮守
下根来 八幡神社 3/2 山八神事 神野谷の鎮守
下根来は鵜の瀬のある集落で、遠敷川下流側から白石・高野・青橋・神野谷・長瀬の5集落あり。
忠野9−1 八幡神社 10/10 例祭
金屋 小浴神社 3/10&10/10 例祭 式内社若狭彦神社境外末社
 ■国富地区
     ⇒太良庄(たらのしょう)、栗田、高塚、次吉、羽賀、奈胡、熊野、丸山
太良庄22−2 丹生神社 5/5 子供神輿 式内社
氏子は字太良と小字鳴滝。例祭日は神社裏に1坪余りの田んぼを作り、豊作を祈願して子供たちが植え初めをしたのち、子供神輿を担いで太良中を練り歩く。
栗田30−20 曽尾神社 4/23&10/28 例祭 氏子は栗田・高塚
高塚 秋葉神社 5月連休 神輿
5月連休早朝、区長を先頭にに提灯を持って、小学1年生と六年生の男子各1名と、その親が代表して秋葉神社参り、下山するのを待って区内の小学生全員が神輿を担ぎ、「ドックワライ、マンダイドックワライ=毒を払え、万代の毒を払え」と言って担ぎまわると、各家では神輿に五穀豊穣を祈願する。
次吉54−6 一言神社 10/1 例祭
羽賀73−15 羽賀姫神社 5/1&10/1 例祭
奈胡62−27 阿奈志神社 5/1&10/1 例祭 式内社。往古の例祭は4月・6月の初申日。
熊野76−35 田中神社 5/1&10/1 例祭 口熊野の鎮守
熊野81−1 熊野神社 5/1&10/1 例祭 奥熊野の鎮守
丸山92−1 山神神社 3/25 かぶら祭 春祭りのこと

 ■今富地区
      ⇒尾崎、野代、生守(いごもり)、多田、木崎、和久里、府中、湯岡、伏原、青井
尾崎22−12 赤松神社
野代29−6 厳島神社
生守47−1 若宮八幡神社 2/19 神事能 式内社
多田16−9 多田神社
木崎 八幡神社
和久里 八幡神社 8/15 例祭
府中17−22 総社神社 7/7 例祭
湯岡14−9 熊野神社
伏原34 今富神社
青井字玉椿 神明神社

 ■口名田地区
      ⇒相生、中井、口田縄(くちだの)、奥田縄(おくだの)、須縄(すの)、矢田部
相生9−7 若宮神社 10/8頃の日曜 棒振り
中井 天満宮 9/25(元・10/8) 例祭 中井は上中井(五十谷)・下中井(飛川)・滝谷・新滝に分かれる
口田縄17−19 春日神社 3/8 弓打ち神事
奥田縄10−11 日枝神社 4/中旬 神輿 天保15年(1844)作られたが、現在は担ぎ手がいない
神事能廃絶
須縄32−5 熊野神社 4月(元・10/1) 例祭
1/19 宮始め・弓打ちの儀式 かつてあった
矢田部42−31 若宮八幡神社 4/29 浦安の舞 昭和54年(1979)復活
 ■中名田地区
     ⇒小屋(おや)、上田(かみた)、下田(しもた)、和多田(わだた)、深野、深谷(ふかたに)
小屋46−8 熊野神社 3/9&10/9 例祭 地内は口小屋・中小屋・奥小屋の3字に分かれる
下田52−26 加茂神社 9/23 神楽 氏子は上田、下田、和多田
浦安の舞。出し物は上田区・下田区の神楽、和多田久の棒振りに先導された大太鼓が3年交代で出る。お多福、ちょろけん、天狗、大頭、夜叉 など道化も出る。
深野14−1 苅田姫神社 9/23 神楽 お多福、ちょろけん、天狗、夜叉 など道化
深谷21−4 日枝神社 10/中旬(7年に1度) 大太鼓 お多福、ちょろけん、天狗、大頭、夜叉 など道化
 【松上げ】
火まつりの民俗行事で中名田地区では上田区、下田区清水・竹本・岸、山左近・脇原各集落、和多田区上和田・大原、塩瀬集落の6か所で行われている。
 ■宮川地区
     ⇒大谷、本保、竹長、新保、加茂
大谷23−10 貴船神社 8/15 例祭 氏子は大谷、矢袋
本保28−1 大月神社 3/7 直会
本保字谷田 八幡神社 8/14 例祭
竹長18−1 日枝神社
新保43−9 大幡彦姫神社 4/5 春祭り
加茂80−4 加茂神社 4/5&12/4 例祭
 ■加斗地区
     ⇒:加斗(かど、旧本所)、鯉川、岡津(おこづ)、飯盛(はんせい)、東勢、西勢
加斗61−2 黒駒神社
鯉川10−5 牛尾神社 3/10 当渡し
岡津10−11 南宮神社
飯盛 黒駒神社
東勢52−28 黒駒神社
西勢75−9 黒駒神社 9/9
 【消滅集落】
上根来(かみねごり)=遠敷地区。無住。明治24年、33戸・188人、昭和30年、26戸・121人。神社は廣嶺神社。

中ノ畑=遠敷地区。無住。明治24年、29戸・157人。

 ≪三方郡≫     
 若狭町
 平成17年(2005)3/31、三方郡三方町+遠敷郡上中町が合併して誕生。
 ◎旧・三方町
       三方:気山、相田、藤井、南前川、北前川、佐古、田名、向笠(むかさ)、鳥浜、館川(たちかわ)、三方、上瀬
       西田:田井(田井野・梅ヶ原・田立・別庄・世久津・伊良積・北庄)、成出(なるで)、海山、世久見(せくみ)、塩坂越(しゃくし)、遊子(ゆうし)、小川、神子(みこ)、常神(つねかみ)
       三十三(みそみ):倉見、白屋、成願寺、上野、能登野(のとの)、横渡、井崎、高岸、岩屋、田上、東黒田(旧・黒田)
気山129−5 宇波西神社 4/8 山車3台 美浜町の金山、大藪は王の舞当年に出す。牧口は田楽の舞当年に出す。
氏子は若狭町の気山、海山、北庄と美浜町の日向、笹田、久々子、松原、郷市、金山、大藪、牧口の11集落。
 【奉納芸】
王の舞
=海山、北庄、金山、大藪。
獅子舞
=久々子、松原、郷市。
田楽(べんさらさ)
=日向(2年)、牧口(1年)。
浦安の舞
は各地区輪番で女子8名で演じる。
気山字寺谷 秋葉神社 3/15 山車1台 宵宮に曳行
気山字中山 八幡神社 10/24 山車1台
気山字中村228−4 川中神社 4/15(毎年) 山車1台 餅まき
気山333−14−2(字切迫 大山祇神社 4/16 山車1台  
気山字芋 日吉山王神社 4/18 山車1台  
気山字市 廣嶺神社 7/7頃の日曜 山車1台
藤井56−12 天満社 4/1日曜 神輿、獅子舞、王の舞 例祭は県指定無形民俗文化財
南前川43−44 前川神社 4/14 例祭 氏地は北前川・南前川
佐古22−6 天神社 4/2 囃子奉納。往古は芝居
田名20−9 白山神社
向笠13−28 国津神社 4/1日曜 神輿、王の舞 例祭は県指定無形民俗文化財
鳥浜44−33 加茂神社 4/12 神輿
例祭日は昭和42年に9/12⇒4/12に変更。宵宮に神輿巡幸。本宮に浦安の舞、太鼓ばやし、加茂神楽・子供相撲。夜は太鼓踊り・流行踊り奉納。
三方21−1 御方八幡神社 9/15 廃藩置県で廃れたが能狂言、相撲があった 式内社
三方41−12 熊野神社  9/12 山車1台 幅約5m。奥行き約3m。高さ約4m。
山車=平成21年(2009)、44年ぶりに山車新調。5月より建設委員会が制作に着手。一部滋賀県の宮大工に制作を依頼し8月下旬に完成。
 先代は鉄骨造り。最後の平成20年は鉄柱が錆びるのでふるさと会館前に置き動かさなかった。
田井93−2 多由比神社 4/17、18 神輿、王の舞、獅子舞 式内社
田井は田井野・梅ヶ原・田立(ただち)・別庄・世久津・伊良積(いらづみ)・北庄(きたじょう)よりなる。
例祭は県指定無形民俗文化財。当座は伊良積・世久津・田立・河内・田井野・成出の各集落が順番に勤め、4月16日には社務所に御幣栽ちの神事を行う。
例祭日はみこりかき役の少女の家では、朝早くからゴク(七合の粳米を蒸す)を作り、神饌の準備を行い、昼前に関係者が当屋宅に集まり当屋祷りの後村立ちが始まる。
潮水撒きを先頭に辻御幣・大榊その他の諸役が徒歩で神社に向かい、参拝を済ました後、行列を組み替えて神社南方250mの松ノ浜と呼ばれる御旅所へ向かう。
そこでは祝詞奏上の後、御幣振り・王の舞・獅子舞・田楽・エッサカエット・浦安の舞などが繰り広げられる。その後は再び列を整えて神社に戻り、境内の広場で浦安の舞を奉納し神輿渡御があって例祭終了。
海山49−1 熊野神社 4/18 山車1台
世久見6−24 天利剣神社 4/3 例祭 枝村に食見(しきみ)がある
塩坂越4−1 八幡神社 1/5 例祭
遊子8−5 廣嶺神社
小川6−1−1 小川神社 7/14 山車1台
神子1−1 神子神社 ? 
常神10−2 常神社 ? 
成願寺12−7 闇見神社 4/5 例祭 旧・郷社&式内社
能登野19−3−1 能登神社 4/15 王の舞、獅子舞 氏地は能登野、横渡
9/15頃の日曜 例祭
能登野山車=昭和54年頃より出ていない。横渡山車=平成になってから出ていない
井崎字夜長52−8 稲荷神社 山車1台 昭和53年頃より出ていない
岩屋字山王谷16−13 日吉神社  10/5 山車1台 平成10年数十年ぶりに曳く
東黒田7−3 八幡神社 4/15 例祭 元・9/15
 ◎旧・上中町
       野木:上野木、中野木、下野木、堤、杉山、兼田(東=下兼田。西=上兼田〔加福六〕)、玉置、武生(むしゅう)
       三宅:仮屋、三宅、市場、井ノ口、天徳寺、神谷(こうだに)、日笠(ひかさ)
       熊川:熊川、河内、新道(しんどう)
       瓜生:下タ中、関、瓜生、脇袋、上吉田、下吉田、安賀里(あがり)、末野(すえの)、有田(ありだ)
       鳥羽:海士坂(あまさか)、生野、三生野(みしょの)、無悪(さかなし)、上黒田、三田(みた)、大鳥羽、小原、長江、山内、持田
上野木53−8 河原神社 3/初酉の日に近い日曜 御神事
御神事=県指定無形民俗文化財。3/初酉の日に近い日曜に行われる。
河原神社境内は大きな切株があちこちにあり、その中に御殿と呼ばれる浄域があり、そこで行われる。午前0時に祭壇の大御幣に神移しの式。夜明け頃、神官を先頭に祢宜、大御幣を持った勤行者、幼い少女の料理持ち等が行列し神社へ向かう。神社では御殿の中で百味の御食(伸撰)が供えられる。
山車?=昭和28年頃より出ていない?
中野木16−10 泉岡一言神社 4/1日曜 例祭
下野木19−1 三宅神社
堤18−16 波古神社 4/1日曜 例祭 式内社
杉山12−5 山ノ井椙杜神社 9/10 例祭
兼田15−20 日枝神社 下兼田の鎮守
兼田13−1 岩上神社 加福六の鎮守
玉置 熊野神社 3/11 能奉納があった
武生 金劔神社 3/3&9/8 例祭
三宅63−2 信主神社 9/8 例祭
市場16−13 市姫神社 1/13 子供みこし
天徳寺40−1 岩上神社 4/20 子供みこし
神谷52−1 宝鏡神社 8/15 例祭
熊川30―9 白石神社 5/3(元・15) 山車1台 見送り幕は3本とも現存
明和9年(1772)5月、神社社殿の屋根の葺き替え、並びに上屋の竣工記念に山車を作り、上・中・下町より松山が作られた。文化文政(1804〜30)には祇園祭りの山鉾に擬した黒塗りの山車に見送り幕を垂らし、山車蔵まで建てたが、弘化3年(1846)の大火で焼失し、その後明治時代に1台作り昭和38年まで曳かれたが廃絶した。その後トラックを用いて祭りをしていたが、平成13、14年度の2ヶ年をかけて、ふるさと文化再興事業として、40年ぶりに新しい山車が作られ、平成14年9/29、山車新調入魂式で復活した。
河内43ー1 白石神社 5/3 例祭
新道40−1 白石神社 5/3 例祭
下タ中16―26 八幡神社 7/24に近い日曜
(隔年)
山車1台
瓜生 天満神社 3/15&9/15 例祭
脇袋26−3−1 勝手神社
上吉田17 春日神社
下吉田11−17 春日神社
安賀里24−2 日枝神社 4/2 神輿、能が出た 氏地は安賀里・下吉田
末野36−11 須部神社 3/23&9/28 例祭 式内社
有田6−10 斎神社 1/12頃 綱打ち神事
綱打ち神事=町指定重要無形民俗文化財。斎神社拝殿で長さ14m、直径30cmの大綱を作り、集落を練り歩く。
海士坂12−5 海士坂天満宮 4/3 能奉納 4年に1度奉納された
三生野33−35 瀧倉神社 能奉納 4年に1度奉納された
無悪47−11 観音様 開帳の折りの祭り 山車
天満社 能奉納 7年に1度奉納された
三田41−1 八幡神社
大鳥羽4−22 石按比古比売神社 4/3頃の日曜 山車1台
小原23−41−42 石按比古比売神社 4/20 王の舞、獅子舞 氏子は小原、南。南は昭和29年、山内より独立
長江10−1 二十八所神社 3/16 能奉納 7年に1度奉納された
山内58−4−2 古城神社
持田13−10 熊野神社 3/16 能奉納 7年に1度奉納された

 美浜町
     北:早瀬、日向、笹田
     南:久々子、松原、郷市、金山、大薮、気山
     耳:和田、木野、佐柿、河原市、栄、佐野(佐野・上野・野口〕、麻生(あそ)、中寺、宮代、興道寺、南市、寄戸(よりと)、五十谷(いさだに)、安江(やすえ)、新庄

     東(山東):坂尻、佐田、太田、山上、けやき台、北田、菅浜、竹波、丹生
早瀬17−13 日吉神社 5/5(元・7〜9) 山車1台  
山車=安政4年4月創建。総工費建造費手間銀2貫108匁6分也塗師1貫匁也」と古文書に記されている。
安政3年に早瀬地区にコレラが流行した。その時、宝光山瑞林寺の和尚が「神仏のたたりだから、人身御供として子供歌舞伎を奉納せよ」とのお告げを受け、さっそく区民一同が集まり、奉納用の曳き山を建造することを決め、同年6月に建造にかかり、翌年4月に完成した。5/8に、日吉神社、瑞林寺(曹洞宗)、浄明寺(真宗大谷派)、区内に奉られている林神社、市姫神社、宗像神社、江頭神社、水無月神社などに新しくできた山車を曳きまわして子供歌舞伎を奉納したところコレラも治まったと伝えられる。
日向47−36 稲荷神社 9/2 太鼓を乗せた山車
9/3 奉納相撲
笹田4−6 風宮神社 3/16 例祭
久々子6−4 佐支神社 7/14、15 神輿 子供神輿
松原16−19 日吉神社 4/22 例祭
郷市25−16 伊牟移神社 2/20 例祭 式内社
金山26−6 日吉神社 10/3日曜 例祭
大薮35−1 広嶺神社 7/1 例祭
気山101−1 大山祇神社 11/11 例祭
和田10−2 常神社 11/3 例祭
木野7−6 木野神社 4/13 例祭 式内社
佐柿29−2 日吉神社 4/13 山車1台 山車=高さ約3、5m。往古はお囃子行列。
麻生20−37 八幡神社 7/10 例祭
宮代10−25−1 弥美神社
公式HPへ
5/1 例祭 令和7年変更
5/4 王の舞 獅子舞
弥美神社の氏子は、旧「耳庄」と呼ばれた耳川流域の19集落(新興住宅地含む)である。
 永禄5年の記録には「御幣村、上村、下村、王村、獅子村、田楽村、神子、…」などと見える。
当日は朝から各集落から行列がやってきて、順次、御膳を神前に供える。全ての集落が揃うと、大御幣を中心に各集落の御幣が並び、そろって御幣を振る「幣招き」、一本幣・七本幣、王の舞、獅子舞などに相対して大御幣をゆっくりと振り神霊を移すといわれる「幣迎え」、大御幣が暴れる「幣押し」などがある。「幣押し」は昼過ぎから夕方まで延々続き、幣串だけになってしまってから、大御幣差しの子供を乗せて神前に納められると、各集落の御幣も納められ、やがて王の舞が始まる。王の舞が終わると獅子舞があり、獅子舞がすむと、神前から下げられた御膳を持ち、各集落へ帰ってゆき、祭りは終了する。
 ≪行事予定≫
(8:20〜9:30)御饌奉納:本殿にて、河原市・和田・佐柿・坂尻・麻生・東山・中寺・宮代・小三ヶ・新庄・三ヶ・興道寺・南一が奉納
(9:40〜9:50)境内にて奉幣神事
(10:00〜10:50)本殿・拝殿にて祭典
(10:30〜10:40)乙女の舞:拝殿にて当番地区が舞う
(11:00〜12:00)幣迎え神事:大神様の御霊を大御幣にお分けする神事。一本幣・七本幣・各集落御幣・王の舞・獅子舞の順で列をなし、参道を下り馬止めにて神事を行う
(11:50〜16:30)大御幣押し:大御幣を神輿として参道を上げ番・下げ番に分かれて押し合う
 ※4年に1回の当番 興道寺 河原市(2年)・和田(1年) 佐柿(2年)・坂尻(2年) 中寺・宮代・小三ヶ区
(14:00〜14:20)浦安の舞 拝殿にて当番地区が舞う
(16:50〜17:40)王の舞 境内にて麻生(東山含む)が毎年奉納
(17:40〜18:00)獅子舞 境内にて佐野、上野が3年ごとに持ち回りで奉納
 鎮守は市姫神社(河原市13)例祭日は4/7、常神社(和田10−2)、西宮神社(中寺7−19)例祭日は3/28、日枝神社(興道寺38)、明治神社(南市11−10−4)、愛神社(佐野の鎮守。佐野25−15)例祭日は7/1、八幡神社(上野の鎮守。佐野39ー36)例祭日は7/1、天満神社(野口の鎮守、佐野47−10)例祭日は3/25。
五十谷11−1 八幡神社
安江3−1 三島神社
新庄50−10 八幡神社 9/15 例祭
新庄65−29 広嶺神社 7/14 例祭 田代の鎮守
新庄65−52 日吉神社 9/1 八朔祭 木で作られた男根を持った天狗が暴れまわる
八朔祭=往古は旧暦8/1だったが、新暦になり毎年9/1に行われる。集落を東字・西字に分け、午前中は東字、午後は西字がそれぞれの公会堂から朱塗りの大角樽(おおつのだる。樽神輿と称する)を担ぎ祭り行列が日吉神社まで練り歩く。
行列には男根を模した神棒を持った天狗が女性をその神棒で突っつくために追いかけまわす。

また天狗の周りにはオドケといわれる世相を表した仮装衆がつく。オドケは祭りの間は声を出してはいけない。東字のオドケの場合は警官・夫人・乞食は必ず存在している。なお役割は当日朝に発表される。
新庄 雷神社(日吉神社隣接) 9/連休日曜 山車休止
十五夜祭り=平成24年(2012)に見に行かれた名古屋市のゆいささんによると、神事は午前中に行われるものの、山車も祭礼も廃止されていたとのこと。
また同氏はこれより10年ほど前に行かれた時は公会堂前に簡単な屋根無し台車(四輪)の中央に松の木を飾った素朴な山車や祭礼道具を見られたとのこと。
調べてみると、2005年より山車曳きは休止中。以前は夜になると、提灯に火がともされ、ヤマ(山車)に笛・太鼓・三味線の囃子が乗り、西字集落から雷神社境内まで山車が曳かれた。
新庄(しんじょ)は田代、寄積・奥・馬場・岸名・浅ヶ瀬・松屋の7集落からなる。
坂尻14村内21 一言主神社 10/25 例祭
佐田97−6 織田神社 5/11(元・4/2) 神輿 旧・郷社
8/20 子供みこし
氏子は三区あり。佐田区の「王の舞」・大田区の「獅子舞」・山上区の「ソッソ神事」の当番の人々と、三区の主役人ら、そして神輿をかつぐ佐田区の人々多数が勢揃いして、神輿のお渡りがある。
山上は鎮守は山上神社(山上69−7)。太田は鎮守は八幡神社である。
夏祭り=午前中は写生大会が行われる。氏子の子供が絵を描き、展示して神社の役員に作品を選んでもらい、賞状賞品を贈る。午後からの子供みこしは、元気いっぱい境内をかけめぐる。
北田29−4 織田神社 4/6 例祭
菅浜98−3 須可麻神社 6/2 神輿 手作り子供みこし
竹波13−1 高名弥神社 6/5 例祭
丹生33−8 丹生神社 6/19 例祭

 ≪大飯郡≫
 おおい町
 平成18年(2006)3/3、大飯郡大飯町+名田庄村が合併。
 ◎旧・大飯町
       本郷:本郷、小堀、父子、野尻、山田、芝崎、岡田、尾内、犬見、長井
       佐分利:川上、三森、福谷、久保、安川、石山、小車田、佐畑、鹿野、笹谷(ささだに)、神崎、岡安、広岡、万願寺
       大島:大島(地内は西から浦底・西村・河村・日角浜・畑村・脇今安・宮留の集落がある)
本郷本郷138−15 日枝神社 10/18 神輿 子供みこし
山車1台  
本郷浜 水無月神社 7/27、28 神輿渡御 奉納相撲は平成12年復活
神輿=大正6年再調。始めは小祠をそのまま渡御していたが、寛政10年(1798)に神輿を創建して今の祭りの主体となる。
父子46 静志神社 10/5 豊年祭・神楽・三者舞・棒ふり・翁面当
氏神祭=神社の幟を新調した年や、神社関連の新築があった年(古くは豊作の年)等の特別な年に行われる。杉の枝葉を集めて舟型にした山車や御神楽が出され、棒ふり太鼓、鉦、笛が鳴る中、そぐら(踊り場)から静志神社までを、2名の棒振り役が先導し、その後をおおこべ、ひょっとこ、おたやんなどの三役とともに、山車・御神楽を引く「のぼり引き」の行列が続く。
野尻18−16 六社神社 10/8 神楽・翁面当・棒ふり
山田4−1 大飯神社 10/10 神事能 氏子は岡田・山田・芝崎
尾内39−44 黒駒神社 3/8 宮当祭・持立行事
犬見22−3 犬見八幡神社 3/2 豊年祭・三社舞・神楽
長井11−1 黒駒神社 10/8 宮当祭・子持持立行事
 
川上108−3(字神水) 新鞍神社 10/15 豊年祭・伊勢踊り・宮当祭 氏子は川上・三森
福谷48−7 伊射奈伎神社 10/15 豊年祭・神代祭・獅子舞・太刀舞・神楽・山・神事能 氏子は福谷、石山、久保、安川、小車田、佐畑
福谷(宮元区)=神代の舞。
石山
(脇宮元区)=神楽と獅子舞。元は太刀舞を奉納。明治初期より獅子舞をまねるようになり、明治20年(1887)に獅子頭を京都で購入し、働きに出てきた名田庄村下の木挽きに伝授してもらう。
久保=神楽と獅子舞。
安川
=神楽と獅子舞。

小車田
=元は獅子舞。現在は適宜奉納。
佐畑
=適宜奉納。
鹿野24−3 八幡神社 10/15 豊年祭・太刀舞・宮当祭
笹谷7−5 熊野神社 10/15 獅子舞休止
神崎堂ノ前1−1 熊野神社 10/15 神事能
岡安字西谷口4−7 依居神社 10/15 豊年祭・神楽・神事能
広岡字宮の奥15−14 八幡神社 10/15 豊年祭・獅子舞・神楽・面当
万願寺8−1 熊野神社 10/15 豊年祭・神楽
大島83−1 島山神社 10/20 王の舞・神事踊・神事能
 【消滅集落】
宝尾(たからお)=川上の小字。昭和初期まで4戸の民家あり。またこの宝尾には欽明天皇の開基という摩野山一乗寺という寺があり、36坊があったという。宝尾権現や不動堂 等もあった。
神社は宝尾神社。新鞍神社に合祀し、今は竹林と化す。

 ◎旧・名田庄村
       知三(ちみ)(南名田):三重、虫鹿野、挙野(あげの)、槙谷(まきだに)、堂本、小倉、小倉畑、久坂:虫谷、染ヶ谷
       奥名田:納田終(のたおい)、口坂本、奥坂本、井上(いがみ)、西谷(にしだに)、中、下
名田庄三重5−25 熊野神社 10/4 松上げ神事
名田庄虫鹿野14−37 皇王神社 11/11 例祭
名田庄虫鹿野13−50 広峰神社 10/8 例祭
名田庄挙野21−19−2 山神社
名田庄槙谷19宮ノ下2 八幡神社
名田庄小倉17字宮ノ谷 苅田彦神社 10/2 例祭 氏子は小倉・小倉畑・久坂・堂本・挙野・染ヶ谷
名田庄納田終127−4 加茂神社 10/2 例祭
名田庄口坂本28森ノ鼻1 未多徒神社 10/17 例祭
名田庄奥坂本32宮谷口5 加茂神社
名田庄奥坂本50−20 野津多徒神社 10/2 例祭
名田庄井上19−32 伊津岐神社 9/6&11/6 例祭
名田庄西谷10−21 日枝神社 2/12&9/12 例祭
名田庄中27−22 虫尾神社 9/4 例祭
名田庄下3−15 苅田比売神社 10/3 獅子舞 式内社
例祭の他5年に1度の大神楽には剣の舞を舞う。この剣の舞は秘伝で、他の舞を全部習得した長男だけが受け継ぎ、土蔵の中で先の舞手より直接伝授される。
記録では安永4年(1774)に伊勢の御師より伝授されたとされる。
 【消滅集落】
久田川上流のダム建設予定のため出合、挙原、永谷の3集落が水没のため1985年頃に離村。しかしながらダムは未だに建設されていない。
 【南川砂防ダム】
小松(こまつ)=納田終の小字。昭和63年(1988)に竣工した南川砂防ダムにより水没。かつては数軒の人家があったが、明治中期以降は1軒のみとなっていた。
虫谷(むしだに)=無住。大正3年、11戸・59人。昭和43年、8戸・28人。鎮守の高槻神社は火災のため虫鹿野の皇王神社に合祀。

染ヶ谷(そめがたに、しがたに)
=無住。大正3年、9戸・63人。昭和43年、6戸・33人。集落整備事業により移転。


谷口(たにぐち)=納田終の小字。無住。

老左近(おいさつ)=納田終の小字。無住。「北山の峠」(昭和55年発行)には寺を含めて7軒が暮らしていたという記述がある。

切明(きりあけ)=奥坂本の小字。2戸。昭和48年、集落整備事業により移転。

  高浜町
     高浜:高浜〔高浜塩土町・高浜若宮町・高浜三明町・高浜事代町・高浜宮崎町〕中津海(なかつみ)、、鐘寄、畑、立石、薗部、岩神、笠原、子生(こび)、坂田
     青郷:上津、六路谷、蒜畠(ひるばたけ)、今寺、高野、中山、小和田、青、出合、日置(ひき)、関屋、横津海(よこつみ)、東三松、西三松::上津(うわづ)
     和田:和田、馬居寺(まごじ)、上車持、下車持
     内浦:上瀬、日引(ひびき)、宮尾、下、鎌倉、山中、神野、神野浦(こうのうら)、難波江(なばえ)、小黒飯(おぐるい)、音海(おとみ)
宮崎59−3 左伎治神社
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10/12、13 例祭(毎年) 能祭りと称される
6月(元々・巳の年と亥の年ごとに旧暦六月卯の日から酉の日までの七日間) 神輿3基 東山、中ノ山、西山
曳山7台 横町、赤尾町、本町、中町、大西、今在家、若宮
獅子神楽 畑、立石、中寄
例祭=能祭りと称され毎年、10/12、13に行なわれる。子供による浦安の舞、壮年による謡曲、仕舞いなどが神楽殿で奉納される。昭和初期までは能役者を頼んで能楽の奉納が行なわれた。
高浜七年祭=佐伎治神社の式年大祭である。
巳年と亥年の7年(実質的には6年)ごとに行われる夏祭りを「七年祭」と呼び、氏地を、神輿とともに3つに分けられ、それぞれの地域内に御旅所が設けられる。
氏子の範囲は、江戸時代に「木津荘十箇村」と呼ばれた地域=旧高浜地区全域を氏子として営まれる、
  祭りの期間は6月の卯の日から酉の日の7日間と決められ、中山(中ノ山)、西山、東山の3基の神輿が渡御する。
  神輿それぞれに、太鼓打ちと芸能衆が行列をなして付き従い、神輿の出発前や到着後に芸能を披露する。芸能の種別は太刀振り、お田植、神楽など。曳山では若連中による「屋台囃子」と、子供たちによる日本舞踊や太鼓の演奏が演じられる。
  七年祭は京都の祇園祭や小浜広峰神社の祇園祭礼と同様に御霊会の性格を持っており、様々な芸能は御霊や疫神を慰撫するためのものと考えられる。
  祭りの起源は不祥だが、織豊期の連歌師里村紹巴の紀行文「天橋立紀行」、永禄12年(1569)6月19日の条にに「高浜祇園会」とあることから、この頃すでに行われていたと考えられる。
■初日(神幸祭)
  中山(中ノ山)、西山、東山の3山がだしを先頭に大太鼓・太刀振・駕籠丁・警護などが行列を作り3基の神輿が渡御する。
神輿の出発前や到着後に芸能を披露する。芸能の種別は太刀振り、お田植、神楽など 。
 夕方に神輿は御旅所に戻り、締めくくりの太刀振りが奉納される。

■二日目(巡行祭)
 9時頃に7台の曳山は神社参道に集合し、横町・赤尾町・本町・今在家・中町・大西・若宮の順で宮入りする。
同じ順序で曳山芸能の奉納があり、15時過ぎより宮入りの順序と逆に宮出する。

■三日目(巡行祭)
 7台の曳山は御旅所や本陣で芸能を披露する。

■四日目(中日祭)
 各御旅所に安置されていた神輿がそれぞれの氏子区域内で練られる。
ただし西山神輿が駅前通りで方向転換するために中ノ山区域の宇治区、若宮区、大西区を通ることがあるが、それ以外は原則として氏子区域内で練られる。


■五日目・六日目(巡行祭)
 7台の曳山は御旅所や本陣で芸能を披露する。

■七日目(還幸祭)

 7時頃に各神輿は御旅所を出発。15時半頃に神社に還幸。還幸祭の神事の後、奉納芸の奉納。奉納終了後の17時半頃に鳥居浜に到着、足洗いの儀が行なわれる。
 【東山】
    ⇒薗部、岩神、横町、赤尾町地区
神輿=祭神は稲田姫命。「東山神輿帳」によると、文政4年(1821)4月に大坂心斎橋本町、錺屋鎌田常右衛門より購入し、4/7に龍蔵院(左伎治神社の別当寺院)に納めている。
この時大坂世話人、湊屋正右衛門と若狭屋喜兵衛から鉾2本の寄進を受け今もだしと共に先頭を進む。(湊屋正右衛門と若狭屋喜兵衛は高浜出身)。

太刀振=東部若連中(薗部区、岩神区、笠原区の合同)。

曳山
横町=大正6年制作。大工、塗師は西舞鶴の人。文政11年(1828)に胴幕を新調したという記録がある。 

赤尾町
=弘化2年(1845)道具箱には文久3年(1863)の年号がある。
 【中ノ山】
    ⇒塩土、若宮、本町、中町、大西、今在家、宇治、事代地区
神輿祭神は素盞鳴尊。大工は不詳。制作年は不詳だが、瓔珞などの錺道具箱に明和四亥年(1767)五月吉日とある。
 巡行順は昭和34年以降は中ノ山、西山、東山。

太刀振=塩土区。

お田植=事代区が奉納。

曳山
本町
=詳細不詳。

中町
=見送り幕に文化3年(1806)とある。

大西
=曳山の天井に張られた龍の絵の奥付には、長谷川素后画で天保4年(1833)の年号がある。

今在家
=江戸期の作。

若宮=欄間彫刻は大正12年、吉田自然の作。
 【西山】
    ⇒子生、笠原、坂田、立石、中寄、畑各地区
神輿=
祭神は大己貴命。後の大国主命。「佐伎治神社記録」によると、和3年(1803)に坂田村の大工勘助と立石村の仁平により制作。

太刀振=子生区と畑区・立石区・中寄区。

獅子神楽=立石区・畑区・中寄区の青年により奉納されお囃子が伴う。獅子頭は立石区・畑区に伝わる。
3区の中から、獅子舞役3名、囃子方は鞨鼓が2名、笛が10名前後である。
六路谷宮ノ前24−3−1 杉森神社 10/17 囃子山1台
蒜畠7−9 八幡神社 10/17 例祭
今寺35(青葉山頂上) 青葉神社 8/6 例祭 以前は山頂に籠り翌朝祭典を行っていたが、現在は朝約1時間かけて山頂に登り神事をする
高野80ー3 青葉神社 10/17
(3年に1度くらい)
囃子山1台
中山80−3 青葉神社 10/17 例祭
小和田51−14 伊弉諾神社 10/17 囃子山 軽トラックを利用した舟形のもの
青字宮脇15−1 青海神社 2/11 柴の実入れ
10/17 囃子山5台 青、日置、関屋、横津海、出合
神楽舞、余興 式内社
柴の実入れ=県指定無形民俗文化財。氏子たちが柴で神主役の男性(横津海が担当)を叩き、1年の豊漁豊作・商売?盛を祈願する神事。
日置49−23 日置神社 10/17 例祭
東三松12−4 日枝神社 10/17頃の日曜 囃子山2台 東三松・西三松
太刀舞・神楽舞休止
 【消滅集落】
大田和=横津海の小字。4戸あり。昭和28年(1953)の台風13号が離村の一因。

上津(うわづ)=無住。文化4年(1807)9戸・64人(雲浜鑑)。町誌によると、明治22年8戸・43人。大正9年9戸・41人。昭和35年6戸・23人。
昭和28年(1953)の台風13号が離村の一因。廃村となり、青の字出合に移住した。
和田字愛宕山129−1 新宮神社 10/14 神輿
囃子山3台
馬居寺2−1 熊野神社 神楽、引山
上車持21−1 廣嶺神社 4/14 神楽山(囃子山)1台
下車持44−7−1 香山神社 4/23 神輿渡御 氏子は下車持、おおい町小堀
上瀬2−9 山神神社 10/17頃の日曜 担い囃子山、傘鉾
日引25−16 気比神社 10/17 例祭
宮尾19−6 産霊神社 10/17 例祭
下25−1 産霊神社 10/10 例祭
鎌倉11−26 杉森神社 10/17頃の日曜 囃子山1台 慶応2年は湯立、太刀振、伊勢踊りの記載あり
山中49−3 日枝神社 10/16 例祭
神野43−4 八幡神社 10/16 例祭
神野浦3−5 気比神社 10/14 例祭
難波江30−16 日枝神社 10/16 例祭
小黒飯52−4 天満宮 10/21 例祭
音海42−26 気比神社 10/18 囃子山1台(担い)

  ★展示場     
 【県立若狭歴史博物館】(公式HPへ
小浜市遠敷2丁目104。рO770−56−0525。9:00〜17:30(入館は16:30まで)。入館料は300円。第3日曜は入館無料。休館日は第2・4月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月2日)。
昭和57年10月、若狭歴史民俗資料館として開設。平成26年7月、リニューアルされ、若狭歴史博物館として新たに開館。
常設展示の「若狭の祭りと芸能」コーナーでは田の神祭りの麦藁神輿、彌美神社王の舞面(旧)・鳥兜・衣装、雲浜獅子獅子頭(レプリカ) 他多数展示。
 【高浜町郷土資料館】
高浜町南団地1−14−1。 0770−52−5270。開館時間は9:00〜17:00。9〜3月:9:00〜16:00。休館日は月曜、年末年始。料金はおとな200円、小中高生100円。
第一展示室には「高浜町の宗教美術」、「高浜七年祭」、「高浜町の獅子頭」、「祈りとくらし」の4コーナーから構成されている。
平成5年開館で開館4年目までは曳山を1基ずつ2年サイクルで展示したが、豪雨で浸水時に曳山が傷む恐れがあるので中止となる。