福 井 県


  ≪若 狭≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪敦賀市≫
     敦賀町:旧町+泉、津内、三島
     松原:沓見、木崎、櫛川、松島、原、二村(ふたむら)、名子(なご)、縄間(のうま)、常宮(じょうぐう)、沓、手、色浜、浦底、立石、白木
     愛発(あらち):市橋、疋田、追分、駄口、奥野、曽々木、新道(しんどう)、麻生口、奥麻生、刀根:山中
     粟野:野神、市野々、櫛林、莇生野(あぞの)、金山、関、野坂、長谷(ながたに)、山、御名、砂流(すながれ)、公文名(くもんみょう)、和久野
     東郷:谷、高野、中、舞崎、余座、井川、大蔵、谷口、樫曲、池河内、獺河内(うそごうち)、越坂(おっさか)、田尻、葉原、新保
     中郷:長沢(ながそ)、古田苅(こたかり)、堂、山泉(やましみず)、道口(みちのくち)、坂下(さかのした)、吉河(よしこ)、鳩原、小河口(おごぐち)、小河(おご)
     東浦:田結(たい)、赤崎、江良、五幡(いつはた)、挙野(あげの)、阿曽、杉津(すいづ)、横浜、大比田、元比田
曙町11−68 気比神宮 9/2〜4 鳳輦、神輿 大人神輿6基、子供みこし9基、樽みこし1基
山車6台 御所辻子山車(元町)、金ヶ辻子山車(桜・蓬莱町)、唐仁橋山車(相生町)、東町(旭)山車(相生町)、観世屋町山車(相生町)、鵜飼ヶ辻子山車(相生町)
神輿渡御は市内11地区から大人神輿6基、子供みこし9基、樽みこし1基が出る。
 天正年間に織田信長が山車を見たとの伝承は残っているが、信長が朝倉侵攻の際に、氣比神宮を焼き落としているので、信憑性が薄いという意見もある。
近世においては旧暦8月2日の宵宮、3・4日の本祭で山車が曳き出されていた。当時は大山車と小山車の二種類の山車が存在しており、また2日の宵宮には宵山も出されていた(宵山に関する記述は近世後半の文献しか登場しておらず、信憑性が薄いという説もある)。
 小山車は近世期に於いて、最大で40〜50基、少ない時でも30〜40基、曳き出されていた事が史料で判明している。当時は、各地区の商人が1基丸ごと所有していたという。敦賀は古くからの港町であり、近世期には北前船の寄港地でもあったので、資産を有した敦賀商人たちは、その資産を元手に小山車を新造・購入していたと見られる。この小山車の大きさは、現在曳かれている山車とほぼ同じ大きさだったらしい。
 大山車は4日の本祭のみ曳行されていた。大山車は門前町の各地区が所有していた。大きさは特定されていないが、現存する幕などから判断すると小山車の倍ほど大きさが推定されている。この大山車が12基曳行されていたと伝わっている。

明治5年(1872)に大山車・小山車が廃止となり、小山車の大きさで各地区が山車を所有する事になった。また、旧暦から新暦に変更するに伴い、8月2日〜15日⇒9月2日〜15日になった。
さらに町の再編成により、現在の6基に当る6町になった。

 戦災により3台になったが、平成6年に氣比神宮の倉庫や各地区の元山車庫や個人が所有し残されていた山車の骨組や設計図を元にして残る3台も復元新調された。
御所ノ辻子山車(現・元町&桜町)市指定文化財。「大坂冬の陣」。人形は「後藤又兵衛と上杉景勝」。
水引幕の内2面を平成20年復元新調。残り2面は平成21年復元新調。以前のは中国製。


金ヶ辻子山車(桜・蓬莱町)=市指定文化財。「刀根坂の合戦」。人形は織田信長、朝倉義景、山崎吉家。
この山車は戦災を免れ昭和25年(1950)、戦後初めて巡行された山車だったが、維持が出来ず売却となる。そこで大金区出身の和装デザイナー大塚末子氏が山車一式を購入し、昭和45年(1970)市に寄付され、現在は桜町と蓬莱町が巡行をに担っている。

唐仁橋山車(旧・富貴区:現・相生町)=市指定文化財。この山車は戦災を免れた3基の1基。巡行復活は昭和57年(1982)。令和2年(2020)山車総合調査の一環で復活以来初めて解体され、再度組み立てられたが、その際に一部新部材に更新。
「山崎の合戦」。人形は羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀。
東町(旭)山車(現・相生町旭組)=平成6年(1994)復元新調。「賤ヶ岳の合戦」。人形は秀吉と柴田勝家。
旧・東町の部材を中心に別の山車の台車を組み合わせたり、釘を使わず再現したり、不足部分を新たに作るなど、復元は地元の大工や住民より行われた。

観世屋町山車(現・相生町西清明組)=平成6年復元新調。「関が原の合戦」。人形は石田三成、大谷吉継、小早川秀秋

鵜飼ヶ辻子山車(現・相生町鵜飼組)=北前船の商人、飴屋治左衛門家が所有していた。柱には寛政5年(1793)8月の墨書きあり。
この山車の提供を受け平成6年復元新調。「大坂夏の陣」。人形は真田大助、なぎなたを持つ淀君。

なお復元に際し曳きて不足を解消のためこの山車は女性が曳く山車とした。
 敦賀まつり(公式HPへ
≪行事予定≫

■2日:(15:30〜21:00)宵山巡行:神楽町1丁目・2丁目通り
■3日:神輿渡御・鳳輦巡幸
(9:00〜14:30)鳳輦巡幸
(10:30〜)子供神輿が気比神宮集結
(12:00〜)大人神輿が気比神宮集結
(13;00〜)出発式後、神楽通りから各地へ渡御
■4日:山車巡行
(9:30〜)山車巡行
(12:00)山車6基が神宮前に集結
(13:30〜16:00)出発式後、神楽・相生通りを巡行
(17:00〜21:00)民謡踊りの夕べ:本町通り
■5日
(13:00〜21:00)イベント広場:神楽町2丁目通り
(15:00〜21:00)カーニバル大行進:相生・神楽町1丁目通り
三島町1丁目3−3 八幡神社 5/14&8/24 神輿 正保元年領主酒井忠勝寄進
沓見62−12 信露貴彦神社(男宮) 5/5 沓見御田植祭 県指定無形民俗文化財。両社は式内社。
沓見75−8 久豆彌神社(女宮)
沓見御田植祭=県指定無形民俗文化財。信露貴彦神社(男宮)と久豆彌神社(女宮)の春祭り。例祭日は明治中期は4/6⇒5/6⇒5/5と変更されている。
御田植祭は両社に王の舞、獅子舞、田植え歌、エブリ差し、苗うちを奉納するために行われる。
 ≪行事予定≫
■1日:馬場揃え
■2日;御幣・オハケサンなどの準備
■3日:御旅所(当屋)の準備
■4日:オハケタテ
■5日(当日)
(12:00〜)沓見公会堂より伝統衣装に身を包んだ行列が笛太鼓の音と共に「ヤホーハイヤー、来年も当屋、再来年も当屋」と声をあげて男社に向かい、男宮の拝殿で御幣を納め、王の舞、獅子舞、田植え歌、エブリ差し、苗うちを奉納する。
(12:30〜)沓見公会堂より女宮の行列も出発し、女宮に向かう。
(14:00〜)久豆彌神社(女宮)で男宮の行列が合流し、女宮の拝殿で両神社の王の舞、獅子舞、田植え歌、エブリ差し、苗うちを奉納。
(15:30〜)男宮と女宮の行列が共に久豆彌神社(女宮)を出発し、信露貴彦神社(男宮)へ向かう。
(16:00〜)信露貴彦神社(男宮)の拝殿で、久豆彌神社(女宮)だけの王の舞、獅子舞などが奉納される。
(17:00〜17:30頃)両神社の行列が番場と呼ばれる所に集まり、それぞれの御幣を合わせる。合わせた御幣が倒され、御幣祇を奪い合う。
木崎35−4 天満神社
櫛川1−5 別宮神社
松島町28−34 神明神社
原4−41 別宮神社
名子13−24 八幡宮
常宮13−16 常宮神社 7/22(毎年) 総参祭 旧・県社・式内社
総参祭(そうのまいりのまつり)=気比神宮の御祭神である仲哀天皇が神功皇后を御祭神である常宮神社を訪れる神事で、航海の安全と豊漁を祈願する。
10時に気比神宮で御霊入れが行われ、船神輿は気比神宮氏子青年会に担がれ桜岸壁へ。船神輿は桜岸壁から御座船に乗り対岸の常宮に向かい、常宮神社で数時間安置されたのち、再び気比神宮に戻る。
手22−12 剣神社
色浜31−22 白山神社
浦底5−18 剣神社
立石50−20 八坂神社
白木1丁目10−4 白城神社 7/15 例祭 式内社
疋田32 日吉神社 神輿
追分5 日吉神社
駄口7 日吉神社
奥野7 神明神社
曽々木14 八幡神社
新道30 日吉神社
麻生口3 白山神社
奥麻生21 日吉神社
刀根21−8 気比神社
野神36−10 八幡神社
市野々町1丁目550 八幡神社
櫛林9−3 日吉神社
莇生野47−16 劔神社 5/9 例祭 式内社
野坂30−7 野坂神社
御名27−11 日吉神社
砂流26−9 高岡神社
公文名53−2−3 日吉神社
和久野14−2 剣神社
谷12−5 八幡神社
高野15−1 白山神社
余座14−5−2 横椋神社
井川8−2 皇大神宮
大蔵2−35−2 大椋神社
樫曲4−13 八幡神社
池河内8−2 諏訪神社
獺河内7−1−1 八幡神社
越坂18−9 少彦名神社
田尻36−2 日吉神社
葉原100−37 日吉神社
新保27−37 日吉神社
山泉3−6 日吉神社
道口2 志比前神社 式内社
坂下35 常吉神社
吉河3 緑ヶ丘神社
鳩原4 八幡神社
小河口1 日吉神社
河口18 八幡神社
田結25−7 田結神社 3/14 例祭 式内社
赤崎29−2 八幡神社 9/3日曜 獅子舞
赤崎の獅子舞=伊勢太神楽の影響を受けているとされる。演目は「鈴の舞、幣の舞、かに、根、千秋楽」。
江良19−17 日吉神社
五幡84−8 五幡神社
挙野11−5 八幡神社
阿曽69−10 利椋八幡神社 9/連休日曜 相撲甚句 式内社
杉津9−10 日吉神社
横浜2−3 剣神社
大比田145−1−2 八幡神社
元比田5 貴船神社
山中=愛発地区。無住。大正9年、13戸・50人。昭和30年、13戸・50人。神社は日吉神社。

 ≪小浜市≫
    小浜町:52区あったが、明治7年3月24町に集約。各町名は有名神社名により名付けられた。詳細は各町参照。
    雲浜(うんぴん):西津、竹原(たわら)、上竹原(かみだわら)
    西津:湊、堀屋敷(ほりやしき)、小松原、北塩屋、福谷、新松原、下竹原
                                                  ※旧・小浜町
    内外浦:田烏(たからす)、矢代(やしろ)、志積(しつみ)、犬熊(いのくま)、阿納、西小川、加尾、阿納尻(あのじり)、甲ヶ崎(こがさき)、宇久(うぐ)、若狭、仏谷、堅海(かつみ)、泊
    松永:池河内(いけのこうち)、門前、三分一(さんぶいち)、四分一(しぶいち)、上野、東市場(といちば)、大興寺、平野
    遠敷:遠敷、竜前、下根来、忠野(ちゅうの)、金屋、国分:上根来、中ノ畑
    国富:太良庄(たらのしょう)、栗田、高塚、次吉、羽賀、奈胡、熊野、丸山
    今富:尾崎、野代、生守(いごもり)、多田、木崎、和久里、府中、湯岡、伏原、青井
    口名田:相生、中井、口田縄(くちだの)、奥田縄(おくだの)、須縄(すの)、矢田部
    中名田:小屋(おや)、上田(かみた)、下田(しもた)、和多田(わだた)、深野、深谷(ふかたに)
    宮川:大谷、本保、竹長、新保、加茂
    加斗:鯉川、岡津(おこづ)、本所、飯盛(はんせい)、東勢、西勢
小浜男山10  男山八幡神社 9/連休土日(元・15 24区が隔年ずつ奉仕する。 山車9区、大太鼓5区、神楽5区、神輿1区、獅子4区よりなる
西暦奇数年 山車4、大太鼓3、神楽3、獅子2
西暦偶数年 山車5、大太鼓2、神楽、獅子2、神輿
 ◆西暦奇数年
山車…今宮区(高砂山)、清滝区(大津山)、竜田区(大臣[おとど]山)、飛鳥区。 廃絶…玉前区(大黒山) 
大太鼓 …広峯区、住吉区、大宮区 
神楽…津島区、白鳥区、神田区
獅子…日吉区、玉前区
 【山車】
清滝区(大津町山)
⇒大津町・松本町・川縁町・本町ノ内。合併時の戸数118。
=慶応4年(1868)年制作。見送り、胴幕は昭和3年、山鹿清華師の作品。 
廣嶺神社が所蔵する文政年間の「小浜祇園例祭絵図」にも大津町山が描かれている。
江戸期は藩主に下賜された大小の刀を飾っていたが、嘉永6年(1853)の大火で焼失した。

今宮区(今宮山)⇒突抜町・上市場町・下市場町・安居町合併時の戸数124。
明治7年に「高砂山」を出していた上市場、下市場、安居町と「行者山」を出していた突抜町が合併して今宮区となる。
現在の山車は昭和3年、長浜の山車を模して制作されたが、随所にこれら2台の山車の部品や装飾品を使っている。見送りは「高砂山」で使われており、文化6年(1809)に京都より購入。また「行者山」で使われていた見送りは、本陣飾りに使われる。延宝7年(1860)以前から「高砂山」が出たと記録があり。

飛鳥区⇒元青井町・柳町の一部。合併時の戸数120。
=大正3年制作。舞台型山車。昭和50年、見送り新調。以前は「翁」。
当初は芸妓の見習いや舞妓などが舞踊を披露したが、現在は子供の舞踊。

竜田区(大臣[おとど]山)⇒今在家町・材木町・松寺小路ノ内。合併時の戸数118。
=明治35年創建。人形は「武内宿禰」見送り幕は川島織物作。
 以前は練り子。
 【大太鼓 】
広峯区⇒川縁町ノ内・和泉町・松寺小路ノ内。合併時の戸数94。
=昭和28年に住吉区の技術伝承を受け継ぐ。
大正、昭和初期は神功皇后の出兵を題材にした練子や舟形山車を出していた。

住吉区⇒永三小路・質屋町ノ内・上小路・石屋小路。合併時の戸数110。
=寛文11年(1671)酒井忠直公時代からの歴史の流れを汲む。当時は上小路(鵜羽小路)の傘鉾として祭礼に出ていた。そのため一番に宮入りする。

大宮区⇒闕脇町・東宮前町ノ内。
=別称は力太鼓である。城内区より伝習し昭和31年より棒振り大太鼓を奉納。
 以前は「賤ヶ岳七本槍」の練り子。 

 また7/13には後瀬山山頂の愛宕神社に大松明を奉納。
 【神楽】
津島区⇒松本町ノ内・川崎町ノ内。合併時の戸数101。
=昭和3年より神楽を奉納する。昭和34年に屋台を修復する。
明治〜大正は謡曲の「弓八幡」を題材にした練り子を出していた。

白鳥区⇒風呂小路・二ッ鳥居町。合併時の戸数114。
=明治40年に鹿島区より教えてもらい奉納する。

神田区⇒東宮前町・廣小路・薬師小路ノ内・今町ノ内。合併時の戸数101。
=明治42年より。
 江戸期は広小路、東宮前町は「餌差(鳥差)」の練り子を出していた。
 【獅子】
日吉区⇒今町ノ内・達磨小路・薬師小路。合併時の戸数101。
=明治43年に男山区より三匹獅子舞を伝習する。
 江戸期は達磨小路、薬師小路は「鵜遣」の練り子や、「三番叟山」の出し物で参加していた。

玉前区⇒瀬木町・新町・塩濱小路ノ内。合併時の戸数101。
=明治24年に旧・関東組より獅子舞を伝習する。
 往古は山車(大黒山)だった。そのため本陣飾りに大黒天の人形を飾る。
 ◆西暦偶数年
山車…塩竈区(高砂山)、酒井区(布袋山)、貴船区(貴船山)、生玉区(蛭子山)、大太鼓 …鈴鹿区、大原区、神楽…鹿島区、白髭区 獅子…多賀区、男山区 神輿…香取区。
 【山車】
塩竈区(高砂山)
⇒魚屋町・北本町ノ内・安良町・本町ノ内。合併時の戸数105。
=明治40年より山車で参加。昭和2年に漆塗りに改装。見送りは「姥と尉」。
 それまでは「作物」、「引物」等。

生玉区(蛭子山)
⇒本町ノ内・八百屋町・川縁町ノ内。合併時の戸数114。
=見送りは「東方翔」。

酒井区(布袋山)
⇒質屋町・片原町・松寺小路ノ内
=三代目。明治34年(1901)制作。質屋町から続く伝統。大正15年に塗りと金具を新調。二階には布袋面と唐子人形を飾る。
 延宝7年からの伝統を持つ。明治期に一時期、山車が他地区に売却された時期もあった。

貴船区(貴船山)⇒浜浦町・文殊丸町。合併時の戸数115。
=明治36年(1903)制作。昭和56年に金具等を改装。
 江戸期には文殊丸町・浜浦町は「参宮」や「異国来朝」の練り子を出していた。


浅間区(浅間山)⇒石垣町・滝之町・今道町ノ内。合併時の戸数80。
 山車としては明治39年創建。舞台型だったが、昭和57年に現在の二階型に改修した。
文化年間(1817)頃はツルメソ(石垣町)、花(滝之町)、花筏(今道町)で参加している。
富沢町(本町)=延宝7年(1679)は「進上山」。同8年以降は「蛭子山」を出した。蛭子人形は本陣飾りにしている。
 【大太鼓 】
鈴鹿区⇒塩屋町・北本町ノ内。合併時の戸数108。
=明治43年に西津福谷区より伝習し、大太鼓を奉納するようになる。

大原区⇒清水町・今道町ノ内。合併時の戸数89。
=西津七年祭りの小松原川西地区より指導を受け、昭和33年より棒振り大太鼓を奉納。

 戦前は業平の東下りの練子。
 【神楽】
鹿島区⇒中西町・福岡町・富田町。合併時の戸数109。
=中西町として文久2年(1862)制作。
昭和3年修復。宝暦3年(1755)に「神楽太鼓」が出たと記録にある。

白髭区⇒大蔵小路・新町ノ内・塩濱小路ノ内・松寺小路ノ内。合併時の戸数109。
=三人の巫女の舞を伴う神楽だったが、昭和63年を最後に休止し、各区の本陣廻りはせず、八幡神社への奉納のみ。
 【獅子
多賀区
⇒洲崎町・川崎町ノ内。合併時の戸数103。
=明治41年から一番町から伝授した獅子舞を出している。
江戸期は州崎町・川崎町は「木賊山」や「異国凱旋」の練り子などで祭礼に参加。

男山区⇒中小路・西宮前町・八幡小路。合併時の戸数94。
=明治28年に出し物を獅子にすることが決まり、区内在住の旧・藩士武久釘五郎氏から伝習する。明治34年には旧・小浜藩主酒井家より井筒の紋の使用の許可を得る。
 【神輿】
香取区⇒猟師町・柳町ノ内・常在小路。合併時の戸数97。
=もともと八幡神社の神輿を譲り受け、修復して使われる。
城内1丁目7−55 小浜神社 5/2、3 お城祭り
一番町=元は竹原の一部。江戸期の竹原侍屋敷のうち広小路にあたる。税務署がある。
県指定無形民俗文化財の雲浜獅子を奉納。

大手町=元は上竹原・竹原の各一部。市役所や小浜病院がある。

後瀬町=元は上竹原・伏原の各一部。小浜第二中学校がある。

山手1〜3丁目=元は西津・湊・北屋敷の一部。昭和48年までは中山手・東山手と称した。西津侍屋敷跡。
お城祭り=5/2、3に行われる若狭國藩主であった酒井忠勝公を祀る小浜神社のお祭り。
大太鼓や子供神輿、県指定無形民俗文化財の雲浜獅子が出る。
千種2−3−7(旧・雲浜村竹原) 広峰神社 7/17、18 障子鉾1本、剣鉾3本、子供用1本、鎌鉾3本
『広峰神社祭礼絵巻』には笠鉾、棒振り、大太鼓、神楽、山車などが描かれているが、明治以降廃止される。
北塩屋20−11 宗像神社 5/13〜15 例祭
水取1〜4丁目=元は湊の一部。
田鳥62−6 天満神社 5/25(元・9/25) 例祭 田烏・釣姫(つるべ)・谷汲(たんぎょ)・須ノ浦の4集落よりなる
矢代5−4 加茂神社 4/3 例祭
志積14−18 日枝神社 5/1(元・10) 例祭
犬熊5−8 得良神社 10/23 例祭
阿納16−23 春日神社 10/15 例祭
西小川4−20 斎神社 5/16 例祭
加尾13−1 白山神社 5/16 例祭
阿納尻29−1 白山神社 4/3 例祭
甲ヶ崎3−10 白髭神社 4/20 例祭
宇久5−4 久須谷神社 5/11 例祭
若狭18−5 椎村神社 5/5 神輿、王の舞
仏谷9−5 熊野神社 1/18 流鏑馬 現在は休止か?
4/23 例祭
堅海10−4 久須夜神社 10/11 例祭 式内社。例祭は元・5/11
7−27 若狭彦姫神社 4/10&9/10 例祭
池河内35−11 廣嶺神社
門前7−1 山祇神社
三分一71−10 泉神社
四分一59−2 紅梅彦姫神社
上野54−1 天満神社
東市場52−20 日吉神社
大興寺35−23 日枝神社
平野28−32 桜神社 3/8 蛇の目を射貫く神事
遠敷65−41 若狭彦神社下社(若狭姫神社) 10/中旬(元・10) 大太鼓、棒振り 養老5年(721)2月10日、上社より分祀
龍前28−7 若狭彦神社上社
2社合わせて式内社で旧・国幣中社である。室町以前は祭祀の中心は上社であったが、以降は下社中心となり、現在は神事はほとんど下社中心である。
下根来 白石神社 白石の鎮守
下根来 八幡神社 3/2 山八神事 神野谷の鎮守
下根来は鵜の瀬のある集落で、遠敷川下流側から白石・高野・青橋・神野谷・長瀬の5集落あり。
忠野9−1 八幡神社 10/10 例祭
金屋 小浴神社 3/10&10/10 例祭 式内社若狭彦神社境外末社
太良庄22−2 丹生神社 5/5 子供神輿 式内社
氏子は字太良と小字鳴滝。例祭日は神社裏に1坪余りの田んぼを作り、豊作を祈願して子供たちが植え初めをしたのち、子供神輿を担いで太良中を練り歩く。
栗田30−20 曽尾神社 4/23&10/28 例祭 氏子は栗田・高塚
高塚 秋葉神社 5月連休 神輿
5月連休早朝、区長を先頭にに提灯を持って、小学1年生と六年生の男子各1名と、その親が代表して秋葉神社参り、下山するのを待って区内の小学生全員が神輿を担ぎ、「ドックワライ、マンダイドックワライ=毒を払え、万代の毒を払え」と言って担ぎまわると、各家では神輿に五穀豊穣を祈願する。
次吉54−6 一言神社 10/1 例祭
羽賀73−15 羽賀姫神社 5/1&10/1 例祭
奈胡62−27 阿奈志神社 5/1&10/1 例祭 式内社。往古の例祭は4月・6月の初申日。
熊野76−35 田中神社 5/1&10/1 例祭 口熊野の鎮守
熊野81−1 熊野神社 5/1&10/1 例祭 奥熊野の鎮守
丸山92−1 山神神社 3/25 かぶら祭 春祭りのこと
尾崎22−12 赤松神社
野代 厳島神社
生守47−1 若宮八幡神社 式内社
多田16−9 多田神社
木崎 八幡神社
和久里 八幡神社 8/15
府中 総社神社
湯岡 熊野神社
伏原34 今富神社
青井字玉椿 神明神社
相生9−7 若宮神社 10/8頃の日曜 棒振り
中井 天満宮 9/25(元・10/8) 例祭 中井は上中井(五十谷)・下中井(飛川)・滝谷・新滝に分かれる
口田縄17−19 春日神社 3/8 弓打ち神事
奥田縄 日枝神社 神輿 天保15年(1844)作られたが、現在は担ぎ手がいない
須縄 熊野神社 4月(元・10/1) 例祭
矢田部42−31 若宮八幡神社 4/29 浦安の舞 昭和54年(1979)復活
小屋46−8 熊野神社 3/9&10/9 例祭 地内は口小屋・中小屋・奥小屋の3字に分かれる
下田52−26 加茂神社 9/23 神楽 氏子は上田、下田、和多田
浦安の舞。出し物は上田区・下田区の神楽、和多田久の棒振りに先導された大太鼓が3年交代で出る。お多福、ちょろけん、天狗、大頭、夜叉 など道化も出る。
深野14−1 苅田姫神社 9/23 神楽 お多福、ちょろけん、天狗、夜叉 など道化
深谷 日枝神社 10/中旬(7年に1度) 大太鼓 お多福、ちょろけん、天狗、大頭、夜叉 など道化
 【松上げ】
火まつりの民俗行事で中名田地区では上田区、下田区清水・竹本・岸、山左近・脇原各集落、和多田区上和田・大原、塩瀬集落の6か所で行われている。
大谷23−10 貴船神社 8/15 例祭 氏子は大谷、矢袋
本保28−1 大月神社 3/7 直会
本保字谷田 八幡神社 8/14 例祭
竹長18−1 日枝神社
新保43−9 大幡彦姫神社
加茂80−4 加茂神社 4/5&12/4 例祭
鯉川10−5 牛尾神社 3/10 当渡し
岡津10−11 南宮神社
東勢52−28 黒駒神社
西勢75−9 黒駒神社 9/9
 【消滅集落】
上根来(かみねごり)=遠敷地区。無住。明治24年、33戸・188人、昭和30年、26戸・121人。神社は廣嶺神社。

中ノ畑=遠敷地区。無住。明治24年、29戸・157人。

 ≪三方郡≫     
 若狭町
 平成17年(2005)3/31、三方郡三方町+遠敷郡上中町が合併して誕生。
 ◎旧・三方町
       三方:気山、相田、藤井、南前川、北前川、佐古、田名、向笠(むかさ)、鳥浜、館川(たちかわ)、三方、上瀬
       西田:田井(田井野・梅ヶ原・田立・別庄・世久津・伊良積・北庄)、成出(なるで)、海山、世久見(せくみ)、塩坂越(しゃくし)、遊子(ゆうし)、小川、神子(みこ)、常神(つねかみ)
       三十三(みそみ):倉見、白屋、成願寺、上野、能登野(のとの)、横渡、井崎、高岸、岩屋、田上、東黒田(旧・黒田)
気山129−5 宇波西神社 4/8 山車3台 美浜町の金山、大藪は王の舞当年に出す。牧口は田楽の舞当年に出す。
氏子は若狭町の気山、海山、北庄と美浜町の日向、笹田、久々子、松原、郷市、金山、大藪、牧口の11集落。
 【奉納芸】
王の舞
=海山、北庄、金山、大藪。
獅子舞
=久々子、松原、郷市。
田楽(べんさらさ)
=日向(2年)、牧口(1年)。
浦安の舞
は各地区輪番で女子8名で演じる。
気山字寺谷 秋葉神社 3/15 山車1台 宵宮に曳行
気山字中山 八幡神社 10/24 山車1台
気山字中村228−4 川中神社 4/15(毎年) 山車1台 餅まき
気山333−14−2(字切迫 大山祇神社 4/16 山車1台  
気山字芋 日吉山王神社 4/18 山車1台  
気山字市 廣嶺神社 7/7頃の日曜 山車1台
藤井56−12 天満社 4/1日曜 神輿、獅子舞、王の舞 例祭は県指定無形民俗文化財
南前川43−44 前川神社 4/14 例祭 氏地は北前川・南前川
佐古22−6 天神社 4/2 囃子奉納。往古は芝居
田名20−9 白山神社
向笠13−28 国津神社 4/1日曜 神輿、王の舞 例祭は県指定無形民俗文化財
鳥浜44−33 加茂神社 4/12 神輿
例祭日は昭和42年に9/12⇒4/12に変更。宵宮に神輿巡幸。本宮に浦安の舞、太鼓ばやし、加茂神楽・子供相撲。夜は太鼓踊り・流行踊り奉納。
三方21−1 御方八幡神社 9/15 廃藩置県で廃れたが能狂言、相撲があった 式内社
三方41−12 熊野神社  9/12 山車1台 幅約5m。奥行き約3m。高さ約4m。
山車=平成21年(2009)、44年ぶりに山車新調。5月より建設委員会が制作に着手。一部滋賀県の宮大工に制作を依頼し8月下旬に完成。
 先代は鉄骨造り。最後の平成20年は鉄柱が錆びるのでふるさと会館前に置き動かさなかった。
田井93−2 多由比神社 4/17、18 神輿、王の舞、獅子舞 式内社
田井は田井野・梅ヶ原・田立(ただち)・別庄・世久津・伊良積(いらづみ)・北庄(きたじょう)よりなる。
例祭は県指定無形民俗文化財。当座は伊良積・世久津・田立・河内・田井野・成出の各集落が順番に勤め、4月16日には社務所に御幣栽ちの神事を行う。
例祭日はみこりかき役の少女の家では、朝早くからゴク(七合の粳米を蒸す)を作り、神饌の準備を行い、昼前に関係者が当屋宅に集まり当屋祷りの後村立ちが始まる。
潮水撒きを先頭に辻御幣・大榊その他の諸役が徒歩で神社に向かい、参拝を済ました後、行列を組み替えて神社南方250mの松ノ浜と呼ばれる御旅所へ向かう。
そこでは祝詞奏上の後、御幣振り・王の舞・獅子舞・田楽・エッサカエット・浦安の舞などが繰り広げられる。その後は再び列を整えて神社に戻り、境内の広場で浦安の舞を奉納し神輿渡御があって例祭終了。
海山49−1 熊野神社 4/18 山車1台
世久見6−24 天利剣神社 4/3 例祭 枝村に食見(しきみ)がある
塩坂越4−1 八幡神社 1/5 例祭
遊子8−5 廣嶺神社
小川6−1−1 小川神社 7/14 山車1台
神子1−1 神子神社 ? 
常神10−2 常神社 ? 
成願寺12−7 闇見神社 4/5 例祭 旧・郷社&式内社
能登野19−3−1 能登神社 4/15 王の舞、獅子舞 氏地は能登野、横渡
9/15頃の日曜 例祭
能登野山車=昭和54年頃より出ていない。横渡山車=平成になってから出ていない
井崎字夜長52−8 稲荷神社 山車1台 昭和53年頃より出ていない
岩屋字山王谷16−13 日吉神社  10/5 山車1台 平成10年数十年ぶりに曳く
東黒田7−3 八幡神社 4/15 例祭 元・9/15
 ◎旧・上中町
       野木:上野木、中野木、下野木、堤、杉山、兼田(東=下兼田。西=上兼田〔加福六〕)、玉置、武生(むしゅう)
       三宅:仮屋、三宅、市場、井ノ口、天徳寺、神谷(こうだに)、日笠(ひかさ)
       熊川:熊川、河内、新道(しんどう)
       瓜生:下タ中、関、瓜生、脇袋、上吉田、下吉田、安賀里(あがり)、末野(すえの)、有田(ありだ)
       鳥羽:海士坂(あまさか)、生野、三生野(みしょの)、無悪(さかなし)、上黒田、三田(みた)、大鳥羽、小原、長江、山内、持田
上野木53−8 河原神社 3/初酉の日に近い日曜 御神事
御神事=県指定無形民俗文化財。3/初酉の日に近い日曜に行われる。
河原神社境内は大きな切株があちこちにあり、その中に御殿と呼ばれる浄域があり、そこで行われる。午前0時に祭壇の大御幣に神移しの式。夜明け頃、神官を先頭に祢宜、大御幣を持った勤行者、幼い少女の料理持ち等が行列し神社へ向かう。神社では御殿の中で百味の御食(伸撰)が供えられる。
山車?=昭和28年頃より出ていない?
中野木16−10 泉岡一言神社 4/1日曜 例祭
下野木19−1 三宅神社
堤18−16 波古神社 4/1日曜 例祭 式内社
杉山12−5 山ノ井椙杜神社 9/10 例祭
兼田15−20 日枝神社 下兼田の鎮守
兼田13−1 岩上神社 加福六の鎮守
玉置 熊野神社 3/11 能奉納があった
武生 金劔神社 3/3&9/8 例祭
三宅63−2 信主神社 9/8 例祭
市場16−13 市姫神社 1/13 子供みこし
天徳寺40−1 岩上神社 4/20 子供みこし
神谷52−1 宝鏡神社 8/15 例祭
熊川30―9 白石神社 5/3(元・15) 山車1台 見送り幕は3本とも現存
明和9年(1772)5月、神社社殿の屋根の葺き替え、並びに上屋の竣工記念に山車を作り、上・中・下町より松山が作られた。文化文政(1804〜30)には祇園祭りの山鉾に擬した黒塗りの山車に見送り幕を垂らし、山車蔵まで建てたが、弘化3年(1846)の大火で焼失し、その後明治時代に1台作り昭和38年まで曳かれたが廃絶した。その後トラックを用いて祭りをしていたが、平成13、14年度の2ヶ年をかけて、ふるさと文化再興事業として、40年ぶりに新しい山車が作られ、平成14年9/29、山車新調入魂式で復活した。
河内43ー1 白石神社 5/3 例祭
新道40−1 白石神社 5/3 例祭
下タ中16―26 八幡神社 7/24に近い日曜
(隔年)
山車1台
瓜生 天満神社 3/15&9/15 例祭
脇袋26−3−1 勝手神社
上吉田17 春日神社
下吉田11−17 春日神社
安賀里24−2 日枝神社 4/2 神輿、能が出た 氏地は安賀里・下吉田
末野36−11 須部神社 3/23&9/28 例祭 式内社
有田6−10 斎神社 1/12頃 綱打ち神事
綱打ち神事=町指定重要無形民俗文化財。斎神社拝殿で長さ14m、直径30cmの大綱を作り、集落を練り歩く。
海士坂12−5 海士坂天満宮 4/3 能奉納 4年に1度奉納された
三生野33−35 瀧倉神社 能奉納 4年に1度奉納された
無悪47−11 観音様 開帳の折りの祭り 山車
天満社 能奉納 7年に1度奉納された
三田41−1 八幡神社
大鳥羽4−22 石按比古比売神社 4/3頃の日曜 山車1台
小原23−41−42 石按比古比売神社 4/20 王の舞、獅子舞 氏子は小原、南。南は昭和29年、山内より独立
長江10−1 二十八所神社 3/16 能奉納 7年に1度奉納された
山内58−4−2 古城神社
持田13−10 熊野神社 3/16 能奉納 7年に1度奉納された

 美浜町
     北:早瀬、日向、笹田
     南:久々子、松原、郷市、金山、大薮、気山
     耳:和田、木野、佐柿、河原市、栄、佐野(佐野・上野・野口〕、麻生(あそ)、中寺、宮代、興道寺、南市、寄戸(よりと)、五十谷(いさだに)、安江(やすえ)、新庄

     東(山東):坂尻、佐田、太田、山上、けやき台、北田、菅浜、竹波、丹生
早瀬17−13 日吉神社 5/5(元・7〜9) 山車1台  
山車=安政4年4月創建。総工費建造費手間銀2貫108匁6分也塗師1貫匁也」と古文書に記されている。
安政3年に早瀬地区にコレラが流行した。その時、宝光山瑞林寺の和尚が「神仏のたたりだから、人身御供として子供歌舞伎を奉納せよ」とのお告げを受け、さっそく区民一同が集まり、奉納用の曳き山を建造することを決め、同年6月に建造にかかり、翌年4月に完成した。5/8に、日吉神社、瑞林寺(曹洞宗)、浄明寺(真宗大谷派)、区内に奉られている林神社、市姫神社、宗像神社、江頭神社、水無月神社などに新しくできた山車を曳きまわして子供歌舞伎を奉納したところコレラも治まったと伝えられる。
日向47−36 稲荷神社 9/2 太鼓を乗せた山車
9/3 奉納相撲
笹田4−6 風宮神社 3/16 例祭
久々子6−4 佐支神社 7/14、15 神輿 子供神輿
松原16−19 日吉神社 4/22 例祭
郷市25−16 伊牟移神社 2/20 例祭 式内社
金山26−6 日吉神社 10/3日曜 例祭
大薮35−1 広嶺神社 7/1 例祭
気山101−1 大山祇神社 11/11 例祭
木野7−6 木野神社 4/13 例祭 式内社
佐柿29−2 日吉神社 4/13 山車1台 山車=高さ約3、5m。往古はお囃子行列。
麻生20−37 八幡神社
宮代10−25−1 弥美神社公式HPへ 5/1 王の舞 獅子舞
弥美神社の氏子は、旧「耳庄」と呼ばれた耳川流域の19集落(新興住宅地含む)である。
 永禄5年の記録には「御幣村、上村、下村、王村、獅子村、田楽村、神子、…」などと見える。
当日は朝から各集落から行列がやってきて、順次、御膳を神前に供える。全ての集落が揃うと、大御幣を中心に各集落の御幣が並び、そろって御幣を振る「幣招き」、一本幣・七本幣、王の舞、獅子舞などに相対して大御幣をゆっくりと振り神霊を移すといわれる「幣迎え」、大御幣が暴れる「幣押し」などがある。「幣押し」は昼過ぎから夕方まで延々続き、幣串だけになってしまってから、大御幣差しの子供を乗せて神前に納められると、各集落の御幣も納められ、やがて王の舞が始まる。王の舞が終わると獅子舞があり、獅子舞がすむと、神前から下げられた御膳を持ち、各集落へ帰ってゆき、祭りは終了する。
 ≪行事予定≫
(8:20〜9:30)御饌奉納:本殿にて、河原市・和田・佐柿・坂尻・麻生・東山・中寺・宮代・小三ヶ・新庄・三ヶ・興道寺・南一が奉納
(9:40〜9:50)境内にて奉幣神事
(10:00〜10:50)本殿・拝殿にて祭典
(10:30〜10:40)乙女の舞:拝殿にて当番地区が舞う
(11:00〜12:00)幣迎え神事:大神様の御霊を大御幣にお分けする神事。一本幣・七本幣・各集落御幣・王の舞・獅子舞の順で列をなし、参道を下り馬止めにて神事を行う
(11:50〜16:30)大御幣押し:大御幣を神輿として参道を上げ番・下げ番に分かれて押し合う
 ※4年に1回の当番 興道寺 河原市(2年)・和田(1年) 佐柿(2年)・坂尻(2年) 中寺・宮代・小三ヶ区
(14:00〜14:20)浦安の舞 拝殿にて当番地区が舞う
(16:50〜17:40)王の舞 境内にて麻生(東山含む)が毎年奉納
(17:40〜18:00)獅子舞 境内にて佐野、上野が3年ごとに持ち回りで奉納
 鎮守は市姫神社(河原市13)例祭日は4/7、常神社(和田10−2)、西宮神社(中寺7−19)例祭日は3/28、日枝神社(興道寺38)、明治神社(南市11−10−4)、愛神社(佐野の鎮守。佐野25−15)例祭日は7/1、八幡神社(上野の鎮守。佐野39ー36)例祭日は7/1、天満神社(野口の鎮守、佐野47−10)例祭日は3/25。
五十谷11−1 八幡神社
安江3−1 三島神社
新庄50−10 八幡神社 9/15 例祭
新庄65−29 広嶺神社 7/14 例祭 田代の鎮守
新庄65−52 日吉神社 9/1 八朔祭 木で作られた男根を持った天狗が暴れまわる
八朔祭=往古は旧暦8/1だったが、新暦になり毎年9/1に行われる。集落を東字・西字に分け、午前中は東字、午後は西字がそれぞれの公会堂から朱塗りの大角樽(おおつのだる。樽神輿と称する)を担ぎ祭り行列が日吉神社まで練り歩く。
行列には男根を模した神棒を持った天狗が女性をその神棒で突っつくために追いかけまわす。

また天狗の周りにはオドケといわれる世相を表した仮装衆がつく。オドケは祭りの間は声を出してはいけない。東字のオドケの場合は警官・夫人・乞食は必ず存在している。なお役割は当日朝に発表される。
新庄 雷神社(日吉神社隣接) 9/連休日曜 山車休止
十五夜祭り=平成24年(2012)に見に行かれた名古屋市のゆいささんによると、神事は午前中に行われるものの、山車も祭礼も廃止されていたとのこと。
また同氏はこれより10年ほど前に行かれた時は公会堂前に簡単な屋根無し台車(四輪)の中央に松の木を飾った素朴な山車や祭礼道具を見られたとのこと。
調べてみると、2005年より山車曳きは休止中。以前は夜になると、提灯に火がともされ、ヤマ(山車)に笛・太鼓・三味線の囃子が乗り、西字集落から雷神社境内まで山車が曳かれた。
新庄(しんじょ)は田代、寄積・奥・馬場・岸名・浅ヶ瀬・松屋の7集落からなる。
坂尻14村内21 一言主神社 10/25 例祭
佐田97−6 織田神社 5/11(元・4/2) 神輿 旧・郷社
8/20 子供みこし
氏子は三区あり。佐田区の「王の舞」・大田区の「獅子舞」・山上区の「ソッソ神事」の当番の人々と、三区の主役人ら、そして神輿をかつぐ佐田区の人々多数が勢揃いして、神輿のお渡りがある。
山上は鎮守は山上神社(山上69−7)。太田は鎮守は八幡神社である。
夏祭り=午前中は写生大会が行われる。氏子の子供が絵を描き、展示して神社の役員に作品を選んでもらい、賞状賞品を贈る。午後からの子供みこしは、元気いっぱい境内をかけめぐる。
北田29−4 織田神社
菅浜98−3 須可麻神社 6/2 神輿 手作り子供みこし
竹波13−1 高名弥神社
丹生33−8 丹生神社

 ≪大飯郡≫
 おおい町
 平成18年(2006)3/3、大飯郡大飯町+名田庄村が合併。
 ◎旧・大飯町
       本郷:本郷、小堀、父子、野尻、山田、芝崎、岡田、尾内、犬見、長井
       佐分利:川上、三森、福谷、久保、安川、石山、小車田、佐畑、鹿野、笹谷(ささだに)、神崎、岡安、広岡、万願寺
       大島:大島(地内は西から浦底・西村・河村・日角浜・畑村・脇今安・宮留の集落がある)
本郷本郷138−15 日枝神社 10/18 神輿 子供みこし
山車1台  
本郷浜 水無月神社 7/27、28 神輿渡御 奉納相撲は平成12年復活
神輿=大正6年再調。始めは小祠をそのまま渡御していたが、寛政10年(1798)に神輿を創建して今の祭りの主体となる。
父子46 静志神社 10/5 豊年祭・神楽・三者舞・棒ふり・翁面当
氏神祭=神社の幟を新調した年や、神社関連の新築があった年(古くは豊作の年)等の特別な年に行われる。杉の枝葉を集めて舟型にした山車や御神楽が出され、棒ふり太鼓、鉦、笛が鳴る中、そぐら(踊り場)から静志神社までを、2名の棒振り役が先導し、その後をおおこべ、ひょっとこ、おたやんなどの三役とともに、山車・御神楽を引く「のぼり引き」の行列が続く。
野尻18−16 六社神社 10/8 神楽・翁面当・棒ふり
山田4−1 大飯神社 10/10 神事能 氏子は岡田・山田・芝崎
尾内39−44 黒駒神社 3/8 宮当祭・持立行事
犬見22−3 犬見八幡神社 3/2 豊年祭・三社舞・神楽
長井11−1 黒駒神社 10/8 宮当祭・子持持立行事
 
川上108−3(字神水) 新鞍神社 10/15 豊年祭・伊勢踊り・宮当祭 氏子は川上・三森
福谷48−7 伊射奈伎神社 10/15 豊年祭・神代祭・獅子舞・太刀舞・神楽・山・神事能 氏子は福谷、石山、久保、安川、小車田、佐畑
福谷(宮元区)=神代の舞。
石山
(脇宮元区)=神楽と獅子舞。元は太刀舞を奉納。明治初期より獅子舞をまねるようになり、明治20年(1887)に獅子頭を京都で購入し、働きに出てきた名田庄村下の木挽きに伝授してもらう。
久保=神楽と獅子舞。
安川
=神楽と獅子舞。

小車田
=元は獅子舞。現在は適宜奉納。
佐畑
=適宜奉納。
鹿野24−3 八幡神社 10/15 豊年祭・太刀舞・宮当祭
笹谷7−5 熊野神社 10/15 獅子舞休止
神崎堂ノ前1−1 熊野神社 10/15 神事能
岡安字西谷口4−7 依居神社 10/15 豊年祭・神楽・神事能
広岡字宮の奥15−14 八幡神社 10/15 豊年祭・獅子舞・神楽・面当
万願寺8−1 熊野神社 10/15 豊年祭・神楽
大島83−1 島山神社 10/20 王の舞・神事踊・神事能

 ◎旧・名田庄村
       知三(ちみ)(南名田):三重、虫鹿野、挙野(あげの)、槙谷(まきだに)、堂本、小倉、小倉畑、久坂:染ヶ谷
       奥名田:納田終(のたおい)、口坂本、奥坂本、井上(いがみ)、西谷(にしだに)、中、下
三重5−25 熊野神社 10/4 松上げ神事
虫鹿野14−37 熊野神社 10/8 例祭
虫鹿野13−50 広峰神社 10/8 例祭
挙野21−19−2 山神社
槙谷19宮ノ下2 八幡神社
小倉17字宮ノ谷 苅田彦神社 10/2 例祭 氏子は小倉・小倉畑・久坂・堂本・挙野・染ヶ谷
納田終127−4 加茂神社 10/2 例祭
口坂本28森ノ鼻1 未多徒神社 10/17 例祭
奥坂本32宮谷口5 加茂神社
奥坂本50−20 野津多徒神社 10/2 例祭
井上19−32 伊津岐神社 9/6&11/6 例祭
西谷10−21 日枝神社 2/12&9/12 例祭
中27−22 虫尾神社
下3−15 苅田比売神社 10/3 獅子舞 式内社
例祭の他5年に1度の大神楽には剣の舞を舞う。この剣の舞は秘伝で、他の舞を全部習得した長男だけが受け継ぎ、土蔵の中で先の舞手より直接伝授される。
記録では安永4年(1774)に伊勢の御師より伝授されたとされる。
 【消滅集落】
久田川上流のダム建設予定のため出合、挙原、永谷の3集落が水没のため1985年頃に離村。しかしながらダムは未だに建設されていない。
染ヶ谷(そめがたに、しがたに)=無住。大正3年、9戸・63人。昭和55年、3戸・7人。
 【南川砂防ダム】
納田終(のたおい)の小松=昭和63年(1988)に竣工した南川砂防ダムにより水没。かつては数軒の人家があったが、明治中期以降は1軒のみとなっていた。

  高浜町
     高浜:高浜〔高浜塩土町・高浜若宮町・高浜三明町・高浜事代町・高浜宮崎町〕中津海(なかつみ)、、鐘寄、畑、立石、薗部、岩神、笠原、子生(こび)、坂田
     青郷:上津、六路谷、蒜畠(ひるばたけ)、今寺、高野、中山、小和田、青、日置(ひき)、関屋、横津海、出合、東三松、西三松::上津(うわづ)
     和田:和田、馬居寺(まごじ)、上車持、下車持
     内浦:上瀬、日引(ひびき)、宮尾、下、鎌倉、山中、神野、神野浦(こうのうら)、難波江(なばえ)、小黒飯(おぐるい)、音海(おとみ)
宮崎59−3 左伎治神社公式HPへ 10/12、13 例祭(毎年) 能祭りと称される
6月(元々・巳の年と亥の年ごとに旧暦六月卯の日から酉の日までの七日間) 神輿3基 東山、中ノ山、西山
曳山7台 横町、赤尾町、本町、中町、大西、今在家、若宮
獅子神楽 畑、立石、中寄
例祭=能祭りと称され毎年、10/12、13に行なわれる。子供による浦安の舞、壮年による謡曲、仕舞いなどが神楽殿で奉納される。昭和初期までは能役者を頼んで能楽の奉納が行なわれた。
高浜七年祭=佐伎治神社の式年大祭である。
巳年と亥年の7年(実質的には6年)ごとに行われる夏祭りを「七年祭」と呼び、氏地を、神輿とともに3つに分けられ、それぞれの地域内に御旅所が設けられる。
氏子の範囲は、江戸時代に「木津荘十箇村」と呼ばれた地域=旧高浜地区全域を氏子として営まれる、
  祭りの期間は6月の卯の日から酉の日の7日間と決められ、中山(中ノ山)、西山、東山の3基の神輿が渡御する。
  神輿それぞれに、太鼓打ちと芸能衆が行列をなして付き従い、神輿の出発前や到着後に芸能を披露する。芸能の種別は太刀振り、お田植、神楽など。曳山では若連中による「屋台囃子」と、子供たちによる日本舞踊や太鼓の演奏が演じられる。
  七年祭は京都の祇園祭や小浜広峰神社の祇園祭礼と同様に御霊会の性格を持っており、様々な芸能は御霊や疫神を慰撫するためのものと考えられる。
  祭りの起源は不祥だが、織豊期の連歌師里村紹巴の紀行文「天橋立紀行」、永禄12年(1569)6月19日の条にに「高浜祇園会」とあることから、この頃すでに行われていたと考えられる。
■初日(神幸祭)
  中山(中ノ山)、西山、東山の3山がだしを先頭に大太鼓・太刀振・駕籠丁・警護などが行列を作り3基の神輿が渡御する。
神輿の出発前や到着後に芸能を披露する。芸能の種別は太刀振り、お田植、神楽など 。
 夕方に神輿は御旅所に戻り、締めくくりの太刀振りが奉納される。

■二日目(巡行祭)
 9時頃に7台の曳山は神社参道に集合し、横町・赤尾町・本町・今在家・中町・大西・若宮の順で宮入りする。
同じ順序で曳山芸能の奉納があり、15時過ぎより宮入りの順序と逆に宮出する。

■三日目(巡行祭)
 7台の曳山は御旅所や本陣で芸能を披露する。

■四日目(中日祭)
 各御旅所に安置されていた神輿がそれぞれの氏子区域内で練られる。
ただし西山神輿が駅前通りで方向転換するために中ノ山区域の宇治区、若宮区、大西区を通ることがあるが、それ以外は原則として氏子区域内で練られる。


■五日目・六日目(巡行祭)
 7台の曳山は御旅所や本陣で芸能を披露する。

■七日目(還幸祭)

 7時頃に各神輿は御旅所を出発。15時半頃に神社に還幸。還幸祭の神事の後、奉納芸の奉納。奉納終了後の17時半頃に鳥居浜に到着、足洗いの儀が行なわれる。
 【東山】
    ⇒薗部、岩神、横町、赤尾町地区
神輿=祭神は稲田姫命。「東山神輿帳」によると、文政4年(1821)4月に大坂心斎橋本町、錺屋鎌田常右衛門より購入し、4/7に龍蔵院(左伎治神社の別当寺院)に納めている。
この時大坂世話人、湊屋正右衛門と若狭屋喜兵衛から鉾2本の寄進を受け今もだしと共に先頭を進む。(湊屋正右衛門と若狭屋喜兵衛は高浜出身)。

太刀振=東部若連中(薗部区、岩神区、笠原区の合同)。

曳山
横町=大正6年制作。大工、塗師は西舞鶴の人。文政11年(1828)に胴幕を新調したという記録がある。 

赤尾町
=弘化2年(1845)道具箱には文久3年(1863)の年号がある。
 【中ノ山】
    ⇒塩土、若宮、本町、中町、大西、今在家、宇治、事代地区
神輿祭神は素盞鳴尊。大工は不詳。制作年は不詳だが、瓔珞などの錺道具箱に明和四亥年(1767)五月吉日とある。
 巡行順は昭和34年以降は中ノ山、西山、東山。

太刀振=塩土区。

お田植=事代区が奉納。

曳山
本町
=詳細不詳。

中町
=見送り幕に文化3年(1806)とある。

大西
=曳山の天井に張られた龍の絵の奥付には、長谷川素后画で天保4年(1833)の年号がある。

今在家
=江戸期の作。

若宮=欄間彫刻は大正12年、吉田自然の作。
 【西山】
    ⇒子生、笠原、坂田、立石、中寄、畑各地区
神輿=
祭神は大己貴命。後の大国主命。「佐伎治神社記録」によると、和3年(1803)に坂田村の大工勘助と立石村の仁平により制作。

太刀振=子生区と畑区・立石区・中寄区。

獅子神楽=立石区・畑区・中寄区の青年により奉納されお囃子が伴う。獅子頭は立石区・畑区に伝わる。
3区の中から、獅子舞役3名、囃子方は鞨鼓が2名、笛が10名前後である。
六路谷宮ノ前24−3−1 杉森神社 10/17 囃子山1台
蒜畠 日枝神社 10/17 例祭
今寺35(青葉山頂上) 青葉神社 8/6 例祭 以前は山頂に籠り翌朝祭典を行っていたが、現在は朝約1時間かけて山頂に登り神事をする
高野80ー3 青葉神社 10/17
(3年に1度くらい)
囃子山1台
中山80−3 青葉神社 10/17 例祭
小和田51−14 伊弉諾神社 10/17 囃子山 軽トラックを利用した舟形のもの
青字宮脇15−1 青海神社 2/11 柴の実入れ
10/17 囃子山5台 青、日置、関屋、横津海、出合
神楽舞、余興 式内社
柴の実入れ=県指定無形民俗文化財。氏子たちが柴で神主役の男性(横津海が担当)を叩き、1年の豊漁豊作・商売?盛を祈願する神事。
日置49−23 日置神社 10/17 例祭
東三松12−4 日枝神社 10/17頃の日曜 囃子山2台 東三松・西三松
太刀舞。神楽舞休止
和田字愛宕山129−1 新宮神社 10/14 神輿
囃子山3台
馬居寺2−1 熊野神社 神楽、引山
上車持21−1 廣嶺神社 4/14 神楽山(囃子山)1台
下車持44−7−1 香山神社 4/23 神輿渡御 氏子は下車持、おおい町小堀
上瀬2−9 山神神社 10/17頃の日曜 担い囃子山、傘鉾
日引25−16 気比神社 10/17 例祭
宮尾19−6 産霊神社 10/17 例祭
下25−1 産霊神社 10/10 例祭
鎌倉11−26 杉森神社 10/17頃の日曜 囃子山1台 慶応2年は湯立、太刀振、伊勢踊りの記載あり
山中49−3 日枝神社 10/16 例祭
神野43−4 八幡神社 10/16 例祭
神野浦3−5 気比神社 10/14 例祭
難波江30−16 日枝神社 10/16 例祭
小黒飯52−4 天満宮 10/21 例祭
音海42−26 気比神社 10/18 囃子山1台(担い)
 【消滅集落】
上津(うわづ)=無住。文化4年(1807)9戸・23人。昭和35年、6戸・23人。

  ★展示場     
 【みなとつるが山車会館】(公式HPへ
敦賀市相生町7−6。 0770-21−5570。開館時間は10:00〜17:00。休館は月曜(休館日が祝祭日の場合はその翌日)9月9日〜12日、年末年始(12月28日〜1月3日)。
平成9年開館。“敦賀まつりの山車の保管庫を兼ねた施設。6基ある山車のうち3基を展示し残り3基も保管する。スクリーンシアターのマルチ映像とともに敦賀まつりを紹介する”入場料は300円。
 【高浜町郷土資料館】
高浜町南団地1−14−1。 0770−52−5270。開館時間は9:00〜17:00。9〜3月:9:00〜16:00。休館日は月曜、年末年始。料金はおとな200円、小中高生100円。
第一展示室には「高浜町の宗教美術」、「高浜七年祭」、「高浜町の獅子頭」、「祈りとくらし」の4コーナーから構成されている。
平成5年開館で開館4年目までは曳山を1基ずつ2年サイクルで展示したが、豪雨で浸水時に曳山が傷む恐れがあるので中止となる。