高 知 県

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
  ≪高知市≫
   平成17年(2005)1/1、高知市+土佐郡鏡村、土佐山村が合併。
   平成20年(2008)1/1、吾川郡春野町を編入合併。
 ◎旧・高知市
       旧市街:上街、高知街、南街、北街
          ●上街=上町(かみまち)、本丁筋、水通町、通町
          ●高知街=唐人町、与力町、鷹匠町、本町、枡形、帯屋町、追手筋(おおてすじ)、廿代町、永国寺町、丸ノ内
          ●南街=中の島、九反田、菜園場町、農人町、城見町、堺町、南はりまや町、弘化台
          ●北街=桜井町、はりまや町
       江ノ口:現・小津町、入明町、洞ヶ島町、寿町、中水道、相模町、愛宕町、吉田町、伊勢崎町、幸町、駅前町、相生町、北本町、栄田町、新本町、昭和町、和泉町、塩田町、比島町
       旭:石井・杓田・福井
       下知(現・宝永町、中宝永町、南宝永町、若松町、稲荷町、青柳町、知寄町、日の出町、東雲町、小倉町、丸池町、弥生町、海老ノ丸、南久保、北久保、南御座、北御座、南川添、北川添、南金田、北金田、札場、高噤A杉井流
       潮江(現・天神町、筆山町、塩屋崎町、百石町、梅ノ辻、桟橋通、潮新町、土居町、役知町、萩町、北新田町、新田町、南新田町、仲田町、孕東町、孕西町、深谷町、六泉寺町、南中山、北中山、幸崎、南河ノ瀬町、河ノ瀬町、大原町、小石木町、北高見町、高見町、北竹島町、竹島町、南竹島町、南ノ丸町
       小高坂(現・宝町、北八反町、八反町、城北町、桜馬場、越前町、大膳町、西町、山ノ端町、新屋敷、三ノ丸、井口町、平和町(旧・蛭ヶ谷)、宮前町
       秦:泰泉寺(じんぜんじ)現・宇津野、三谷
       初月(みかづき):久万、円行寺、柴巻、万々(まま)
       三里:種崎、仁井田、池
       五台山:五台山、吸江、屋頭
       高須(現・高須、高須本町、高須新町、高須砂地、高須新木、高須東町、高須西町、高須絶海、高須大谷、高須大島、葛島)
       鴨田:鴨部、神田
       布師田(ぬのしだ)
       一宮:薊野(あぞうの)、久礼野、一宮
       朝倉:朝倉、宗安寺、行川、針原、上里、領家、唐船
       長浜:長浜、横浜、瀬戸
       浦戸
       御畳瀬::(みませ)
       大津
       介良
はりやま町3丁目8−11 高知八幡宮
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7/28 夏祭り 子供神輿渡御、奉納余興 カラオケ大会、大福引等。
11/24、25 神幸祭
宵宮:北町、高知街へ御神幸。
本宮:新町(桜井町)、下知方面へ御神幸。
天神町19−20 潮江天満宮公式HPへ 11/18、19 花台廃絶
神幸祭
高知県立図書館蔵の「土佐年中行事図絵」には潮江天満宮の花台図がある。
北泰泉寺345 仁井田神社
西秦泉寺 王子神社 7/10 例祭
宇津野102 薬神社
幸町9−1 小津神社
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4/29 子供神輿
11/14 神輿 土佐二の宮
東久万48 王子神社
柴巻508 柴巻天神社
万々429 熊野三所神社 万々、中万々、南万々の鎮守
仁井田3514 仁井田神社 11/1 御神幸 相撲奉納
御神幸で使われる金幣には「貞享元甲子歳九月十九日」とあり、貞享元年(1684)には祭りが行われていたことが分かる。
五台山三ツ石 八坂神社 9/1日曜 神輿、獅子太鼓
ちょうさ台
地区で流行した疫病を収めようと明治12年(1879)に始まる。1879(明治12)年に始まった祭り。高知市内で最も早い秋祭りとして知られていたが、
2009年に少子化のため神社まで約200mの狭く急な山道をみこしが駆け上がるのを中止。2015年に神事のみとし、136年でとりあえず休止となる。

御神幸はちょうさ台、塩水、法螺貝、弓2人、鉄砲2人、旗2人、鳥毛2人、羽熊2人、太鼓、榊台、鉾2人、お傘指、神輿台、御神輿だった。
鴨部3−12−13 松本神社 旧・村社
鴨部上町5−8 郡頭神社 11/22 例祭 旧・郷社、式内社。元・土佐二の宮
神田御手洗358 三所神社 11/23 例祭
布師田1358 葛木男神社 11/17 例祭 旧・郷社、式内社
一宮しなね2−16−1 土佐神社(公式HPへ 8/24、25(毎年) 志那祢祭 土佐の総鎮守
24日:宵宮神事20:00〜。悠久の舞(巫女四人舞)21:00〜。
25日:神事しなね祭10:00〜。神幸祭15:00〜。16:00神輿巡幸〜。御旅所祭16:30〜。還幸祭17:30〜。
朝倉丙2100−イ 朝倉神社 11/23 神幸祭
 神幸祭では御旅所で棒振りや神相撲、ナンモンデ踊り、神踊り、浦安の舞が奉納される。
以前は巫女神楽と流鏑馬もあった。ナンモンデ踊りのナンモンデは「南無阿弥陀」とする説もある。
長浜6600 若宮八幡宮公式HPへ 4/1土日月 神田祭
11/6 神幸祭
旧・県社。高知市南部(長浜、御畳瀬、浦戸、横浜、横浜新町)の総鎮守。
どろんこ祭り=神田(かみだ)祭りの神事の一部。4月第1土曜日より3日間開かれる。若宮八幡宮での神事の後、氏子から選ばれた12名の早乙女により外苑の御神田で田植えの儀式が行われる。田植えの後、早乙女が周囲にいる男性の顔や手足に泥を塗る。男性は逃げても構わないが捕まれば抵抗できないしきたりになっている。泥を塗られた男性はお礼を述べる習わしである。泥を塗られると無病で夏を乗り切れると言われている。
神幸祭=「おなばれ」とも呼ばれる古式に則った神幸祭である。行列は、お供衆、先祓い、神輿の順に進む。お供衆は、先頭を天狗面を面を被った猿田彦が進む。次に革籠が続く。その後を土佐藩時代の風俗をした「お鉄砲組」が進む。先祓いとして、神輿の前を氏子から選ばれた10名の練り子と呼ばれる少年が白粉を塗り女装して木製の薙刀を持って舞いながら進む。神輿が神社に還御すると「行司ナバレ」という古式が社殿の前で奉納される。
浦戸585 宇賀神社 11/8 神輿2基 西と東に二地区に分かれて練り歩く
御畳瀬429 厳島神社
大津乙3199 鹿児神社 11/7 神幸祭
介良乙1927 朝峰神社 10/3日曜(元・20) 神幸祭 延喜式内社。氏地は介良、岩屋、白水 
文化財情報 無形民俗文化財 朝峯神社祭礼 - 高知市公式ホームページ」によると、※一部改変。
「朝峯神社は高知市介良、岩屋、白水集落の産土[うぶすな]神社で、延喜式内社のひとつ。
 秋の大祭は神幸の列にしめ飾りをした酒瓶がゆく。これを担く二人の白丁が、「オンビキゾー」と囃しながら行くが、これは御神酒ぞーの意とされている。神幸は少年たちの棒打ちもみられるが、注目すべきものに行子[ぎょうじ]と頂女郎[いたじょう]がある。行子は母親に抱かれた幼児または幼童である。神輿が発達するまでは、この行子に神霊をのり移らせ神馬にのせて神幸していた風の名残りである。神主が大祓[おおはらい]という祝詞を唱えているうちに昏睡状態になり、それが神霊ののり移ったことであった。この行子の世話役が頂女郎である。頂女郎は月のものの無くなった女性がなる。神幸が御旅所に着くと、頂女郎は白粉の厚化粧をする。帰社すると直ぐに化粧を洗い落とす。化粧が神がかりの手段であった古代信仰を秘めたものである。また御旅所で行子たちに振舞われる田芋、枝豆、吸物膳も古式として注目される。
大正元年(1912)から御旅所は長崎鎮座の王子神社となったが、古くは頭屋から神幸が出発し、それに伴う厳格な祭式作法が行われていた。」とある。
 【花台(山車)の衰退】
高知にも山車(当地では花台)があった。
17世紀に長崎の花鉾をみて試したことから、寛文4年朝倉神社の大祭の笠鉾が最初。
これについて、高木啓夫氏は『高知県百科事典』の「花台」の条で「万治元年(1658)櫃屋道清と仁尾久太夫が商用で長崎に赴き見聞きしたものを寛文4年に朝倉神社(高知市)に出した笠鉾に始まるとする説が一般的である」と述べている。
 このほか、「郷土史夜話」44ページ〜47ページ(昭和39年・高知新聞社)や「大正から昭和へかけて高知の街」36ページ(昭和57年・土佐塾新聞特集号)などから引用すると、万治元年(1658)豪商の櫃屋道清と仁尾久太夫が商用で長崎に赴き見聞きしたものを寛文4年に朝倉神社(高知市)大祭に両家より出した笠鉾に始まるとする説が有力である。当時は笠鉾といい大緞子で笠状に飾った棒先に松を立て、さらに花などで飾りを加えたもので、これを幾人かが持ったり、台上に立てるものであった。
あまりに華美というので一旦禁止となるが、元禄13年(1700)比島神明宮に再び花台として出現した。
 そして神輿の前に位置して行列する。その後に風流化したこの笠鉾を天明年間(1781〜88)に八百屋町の名工、武市甚七なる者が久米仙人の人形を台上に飾ったのが花台人形の始まりで、その後の花台は人形が主流となる。この木像の久米仙人は八百屋町の富豪・川崎家に蔵せられたので「八百屋仙人」と呼ばれた。甚七以外にも「弁慶」の人形の島村安孝も名匠である。
 大八車の上に飾られた花台は四層・五層と高さを増し南町・上町などそれぞれ目を見張った。

 文献上では富裕な酒造業者であった根来屋又三郎は、『萬(よろず)日記』を残しているが、寛文4年の日記に「仁尾久太夫、櫃屋太郎右衛門二人よりかさほこ出也(いずるなり)、8月16日に早々朝より町へ出、朝倉へ行申也(いきもうすなり)」とあるように、桂井素庵は友達と一緒に朝倉神社の祭礼に出された笠鉾行列をわざわざ見物に行っている記事がある。この笠鉾の印象が強烈であったとみえ、日記に図示して紹介されているほどである。
その後、石立八幡・若一王子宮・小津神社 等の祭礼に登場し御城下町または小高坂、潮江、江の口など神明御祭りのとき屋台をこしらへ明治末期または大正初期の頃までまで出たという。
 明治28年(1895)頃より電線が高い花台の運行を妨げ、段々小規模となりやがて据置花台となるが、
最後の大活躍と言えるのが大正時代に後の昭和天皇が皇太子が高知県行啓のため、 御召軍艦「伊勢」にて須崎桟橋(須崎市)へご到着後、高知にも来ているがその時に台覧されている。絵葉書が多く出され、その中には3台の花台が写されている絵葉書もある。
 やがて昭和20年(1945)7月4日未明の高知大空襲。市内の約40%が焼失でその時に焼失したのではないだろうか?それも見られなくなった。
現在は県立高知城歴史博物館に所蔵されているらしいが、展示されていない。
今や高知はよさこい祭りオンリーで復活は難しいと思う。
 ◎旧・鏡村
       ⇒大河内(おおがち)、大利(おおり)、今井、草峰、的淵、白岩、吉原、狩山、敷野山、柿ノ又、小浜、竹奈路、横矢、増原、去坂、梅ノ木、葛山、小山
鏡大河内746 杉本神社 11/上旬 例祭
鏡大利1738 大利新宮神社 7/18 例祭
11/3 大利の太刀踊り
大利の太刀踊り=県指定無形民俗文化財。太刀を抜き放って踊る勇壮活発な踊り。切り込み、襷がけ、車踊りの三つの演目からなっており、楽器は拍子木のみ。紅白の踊り子が相対して踊ることから、源平合戦を踊りにしたものとの伝承がある。
鏡今井706 勝手神社 11/上旬 例祭
鏡草峰895 新田神社 11/上旬 例祭
鏡的淵591 熊野神社 11/上旬 例祭
鏡吉原 河内神社 11/2 神輿
鏡小浜460 小浜神社 11/上旬 例祭
鏡竹奈路138 河内神社 11/上旬 例祭
鏡横矢170 八社河内神社 11/上旬 例祭
鏡増原354 宇治神社 11/上旬 例祭
鏡去坂408 熊野十二所神社 11/上旬 例祭
鏡梅ノ木287 八坂神社 11/5 神輿
鏡葛山63 日吉神社 11/上旬 例祭
鏡小山348 氷室天神社 11/上旬 例祭
 【鏡ダム(土佐鏡湖)】
昭和38年(1964)4月工事着手。昭和42年(1997)1月竣工。鏡ダム完成に伴い多くの田畑が水没。
 ◎旧・土佐山村
         ⇒菖蒲、西川、梶谷、日ノ浦、土佐山、平石、高川、桑尾、都積、網川、弘瀬、久万川、東川、中切
土佐山菖蒲656 白山神社 11/8 例祭
土佐山276 御霊神社
土佐山高川 仁井田神社 11/8 早飯食い
早飯食い=市指定無形民俗文化財。白飯にお湯を注ぎ、皆が一斉に焼ミソとともに一気に食す、珍しいお祭。これは源平合戦の時代、戦支度の合間の慌ただしい食事にちなんで、この神祭の日に「早飯食い」という風習が受け継がれていると言われる。
土佐山弘瀬328 仁井田神社 11/8 チョ−サ台、瓶台 1台ずつ 
土佐山東川976 東川神社
土佐山中切1599 川内神社
 ◎旧・吾川郡春野町
         ⇒西分、東諸木、西諸木、内ノ谷、秋山、甲殿、芳原、仁ノ、西畑(さいばた)、森山、弘岡上、弘岡中、弘岡下
春野町西分3522 六条八幡宮 11/3 神輿 浦安の舞、御旅所での餅投げ
春野町東諸木 諸木八幡宮 10/28 神幸祭
春野町西諸木533 御山所宮
春野町内ノ谷641 国安神社
春野町芳原4308 若一王子宮
春野町仁ノ沖387−1 仁ノ八幡宮 旧9/20 例祭
春野町西畑438 岐(ふなと)神社 8/6 太刀踊り 平成30年(2018)約60年ぶりに復活。
春野町森山3063 森山八幡宮
春野町弘岡上1257 天神宮
春野町弘岡中1113 荒倉神社
 ◎物部川地域
 ≪南国市≫
     後免町
     上倉(あげくら):上倉、中谷、桑ノ川、黒滝、中ノ川、大改野、奈路、八京、白木谷
     瓶岩(かめいわ):成合、宍崎、天行寺、戸山、才谷、亀岩
     久礼田:植田、植野、久礼田、領石
     国府:国分、比江、左右山(そやま)
     長岡:陣山、西山、上末松、下末松、野中、三畠、東崎、小籠
日吉町1 日吉神社 8/3&11/3 神輿、子供神輿 商店街で子供中心の踊りあり
中谷308 仁井田神社
中谷765−ロ 山祇神社
黒滝363 新田神社
中ノ川3 山祇神社
大改野227 八幡宮
奈路590 藤岳神社
八京805 八幡宮
白木谷3654 仁井田神社 10/31 子供相撲 昭和30年代初期までは青年の相撲だった
白木谷4131 金峯神社
成合字祇園239 八坂神社
宍崎359 王子宮
外山472 外山神社
才谷590 若宮神社
植田1267 殖田神社 10/31 神幸祭
久礼田小学校の上級生の女生徒4人による「浦安の舞」の奉納があり、その後、獅子舞などを先頭に、子供神輿が植田地区を練り歩く。
久礼田2213 熊野神社 10/24、25 神輿 神輿はリヤカーに乗せ児童が曳いて廻る
領石684 天満宮
国分1214 八坂神社 7/20 神輿
比江276 日吉神社 10/30 神輿
左右山558 宇賀神社 9/15 例祭 以前は相撲を行っていたが、現在は簡単な土俵で相撲の真似事をしたあと土俵の土を全戸に配る
陣山130 神母神社
西山618 柏木神社
末松字猿田北80 猿田神社
三畠64 神明宮
東崎263 祈年神社
 ■大篠地区
    ⇒大噤iおおそね)、篠原、明見(みょうけん)
大嚶b 稲吉神社 10/21 例祭
大嚔ウ 熊野神社 例祭
篠原1586 若宮八幡宮 7/17、18 奉納踊り、おなばれ、踊り 子供会中心で開催
明見385 星神社 7/18 子供会による盆踊り
10/19 おなばれ
 ■三和地区
     ⇒浜蚊居田、里改田(旧・里蚊居田)、片山
里改田470 八幡神社
里改田506 神母神社
里改田2644 劔尾神社
 ■稲生(いなぶ)地区
      ⇒旧・下田・衣笠
稲生3601 熊野三所神社
 ■十市地区
十市5937 新宮神社
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7/18頃の日曜 子供神輿・おねり太鼓奉納・相撲 旧・郷社
11/1日曜 神輿
流鏑馬 現在は馬の調達が難しく、白丁姿の若者が歩きながら撃つ形で行われている。
十市4327(阿戸) 石土神社 11/15 神輿
 ■日章地区
      ⇒田村、立田(たてだ)、三島〔久枝・下島・物部〕
田村 伊都多神社 10/23 神輿
立田1636 立田神社
久枝西浜29 三島神社
 ■前浜地区
前浜441い 伊都多神社 11/10 神幸祭 浜改田、下田、前浜の鎮守
 ■野田地区
    ⇒上野田、下野田
上野田684 大将軍神社
下野田314 厳島神社 7/16 子供神輿
 ■岡豊(おこう)地区
     ⇒八幡、笠ノ川、小蓮、定林寺、滝本、蒲原、常通寺島、中島、小籠、芳田、江
岡豊町八幡1212 別宮八幡宮 11/5 おなばれ 氏子は八幡・岩瀬川・笠ノ川・蓮如寺(小蓮の一部)
岡豊町小蓮1189(小蓮西) 小野神社 7/9&10/7 例祭 氏子は小蓮西・定林寺。式内社。
岡豊町定林寺198 若一王子神社
岡豊町滝本819 滝本神社
岡豊町常通寺島619 豊岡上天神社 9/18 例祭 旧・郷社、式内社
岡豊町蒲原565 熊野神社
岡豊町常通寺島281 藤宮神社 10/15、16 例祭 山畠・町・常通寺島3町合同
岡豊町中島825 一万度社
岡豊町中島839 鷹儀宮
岡豊町中島919 八幡宮
岡豊町小籠448 下崎神社
岡豊町吉田1 天満宮
 ■岩地区
     ⇒経田、蔵福寺島、包末、金地、福船、堀之内
福船801 川原神社

 ≪香美市≫ 
  平成18年(2006)3/1、香美郡土佐山田町+香北町+物部村の合併で誕生。
 ◎旧・土佐山田町
           山田町:東本町、西本町、北本町、宝町、栄町、秦山町、宮前町、百石町、旭町
           新改:新改、入野、上蚊居田、久次、平山、東川、曽我部川、陶
           大楠植:大法寺、楠目、植村
           佐岡:本村・佐野・大平・有谷・佐竹・中後入・西後入、大後入
           明治:山田、岩積、中野
           方地:小田島・下ノ村・町田・加茂・山田島・林田・影山・間・佐古藪・船谷・宮ノ口・杉田・神母ノ木
土佐山田町北本町2−136 八王子宮 7/24〜26 手作り花台 9組が毎年順番で造る。2019年はもうしていないようだ。
土佐山田町楠目1381 貴船神社
 【穴内川ダム(穴内川貯水池)】
昭和36年(1961)着工。昭和38年(1963)竣工。取得面積213ha、水没家屋187戸。
 ◎旧・香北町
          美良布(びらふ):吉野、小川、韮生野、上野尻、下野尻、太郎丸、橋川野、萩野、岩改、日野御子+口西川・中西川・奥西川
          暁霞(あかつか):古井、川野、五百蔵、白川、荒瀬、西峯、有川
          在所:川ノ内、谷相、中谷、横谷、朴木、大束、猪野々村・日比原村・永瀬村・清爪村・蕨野、日浦古味、梅之窪、白石、長野、祢須、大井平
韮生野243 大川上美良布神社 10/27、28 練り込み 棒打ち、碁盤振り、神輿行列、鼻高、稚児行列など
 ◎旧・物部村
       槙山:庄谷相、柘、中谷川、頓定、大栃、山崎、仙頭、押谷、小浜、根木屋、岡ノ内、別役、市宇、別府
       上韮生(かみにろう):大西、篠、南池、中上、黒代、神池、安丸、柳瀬、楮佐古、五王堂、久保
物部町大栃256 聖神社
物部町仙頭425 有宮神社
物部町仙頭3082 聖神社
物部町別役245 小松神社 7/1&12/1 例祭
物部町神池1421 王子宮
物部町久保36 清田神社
 【永瀬ダム(奥物部湖)】
昭和54年(1950着工。昭和31年(1956)5月完成。水没集落は柳瀬(やないせ)、水通(みどうし)。土地取得面積171.5ha、水没戸数248戸(民家221戸、公共27戸)。
 【消滅集落】
臼牛(うすぎゅう)=安丸の字。8戸あったが、林道が開通して無人になる。昭和40年に集落の解散式。

 ≪香南市≫
  
平成18年(2006)3/1、香南郡野市町+香我美町+赤岡町+夜須町+吉川村が合併して誕生。
 ◎旧・野市町
       野市:上岡、東野、西野、下井、
       佐古:東佐古、西佐古、父養寺、母代寺、大谷、深淵
       香宗:中ノ村、土居
       富家:本村、兎田、中山田、新宮
野市町上岡字手水屋敷2538 上岡八幡宮
野市町東野字子ノ丸2350 日吉神社
野市町西野1202 深渕神社 10/30 例祭
野市町東佐古字唐谷山443 山ノ神社
野市町中ノ村534 宗我神社
野市町土居字宮床1356 立山神社 11/1 獅子舞、棒術
棒術=関ヶ原合戦後、香宗我部の遺臣達が山内土佐藩による武器の取り上げ等に反対し、農具である鍬の柄をとって武器とし、武芸を磨くために行っていたもので、獅子舞と共に奉納されている。
野市町本村字大平山1879 厳島神社
 ◎旧・香我美町
       岸本町・徳王子・山北
       東川:福万、山川、未延、末清、正延、別役、舞川
       西川
香我美町岸本1030 岑本神社
香我美町徳王子918 若一王子宮 11/18 獅子舞 旧・県社
香我美町山北4071 浅上王子宮 11/18(毎年) 男児は棒踊り、女児は浦安の舞
香我美町山川1024 天忍穂別神社
香我美町末清字キタヤ135 皇太神宮
香我美町中西川字大東2726 阿梨宮神社
香我美町奥西川2809 石之神社
香我美町上3606 星神社
香我美町舞川2086 弓矢八幡宮
香我美町舞川字相名渕2563 仁井田神社
香我美町中西川字延清2913 延清神社
 ◎旧・赤岡町  
赤岡町須留田 須留田八幡宮 11/3 神輿1基
獅子舞 平成15年、約100年ぶりに復活
赤岡町253 美宜子神社
 ◎旧・夜須町
        ⇒坪井、千切(ちぎり)、手結(てい)、手結山、西山、出口、十ノ木(とおのき)、上夜須(かみやす)、夜須川、国光、羽尾(はお)
夜須町上夜須417 上夜須八王子宮 11/9 20人棒 昭和47年復活。子供の花棒もある。
夜須町手結山字西長里1553 住吉神社
夜須町先切字北谷1156 越智神社
夜須町国光字城山1200 須賀神社
夜須町西山字宮ノ原242 伊勢ヶ岡神社
夜須町西山馬場崎254 夜須大宮八幡宮 1月2回目の卯と辰の日 百手祭
旧・9/30 つんつく踊 寛永年間(1624〜44)、豊漁祈願・海上安全のために、漁民たちが他国で聞き覚えた小踊り唱歌をアレンジして踊り始めたもの。
百手祭=毎年1月の2回目の卯と辰の日の2日間、五穀豊穣や家内安全を願って、氏子の中から選ばれた12人の射手が2日間で1200本以上の矢を射る祭り。
その昔、人や家畜を襲い田畑を荒らしていた牛鬼を、弓の名手だった近森左近という人物が退治したことを祝って始まったと云われている。
夜須町添地 仁井田十二所神社 10/最終日曜 太刀踊り
夜須町十ノ木字倉谷285−イ 地殿神社
 【消滅集落】
沢谷・上倉・仲木屋=林業と炭焼きで生計を立てていたが、燃料革命で離村が相次ぎ無人の地となる。
 『夜須町史 下巻』の巻末年表によると、仲木屋は昭和37年(1962)3月に最後の住民が出て行きそれ以来無人となっているとある。

 ◎旧・吉川村
       ⇒吉原、古川
吉川町吉原98 西徳善八幡宮 7/20&11/1 浦安の舞
吉川町吉原1987 大八幡宮 7/20&11/1 例祭
吉川町古川字八幡山369 八幡宮 7/20&10/20 例祭
吉川町古川 住吉神社 旧6/8&11/1 男児は獅子頭、女児は太鼓・獅子踊り