宮崎県

     ≪南部地方≫

     都城市、小林市、えびの市、北諸県郡〔三股町〕、西諸県郡〔高原町〕

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪都城市≫
  平成18年(2006)1/1、都城市+北諸県郡山之口町、高城町、山田町、高崎町が合併。
 ◎旧・都城市
 ■都城地区
西町3713−1 八坂神社 7/27 子供神輿、踊り
西町 西町小国神社 7/27 例祭
中町2593−7 小国神社
都島町774 狭野神社 7/15 六月灯
上長飯町5213−ロ 小鷹神社 7/7 六月灯
前田町1417−1 神柱宮公式HPへ 7/8、9 神輿、獅子舞 おかげまつり
灯籠山車
10/29 例祭 旧・県社
六月灯おかげ祭り(公式HPへ=おかげ祭りは神柱宮の六月灯に合わせて催されるお祭り。1993年より始まる。主催はおかげ祭り振興会。
8日(宵祭り)

(19:30〜)中心市街地の八坂神社出発。神柱宮までの目抜き通りを、明りを灯した燈籠山車10数基が曳かれる「献灯祭」が行われる。

■9日(本祭り)
(18:45〜)JR都城駅前出発。市街地を笛や太鼓のお囃子を先頭に、神輿4基、獅子舞、灯籠山車が勇壮に練り歩く
宮丸町3066−3 八坂神社 8/2、3(毎年) 神輿
山車3台 上町、中町、牟田町   
初日は宮丸町の八坂神社から神柱神社へ、2日目は逆コースで都城の中町、上町などの中心商店街を練り歩く。
栄町 宮地岳神社 7/22 六月灯
太郎坊町1727 羽山神社
姫城町 旭丘神社 7/28 踊り
下川東町三丁目12−2 乙戸神社 7/18 六月灯
平江 秋葉神社 7/2 六月灯
乙房 乙房神社 7/13 六月灯
丸谷 大歳神社 7/18 六月灯
丸谷 水分神社 7/22 六月灯
太郎房 羽山神社 7/20 六月灯
岩満 王子神社 7/26 六月灯
 ■五十市地区
今町 愛宕神社 7/24 六月灯
蓑原 社日神社 7/27 六月灯
横市町6691 母智丘神社 4/23 例祭 旧・県社
 ■沖水地区
高木町 南方神社 棒踊り、高木奴踊り
7/27 六月灯
高木奴踊り=棒踊りを踊った後「アトヤマ」として「奴踊」を奉納していた。 踊り手は、昔は青年男女が踊っていたが、現在は婦人会と壮年部で踊られ保存伝承されている。踊り手の扮装は、右角立ての白鉢巻きで、白浴衣を着て角帯をする。足は黒の脚絆に白足袋でわら草履を履き、背に水色や黄・赤のたすきを背負い、手甲は着けない。踊りの演目は4つあり、二上がり調の三味線に合わせて歌う。
立野 熊野神社 7/18 六月灯
早水町3866 早水神社 7/18 六月灯
金田町1985 林田神社 7/24 六月灯
 ■志和池地区
上水流町1189 科長神社 7/29(毎年) 六月灯 カラクリ(綱渡り)花火
下水流町1637 水流神社 7/27 郷土芸能 棒踊り
下水流町 諏訪神社 7/27 郷土芸能 太郎坊踊り、棒踊り、奴踊り、兵六踊り
諏訪原4390 南方神社 7/27 六月灯
野々美谷町774 諏訪神社 7/28 六月灯
 ■中郷地区
豊満町1866 御年神社 7/5 六月灯
安久 興玉神社 7/20 六月灯
梅北町4013 黒尾神社 7/祝日の前の日曜
(元・11)
六月灯
 ■庄内地区
庄内町12360 八坂神社 7/8 祇園山車、子供祇園山車
庄内町 菅原神社 7/25 六月灯
庄内町 八坂神社 7/12 六月灯
庄内町12360 諏訪神社 7/28 神輿 花火大会、踊り
熊襲踊り(バラ太鼓踊り)=県指定民俗文化財。11月28日の同地の諏訪神社の秋祭り、その他の祭礼などに奉納されている。
日本武尊が熊襲武を滅ぼしたときに、その祝宴に供した踊りに由来すると云われている。
かつては質素な野良着で踊ったが、現在は白い衣を着て、頭に、棕櫚皮作りの髷を冠る鉦組4人を中輪とし、同じ扮装で仮面をつけ、背にニギエと呼ぶ藁製の大しめ縄を背負い、胸から腹にバラ太鼓を抱えた14人が外輪となり、互いに逆回りしながら鉦・バラ打ち「高い丘居から熊襲じゃないか 鬼か鬼人か化け物か」などと唄い、走り、転げ、また踊り手が倒れ、重なるなどいくつもの技を野性的かつユーモアに踊る。
庄内町 南州神社 7/24 六月灯
南州太鼓= 昭和2年、南洲西郷翁の分霊を当地に伝えるときに、地元の青年男女が味噌樽や醤油樽を持ち出して樽を叩き合って喜こんだことが始まりと云われている。
吉之元 荒武神社 7/25(毎年) 六月灯 虚無僧踊
吉之元虚無僧踊=薩摩藩主の命を受け、藩内を巡回中の武芸に長けた僧が吉之元に長く滞在し、武芸と共にこの踊りを農民たちに教えた。それまで農耕だけに従事していたので喜び、後世に踊り伝えたという。
美川町6761 千足神社 7/21 六月灯
 【都城の郷土芸能】
平江の俵踊り=平江俵踊り保存会。開催場所・時期は不定。平江町は昔から米集荷の中心として栄えた。

関之尾ジャンカン馬踊=馬頭観音祭(4月8日)で豊作と牛馬の安全を祈念して奉納される。
 馬には小さな米俵を背負わせ、それに稲穂を表す桜の造花の飾りを20数本付ける。鞍には山王の使者である猿の人形を乗せ、5色の布を下げる。前掛けに鈴を付け、くつわに締め帯、足首に脚半を着ける。
 踊り手はかさをかぶり、浴衣に赤たすき、赤腰巻き、白足袋にせったという衣装で踊る。三味線はかさをかぶり着流しの浴衣に男帯を締め、白足袋にせったを履く。太鼓と鉦は豆絞りの鉢巻きに法被、紺のズボンにせった、馬ひきは豆絞りの鉢巻きに法被、すそ幅の広いズボンに地下足袋姿。
 伴奏は太鼓が3人、三味線が2人、鉦が1人、唄(うた)い手は2人で、唄は軽快でテンポの速い松島節が歌われる。
 踊り手は女性25人、馬のくつわ取りと後追い各1人である。馬は伴奏に合わせて首を上下に振りながら足踏みをするが、動きが悪くなると手綱取りは軽快に踊るよう手綱をさばく。

手拍子太鼓踊り=江戸末期に下長飯町を訪れた上方商人がお礼の印として地区民に伝えたのが始まりと云われている。女踊りは絶える事なく伝承されている。一時途絶えていたが男踊りも平成3年に地区の壮年部を中心に復活。棒に差した締太鼓を打つ曲打ちは珍しいものである
 ◎旧・北諸県郡山之口町
山之口町富吉1412 的野正八幡宮 11/3 神輿3基 国選択無形民俗文化財の祭り。
弥五郎どん1台
的野正八幡宮から八幡馬場を通り、約600m離れた池之尾神社に祀られている神功皇后(弥五郎どんの母君)に会いに行き、一緒に神楽や舞いを楽しむという伝説に由来している。
 行列は池之尾神社(弥五郎どんの館)まで、獅子舞や神官たちによる露払いに続いて、富吉小学校の子供たちが引く弥五郎どんが進む。後ろには御神馬が続き、付き添う4名の馬方が御神馬馬方節という9番まである歌を歌いながら進む。その後ろには神社の御祭神3神のお御霊を移した3基の神輿を中心とする御神幸行列が続く。
 御旅所となる弥五郎どんの館前では、中学生による浦安の舞や、田の神舞の神楽が奉納され、続いて、俵踊り、棒踊り、中原太郎踊り、桑原奴踊り、正近棒踊りなど郷土芸能が披露される。
弥五郎どん=朱面をつけた魔除けの身の丈4mの大人人形。竹で編まれた身体に麻蚊帳の衣装をまとっている。この蚊帳は、実際に各家庭で使われていたものを寄付して頂いた。頭には鉄製の三つ又の鉾、腰には大小の刀を差している。
俵踊り=富吉小学校の女子児童が小さな俵を持って踊る。

棒踊り=男子児童による6尺棒(1m80cm)と3尺棒(90cm)を打ち合う

中原太郎踊り
=大人が農作業の様子を滑稽に表現して踊る。

桑原奴踊
=大人が踊る。

正近棒踊り=島津藩主が、農民にも武道を教えたときに始まるといわれ、的野正八幡宮に奉納して悪魔を払い五穀豊穣を祈願し、地区民の安全、息災と繁栄を願ってきた農耕神事。
山之口町花木 八坂神社 7/3土曜 神輿、樽みこし
山車廃絶 昭和40年代の公民館の火事により焼失
花木あげ馬 県指定無形民俗文化財
花木あげ馬=県指定無形民俗文化財。花木あげ馬保存会。文禄の役に藩主島津候が出陣するにあたり戦勝祈願し、凱戦後大名行列を仕立てて馬を献上し、神楽舞を奉納したのが始まりとされる。4年に1回奉納。
山之口町山之口386−1 走湯神社
山之口町花木954 南方神社
 【山之口の郷土芸能】
浄瑠璃語り操り芝居=麓地区。国指定無形民俗文化財。
文弥節人形浄瑠璃は延宝年間(1673〜)大坂の岡本文弥が始め全国に広まりまった。
今なお伝えられるのは同町のほか、石川県尾口村、新潟県佐渡のわずか3カ所だけである。
 薩摩藩領であった麓地区の郷士が、参勤交代の御伴に行ったおり、習い覚えて帰ったという。
文政9年(1826)、「出世景清」の台本に、「麓番所の関守を命じられた曾木某という郷士がいた。日ごろからフンニヤ(文弥節)の浄瑠璃を好み、それを語って人々を楽しませた。また厄よけを神社に祈り、願成就には村内で浄瑠璃を語り、操り芝居を行った」と記録されている。
 大戦中、一時途絶えたが、昭和26年に再興。保存会の手で今に伝えられ、
現在は平成4年に建設された「人形の館」に専用舞台が常設され、定期的に上演されている。
 ◎旧・北諸県郡高城町
高城 八坂神社 7/3土日 男山と女山  
高城町四家1776 長野神社
高城町石山1729 熊野神社 7/3土日 六月灯
高城町桜木1403 南方神社 7/25 献げ馬 模擬大名行列
高城町大井手76 春日神社 7/8 六月灯
高城町大井手2661 高城神社
高城町有水3051 三島神社
高城町穂満坊2987 諏訪神社 7/27 踊り、あげ馬 県指定無形民俗文化財
あげ馬=県指定無形民俗文化財 。4年ごと奉納。慶長4年(1599)秀吉没後より始まる。文禄の役に島津候が出陣するにあたり戦勝祈願し、凱戦後大名行列を仕立てて馬を献上して、神楽を奉納した時の大名行列の模様を型どって行ったのにはじまる。
 【高城の郷土芸能】
石山花相撲=石山地区。8月最終日曜。天保12年(1841)定満池の堤防が改修されたことを祝って、水神様を建立すると共に、奉納大相撲を行ったのが始まり。

有水鉦踊り=有水地区。当時この地方を治めていた有水備前守が戦死をとげた頃、この地は稲虫の害で凶作にも見舞われました。そこで有水備前守の供養と豊作を祈願してこの鉦踊りを始めたと伝えられる。
親鉦、中鉦、小鉦各1名と矢旗、太鼓の9名からなる。

桜木俵踊り=桜木地区。

香禅寺奴踊り=香禅寺地区。踊り始めの「ヒーヨ」の掛け声は、神様への呼びかけと言われる。
手踊りと言われ、上体を起こしたまま、手と足で踊るのが特徴であり、躍動的にきびきびと、ひょうきんに面白可笑しく躍る。頭に鉢巻を締め、顔や鼻筋に化粧を塗り、きれいな衣装を着るのは神様へ晴れ姿を見せるためである。

星原奴踊り=星原地区。

横原奴踊り=横手・原中地区。

穂満坊三月十日踊り=穂満坊地区。

イヨブシ傘踊り
=大井手地区。
 ◎旧・北諸県郡山田町
山田町山田7506 山田神社 7/19 六月灯
山田町山田918 熊野神社
山田町山内1 安原神社 7/17 六月灯
山田町瀬之口 山田神社 7/18 六月灯
 【山田の郷土芸能】
平山の棒踊
=かかし村秋祭りで披露。昭和51年、地区有志の努力で復活した。
明治38年(1905)、鹿児島から来た綿うち直し業者が、瀬之口納四郎に伝えたものを、後に平山地区民に教えたものと言い伝えている。また、ほかの棒踊りと同様に、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵の際、薩摩軍が戦勝したことを踊りの起源としている。
 踊りは華舞神社(現・山田神社)の例祭や講堂、役場庁舎の落成などの祝い事に踊られていたが、昭和34年、正定寺の山門と鐘楼の落慶法要に奉納されたのを最後に途絶えていた。


バラ踊り=山内地区。シュロの皮をまとい、タケンバラと言われる竹で作ったバラ太鼓を打ち鳴らしながら踊る熊襲踊り。

相撲甚句踊り=谷頭地区。軍配を手にした行司を先頭に踊り子が右袖から右回りに登場し、その後ろに襦袢の上に長着物を右肩脱ぎにした力士役の踊りが続きます。白足袋に赤緒の草履を履き、それぞれがしこ名の入った化粧まわしをつけて三味線・太鼓・拍子木そしてユニークな歌詞に合わせて踊る。

俵踊り=瀬茅地区。踊りは女性10名によって踊られ、豊年を祝う秋の取入れを表現したもので、長さ45cmの俵を使い、三味線・太鼓・拍子木の囃子に合わせて、踊り子の手から手へ俵を投げ渡しながら次第に中央前面に積み重ねていく。

奴踊り=竹脇地区。奴のおどけたひょうきんな姿を踊りとしたもので、田の土手を踏みしめながら田植えをする所作で、棒踊りと同じく豊作を祈願する踊りです。奴踊りは別名「手踊り」とも言われ上体を起こしたまま手足で踊る特色があり、極めて躍動的でにぎやかな踊り。

谷頭相撲甚句踊り=安永8年の桜島大噴火で埋没した、同島有村・黒神村の人々が中霧島に移住し、わずかばかりの畑を耕し極貧の生活をしていた。その後、明治34年(1901)、前田用水路の完成で水田を耕作できるようになり、ようやく生活が安定してきた。さらに大正2年(1913)、吉都線開通により谷頭駅が設置され、谷頭地区周辺は活気を呈すようになった。この谷頭駅の落成式で、相撲甚句が踊られたのが始まりと言われ、以来戦前は祝いや祭り等で踊られ、戦時中は一時途切れていたが、戦後の昭和26年頃谷頭地区婦人会の発足と同時に復活し、現在は、町内外の行事で踊られている。
 ◎旧・北諸県郡高崎町
高崎町東霧島1560 東霧島神社 3/21 大祭 以前は旧暦2月の酉の日行なわれていた
神輿の浜下り行事が行なわれ、弓道・剣道大会が開催される。
高崎町蒲牟田117 狭野神社
高崎町広原2148−1 高須神社
高崎町江平562 江平神社
高崎町江平3435 諏訪神社
高崎町前田1781−40 白龍神社
高崎町江平562 江平神社
高崎町広原144 水神社
高崎町前田2414−イ 宇賀神社
高崎町西麓1041−2 鎮守神社
 【高崎の郷土芸能】
谷川俵踊り=天文12年に都城領主北郷忠相、忠親父子郡と高城小山川原で、交戦し、戦死した高崎城主坂下総介の霊を祀る外達神社に五穀豊穣を祈願し毎年7月20日に踊られている。
踊り子は、男子青壮年12名、囃方は三味線2名、太鼓1名、拍子木1名、唄い手1名、織旗持1名で伝承されている。

上勢西(かみぜにし)地区棒踊り、鎌踊り

高坂棒踊り=明治17年のころ鹿児島県川辺郡から高崎大牟田村の高坂に移住した瀧立藤助が普及指導したと伝えられている。
通常は、12名で踊り、構成は六尺棒6本、三尺棒4本、鎌2丁で踊られる。


鍋地区棒踊り

東(つま)地区剣舞踊り

炭床(すみとこ)地区曽我兄弟踊り

蔵元奴踊り=縄瀬蔵元で、埋もれていた伝統芸能を同地区の婦人会が中心に復元された踊り。
紫色の着物に広帯で赤いけだしの装束で、それにねじりはち巻き、色帯のたすき掛け、空色の手甲、白足袋に藁草鞋を着用、楽器は三味線・太鼓、囃で通常12名で踊る。


三和(みつわ)地区奴踊り
 【高崎夏まつり】
8月上旬開催。高崎町商工会議所主催。昭和44年から始まる。
カラオケ大会、太鼓、ダンス、バンド演奏等のイベントと、最後は花火大会。

 ≪小林市≫
  平成18年(2006)3/20、小林市+西諸県郡須木村が合併。
  平成22年(2010)3/23、西諸県郡野尻町を編入。
 ◎旧・小林市
細野4937 霧島岑神社 11/18 例祭 旧・県社
細野2131 建設神社
岩戸神社 六月灯 岩戸神楽
 【小林の郷土芸能】
東方輪太鼓踊り=東方輪太鼓踊り保存会。この踊りは、豊臣秀吉の朝鮮出兵から始まったと伝えられている。この出兵に島津氏が藩の軍勢を率いて朝鮮の各地で勇戦敢闘し、士気を鼓舞するため鐘太鼓を打ち鳴らしつつ戦って大勝を得たといわれ、この勇壮な様子を舞踊化したものが輪太鼓踊りの起源と云われている。

細野一区輪太鼓踊り=豊臣秀吉の朝鮮出兵で、出兵した日向・薩摩・大隈の軍勢は、戦いにおいて約1万人の兵で軍隊と戦うために、武器をホロ・ヤバタ(踊り子がからっている物)の中に隠し武装して、鐘・太鼓を打ち鳴らし敵陣に踊りながら突っ込み、勇戦奮闘して大勝利を得たと伝えられている。

輪太鼓踊=朝鮮出兵に兵を率いて出征した島津氏の軍勢は、泗川の戦いに於て、約1万の兵で、10数万の明の大軍と対戦した時、兵の士気を鼓舞するため、鐘、太鼓を打ち鳴らし、織竿の中に武器を隠し敵陣におどり込み、大勝を得たという。この勇壮な様子を舞踊化したもの。

兵児踊=島津氏と伊東氏との争いにおいて、島津氏は、薩摩武士の武技の集団訓練の場として、士気を鼓舞するために陣中にて各種の戦法を取り入れ、ホラ貝、太鼓を打ち鳴らして踊らせたのが起源。

真方一区兵児踊り=天正年間、島津氏と伊東氏との争いにおいて島津氏は薩摩武士の武技の集団訓練の場として士気を鼓舞するために陣中にて各種の戦法を取りいれ、その一方法としてホラ貝・太鼓を打ち鳴らして躍らせたのが兵児踊りの起源と伝えられている。
 南西方1の東区でも行われる。

岡原田の神踊り=岡原田の神踊り保存会。めしげ踊りとも言う。肥後・薩摩を中心に唄い踊られた豊年踊り。

永田町馬踊り=永田町馬踊り保存会。明治・大正の頃、鹿児島県の谷山あたりから今の永田町地区へ荷馬車業者が移り住み、昭和の初めには国分・隼人の業者も含め35戸の業者が移り住んでいた。その頃の馬踊りを継承したものが現在の馬踊である。

山中棒踊=山中棒踊り保存会。今坊権現の修験者によって伝授された踊りで、薩摩で盛行した示現流剣法の型を基本とした踊りです。

田ノ神踊=別名をめしげ踊りとも言われ、文治元年、後鳥羽天皇御代、肥後・薩摩を中心に唄い踊られた豊年踊り。

鎌の手踊=上江。文久2年、百姓与平親娘は、稲田の草とり中に抜いて投げた草のしずくが、畦道を通りかかった武士の袴の裾にかかってしまい血に狂った武士は、娘の面前で志賀段七の一刀のもとに与平を切り捨てた。以来3年、娘二人は父なき後の農耕の傍わら武芸を習い、姉はなぎなた、妹はくさり鎌をもって見事父の仇を討ち果たす悲愴可憐な物語りを舞踊化したもの。
 【休止】
島民踊り
=詳細不祥。

種子ヶ島踊
=別名を御陣屋踊りとも言われ、旧薩摩藩島津家に伝わる種子ケ島流と言われる陣太鼓に用いたものと言われる。
 【こばやし秋まつり20●●】
11月23日(雨天は次の日曜)開催。会場は駅前中央ふれあい広場。主催はまつり小林実行委員会。
子供みこし(市内小学校8校)、稚児行列、郷土芸能、美容組合パレード、御神幸行列、獅子舞、大人神輿、総踊り・ダンス などのパレードがある。
 ◎旧・西諸県郡須木村
須木 大王神社 11/1日曜 例祭 例祭は以前は旧暦12/9。
 【須木の郷土芸能】
夏木棒踊り=
夏木地区。島津藩領内各地で踊られている、衣に袴、手っ甲、脚絆にわらじ履きのりりしい姿で踊る。

原棒踊り=原地区。

兵児踊り=原地区。島津藩の武士の士気を高めるために踊られていたもので、奴踊りや狂言をまぜほら貝、三味線、太鼓、笛を伴い、紋付き袴に刀をさし、武士の姿で踊る大変勇ましい踊り。

剣舞「一の谷」=麓地区。昭和初期ころ、西米良村村所の芸能を、当時、綾営林署綾北製品事業所に勤務していた中竹末男により、田代八重在住の若者たちに伝えられた。山の神祭や運動会など集落や村の行事で踊られていた。
 昭和48年の集落移転により、後継者の多くが麓地区に移ったが、麓には伝統芸能のようなものがなかったため、やがて麗地区の住民とともに踊られるようになった。
 宝暦元年(1751)に初演された人形浄瑠璃「一谷嫩軍記」の時代狂言を踊りにしたものである。16人の踊り子が2列に分かれ、太鼓と拍子木に合わせて唄に乗って勇壮に踊る。唄と唄の合間に口上が入り、熊谷と敦盛のせりふが交わされる。最後には、詩吟も高唱される。

城攻め踊り=内山地区。胸に太鼓、背に孟宗竹に色とりどりの細かい紙の花びらを付けた矢旗を立て陣笠、陣羽織、手、甲、脚絆といったいでたちで激しく動く勇壮な踊り。
 【綾南ダム(小野湖)】
昭和28年(1953)着工。昭和33年(1958)竣工。小野地区が水没。約270人が離村。
 【田代八重〔たしろはえ〕ダム(田代八重ダム湖)】
昭和46年(1971)着工。平成11年(1999)竣工。約135ha補償、11戸が移転。
 ◎旧・西諸県郡野尻町
三ヶ野山2026
八尾神社
紙屋2007 高妻神社
東麓543 高都万神社
 【野尻の郷土芸能】
兵児踊り=兵児踊り保存会。奴踊と稲作の豊作を願う田遊びが混ざり合って成立、江戸末期に三味線の楽が入ったと云われる。のじり湖祭 等で披露。
昭和60年、東麓の青年が中心となり、兵児踊の復活を呼び掛け、野尻町兵児踊保存会を結成した。


鉦踊り=鉦踊り保存会。島津氏が朝鮮出兵やその他の戦勝の祝いとして踊らせたものであり、武士だけでなく農民も含めて武技鍛練を兼ねて士気の高揚をねらったものである。

紙屋城攻め踊り=城攻め踊り保存会。伊東・島津両氏が城を巡って繰り広げた争奪戦が語り継がれ、江戸時代にこれらが歌や踊りに表現されてきたといわれる。

 ≪えびの市≫
末永 白鳥神社 9/23 例祭 旧・県社
西川北 菅原神社 7/28(毎年) 牛越祭
牛越祭=県指定無形民俗文化財。牛に高さ50cm、長さ4mの丸太棒を飛び越える障害物競争で、家畜の無病息災を願うという全国でも珍しい行事。
西長江浦 南方神社 8/最終日曜 ウバッチョ(大太鼓)踊り
大太鼓踊り=ウバッチョ踊りとも言う。直径120cmもある大太鼓を担いで踊る。
上浦 沢原八坂神社 7/15(毎年) 棒踊り
棒踊り=平成23年(2011)、23年ぶりに奉納。昭和63年(1988)以来途絶えていた。
えびの市観光商工課に問い合わせたところ、同市には山車、神輿の出る祭礼は無いと仰られた。
 【えびのの郷土芸能】
鏡とぎ踊=西川北馬関田城主が、郷士たちに娯楽として、また士気を鼓舞するために奨励したと云われている。

栗下兵児踊り=栗下郷土芸能保存会。馬頭観音祭などで不定期に披露。
出水城主薩州島津家の御家断絶のため、藩内各地に解散した家臣たちが、毎年お盆に君主の墓参りに出水に行き供養し踊ったのが始まりと云われている。


池島兵児踊り=池島郷土芸能保存会。地区公民館で不定期に開催。
武士が戦場へ出兵するとき士気を鼓舞するために作られた踊と云われている。

 ※下大河平、五十市 などでも行われる。

輪太鼓踊り=朝鮮出兵に兵を率いて出征した島津氏の軍勢は、泗川の戦いに於て、約1万の兵で、10数万の明の大軍と対戦した時、兵の士気を鼓舞するため、鐘、太鼓を打ち鳴らし、織竿の中に武器を隠し敵陣におどり込み、大勝を得たという。この勇壮な様子を舞踊化したもの。

鷹踊り=白い羽織に黒いはかまを装い、10名以上が一列に並び、踊りとはいうものの、その場をあまり動くことのない一風変わった踊り。島津軍の士気を鼓舞する踊りとされている。

西長江浦大太鼓踊=兄神にだまされ根の国に追いやられた弟神の生還を祝って女神や村人が踊ったのが始まり云われている。

三段打分太鼓踊=飾笠をかぶり、絣の着物を着用した入太鼓2人が軽妙な動きで舞い踊りながら先導し。鉦、大太鼓の踊り手が2列になり、または4列になりながら、うず巻状に巻いたり、これをほどいたりして、小太鼓、鉦、大太鼓を三段に打ち鳴らして踊る。
東長江、西郷、今西で行われる。

 ≪北諸県郡≫
  三股町
樺山3993−9 早馬神社 4/29 早馬まつり
早馬まつり=山王原子供神輿、中米ジャンカン馬踊り、上米棒踊り、餅原棒踊り、田上俵踊り、梶山棒踊り、谷太郎踊りなどの郷土芸能や早馬龍雲太鼓、文化協会、三股中学校吹奏楽、ドリーム戦隊ミマタレンジャーも参加。奉納行事としては剣道、四半的大会、柔道、弓道、お茶 などがある。
長田3580 御崎神社 4/3 棒踊り 長田、梶山
蓼池18 竃門神社 4/3 奴踊り 蓼池
宮村3522 御年神社
三股町内には、棒踊りが新馬場、餅原、大野、梶山、上米満など5地区に伝承している。

 ≪西諸県郡≫
 高原町
蒲牟田120 狭野(さの)神社 5/16(毎年) 御田植祭 棒踊り、奴踊り
10/23 例祭 棒踊り、剣道大会奉納
12/1土曜 狭野神楽
狭野奴踊り=御田植祭の時に奉納。慶長年間、豊臣秀吉軍を撃退した島津軍の名将新納忠元が、肥後八代の城を守り通し、ついに秀吉の大軍を撃退したことから、あまりのうれしさに島津の軍勢が顔にひげを描いて即興の歌で踊ったことが始まり。

狭野棒踊り
=慶長年間、島津藩主義弘公が朝鮮出兵で泗川の戦いに大勝しての凱旋を祝うため、示現流の形による棒踊りを狭野神社に奉納。これを見た土地の人たちが在来の田植え踊りを加えた勇壮活発な踊り。
狭野神楽=夜明けまでに舞33番が舞われるほか、手打ちそばを氏子が戸毎に作り来客に焼酎やそばが振る舞われる。
蒲牟田6437 霧島東神社 11/9 例祭 弓道、剣道大会奉納
12/2土曜 祓川神楽
祓川神楽=神楽宿で行う夜神楽の一種。舞は十二人剣など多人数で舞う勇壮なものから一人で舞う豪華な剣舞いなどがあり、天神7代、地神5代の神代の舞33番が夜明けまで舞われる。夜には焼酎と手打ちのそばがふるまわれる。
 【高原の神舞(かんめ)
国指定重要無形文化財。狭野神楽と祓川神楽があり、真剣や長刀などを手にした舞が特徴。中でも、高原の神楽でしか見られない舞の中には、12人が真剣を持って舞う「十二人剱(じゅうににんつるぎ)」(祓川)、子どもが真剣の先を握って舞う「踏剱(ふみつるぎ)」(狭野)などがあり、かつての修験者が有数の修験道場であった霧島山で荒修行を続けた名残が舞に伝えられていると思われる。また、舞の中には「田の神」など農作業にまつわる舞や、霧島山に祈る言葉も多く聞かれ、人々の霧島信仰を強く感じさせる。
後川内1553 霞神社 4/15 例祭
 【神武の里たかはる秋まつり】
11月下旬、高原町総合保健福祉センター(ほほえみ館)をメイン会場に開催。町や自公連協議会、区長会、商工会、JA、森林組合などが共催する秋のイベント。
高原町の地場産品の展示即売、教育文化作品企業製品展示。伝統芸能である「棒踊り」、「和太鼓」の演奏や音の祭典、芸能大会芸能大会などのイベントがある。
 【高原の郷土芸能】
広原棒踊り=広原地区棒踊り保存会。広原小学校でも教えられ、運動会や高原町の秋祭り「神武の里秋祭り」において,棒踊りを披露している。。

 ★展示場
人形の家 都城市山之口町大字山之口2921−1 開館:10:00〜17:00
(入館は16:30まで)
平成4年4月、上演場付資料館(人形の館)が完成、人形、台本等の常設展示の外、年4回の定期公演による一般公開を実施している。
休館日は毎週月曜(祝日の時は翌日休館)・年末年始(12月28日〜1月4日)。