宮崎県

都農町 都農町
住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪宮崎市≫
  平成18年(2006)1/1、宮崎市+宮崎郡佐土原町+東諸県郡高岡町、田野町が合併。
 ◎旧・宮崎市
神宮二丁目4−1 宮崎神宮 10/26 例祭 昭和42年まではこの日に渡御
10/26後の土日 神幸祭
土曜:宮崎神宮から御旅所(隔年で大淀か瀬頭)まで御神幸行列。
日曜:御旅所から宮崎神宮まで。
神幸祭は流鏑馬武者行列、御鳳輦、錦蓋、菅蓋、シャンシャン馬、獅子舞、古代行列稚児ミス宮崎、商工太鼓隊、神武こども太鼓隊、日向木剣踊り、ひょっとこ踊り など。
御鳳輦=明治42年新調。
宮田町3−27 宮崎八幡宮 7/下旬 神幸祭 広報車、獅子、団尻、子供神輿、女神輿、本神輿、救護車の順
土曜:宮出〜御神幸〜御旅所
日曜:御旅所〜御神幸〜宮入り
谷川1丁目6−12 宮崎天満宮 7/24、25 神幸祭
青島2−13−1 青島神社 1/成人の日(元・旧12/17) 裸まいり
3月中旬 青島神社神楽
7/最終土日(元・旧6/17、18) 海を渡る祭礼
裸まいり=山幸彦が海神国から突然帰ってきたことを喜んだ人々が衣類をまとう暇なく裸のまま迎えたという伝説に基づく。
真冬に男性は白足袋とフンドシ・鉢巻き。女性は白足袋と白い短パン、サラシにじゅばん・はちまき姿という勇ましい姿で「ワッショイワッショイ」の掛声とともに海に入りで、禊を行い体を清めて参拝する。禊が終わると青島参道に戻り真水をかぶって裸まいりは終了する。 
青島神楽=不定期。伊東祐持に従った長友家(青島神社社家)の先祖阿倍弥三郎が伝えたといわれる。海の神楽独特の舞もある。
海を渡る祭礼=初日:青島神社を出発した後、15ヶ所に立ち寄り休憩・暴れながら青島地区の約半分を周り、白浜海水浴場に入る。
白浜海水浴場で暴れが行われた後、海の中を若者に担がれて御座船へと移る。御座船は大漁旗を掲げた漁船10数隻に先導されて列を作って青島を1周する。
青島海水浴場へ到着すると、暴れを行った後再び若者に担がれて御座船へ乗り込み、青島を1周して青島漁港にある天満宮(天神様)へお入りになる。
 2日目:天神様をお出になり残りの各地域を巡幸11ヶ所で休憩・暴れを行い、青島神社へ還御する。
青島 大将軍神社 旧・6月初午 青島臼太鼓踊
青島臼太鼓踊=毎年旧6月初丑(はつうし)の日、鎮守の大将軍神社に奉納され、盆の14、15日に祖霊の供養と悪魔払いとして地区内で踊られている。
豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した際、飫肥藩士の士気を鼓舞し、また、相手を威嚇するために踊ったのが始まりと言う。
 宝永4年(1707)、藩主の許可を得て盆踊りとして青島地区に伝承されるようになった。
生目 生目神社 3/15頃の土日 生目神社神楽 生目神社神楽保存会
11/23 例祭
生目神社神楽=鬼神・荒神舞、剣舞、氏舞、薙刀舞などが舞われる。
学園木花台桜1 加江田神社 3/3 加江田神社春神楽
阿波岐原町竹割 江田神社 3月の社日 江田神楽 江田神社社中
江田神楽=33番神楽の内、12番継承。12番の内、柴鬼人舞はこの神楽独特のもの。慶長17年銘の神楽面が残っている。
大島町本村20 大島神社 11/10 例祭
3/25直前の日曜 大島神楽 昭和63年復活
大塚町原ノ前 大塚八幡神社 3/17直前の日曜 大塚八幡神社春神楽 大塚八幡神社氏子崇敬会
上畑 河上神社 11/15 上畑神楽 河上神社の改築を機に平成6年に復活
下北方町平ノ下 名田(みょうで)神社 3月下旬か4月上旬 神代神楽(竹の子神楽)
神代神楽(竹の子神楽)竹の子の季節に舞われるので「竹の子神楽」とも呼ばれ五穀豊穣、家内安全、無病息災を祈念し奉納される。8番ほど伝わっている。
糸原 倉岡神社 11/13直前の日曜(隔年) 神幸祭 御神幸の際、獅子とハレハレ(鬼)が先触れとして歩く
御神幸の順番はまず先頭に獅子とハレハレという赤と黒の面を被り棕櫚皮の蓑を着け、同じく棕櫚皮の脛当てを着け、腰にびくを着け葉を着けたかずらを全身に巻きつけた2人の若者が青竹に跨り先頭を勤める。糸原棒踊りは薩摩示現流を基にし、武士の士気を鼓舞する為に舞われたといわれる。
小松 小松神社 3/21 小松里神楽 21番伝わっている。
村角町橘尊 高屋神社 3/21頃の日曜 高屋神楽
南方町御供田 奈古神社 3/21 奈古神社春神楽 奈古神社神楽復活実行委員会
奈古神社春神楽=昭和63年復活。古くから領主の祈願所としても崇敬の厚かった、産土神の奈古神社に奉納された神楽である。
新名爪4449 新名爪八幡神社 春・秋の社日 新名爪神楽 5、6番が奉納。
内海5387−1 野島神社 11/23 野島神楽 野島神社氏子崇敬会
野島神楽=寛政年間(1789〜1801)に奉納された。昭和35年までは旧暦の2月9日だったが、以降、毎年11月23日に舞われる。18番伝わっている。神楽面は、中国から伝わったといわれる。
有田字宮下 白髭神社 12/中旬 火祈祷神楽
火祈祷神楽=北郷村宇納間地蔵の火切信仰が、霧島神社の流れを汲む宮比之神楽と融合した神楽。
島之内7599 島之内八幡神社 3月・9月の社日 島之内八幡神社神楽 島之内八幡神社神楽怜人神楽保存会
島之内八幡神社神楽=33番のうち25番ほどを舞う。
島之内 広原神社 11/15 広原神楽 広原神楽保存会
広原神楽=昭和54年に保存会結成。33番中23番が継承。「天照大神の岩戸隠れ」などの日向神話に基づく。広原神社(春と秋の社日)、ちびっこ広場や保育所(例祭)で舞う。
古城町時雨3861 古城神社 春分の日 古城神社神楽 33番のうち15番伝わっている。
木崎(熊野) 熊野神社 木花相撲踊り
木花相撲踊り=相撲取りに扮した女性ばかり20名程の踊り手が、相撲甚句に合わせて踊る。
明治の初めころ、大相撲の一行が宮崎地方に巡業に訪れたとき、その中の次吉、庄吉らが居残って木花に住みつき、この踊りを教えたと伝えられている。次吉は木崎の長友家に、庄吉は今江の崎山家に入り婿となった。どちらも大正10年(1921)に没し、集落の墓地にその墓がある。
山崎町四郎房906 山崎熊野神社
吉村町宮ノ脇甲2133 吉村八幡神社 3/最終日曜 吉村八幡神社神楽 吉村八幡神社神楽保存会
吉村八幡神社神楽=33番のうち9番ほどが豊作を願って氏子青壮年約20名で舞う。
南方町 奈古神社 4/1日曜 神楽
上北方字岩戸前 磐戸神社 11月上旬 上北方なぎなた踊り 明治30年頃、生目村下小松から伝わり、この地に古くからあった豊年踊りと融合して、一連の踊りとなった。
大瀬町5714 瓜生野八幡神社 11/10 御神幸
赤江町 赤江水徳神社 旧・8/13 花ヶ島豊年踊り 平成12年に復活した踊りで、折編み笠を目深にかぶり、左手に小臼太鼓、右手に扇子を持ち鉦、太鼓、唄に合わせて踊る。
内海 守山神社 7/中・下旬 神輿
塩路 住吉神社 住吉神社神楽 天保11年銘の衣装が残っている
長嶺 長嶺神社 3/2日曜 神楽
上小松 小松神社 11/15 小松豊年踊り、上小松俵踊り 明治中頃から、五穀豊穣・家内安全・牛馬息災を祈願して小松神社に奉納。
五穀豊穣、実りの秋を感謝する踊りとして、小松豊年踊り、櫂踊り、上小松俵踊りなど踊り継がれている。
 【宮崎みなとまつり】
8月最終土曜、宮崎港〔国際観光船バース〕9:30〜16:00、みやざき臨海公園(16:30〜20:30)で開催。主催は宮崎みなとまつり実行委員会。
巡視船・カーフェリーの体験航海。ステージイベントでは江田神楽、みなと小学校獅子舞、宮崎市消防団音楽隊、響座、フラダンス、アフリカンパーカッション など。花火は20:00〜より。
 【宮崎の郷土芸能】
青島臼太鼓踊り=青島。8月。伊東藩主が朝鮮出兵の際、敵を威嚇するために踊った名残といわれ、面組、太鼓組に分かれて勇壮に踊る。

跡江豊年踊り=国富町六日町の「六日町正統俵踊り」が伝わった。
夏祭に五穀豊穣を祈願し、豊年踊りを奉納したあと、顔を隠し、変装して夜通し三拍子踊りを踊る。

広原奴踊り=不定期。かつては槍踊りといわれ、元禄末頃から踊られていたといわれる。十五夜、秋祭りに豊年を祝って奉納された。

和田の金閣寺踊り=池内町。不定期。天正年間に京都を中心に武家の間に流行した「幸若舞」を庶民に普及した名残ではないかといわれている。

跡江俵踊り=跡江。不定期。諸県地方から伝わったといわれ、倉や船に、米俵を威勢良く積み上げる様子を表現している。

山崎町十五夜踊り=不定期。秀吉の朝鮮出兵に佐土原勢が加わったのを記念して踊られたのが、山崎町にも伝わったといわれる臼太鼓踊り。

下小松なぎなた踊り=小松。8月か9月。武士に無礼打ちになった農民の遺児姉弟が、仇討ちのため、なぎなたや鎖鎌で武道に励む姿を表現している。

下北方六月踊り=不定期。北方地区に古くから伝わる数え唄風の歌詞で、左手には小臼太鼓、右手の扇子を鉦、太鼓に合せていくるくる回しながら踊る。

日平俵踊り=新名爪不定期。柏原から伝わったといわれ、水神様に奉納されていた。俵踊りの後に櫂踊りを続けて踊るのが本来の形である。

内海雨乞い太鼓=不定期。田植えを終えてから雨の少ないときに、雨が降るように祈願して行われている。
 ◎旧・宮崎郡佐土原町
佐土原町上田島789 愛宕神社 7/24頃の土日
(元・旧6/23、24)
神輿 あり
だんじり2台 赤と青。昔は4台のダンジリが出た。
宵宮:神輿が町内を巡幸し地区公民館前広場に来る。
本宮:獅子舞2頭を先頭に、神社旗・幟・稚児・宮司・氏子総代・地区役員・ダンジリ2台が続く。
御神幸が終了するとダンジリは広場に集合し、突き合わせて相手のダンジリを壊しあう。これをけんかダンジリといい屋根とか欄干などを壊すと勝ちとなる。
佐土原町上田島10732 巨田神社 11/15直前の日曜
(元・旧・9/15)
神楽 旧・郷社
巨田神楽=神楽に使われる太鼓の胴には、慶長5年(1600)の銘がある。
 かつては33番舞われていたといわれる。現在では神社の境内に設けられた舞庭で、10番ほど奉納される昼神楽である。
佐土原町下田島上町 八坂神社 7/15頃の土日 子供神輿、子供相撲、のど自慢大会
だんじり廃絶  
佐土原町平等寺 西上那珂神社
江原(佐土原町東上那珂13945) 東上那珂神社
佐土原町下那珂 下那珂神社
佐土原町元村 八坂神社 神楽 前夜祭に奉納
 【佐土原の郷土芸能】
平小牧臼太鼓踊り=旧暦8月15日に奉納されるので十五夜踊りと云われ、横山真澄という人が西都市三財から移入したと云われている。
水難除けと五穀豊穣を祈願して平小牧地区の4ヶ所の水神様と稲荷神社に奉納される。
赤と青の矢旗織を背負い、締め太鼓を首にかけ、鉦と囃子に合わせて踊ります。踊り手は16人。他に唄い方3人と鉦方4人。「立端」、「佐土島」、「まつせい」、「せき」などの演目がある。

曽我兄弟踊り=佐土原町下田島の大炊田地区。不定期。建久4年(1193)、父の敵工藤祐経を討った曽我兄弟の孝を称えた踊り。
 ◎旧・東諸県郡高岡町
押田 天満神社 10/14頃の土日 太鼓台1台  
高岡町高浜2186 粟野神社 旧・6/26、27 神輿、神楽
花見 花見神社 神輿、獅子舞
粟野 粟野神社 7/25〜27 神輿 獅子舞  
神輿巡幸に合わせて獅子舞が各地区を回り、地区内の辻や交差点、他地区との境界線上で悪霊や悪疫を払うために舞う。
川原田 大将軍神社 9/2日曜 城攻め踊り
城攻め踊り=不定期。種子島町の宝満神社と平山神社の祭礼に伝わる城攻め踊りが元踊りとなり、高岡に伝えられたもの。
 【高岡の郷土芸能】
剣舞=高岡町浦之名清水。不定期。赤穂浪士の討ち入りの様子を踊ったもので、勇壮な中に優美さを取り込んだ踊り。


城攻め踊り=高岡町浦之名。浦之名小学校運動会と産業文化祭に披露。
昭和42年頃には途絶えましたが、平成6年に小学生にを教えることにより復活。

島津義弘が、流行病の平癒や士気の鼓舞を願って、敦賀の念仏踊りを元に始めさせたと云われている。

去川奴踊り=去川奴踊り保存会。高岡小学校運動会で披露。
明治の初めころ、去川の岩見嘉太郎が鹿児島から師匠を招き、習い覚えたと伝えられる。
三味線の前弾きに合わせて入場し、円形になり、次いで2列になり、唄に合わせて踊り、中程になると唄なしで激しく踊る。終わりはまた2列になって唄に合わせて踊る。出入りは三味線と太鼓に合わせる。踊り手は16人、伴奏は三味線1、太鼓1、拍子木1、唄い手1。
 島津義弘に従っていた都城の武将・梅北国兼が、戦いに出陣したときに始めた踊りであると伝えられる。

深水剣舞=深水自治公民館。不定期。

上倉俵踊り=上倉芸能保存会。不定期。江戸時代末、溜池竣工記念に島津藩主に奉納した踊り。三味線・太鼓・拍子木とはやし声にのって小型の俵を使って踊る。

坊さんしのぶ=下倉自治公民館。不定期。奴踊りの一こまの踊りで、戦勝を祝うと共に士気を鼓舞するために始められたと云われる。

下倉粟野神社お田植え神楽=高岡町下倉永。

高浜小臼太鼓踊り=高浜小臼太鼓踊り保存会。不定期。

田之平バラスデコ踊り=高岡町田之平。不定期。
高岡には弁慶踊、相撲踊、唐人踊、棒踊、小臼太鼓踊など多くの芸能が伝承されていたが、若者の減少とともに衰退した。
 【瓜田ダム(酒谷湖)】
昭和45年(1970)着工、平成9年(1997)竣工。補償は8、3ha。10戸が移転。

 ◎旧・東諸県郡田野町
田野町宮ノ原甲 田野天建神社 7/下旬(元・旧7/20) 神幸行列 田野町ふるさとまつりと共同開催
夏祭りは大正9年、神輿が奉納されて「浜下り」(御神幸)が始まる。御神幸は宮司、村長が馬に乗り、その後ろを村の有志が続き郷土芸能や芸妓を乗せた屋台もあった。
昭和44年からは役場・商工会を始め住民総参加の田野町ふるさと祭りとして至っている。
 【田野の郷土芸能】
田野町雨太鼓=田野町内。7月第3日曜。戦国時代の陣太鼓に始まり、明治初期からは田植時期の雨乞いに使われ、現在も田野の各地区に伝わる。

鷺瀬城攻め踊り=田野町鷺瀬。7月第3日曜。伊東勢の穆佐城攻撃の際、田野の武士達が武器を隠し農民の踊りに見せかけて敵を油断させて攻めたのが始まり。

田野町棒踊り=築地原。不定期。棒踊り保存会。寛文元年頃、伊藤家の武運を祈る神社として字楠原に社殿を移した時を契機に奉納踊りとして棒踊りが始められたものと言い伝えられている。
 【第●回田野町ふるさと祭り】
7月第3土日、田野総合支所駐車場〜田野駅前で開催。2009年で31回を数える。主催は田野町ふるさとまつり実行委員会。
 前夜祭では祭り広場が設けられ(18:00〜21:45)夜市、芸能大会などが行なわれる。
 本祭では神賑行列が市街地を練り歩く。神幸行列(13:00〜16:30)には、天建神社の神輿を先頭に町内各地の神輿や仮装行列、雨太鼓など20団体以上が参加する。
演芸ステージ(18:00〜21:45)。
 ■清武町合併特例区
  平成22年(2010)3/23、宮崎市に編入合併し合併特例区となる。
船引6622 船引神社 9/15 船引臼太鼓踊り 昭和28年復活
1/1&春分の日 船引神楽
船引臼太鼓踊り古来船引地区に伝わる踊りで、五穀豊穣・家内安全・牛馬息災を願って、船引神社などで奉納される。かつては田植えの後に大将軍神社と船引神社で家族と牛馬の安全を祈願し、臼太鼓踊りを奉納したもの。第二次大戦などで一時中断したが、昭和28年に復活した。
庵屋(船引1508−2 炎尾神社 3/26 船引神楽 県指定無形民俗文化財
黒北 大将軍神社 3月下旬 船引神楽
今泉丙1525 今泉神社 3/4日曜(元・28) 今泉神楽 春分の日、秋分の日も行われる
加納乙253 加納神社
木原525−2 中野神社 旧・2月初午 中野神楽
船引神楽=平成3年に県指定無形民俗文化財となる。船引神社(船引地区)、炎尾神社(庵屋地区)、大将軍神社(黒北地区)で行われる。

 ≪西都市≫
妻1 都萬神社 7/下旬 神輿 あり
だんじり(太鼓台)1台   
 【西都夏まつり】
都萬神社の境内にある祇園社(八坂神社)の夏祭で、西都市街地で開催される。
金曜=八坂神社で神事があり、19:00から東地区をだんじり(太鼓台)が練り21:30頃終わる。
土曜:市民総踊り、女みこし。

日曜=19:00、だんじり(太鼓台)が神社を出て西地区を練る。
尾八重 尾八重神社 11/22、23 神輿
尾八重神楽 2日かけて33番が舞われる
南方 南方神社 旧・8/1 下水流臼太鼓踊 国選択・県指定無形民俗文化財
下水流(しもずる)臼太鼓踊=国選択・県指定無形民俗文化財。南方字下水流。南方神社・一ツ瀬川原・火の神前に奉納される。
踊りの構成は、鉦方4人、歌い手4人、踊り手16人が4組に分かれて一体となる。
踊り手の装束は前結びの白鉢巻きに、大袖の白襦袢と山袴、手甲、脚袴に草履をはき、背に高さ3、35mの幟を背負い、胸に臼太鼓を抱く形で踊る。鉦方は陣笠に陣羽織と紅白の襷で
ある。
南方 速川神社 2/18 例祭
山田4602 中山神社 11/22 中山棒踊り
中山棒踊り=市指定無形民俗文化財。以前は旧暦8月の十五夜に中山神社境内で、牛馬安全と五穀豊穣を祈って奉納されていた。
昭和45年(1970)復活し11月22日に保存会〔踊り手24人、歌い手・鉦打ち4人の28人で編成〕、都於郡小学校山田分校生、山田保育所の園児による踊りが披露される。
親鉦には正徳元年(1711)と刻されている。
鹿野田 鹿野田神社 11月中旬 高屋神楽
銀鏡 銀鏡神社 12/14、15 銀鏡神楽 33番の神楽奉納
福王寺 八幡神社
 【西都の郷土芸能】
石野田臼太鼓踊り=市指定無形民俗文化財。下三財字石野田。石野田地蔵境内にて、豊作祈願の虫追い踊りとして、また現在は、火除け踊りとしても奉納されている。
肥後の細川藩士によって地区の若者たちに伝授されたと伝えられている。
踊りは、鉦打ち4人、歌い手4人、踊り手16人以上で編成され、鉦打ちは単物(ひとえもの)の衣裳に幅広の赤たすきを袈裟懸けにして、陣笠くに黒足袋・麻裏草履をはく。歌い手は、単物の上に紋付き羽織を着て、三度笠に黒足袋・平下駄をはき、手には長さ70センチメートルの「舌(ぜつ)」と称する御幣をつけた棒を持つ。踊り手は膝下までの短いかすりの衣裳に黒帯を締め手甲脚半に黒足袋、わらじ、背には、3本の幟を背負い中央の笠の長さは2、2mで先端に「すみとり」という五色の飾りをつけ、胸には同径30cmの太鼓を抱く。特徴的なのは、中央の幟カ竿の中ほどに12連の鈴をつけ、全員ではないが「関幣」と称する御幣をつける。「関幣」は、古くから踊りの名人につけた印と言われている。

平郡十五夜踊り=市指定無形民俗文化財。平郡(へぐり)で旧暦8月の十五夜に近い土曜日に開催。踊りに使われている鉦に天保3年(1832)の銘がある。
小林地方に伝わっていたものを、安政・文久の頃、村の代参として霧島神宮に参拝した村人が、踊りのすばらしさに引かれ、踊り手を招いて、この地区に広めたもので、元来男性が踊っていた。
 白鉢巻きに青たすき、胸に一尺二寸の太鼓をかけ、浴衣に手甲、脚半、草鞋わらじがけ、腰に印ろうを下げる。
 踊り手の人数に制限はない。輪になって、鉦(かね)に合わせて太鼓を打ちながら踊る。当初は、男の踊り手が、背中に家紋入りの矢旗を背負って踊ったといわれる。
 頭には毛頭をつけ、腰には小刀を差していたが、女性の踊りとなってからは、衣装が現在の形になった。伴奏は鉦3人、拍子木1人、うたい手2人、三味線1人である。
 【寒川】
昭和40年(1965)には50世帯、211人を数えたが、昭和62年(1987)には6世帯、14人となる。
総務省(当時は自治省)の過疎地域集落再編整備事業を用いての、市の正式な事業となり、平成元年(1989)東南へ約6km離れた移転先(福王寺地区)に集団移転を行った。
福王寺は昭和11年に火災により村の大半が焼失し、福王寺地区へ転居された人や、集落移転前に「がけ地近接等危険住宅移転事業」により転居した人もいるので親近感があり、移転後は自治会を共にしていると聞く。
神社は天神社で例祭日は12月5日。前夜祭に寒川神楽を奉じた。神楽の衣装や備品は西都原考古博物館で保存。
 【一ツ瀬ダム(米良湖)】
昭和35年(1960)着工、昭和38年(1963)竣工。
旧・東米良村(現在の西都市東米良地区)の3地区(中尾、八重、銀鏡)の一部、 旧・西米良村の4地区(越野尾、横野、小川、村所)の一部は、水没することになった。
計7地区での水没戸数は361戸だった。

 ≪東諸県郡≫     
 綾町
南俣3005 綾神社 7/下旬 神幸祭
11/19頃の土日 奉納踊り 11地区が順番に奉納
南俣2825 護国神社 11/19頃の土日 奉納踊り 11地区が順番に奉納
綾神社の祭礼は、毎年秋、11月19日に近い土・日曜日に行われる。綾町の11の地区が順番に奉納踊りを奉納。(11年に1回奉納)
麓薙刀踊り(麓長刀踊保存会、北麓長刀踊保存会)、東中坪樽踊(東中坪樽踊保存会)、曽我兄弟踊り(古屋曽我兄弟踊り保存会)、四十七士(杢道四十七士保存会)、唐人踊り(宮原野唐人踊り保存会)、俵踊り(神下俵踊り保存会、上畑俵踊り保存会)、棒踊り(揚棒踊り保存会、昭和棒踊り保存会)、城攻め踊り(四枝城攻め踊り保存会) など。
南俣5693 川中神社 11/28 神楽
入野1280−イ 入野神社 7/22&10/22 神輿 神楽、奉納踊り
川久保 明見神社 旧・6/23&旧・10/24 神楽 唐人踊り(3〜4年に1度)
 【綾ふるさと夏まつり20●●】
昭和63年より始まる。綾神社神輿と同時期なので共催のようなもの。花火大会、演芸大会、錦綾太鼓、婦人手踊り などもある。
御神幸行列(10:00〜17:00)、子ども会よいまか(9:00〜17:00)、錦綾太鼓(10:00〜17:00)、おまつりパレード(17:00〜18:00)などが行なわれる。
 国富町
六日町 剣柄稲荷神社 旧6/24、25頃の土日
(=8/上旬)
神輿 40歳以上の人が担ぐ
ヨイマカ1台 天領の地で、和泉屋や両替商桝屋など7軒の豪商が取引のあった上方から導入したと伝わる 
獅子舞
宵宮:神社から神輿が繰り出し、稲荷町・中町・六日町と巡幸、御旅所である大将軍神社に1泊する。
巡幸の先頭は猿田彦、幟・獅子舞2頭、稲荷神輿、子供神輿、ヨイマカ、宮司、7地区の氏子総代、各区長、祭礼委員などが続く。
本宮:逆コースで稲荷神社へ帰る。
「ヨイマカ、ヨイマカ、ヨイマカ、マカッセ、ヨヤマカセ、ハジメテ」稚児が太鼓を打ちながら囃す。担ぎ手は「ガッテンジャ」と台を担ぎ上げる。巡幸中の掛声は「サッサ、サッサ、サッサ」である。練り中周辺から歌を歌って景気をつける。

 また伝統歌舞伎人形保存会により、歌舞伎見立活人形が町の特設舞台に飾られる。
ヨイマカ=太鼓台の一種。重さは約1トン。担ぎ手・稚児4人はは六日町が担当している。
川上 川上神社 11/上旬 川上伊勢音頭
ヨイマカ 昭和40年代まであった
神事、獅子舞、小学6年生による浦安の舞、川上伊勢音頭 など。最後は銭具まき。
以前は大坪(棒踊り)、井水(女性方の踊り)、門前(棒と鎌の踊り)、中別府(俵踊り)が出た。
川上伊勢音頭=川上地区郷土芸能 伊勢音頭保存会。江戸末期、全国に大流行した「おかげ参り」で伊勢神宮参拝に地元から参加した一村人が、当時伊勢地方を中心にはやっていた、伊勢音頭の踊りを習得して帰り、地元に古来から伝承されていた捧踊りを一部取り入れて、新たに振り付けしたものが、川上伊勢音頭である。
北俣(八代字若宮) 諏訪神社 8/最終土日(元・旧7/28) 浦安の舞、バラ太鼓踊り
諏訪バラ太鼓踊り=県指定無形民俗文化財。天正13年(1585)諏訪神社過去の地に遷宮された時、国家安泰.無病息災、家内安全の祈願が行われ、神前に氏子たちが集まって喜び合い、梯子その他の器具を持って踊り、神のご加護を祈願したのが、この踊りの起こりであるという。楽器は鐘6個、踊り子は、50〜60人。白浴衣に黒帯姿で背に5色の矢旗を背負い、腹にバラ太鼓を付けて歌に合わせ、円形にあるいは縦形にと隊列を変えて踊る。
深年768 深年神社 11/14頃の日曜 ヨイマカ、子供奉納相撲廃絶
宮王丸498 宮王丸大原神社 11月(元・旧10/13) 宮王丸俵踊 江戸期に上方商人により伝わる
本庄 八幡神社 9月 十日町樽踊
十日町樽踊=明治30年(1897)頃に本庄の戸長であった中山篤一が創案したと伝えられる。
田尻 宇津野神社 9/15 田尻棒踊り 田尻棒踊り保存会
向高 向高御年神社 9月 向高棒踊り 向高棒踊り保存会

 ≪児湯郡≫ 
 川南町
川南 白髭神社 11/19 高鍋神楽
平田1924 平田神社 11/25 高鍋神楽奉納後、ゲートボール、四半的、弓道大会
  【川南の郷土芸能】
登り口の奴踊り=登り口奴踊保存会。高鍋藩主秋月種任公の時代に参勤交代で江戸にお供した山下栄次郎(山下寔氏の五代前)が習い帰って登り口に普及したものと言われる。

名貫の棒踊り=明治6年、名貫水路の開通を祝うため、鹿児島より棒踊りの師匠を招き、通水式に披露した。
以来、名貫氏神祭の12月14日に踊られていたが、最近は行われていない。
 木城町
椎木1306−イ 比木神社 7/30 子供神輿、神楽
10/28・29&11/4 お里まわり御神幸祭、大年下り御神幸祭
12/初旬 高鍋神楽
高鍋神楽=国選択無形民俗文化財。県指定無形民俗文化財。高鍋神楽は、高鍋町八坂神社、愛宕神社、川南町白髭神社、平田神社、新富町、八幡神社、木城町の比木神社の六社連合行事となっており、毎年輪番で舞う。高鍋神楽は33番が豊作を祈願して奉納されている。
中之又 中之又神社 12/初旬土日 中之又神楽 中之又神楽保存会
中之又神楽=町指定無形民俗文化財。中之又神楽33番が豊作を祈願して奉納。中之又は弓木、板屋、筧木(ひゅうぎ)、屋敷原、中野、塊所(こぶところ)の小集落から成り、中野にある中之又鎮守神社が祭場となり、神楽奉納は同社の冬まつりとなる。記録では寛延2年(1749)の「神事次第」(安倍岩雄家蔵)がある。
 高鍋町
上江 舞鶴神社 3/15 例祭 高鍋藩主だった秋月家の神霊を祀る
戦前は児湯郡内の小中学生を集め剣道、弓道大会 等を催したが、戦後は例祭のみ。
南高鍋 八坂神社 7/14頃の土日 夜店、演芸
高鍋神楽 前夜祭に奉納
蚊口浦 鵜戸神社 7/3土日(元・14) 神輿1基、子供みこし3基 演芸大会
上江 愛宕神社 7/下旬 子供神輿 高鍋神楽・子供神楽
北高鍋1015(宮越) 立花神社 7/26頃の土日 神輿
太鼓台1台 昭和50年復活
六日町 火産霊神社 7/27頃の土日 神輿(大小)
太鼓台1台
鴫野 大年神社 11/4 神幸祭
  【高鍋の郷土芸能】
鴫野棒踊り=旧暦9月初午の日(駄祈年の日)開催。江戸後期、富田(現・新富町)の上日置より伝授を受け水神に奉納。豊作を祈って毎年秋季に行われる祭で奉納される。
 都農町
川北13294 都農神社 8/1、2(毎年) 神輿
太鼓台4台 北町、北新町、井戸端、都農中学校
獅子舞
12/4、5 冬神楽
 ■1日
御発輿祭(8:00〜)     都農神社より神輿が神社より出発。
御神幸行列出発(10:00〜)大鳥居前より出発。先頭は天狗、獅子舞6組、太鼓台4台 など。
浜下り(12:00〜) 神輿・太鼓台などの御神幸が海の見える広場に到着。

午後 北町の御旅所に到着。
 ■2日
午後 北町の御旅所より出発し、19:00に都農神社に着く。 
太鼓台=明治4年(1871)、都農神社が国弊大社となったことを祝い、当時、港町として栄えていた美々津の太鼓台を参考に北町で製作されたと云われている。掛声は「「チョーサイナ、ソーラヤレ」。
獅子舞=香川県出身の多い松原地区が香川の獅子舞を奉じる
もともと例祭(11月5日)と冬祭(12月4日・5日)とは別々だったが、昭和22年に合同。冬祭りは宝暦9年(1759)に始まる。
現在は4日に前夜祭・宵祭で夜神楽奉納。5日が本祭であり、神楽、弓道となる四半的大会 など。神輿は安置されている。
寺迫 菅原神社 旧・11/16 奴踊り 寺迫奴踊り保存会
寺迫奴踊り=江戸時代以前に上方より伝わったと云われる。踊りとともに音頭も地区の青年達によって引き継がれている。
  【都農の郷土芸能】
篠別府棒踊り=長さ六尺(3.3m)の棒を持って踊る。四人棒・六人棒・十二人棒がある。
 新富町
越馬場(富田東一丁目43) 富田八幡神社 2/17(毎年) 富田神楽
7/29、30(毎年) 子供神輿2基
太鼓台1台
富田神楽
宮之首 厳島神社 旧・8/15(毎年) 元禄坊主踊り 町指定無形民俗文化財
元禄坊主踊=町指定無形民俗文化財。大字三納代の宮之首・平伊倉・矢床・奥の4地区を中心に伝えられる踊り。明治中期に宮之首の人々が、上日置の人から習い覚えたと伝えられる。
 その後中断していたが、昭和8年に吉岡喜通が鬼付女地区に習い復活させた。
昭和30年代にも一度中断したが、40年代に入って地区青年たちが復活させ、以来保存に努めている。
嫁女と奴が仲良く踊っているところに、坊主が割って入って邪魔をするという物語性をもった踊りである。

 踊り手は、奴、嫁女、坊主の3人1組にした5組、総数15人。うたい手は1人、太鼓1人、拍子木1人。踊りは1番から13番まであり、演技は30分かかる。
新田 新田神社 2/17(毎年) 新田神楽、太々神楽
7/27、28(毎年) 新田神楽、太々神楽
新田(にゅうた)神楽=春の大祭で33番が奉納されるほか、旧新田村の各地区の秋祭りや古墳祭などで奉納される。
新田字春日 春日神社 旧・6/14(毎年) だごおつや
11/15 新田神楽
団子お通夜(だごおつや)=麦作の収穫記念祭である。各戸が手づくりの団子(竹皮ダゴ・サルカケダゴ・芋ダゴなど10種以上)を鎮守の春日神社に奉納する。19時頃より神饌として献納、つづいて神事を営み、地区民の大祓えが行われる。撤饌の後は集会場に場を移し直会をする。夜半にまで及ぶので団子お通夜と呼ばれる。
湯之宮 湯之宮神社 11/8 棒踊り 町指定無形民俗文化財
湯之宮棒踊り=町指定無形民俗文化財。湯之宮地区には明治20年頃、近隣の宮崎市佐土原町や町内の今町地区から伝えられたと云われる。戦後は廃れるが、昭和49年に湯之宮地区が「人づくり運動モデル地区」に指定されたことから、地区の青壮年部を中心に棒踊りを復活させた。
踊りは踊り手4人1組の6組24人、音頭2人、鐘3人、太鼓1人の30名より成る。服装は、浴衣にたすきがけ、手甲と脚半をつけ、頭には鉢巻きと毛がらしを着ける。用具は六尺棒と剣、木刀を用い、踊りは「六人立」「切りまぜ」「棒踊り」の3種類がある。
三納代 三納代八幡神社 2/17(毎年) 三納代神楽
日置2947 紀伊神社 2/17(毎年) 神楽
 【古墳祭】
207余基の古墳が点在する新田原古墳群の中心地に祭典場を設け、新田神楽を奉納し、先祖の霊を慰め敬う。
 西米良村
村所字鶴 村所八幡神社 12/3土曜(元・18) 村所神楽
村所神楽保存会
33番奉納後、古式の猪狩りの様子を再現した、「狩面(シシトギリ)」を真っ黒なお面を付けた猟師が舞うのが特徴。村所公民館にて。
村所字狭上 狭上稲荷神社 12/上旬土曜(元・2) 狭上(さえ)神楽 村所神楽保存会
19:00〜翌朝7:00。夜神楽33番奉納。狭上稲荷神社境内にて。
横野 横野産土神社 12/12頃の土曜(4年毎) 横野神楽 19:00〜。横野活性化センターにて。
越野尾134 児原稲荷神社 12/1土曜(元・8) 越野尾神楽 越野尾神楽保存会
19:00〜翌朝7:00。夜神楽33番奉納。児原稲荷神社境内にて。
小川 小川米良神社 12/2土曜 小川神楽 小川神楽保存会
19:00〜翌朝7:00。夜神楽33番奉納。小川米良神社神楽殿にて。
竹原字春平 竹原天満宮 12/4土曜(隔年) 竹原神楽 村所神楽保存会
19:00〜翌朝8:00頃。夜神楽33番奉納。竹原公民館にて。
上米良 本山矢村神社 12/2土曜(4年毎) 上米良神楽 19:00〜。上米良多目的集会施設にて。
板谷字上板谷 山之神神社 12/中旬土曜(隔年) 神楽休止?
西米良村には、戦前まで剣舞をはじめ、団七踊りなどの多くの芸能が活発に伝承されていたが、戦後途絶えてしまった。
ただし昭和初期に須木村に剣舞が伝えられ今も演じられる。

                    中部⇒宮崎市、西都市、日南市、串間市
                        東諸県郡〔綾町、国富町〕
                        児湯郡〔川南町、木城町、高鍋町、都農町、新富町、西米良村〕

                    北部⇒延岡市、日向市
                         東臼杵郡〔門川町、諸塚村、椎葉村、美郷町〕
                         西臼杵郡〔高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町〕

                    西部⇒都城市、小林市、えびの市、北諸県郡〔三股町〕、西諸県郡〔高原町〕

                    南部⇒日南市、串間市