沖縄県

 ≪中部地方[中頭地方]

沖縄市、浦添市、宜野湾市、うるま市、読谷村、嘉手納町、北谷町、北中城村、中城村、西原町

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 沖縄市
自治会は越来、城前、照屋、安慶田、室川、住吉、嘉間良、八重島、センター、胡屋、中の町、園田、諸見里、山内、山里、久保田、南桃原、東、宮里、吉原、松本、明道、知花、登川、池原、古謝、高原、大里、東桃原、比屋根、与儀、泡瀬、泡瀬第1、泡瀬第2、泡瀬第3、海邦町
 【沖縄全島エイサーまつり】(公式HPへ
8月下旬または9月上旬、15:00〜21:00開催。場所:コザ運動公園陸上競技場。スタンド席は有料。主催は沖縄全島エイサーまつり実行委員会。2014年で59回を数える。
1956年、コザ市・エイサーコンクールが始まり。第22回(1997年)からは沖縄全島エイサーまつりとして開催されるようになった。
■初日(金曜)
道じゅね(18:20〜21:00)胡屋十字路周辺
■中日(土曜)
沖縄市青年まつり(15:00〜21:00)コザ運動公園陸上競技場
■最終日(日曜)
全島エイサーまつり(15:00〜21:00)コザ運動公園陸上競技場
フィナーレのカチャーシーで会場一体になり、締めは花火である。
獅子舞=旧暦8月15日か旧盆後の吉日に行われる。
豊年祭の一番目の演目で登場し、座を清め邪気を払う役目を果たし、豊年祈願や無病息災を願って舞う。
市内では諸見里、胡屋、仲宗根、古謝、大里、与儀、知花、池原などで行われている。
ウシデーク=旧暦の8月15日や旧盆後の吉日。豊年祈願と感謝の奉納舞踊として継承され知花、池原、登川、越来、旧上地、山内などで行われる。
音取り(ニートゥイ)と呼ばれる鼓(チヂン)を持った年長者を先頭にして円陣を組み、ゆったりと踊る。
チョンダラー=県指定無形文化財。旧暦9月9日過ぎの最初の土曜または日曜。門付芸能のひとつで、京都を中心に発生した祝儀芸が沖縄に伝播したもので、現在は沖縄市の泡瀬と宜野座村の二カ所のみに残っている。かつては沖縄各地の士族屋敷や村落を訪ね披露されていた。
 ■エイサー=市内37自治会中、青年会(エイサー)は26団体ある。
 ≪北部地区≫
  ⇒池原、登川、知花、松本、明道、米軍施設・区域
池原青年会=戦前より踊られている型を変えることなく継承。全体的に、スローテンポでシンプルな演舞が特徴。鉦を打ち鳴らしながら踊る「ケンケナー」は、沖縄市では当青年会でしか踊られていない。

登川青年会頭の上を回すバチさばきとスローテンポの汀間当から佐敷節へと変わるアップテンポが特徴。

知花青年会=明治期は地域をメーンダカリ、シリンダカリの2つの区域に分かれエイサー、綱引きが行われていたが、大正期からは知花を二分することは無くなった。
曲目は「仲順流り、久高節、スーリ東、テンヨー節、いちゅび小節、海のチンボーラ、谷茶前、あやぐ、唐船ドーイ」。

松本青年会=戦前より行われていた。
「沖縄育ち」、「ケーヒットリ節」、「戻り駕籠」など、松本独自の曲目も多い。

明道=大正初期にはあったらしい。1980年代後半より中断。
 ≪中部地区≫
  ⇒美里、東、宮里、吉原、越来、城前、照屋、安慶田、室川、住吉、嘉間良
美里青年会昭和21年(1946)に西原から美里に改称。
明治39年(1906)の新聞記事に、物産品評会の余興でエイサーを披露したとあるので、これ以前から踊られていたと思われる。


東青年会=東区は昭和53年(1978)に美里6班から分離独立した。
青年会は自治会発足15周年にあたる平成4年(1992)に発足。その時に行われたイベント収益金20万円で、エイサーの太鼓を購入し、翌年からエイサーをした。
美里の仲原エイサーから学び、仲原エイサーを継承している。

宮里=明治30年代には行われていた。戦後は昭和26年(1951)4月に宮里青年会が発足したが、1977年ころより行われていない。

吉原=字美里と宮里地域に特飲街として発展。昭和32年(1957)7月に分離独立した。

越来青年会=起源は不詳だが、明治40年(1907)9月の新聞記事に、物産品評会の余興でエイサーを披露したとあるので、これ以前から踊られていたと思われる。
曲目は
「寄師事る、七月エイサー、久高マンジュー主節、スンサーミ、トゥータンガニー節、前田節、坂原口節、アヤグ、テンヨー節、スーリ東節、通い船、いちゅび小節、唐船ドーイ など」。

城前青年会⇒昭和32年(1957)、越来、照屋の各一部が合併、独立した行政区で、区誕生5周年の祝賀会でも演じられていないので、この年以降に行われてと思われる。
当青年会は休止、復活を繰り返しているらしい。

照屋青年会=昭和10年頃にはすでに行われていた。
曲目は「南獄節、仲順流り、久高マンジュー主、スンサーミ、トゥータンガーニー、テンヨー節、いちゅび小節、スーリ東豊節、海ヤカラ、唐船ドーイ など」。


安慶田青年会=大正前期は手踊りが主体で、大太鼓一人と男手踊りのみで構成。1970年頃に「いちゅび小節」を演舞に取り入れ、越来エイサーより「テンヨー節」の振りを継承。大太鼓の力強い踊りと、締太鼓の息の揃ったバチさばきが特徴的。空手の型を取り入れた男手踊りと、しなやかで美しい女手踊りも見所。

室川青年会⇒1949年行政区誕生。
=青年会は1950年頃成立。

曲目は「生まり島、仲順流り、久高節、スンサーミ節、越来ヨー節、いちゅび小節、トゥータンガーニー節、豊節、サフエン節、三重城、あやぐ節、唐船ドーイ 等」。

住吉青年会=昭和34年(1959)7月1日、住吉は室川から分離・独立し、その年に青年会が誕生。
室川エイサーは米軍に土地を接収された嘉手納町千原・北谷町国直・吾富士などの集落のエイサーを統合して出来たものである。
1980年代に一度活動を中断、1999年に復活。

嘉間良青年会=1955年にコザ区青年会発足と同時にエイサーが再開。平成元年(1989)に名称変更。
 戦前は集落(約32戸)でメーグミ、イリグミ、アガリクミの3組からなっており、旧盆にはその3組を13日、14日、15日の3日間に分け、組で最も大きな家を借り、そこを演舞場として演じられた。
 ≪東部地区≫
  ⇒泡瀬、泡瀬第一、泡瀬第二、泡瀬第三、古謝、東桃原、大里、高原、比屋根、与儀、海邦町、新港地区、東部海浜地区、米軍施設・区域
泡瀬(泡瀬2−3−26)=戦後、土地が米軍用地として接収されたため、もともとの住民は近隣の古謝や桃原などに分散して居住せざるをえなかった。
その後、米軍用地の一部返還や、昭和61年に始まった泡瀬土地区画整理事業などにより、泡瀬に住居を求める人が増え、沖縄市の中心地となる。

泡瀬第一(桃原3−16−14)=戦後住居を失った泡瀬の人達が桃原に移って出来た集落で、美浦と呼ばれた。 戦後まもなくの頃は村役場、郵便局、配給所などがあり、美里村行政が開始された場所でもあった。その後新しく埋め立てられた泡瀬第三自治会や、土地区画整理事業を行った泡瀬自治会など他区域に転出する人が増え閑静な自治会へと変貌した。

泡瀬第二(古謝906)=戦後まもなく居住地を米軍用地として接収された泡瀬の人達が古謝に移り農地を開拓して出来た集落

泡瀬第三青年会(泡瀬5−19−1)=集落が大きいので5区に分かれていたが、青年会は1つだった。
終戦後、集落が米軍施設に接収された。
区域は元々海だったところを、昭和35年から昭和41年にかけての埋め立て工事によってできた土地に、主に泡瀬周辺の桃原や古謝などに住んでいた泡瀬の人達が移り住んで出来た新興住宅地で、自治会のスタートは昭和47年にさかのぼる。
オリジナル曲は「泡瀬、泡瀬蓬莱節」など。

古謝(古謝128)=昔は獅子舞や大綱引きなどの伝統行事もあった。
エイサーは戦前より行われていた。青年会は無いがエイサーはしているらしい。


東桃原(桃原66)=元・美里村の桃原。1982年名称変更。
子供エイサーあり。青年会は1970年代後半に消滅。

大里
青年会(大里2−13−25)=起源は不詳だが、昭和初期には行われている。
男性のみのエイサー。
鎌や鍬を使う動作を取り入れるなど、農作業をイメージした型が特徴。また随所に空手の型が入り、手踊りがオリジナル。

高原
青年会
高原4−5−40)=戦前よりあるが、起源は不詳。
曲目は「「かたみ節、仲順流り、久高節、崎山節、今帰仁節、海ヤカラ、あやぐ、いちゅび小節、テンヨー節、唐船ドーイ など」。


比屋根青年会(比屋根53−1)=軽やかな動きの太鼓踊りと、舞踊の型を取り入れた手踊りが特徴。
大正時代には複数の鉦と銅鑼を用いた手踊りが主体だったが、金武町屋嘉や北谷町謝苅のエイサーを取り入れ、軽やかな動き独自の型を継承している。

与儀(与儀154)=手踊り中心のエイサー。

海邦町(海邦2−14−11)=泡瀬第三自治会と泡瀬第二自治会の外側の海岸を埋め立てて出来た新興の自治会。
自治会が結成されたのは平成9年。

 ≪西部地区≫
  ⇒八重島、センター、胡屋、園田、中の町、諸見里、久保田、山里、山内、南桃春
米軍施設・区域
八重島青年会=昭和25年(195092月頃各地から八重島に人々が寄り集まり、米兵相手の特飲街が形成された。
2006年、約25年ぶりにエイサー復活。
以前は婦人会が中心になり、旧盆前に公民館広場に櫓を建てて、子供・学生も交えてエイサーや盆踊りを行った。


センター=昭和26年(1951)9月、八重島より分離独立。
当青年会は休止、復活を繰り返しているらしい

胡屋青年会=明治40年(1907)の新聞に記事がある。

園田青年会=前身は焼廻エイサー。焼廻は屋取集落で、北谷側は大正4年(1915)に、国直として独立。越来側は昭和16年(1941)に西里となるが、
旧越来村西里は嘉手納基地に接収され、戦後園田に移り引継がれた。昭和34年に園田エイサーと改称時に女手踊りも参加するようになる。
女子手踊りは紺地(クンジ―)の絣に手には何も持たないで手踊りを披露する。

中の町青年会2010年復活。地番は上地。
 大正期には上地では既にエイサーが行われていた。基地に接収されていた土地が開放され、中の町が昭和29年(1954)に誕生した。この頃に青年会も結成。
 現在のエイサーは平成8年(1996)の旗スガシのときに行われたOBのエイサーをきっかけに復活。


諸見里青年会=起源は不詳。当初は男だけのエイサーだったが、女のみで演じられていたウスデークが廃止され、男女一緒に踊るようになる。
旗頭には、諸見里に古くから守り神として伝えられている獅子が描かれている。
2009年より旧盆ウークイに、道ジュネーで戦前のエイサーを復活させた。復活したのは1935年ごろから地域にある「バクチャー節、サイヨサイ、チンチクダーチ」の3曲。戦前のエイサーは男女が交互に並び、曲に合わせてフォークダンスのように手を合わせるなどして踊る形である。
曲目は繁昌節から唐船ドーイまでの11曲。勇壮に力強く踊る大太鼓、キレのあるバチさばきの締太鼓、男らしく踊る男踊り、綺麗な女踊りは四つ竹を取り入れた踊りが特徴。


久保田青年会=旧・中城村比嘉が、米軍用地(アワセゴルフ場)として接収され越来村諸見里の久保田原に移住。平成2年(1990)久保田と名称変更。
空手の型を入れて勇壮な形である。

山里青年会山内・諸見里から戦前に分離独立した屋取集落。当時はエイサーが無く、仲原エイサーが来て踊っていた。
米軍に土地を接収された仲原の住民が移り住み。仲原出身の人の指導で昭和23年(1948)に始まる。
踊り手を男性のみで構成し、随所に空手の型を取り入れるなど、力強くダイナミックな動きが特徴。


山内区青年会=他ではあまり使われていない曲「花笠」、「谷茶テール」、「汀間当」など12曲で構成されていて、テンポの移り変わりの激しさ、大太鼓の力強さと締太鼓のバチさばきに加え女子の手踊りが見所。

南桃原青年会=昭和31年(1956)に桃原区として独立するまでは行政区は山里で青年会も山里に属していた。独立後に結成された青年会が主体にエイサーを踊った。
オリジナル曲は「南桃原間切り」。全曲本調子で曲間に切れ目がなく、スローテンポから次第に激しさを増す演舞が特徴。
 【コザエイサーまつり】
7月下旬、コザ中学校グラウンドで開催。主催はコザエイサーまつり実行委員会。コザ中学校区内の3青年会(園田青年会、胡屋青年会、中の町青年会)を中心に実行委員会を結成し開催している。2014年で3回を数える。
 【風山祭】
7月下旬、15:30〜21:30開催。場所:山内中学校(山内2−20−1)。主催は沖縄市観光協会。2014年で15回を数える。
沖縄市立山内中学校の校区の5つの青年会〔南桃原青年会・山内青年会・諸見里青年会・山里青年会・久保田青年会〕で結成された風山の会が主催の祭り。
山内学区の青年会とゲストの青年会によるエイサー祭り。
 【あがりな〜ざとエイサーまつり】
7月中旬、16:00〜21:00開催。場所:宮里中学校グラウンド。主催はあがりなーざエイサーまつり実行委員会(東自治会・東青年会)。2014年で10回目を数える。
沖縄市東自治会・東青年会が主催する、まさに地域に根付いたエイサーまつり。
沖縄市内青年会や市外青年会がエイサーを披露するほか、婦人会の演舞や地元マーチングバンド演奏やライブもあり、最後はカチャシー、花火でしめる
 【沖縄市港まつり・東部まつり】
9月中旬開催。場所:泡瀬漁港周辺。地域の自治会[11自治会=古謝、高原、大里、東桃原、泡瀬、泡瀬第一、泡瀬第二、泡瀬第三、海邦町]、学校、保育園などによる集団演舞や青年会などのエイサー、花火ショーなどが行われる。
主催は沖縄市東部まつり実行委員会(市東部自治会連絡会、市漁業協同組合、泡瀬復興期成会)。
2003年より始まる。
■土曜(13:00〜21:00)
 団体演舞、舞台演舞、自衛隊音楽隊、琉球国祭り太鼓、中城海上保安部巡視船『くにがみ』体験航海 など。
■日曜(13:00〜21:00)
 団体演舞、舞台演舞〔フラダンス、歌謡ショー、フラメンコ、ミニライブ など〕、京太郎、各青年会[泡瀬、高原、大里、比屋根、海邦町]の青年会エイサー、創作太鼓、花火
※港まつり
(8:30〜)泡瀬ビジュル奉納のジーバーリー、竜宮神へのウガンが行われ、漕ぎ手36人が漁港まで道ジュネー。
(10:00〜)東、中、西の3隻のハーリー船[小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち
]に分かれ、力強い漕ぎで「エイ」の掛声をかけながら漁港の湾内を2周し、まつりの成功と航海の安全、大漁を祈願。儀式が終わると三隻が勢いよく櫂を漕ぎ出し、競漕する。
 【港まつりin泡瀬ハーリー競漕】
1996年、第1回港まつりIN泡瀬の成功を祈願する「御願バーリー」が行われ、20年ぶりに泡瀬ハーリーが復活した。
主催は港まつりin泡瀬実行委員会(沖縄市、沖縄市漁協、琉球新報社)。8月最後の日曜(隔年)開催。
やがて東部まつりと一体となり、沖縄市港まつり・東部まつりとなる。
 【米軍による廃村】
1945年4月の米軍上陸とともに一帯は接収され、嘉手納飛行場が建設された。

大工廻(だくじゃく)=越来間切の中でも最大の面積を誇り、山林原野の広がる地域だった。
2009年、「大工廻誌〜基地に消えた古里〜」(大工廻郷友会編集)が発刊され、昔のことが窺える。

御殿敷=大正6年に大字大工廻より分離し成立(ただし地籍は未分離)。完全に独立したのは戦後らしい。
かつては琉球国王尚家所有の山林であったが、大正初期に製糖会社に譲渡。住民は小作農として就労した。

森根昭和15年に大字大工廻より分離し成立(ただし地籍は未分離)。完全に独立したのは戦後らしい。

嘉良川(からかわ)=屋取部落。大字としては戦後に成立。戦後は全域が嘉手納基地として接収。コザ市史によると、集落の土地は平坦で農業に適していたという。

倉敷=集落の起源は、廃藩置県後に首里や那覇から具志川に移住してきた下級武士が開墾を始めた。
現在、約9割の元住民が沖縄市を中心に生活。
 資料や「倉敷の碑」などによると、昭和20年の空襲の際に住民が疎開。空襲後に米軍が駐留したため、住民は帰ることができなかった。さらに戦後はに接収され嘉手納弾薬庫となる。昭和36年には米国民政府琉球水道公社により水道専用ダムの瑞慶山ダムを建設。集落の土地は水底に沈み、帰郷は事実上不可能になる。
その後旧瑞慶山ダムの下流に多目的ダムを建設。1982年にダム事業が始まり1989年3月に着工され1995年2月13日に完成。このダムを倉敷ダムと命名。
昭和58年には貯水池が軍用地から返還。湖面周辺は沖縄県、ダム湖を取り巻く丘陵地はほぼ全域が嘉手納弾薬庫のため立入りが制限されている。

 浦添市
集落は安波茶(あはちゃ)、伊祖(いそ)、伊奈武瀬(いなんせ)、西洲(いりじま)、内間(うちま)、大平(おおひら)、経塚(きょうづか)、城間(ぐすくま)、勢理客(じっちゃく)、沢岻(たくし)、当山(とうやま)、仲西(なかにし)、仲間(なかま)、西原(にしはら)、前田(まえだ)、牧港(まきみなと)、港川(みなとがわ)、宮城(みやぎ)、屋富祖(やふそ)
 【自治会リスト】自治会、住所、参考地番の順
仲間自治会(仲間2−35−2):仲間・安波茶・伊祖
浦添ハイツ自治会(仲間1−15−8):仲間・伊祖
  ⇒平成9年4月1日設立。
安波茶自治会(安波茶2−7−1):安波茶
浦添ニュ-タウン自治会(安波茶1−13−9):安波茶・大平
 ⇒昭和47年(1972)設立。
伊祖自治会(伊祖3−35−6):伊祖・牧港・港川・城間
浅野浦自治会(伊祖1−25−2):仲間・伊祖・城間
 ⇒昭和51年12月12日創立。
牧港自治会(牧港1−4−6):牧港
牧港ハイツ(牧港3−17−13):牧港
 ⇒昭和49年結成。
上野自治会(牧港5−19−2):牧港
 ⇒1981年4月30日認定。以前はまちなと自治会と称した。
安川団地自治会(牧港3−30−8):牧港
 ⇒平成2年設立。子供エイサーあり。
マチナトタウン自治会(牧港4−1−15):牧港
 ⇒牧港4丁目が範囲。県営牧港団地290世帯と団地外25世帯からなる。
浦添市街地住宅(牧港1−59−1):牧港
 ⇒昭和60年建築の高層住宅。
港川自治会(港川326):牧港・港川・城間
港川崎原自治会(港川577−4):港川・城間
 ⇒昭和62年改称。以前はマチナトポイント自治会と称した。
緑ヶ丘自治会(港川1−6−8):伊祖・牧港・港川
 ⇒昭和47年1月設立。
城間自治会(城間1−9−1):伊祖・城間・屋富祖
 ⇒米軍に接収されたため、集団移転。
屋富祖自治会(屋富祖3−1−1):屋富祖・宮城
宮城自治会(宮城2−22−3)宮城・屋富祖・仲西
仲西自治会(仲西1−3−11):宮城・仲西・小湾
小湾自治会(宮城6−13−1):宮城6丁目・内間1丁目の一部・大平2丁目
勢理客自治会(勢理客2−19−20):勢理客・小湾・内間
内間自治会(内間3−15−1):内間・沢岻
沢岻自治会(沢岻1−31−1):沢岻
県営沢岻高層住宅(沢岻2-18-1):沢岻
経塚自治会(経塚1−17−1):沢岻・経塚
県営経塚団地自治会(経塚560):経塚
 ⇒昭和61年建設。自治会としては平成19年設立。
前田自治会(前田1−28−7):仲間・前田
前田公務員宿舎自治会(前田1−55−23):前田
 ⇒9月中旬に団地まつりあり。
浦添グリーンハイツ自治会(前田862−219):経塚・前田
 ⇒1974年開発。1976年5月設立。
西原一区自治会(西原4−11−8):西原
西原二区自治会(西原4−11−8):西原
 ⇒1区・2区合同で自治会活動をしている。8月に西原大綱引きに出る。
当山自治会(当山2−37−6):当山
 ⇒大正5年(1916)仲間・伊祖・西原の本字より分離独立。
当山ハイツ自治会(当山2−19−15):当山・西原
 ⇒昭和49年発足。昭和63年4月1日正式認可。
大平自治会(大平1−15−5):仲間・安波茶・伊祖・屋富祖・経塚・大平
広栄自治会(西原3−8−2):西原
曜迎橋自治会(西原5−12−6−103):西原・前田
 ⇒平成21年(2009)4月1日創立。
浦西自治会(西原6−22−1):西原
茶山自治会(仲間3−4−1):仲間
 ⇒昭和45年5月設立。県内第一号の団地。
浦城自治会(城間4−9−8=奥浜アパート1階):港川・城間
 ⇒昭和45年頃設立。
神森自治会(仲西3−11−6):仲西・勢理客
 ⇒1984年、仲西自治会より独立。
 ■十五夜まつり
勢理客の獅子舞
=国指定民俗芸能。旧暦8月15夜に公民館で演じている。獅子舞。

仲西豊年祭
=旧暦8月15日。会場は公民館。一時期、継承者不足で仲西小、中学校の生徒が獅子舞を演じていたが、2005年に仲西地区の青年会が新たに演技の担い手となった。

内間=旧暦8月15日の十五夜祭。会場は公民館。獅子舞・棒術保存会により獅子舞が演じられる。同区の獅子は雌獅子で芸は7種類。
また棒術や内間小学校の児童らの太鼓、公民館で活動する婦人会による琉舞が披露される。


安波茶=戦前には獅子舞、村芝居をした。

前田=獅子舞あった。現在は?

沢岻=獅子舞は戦前にはあった。
 ■エイサー
仲間区青年会
=市内で最初に男の手踊りを取り入れた。
構成は地謡、旗頭、大太鼓、締太鼓、女手踊り、男手踊り、ちょんだらー。
演目は「仲間節・エイサー節・久高・花の風車・スンサーミー・スーリー東・サフエン・ギークヨー・クヌブンギー・唐船ドーイ 等」。

屋富祖青年会
=2013年、36年ぶりに復活。

浅野浦青年会
=2000年設立。構成は地謡、旗頭、大太鼓、女手踊り、締太鼓
演目は「南獄節・仲順流り・久高・スンサーミー・トゥータンカーニー・テンヨー節・いちゅび小節・かたみ節・花の風車・朝野浦節・唐船ドーイ
」。

牧港青年会
=詳細不祥。

城間青年会
=構成は地謡、旗頭、大太鼓、締太鼓、女手踊り、ちょんだらー。
演目は「仲順流り・久高・花の風車・いちゅび小節・テンヨー節・唐船ドーイ」。

西原青年会=構成は地謡、旗頭、大太鼓、締太鼓、女手踊り、ちょんだらー
演目は「仲順流り・久高・南獄節・かよい船・いちゅび小節・めでたい節・花の風車・唐船ドーイ
 等」

経塚青年会
=詳細不祥。

舜天雅エイサー団
=地元の地域を持たない若者で結成。浦添市ハーモニーセンターが拠点。

浦西青年会
=当初は山原の型だったが、現在は沖縄市山里青年会の流れを組む。

内間青年会
=1992年再結成。構成は地謡、旗頭、大太鼓、締太鼓、女手踊り、ちょんだらー。
曲目は「花の十五夜遊び・仲順流り・久高万寿主・花の風車・あやぐ・テンヨー節・いちゅび小節・安里屋ユンタ・唐船ドーイ 等」。


勢理客青年会
=構成は地謡、旗頭、大太鼓、締太鼓、女手踊り、男手踊り、ちょんだらー。
曲目は「歌の泉・豊節・仲順流り・久高・ダイサナジャー・いちゅび小節・テンヨー節・唐船ドーイ 等」。  
 ■綱曳き=旧暦6月25日に行われる。
仲間=詳細不祥。

城間
⇒城間松明(テービー)大綱引。
10月下旬、18:00〜開催。泉小公園及び周辺地域(サンパーク通り)。主催は城間テービー保存会。協催は城間自治会。後援はサンパークてだこ通り会。
綱引きの前には、子供会や、住民がエイサー、空手演武、婦人ガーエーなど多彩な出し物を披露。
 昭和19年までは旧暦6月25日に前村渠(メンダカリ)「3・7・8・9・10の番組」雌綱と後村渠(シンダカリ)「1・2・4・5・6の番組」雄綱に地区分けされ村の中道で行われた。
平成4年に復活した。
 

内間=2001年、66年ぶりに復活。昔から内間の集落では東西に分かれて綱引きを行っていたが、戦前から途絶えていた。そこで青年会は、2001年が再結成されて十周年に当たるため、記念事業の目玉として綱引きの復活させた。

前田=詳細不祥。

西原
=戦前は旧暦6月25日に行われたが、現在では他の自治会より綱を購入しているので、その翌週もしくは翌々週の日曜である。
雄綱が1区自治会(アガリンダカリ)、雌綱が2区自治会(イリンダカリ)に別れて行う。
特勇壮な綱マチと、地面にたたきつけながら綱を引く(たたき綱)というスタイルで、短時間で決着することが特徴である。

安波奈=戦前は旧暦6月25日に行われた。
 【うらそえ青年祭】
9月下旬。15:30〜開催。場所:浦添運動公園陸上競技場。主催は浦添市青年連合会。2014年で13回を数える。
エイサーの演舞。加盟団体は仲間区青年会、屋富祖青年会、浅野浦青年会、牧港青年会、城間青年会、西原青年会、経塚青年会、舜天雅エイサー団、浦西青年会、内間青年会、勢理客青年会。
 【文武祭】
9月初旬、17:00〜、浦西中学校校庭で開催。主催は文武祭実行委員愛、浦西青年会、にしばる青年会、当山青年会。“文武両道の花咲く浦西中”とスローガンに則り命名した。2014年で4回を数える。
浦西中学校区の青年によるエイサー。
 【廃村】
小湾(こわん)=牧港補給地区内にあった集落。戦後軍用地として土地が接収され、小湾住民は宮城に移住した。

 宜野湾市
集落は愛知(あいち)、赤道(あかみち)、安仁屋(あにや)、新城(あらぐすく)、伊佐(いさ)、上原(うえはら)、宇地泊(うちどまり)、大謝名(おおじゃな)、大山(おおやま)、嘉数(かかず)、我如古(がねこ)、神山(かみやま)、宜野湾(ぎのわん)、喜友名(きゆな)、佐真下(さました)、志真志(しまし)、長田(ながた)、中原(なかはら)、野嵩(のだけ)、普天間(ふてんま)、真栄原(まえはら)、真志喜(ましき)。
市域の多くを普天間基地、キャンプ瑞慶覧が占めている。
 【自治会リスト】自治会、住所、参考地番の順
野嵩1区自治会(野嵩2−21−1):野嵩
野嵩2区自治会(野嵩3−16−2):野嵩
野嵩3区自治会(野嵩4−18−1):野嵩
普天間1区自治会(普天間1−19−1):普天間
普天間2区自治会(普天間1−4−1):普天間
普天間3区自治会(普天間2−10−1):普天間
新城区自治会(新城2−29−1):新城
喜友名区自治会(喜友名2−16−7):喜友名
伊佐区自治会(伊佐4−1−11):伊佐
大山区自治会(大山6−34−1):大山
真志喜区自治会(真志喜1−4−10):真志喜
宇地泊区自治会(宇地泊210):宇地泊
大謝名区自治会(大謝名5−10−1):大謝名
嘉数区自治会(嘉数3−2−22):嘉数
嘉数ハイツ自治会(嘉数4−24−11):嘉数
真栄原区自治会(真栄原3−5−13):真栄原
我如古区自治会(我如古1−36−12):我如古
長田区自治会(長田4−4−11):長田
宜野湾区自治会(宜野湾1−22−24):宜野湾
愛知区自治会(愛知2−6−1)=元・19区。平成24年(2012)名称を変更。
中原区自治会(赤道1−18−1):赤道
上大謝名自治会(大謝名2−26−7):大謝名
大謝名団地自治会(大謝名5−25−1):大謝名
普天間1−27−10 普天満社公式HPへ 旧9/15 神賑 琉球8社の1つ
大謝名区自治会豊年祭=獅子舞は旧暦8月15日の夜に部落道の要所と公民館前広場で開催。
戦前は7月15日と8月15・16日も行われていた。永らく休んでいたが昭和51年に33年ぶりに復活。
  古典音楽演奏で幕を開け、獅子舞保存会の青年らが区に伝わる棒と厄除けの獅子舞を披露。
  老人クラブや婦人会による踊りも披露され、青年会のエイサーに続いて、最後はカチャーシー。
普天間獅子舞=旧暦7月13&15日と8月15日に舞う。
 【宜野湾の大綱引き】
 戦前まで宜野湾では多くの字で主に旧暦の6月15日のウマチー、中には25日のカシチーに綱引きが行われていた。戦後米軍基地に接収されて村落が移動したなどの理由から、戦後続けられているのは大山と真志喜だけであった。2007年にじのーん綱引きも出来た。
宜野湾じのーん綱引き=主催はじのーん綱引き実行委員会。
2007年、66年ぶりに復活。4年に1度行われる。場所は沖縄国際大学グラウンド。
南の前村渠(メンダカリ)、北の後村渠(クシンダカリ)に分かれ綱引きを行う。
大山大綱引き=昭和40年(1970)復活。場所は大山小学校運動場。メーンダカリ(現在の1班から6班)とクシンダカリ(7班から12班)に分かれている。
 メーが雄綱で旗頭の文字は「和気満堂」、クシは雌綱で旗頭の文字は「協力一致」。

15:00に道ズネーは旧公民館跡地を出発。大綱引き終了後、アームレスリング大会もある。
真志喜大綱引き=旧6/15前後の日曜(7月中旬)18:00〜。場所:コンベンション通り。婦人会の踊りや子供のエイサーのメーモーイも行われる。
メーが雄綱、クシが雌綱を担当しているが、最近ではメー、クシ関係なく参加しているという。
 旗頭には笹がつけられ、メーが片刃の矛で文字は「躍進」、クシが三つ又の矛で文字は「豊年」。
 【宜野湾市青年エイサー祭り】
旧盆の翌々週開催。会場:宜野湾市民広場(宜野湾市役所前広場)。2013年で17回を数える。
宜野湾市は20行政区あるが、宜野湾市青年連合会加盟13団体が出場。入場無料。主催は宜野湾市青年エイサー祭り実行委員会。
【普天間中学校区】野嵩三区青年会、普天間一区青年会、普天間三区青年会、新城区青年会、喜友名区青年会。
【真志喜中学校区】伊佐区青年会、大謝名区青年会。
【嘉数中学校区】嘉数区青年会、我如古区青年会、宜野湾区青年会。
【宜野湾中学校区】長田区青年会、十九区青年会、中原区青年会。
が集い、2日間に渡り各地域の特色あるエイサーを披露する。最後は花火。
野嵩三区青年会=詳細不詳。
普天間一区青年会
=北谷エイサーを導入したが始まりらしい。
普天間三区青年会
=詳細不詳。
新城区青年会
=締太鼓と大太鼓が主体。

喜友名区青年会=詳細不詳。
伊佐区青年会=詳細不詳。

嘉数区青年会=平成12年、エイサー復活。十九区青年会の指導を受けた。
曲目は「仲順流り、久高、花ぬ風車、テンヨー、スーリ東、いちゅび小、唐船ドーイ 等」。

我如古区青年会=詳細不詳。

宜野湾区青年会
=1965年頃、具志川市の赤野青年会より取り入れる。
演目は「秋の踊り(入場曲)、仲順流り、久高、南獄節、港節、スーリ東、あやぐ節、汗水節、沖縄育ち、ダンク節、十七八節(隊形変化)、デイゴ音頭、豊節、生まり島、島めぐり、四季口説(退場曲)」。

長田区青年会=演目は「長田節、仲順流り、久高、テンヨー、いちゅび小、ましゅんく、花笠、谷茶前、あやぐ、踊りクハディーサー、南嶽、花ぬ風車、唐船どーい 等」。

愛知(十九区)青年会=1963年、行政区再編で神山と愛知が合併したが、名称をめぐり互いが譲らず仮称「19区」となった。2012年4月、49年ぶりに愛知区に変更された。
ちなみに神山は普天間飛行場建設で集落のほとんどが接収され移転した。
=演目は「
十五夜あしび、仲順流り、久高まんじゅう主、花ぬ風車、テンヨー、スーリ東、サフエン節、唐船ドーイ 等」。


中原区青年会
=詳細不詳。
野嵩1区自治会=2006年まで青年エイサーあり。現在は子供会のエイサー。
野嵩2区自治会
子供会のエイサー。
宇地泊区自治会
=2007年まで青年エイサーあり。現在は子供会のエイサー。
大謝名区自治会=2009年まで青年エイサーあり。伊佐区青年会からエイサーを習った。現在は子供会のエイサー。
真志喜区自治会=元々青年エイサーが無い。
上大謝名自治会=元々青年エイサーが無い。
大謝名団地自治会=旧盆に子供エイサー。道じゅねも
 【宜野湾はごろも祭り】
8月上旬開催。場所:宜野湾海浜公園とその周辺(コンベンション通り、歓海門通り、野外劇場)。
主催は宜野湾はごろも祭り実行委員会(宜野湾市観光振興協会内)。2014年で37回を数える。

宜野湾市の真志喜の湧泉「森の川(ムイヌカー、ムンヌカー)」で天女が沐浴をしたという羽衣伝説のある場所でその伝説から命名された祭りである。
その羽衣伝説(森の川伝説)の世界を演出した「察度王歴史絵巻行列」、「カチャーシー大会」、「旗頭やエイサーなどの民俗芸能」、「花火大会」などで2日間に渡って盛り上がる。
 【米軍による廃村】
中原=現在は大字の全域が米軍の軍用地で、普天間飛行場内。
「角川」によると、大字中原はもと神山・喜友名各大字の一部。明治期に首里の士族が普天間街道沿いに居住し、農業を営んだのが集落の起源。集落は普天間宮への参道に沿って立地。戦前はサトウキビ・サツマイモなどを栽培。沖縄戦後、全域が米軍に接収。住民は上原・赤道などに移住した。

 うるま市
 平成17年(2005)4月1日、具志川市、石川市、与那城町、勝連町が新設合併し、うるま市が発足する。
 【うるま市エイサーまつり】
8月下旬土日開催。場所はうるま市与那城総合公園陸上競技場。主催はうるま市エイサーまつり実行委員会。
土曜:14:00〜21:00。日曜:14:00〜21:00。両日とも最後は花火。

2007年は21団体参加。
 以前は「具志川青年エイサーまつり」、「石川青年エイサーまつり」、「与那城あやはし祭り」、「勝連祭りinエイサーフェスティバル」がそれぞれ開催されていたものを、2005年の市町村合併に伴い「うるま市エイサーまつり」として統合された。
 【全島獅子舞フェスティバル】
9月下旬か10月上旬、18:00〜。うるま市石川運動場(雨天は石川屋内運動場)で開催。主催はうるま市教育委員会。共催は沖縄タイムス社。
具志川地区には、昔、獅子が住んでいたという獅子山があり、7つの字で獅子舞が保存されている獅子舞ゆかりの地である。ちなみに沖縄全島には150以上の獅子舞があるらしい。
2011年で26回を数える。
 【うるま祭り】
10月中旬土日、具志川総合公園で開催。9:00〜21:00。両日とも20:55〜。花火があがる。
市民意識の高揚と市民相互の親睦と融和を深めるとともに市内各種団体、機関の連帯と協調を密にし、調和のとれた“まちづくり”に寄与することを目的にしている。

闘牛大会やゆかたコンテスト、琉神マブヤーショー、余興王など様々なプログラム。
主催はうるま祭り実行委員会。共催はうるま市。2011年で6回を数える。
祭り闘牛=以前は8大会あったが、市町村合併や経費難などで年々減少し、現在では3大会のみ。石川多目的ドームで開催。
 ■旧・具志川市
集落は赤野(あかの)、赤道(あかみち)、安慶名(あげな)、西原(いりばる)、上江洲(うえず)、宇堅(うけん)、江洲(えす)、栄野比(えのび)、大田(おおた)、兼箇段(かねかだん)、川崎(かわさき)、川田(かわた)、喜仲(きなか)、喜屋武(きゃん)、具志川(ぐしかわ)、昆布(こんぶ)、塩屋(しおや)、州崎(すざき)、平良川(たいらがわ)、高江洲(たかえす)、田場(たば)、天願(てんがん)、豊原(とよはら)、仲嶺(かみね)、前原(まえはら)、みどり町(みどりまち)、宮里(みやざと)。
天願獅子舞=市指定無形民俗文化財。首里城下で御殿奉公をしていた若者が、中国からの冊封使歓待の御冠船踊りの獅子舞を見て魅了され、その演技を習得して郷里へ持ち返ったところ、天願の長老に頼まれ伝授したのが始りだと言われている。戦後三年間(戦災で獅子焼失)の一時期を除いては、 現在に至るまで保存会を中心に保存継承を行っている。
舞い型は獅子舞の前に古来より伝わる「天願棒(でんぐわんぼう)」の棒術で露払いを行い、カリーをつけた後、ワクヤーの童子が踊って獅子を誘いだす。獅子はワクャーを追って飛び出し、激しく身を震わせて舞いはじめ右左に寝返りをうった後、ワクャーが落とした毬と総(みな)とを結んだひもを口にくわえて仁王立になり、一回りする技は、威風堂々として、あたりを圧する。音曲にのせて約十種の技を演じた後、静かに振り返りつつ、未練たっぶりに退場していく獅子の表情と姿が観衆をひきつける。
毎年旧暦の7月16日に天願太郎治の神殿前と祝女殿内の神殿前で踊る。


江洲=1440年代から獅子舞がある。

兼箇段
=獅子舞。
 ■エイサー
赤野青年会
=復帰前のエイサーコンクールで優勝するなど実績のある青年会。本土に初めてエイサーを紹介した輝かしい歴史がある。

赤道青年会=パーランクーから現在の締太鼓へと変化。

安慶名青年会=エイサーは一つ一つの曲に腰を落とした動きがあるのが特徴。

西原青年会、上江洲(うえず)、宇堅=詳細不祥。

江洲青年会=昭和21年結成。エイサーの頭巾に特徴がある。

栄野比青年会=2010年、4年ぶりに再結成。
オリジナルはの島民ダンス。旧暦8月15日の十五夜に開かれる敬老会・観月会に披露。戦前に南洋群島のテニアンに働きに行った人たちが、現地の人から習ったダンスで、戦後、大嶺自信さんが栄野比に持ち帰り、今も続けている。

川崎エイサー=園田(沖縄市)青年会から学び現在に至っているが、演技の終わりを告げる太鼓の勇み打ちは川崎区に昔より伝わってきたものである。

具志川青年会=昭和27年頃結成。地謡(歌・三線)に女性が参加していて、新鮮な感じがする伝統エイサー。

昆布青年会=昭和34年発足。エイサー。

州崎(すざき)=詳細不祥。

高江洲青年会=平成24年4月、約20年ぶりに再結成。

田場青年会=平成5年再結成。ゆったりとした踊りからテンポの早い踊りまでさまざまな踊りが特徴。

天願青年会=登川(沖縄市)青年会との交流後、独自の演技の型を取り入れ、現在の力強いエイサーに仕上がっている。
 ■旧・石川市
集落は赤崎(あかさき)、東山(あがりやま)、東山本町(あがりやまもとまち)、曙(あけぼの)、石川(いしかわ)、石崎(いしざき)、伊波(いは)、嘉手苅(かでかる)、白浜(しらはま)、楚南(そなん)、東恩納(ひがしおんな)、東恩納崎(ひがしおんなざき)、山城(やましろ)
 ■エイサー
石川曙区青年会[石川曙1丁目〜3丁目あたり]=平成16年発足。

伊波青年会=大正期から踊られている。青年会は昭和初期発足。
演目は「道じゅね、入りペーシ、7月エイサー、久高、南獄節、イチビナー、スーリアガリ、トウシンドーイ」。

旭区青年会=2005年の行政区編成で東山区から分離してできた新しい自治会。2008年に青年会が発足。旧1区(現在の南栄区)のエイサーを取り入れさらにオリジナルの型に取り組んでいる。

城北青年会[城北区・中央区の一部・南栄区の一部]=平成10年頃発足。旧2区青年会の型を受け継ぐ。

前原区[前原区・前原団地]

石川エンサー保存会[南栄区〜港区の一部]=平成15年再結成。

石川港区エイサー保存会[石川東山・赤崎・白浜付近]=平成18年再結成。35年ぶり。9区を受け継ぐ。
 【石川みほそまつり】 
7月1土日が多かった、石川市民運動場で開催。本島中央のくびれた部分に位置する石川市は「みほその町」として知られていた。「みほそ」とは琉球の古謡に出てくる言葉で、真ん中という意味である。この石川市でおこなわれる産業、教育、文化の発展や国際交流を図るための市民総参加のお祭りで、
ミス石川の選出や 職域ハーリー大会、子供すもう大会、舞天大笑・お笑いグランプリ、道じゅねー、ストリートダンス、老人会踊り、ライブ、花火ほかに地元各団体の舞台発表や作品展示、闘牛大会、県内ミュージシャンによるロックや民謡のコンサートなど、バラエティーに富んだメニューで2日間を盛り上げ、祭りのフィナーレには打ち上げ花火だった。
合併に伴い終わりをとげた。
 ※石川みほそまつり職域ハーリー大会=石川公園海浜前海域。主催は石川市みほそまつり実行委員会。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち。
 ■旧・与那城町
与勝半島の北半分と4つの島(宮城島、藪地島、平安座島、伊計島)からなる。全ての島は海中道路や橋によって結ばれている。
集落は安勢理(あせり)、伊計(いけい)、池味(いけみ)、上原(うえはら)、中央(ちゅうおう)、照間(てるま)、桃原(とうばる)、西原(にしはら)、饒辺(のへん)、平宮(ひらみや)、平安座(へんざ)、宮城(みやぎ)、屋慶名(やけな)、屋平(やひら)、与那城(よなしろ)。
屋慶名の大綱引き=旧暦6月15日、屋慶名大通りで開催。7年ごとに行われる。最近では2008年行われた。
西原青年会のエイサー=伝統エイサー。ジーヌー(手踊り)のまるくのっけた頭巾が特徴。僧侶の衣装。

饒辺のエイサー=平成13年に復活。

屋慶名青年会のエイサー=パーランクーエイサーの雄と言われる。2つに分かれて集落内で演舞する。
「ヤーマーイ」=家から家へと移動し、その距離が長い場合は、軽トラの荷台や車に分乗して次の家へ向い、狭い庭先や道路などで演舞する。

屋平(やひら)=詳細不詳。

与那城青年会のエイサー=伝統エイサー。初めに与那城エイサーの頭(かしら)であるサンダーとマチャーがメーモーイで青年達を招き入れる。続いて白と黒を基調とした衣装を身にまとったパーランクー、踊り手、ナカワチ、旗持ち、カーミがそれぞれ静かで洗練された踊りを繰り広げます。パーランクーのバチさばきや腰落とし、曲ごとに変化するさまざまな隊列、踊り手のしなやかな手踊り、ナカワチのティービチなど一つ一つの動きから伝統を感じさせる、古き良き時代のエイサーを受け継いでいる。


屋慶名ハーリー=旧暦5月4日を過ぎた日曜。屋慶名漁港で開催。木造船2隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。鐘打ち。
 【宮城島(みやぎしま)
面積は5.51km2。周囲は12.2km。最高標高は124.8m。人口は816人、415世帯(平成24年)。
平安座島と宮城島を結ぶ桃原橋は1974年に開通。かつて平安座島と宮城島の間は潮が引くと歩いて渡れるような浅瀬が広がっていたが、平安座島の石油基地建設のために埋立が進み、今では平安座島と宮城島の間に数mの海峡があるだけである。
桃原・上原・宮城・池味の4集落がある。
エイサーー宮城集落で踊られる。旧暦7月15日の盆に行われる。

桃原ハーリー大会
=旧暦5月4日を過ぎた日曜。桃原漁港で開催。

宮城ウシデーク(なーぐすくうしでーく)
=市指定無形民俗文化財。ウシデークとは、沖縄本島とその周辺の離島に伝わる民俗芸能で、婦人たちだけで踊られる円陣舞踊である。
宮城のウシデークは旧暦の8月15日に行われる「ジシチ」という行事で踊られる。宮城集落内にある名城家(根屋)、宮城御殿(神屋)、スンチナー、フクイジムイ(共同売店前)各場所を巡り踊る。宮城ウシデーク保存会は、ウシデークを保存継承するために1995年1月に結成され、ジシチの行事などほか、記録や映像保存などに取り組んでいる。
 【平安座島(へんざじま)(自治会HPへ
面積は5.32km2。周囲は7.0km。最高標高は115.6m。人口は1364人、561世帯(2012年)。北半分に原油施設 等の企業があり、南東部に村落がある。
与勝半島の与那城から平安座島へ伸びる海中道路(昭和47年完成。全長4、75km)で結ばれている。海中といっても海水の中を走っている道路ではなくて、浅瀬だった所に土手を築き、その上に造られた海上道路である。
龍宮祭り(サングヮチャー)=毎年旧暦3月3日〜5日の節句。カラフルな衣装を身に着けた島民達が三日間に亘って海の神様に祈りを捧げる。
3日はドーグマチー。海難事故で死亡した身内のために焼香を行う日。
4日はト
ダヌイーとナンザ拝み。女性のカミンチュがダヌイーが行われる。1人のカミンチュが魚を銛で突き刺す儀式を行い、その間他のカミンチュが太鼓、手拍子を歌に合わせてはやしたてる。この行事が済んだらナンザ拝み。ナンザ拝みから帰るころになると、神人と村人が浜に下り、三味線、太鼓、を打ち鳴らし、三月旗をあげて歌い踊り,ナンザ帰りを迎える。 手ぬぐいや仮面、それぞれの仮装をこらし部落内を練り歩く。魚みこし、土人、シーシーパクパクと盛り上がり、夜の宴も遅くまで続く。
5日はチアアギモーイ。公民館で祝宴を行う。
他にも年間を通してハーリーやシヌグ、大綱曳、ウスデークなどの行事が行われている。

平安座ハーリー=旧暦5月4日後の最初の日曜、9:00〜、平安座島漁港で開催。

平安座青年会のエイサー
=もともと平安座島には、エイサーは無かった。昭和53年、平安座中学校23期卒業生(昭和30年生まれ)が、安慶名エイサーを練習して始めた。
 【ナンザ島】
平安座島の東に約く0.5kmにある。
旧暦3月3日に海で命を失った人々を祀る竜宮祭(ドゥグマチー)が行われる。翌日には豊漁や航海安全祈願が行われる。
干潮時に海を渡り行われるが、当日と前日以外は渡らない神聖な島である。
 【伊計島(いけいじま)
面積は1、75km2。周囲は7、5km。人口は318人、158世帯(2012年)。
与勝半島から海中道路を経て、平安座島、宮城島、そして伊計大橋を渡って伊計島である。
伊計区海神祭=旧暦5月4日頃の日曜、9:00〜、イクツマの浜で開催。ハーリー以外にも子供たちによる果物つかみ取り競争も開催。
木造船2隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂2丁(前船頭と船)。
 【藪地島(やぶちじま)
面積は0.62km2。 屋慶名地区になる。約300年前までは有人であった。現在も屋慶名、饒辺、安勢里の住民が農耕地としてこの島を利用している。
ジャネー洞(ジャネーガマ)があり、この洞窟から、縄文時代草創期のものと云われる遺跡の土器が出土しており(ヤブチ式土器)いるので、地元住民から祖先発祥の地として信仰を集めている。
本島とは1985年に藪地大橋で結ばれる。
 ■旧・勝連町
与勝半島の南半分と4つの島((浜比嘉島、津堅島の有人島と南浮原島の無人島)からなる。浜比嘉島は旧・与那城町の平安座島と浜比嘉大橋によって結ばれている。
集落は内間(うちま)、津堅(つけん)、南風原(はえばる)、浜(はま)、比嘉(ひが)、平敷屋(へしきや)、平安名(へんな)。
南風原の獅子舞=市指定無形民俗文化財。1726年に勝連問切地頭代前浜親雲上(カツチンバーマー)という優れた指導者が首里王府から村落移動の許可を取り付け、勝連城の南側傾斜地から現在地に村を移動した頃からムンヌキ(魔除け)として舞われてきた民俗芸能。
当初は定まった型はなく三線にあわせて舞うだけでしたが、1917年に具志川市田場の上殿内の指導を受け、現在の型が形成された。舞始めは、まずワクヤー(おびきだし手)が獅子を挑発しながら入場し、獅子を誘い出したワクヤーはすぐに退場する。獅子は魔物と思っているワクヤーを取り逃がした不満を爆発させ、激しく舞い狂った後、退場する。


平安名=獅子舞。
平敷屋エイサー=8月15日、18:00〜22:00開催。場所:浦ヶ浜公園。
市指定無形民俗文化財。ジイユーテー(地謡)、ハントゥー(酒甕)持ち、太古打ち、踊り手、中わち(世話役)で構成され、白と黒で統一された衣装(紺地)を身にまとい、太鼓うちは、裸足で踊るなどエイサーの古式をとどめた独特なもの。
 また東西ふたつのエイサーがあり、違いと言えば、テークチリ(パーランクー)の腰の手拭い。左にあれば東、右にあれば西。
女子手踊りの鉢巻きが黄色が東、ピンクが西。


平安名青年会
(平安名・内間)=昭和22年発足。旧暦7月15日は平安名公民館広場で、翌16日は池の前広場で踊る。また「ヤーマーイ(家回り)」も旧盆の間行われる。
伝統エイサー。僧侶の衣装。またエイサー演舞の前に「こっこい踊り」がある。
平屋敷ハーリー=7月2か3日曜(もずくの収穫が済んでから)。平屋敷。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。
 【浜比嘉島(はまひがじま)
面積は2.09km2。周囲は7.0km。人口は531人、263世帯(2012年)。集落は浜、比嘉地区の2つ。
平安座島と浜比嘉大橋(1997年2月開通。全長1430m)で結ばれている。
比嘉エイサー=旧暦7月15日・16日開催。
1956年(昭和31年)、「第1回全島エイサーコンクール」の初代優勝チームであり、続く第2回大会を連続優勝したが、架橋により沖縄本島と結ばれ、かつての島ちゃび(離島苦)はもはやないが、、青年たちは島に戻ってきません。青年のいない比嘉エイサーは本来のパワーを発揮できずにいる。
浜ハーリー大会=浜地区。旧暦5月4日後の日曜開催。5部門(職域A・職域B・レディース・中学生・小学生)のレースがある。

海神祭(比嘉ハーリー)=比嘉。旧暦5月4日開催。木造船2隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。

御願バーリー=比嘉・浜。旧暦5月4日開催。

大踊り(ウフアシビ)=比嘉。12年に1度に丑年に行われる。最近では平成21年の、11月21日(土)から3日間行われた。
伝統芸能の組踊り、高砂、パーランクーやその他多くの舞踊が披露される。
 【津堅島(つけんじま)
面積は1.88km2。周囲は7.0km。最高標高は38.8m。人口は433人(2017年)。ニンジンの島で有名。
津堅島ハーリー大会=旧暦5月の日曜。本来は旧暦5/4。競漕の前に島の拝所にて祈願が行われ、その後、津堅小中学校の鼓笛隊を先頭に、ハーリー船を車に乗せ、トゥマイ浜から津堅漁港までパレードが行われる。
 大会は、職域、郷友会の部に町内外から多数のチームが参加し、各支部、同期対抗レースなども行われ賑わう。
津堅島の唐踊り=県選択無形文化財。旧暦8月9曰〜15日に行われる8月遊びの中で演じられる踊り。男たちによって踊られ、元々は八月踊りと称した。小太鼓(パーランク)を打ち鳴らすもの、扇子をもって踊るものの両者で構成され、〈大踊り〉〈い−そ−に〉の2曲で踊ります。衣装は太鼓打ちがドゥジンバカマ(胴衣袴)、踊り手が芭蕉の着物を着る。
唐踊と称していますが、中国系の芸能ではなく、島人にとって意味不明の歌舞ということから名づけられたと思われる。
マータンコー=旧暦で2011年は12月9日だった。
男の行事。この行事は、島の美しい娘が、7つの首を持つ蛇の魔物に襲われるのを、「御蔵里主」が酒瓶の酒を呑ませてやっつけた。

その恩を忘れないように行事を行っている。
 男たちは滑稽な仮装行列をし、酒瓶を担いで拝みどころを廻る。三線、小太鼓、ドラを鳴らしながら歩き、豊年豊漁、家内安全などを拝む。
また棒術も披露。マータンコーの掛声は「マータンコーイエイ、ヒトホヤーイエー、ヤリーヤコーソソソ・・・」と旗を振り走るように踊る。
壷に酒を入れてお祈りする、学校の前でも披露し、最後は公民館に着いてカチャーシー。
ウスデーク=女性だけの祈りの踊りで、拝み所で夕方に始まる。扇子踊りと四つ竹踊りなどがある。
津堅潮巻棒=年忌行事や島をあげて五穀豊穣、豊漁など島の繁栄を願って演じられる。大海原やウミンチュの生き様を、独特の棒の巻方で表現する踊り。
 【浮原島(ウキバルジマ)
面積は1.88km2。無人島。戦前まで人が住んでいたが、戦後は浜比嘉島に移り住んだ。屋敷跡の石垣や井戸などもあるが、現在は、自衛隊のヘリの離発着訓練として使用されている。

 読谷村(よみたんそん)
村内には米軍基地が2施設(トリイ通信施設〔陸軍〕、嘉手納弾薬庫地区の一部〔空軍・海兵隊〕が所在。合計1261haの軍用地が存在し、村面積の36%を占めている
行政区は伊良皆(いらみな)、上地(うえち)、宇座(うざ)、大木(おおき)、大湾(おおわん)、親志(おやし)、喜名(きな)、儀間(ぎま)、座喜味(ざきみ)、瀬名波(せなは)、楚辺(そべ)、高志保(たかしほ)、渡具知(とぐち)、渡慶次(とけし)、都屋(とや)、長浜(ながはま)、波平(なみひら)、比謝(ひじゃ)、比謝矼(ひじゃばし)、古堅(ふるげん)、牧原(まきばる)、大添(おおそえ)
 ※青年会が読谷村青年団協議会に参加している行政区は太字。
読谷村史によると「四月二十八日の「村民居住並農耕許可申請」において、村長松田平昌氏は、二二部落中復帰できた部落は、高志保・波平の一部・喜名の一部・座喜味・楚辺・大木・渡慶次・儀間・瀬名波の九部落であり、旧部落に帰れない残る一三部落のために四か所の許可を申請している(添付図より)。村全体からすれば足場はできたものの、村の復興という意味では二二部落の復帰が目標であったことに変わりはない。
 旧部落に帰れない一三部落の中でも、渡具知のように、南部の開放で楚辺に移住し、その後渡具知に1950年に束の間の移住が許可され、1952年に比謝地番に再度強制立ち退きさせられたところもある。渡具知と同様に楚辺は一か所にまとめられて、本部落から現在地へ強制移住させられ、現在に至っている。
 そして牧原・長田・比謝矼などは未だ本籍地に帰れずにいる。親志・喜名の一部・伊良皆の一部などが同様な扱いになっている。
 戦後の帰村すなわち収容所等からの帰村は終わったかも知れないが、帰郷すなわち字(旧部落)に帰るという意味では、まだまだ完全に終わっているとは言えない。」とある。
 【米軍による廃村】
親志(おやし)=現在は嘉手納弾薬庫地区の一部〔空軍・海兵隊〕。
読谷村史によると、集落の起源は、廃藩置県後に首里から移住してきた下級士族が屋取を構え開墾を始めたこと。少しの畑と僅かな林業で暮らしていたが、豊かではなかったという。昭和19年の空襲をきっかけとして住民は相次いで避難。
 昭和21年9月当時の分散状況(収容所)は、石川市【現・うるま市】102人、宜野座村宜野座51人、国頭村辺土名
30人、宜野座村漢那16人、コザ市【現・沖縄市】12人、名護市田井等12人、金武町中川9人。
長田現在は嘉手納弾薬庫地区の一部〔空軍・海兵隊〕。
「角川」や読谷村史によると、大字長田は戦後頃に大字伊良皆より分離し成立。米軍の軍用地として接収されたのちは、元住民は主に村内大木に移住。移住後も長田自治会を組織。集落の起源は、廃藩置県後に首里から入植してきた下級士族が屋取を構え開墾を始めたこと。長田川沿いには田が広がり、商品作物として茶やショウガを作っていたほか、養蚕も行われた。水車があり、サトウキビを搾る動力として、のち精米や製茶の動力として利用された。33戸。昭和19年の空襲をきっかけとして、住民は国頭村浜や恩納村安富祖などに避難。
 昭和21年9月当時の分散状況(収容所)は、石川市【現・うるま市】64人、金武町中川39人、宜野座村漢那25人、コザ市【現・沖縄市】9人、国頭村辺土名6人。
牧原現在は大字の全域が米軍の軍用地。現在は一部が返還されゴルフ場になっている。
読谷村史によると、集落の起源は、廃藩置県後に首里や那覇から移住してきた下級士族が屋取を構え開墾を始めたこと。元は琉球王府の馬飼育場だったが(地名の由来でもある)、王府が没落士族に対し開墾を許可。土地は譲渡する約束だったが、明治末期に入植地は製糖会社に売却され、全戸が小作農として就労。昭和19年の空襲をきっかけとして住民は各地に避難。帰郷後は波平などを経て、現在は多くが伊良皆西部から大木東部にかけ居住。
 昭和21年9月当時の分散状況(収容所)は、石川市【現・うるま市】278人、コザ市【現・沖縄市】36人、前原19人、金武町中川7人、宜野座村宜野座32人、名護市田井等12人
 読谷村は字波平はエイサーを行っていなかったが、ほとんどの字で戦前はエイサーをしていた。

伊良皆
(いらみな)青年会=演目は「仲順流れ、久高マンシュ主、スーリー東、スンサーミー、豊節、読谷山節、イチュピ小節、イチュピ小節、前ン田節、ピーラルラー、平安節、唐船どーい」。

宇座青年会
=公民館は長浜区にある。これは、1945年の沖縄戦後、米軍に接収されたこためである。昭和50年前後まで、このあたりは米軍の軍事支配下にあった。戦前宇座にあった集落より追い出された住民は、長浜区に公民館を作り、自治会運営を行うこととなった

喜名青年会=あり。

儀間青年会=メインの楽曲は「あやぐ」。

座喜味青年会=楽曲に「テンヨーテンヨー」など。

瀬名波青年会=独自曲にスーリ東(すーりあがり)、豊節(ゆたかぶし)がある。

楚辺青年会=
特徴は伝統的な「空手」の型を、手踊りで優雅に踊るモーイエイサー。

高志保青年会=戦前より伝わる伝統芸能「馬舞(んまめー)」を取り入れ、「高志保姉小」(高志保あんぐゎー)という曲で男女が向かいあって踊るところも高志保青年会のエイサーの特徴。

渡具知青年会=
あり。

渡慶次青年会=大正3年(1914)発足。昭和32年(1957)復活。
チョンダラー(サンダー)、大太鼓、締太鼓、男女のモーヤーで構成され、サンダーのメーモーイから始まり、ゆったりとした入んじぐち、男女が手を合わせて踊をあやぐ、太鼓だけで踊る与那国のマヤー小、そして最後にみんなで輪になり楽しく迫力のある唐船ドーイが見所。

都屋青年会=千原エイサーの空手の型を基本とし、読谷村の唯一の漁港がある為、海をイメージした踊りを新たに加え、空手の勇ましさと波のなめらかさを特徴としている。

長浜青年会=演目は「久高マンジュ主、仲順流れ、スヌ万才、スーリー東、越来ヨー、今帰仁城、ナカジョンヒー、谷茶前、旅や浜宿い、下庫理小、南獄節、サイよー節、唐船どーい」。

波平青年会=あり。

比謝青年会北谷町謝苅エイサーより指導を受け、また演舞や地方なども謝苅区とともに参加するなど、北谷町謝苅区との結びつきが深い。

比謝矼(ひじゃばし)=不祥。

古堅青年会=あり。

大添青年会=1985年に自治会が設立された読谷村の中で一番新しく作られた区である。住民の八割が読谷村外から集まっている
大木青年会=2008年には参加していたが、2011年は不参加。
 【高志保大通りエイサー天国】
高志保大通りにおいて各区のエイサー踊りを開催し、観光客はじめ村外の住民へ伝統行事の読谷村のエイサーを広く知らしめることにより、高志保大通りの賑わいと観光振興の促進を図り、地域活性化に資することを目的とするもので、
旧暦7月16日(旧暦のお盆の翌日)15:00〜18:00、高志保大通りで開催。なお当日、県道6号線の会場付近は15:00〜18:00まで歩行者天国となる。
主催は高志保大通りエイサー天国実行委員会。構成機関は読谷村観光協会、読谷村商工会、読谷村商工会観光部会、読谷村商工会青年部、読谷村商工会女性部、座喜味区、波平区、高志保区、渡慶次区、儀間区、宇座区、瀬名波区、長浜区、喜名区、高志保大通り会、ユンタンザむらおこし塾(新風の目会その他)、座喜味区青年会、波平区青年会、高志保区青年会、渡慶次区青年会、儀間区青年会、宇座区青年会、瀬名波区青年会、長浜区青年会、大添区青年会。
後援は読谷村、読谷村青年団協議会、鰍eMよみたん。
1994年より始まり、2014年で20回を数える。青年会エイサーを中心に、旗頭、ストリートダンス団体、子ども会が活躍し、若者が主役のイベントである。
 【読谷村青年エイサーまつり】
8月中旬か下旬、14:00〜20:30。平和の森球場で開催。主催は読谷村青年団協議会。
読谷村各地区青年会のエイサーが一堂に会するイベント。2014年で31回を数える。
まずは子供会エイサー、そのあと13地区の青年会がそれぞれの地域に伝わるエイサーを披露する。最後はかちゃしーで花火。
 【読谷まつり】
11月初旬開催。場所は読谷村総合運動広場(読谷村字座喜味2901)。2014年で40回を数える。
初日は音楽祭。
二日目は「赤犬子琉球古典音楽大演奏会」。荘厳で華麗な演奏と各字(区)に伝わる伝統芸能。
三日目は大交易時代の勇姿を再現した創作劇。
読谷村ハーリー大会 =6月下旬〜7月の日曜、9:00〜13:00開催。場所は宇座海岸。平成26年で30回を数える。
まず御願ハーリーご行われ、職域・一般の部、各字対抗の部、学生の部で行われる。

 嘉手納町(かでなちょう)
町の総面積の83%(以前は88%)を嘉手納基地「嘉手納飛行場・嘉手納弾薬庫・陸軍貯油施設]を占め、残りのわずか2.6km2に約1万4000人が暮らす。
嘉手納(かでな)、兼久(かねく)、久得(くどく)、国直(くになお)、野国(のぐに)、野里(のざと)、水釜(みずがま)、水釜(みずがま)6丁目屋良(やら)
 【米軍による廃村】
千原(せんばる)=米軍に接収され現在は嘉手納飛行場と国道58号、陸軍貯油施設となる。
嘉手納町史によると、千原は1800年頃、首里、那覇、久米などから移り住んだ士族により集落がつくられた。野国川に面し、兼久と砂辺にはさまれたところにあった。
拝所は今も陸軍貯油施設内にあり、「土帝君(トゥーティークー)」に千原郷友会がエイサーを奉納する。
東=全域が米軍の軍用地。沖縄戦後、米軍の嘉手納基地に接収され、住民は離散。
「角川」によると、大字東はもと嘉手納村屋良の一部。屋取集落の屋宜原や野理原などを含めた地域が大字となった。行政字となった昭和17年頃は114〜115戸が散在する農村。
久得=現在は地区のほとんどが米軍の嘉手納弾薬庫地区になっているが、返還された一部の土地がが葬斎場や霊園などに供されている。
明治24年頃、琉球国王尚家の所有していた土地に、首里の士族が入植。尚家より小作地として借り受ける
大正初期に製糖会社が土地を買収。 大正11年当時、入植者は160戸、640人。入植者は小作人としてサトウキビを栽培。
沖縄戦の際、土地は米軍に接収され住民は離散し集落は消滅。
昭和51年に一部が返還。
国直=現在は大字の全域が米軍の軍用地で、嘉手納飛行場内。
野国=米軍の軍用地で、嘉手納飛行場内。
「角川」によると、大字野国は近世の中頭方北谷間切野国村。大正14年、202戸984人。戦後全域が米軍の嘉手納基地に接収され、住民は離散。
野里=現在は大字の全域が米軍の軍用地で、嘉手納飛行場内。
 「角川」によると、大字野里は近世の中頭方北谷間切
野里村(現在の嘉手納町・北谷町に跨っている)。戦後全域が米軍の嘉手納飛行場に接収され、住民は離散。
昭和23年一部が嘉手納町野里となり、さらに昭和26年その一部が国直となる。残り(北谷町側)は昭和26年下勢頭となる。
千原エイサー=唯一の男性だけで踊るエイサー。これは千原住民が元々那覇や首里から移住して形成された集落で、士族のしきたりが厳しく、女性を加えなかったためと云われている。
千原は米軍に接収されたが、昭和35年(1960)、千原郷友会を結成し、その中でエイサー保存会が設けられた。
踊りの随所に空手の型を取り入れ腰を落とし、半身に構え、締太鼓を水平にした力強い豪快な踊りである。
今も陸軍にある拝所に奉納する。演目は「久高節、仲順流り節、越来よ節、いちゅび小、伊集ぬ腰小節、収納奉行節、唐船ドーイ」。

北区区民エイサー=1955年頃始まる。

東区エイサー実行委員会
=1970年始まる。

西浜区
=1979年始まる。

西区青年会
=エイサー。

南区青年会
=1971年頃始まる。

中央区青年会
=エイサー。
 【嘉手納町エイサーまつり】
旧7月16日。(旧盆ウークイ〔15日〕の翌日)19:00〜21:00開催。場所は新町通り。主催は嘉手納町エイサーまつり実行委員会(嘉手納町商工会)。
嘉手納町各区のエイサー、千原エイサーが披露され、最後はエイサーガーエー。
 ■野里棒(嘉手納町野里共進会青年部
嘉手納基地滑走路の中心部に位置していた字野里出身者のみで形成し伝統芸能の継承に取り組んでいる。
野里棒は「一命道棒」と称され、武術として普及したと言われており、二名がけで打ち合う。棒術には組棒、舞棒があり、棒も六尺棒と尺はじりと言われる三尺棒の2種類がある。
 【野国総管まつり】
北谷間切の野国村に生まれ育ち、後に中国に渡り、中国から持ち帰ったイモの苗を植え付け、沖縄だけでなく日本全国を飢えから救った野国総管の偉業をしのび、町の活性化につなげるイベント。
10月初旬開催。場所:兼久海浜公園。
主催は野口総管まつり実行委員会。

創作芝居「野国総管」や奉納芸能祭、沖縄相撲、、全琉カラオケ大会、青年エイサー、総管太鼓など多彩な催しがある。
 【嘉手納町ハーリー大会】
旧5月4日前後の日曜(=6月初旬)。10:00〜開催。場所:嘉手納漁港。2013年で26回。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち。
職域ハーリー、女性ハーリー、子供ハーリー、各区自治会対抗戦 等。主催は嘉手納ハーリー実行委員会。

 北谷町(ちゃたんちょう)
米軍の軍用地(キャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧、嘉手納飛行場、陸軍貯油施設)が町面積の約53.5%を占める。
 ■獅子舞
砂辺獅子舞、伊礼獅子舞=旧暦8月15日
伊礼獅子舞琉球新報の2001年10月8日号に『北谷町の旧伊礼地区(現在の伊平)の拝所、蔵森(クランモー)で、旧暦8月15日行われる伝統行事の伊礼獅子舞が1日、同保存会によって披露された。「中秋の名月」の下、獅子と猿が乱舞。祭りを楽しもうと旧伊礼地区の出身者やその家族約100人が集まり、繰り広げられる幻想的な舞を堪能した。
  伊礼獅子舞は「大願口説」などの琉歌に合わせ、獅子と猿二匹が舞を繰り広げるのが特徴。猿の踊りで、眠りを妨げられた獅子が怒り出す物語となっている。逃げる猿は木を登り、怒り狂う獅子は観客に向かって暴れ出す。
  同獅子舞は厄払いと豊穣(ほうじょう)を祈願し、約300年間続いてきたとされる。しかし、沖縄戦の混乱で獅子が行方不明になり、旧伊礼地区も米軍用地として接収され、戦後40年間は途絶えていた。
  だが、同地区の住民たちが国道号沿いキャンプ桑江内の蔵森の返還要求運動を行い、1982年に蔵森の返還が実現。失われた舞用の獅子も作製され、85年から獅子舞が復活、現在に至る。
  今回初めて獅子舞に挑戦した同保存会の栄野比尚樹さんは「若い世代がきちんと引き継ぎ、伝統行事を大切にしたい」と抱負を語った。幸地真正保存会会長は「39世帯しかない小さな集落の行事だが、しっかりと保存していきたい」と語った
 ■綱曳き
北谷三箇村大綱引き=寅年の旧暦6月25日に近い日曜開催。会場はアラハ公園。旧字の北谷、伝道、玉代勢の集落の皆さんにより五穀豊穣、家内安全、無病息災などを祈願するお祭り。
三箇字の旗頭7本が打ち出るのを始めとして本番の大綱引きまでの間、古くから伝わる多種多様な伝統芸や出し物などで賑やかに道ジュネーが繰り広げられる。
 ■エイサー
上勢区(=旧桃原3区エイサー)=演目は「ダイサナジョー(入場曲)、親の遺言、久高節、スンサーミー、カジヤマー、イチュビ小、今帰仁ぬー、越来節、ウミヤカラー、唐船どーい」。

桃原区(=旧桃原1区エイサー)=演目は「仲順流れ、久高節、イチュビ小、読谷山節、越来節、唐船どーい」。

栄口区(=旧謝苅1区エイサー)=演目は「固み節(入場曲)、エイサー節、久高節、花ぬ風車、スンサーミー、ビーラルラー、越来節、唐船どーい」。
戦前の千原エイサーの流れを受け継ぐ空手風の踊りで、重厚感に溢れる舞い。獅子舞もある

謝苅(=旧謝苅2区エイサー)=演目は「北谷村(入場曲)、仲順流れ、久高節、花ぬ風車、テンヨー、イチュビ小、今帰仁ぬー、ダイサナジャー、唐船どーい」。

北玉区(=旧謝苅3区エイサー)=演目は「北玉節(入場曲)、エイサー節、久高節、花ぬ風車、スーリー東節、越来節、海ヤカラー、あやぐ、唐船どーい」。

宇地原区(=旧謝苅4区エイサー)=演目は「エイサー節、久高節、四つ竹節、イチュビ小、通い船、めでたい節、花ぬ風車、唐船どーい」。

北前区(旧北前区エイサー)=演目は「エイサー節、久高節、花の風車、テンヨーテンヨー、海ヤカラー、越来節、唐船どーい」。

砂辺
(=旧砂辺区エイサー) =演目は「砂辺の浜(入場曲)、エイサー節、久高節、イチュビ小、テンヨー、海ヤカラー、越唐船どーい」。

宮城区
(=町制移行により新設)=演目は「安里屋ユンタ(入場曲)、エイサー節、久高節、砂辺の浜、イチュビ小、テンヨー、唐船どーい」。
昭和63年より他地区の取り入れて始まる。
桑江区=町制移行により新設。エイサーは行われていない。
 【北谷エイサーフェスティバル】
8月上旬、17:30〜21:30。会場は桑江総合グランド(桑江公園内)。主催は北谷町青年連合会。2014年で35回を数える。
2014年の出演は子供エイサー、砂辺区青年会、北玉区青年会、栄口区青年会、上勢区青年会、謝苅区青年会、招待青年団が2つ。最後はカチャーシー。
 【北谷ニライハーリー】
6月中旬土日開催。場所:北谷町フィッシャリーナ整備用地(美浜)。主催は北谷町漁業協同組合ハーリー実行委員会事務局。2011年で5回を数える。

 ≪2011年の行事予定≫
■土曜=こどもニライハーリー大会
開会式(9:00〜)
ハーリー競漕〔予選・決勝〕(9:30〜12:45)
閉会式〔表彰式〕(13:00〜)

親睦会お楽しみイベント・お魚つかみ取り(13:20〜)
■日曜=ニライハーリー大会
開会式〔対戦順番発表・ルール説明など〕(8:30〜)
ハーリー競漕開始〔予選・準決勝・決勝〕(9:00〜)
閉会式〔表彰式〕(14:30〜)
 【えぐち祭り】
10月連休土日、10:00〜21:00。屋外ステージは18:00〜)栄口公民館横野外運動場で開催。主催はえぐち祭り実行委員会。2011年で4回を数える。
 ≪2011年の行事予定≫
区民作品展示会・体験コーナー(10:00〜)
ストラックアウト大会・昔遊び・スカットボール大会(13:00〜)
屋外ステージ(18:00〜)〔子供エイサー、丹下音楽クラブ、お楽しみ島唄ライブ、盆踊り、栄口区青年エイサー、カチャーシー〕
 【米軍による廃村】
平安山ヌ上(ハンザンヌウィー)=乾隆5年(1740)頃に勢理客姓の士族の帰農によって生まれた屋取集落で、現在の嘉手納基地第一ゲート付近に位置していた。
戦時中は、米軍の上陸地点と近かったこともあり、住民は疎開を余儀なくされ艦砲射撃によって集落は破壊され、米軍により通信基地が出来た。
 その後、嘉手納基地内に接収されたため住民は県内各地に移住した。2010年に「平安山ヌ上誌」が発行され昔のことが窺える。

 北中城村(きたなかぐすくそん)
集落は安谷屋(あだにや)、熱田(あった)、石平(いしひら)、大城(おおぐすく)、荻道(おぎどう)、喜舎場(きしゃば)、島袋(しまぶく)、瑞慶覧(ずけらん)、仲順(ちゅんじゅん)、渡口(とぐち)、比嘉(ひが)、美崎(みさき)、屋宜原(やぎばる)、和仁屋(わにや)。
喜舎場の獅子舞=村指定無形文化財。旧盆後17日に遊び庭の舞台で演じられる。
熱田の南島村指定無形文化財。旧盆や生年祝いなどの行事で踊られている。蛮人のようなカツラをかぶり金輪をつけた棒を持って踊る。

赤木名節=村指定無形文化財。島袋。琉球王朝時代から伝わる二歳(にーせー)踊り。首里の踊奉行から各地のシティ(上手な人)たちが習ってきたものだという。空手風の勇壮で活発な動きに特徴がある。支度は、本来は琉髪のカタカシラ、頭に請け鉢巻、黒の着流しの衣装、帯は前結びをし、足は白黒縦縞の脚絆に白足袋をはく。赤木名節を伝えている地域は少なく、その起源も定かではない。
 ■エイサー
安谷屋青年会
=昔エイサーの男性の手踊りや、女性がミンタリーを被って踊るのも特徴。

熱田青年会=
以前の熱田エイサーは、ハワイ帰りの方の提案でフォークダンスに似た手踊りを取り入れていた。当時は、男性も手踊りで太鼓は無かった。やがて沖縄市の山里青年会より型を教えてもらい、太鼓エイサーが誕生。徐々に型を改良していき、現在の熱田エイサーになる。

和仁屋青年会
=エイサーは戦争により一時中断し、1980年頃に宜野湾市普天間青年会から指導を受けうけ、独自の工夫をこらし現在のエイサ−となったらしい。

石平青年会=1970年復活。手踊りは無く大太鼓と締太鼓だけの太鼓エイサーである。

大城青年会=大太鼓、締太鼓を中心とした「太鼓エイサー」で、躍動感溢れる演舞。その中でも、テンヨー節の踊りは演舞者同士が向かい合って踊るのが特徴。

荻道青年会=2008年再結成。与那城青年会(旧与那城町)から型を習った。パーランクーを使った演舞でゆったりとした踊りだが、背中合わせで踊ったり、向かい合わせになったり、横に移動したりと独特である。

喜舎場青年会=エイサーだけでなく、獅子舞・棒術の保存会も青年会を筆頭に活動を行っている。
嘉手納の千原より型を習った。それを元に空手の型を取り入れた。

島袋青年会⇒字島袋と字比嘉より構成。
=エイサー。

仲順青年会=仲順流りの発祥の地。

渡口青年会⇒エイサー。

屋宜原青年会
=嘉手納の千原より型を習った。それを元に空手の型を取り入れた屋宜原エイサーが誕生した
 【北中城まつり・青年エイサーの夕べ】
8月下旬か9月初旬開催。両日とも14:00〜。場所は2011年は若松公園。しおさい公苑や中城城跡の年もあり。主催は北中城村まつり実行委員会(北中城村役場産業振興課内)。
「北中城まつり」・「北中城村青年エイサーまつり」を合同で開催。2011年で26回を数える。
初日は村内小中学校の金管バンド部、吹奏学部の演奏、獅子舞や南島(フェーヌシマ)、赤木名節など北中城村に伝わる伝統芸能の披露。
2日目は保育園エイサー(屋宜原・喜舎場保育所、あさひヶ丘保育園、愛海学園 アリス幼稚園)、フラダンス、村婦人会演舞、村老人クラブ連合会演舞、北中城村並びに近隣青年会が勇壮なエイサーを披露。

最後はカチャーシーをして花火で締める。
 【グスクの響き!祭り!】
11月初旬、17:30〜。場所:中城城跡公園 三の郭の前広場。主催はグスクの響き!実行委員会。
地元の獅子舞、青年エイサーなどが出演。

 中城村(なかぐすくそん)
集落は安里(あさと)、新垣(あらかき)、伊舎堂(いしゃどう)、伊集(いじゅ)、奥間(おくま)、北上原(きたうえばる)、北浜(きたはま)、久場(くば)、添石(そえし)、津覇(つは)、当間(とうま)、泊(とまり)、登又(のぼりまた)、南上原(みなみうえばる)、南浜(みなみはま)、屋宜(やぎ)、和宇慶(わうけ)
伊集の打花鼓=県指定無形民俗文化財。旧暦の8月15日に演ずるが、伊集打花鼓保存会が要請によって、県や市町村主催のイベントや祭りで芸を披露する。
伊集集落に古くから伝わる中国風の踊りで、色鮮やかな衣装を身に付け荘厳な行列をつくる。
18世紀に名護親方によって那覇・久米村に創設された教育施設「明倫堂」で行われていた中国の戯曲を伊集出身者が習得したが、施設の廃止と同時に本拠で上演されなくなった後も伊集の若者たちだけが受け継いで現在に至っている。

津覇の獅子舞=村指定無形民俗文化財。旧暦の1月2日(初興し)、7月16日(供養)、8月15日(十五夜)に集落の拝所「火の神殿地」で奉納として演じられる。
三線、太鼓の鳴物入りで雄雌を一頭の獅子で踊り分ける。
由来は不祥だが、読谷の長浜集落から伝わったとされている。


和宇慶の獅子舞=犬の舞などがある。
津覇のエイサー=旧盆に演じられる沖縄の伝統芸能。

北上原のエイサー
=旧盆。


久場青年会=エイサー。

添石のエイサー=旧盆明けの日曜(添石拝所・公民館・児童公園)と毎年1月2日10:00〜(中城城跡)。
旗頭は沖縄戦で焼失し平成17年に復元した。
当間の綱引き=毎年旧暦の7月16日に引かれる綱をニーセージナ、卯年と酉年の旧暦の7月18日(七年越し)に引く大綱をマールジナという。
大綱引きは祭行列の「道ジュネー」などがあり、より勇壮、華やかになる。当間の綱引きは首里から伝わり、明治16年から行われたといわれる。
当間の綱引きは、綱が短く、それほど重くないこともあって、綱を担いだままカヌチ棒を貫くのが特徴。
中城ハーリー祭り=6月最終日曜(3年ごとに漁港で開催)。主催は中城村ハーリー実行委員会。木造船3隻の爬龍船による競漕。
 【中城護佐丸まつり】
8月中旬開催。1日目:14:00〜21:00。2日目:13:35〜。花火:20:55〜。場所:中城城跡広場。
隔年(西暦偶数年)開催。2012年で11回を数える。2011年で10回を数える。
 【赤花まつり】
10月中旬、久場地区健康スポーツセンター横のグラウンドで開催。
久場区の青年会を中心としたイベント。主催は赤花まつり実行委員会、協力は久場自治会。2011年で3回を数える。
村内はじめ、村外からも多数の青年エイサーが出演。勇壮な演舞、指笛、囃子、女子のしなやかな手踊りが披露される。
 2011年の出演は久場子供会、北中城村仲順、豊見城団地、北中城村喜舎場、中城村津覇、沖縄市泡瀬第三区、うるま市赤野、八重瀬町ぐしちゃん、今帰仁村湧川、八重瀬町新城、西原町小那覇、中城村久場。
ハーリーまつり(6月)、文化まつり(11月下旬)、中城まつり(10月下旬)は各々3年に一度の開催。
 西原町(にしはらちょう)
集落は東崎(あがりさき)、安室(あむろ)、池田(いけだ)、上原(うえはら)、内間(うちま)、翁長(おなが)、小那覇(おなは)、掛保久(かけぼく)、我謝(がじゃ)、嘉手苅(かでかる)、兼久(かねく)、幸地(こうち)、小橋川(こばしがわ)、小波津(こはつ)、呉屋(ごや)、千原(せんばる)、棚原(たなばる)、津花波(つはなは)、桃原(とうばる)、徳佐田(とくさだ)、森川(もりかわ)、与那城(よなぐすく)
 【西原青年祭・さわふじ青年エイサーまつり】
9月下旬か10月上旬、雨天決行、荒天中止14:00〜17:00は第一部の西原青年祭。17:00〜20:25は第二部のさわふじ青年会エイサーまつり。
場所:東崎都市緑地(イルカ公園)。主催は西原町青年祭実行委員会(西原町商工会青年部・西原町青年協議会)。
後援は西原町・西原町教育委員会・西原町商工会・西原町行政区自治会長会)。
2013年で西原町青年祭は第3回、さわふじ青年会エイサーまつりは13回を数える。
西原町の各青年会・団体が継承してきたエイサーなどの伝統文化を披露し、町内外の多くの方に知っていただくとともに、次世代の子どもたちが伝統文化に興味を抱いてもらうことを目的に開催。

2014年の出演団体(西原町のみ記述)はエイサーは小那覇子ども会。演舞は棚原弥勒太鼓(棚原)。旗頭演舞は兼久旗頭保存会(兼久)。
青年エイサーは龍宝青年会(幸地)、内間団地青年会、小那覇青年会、兼久青年会。
 【西原まつり】
10月下旬土日、東崎公園(東崎5−1)で開催。主催は西原まつり実行委員会。2014年で19回を数える。
子供芸能フェスティバル、伝統芸能ショー(太鼓・獅子舞・エイサー等)の他、集団演技(町内団体)、西原高校マーチングバンド部マーチングショー、カラオケのど自慢大会、お楽しみチャリティ抽選会ライブ などがある。最後は花火ショー。
 【自治会リスト】自治会、住所、参考地番の順
幸地自治会(幸地202)=幸地10〜1345。
⇒大綱引き(8月)・十五夜夜あしび(旧暦8月15日)

幸地ハイツ自治会(幸町996−1)
県営幸地高層住宅自治会(幸地981)
県営坂田高層住宅自治会(幸地146−1)
棚原自治会(棚原67)
森川自治会(棚原581−1)
徳佐田自治会[3区](徳佐田43)
上原自治会(上原245−49)
翁長自治会(翁長132)
坂田自治会(翁長468)=坂田ハイツA地区〜D地区
⇒坂田まつり=8月。神輿が出る。
呉屋自治会(呉屋65)
⇒大綱引き(8月)
津花波自治会(津花波23)
小橋川自治会(小橋川26)
西原台自治会(小橋川266−4)
内間自治会(内間29)
県営内間団地自治会(内間411−2)
掛保利自治会(掛保利
嘉手苅自治会(嘉手苅69)
⇒大綱引き(8月)、エイサー
小那覇自治会(小那覇397)
平園自治会(与那城300)
兼久自治会(兼久1)=兼久1〜349、293〜367、我謝810
我謝自治会(我謝463−1)
美咲自治会(我謝241−3)
与那城自治会(与那城11)
安室自治会(安室61)
西原ハイツ自治会(安室199−15)
桃原自治会(桃原59−1)
池田自治会(池田79)
小波津自治会(小波津90)
県営西原団地自治会(小波津44)
小波津団地自治会(小波津233−126)
綱引(チナヒチ)=旧暦6月25日かその後の日曜日にウファチ綱の綱引を催しているのは、幸地、棚原、呉屋、津花波、小橋川、内間、嘉手苅、小那覇、我謝、小波津の10ヶ字である。
綱引を廃止したのは4ヶ字で、掛保久は廃藩置県の頃に、桃原、安室、翁長も戦後は行われていない。
嘉手苅=青年会(さわふじ旗頭隊)は、旗頭を中心に自治会の綱引きや町の祭り、その他イベントなどに参加。
子ども会は、健全育成を目指し小学生を中心にエイサー隊を結成し、年間を通しイベント活動に参加。

幸地=8月頃に大綱引き。

小波津=8月に部落大綱引き。7月に子供会によるウマチー綱引き。

呉屋=8月に綱引き。
坂田自治会=翁長の一部。坂田ハイツA地区〜D地区(坂田マンション、花の香りエリアを含む)。坂田まつりにおいて子供会はお神輿練り歩きなどを実施。
棚原(たなばる)ちなひき=2001年、6年ぶりに行う。従来は12年に1度。今回は21世紀最初の年ということで開催。掛声は「ハドゥイヤ」。
獅子舞=旧暦6月から8月にかけての豊年祭や旧盆に行われる。獅子を舞わすことによって悪霊を払い世果報を招来し、五穀豊穣と部落の繁栄を祈願する。舞わすにはワクヤーが出てドラや太鼓、ホラガイで誘い出し、棒と戯れたり、まり遊びなどの独特な技を演じさせる。
小波津(8月・9月)、幸地(旧暦8月15日)、翁長、小橋川、内聞、小那覇、我謝、桃原(旧暦8月15日に道ジュネー)などで獅子舞が行われている。
小那覇十五夜=拝所「才口前(せーぐちじょう)」で催し、本獅子による獅子舞、小那覇独特の踊り「鶴、亀」、青年会による地謡などを奉納。
 ■エイサー
小那覇青年会
=エイサー。

内間団地青年会
=エイサー。

兼久青年会
=我謝の屋取であるため、地元の住人が少なく、他町からの移住民が大半。平成8年(1996)より青年会でエイサーに取り組むことになり、首里平良町青年会に指導を受けた。

幸地青年会
=エイサー。
 【米軍による廃村】
仲伊保・伊保之浜・崎原=米軍西原飛行場として土地を接収され集落は消滅した。この三集落の住民は1947年頃に我謝の県立農業試験場跡地に移住した。
この西原飛行場は後に返還され、現在は石油精製工場、住宅地、サトウキビ畑などになっている。

 ★展示場
 【沖縄市立郷土博物館】公式HPへ
沖縄市上地2丁目19−6。 пF098−933−6882。開館時間:9:00〜17:00。
休館日:月曜日、祝日・慰霊の日、年末年始(12月29日〜1月4日)。(月曜日と祝祭日が重なると翌日に振り替え休館)。
1984年開館。2つの展示室は歴史・文化コーナーと自然コーナーに分かれている。

第一展示室の歴史、文化コーナーは、貝塚時代から戦後に至る市の歴史、現在では風化しつつある民俗行事、市内に伝わる民俗芸能を紹介している。
 【うるま市立石川歴史民俗資料館 】
うるま市石川曙二丁目1番55号。 пF098−965−3866。開館時間:9:00〜17:00(入館は18:30まで)。
休館日:月曜日、祝祭日・6月23日の翌日、年末年始(12月29日〜1月4日)。(月曜日と祝祭日が重なると翌日に振り替え休館)。
入館料:無料。
展示内容:沖縄の「戦後政治・経済・教育・文化の発祥地」と言われる石川の終戦直後の様子を中心に展示する。戦後の沖縄行政の出発点、沖縄諮詢委員会、県立博物館の前身の東恩納博物館、沖縄戦後初の小学校、終戦直後の松竹梅の劇団、米軍服、HBTの更生衣料、規格住宅、カンカラ三線など沖縄戦後の政治・経済・教育・文化・生活の発祥地ならではの資料、写真を展示。
 さらにうるま市誕生より、旧市町の衣・食・住に関わる生活用具、生産に関わる農・漁具、衣類、葬制、民俗芸能などの民俗資料の展示を行う。
 【道の駅 かでな】公式HPへ
嘉手納町字屋良1026番地3。пF098−957−5678。
平成15年4月26日供用開始。嘉手納基地と安保の丘の目の前にある。
1階は特産品売店・宝くじ売場。2階はレストラン。
3階の学習展示室(9:00〜18:00)は嘉手納町の歴史や嘉手納基地について学べるスペース。シアター上映では千原エイサーのVTRが見れる。
最上階の屋根付き展望場からは、嘉手納基地が一望出来る。