沖縄県

南大東村役場 提供

   

北部地方国頭地区⇒〔名護市、国頭郡(国頭村、大宜味村、東村、本部町、今帰仁村、宜野座村、恩納村、金武町)]
        離島 国頭郡伊江村&島尻郡〔伊平屋村、伊是名村〕]


中部地方[中頭地方]⇒沖縄市、浦添市、宜野湾市、うるま市、読谷村、嘉手納町、北谷町、北中城村、中城村、西原町

南部地方⇒島尻地区〔那覇市、豊見城市、糸満市、南城市、南風原町、与那原町、八重瀬町〕
       離島   粟国村、渡名喜村、久米島町;大東諸島〔南大東村、北大東村〕;慶良間諸島〔渡嘉敷村、座間味村〕

宮古諸島宮古諸島〔宮古島市、多良間村〕
       


八重山諸島石垣市、竹富町、与那国町
          ※尖閣諸島は石垣市なので含める

◎主要参考文献
 海と島の思想 野本三吉著 現代書館

 沖縄のまつり 月刊沖縄社編集 月刊沖縄社

 沖縄の神社 加冶順人著 汲ミるぎ社

 おきなわの行事 イベントオールガイド ボーダーインク編集部編 暁書房

◎主要参考HP
沖縄祭祀データベース

お祭り日本の旅

村影弥太郎の集落紀行

     沖縄は日本である。日本人である。
しかしヤマト文化ではない。琉球文化である。
大体奄美大島より琉球文化が西に行くほど濃くなると言われる。
私論ではあるが、原則として祭礼は神社(例外として寺の地区もある)に宮入りするのが本来である。
(諸事情で宮司が来ることもあるが)神社と氏子がつながるのだ。
だから宮入りしない、ねぶた、ねぷたは民俗行事であるが、大きく祭り祭りに入れてもいいだろう。
 またヤマトは鳥居、神社 など形のある物を象徴とするが、
沖縄は自然そのものが神様(岩や海、樹木、川、土)である。

 さて沖縄でヤマト文化の祭礼はと言うと、大東諸島。
ここは八丈島の移民の地区なので、神輿、山車があるのだ。
あとは波上宮。ここは官幣大社なので、行政の力で神輿、天狗を導入したのでは無いだろうか。
明治12年の琉球処分により、琉球王国は沖縄県となり、それに伴いこれまでの制度は徐々に改められ、本土と同じ体制に変革され、
神社も同様に新体制に組み込もうと企画されたが、
明治12年の波上宮の官幣社列格と神仏分離を手始めに、
明治43年4月に県は神社組織の改革に着手したが、なかなか実行は難しかった。
ようやく昭和19年御嶽が正規の神社に認定され、県町村に神社を1社建立することが決定されたが、戦況が逼迫し沖縄戦が始まったために計画は立ち消えになった。

 さて沖縄の神賑の重要行事として豊年祭、海神祭(ハーリー)、エイサーを挙げたい。
豊年祭は大和の渡御(神幸祭)に相当し、
海神祭(ハーリー)はイベントとなったハーリーもあるが、極力あげてみた。
そしてエイサーであるが、エイサー=大和の盆踊りと極論もあるが、
旗頭、道じゅね などどう考えても大和と違うと思い記載した。

 また芸能としては大別して三通り考えられる。
■土着の芸能
沖縄で生まれ、育まれた芸能である。
臼太鼓(ウスデーク)、エイサー、棒踊り、獅子舞、他に地方の村踊り。
■日本本土から伝来した芸能
京太郎(チョンダラー)、フーヌンマ(南島)は多分に影響を受けていらようだ。
■中国芸能の影響を受け、沖縄で伝承された芸能
打花鼓(たーふあーく)、路次楽、唐人ジュネー、唐踊り など。

 このように沖縄を調べるほど不思議な?公式でくくれない度量の広さを感じた。
また沖縄戦で犠牲者の多さ、米軍に出身地を収容された部落の多さなど感じるところも多かった。
そして最後に大和と違い、沖縄は神が身近にいるようだと感じ入った。