沖縄県

 ≪北部地方≫

北部[国頭地区と離島の国頭郡伊江村、島尻郡〔伊平屋村、伊是名村〕

  ■国頭地区 ⇒名護市、国頭村、大宜味村、東村、本部町、今帰仁村、宜野座村、恩納村、金武町
   
  離島
      国頭郡伊江村&島尻郡〔伊平屋村、伊是名村〕

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 名護市
 ■本庁(旧・名護)管内
名護〔旧称は大兼久(おおがにく)〕、宮里(みやざと)、喜瀬(きせ)、許田(きょだ)、幸喜(こうき)、数久田(すくた)、為又(びいまた)、世富慶(よふけ)
 ※大兼久⇒名護 大半の地域が1989年〜2000年の住宅表示実施で以下の区名がそのまま町名となる。
⇒東江(あがりえ)、大北(おおきた)、大中(おおなか)、大西(おおにし)、大東(おおひがし)、大南(おおみなみ)、城(ぐすく)
東江豊年祭=9月下旬か10月上旬。場所は東江公民館。
公民館ヒヌカン(火の神)に始まる。区内拝所での御願、獅子による家廻り(厄除け)、道ジュネー、舞台演舞(21演目)。

大兼久豊年祭
=10月初旬。場所は大中公民館。

城豊年祭
=10月初旬。場所は城公民館。エイサー。

宮里豊年祭
=旧暦8月9日〜11日(9月上旬)。場所は宮里公民館。独特の女踊りをはじめ組踊などの演目。

喜瀬豊年祭=9月上旬。場所は喜瀬公民館。

許田豊年祭
=9月21日。劇。


幸喜豊年祭=9月上旬。場所は幸喜公民館。

数久田豊年祭=9月連休。場所は数久田公民館。舞踊、組踊、棒術。
エイサー休止⇒許田、数久田、為又
 ■屋部支所管内
旭川(あさひかわ)、安和(あわ)、宇茂佐(うむさ)、勝山(かつやま)、中山(なかやま)、屋部(やぶ)、山入端(やまのは
旭川⇒昭和18年(1943)独立。屋取集落。
旧暦8月10日、盆踊り・子供会のエイサーを行う。

安和=
ウシデーク⇒旧暦9月16日、19:30〜。安和神社前広場にて行われる。他部落の豊年祭にあたる。
 青年会のエイサー
は盆踊り、敬老会で披露。

宇茂佐
=敬老会。実質は豊年祭。村踊りなど。
旧暦8月9日〜11日。ウンケーとナカビは太鼓エイサー。ウークイは手踊りエイサー。

中山豊年祭=中山地区公民館にて。組踊り、子供エイサー。

勝山
=旧暦7月14日。昭和17年(1942)山入端や安和より独立。戦後衰退したが、1990年代前半に復活。

屋部区八月踊り・別れ=旧暦7月14日・15日・17日。屋部区公民館にて組踊り。
別れでは神人(かみんちゅ)が集落の神に祭りを報告。旗頭を先頭に約300人が道ジュネーに繰り出し、ホラ貝の音に合わせ「サーサーサー」と掛声を出す。

山入端豊年祭=山入端地区会館にて。
 ■久志支所管内
久志を2つに分けるとき久辺と久志に分かれるが、その場合「久辺」は久志・豊原・辺野古の3集落、「久志」は二見・大浦・大川・瀬嵩・汀間・三原・安部・嘉陽・天仁屋の9集落となる。
 ※久辺三区=久志(くし)、豊原(とよはら)、辺野古(へのこ)。
  二見以北十区=安部(あぶ)、大浦(おおうら)、大川(おおかわ)、嘉陽(かよう)、瀬嵩(せだけ)、汀間(ていま)、天仁屋(てにや)、二見(ふたみ)、三原(みはら)

 ☆実際は9つの集落しかないが天仁屋が天仁屋と底仁屋(そこにや)の2つの区に分けるので10区となる。
瀬嵩豊年祭=10月初旬。4年に1度。 婦人会を中心に子供子会、青年会、老人会まで各区のすべての団体が出演。

嘉陽豊年祭
=旧暦7月16日。道ジュネーから舞台演舞、獅子を獅子屋に奉納。

天仁屋豊年祭
=10月初旬。3年に1度。道ジュネーと舞台。
大浦区=8月中旬土曜。盆踊り。場所:大浦区公民館前の広場。獅子舞も出る。

大川区=8月下旬日曜。盆踊り。

汀間区=8月下旬土曜。盆踊り、青年エイサー。

天仁屋区=8月中旬土曜。盆踊り。

二見区=8月中旬土曜。盆踊り、カラオケ大会。

三原区=8月中旬日曜。盆踊り、カラオケ大会。
ドウドイ=子孫繁栄などを願う久志区の伝統行事。2011年は1月3日に開催。
雑木林から切り出した立ち木で十字形のウマを作り、子宝に恵まれることを願う男性を乗せて区内を行進する行事。
男性がウマに乗り、区民らの「ドウドイ、ドウドイ」の掛声に合わせて公民館まで行進する。
 ■羽地支所管内
集落は伊差川(いさがわ)、稲嶺(いなみね)、親川(おやかわ)、我部祖河(がぶそか)、川上(かわかみ)、源河(げんか)、呉我(ごが)、古我知(こがち)、田井等(たいら)、仲尾(なかお)、仲尾次(なかおし)、振慶名(ぶりけな)、真喜屋(まきや)
 【消滅集落】
羽地大川「羽地大川−山の生活誌」によると、羽地大川とは特定の集落名ではなく羽地大川という川の上流域の小開墾集落の総称で、主な入植時期は明治20年代〜30年代。最盛期には200戸を超える戸数があり、炭焼きなどの山仕事、イモ作り、米作りなどの農作業を生業とした暮らしがなされていたが,沖縄戦時の昭和20年に米軍の掃討作戦により屋敷が焼き払われ、その後住民は戻らなかったとのこと。
冊子には羽地小学校大川分教場跡記念碑(所在は羽地大川集落群の中心集落 タガラ)の写真があったが、今は羽地ダムが建設されダム湖に沈められたとのこと。それは碑に宿った魂は動かさないほうがよいという判断からだそうです。


潟原=『国頭の村落』に「潟原にも10戸程あったとされる。(中略)現在、潟原には集落は無い」とある。
稲嶺豊年祭=9月上旬。場所は稲嶺公民館。

源河の豊年祭=9月。場所は源河公民館。劇「ホーグぬ二本松」 など。

呉我豊年祭=10月初旬。4年に1度。道ジュネーから拝所での奉納踊り・棒、舞台上演。

仲尾次豊年踊り=10月初旬。場所は仲尾次公民館。
1890年に始まったとされる。踊りの中でも男性がたいまつを持って踊る「谷茶前」、県外から伝わったとされる「高砂」、猿に扮して踊る「猩猩」、平和を讃える「平和踊り」の4つは区独特のものだと言われる。


真喜屋豊年祭=9月上旬。場所は真喜屋公民館。
 ■エイサー
平成9年(1997)の名護市エイサー団体調査票には伊差川、古我知、田井等、仲尾次、振慶名、真喜屋、山田の青年会が記載されている。

 ■屋我地支所管内
 【屋我地島(やがじしま)
面積は7..81km2。周囲は16.0km。最高標高は55m。
人口は1279人(2023年、住民基本台帳)。1543人(平成27年、国勢調査)。1710人、871世帯(2012年)。2112人(平成7年、国勢調査)。
本島とは平成5年(1993)に屋我地大橋で繋がる。また平成22年にはワルミ大橋も架かる。

集落は運天原(うんてんばる)、我部(がぶ)、済井出(すむいで)、屋我(やが)、饒平名(よへな)。
屋我地の豊年祭=屋我地島は5つの字(済井出・饒平名・屋我・運天原・我部)があり、毎年持ち廻りで豊年踊りが行われている。
子供による獅子舞、屋我地青年会によるエイサー など。
                     
 【奥武島(おうじま)
面積は0.25km2。周囲は2.5km。最高標高は29.3m。無人島。
昭和28年に奥武橋、屋我地橋が架橋され、平成17年には古宇利大橋が完成。名護市の真喜屋から奥武島、屋我地島さらには古宇利島まで陸続きになった。
 【ヤガンナ島】
面積は0.003km2。羽地内海にある無人島。島内には亀甲墓・横穴堀込墓が多数ある。
 【名護さくら祭り】
1月最終土日。場所は名護中央公園、お祭り広場特設ステージ(さくら公園)、名護十字路大通り、名護漁港構内。
日曜のパレードは2012年を例にすると、丸大〜名護博物館で
小・中・高等学校ブラスバンドパレード(10:00〜)、婦人会踊りパレード(11:00〜)、名護市青年芸能祭踊りくわでぃさー(12:00〜)、仮装行列(13:00〜)。
 【名護市青年エイサー祭り】
8月下旬(雨天は翌週)、18:00〜。場所:名護市21世紀の森野外ステージ。2014年で25回を数える。
主催は名護市青年エイサー祭り実行委員会。
2014年の参加は子供エイサーの部は星のしずく保育園、あい保育園。
青年エイサーの部は伊差川青年会、城青年会、名桜エイサー、大西青年会、本部町瀬底青年会、為又青年会。
 【名護市長杯争奪全島ハーリー大会】
8月初旬。8:30〜18:00。場所:名護漁港。2014年で36回を数える。以前は名護市長杯争奪全島職域ハーリー大会と称した。
主催は名護市長杯争奪全島ハーリー大会実行委員会。共催は名護市、名護市商工会、名護漁業協同組合。

男女のハーリー全島ナンバーワンを競う。総合優勝チームに名護市長杯、単―職場チームに名護市観光協会長杯、また女性には特別賞としてコスチューム賞を贈る。
FRP船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち
 ■アブシバレー(ハーレー)
仲尾次
=旧暦5月4日。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち。


辺野古アブシバレーハーレー=辺野古。旧暦4月中の日曜。木造船4隻の爬龍船による競漕。小櫂8丁・大櫂1丁・鐘打ち

豊原=旧暦5月頃の日曜。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち。

久志=旧暦4月吉日か5月初旬。グラスファイバー船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち。

白保=旧暦5月4日。グラスファイバー船2隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。

 国頭村(くにがみそん)
面積の23%を、米国海兵隊の訓練場が占める。
集落は安田(あだ)、安波(あは)、伊江(いえ)、伊地(いじ)、伊部(いぶ)、宇嘉(うか)、宇良(うら)、奥(おく)、奥間(おくま)、我地(がじ)、鏡地(かがんじ)、宜名真(ぎなま) 、佐手(さて)、謝敷(じゃしき)、楚洲(そす)、美作(ちゅらさく)、桃原(とうばる)、浜(はま)、半地(はんじ)、比地 (ひじ)、辺戸(へど)、辺野喜(べのき)、辺土名(へんとな)、与那(よな)
豊年祭=旧暦8月。各区にて。

比地の豊年踊
=2年に1度の開催(西暦奇数年)。男性だけでアサギで踊りや道ジュネーをして、豊年を願う伝統を引き継ぐ。夜の舞台では区婦人会や郷友会も出演。


辺土名豊年祭=2年に1度の開催(西暦偶数年)。2012年は9/22、23。道ジュネは公民館⇒商店街⇒上島のノロ殿内に行き、奉納の儀。
2012年の演目は「長者の大主、恩納節、前之浜、実行委員会挨拶、浜千鳥、辺野喜節、谷茶前、子供会エイサー、花笠、首里城音頭、貫花、南洋千鳥、花風、よそぎバーチー、辺土名郷友会会長挨拶、鳩間節、青年会エイサー、マブジャーマー、下り口節、まんしゅく節、高平良漫才、松竹梅、副委員長挨拶そしてカチャーシー」。

与那区豊年祭=2年に1度の開催。旧盆明けの最初の亥の日、18:30〜22:30。演目は「長者の大主」から始まり20演目。
 【安田のシヌグ】
国指定重要無形民俗文化財。旧暦7月の初亥日に行われる。西暦奇数年はウフシヌグ(大シヌグ)。偶数年はシネグング(小シヌグ)。小シヌグは夕方からの行事のみ。
シヌグとは収穫期が過ぎて、次の農期に移る前に行われる災厄祓い、豊作祈願を行う祭りのことで沖縄北部や離島に多く残る。

 風習にのっとった「ヤマヌブイ」(山登り)では男たちがササ、メーバー、ヤマナスと呼ばれる三方の山に入り、花や草木をさした輪状の藁、茅を頭に被り、草や蔓などを身にまとい神になり、「エーヘーホーイ」と掛声を上げ集落へ向け行進。集落で待ち受けた女たちに、「スクナーレー」と唱え、枝を振り掛けて悪霊を払った。その後、全員で海岸に行き、海山の神に五穀豊穣と豊漁を祈願したする。これが「ヤマヌブイ」。
 続いて夕方よりタンクサトエー(田草取り)の踊り、ヤーハリーコー(神アシャギの屋根に丸太を突き通す)、ウシンデーク(古舞踊)、みんなでカチャーシーを踊った。

 【シヌグとウンジャミ】
シヌグ祭り
⇒シニグ、シヌグイとも言われ大体本島北部から中部にかけて(国頭村辺戸・奥・安波・安田、名護市汀間、本部町備瀬・具志堅・伊野波・辺名地、伊是名島、伊平屋島、伊計島、浜比嘉島さらには沖永良部島、与論島などに分布しているといわれる
の年中行事で、各地の儀式には違いがあり、男の祭りとも伝わる。

ウンジャミ=
ウンガミ・ウナイウガミとも呼ばれ、行われる海神を祭る豊漁と豊作祈願の祭り。
ウナイウガミ(女をおがむ)から女の祭りとも伝わる。
奥=盆後の初亥、7月の初亥。シヌグ・ウンジャミを一年交替で行う。
楚洲=7月の初亥。シヌグ・ウンジャミを一年交替で行う。
安田=7月の初亥。シヌグ・ウンジャミを一年交替で行う。
安波7月の初亥。シヌグ・ウンジャミを一年交替で行う。
辺戸7月の初亥。シヌグ・ウンジャミを一年交替で行う。
辺野喜=7月盆後初亥。
宇屋嘉=7月盆後初亥。
謝敷=7月盆後初亥。
佐手=7月盆後初亥。
与那=7月盆後初亥。
辺土名=7月盆後初亥。
桃原=7月盆後初亥。
半地=7月盆後初亥。
浜=7月盆後初亥。
比地=7月盆後初亥。
奥間大綱引き=旧暦十五夜(8月)。18:00〜。西暦偶数年開催。場所:奥間小学校グランド。
 【2010行事予定】
会場開き〔18:00〜〕
ストリート ダンス〔18:05〕
青年会エイサー〔18:35〜〕
奥間エイサー〔19:00〜〕
奥間獅子舞〔19:30〜〕
スネー・提灯行列〔20:40〜〕
カンヌキ投入〔21:00〜〕
エール交換〔21:20〜〕
大綱引き開始〔21:30〜〕
閉会〔22:30〜〕
 ■エイサー
国頭青年会
=平成17年復活。旧盆の3日間には国頭村内の全20集落を20分ずつ道ジュネーして回る。
隣りの大宜味村の青年会より習ったものに、アレンジを加えながら現在の形になる。
海神祭=旧暦7月。各区。

アブシバレー=安田。5月2土曜。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂9丁・大櫂1丁。

アブシバレー=宜名真。5月中旬。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂6丁・大櫂1丁。

アブシバレー=安波。5月第2土曜または日曜。・グラスファイバー船2隻の爬龍船による競漕。小櫂8丁・大櫂1丁(古くは太鼓があった)。

辺土名ハーリー=辺土名漁港の東側の浜辺。辺土名成人会主催。2011年で21回を数える。
 【国頭村まつり】
8月最終日曜開催。場所:国頭中学校グラウンド(国頭村字辺土名)。2011年で26回を数える。主催は国頭村まつり実行委員会(国頭村役場 企画商工観光課内)。
ハーリー大会、丸太切り大会、花火 など。

ハーリーはグラスファイバー船3隻の爬龍船による競漕。小櫂8丁・大櫂1丁。

 大宜味村(おおぎみそん)
集落は上原(うえはら)、江洲(えす)、大兼久(おおがねく)、大宜味(おおぎみ)、押川(おしかわ)、喜如嘉(きじょか)、塩屋(しおや)、謝名城(じゃなぐすく)、白浜(しらはま)、大保(たいほ)、田嘉里(たかざと)、田港(たみなと)、津波(つは)、饒波(ぬうは)、根路銘(ねろめ)、宮城、屋古(やこ)。
 【大宜味村夏まつり
8月中旬土日に開催。大宜味村青年まつり(2013年で33回)と大宜味村ふるさとまつり(2013年で23回)が合同で行うイベント。
土曜は17:00〜。日曜は14:30〜。場所:塩屋漁港。
主催は大宜味村夏まつり実行委員会。村青年会、村商工会、村婦人会を中心に村内各種団体の協力のもと開催。
ヒージャー(山羊)争奪綱引き大会、ちびっこ太鼓、地元青年会によるエイサー、花火大会などがある。
 【塩屋湾のウンガミ(海神祭)】
国指定重要無形民俗文化財。毎年旧盆明けの初亥の日の前後3日間に行なわれる豊年祈願の行事。
田港区・屋古区・塩屋区・白浜区で行われる行事で、1年交代でウグァンマール(御願年)とウドイマール(踊り年)を行う。
 前日行われる「ウンケー」と呼ぶ神迎えの神事に始まる。祭の当日、田港、屋古、塩屋のカミンチュ(神人、女性)が集まり、連れ立って行列を組み、多くの供人を連れながら、田港アサギ、屋古アサギと場所を移り、神事が繰り返される。
 弓を手にした神女が「ヨンコイ、ヨンコイ」と唱えながらアサギの柱を回り、世果報(ゆうがふう)を祈る。
祭のハイライトは14:00に塩屋湾を横切る舟漕ぎ競争でウガンバーリー(40人乗り)3艘が「エイサー、エイサー」の掛声で沖へ走り、やがて戻ってくる。女性たちが半身海に浸かりながら太鼓を叩いて手ぬぐいを振りながら漕ぎ手の男性に声援を送る。
最後にヌルが竜宮の神に豊作と豊漁を祈願する。
翌日は、ウグァンマールの年はヤーサグイの儀式が行われ、ウドイマールの年はアサギマーでのウドイ(踊り)が行われる。

海神祭(ウンガミ)=根路銘。旧盆後の亥の日開催。木造船3隻の爬龍船による競漕。漕ぎ手の数は決まっていない。

塩屋区豊年踊り隔年。海神祭の翌日。女性達だけによって演じられる。

謝名城地区の豊年踊り
=旗頭(2007年新調)を先頭に長者の大主、琉装の区民が区内を練り歩いて始まる。丘の上にある蔵庭(クランマー)で奉納舞踊を終えた後、公民館の広場と舞台で区民自慢のエイサーや、七福神などの舞踊が披露される。
大正13年(1924)、玉城金三氏の指導で琉球古典音楽をふんだんに取り入れている。


饒波区豊年踊り=隔年。豊年踊り。
大宜味村青年協議会=青年男女のエイサーで、中部風の太鼓エイサー。

大兼久エイサー
=女性のみのエイサーで、円陣を組み、太鼓のリズムにあわせ円をまわり踊る。
大兼久ハーリー=旧暦4月15日前後の土曜(=5月中旬土曜)。17:00〜。大兼久海岸。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂9丁・大櫂1丁・太鼓打ち。

 東村(ひがしそん)
国頭郡の国頭半島東部に位置する。集落は高江、宮城、川田、平良、慶佐次、有銘。
豊年祭=空手演舞、お芝居、お笑い、ダンス、日舞、太鼓、いろんな神賑。
高江=3年毎に開催。琉球舞踊、空手演舞、お芝居、お笑いダンス、日舞、太鼓 などを披露。

宮城
=3年毎に開催

川田
=3年毎に開催

平良
=3年毎に開催。「かぎやで風」、「上り口説」、「五福の舞」などの伝統的な舞踊、子供会や婦人会、老人会の踊り、成人会による寸劇などの舞台芸。

慶佐次
=豊年祭が2011年、約10年ぶりに実施。本来は3年毎に開催。
区内の拝所で祈りと踊りをささげたあと、アサギで再び踊りを披露。その後公民館で多数の演目が披露される。

「アカヤマー」は喜劇の一種。

有銘=3年毎に開催。
組踊「奇縁の巻」は大正7年から伝わる。昭和62年に37年ぶりに復活。
「女手踊り」は廃藩置県以後、山原に移住してきた武士により伝えられた“御冠船踊り”の中の1つである。昭和56年に30年ぶりに復活。
有銘大綱引き有銘は豊年祭、区民運動会と交代で3年に一度行う。場所:有銘グラウンド。
最初は稲刈りが終わった後の藁を使って子供たちが行っていたものが大人達の行事になったと伝えられている。また角力大会も行われる。
海神祭=川田。旧暦6月25日。木造船2隻の爬龍船による競漕。小櫂8丁・大櫂1丁・鐘打ち。

海神祭(平良ハーリー)
=平良区。旧例6月25日開催。 木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂8丁・大櫂1丁・鐘打ち。                                   
 本部町(もとぶちょう)
行政区は平成17年の行政区統合で27区⇒15区へ、字名は残して行政区のみを見直し、「人口千人以上、世帯数300戸以上」をめどに、統合した。
瀬底(せそこ)区、崎本部区、健堅(けんけん)区、大浜(おおはま)区、伊豆味(いずみ)区、谷茶辺名区(谷茶と辺名地)、大東山区(大嘉陽・東・山里の各区の連合)、渡久地区、伊並区(伊野波+並里)、浜元(はまもと)地区、謝花(じゃはな)区、具志堅(ぐしけん)区、新里(しんざと)区、備瀬(びせ)区、豊川区。

瀬底(せそこ)※番地が1〜5000番台は瀬底島、6000番台は水納島。
 【やんばる青年エイサーまつり】
8月中旬、谷茶公園(谷茶446−2)で開催。13:00〜21:00。2014年で2回を数える。
以前は本部町青年エイサーまつりと称した。
各青年会とゲストの青年会が出演。2014年は大浜青年会(手踊り)、伊並青年会(手踊り)、渡久地青年会(手踊り)、大東山青年会(パーランクー)、瀬底青年会(手踊り)とゲストの恩納村喜瀬武原青年会(締め太鼓)、大宜味村青年団協議会(締め太鼓)、名護市城青年会(手踊り)が出演した。
辺名地 辺名地神社
並里 並里神社
健堅 浜崎神社
健堅 宇座茂神社
浜元 浜元神社 旧暦の8月15日 豊年祭
渡久地 渡久地神社 旧暦の8月15日 豊年祭 3年おきに豊年祭と綱引きを交互に実施
豊年祭は6年に1度(2011年実施)。昼の道ジュネーでは、区民約300人が棒術や踊りを披露しながら、東神社から西神社までを約2時間かけて練り歩く。夜は町営ホールで、琉舞や組踊など18演目が上演。
伊野波 伊野波神社
伊豆味 伊豆味神社 十五夜 豊年祭 4年に1回(2011年実施)道ジュネー、棒、舞踊
伊豆味の豊年祭=起源は定かではないが、村のはじまりの頃からあったのではないかということで、1666年に今帰仁間切の屋取から伊豆味村(現在伊豆味区)になった頃からあったと思われる。
当日は旧暦の8月13日にあたり、さらに中秋の十五夜を最終日で4年に一度(4年まーる)開催するのが習わし。
開催前日神の前で参加者全員(棒部/踊り部/仕立て部/総務部/など実行委員全員の名前を出し豊年祭を成し遂げることを神々に宣言する『ナーンジャミ』が行われます。
豊年祭当日先ずは代表者たちによって神社や根所(根家)への拝み(祈願)から執り行われます。
奉納芸能が行われる前に出演者総出で行列になって道ジュネーから始まる。
道ジュネーには、少年から壮年までの棒術部、踊り部、婦人部、レクレーション愛好会の長い行列が一筋に連なります。
神社前に到着すると婦人部とレクレーション部の舞いが奉納され、その後、棒部が総出で『総巻き』。全員が棒を掲げながら「ヒョーイ、ヤイ」と掛け声をあげ、渦を巻くように走り込みます。
総巻きのあとは、棒術が『いっそう棒』『たんかー棒』『団体棒』と3回に渡って奉納。
また奉納踊りでは17演目。(『長伊平屋節』、『大願口説』など)。
組踊は『伏山敵討』(富盛大主)と『久志の若按司』(天願の若按司)が多いが、かつては『義臣物語』『大川敵討』『忠臣身替わりの巻』『姉妹敵討』『高山敵討』『本部大主』『屋蔵の比屋』『手水の縁』が上演された。
最終日[別れ]
16時頃に、「カミヤー」の前に集合し、仮装行列をスタート。公民館前、伊豆味小学校を抜けて伊豆味神社前に到着し、一同礼拝。これは、すべての行事が、伊豆味の神々に奉納するために行われていることを内外に宣布する儀式である。青年たちの棒術や婦人会の踊りに続いて18時頃から舞台での演技が始まる。演目は全22組〔長者の大王 スンサーミー かぎやで風、こてい節、四季口説、浜千鳥、上り口説、棒術、谷茶前、貫花、前の浜、長伊平屋節、棒術、亀の甲、四ッ竹、鳩間節、下り口説、加那ヨー天川、花風、松竹梅 鶴亀、棒術、平良万才、大願口説〕いずれも琉球古典の格式に則った厳粛な舞踊である。
伊豆味の操り獅子。
最後は総踊りは出演者だけでなく、実行委員、役員のみなさんも舞台にあがりゼイを持ったりしながら半時計回りに行列が渦を描き、カチャシーへと展開した後、最後に全員で一礼し、終演を迎える。
具志堅区=道ジュネー、舞台。

浜元区=道ジュネー、舞台。
 ■綱引き
本部町では数ヶ所で行われているが、字あげて盛大におこなっているところは渡久地と瀬底。

渡久地=旧暦の8月15日に村おどり(4年ごと)を中にはさんで7年ごとに行われる。
綱引きの当日は、東西のアサギで神女(カミンチュ)の御願が行われた後、13:00頃から道ジュネーが行われる。旗頭を先頭に、ミルク、ナギナタなど東西30余種、数多くの区民が出演し、三味線や太鼓の音に合わせて多種の芸を披露しながら、東のアサギから西のアサギまで練り歩く。
道ジュネーが終わると、16:30頃から本部郵便局前の中通りで上半身裸になった青年男子が支えるバンクに乗った牛若丸と弁慶が東西から現れ、綱の結合するところでにらみ会い、激しい戦いのしぐさをしたあと駆足で東西に分かれると、雌雄の綱がカヌチャでつながれ審判長の合図で東西の激しい引っ張り合いが始まる。
伊豆味の操り獅子=国選択文化財。本島北部の3つの地域〔伊豆味のほかは、名護市川上、今帰仁村謝名〕にしかない。
2頭の獅子が向き合い、舞台中央の宙に浮かぶ銀の珠をめがけて飛びつきジャレ合うが、操り人形のように糸を使って1人で同時に頭と胴(尾)を操作するというもの。
なお平成13年に新調した際には、三体を作り、一体はウガン用(御願)で残り二体は練習用とし、後継者育成に取り組んでいる。
 ■ハーリー
新里ハーリー大会=新里。7月日曜(隔年)。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。

海神祭=健堅。旧暦5月4日、その週の最初の日曜。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁

備瀬ハーリー大会=備瀬。6月(隔年。運動会と交互)。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂12丁・大櫂1丁。

 【瀬底島(せそこじま)
面積は2.99km2。周囲は7.3km。最高標高は76m。
人口は937人(2023年、住民基本台帳)。784人(平成27年、国勢調査)。931人(平成17年)。

1985年2月13日、瀬底大橋(全長726m)で本島と結ばれる。神社は石嘉波神社。
 ■綱引き
(14:00〜)道じゅね〜(17:00〜)綱引き(18:00〜)相撲
 【水納島(みんなしまorみんなじま)
面積は0.47km2。周囲は4.6km。人口は49人(平成16年)。明治23年ごろ瀬底島から13戸が移住、集落が形づくられた。
 【本部海洋まつり・やんばる青年エイサー祭り】
8月初旬。同時開催。金曜は前夜祭として闘牛大会が開催。観覧無料。本部闘牛場(本部町浦崎)18:00〜20:30。
海洋まつりは渡久地港で開催されるハーリー大会。県内から集まった強豪が参加。13:00〜。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。2014年で41回目。

やんばる青年エイサー祭りは谷茶球場(谷茶446−2)。17:00〜21:00。2014年で2回目。
 【もとぶ青年エイサーまつり】
旧盆中日、19:30〜22:00開催。場所:本部町陸上競技場。主催は本部町青年団協議会。平成21年で6回目。
平成21年は10青年会参加。伊豆味(いずみ)、伊野波(いのは)、浦崎(うらさき)、大浜(おおはま)、健堅(けんけん)、渡久地(とぐち) など。

 今帰仁村(なきじんそん)
 【豊年祭】
旧暦8月に五穀豊穣と村人の繁栄を祈願して豊年祭が開催。
毎年開催:湧川区
隔年で開催:今泊区、兼次区、諸志区、与那嶺区、仲尾次区、崎山区、謝名区、仲宗根区、勢理客区、渡喜仁区、上運天区、古宇利区
湧川区=1738年に創設された。地区内には御嶽や神アサギ、新里ヤーなどの拝所がある。豊年祭には棒術や路次楽(県指定文化財)などが行なわれる。

今泊区
=1972年、今帰仁と親泊が合併。そのため二つの神ハサギが統合されることなくある。麓に今帰仁ノロ殿内があり、今帰仁村・親泊村・志慶真村の祭祀を掌る。
旧暦8月13日〜15日開催。道ジュネー・棒術。

兼次区、諸志区、与那嶺区=伝統芸能。

仲尾次区=
豊年踊り。2011年10月5、6日に同区公民館の前の特設ステージにて豊年踊り始まって120年の記念式典を行う。

崎山区
=伝統芸能。

謝名区
=アヤーチ獅子。県指定無形民俗文化財。

仲宗根区
=4年に1度。
1日目:(14:30〜)道ズネー(仲宗根橋横広場出発⇒給油所前、Aコープ前、お宮前で演舞)スーマチ(ムカジマチ)や団体、チュイボー(一人棒)、タイボー(二人棒・組棒)など。
(18:30〜)奉納芸能(お宮前広場舞台)。
2日目:(18:30〜)奉納芸能(お宮前広場舞台)。

勢理区
=伝統芸能。

渡喜仁区
=伝統芸能。

上運天区
=旧8/15、十五夜。獅子舞、豊年踊り、古武術 など様々な演目。最後はカチャシー。

古宇利区
=伝統芸能。
運天の海神祭(ハーリー)=場所は運天漁港。主催は今帰仁村漁業協同組合
運天の海神祭は、航海の安全と豊漁を祈願してハーリーが行われる。海神祭は、大正2年に鯨を捕獲し、それを祝ったことが始まりだと云われている。
 【今帰仁村総合まつり】
2010年、今まで村内で催されていた3つのおまつり「第31回今帰仁村まつり」=8月第一土日開催。場所は今帰仁の駅、そーれ横広場。「第28回今帰仁村文化祭」=10月下旬開催。会場は村中央公民館、村コミュニティセンターだった。「第20回健康まつり」が一体化して「総合まつり」となった。
10月下旬土日、今帰仁の駅、そーれ横広場、村営闘牛場 などで開催。主催は今帰仁村まつり実行委員会(村役場内)。音楽ライブ、伝統芸能、カラオケ大会、ちびっ子相撲、花火等。
 ≪2011の行事予定≫
 ■土曜

オープニングセレモニー (コミュニティーセンター)〔15:10〜15:20〕
歌と踊りの祭典( コミュニティーセンター)〔15:30〜18:00〕
サークルの輪 (屋外ステージ)〔18:10〜19:30〕
いまじん太鼓( 屋外ステージ )〔19:35〜20:05〕
花火( まつり会場)〔20:10〜20:25〕
島うたLive (まつり会場)〔20:30〜21:00〕
 ■常設コーナー・展示
展示(絵画・写真・書道・工芸・手芸・生花・健康コーナー・その他) (まつり会場)〔15:00〜18:00〕
特産品販売・屋台・テナント (まつり会場)〔14:00〜21:30〕
 
 ■日曜
沖釣り大会(運天漁港)〔9:00〜13:00〕
各字対抗パークゴルフ大会(今帰仁ウェルネスゴルフ場)〔9:00〜14:00〕
闘牛大会(村営闘牛場)〔13:00〜14:30〕
各字対抗小学生三輪車レース大会 (まつり会場)〔13:30〜14:30〕
綱引き大会 (まつり会場)〔15:00〜16:00〕
3歳児健診 むし歯ゼロ表彰 (屋外ステージ)〔16:00〜17:00〕
青年エイサー(仲宗根区)( 屋外ステージ)〔17:10〜17:40〕
踊り(老人・婦人・子供・その他) (まつり会場)〔18:00〜18:40〕
実行委員長あいさつ( まつり会場)〔18:50〜18:55〕
琉球芸能 唄舞〜い 民踊ショー(まつり会場)〔19:00〜19:30〕
カラオケ大会(屋外ステージ)〔19:40〜21:00〕
 ■常設コーナー・展示
展示(絵画・写真・書道・工芸・手芸・生花
・健康コーナー・その他) (まつり会場〔10:00〜17:00〕
特産品販売・屋台・テナント(まつり会場)〔10:00〜21:30〕
 【古宇利島(こうりじま)
面積は3.12km2。周囲は7.9km。最高地点は107m。人口は381人(2013年)。
名護市の屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋(全長1960m)は2005年2月8日に開通。さらに本島と屋我地島は2010年にワルミ大橋で繋がった。
古宇利島の海神祭(ハーリー)=旧暦7月盆後の初亥(8月)。場所は古宇利漁港。ウンジャミ(祭祀)の最後の日に東、西、中と舟を三つに分けウプドマイの浜でハーリーが行われる。

古宇利大橋開通記念全島ハーリー大会=10月下旬。場所は古宇利港湾、古宇利橋詰広場。主催は古宇利区。
 宜野座村(ぎのざそん)
沖縄本島の辺戸岬と喜屋武岬のほぼ中間で阪神タイガースの1軍キャンプ地。米軍の軍用地が町面積の51%を占める。
集落は松田区、宜野座区、惣慶区、福山区、漢那区、城原区の6つ。
松田(まつだ)区=豊年祭。隔年の旧暦8月13日、14日、15日に区内のアシビナーで開催。
27の演目。松田区独特の舞踊「道づね」・「ヨド天川」、劇、獅子舞などがある。

宜野座(ぎのざ)区=豊年祭。隔年に区内の公民館近くの広場・平松毛で開催。
 祭りの前には区内の拝所を廻る道でジュネーを行い、婦人会や老人会による「宜野座音頭」、子供たちの棒術が披露。
  夕方から始まった舞台には区の青年団、成人会でつくる二才団が出演。午前零時ごろまで続き、組踊「忠臣身替の巻」、歌劇「泊阿嘉」も上演され、最後は県指定無形民俗文化財の京太郎で締めた。

惣慶(そけい)区=豊年祭。綱引き、沖縄相撲など。

福山(ふくやま)区⇒昭和10年(1935)以降の開墾。終戦後、宜野座村の分離・独立と 同時に行政区となる。
=詳細不祥。


漢那(かんな)区=豊年祭。地区独自の伝統芸能の舞踊、人情喜劇などを、地域の人々が熱演。

城原(しろはら)区⇒屋取集落。終戦後、宜野座村の分離・独立と 同時に行政区となる。
=9月初旬の納涼祭(公民館で開催)でエイサーを呼ぶ。
 ■エイサー
松田区
=村遊びが盛んな地区でエイサーは無かった。
平成7年(1995)に青年会の活性化のために、公民館主催でエイサー講座が開講され、盆踊りにエイサーを披露したが、根付いていないようである。

惣慶区=1965年ころ、南大東島出身の宮城ノブオさんが惣慶に移り住み、沖縄市園田のエイサーを伝えたのが始まり。
演目は 「貫花、7月エイサー、馬山川、てんよー、海のちんぼーらー、あやぐ、海やからー、いちゃび小、久高万寿主」。

漢那区=石川に習いに行き始まる。
演目は「仲順流れ、久高万寿主、ヌーリー東、具志堅小唄、ツンドースリー、宮古あやぐ、海のちんぼーらー、村遊び、てんよー」。
宜野座村旧盆青年エイサー=8月下旬。村内各地。
 【宜野座村まつり】
10月下旬の土日に、隔年(西暦偶数年)に開催される。場所は宜野座村農村公園・総合体育館。2014年で22回を数える。主催は宜野座村まつり実行委員会。
ステージではゲスト、子供たちのダンス、村民カラオケ大会、村内エイサーの演舞など。ステージ外でも全島沖縄角力大会、手作りコーナー、お化け屋敷、宜野座村の農産物の展示即売会も行われる。

両日共に最後は花火である。

 恩納村(おんなそん)
集落は名嘉真(なかま)、安富祖(あふそ)、喜瀬武原(きせんばる)、瀬良垣(せらがき)、恩納(おんな)、谷茶(たんちゃ)、冨着(ふちゃく)、前兼久(まえがねく)、仲泊(なかどまり)、山田(やまだ)、真栄田(まえだ)、宇加地。
 ■豊年祭
旧8月15日、公民館で開催。
名嘉真、安富祖、瀬良垣、恩納(毎年)

南恩納(3年に1度)=昭和22年(1947)11月27日、南恩納区事務所前で開催されたのが始まり。字恩納が恩納区と南恩納区に分かれてから3年後である。
当時は豊年祭ではなく、村芝居と称した。現在は3年に1度の年中行事として南恩納区公民館体育館で敬老会と兼ねて開催。
豊年祭が無い年は運動会をする。
平成18年のプログラムでは開会の挨拶、長者の大王、上り口説、四季口説、四ツ竹、鶴亀松竹梅、浜千鳥、花売りの縁、下り口説、花風、揚作田、鳩間節、むんじゅる、前之濱、長恩納節、馬山川、高平良万歳、閉会の挨拶。
 詳しくは平成22年発行、「南恩納字誌」参照。

仲泊=4年に1度なれど、初日、中日、最終日と三日間開催。
 ■臼太鼓
名嘉真、恩納、谷茶、冨着、仲泊
エイサー=旧7月15日、村内15の各字。名嘉真、安富祖、喜瀬武原、瀬良垣、恩納、谷茶、冨着、前兼久、仲泊、山田、太田、塩屋、南恩納で行われる。
真栄田(まえだ)、宇加地では行われない。
 【恩納村青年エイサー祭り
所は恩納村コミュニティ広場。恩納村には15字があり、その中の13字でエイサーが継承されている。大体恩納村内8〜10字のエイサーが参加する。
前兼久ハーリー=旧5月4日、前兼久漁港で開催。主催は前兼久ハーリー実行委員会。漁港内を往復するおよそ300mのコース。
木造船3隻の爬龍船による競漕だったが、2017年には一般の部31、女性の部8が出場するようになる。小櫂10丁・大櫂1丁。


県知事旗争奪 万座ハーリーフェスティバル=7月日曜。万座ビーチホテル(第1ビーチ)。
沖縄伝統文化の継承者達の高い技術を来場者や宿泊者に間近で見て頂くため、県内各地から海人や強豪チームを多数招へいしたチャンピオンレースの他、一般参加によるチャレンジレースがあり、伝統とレクリエーションを融合した海のエンターテインメントである。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。

 金武町(きんちょう)
米軍の軍用地が町面積の59%を占める。
集落は中川区・並里区・金武区・伊芸区・屋嘉区の5つ。
棒スケエ=並里地区。55年ぶりに復活。

ミルク踊り=金武区。30年ぶりに復活。

南ヌ島(フェーヌシマ)=町指定指定文化財。伊芸。南ヌ島保存部。
南土風土記によると、南島踊りの起源・昔南蛮諸国と交渉のあった読谷村長浜に伝わったであろうと言われています。
言伝えによると恩納村名嘉真から伝わり、具志川市田場にも伝えたと言われている。赤く染めたつるをかぶり、打掛け服装で鉄の鎖をつけた六尺の棒を持つ四人が「ハウー」の掛声と共に出場し、棒の演技を終わって退場すると、代わって三尺棒を持った四人が入場し演技を終えて退場する。
次に8名が「ハーイーヤ」の囃子で入場し、演技を終わって退場する時には独特な「サールゲー」で退場する。
 ■綱引き
戦前は各部落とも6月25日に綱引きを行った。しかし金武・並里は予行演習なもので、本番はお盆の翌日の7月16日であった。
金武町大綱引
=不定期開催。場所は国道329号。主催は金武町大綱引実施本部。
1996年、17年ぶりに開催。その次は5年ぶりに2001年だった。2012年は行われなかった。
綱引きの前に行われる、たいまつで叩き合う「テービー」も勇ましい。
金武区中心の雄綱側、並里区中心の雌綱側に分かれて一本勝負する。大綱は全長130m。重さ20トン。この後、同区公会堂前で角力が行われる。
戦前はほとんど毎年のように行われていたが、戦後は不定期に開催されるようになった。

伊芸=戦前は1年おきに綱引きで、綱を引かない年はエイサーや村芝居が行われた。戦後は昭和22年に1度引いたのみ。

屋嘉=戦前は1年おきに綱引きで、綱を引かない年はエイサーや村芝居が行われた。
最近では2013年に集落排水工事完了記念に9年ぶりに行った。2004年は36年ぶり。戦後第1回は弁務官資金により、昭和43年に水道工事が竣工した年にも引いた。
 ■八月十五夜
十五夜は観月というより、月拝みであり、豊作感謝の祈願で戦前は部落ごとに村芝居・獅子舞が行われたが、現在は金武、並里だけであると昭和58年発行の金武町誌には書かれていたが、現在は観月祭(並里は十五夜村あすび)という名称で旧暦8月15日の夜に金武区・並里区・伊芸区が行っている。
 ■エイサー
中川区=具志川から伝えられたと云われる。県内唯一の青年会エイサーでウスデーク主体の太鼓。
演目は「仲順流れ、久高万寿主、テンヨー、今帰仁ぬ城、いちゅび小、かよい舟、スーリ東」。

並里区=金武区同様、具志川の屋取集落なので、医保原のエイサーの流れを汲んでいる。

金武区=昭和35年頃に隣村の喜瀬武原や金武町伊保原(イーフバル)から伝わった形をベースに、大太鼓・締太鼓・地謡・鐘(キンキン)・女手踊りで構成。

伊芸区=演目は「いりくー(入場曲)、仲順流れ、久高万寿主、ヌーリー東、安里屋ユンタ、いちゅび小、ケーヒットゥイ小、テンヨー(退場曲)」。

屋嘉区=昭和7年の頃から始まったと言われている。その頃、屋嘉村に越来出身の大工廻ジットゥという人が、日雇い労働をしながら住み付いていた。屋嘉区のエイサーはこの人の指導によって生まれたので、その手さばきは越来エイサーの系統だと言われている。
演目は「仲順流れ、久高万寿主、テンヨー、スーリー東、加那ヨー、谷茶前、汗水節、あやぐ、とたんがーにー、さいよ!」。
 【金武町青年エイサーまつり】
毎年旧盆明けの最初の土曜か日曜、16:00〜21:00開催。場所は金武町町営グラウンド。2012年で13回を数える。主催は金武町青年団協議会。
金武町各区の青年会(中川区青年会、金武区青年会、伊芸青年会、屋嘉区青年会、並里区青年会)のエイサーが出演する他、名護市、沖縄市からも青年会のエイサーが招かれ演舞を披露する。また県内インディーズバンドの演奏なども行われる。
 【ハーリー】
5月に金武・並里・中川(三ヶ所で競漕)。
 【金武町まつり】
10月中旬開催(以前は8月)。場所は金武町営グラウンド(金武町字金武7758)。主催は金武町まつり実行委員会。
並里保育所演舞(棒スケエ) やエイサーなどの伝統芸能をはじめ、すもう大会・花火大会など、盛りだくさんの内容。

 ■離島〔国頭郡〕
 伊江村
 【伊江島(いえじま)】
面積は22.77km2。周囲は23.6km。最高標高は172.2m(城山)。
人口は4852人、2231世帯(2012年)。5131人(平成7年、国勢調査)。

集落は川平、東江前、東江上、西江前、西江上、阿良(あら)、真謝(まじゃ)、西崎の8つ。
米軍基地は一時は島の面積の約半分だった。5度にわたり返還がなされたが、それでも島全体の35%が米軍基地である。
伊江村海神祭(バーリ)=旧暦5月4日13:00〜。伊江港。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂12丁・大櫂1丁。
会場には
伊江島青年会旧盆巡回エイサー=旧暦7月13日・14日。伊江村の青年会の若者たちが、村内の商店街、公園などを巡回しながらエイサーを披露。
 ■離島〔島尻郡〕
 伊平屋村
 【伊平屋島(いへやじま)】
面積は20.66km2。周囲は34.23km。最高標高は294.1m(賀陽山)。沖縄県最北端の有人島。
人口は1144人(平成27年、国勢調査)。1316人(2013年)。1336人(平成7年、国勢調査)。

集落は田名(だな)、前泊(まえどまり)、我喜屋(がきや)、島尻(しまじり)。
 【野甫島(のほじま)】
面積は1.06km2。周囲は4.83km。最高標高は43m。1979年に伊平屋島とを結ぶ約1200mの野甫大橋が完成した。
人口は94人(平成27年、国勢調査)。112人(平成7年、国勢調査)。

集落は野甫(のほ)。
我喜屋大綱引き=旧暦6月25日、我喜屋公民館前で開催。我喜屋区を東(内村)と西(カニク)に分け、最初はスネーとよばれる昔武士装束の青年が戦いを演じ、その後ガーエーと呼ばれるタイマツを持っての押し合いを行い、その後綱引きにうつる。勝負は3回行い東が勝つとその年は豊作になり西が勝つとその年は豊漁になると言われている。
子供たちの沖縄相撲も行われる。

田名のウンジャミ(海神祭)=旧暦7月17日。アカグチ(海神)を迎え、豊漁を祈願する神送りの伝統祭事。
お宮で祈願と神々を歓待した白装束のハンズナー(神女)たちは、布でかたどった舟型の囲いに立ち「メーヌカー」の掛声と共にに、「オー」と呼ばれるダンチクの葉で舟を漕ぐ「フナウクイ(舟送り)」の儀式を行った。その後は、区内のマジキナーのハンタ(通称・ハナシチ)とアカシ海岸で神送りをする。同海岸ではナートゥンチビ御嶽に向かって拝み、岩の上に立ち「オー」を海へ向かって投げ入れるなど「だんじゅ嘉利吉(かりゆし)」の神送りをする。

シヌグ=旧暦7月17日に各区で行われ、昨年のシヌグの翌日から本年のシヌグ当日までに生まれた子供の健康祈願をするため、子供の家から酒・肴を持ち寄り各区の神アサギやシヌグ毛と呼ばれる場所で根神や根人に健康の祝詞をあげさせて、参集した戸主や婦人等とともにお祝いする。

豊年祭=旧暦の8月11日は我喜屋区、翌12日は田名区、島尻区、野甫区、翌13日は前泊区で一年間の五穀豊穣をお祝いして、各区殿内・神所で組踊、棒術、臼太鼓を奉納する。

 伊是名村
 【伊是名島(いぜなじま)】
面積は14.14km2。周囲は16.7km。最高標高は120.6m(大野山)。琉球王“尚円王”の出生地である。
人口は1517人(平成27年、国勢調査)。1895人(平成7年、国勢調査)。

集落は伊是名(いぜな)、内花(うちはな)、諸見(しょみ)、勢理客(せりきゃく)、仲田(なかだ)。
ウナザーレ=各集落の子供たちが、神アシャギ(各集落にある神を呼ぶ小屋)から各家々の悪魔払いに廻る。

八月豊年祭
=旧暦の8月各集落ごとに行われ、エイサー、棒術、組踊など伝統的な行事が行われる。
旧6月綱引き(ウンナー)=集落ごとに行われ、収穫された稲藁を持ち寄り編み上げた大綱による綱引きや、担ぎ上げた戸板の上で、昔の装束の若者が組み合う。
伊是名区=旧6月25日か直近の土・日。
諸見区=旧6月25日か直近の土・日。
勢理客区=旧6月15日。
仲田区=旧6月17日か直近の土・日。
 ■エイサー
昭和30年代以降、他市町村から取り入れられ、現在では豊年祝い行事の余興の1つとして、各字で盛大に演じられる。
伊是名=入り羽(いりふぁ)、出羽(んじふぁ)と称する。
演目は「スーリアガリー、稲すりぶし、海のチンボーラ、うるま島、九年母木節、南獄節」。

内花
=エイサーと称する。
演目は「テンヨー節、仲順流り、久高マンジュウ主、スーリアガリー、三村節、稲すりぶし、トタンガニー、イチュビ小節、笑いふくいぶし、果報節、あやぐ、唐船どーい」。

諸見
=エイサーと称する。
演目は「テンヨー節、仲順流り、久高マンジュウ主、スーリアガリー、三村節、稲すりぶし、ト
タンガニー、イチュビ小節、笑いふくいぶし、果報節、あやぐ」。

勢理客
=入り羽(いりふぁ)、出羽(んじふぁ)と称する。
演目は「稲すりぶし、海のチンボーラ、目出節、カナヨー」。

仲田
=エイサーと称する。昭和40年(1965)頃に、具志川市赤野より導入。
演目は「仲順流り、久高マンジュウ主、スーリアガリー、カナヨー、八月節、ていご音頭、繁昌ぶし、花笠ぶし、戻り篭」。
 【いぜな尚円王まつり】
8月初旬、会場は臨海ふれあい公園屋外ステージ。主催はいぜな尚円王まつり実行委員会(伊是名村観光振興課内)。2014年で14回を数える。
いぜな島ハーリー大会や小学生以下による浅瀬での特産品つかみ取り、各部落の芸能発表が行われる。最後は花火大会。
 【具志川島(ぐしかわじま)】
面積は0.47km2。周囲は4.2km。最高標高は28m。伊是名島の北西約2.2kmに位置する無人島。地元では「グシチャー」とも呼ばれる。
明治13年(1880)〜昭和45年(1970)まで人が住んでいた。
 【屋那覇島(やなはじま)】
面積は0.74km2。周囲は5.3km。古来は人が住んでいたらしい。島は伊是名島からの農耕地として利用されていた。
 【降神島(うるがみしま)】
面積は0.07km2。仲田港沖に浮かぶ岩石のみの小さな無人島。島には御願所がある。年に何度か、祈りに行くと云われる。

 ★展示場
 【宜野座村立博物館
宜野座村字宜野座232。пF098−968−4378。
1994年開館。 開館時間  火〜日 9:00〜17:00(入館は16:30まで)。休館は毎週月曜、祝祭日、年末年始。

等身大の人形を使った民俗芸能の展示や、穴屋の復元など、実際に使用された家屋や、米軍が設置した野戦病院の紹介などの展示。