沖縄県

南大東村役場 提供

  ≪南部地方[島尻地区]

   那覇市、豊見城市、糸満市、南城市、南風原町、与那原町、八重瀬町

  離島   粟国村、渡名喜村、久米島町;大東諸島〔南大東村、北大東村〕;慶良間諸島〔渡嘉敷村、座間味村〕

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 【沖縄島(おきなわじま)】
沖縄本島とも言う。面積は1208.19km2。周囲は約560km。人口は125万8523人、46万4423世帯(2012年)※大宜味村宮城島人口を含む
 
 那覇市
 【青年ふるさとエイサー祭】(公式HPへ
9月初旬土日。15:00〜21:00開催。場所:那覇市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)。入場料(青年育成協力費)500円。19歳以上で2日間共通。
主催は青年ふるさとエイサー祭り実行委員会((沖縄県青年団協議会、(財)沖縄県青年会館、琉球放送、沖縄タイムス社)。共催は那覇市。2014年で50回を数える。
県内及び全国各地で伝承されている獅子舞、舞踊、古武術等の郷土芸能や、沖縄の若者たちにより創り出された数々の芸能を披露。
青年会としてはエイサー県内各地で継承されている伝統的なエイサーを披露。
 【なは青年祭】
10月中旬、15:00〜20:00開催。場所はパレットくもじ前広場(久茂地1−1−1)。新都心公園(おもろまち3−2−1)が会場の年もあった。
主催は那覇市青年団体連絡会(那覇市青少年育成課内)。2014年で20回を数える。

那覇市内各地で継承されてきた民俗芸能を、地域の若者たちが披露する。各地区の青年会によるエイサー、獅子舞、棒術、旗頭、唐手の演舞などの伝統芸能を披露する。
 ◎本庁管内
曙(あけぼの)1〜3丁目、旭町(あさひまち)、字安謝(あじゃ)、字天久(あめく)、泉崎(いずみざき)1丁目、字上之屋(うえのや)、奥武山町(おうのやまちょう)、垣花町(かきのはなちょう)、垣花町1〜3丁目、久米(くめ)1〜2丁目、久茂地(くもじ)1〜3丁目、字古波蔵(こはぐら)3〜4丁目、住吉町(すみよしちょう)1〜3丁目、字楚辺(そべ)1〜2丁目、辻(つじ)、壺川(つぼがわ)、壺屋(つぼや)1丁目、泊(とまり)1〜3丁目、西(にし)1〜3丁目、字二中前(にちゅうまえ)、東町(ひがしまち)、樋川(ひがわ)1〜2丁目、前島(まえじま)1〜3丁目、牧志(まきし)1〜3丁目、松尾(まつお)1〜2丁目、松山(まつやま)1〜2丁目、港町(みなとまち)1〜4丁目、字銘苅(め かる)、山下町(やましたちょう)、若狭(わかさ)1〜3丁目
奥武山町44 沖宮公式HPへ 旧3/23&旧9/5 神輿、神賑 琉球8社
 創建の由緒は不詳だが、源為朝の時代と史料にある。1713年の『琉球由来記』には、「大昔、那覇港の海中から光が絶えず射していたので、調べてみると霊木であった。これを熊野権現の霊木とし、社寺を建てこの木を祀った」とある。
 最初は那覇埠頭の地(現・那覇市西3丁目)にあったが、1908年、那覇港埠頭築港に伴い那覇市安里の安里八幡宮の隣地に遷座し寺は那覇市住吉町に移転した。しかしながら沖縄 戦で焼失した。戦後、比嘉真忠に「沖宮を復興せよ」と神託があり、沖宮霊木の根元は奥武山の天燈山と神示があった。1961年に通堂町へ仮遷座し、同50年、現位置である奥武山公園内へ遷座された。
沖宮は昭和50年8月に現在地に遷座。2011年、沖宮神輿保存会、天燈会発足。
泊3丁目19−3 天久宮 旧4/5 例祭 琉球8社
若狭1丁目25―11 波上宮公式HPへ 5/17 なんみん祭 琉球8社。旧・官幣小社
旧・官幣小社。沖縄総鎮守という事もあり、沖縄県神社庁はここに設置。
波上宮に隣接して護国寺があるが神仏習合思想に基づいて、明治の神仏分離以前は同一地だった。
創建は不祥だが、元々は沖縄のニライカナイ信仰の御獄だった。
その後、神のお告げにより琉球王府が熊野三神を祀り、今に至っている。
なんみん祭=波上宮例大祭に合わせて行われる。これは伝統芸能を通して地域活性化を図ろうと、波上宮通り会や周辺の自治会が主催して行われている催し。
天狗、神輿渡御(大中小)、獅子舞、ビーチ綱引大会、のど自慢大会、ちびっ子相撲、稚児神楽等。
神輿=神輿保存会「琉波會」は2009発足。以前は露天商組合が仕切っていた。
 【那覇大綱挽】(公式HPへ
10月体育の日の前日日曜、場所:国道58号、久茂地交差点(綱挽広場)。主催は那覇大綱挽保存会。公式HPへ
大綱の規格  女綱の長さ100m、男綱の長さ100m(全長200m)、直径1m56cm。
総重量43トン 手綱総計256本(1本の長さ約7m)綱は毎年新作(材料は藁)。

 ≪2008の行事予定≫
西旗頭7旗は牧志公園に、東の旗頭7旗は壺屋小学校校庭に集合する(11:30〜)。
西東交互に国際通りを安里から県庁南口へ向けて14旗の旗頭、総勢2千余名が綱挽衣装むむぬちはんたー(股引半套)を着用して冲天高く乱演舞しながら大綱挽行列(うふんなすねーい)を実施する。(12:00〜14:20)。
国道58号、久茂地交差点(綱挽広場)に於いて大綱挽式典、旗頭我榮、空手我栄、太鼓演舞の後、綱寄せ、かぬち棒挿入、支度我栄(15:15〜)。
那覇市長(那覇大綱挽審判長)の合図で挽き始め、30分の勝負(16:20〜16:50)。
フィナーレには沖縄特有の庶民舞踊であるカチャーシーで終わる。
旗頭
◎東の旗頭
東一番(牧志)=旗頭は大結(うふむすん)。旗字は東(ひがし)。

安里=旗頭は薄大結(ししち)。旗字は英聲遠(えいせいえん)。

首里=旗頭は左御紋(ひじゃいぐむん)。旗字は瑞雲(ずいうん)。

=旗頭は緋桐燈(ちりんとう)。旗字は濟美(せいび)尚武(しょうぶ)。

真和志=旗頭は六角堂(ろっかくどう)。旗字は真和志泰平(まわしたいへい)。

久茂地
=旗頭は盛鶴(むいじる)。旗字は與鳳翔(鳳とともにかける)。

壷屋
=旗頭は炎(ふぬう)。旗字は翔竜鳳雛(しょうりゅうほうすう)。

◎西の旗頭
西一番=旗頭は八掛(はっち)。旗字は凱歌(がいか)。

泉崎=旗頭は巴(ぐーやー)。旗字は泉(いずみ)。

若狭=旗頭は京判やーま(ちょうばんやーま)。旗字は鎮群(ちんぐん)。

小禄=旗頭は松竹梅。旗字は小禄意氣昂(おろくいきたかし)。

垣花=旗頭は砂糖車(さーたーぐるま)。旗字は天行健(てんこうけん)。


久米=旗頭は水仙。旗字は不染塵(ふせんじん)。

=旗頭は子丑寅(にぃうしとぅら)。旗字は和氣(わき)。
 【那覇ハーリー】
5/3〜5開催。場所:那覇新港埠頭。主催は那覇ハーリー実行委員会。2011年で37回を数える。
 他の地域のハーリーとの違いは舟にある。
那覇以外の地域のハーリー舟は、主に漁労用のサバニを漕ぎ手10名、舵取り1名で操るが、、
那覇の舟は、グラスファイバーで全長14.5m。幅2.1m。重さ2.5トン。漕ぎ手は32名、鐘打ち2名、舵取り2名、旗持ちなど6名と、乗組員が42名になる大型のもので、舳には竜頭を、艫には竜尾の彫り物を飾った特別な舟となる。

 古く琉球王国時代の年中行事を再興し行われるようになった。競漕は那覇市泊村、那覇四町、久米村の3隻で行われ、泊村は琉球を、那覇四町は日本を、久米村は中国を表す。
現在は観光行事的色彩が濃いが、古くは中国に由来し、1392年から1405年に始まったとされる。
 【一万人のエイサー踊り隊】
8月初旬開催。場所:国際通り(安里三叉路〜パレット久茂地前交差点)で開催。夏祭りin那覇実行委員会主催。
■前夜祭(土曜):15:00〜20:30。場所:国際通り牧志駅サイオンスクエア広場。ライブ・エイサー演舞(琉球國祭り太鼓・創作エイサー団体)。
一万人のエイサー踊り隊(日曜)13:00〜18:30。場所:那覇市国際通り(県道39号線)全線+県民広場。
県内各地の青年会による伝統的なエイサーから創作エイサー、子供たちのエイサーなど、さまざまな団体によるエイサーが繰り広げられる。
青年エイサー、創作エイサーと県内外からの個人参加者のエイサー踊り隊によるパレード。
 平成7年に「第一回一万人のエイサー踊り隊」を開催し始まる。
 ◎首里支所管内(旧・首里市)
かつて首里市(市制施行前は首里区)だった地区である。往古は琉球王国の王都として栄えた。
首里真和志町(まわしちょう)、首里池端町(いけはたちょう)、首里山川町(やまがわちょう)、首里金城町(きんじょうちょう)、首里寒川町(さむかわちょう)、首里桃原町(とうばるちょう)、首里大中町(おおなかちょう)、首里当蔵町(とうのくらちょう)、首里鳥堀町(とりほりちょう)、首里赤田町(あかたちょう)、首里崎山町(さきやまちょう)、首里赤平町(あかひらちょう)、首里儀 保町(ぎぼちょう)、首里汀良町(てらちょう)、首里久場川町(くばがわちょう)、首里平良町(たいらちょう)、首里大名町(おおなちょう)、首里末吉町(すえよしちょう)、首里石嶺町(いしみねちょう)。
首里鳥堀町5 沖縄神社 10/20 例祭 琉球8社。旧・県社。市有地を借りている
首里城跡に沖縄神社が創建され、拝殿は首里城正殿を流用した。旧正殿裏側の「御内原」(うーちばる)のところに本殿が造営された。第二次世界大戦では米軍の砲撃を受け、山もろとも大破した。戦後、跡地には琉球大学が置かれた。1960年に沖縄神社再建運動が起こり、琉球大学に土地の返還を求めたが拒否されたので、弁ヶ嶽の隣に再建された。
戦前は11/19、20が例祭で、角力大会、演芸大会、芝居 などが城内で開催されていた。
琉球王朝祭り=毎年文化の日を中心に行われる、首里城祭と同時期に開催されるイベント。首里振興会主催。
琉球王朝の都であった首里の文化に触れることができる秋の一大イベント。艶やかな古式行列や賑やかな祝賀パレードがメイン。
首里城公園歓会門から鳥掘交差点(首里中学校前)まで、総勢約200名もの行列が街を歩く。首里城・竜潭池近くの池端三叉路からは文化祭を祝う祝賀パレードの行列が加わり大きな行列となる

 始まりは1960年に開催した「首里教育まつり」であり、これは「児童生徒の学事奨励と若い世代の励起」を狙いとして地区内の有志によって始められた文化活動で、「首里奨学母の会」等各分野の住民が中心としてなって盛り上げった。
 その後、この「首里教育まつり」は、1978年に、名称も「首里文化祭」と発展継承された。
同時に、今日の祭りの呼び物の一つである、在りし日の伝統行事「古式行列」も復活され、毎年11月の文化の日を中心とする一連のお祭りが催された。さらに2007年より「琉球王朝祭り」と改称した。
古式行列、旗頭での演舞、青年会こども会による獅子舞、婦人会による首里音頭などの催しで首里城周辺は大勢の人で賑わう。
首里末吉町1−8 末吉宮 11/23 例祭 琉球8社。
沖縄戦において砲撃によって柱2本と虹梁を残して飛散した。1972年に復元修理されている。
 【綾門大綱曳き】
2007年、1898年以来109年ぶりに復活。10月27日(土曜)。場所: 綾門大通り(那覇市首里高校裏通り)。主催は綾門大綱曳き実行委員会
琉球王朝時代、琉球国王の即位(引継ぎ)を祝い、国の繁栄と五穀豊穣を願う由緒ある大綱曳き。首里城城下町の人々たちは、新国王即位により平和を喜び、楽しみ、首里人(スインチュ)の一致団結心・志気向上の綱として受け継ぎ、新国王即位のたびにお祝いの大綱を曳いてきた。
今回は首里城公園の開園15周年記念にあたる記念として開催された。
 ≪2007の行事予定≫
首里地区の8つの字による旗頭演舞(18:00〜)。
路次楽(18:35〜)。
綱寄せ(19:35〜)。
支度(19:45〜)。綱曳き初回(19:55〜)。
勝方 旗頭演舞(20:05〜)。
綱曳き収め(20:15〜)。
勝方 旗頭演舞・アッチャメー
(20:30〜)。
 ◎真和志支所管内(旧・真和志市)
行政区と〔 〕は自治会。字古波蔵〔大蔵会〕、壺屋〔楚辺区〕、字安里〔安里二区〕、安里安里一区、安里二区〕上間〔上間〕字上間〔県営上間第二市街地住宅、県営上間団地、上間長崎原、前田原〕、字国場〔字国場、樋川、上国場、県営国場団地〕、識名識名〕、字識名〔識名ガーデンハイツ、識名団地〕、字大道〔大道区〕、字仲井真〔仲井真、 新仲井真、仲井真平和苑、仲盛、仲井真ハイツ〕、長田〔長田1丁目、長田2丁目大倉ハイツ、字国場〕、繁多川〔繁多川、県営繁多川高層住宅、繁多川市営住宅、首里金城町〕、字古島〔松島〕、古島〔古島、宇久増、わかあゆ〕、字真地〔真地〕、字真嘉比〔真嘉比〕、真嘉比 (=真嘉比2丁目、3丁目)〔古島〕、松島〔松島〕、字松川〔松川区、山川町〕、松川〔松川共同住宅〕、〔三原区〕、字寄宮〔寄宮〕、寄宮〔宮城区、宮城区南、楚辺区、銘苅区、平野区〕 
安里3丁目19−14 安里八幡宮 旧9/9 例祭 琉球8社
沖縄戦で焼失したが、平成5年12月11日安里八幡宮が再建される。
繁多川4丁目1−43 識名宮公式HPへ 9/15 例祭 琉球8社
尚元王の長男の病気回復に霊験があったので、識名宮を創建したとの記述が「遺老説伝」にある。沖縄戦で焼失し昭和43年に再建される。
 ■綱引き
上間旧暦6月25日。

国場=旧暦6月25日。

識名旧暦6月25日頃の日曜。識名では「東(あがり)太鼓、西(いり)桜」の旗頭で、幟は東が「豊年」、西が「泰平」。

真嘉比=旧暦6月25日。18時〜。子供たちや婦人会のエイサーや踊りの後、旗頭の演舞と2回の綱引きが行われる。那覇市唯一の藁綱。

松川旧暦6月25日後の日曜日
(14:00〜)拝所「殿之毛」にて松城中学の生徒達による松城太鼓、小中学生児童による松龍太鼓、演舞、旗頭奉納に始まり、子ども角力、青年角力。
(17:00〜)公民館通り:那覇音頭、蝶の舞い、演舞、空手演舞、松龍太鼓と演し物が続き、松川向上会会長の挨拶。那覇音頭に出演した松川小学校の児童によるおみこし。
1回目の旗頭ガーエー、1回目の綱引き
2回目の旗頭ガーエー、2回目の綱引き。最後は綱引き参加者全員でカチャーシー大会。

(19:30)終了
 ◎小禄支所管内(旧・小禄村)
赤嶺(あかみね)1〜2丁目、字宇栄原(うえばる)、宇栄原1〜3丁目、字小禄(おろく)、小禄1〜5丁目、字安次嶺(あしみね)、金城1〜5丁目(かなぐすく)、字鏡水(かがみず)、鏡原町(きょうはらまち)、具志1〜3丁目、高良1〜3丁目(たから)、字田原(たばる)、田原1〜4丁目、字当間(とうま)、宮城1丁目(みやぐすく)
 【消滅集落】
大嶺全域が那覇空港の用地内で、西の突端・大嶺崎にその名を残している。
「角川」によると、大字大嶺は近世の島尻方豊見城間切大嶺村。明治13年233戸、1357人、同36年306戸、1498人。明治期には大泊港を中心として漁業も盛んだった。昭和初期、農業組合活動が盛んで、カボチャ・スイカ・サツマイモを出荷。昭和6年から飛行場建設のため農耕地の接収が始まり、同16年には第二次大戦の戦局の推移に伴い住宅地まで接収。住民は宇栄原・高良・田原の丘陵に移住した。
字赤嶺・具志・宮城は大部分が自衛隊施設と一部が娯楽施設として使用されていることから無住である。
 ■豊年祭(綱引き)
赤嶺=旧暦6月25日。

宇栄原旧暦6月25日頃の土曜、17:00〜。会場は高前原公園広場。主催は宇栄原自治会・郷友会・婦人会・光寿会
2003年、90年ぶり(前回は1913年)に復活。

小禄=旧暦6月25日頃の日曜、15:00〜21:00。場所は字小禄メーミチ(袋中寺前の通り)。主催は字小禄自治会。
2001年、60年ぶりに復活。

鏡水=旧暦6月25日頃の日曜、18:00〜。2014年実施。場所は鏡水ふれあい会館〜旧鏡水自治会前。獅子舞・エイサー・綱引きを行う。主催は字鏡水自治会・郷友会。

具志=旧暦6月25日頃の日曜、18:00〜。2014年実施。場所:「具志メーミチ」と呼ばれる区内の道路。主催は具志自治会。
2010年
、76年ぶりに復活(1934年以来)。

高良=旧暦6月25日。場所は高良大通り。2014年は実施。獅子舞もあり。主催は字高良豊年祭実行委員会。
 【大嶺まつり】
8月下旬、さつき小学校で開催。
当地区は現在の那覇空港内にある地域で、住民は半農半漁の暮らしをしていたが、1941年頃に旧日本軍飛行場の拡張で立ち退きとなる。
三大行事のバーリが1948年頃、獅子舞が1957年頃に復活。大綱挽きは2001年、60年ぶりに復活。

 豊見城市
字は伊良波(いらは)、上田(うえた)、翁長(おなが)、嘉数(かかず)、我那覇(がなは)、金良(かねら)、宜保(ぎぼ)、座安(ざやす)、瀬長(せなが)、平良(たいら)、田頭(たがみ)、高嶺(たかみね)、高安(たかやす)、渡嘉敷(とかしき)、渡橋名(とはしな)、豊見城(とみぐすく)、豊崎(とよさき)、名嘉地(なかち)、長堂(ながどう)、根差部(ねさぶ)、饒波(のは)、保栄茂(びん)、真玉橋(まだんばし)、与根(よね)
高安の龕ゴウ祭=12年に1度、辰年の旧暦8月9日に開催。次回は2024年(辰年)旧暦8月9日に開催予定。
古来より葬式の際に棺を入れる屋形の担ぎ輿である「龕(がん)」の修復を兼ねて、住民の無病息災と豊年祈願を行う。
女性は賑やかに踊り、男性は勇壮な棒術や空手の演舞を行ない、龕を担ぎ長寿の方々を先頭に区内を練り歩く。
 ■豊年祭
旧暦8月15日開催。
 ◎翁長
  毎年旧暦8月15日、18:00〜に開催。勇壮な旗頭ガーエー(合戦)や舞台での伝統芸能、舞踊などが披露。綱引きも行われる。
 
◎保栄茂
  毎年旧暦8月15日、15:00〜に開催。大勢の男達が棒術などを披露し、マチ棒を中心に綱引き、弥勒を先頭に練り歩く道ズネーイなどが行われる。
大豊年祭は6年に1度、兎と酉の年。旧暦八月十五夜頃に開催。次回は2017年。巻チ棒は大豊年祭のみ。
 ■綱引き
豊見城市では現在24の字のうち17の字で綱引きが行なわれている。
伊良波=旧暦6月25日。藁綱。

上田=旧暦6月15日。藁綱。

翁長=旧暦6月15日・旧暦8月15日(十五夜豊年祭)。藁綱。

嘉数
=詳細不詳。

宜保
=旧暦6月25日。ロープ綱。

座安
=旧暦6月25日。ロープ綱。

平良
=旧暦6月15日。ロープ綱。

高嶺
=旧暦6月15日。藁綱。

高安=旧暦6月25日。ロープ綱。

渡嘉敷=旧暦6月15日。藁綱。

渡橋名=旧暦6月25日。ロープ綱。

豊見城=旧暦6月25日。藁綱。

名嘉地=旧暦6月25日。ロープ綱。

長堂=旧暦6月16日。ロープ綱。

根差部=旧暦6月18日。休止か?

饒波=旧暦6月25日。ロープ綱。

保栄茂=旧暦6月15日・旧暦8月15日(十五夜豊年祭)。藁綱。

与根=旧暦6月25日。藁綱。
 【豊見城団地青年エイサーまつり】
8月下旬開催。場所:豊見城団地集会所前広場。主催は豊見城団地自治会。2011年で3回を数える。
 【豊見城ハーリー大会
7月中旬開催。場所は豊崎ちゅらさんビーチ。豊見城龍船協会主催。豊見城市、琉球新報社共催。
2008年より始まる。2017年で10回を数える。同年は市民ハーリー、職域ハーリーなど3つの部門に分かれ、全60チームが参加した。
当地は豊見城城主・汪応祖(おうおうそ)の「舟遊び」をしたハーリー発祥の地と云われている。
 【全沖縄子どもエイサーまつり】
7月下旬。12:00〜21:00開催。場所:豊崎海浜公園多目的広場(豊崎5−1)。
主催はとみぐすく祭り実行委員会(豊見城市教育委員会、同市子ども会育成連絡協議会)。共催は琉球新報社。
2014年で26回を数える。約10団体、総勢600人余りの県内市町村の子供たちが、エイサー、獅子舞、太鼓、棒術、空手などを披露する。
 【瀬長島(せながじま)
面積は0.18km2。周囲は1.8km。住民は瀬長島ファミリースポーツランドを経営する平川さんの家族のみ。本島とは橋(600m)で結ばれる。
『豊見城村史だより』第四号(豊見城村教育委員会村史編纂室、1999年)によると、日本軍から昭和19年に立ち退き命令が出された。しかし立ち退きが本格化したのは昭和20年3月以降である。当時36、7戸の集落が存在し150人ほどいた住民のうち、50人あまりは山原方面へ、また100人ほどは島尻方面へ避難したが、島尻方面へ避難した半数は戦争の犠牲者となる。昭和21年(1946)4月から5月に帰ってみると、米軍に接収され弾薬庫などの施設が置かれ、住民は対岸の舟無小原沿岸地帯にそびえるアカサチ森に住むことになるが、この一帯を1951年のルース台風が襲い、集落前の護岸が決壊し、多くの被害を受け、さらに内陸に移転し瀬長集落を作った。
昭和52年(1977)2月に返還されたが、その間に瀬長城跡や子宝岩が破壊された。

平成24年(2012)12月19日、瀬長島ホテルが開業しリゾート地に変わりつつある。

 糸満市
 ■ハーリー
旧暦5月4日開催。海の恵みに感謝し、より一層の大漁と航海の安全を願って、ハーレー舟による勇壮な競漕が行われる。
元々は中国で行われている爬龍船競争(ドラゴンボートレース)が沖縄に伝わり、沖縄伝統の漁船であるサバニを使って行われる様になったものとの事で、沖縄本島各地で行われている。
多くの地区での同様のサバニレースは、ハーリーと呼ばれているが、糸満はハーレーと呼ばれている。これはハーリーの方は、中国の爬龍船の呼び名からきており、ハーレーの方は、琉球の古語で、「走らせる」という意味の「ハレ」からきているらしい。

 ◎糸満ハーレー
場所:糸満漁港。主催は糸満ハーレー行事委員会。木造船3隻(かつての西村、中村、新島の3つの集落)の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち・旗振り。
漕ぎ手たちは、ハーレーを終えると、すぐさま糸満の氏神を祀る白銀堂へ足を運び、各ムラ先着順に、伝統のハーレー歌を奉納して、豊漁と航海の安全を祈る。

 ◎喜屋武ハーリー
場所:喜屋武漁港

 ◎名城ハーリー
場所:北名城ビーチ(8:30〜) 
 ■旧盆
旧暦7月13日(ウンケー)から送り火にあたる15日(ウークイ)の旧盆期間中、集落により内容は違うが、先祖の魂を慰めるため、エイサー、沖縄相撲、獅子舞などの伝統芸能が披露される。
 ■大綱引き
旧暦8月十五夜には、今年の稲の収穫儀礼と五穀豊穣、子孫繁栄を願って、各地で綱引きや棒術の行事が行われる。
 ◎糸満地区
糸満は便宜上地域名に加えて1〜8区と数字で呼ぶこともある。
南(みなみ)区(1区)、前端(まえばた)区(2区)、新川(あらかわ)区(3区)、新島(にいじま)区(4区)、新屋敷(しんやしき)区(5区)、上之平(うえのひら)区(6区)、西(にし)区(7区)、町端(まちばた)区(8区)、西川町(にしかわちょう)
■糸満大綱引き
旧暦8月15日。場所は国道331号線(白銀堂〜糸満ロータリー間)。豊年と大漁祈願、家内安全、無病息災を祈る神事。
糸満大綱引に用いられる綱は、直径1、5m、長さ180mにおよび、糸満市内各地で開催される「大綱引」のなかでもが最大級のもの。

 ≪2014の行事予定≫
大綱づくり  (8:30〜13:00)糸満ロータリー〜白銀堂間
道ジュネー出発式(13:30〜14:00)糸満小学校グラウンド
道ジュネー     (14:00〜17:00)糸満小学校〜白銀堂間
大綱引開会式  (17:00〜17:15)国道331号本部席前
大綱引       (17:00〜18:00)糸満ロータリー〜白銀堂間。北組と南組に分かれる。
大綱引閉会式  (17:45〜18:00)国道331号本部席前
 ◎兼城地区
行政区は阿波根(あはごん)、賀数(かかず)、兼城(かねぐすく)、北波平(きたなみひら)、座波(ざは)、潮平(しおひら)、武富(たけとみ)、照屋(てるや)
 ■綱曳き
兼城
=旧暦7月14日

座波=旧暦6月15日・旧暦6月25日。

潮平=旧暦6月25日・7月14日。

武富=旧暦6月25日。

照屋=旧暦7月16日。 場所は照屋コミュニティーセンター前。2010年、50年ぶりに復活。
往古は県道7号で行ったが、交通規制に関して当時の警察との調整がつかなくなり中断。それ以来綱引き前の御願と「ロープ綱」による綱引き行事をしていた。
 ◎高嶺地区
行政区は大里(おおざと)、国吉(くによし)、豊原(とよはら)、真栄里(まえざと)、与座(よざ)
 ■綱曳き
真栄里=
旧暦8月16日。場所は真栄里メーミチ広場。区民が東村(アガイマールー)と西村(イリーマールー)に分かれ、会場にドラやチヂンが鳴り響く中、両陣営が棒術や獅子舞などで相手を威嚇し士気を高める。その後、雄綱と雌綱がカヌチ棒で結ばれ綱引きが始まる
綱引き(11:30〜13:30)、道ズネー(16:00〜17:30)、青年エイサー(18:00〜)。
 ■ウシデーク
与座
=旧暦8月15日。18:00〜20:00。旧・公民館。
 ◎真壁地区
行政区は新垣(あらかき)、伊敷(いしき)、糸洲(いとす)、宇江城(うえぐすく)、小波蔵(こはぐら)、名城(なしろ)、真栄平(まえひら)、真壁(まかべ)
 ■綱曳き
新垣
=旧暦8月15日。棒術・棒巻きも合わせて行う。場所は新垣公民館前。2011年で134周年。19:00〜。

伊敷
=旧暦8月15日。獅子舞・棒術も合わせて行う。19:00〜。公民館前。

糸洲旧暦8月15日。20:00〜21:30。旧・公民館跡地にて。

小波蔵=旧暦8月15日。20:00頃。公民館前広場。

名城=旧暦8月15日。ウシデークは16:00頃〜拝所回り⇒公民館。
綱引きは19:00頃〜。公民館。

真栄平=旧暦7月14日・8月15日。18:30〜19:30。県道54号。
道ズネーは19:30〜。公民館。

真壁=旧暦8月15日。
 ◎喜屋武地区
行政区は喜屋武(きゃん)、束里(つかざと)=束辺名(つかへな)と上里(うえざと)が合併、福地(ふくぢ)、山城(やまぐすく)
 ■綱曳き
福地
=旧暦8月11日・8月15日。

山城=旧暦8月15日。19:30〜20:00。場所は公民館。綱引き後に場所を変えて綱を燃やす。
喜屋武青年会=1965年に旧与那城町の屋慶名青年会から伝わる。伝統の踊りに喜屋武の青年たちがアレンジを加え、独自の形に仕上げた。「花」をモチーフにした隊列と腰の落とし方が特徴。
 披露の場は8月14日。20:30〜場所:喜屋武農協前広場
旧盆は「喜屋武エイサー盆踊りの夕べ」。旧盆の1日目(ウンケー)と2日目((ナカヌヒー、ナカビ)にヘーランメー広場でエイサーを披露。2014年で50回を数える。
また旧盆3日目(ウークイ)には平和祈念公園にある 国立沖縄戦没者墓苑や平和の礎の前でエイサーを舞う。
 ◎旧・米須(旧摩文仁村)地域
行政区は伊原(いはら)、大度(おおど)、米須(こめす)、摩文仁(まぶに)、南波平(み
 ■綱曳き
大度
=旧暦8月15日。19:00〜。公民館前。
獅子舞は17:00頃〜。拝所を巡りながら。また綱引きの合間も舞う。

米須
=旧暦6月25日。ウシデーク・獅子舞は拝所(16:00)⇒コミニュティーセンター(17:00頃到着)。終了後青年会OB主催の角力大会

摩文仁=旧暦6月25日。

南波平=旧暦6月25日。19:00〜21:00。集落の中。
米須青年会=エイサー。8月14、15日。20:00〜。場所:青年会館広場。
 【ルカン礁】
糸満市の西北西方約14km。ルカン礁灯台がある。同灯台は昭和47年5月15日より業務開始。
 【糸満ふるさと祭り】
7月中旬開催。場所:西崎陸上競技場。エイサーは日曜。2014年で糸満ふるさと祭りは26回、エイサーin いとまんは16回。主催は糸満ふるさと祭り実行委員会。

 南城市(なんじょうし)
 2006(平成18年)1月1日、島尻郡佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して誕生。
 ◎旧・佐敷町
字は伊原(いばら)、小谷(おこく)、兼久(かねく)、佐敷(さしき)、新開(しんかい)、新里(しんざと)、津波古(つはこ)、手登根(てどこん)、仲伊保(なかいほ)、冨祖崎(ふそざき)、屋比久(やびく)
津波古の豊年祭り(ヌーバレー)=17:00〜。

津波古の獅子舞
=お盆後の野祓い(ヌーバレー)と八月十五夜で演じられる伝統的な獅子舞。

津波古の棒術=歌三線にのせて演ずるメーカタ(舞方)にはじまり、打ちならすドラに合わせて演ずる一人棒、二人棒、三人棒、四人棒、五人棒の組棒がある。
馬天ハーリー=旧暦5月4日頃の日曜、13:00〜開催。場所は馬天漁港。字では津波古。
昭和61年頃復活。平成18年までは佐敷ハーリーと称した。木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち
 ■綱曳き
屋比久=
旧暦6月24日
 ■エイサー
手登根=古式エイサー。旧暦7月15日の夜、若い男女がノロ殿内に集まり、各家庭をまわる。近年では三線も使われるが、本来は鐘と太鼓、鼓の打楽器に合わせて念仏囃子を唱える古式豊かなエイサーとして踊り継がれてきた。
 ■民俗芸能
天人(アマンチュー)=津波古。畑を牛にすかしている福人の大主の前にアマンチュー(天人)が現れる。福人の大主は五穀の種子を賜り、さらに長者の大主の位を授けられ、子や孫とともに一家の繁栄を祈るというもの。アマンチューは二人一組の肩車状態で演じられる。

ティンベーとカマンティー=屋比久。旧暦7月17日&8月15日。ティンベー(盾)・長刀を持った者と鉾を持った者との戦いをティンベー、草刈り鎌と棒の戦いをカマンティー(鎌の手)と呼ぶ。沖縄の古武術を取り入れている。
 ◎旧・知念村
知念半島の一部と久高島、コマカ島などから成る。
字は安座真(あざま)、海野(うみの)、具志堅(ぐしけん)、久高(くだか)、久手堅(くでけん)、久原(くはら)、志喜屋(しきや)、知名(ちな)、知念(ちねん)、山里(やまざと)、吉富(よしとみ)
 ■ヌーバレー
旧暦7月16日。南城市知念の知名、久手堅、安座真の3区で行われる。
五穀豊穣を祈願し、あの世から来た無縁仏を帰す行事「ヌーバレー」を行った。各区とも区民らによる舞踊や芝居、歌などの伝統芸能が多数披露される。

安座真ヌーバレー=2009年は青年会による村芝居、エイサー、空手、琉舞など16演目

久手堅区ヌーバレー
=19:00〜。公民館の屋外に手作りで舞台を設置。2009年は子供エイサー、フラダンス、棒術、組踊り「鏡割り」など15演目。

知名区ヌーバレー=15:00〜。ヌーバレーアシビナーにて。2009年は奉納踊り「クーダーカー」など15演目。
 ■ハーリー
海野ハーリー
=旧暦5月4日頃の日曜、13:00〜。場所:海野漁港。主催は海野区。
グラスファイバー船2隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁・鐘打ち。漁港内で、職域対抗を中心に競漕が行われる

安座真ハーリー=旧暦5月4日。場所:安座真漁港。主催は安座真区。
グラスファイバー船2隻の爬龍船による競漕だったが、青年が減少し平成初年度頃に消滅した。現在は湾内をパレードするだけになっている。

知名ハーリー=旧暦5月4日。知名。木造船2隻の爬龍船による競漕だったが、青年が減少し、昭和60年頃に消滅した。
 ■綱曳き
志喜屋=
旧暦6月15日

知念=8月。平成15年(2003)、45年ぶりに復活。5年に1度開催。
 【久高島(くだかじま)
面積は1.37km2。周囲は7.75km。最高地点は17m。人口は275人(2013年)。
集落は久高として100戸余の一集落で形成されているが、明治40年代の町村制施行に伴う合併が行われるまでは、久高・外間の二村があった。
島の土地は、国有地、村有地、一部私有地(沖縄電力用地)を除き、全てが共有地(総有)とされ、住民はそれぞれの土地について利用権はあっても、所有権(処分権能)は認められていない。これは、島外者等に対する土地の流出を防ぎ、「島」としての地域共同体を維持するための手段として、長い歴史の中で認識されてきたことです。
 琉球開びゃくの神話や秘儀イザイホーが伝承されていたとして、神の島、民族の島と呼ばれ、今なお年間30余の祭祀が行われている。
フボー(クボー)御嶽=沖縄七御嶽のうちの1つ。古来より男子禁制。現在は全面的に立ち入り禁止。
クボーとはクバの木の意。森の中の小径の先、十数mほどの所に丸い広場のような場所が見え、その広場だけ天が抜けて、まあるく光が差し込んでいる。
イザイホー=久高島で12年ごとの午年(ウマドシ)に御殿庭(ウドゥンミャー)の神アサギなど、島内の主要な祭祀場で5日間にわたって行われる神秘的な行事。イザイホーは島の女たちが神女になるための儀式で「7つの橋」を渡るとき、不義のことをした者は橋から落ちるともいわれており、3晩も家族のものから一切はなれてイザイ山の「7つの家」で籠り(コモリ)をする。マスコミからも取り上げられ、また広く日本全土にも知られる古代神事である。(平成2年度から後継者がいなく、実施されていない)
ヒータチ=旧暦1月1日。 大漁祈願の行事で、島の東端のハビャーン(カベール岬)で行う。
 【コマカ島】
南城市知念安座真沖。面積は0.03km2。周囲は0.67km。知念より約2.5kmにある無人島で、海遊びの島。
 ◎旧・玉城村
行政区は愛地(あいち)、糸数(いとかず)、奥武(おう)親慶原(おやけばる)、垣花(かきのはな)、喜良原(きらばる)、志堅原(しけんばる)、玉城(たまぐすく)、當山(とうやま)、中山(なかやま)、仲村渠(なかんだかり)、百名(ひゃくな)、富里(ふさと)、船越(ふなこし)、堀川(ほりかわ)、前川(まえかわ)、屋嘉部(やかぶ)
 ■豊年祭
船越区
=19:00〜。盆踊り・エイサー。
 ■綱曳き
親慶原=旧暦7月ごろ。18:00〜。エイサー道ジュネー、綱曳きは21:00〜。

垣花=旧暦7月26日。

仲村渠旧暦6月25日。上地区と下地区に分かれて引き合う。

志堅原旧暦7月ごろ。

冨里=旧暦6月24日。

糸数旧暦7月ごろ。

船越旧暦7月ごろ。

奥武=旧暦7月。

新原=旧暦7月。

百名=旧暦6月24日。
玉城の獅子舞=市指定無形民俗文化財。古くからの伝承で、むらの守り神として信仰されてきた。
獅子舞を上演する際には、字民が祈願をして演じたようである。現在、字玉城以外で演じる場合は、屋号ナーカで祈願をし獅子を持ち出して舞を演ずる。
鐘、三味線、ショーグに合わして、先導者が自由自在に獅子を舞いさせる。
志堅原の醜童=市指定無形民俗文化財。琉球古典舞踊として演じられている。特にこの踊りは仮面を顔につけているのが特徴である。
この踊りはシュンドウ節、ソレカン節、ヤレコシノ節の3つの節で構成されている。美女2人と醜女2人が胴衣下袴姿で登場して、美女は自分自らの美しさを誇り、醜女は自分自らの貞操を自慢して互いにゆずらないが、ガビジラ(紙面)をつけた醜女はあまりに醜く観客の笑いを誘う。醜童の踊りは他の字でも多く演じられている。
 【奥武島(おうじま)
面積は0.23km2。周囲は1.7km。最高標高は16m。人口は914人、328世帯(2012年)。本島とは150mの橋で結ばれる。
奥武島海神祭=旧暦5月4日頃の日曜。9:00〜。ハーリーを開催。場所:奥武島海岸。漕ぎ手が橋から海に飛び込んで乗船する「流れ船」」、船を転覆させた後、持ち上げて再び漕ぎ始める「クンケーラーシー」などがある。
 ◎旧・大里村
大里地域は、7箇字と23の行政区があり、いずれも旧村名の大里が字名の頭につく。
稲嶺(いなみね)⇒稲嶺区、目取真区、湧稲国区、大里グリーンタウンの一部。
大里(おおざと)⇒西原区、南風原区、平良区、大里ニュータウンの一部。
大城(おおしろ)⇒大城区、稲福区、真境名区、大里第二団地、大里ニュータウンの一部。
高平(たかひら)⇒高宮城区、平川区、銭又区、大里グリーンタウンの一部。
仲間(なかま)⇒仲程区、当間区、大里団地、大里グリーンタウンの一部、大里ニュータウンの一部。
古堅(ふるげん)⇒古堅区、島袋区、福原区。
嶺井(みねい)⇒嶺井区、嶺井団地。
 ■豊年祭
大城豊年祭青年会エイサーの夕べ=旧暦7月17日後の週末。18:30〜。場所は大城集落センター広場。青年団主導による、綱曳き・ガーエー・獅子舞・エイサー等。
エイサーは大里地区唯一で、昭和44年(1969)、勝連町浜・比嘉より学んで始まった。


古堅豊年祭=旧暦4月1日。ミーミンメーの祭り。ミルク(弥勒)を中心に踊り手の子供達や棒術の青年達がウフティラ(元屋)、お宮、公民館、イリジョウのアシビナー、ウマイーグヮの順にその都度、演舞しながら道ジュネーを行う。構成はミルク、老夫、老婆、ミーミンメーの踊り手の子供達からなり、他に棒術や琉舞が演ぜられる。
古くは衣替えの日にあたり、畑を耕す競争や夏服の出来具合などを楽しんだのが由来という。

ミルクが登場するのは、那覇市首里赤田町の「ミルクウンケー(弥勒御迎え)」から伝わったとされる。
当間の獅子舞=市指定無形民俗文化財。旧暦の7月17日(ヌーバレー)と旧暦8月15日(十五夜)の年2回。
戦後途絶えていたが、昭和32年に獅子を製作し復活。
 ■綱曳き
目取真=無形民俗文化財。旧暦の7月16日(ウークイ)の日に馬場(ウマイー:農村公園として整備されている)で行われる。
22:00頃から旗頭ガーエーが始まり、0:00頃に綱曳が始まり、1:00頃に終了。
組分けは、先祖で分けている。7つの元屋を中心に分けられていて、西が東当森前、真栄田毛、下門、西表など、東が万徳、宮城、前蔵前などである。

大城=豊年を祈願して旧暦6月26日(アミシの御願)と旧盆ウークイ(16日)の翌日の年2回行われる。
支度縄は10年に1度。東西の綱に組踊の登場人物の衣装をまとった人を三人づつ乗せて、東西から馬場までガーエーとともに行進し、カヌチ棒を入れ、綱を曳き始める間際まで綱の上に乗っている。
 南風原町(はえばるちょう)
新川(あらかわ)、大名(おおな)、兼城(かねぐすく)、神里(かみざと)、喜屋武(きゃん)、津嘉山(つかざん、)照屋(てるや)、宮城(みやぐすく)、宮平(みやひら)、本部(もとぶ)、山川(やまがわ)、与那覇(よなは)
 ■郷土芸能
神里
=舞片棒。村の年中行事や慶事の場・舞台で演じられる。
当字の棒の師匠であった金城関太郎翁(明治37年生)の母方の祖父が、玉城村字志堅原の某氏より習い覚えた。
その祖父が神里の村人に教えているのを関太郎翁が18才の頃に傍で見て、修得したのが現在の神里の舞方棒である。

喜屋武

●舞方棒=「大遊び」や「十五夜遊び」において伝承。舞台や祭事等の場における清めの開幕舞踊で、力強い棒の舞によって疫病、災害、悪霊を追い祓う意味がある。
長者の大主南風原で唯一現存する「長者の大主」で旧暦八月十五夜の祭りなどに演じられる祝賀の芸能で、福禄寿の三徳を兼備した「長者」が五穀豊穣と村の繁栄を祈願し、子孫たちの芸能を披露して神をもてなすものである。
獅子舞=町指定無形民俗文化財。現在の獅子は、1949年の作だが、それ以前にも3回程度作り代えられたと伝えられる。
1970年復活。舞い方は3種類。

兼城

●舞片棒=「村遊び」を通して祖先代々受け継がれてきた。舞台や祭事等の場における清めの開幕舞踊で、力強い棒の舞いによって、疫病、災害、悪霊を祓う意味がある。
●揚作田=八月十五夜の「村遊び」において伝承.。
村遊びの中で「御冠船踊」として伝えられる。 両手にゼイを持ち、腰を深く入れた構え、活発な足の運び、力のこもった麾の手の振りなど、
全体として動きが力強く大らかなところは、いかにも伝統の古さを感じさせる踊り。


照屋
●棒踊り=大正初期に浦添市前の棒者から「あぶしの手」という棒踊りを学ぶ。それを十五夜や大遊びで踊る。

●舞方棒=舞台や祭事等の場における清めの開幕舞踊で、力強い棒の舞によって疫病・災害・悪霊を祓う意味がある。
かつての村遊びの中で伝承されてきたもので、「アブシの手」と「北谷の手」の二つの型があったが、近年は「アブシの手」だけが年中行事と慶祝の場や舞台で演じられている。


宮城=舞片棒。宮城には、琉球王国時代、王府に仕えた者に棒者(棒術にすぐれた人)がいて多くの棒術が残っていた。
その中に「ジジンヌ棍」「サクガーヌ棍」「ウーラン」という型の棒術があり、この三つの型を組み込んで仕立てたのが宮城の舞方棒だといわれている。


宮平
●綛掛=出羽「干瀬節」中踊「七尺節」入羽「サアサア節」三曲三部立てとなっており、古典女踊りの伝統的な型を保持している。

●獅子舞=町指定無形民俗文化財。八月十五夜で演じられる。現在の獅子は2代目で、ハワイ在の宮平出身者の有志により1950年の寄贈。
初代の獅子は首里王府から拝領したものであると伝えられているが、年代ははっきりせず今次大戦で行方不明となった。

本部
獅子舞=町指定無形民俗文化財。毎年旧盆・八月十五夜で演じられる。1981年、獅子舞保存会が結成。

由来は、尚王時代の「本部赤嶺の伝説」に遡る。その当時の本部の赤嶺は豪農だったが、ある振る舞いを首里王府から罰せられ、その罪の償いとして村に獅子と龕を寄付したと伝えられている。
4種類の型がある。
 ■綱曳き=旧暦6月25日(カシチー)、6月26日(アミシ)の日を中心に町内では各字で行われる。

兼城=旧暦6月25日・26日。25日の「カシチー綱」は割合あっさりしており、26日の「御願綱」がメイン。
1985年、28年ぶりに復活。

神里=旧暦7月16日。

喜屋武=旧暦6月25日・6月26日。始まるのは午後10時過ぎ。実際に綱引きになるのは午後11時頃。

津嘉山=旧暦6月26日。鉦鼓隊が旗頭と共に道ズネーしながら津嘉山幼稚園のグランドに集合。また10数年に1度大綱引き(ウーンナ)もある。

照屋=旧暦6月25日・6月26日。25日に2回、26日に1回綱を引く。また綱曳きの前に青年の棒術がある。
平成21年、17年ぶりに青年会復活。翌22年、20年ぶりに綱曳き復活。平成23年、照屋区伝統芸能保存会発足。

宮城=旧暦6月15日・6月26日。豊作を祝う旧暦6月15日のウマチー綱、次の年の豊年と雨を願う旧暦6月26日のウファチ(大綱)と、宮城では2回綱曳きが行われます。ウファチでは東西それぞれ勇壮な旗頭が見られる。

宮平=旧暦6月26日。現在2回曳かれる中で東西一勝一敗の引き分けにするようにしている。また子供のエイサーも行われる。

本部=旧暦6月25日。現在は子供中心の綱引き。

山川=旧暦6月25日。綱を曳く前に、綱を担いで周囲を回る。昔は東が勝てば果報世(ユガフー)、西が勝てば飢饉(ガシドン)になると云われていた。
綱曳きが終わったら子供角力大会。

与那覇旧暦6月25日。公民館前で行われる。アニメのキャラクターが入った子供用の旗頭もある。
喜屋武のエイサー旧7月16日

兼城のエイサー旧7月16日

神里=昭和59年(1984)、与那城町屋慶名から指導を受けて復活。=昭和60年(1985)、玉城村奥部から指導を受けて始まる。
演目は「東西南北、7月エイサー、ションバレー、与勝海上巡り、花笠、バジョンガー、月夜の恋、二合小、安里屋ユンタ、チムガナサ節」。

津嘉山=昭和60年(1985)、玉城村奥部から指導を受けて始まる。
演目は「あきの踊り(入場曲)、7月エイサー、スーリ東、久高マンジュウ王、イチュビ小、豊節、テンヨー、与勝海上巡り、安里屋ユンタ、チムガナサ節」」。

 与那原町(よなばるちょう)
字と〔 〕は行政区。字板良敷(いたらしき)〔板良敷:当添(とうそえ)〕字上与那原(うえよなばる)、字与那原〔江口(えぐち):県営与那原団地(けんえいよなばるだんち):大見武(おおみたけ):中島(なかじま):浜田(はまだ):新島(みーじま)港(みなと):森下(もりした):与原(よーばる〕、字東浜(あがりはま)
綱引き=旧暦6月25日に板良敷、上与那原、与那原、大見武で行われる。
 【与那原大綱曳き・与那原まつり】(公式HPへ)
8月上旬開催。場所は御殿山青少年広場。メインは大綱曳き。与那原まつりは2011年で29回を数える。
沖縄三大綱曳きのひとつで、東西に分かれた雌雄2本の大綱の結合によって実りを予祝し、勝敗によって豊凶を占う伝統行事。
会場では各種演芸やライブも開催され、フィナーレには花火が打ち上げられる。

当添ハーリー=旧暦5月4日頃の日曜。場所:当添漁港。主催は当添区。後援は与那原・西原漁業協同組合。
木造船3隻の爬龍船による競漕。小櫂8丁(以前は10丁)・大櫂1丁・鐘打ち・シンルー。昭和54年復活。
(12:30〜)子供による道ジュネーが、当添むらや〜(公民館)からスタート。
(13:30〜)ハーリー競技開始・模範バーリー
 八重瀬町
  2006(平成18年)1月1日、東風平町と具志頭村が合併し八重瀬町が誕生。
 【八重瀬青年エイサー祭り】
10月中旬、14:30〜21:00、東風平運動公園陸上競技場(八重瀬町東風平1076)で開催。主催は八重瀬町青年エイサー祭り実行員会。2014年で8回を数える。
八重瀬町内のエイサー団体をはじめ獅子舞や棒術などの伝統芸能団体が一同に会し、伝統文化を継承するとともに青年相互の交流や地域活性化を目的に開催される。
 ◎旧・東風平町
字は伊覇(いは)、上田原(うえたばる)、小城(こぐすく)、宜次(ぎし)、東風平(こちんだ)、志多伯(したはく)、高良(たから)、当銘(とうめ)、友寄(ともよせ)、富盛(ともり)、外間(ほかま)、屋宜原(やぎばる)、世名城(よなぐすく)
当銘・小城の龕(がん)の祭り=当銘・小城の両集落が共有する龕の年忌祭が龕甲行列と言われ、死者の供養の年忌と同様に1、2、3、7、13、25、33年ごとの旧暦の8月10日に行われる。次回は平成28年(2016)を予定。
龕とは亡くなった人を運ぶ葬具で、当銘・小城では御拝領(グヘーロー)龕と呼ばれ、首里王府より拝領されたものと伝えられています。
製作年は(道光13年癸巳(みずのとみ)・(尚?王30年・1833年)8月10日にあたり、両字が拝みを行う。また、一定の月日に龕の修復を行い最近の修復は2005年の13年忌に行われた。

 当銘・小城の棒術も行われる。
 ■綱引き
 五穀豊穣、無病息災などを祈る行事で町内各地で行われる。
小城=旧暦6月15日・旧暦7月14日。

宜次=旧暦7月16日。棒術も。

東風平=毎年ウークイ(旧暦7月15日)の翌日の旧暦7月16日。

志多伯=ウチマー綱は旧暦6月15日。七月綱は7月15日。

高良=七夕綱は旧暦7月7日。ウンケー綱は旧暦7月13日。

東風平=毎年旧暦7月13、14日。

当銘=旧暦6月15日・旧暦7月15日。

友寄=旧暦7月15日。綱引き(3年ごと、2011年開催)。場所は友寄馬場公園

富盛=七夕綱は旧暦7月13日・15日。七夕綱は旧暦8月15日。3年ごと。
2002年、字誌編さんに合わせて『カニチ上ヌブイ』といわれる支度(牛若丸、弁慶)を乗せる部分の綱引きを65年ぶりに再現。
2008年、71年ぶりに全体を完全なものとして復活。前回は昭和12年でそれ以降は日中戦争に伴う自粛や沖縄戦で71年間途絶えていた。
地方関係団体などで組織する財団法人地域創造の「地域伝統芸能等保存事業」の映像記録保存事業に位置付けられたことなどがきっかけで、復活することになった。

字誌によると、尚真王(1477―1526年在位)時代に始まったとされ、沖縄の綱引きの発祥とも言われている。

世名城=毎年旧暦7月16日。
 ■獅子舞※獅子舞のみ
外間=旧暦7月16日。
 ■棒術
当銘龕甲祭の年忌ごとの旧暦8月10日。

小城龕甲祭の年忌ごとの旧暦8月10日。

宜次=綱引き、納涼祭と同日。

東風平=旧暦8月15日。

志多伯=獅子加那志の年忌ごとの旧暦8月15日・16日。

友寄=旧暦8月15日。

富盛=旧暦8月15日。

世名城=旧暦8月15日。
 ■十五夜(旧暦8月15日ごろ)
 中秋の名月の出る旧暦8月15日を中心に「十五夜遊び」、「村踊り」と称する豊年祭の行事。
友寄
=毎年旧暦8月15日。獅子舞、棒術。
 獅子は天然痘が流行し、死者が多く出たため村の魔除けの守護神として製作された。道光18年(1821)田名宗経の作だったが、戦災で焼失。
現在の獅子は1968年、山田真山画伯の作。

富盛
=毎年旧暦8月15日。場所は富盛公民館前
 昼の部は旗頭、金鼓隊、唐人行列、大和人行列、棒術、女行列と道行列が行われる。
北は「唐人行列(トーンチュジュネーイ)」、南は「大和人行列(ヤマトンチュジュネーイ)」。
行列の最後は「女行列(ヨンシー)」で幼女から婦女子が参加。昔は露払いを立てて先導するために、北はミルクの人形、南はタカッチューを作り女行列の順路を確保していましたが、十五夜祭りは雨が多かったのでミルクのせいに違いないということでミルクは廃止となり、現在では男女のタカッチューが先導する。その起源については不詳です。
 夜の部は伝統芸能33演目の披露。

東風平
=毎年旧暦8月15、16日。獅子舞、棒術、村芝居。
 獅子舞は東風平村に天然痘が大流行した。そこで村の有志が集まり魔除けとして獅子加那志を仕立て、村人の健康と豊年を祈願して道行列(ミチズネイ)をしたのがはじまりと云われる。

志多伯(志多伯獅子舞棒術保存会)
=平成9年発足。
道ズネーにはミルク姿の木製人形を取り付けた「幻の旗頭」を先頭に拝所など8カ所を回り、獅子舞、棒術、琉球舞踊を奉納。
 獅子舞、棒術は加那志の年忌ごとの毎年1、2、3年13年、25年、35年期ごとの旧暦8月15日・16日。


世名城=毎年旧暦8月15日。棒術、ウスデーク、村芝居。
ウスデークは1862年頃から始まると云われている。
 ■エイサー
東風平エイサー
=旧暦7/13、14。場所は東風平公民館前広場。
青年会は2008年結成。宜野湾市我如古青年会より指導を受けた。
パーランクーと手踊りを主体としたエイサー。旧暦の13日は東風平集落を練り歩く道ズネイ。14日は東風平公民館前広場。


富盛エイサー
=毎年旧暦7/13、14。場所は道ズネーと富盛公民館前広場。

1983年に糸満市大里青年会に指導を受け、旧盆にエイサーを始める。踊りは独特の腰の落としとパーランクーの手かえしが特徴。
 ◎旧・具志頭村
字は安里(あさと)、新城(あらぐすく)、大頓(おおとん)、具志頭(ぐしちゃん)、後原(こしはら)、仲座(なかざ)、長毛(ながもう)、玻名城(はなしろ)、港川(みなとがわ)、与座(よざ)
 ■綱引き
 五穀豊穣、無病息災などを祈る行事で町内各地で行われる。
安里=毎年旧暦8月15日にもっとも近い日曜日。当日に綱を作る。棒術も。

具志頭=3年ごとの旧暦8月15日。

はなしろ=毎年旧暦7月16日、8月15日。獅子舞、棒術。
獅子舞は人形芝居の京太郎(チョンダラー)が演じていた獅子舞を長田家が譲り受けた。ある年に疫病が流行し、その獅子を先頭に部落を練り歩き悪疫を追い払った。以来、部落の守り神として大切にされている。
 ■獅子舞※獅子舞のみ
はなしろ=旧暦7月16日・8月15日。
 ■棒術
安里
=安里綱引きと同日。

はなしろ=はなしろ獅子舞と同日。
 ■祭祀舞踊
安里のウフデーク=町指定無形民俗文化財。毎年旧暦7月17日。場所は安里地区、安里公民館。
安里村が再建された時から、安里村では6月ウチマーに祭祀の行事が終わると、村の女性たちがウチハレの遊びとして、ニーヤでウフデーク(臼太鼓)を踊ったのが始まりと云われている。

 紺地絣にサージ姿の女性らは行列をつくり、ヌンドゥンチ、ミードゥンチ、孝神堂の三ヶ所で祈りと舞踊を捧げる。その後、同公民館までを道ジュネーする。
  公民館前の広場では区民が女性らの到着を待つ。到着した女性らは日が暮れた中、円陣になって区民に舞踊を披露する。
 

新城のシーヤーマー=不定期。元来は旧暦8月15日の十五夜に踊られていたが、現在はお祝いの場などに踊る。
昔、新城の近くに椎の木が自生する森があり、女性たちが椎の実を拾い集める所作を踊ったもので、1838年、当時の首里王府で上演し、称賛されたことなどが語り継がれている。
 ■エイサー
安里エイサー
=旧盆の週の金曜・土曜。場所:安里公民館前広場。
園田青年会、米須青年会から受け継いだ伝統を保ち、新たに旧具志頭村の汗水節を取り入れている。
構成は大太鼓・締太鼓・手踊り・地方・チョンダラーである。

新城エイサー=毎年旧盆の週の金曜・土曜。場所:新城公民館前広場。
うるま市浜比嘉島から南城市大城青年会へ伝わったエイサーを基本にしたパーランクー主体のエイサー。
チョンダラーも充実している。

具志頭(ぐしちゃん)青年会=旧暦7/13〜15。場所は具志頭公民館前広場。
男女のメリハリで魅せる。男性は、テンポの速い太鼓やバチさばき、メリハリのある動きが特徴。女性はしなやかな手踊り。

長毛青年会=毎年旧暦7/13、14。2001年結成。

港川エイサー=毎年旧暦7/13、14。道ジュネーで集落を廻る。
 【汗水祭(エイサー祭り)】
7月中旬、16:30〜21:00。具志頭運動公園陸上競技場(八重瀬町具志頭1300)で開催。入場無料。主催はぐしちゃん青年会。
2010年より始まる。2014年で5回を数える。
汗水祭は民謡教訓歌「汗水節」が由来で、汗水節の作詞者・故・仲本稔氏は旧具志頭村出身。汗水節やえんどうの花を作曲した故・宮良長包氏の墓も同地域にあり、ゆかりの地となっていることから名づけられた

 ■ハーレー
港川ハーレー
=旧暦5/4。豊漁と海の安全祈願 を願って港川漁港で海神祭(ウンガミサイ)が行われる。
ハーリー海人(うみんちゅ)の航海安全と大漁を祈願するお祭り。
8:00〜。御願ハーレーや上がりハーレー、青年会転覆競争や職域ハーレーなどが行われる。
元々、港川は糸満漁夫が移り住んで出来た集落で明治中期までは糸満に参加していたが、集落が大きくなり港川で行うようになった。ハーレーの後に、角力大会が行われる。

 粟国村
 【粟国島(あぐにじま)】
面積は7..64km2。周囲は12.17km。最高標高は95.8m(番屋塚)。
人口は693人・424世帯(2021年)。779人・448世帯(2012年)。
マースヤー=旧暦大晦日〜旧暦元旦。11ある原や組ごとに地域内の各家々を練り歩いて歌や踊りで無病息災と豊穣を祈る。
ヤガンウユミ旧暦6月24日、25日、26日。五穀豊穣などを祈願する粟国島最大の年中行事。
旧暦6月24日
 19時頃、各区長、各原組のヤトゥイ(雇)は祝女と共にエーガー拝所に集まり、山の神を迎える儀式をする。

旧暦6月25日
 19時頃、東の両ヌル、西のスイミチジ、以下の神人、ニイブトゥイ神、ヤトゥイ(雇)、各区長が大中の火ヌ神の祠前に集まり、ヤカン神の来臨の御礼と翌日の折目の案内と無事終了を祈願する。また、東と西の神々が同時に前に出て、同時に祈願して終わる。

旧暦6月26日
 10時頃、ウンヌキグト(お願い事を伝える申し開き)が始まる。年中行事の中で盛大な神事であり、老若男女が西にあるイビガナシーに集まり健康祈願や子宝祈願などを行う
神事の後は、相撲(ちびっこ、幼稚園、小学生、中学生)。夜には大人の角力や余興が行われ、最後は花火。

 ■粟国ハーリー(海神祭)
旧暦の5月4日。
御願バーリー、競漕ハーリー(職域対抗〔粟国小中学校の先生チーム 村役場の職員チーム 漁業組合チーム など〕、子供ハーリー 字対抗ハーリー〔3字〕
島ウガン=旧暦5月15日。粟国村の伝統行事の一つで、宮の前に各原が集まり、供物をお供えし祝女とともに村民の健康を祈願する。
綱引き=雨乞いのときに行われる。
 【芸能】
粟国村誌(1984年、粟国村発行)によれば、『戦前、明治、大正の頃は草戸原組の組踊り、伊久保原組の組踊りも村民の目をひいたが、今はその伝承者がいない。都舞原の長者の大王、大浜原組のモドリカゴ、草戸原の松竹梅は現在でも有名である。』とある。

 渡名喜村
 【渡名喜島(となきじま)】
面積は3.74km2。周囲は16.1km。最高標高は179m(大岳)。
人口は418人、220世帯(平成22年)。集落は西区・東区・南区の3地区に分けられている。
カシキーまつり(綱引き)=旧暦6月25日。17時〜。東字と西・南字の2箇所で同時に行われ、夜更けまで歌や踊りで活気づく。
渡名喜村海神祭(ハーリー)=旧暦5月4日。2011年で43回を数える。場所:渡名喜漁港。
御願ハーリー、子供たちの紅白ハーリー、職域ハーリー、アガイハーリーなど。
会場ではスイカ割り大会、漁船のパレード、マングシ(万越し=御供撒きのこと)などもある。
シマノーシ(島直し)=1年越しに行われる伝統行事で豊年、大漁、航海の安全、健康など、島の生活に関わることを祈願する。
ノーシとは新しくする、御祓いなどの意味で海のかなたから渡名喜島の始源神「ギレーミチャン(遠来神)」を迎えて厳粛に5日間かけて行われる。
 旧暦4月26日から6人の神女(ガンジュナ)が潮が満ちかける時刻に合わせて神道を通り、島の4カ所の祭場トゥン(殿)である「クビリドゥン」、「サトゥドゥン」、「ニシバラドゥン」、「ウェーグニドゥン」の順にトゥンニンジュ(祭り集団)と共に回り礼拝を行う。
 旧暦5月1日の最終日には満潮時の早朝、丘の中腹で東の海に向かい神女たちが神歌を唱えながら白い布を振り「ギレーミチャン(遠来神)」の神々が海のかなたへと帰るのを見送る「ノーイガミ」が行われる。
 【入砂島(いりすなじま)[出砂島(いですなじま)]】
面積は0.26km2。周囲は約2km。最高標高は32m。無人島。一般人は立ち入り禁止。
渡名喜島の北西約3、8kmにある小島で戦前までは“神の居る島”として渡名喜住民に畏れられ、4年に一度行われる入札によって決められた一家族だけが島に住み、畑を耕し、島を守ってきた。周辺は好漁場に恵まれカツオ漁が行われたりしていたが、戦後から現在に至るまで米軍の射爆撃の演習地として使用されているため、開放日を除いて一般的には立ち入ることはもちろん近づくことも出来ない島になっている。この島が村に戻り自由に行き来することが出来れば経済上も安定するであろう。
 ちなみに渡名喜村史 上巻488〜485ページには「わが村の属島入砂島は、古来、魚介類の豊富な島として他村の漁業者の垂涎のまとになっていただけに、戦前までは村民の生活の資を多くこの島で獲ていた処で、蛸、蝦や高瀬貝、広瀬貝、シャコ貝、ちょうせんさざえなどの貝類、各種の魚類、カツオの餌となるキビナゴなど、ひとえ草、海人草などの海藻類、うに、ナマコなどの海産物の豊富な海があり、陸には桑の木、スイカなどが栽培され牛も飼われ、宝の島と讃えられ海陸の幸に恵まれていた」とある。
 元々頂上部には4つの御嶽があり、渡名喜島住民がシマノーシ(島直し)の祭礼を行っていたが、米軍の射爆撃の演習地として使用されているため、出入り禁止されていたが、
ようやく1997年に渡名喜島出身の神女5人が島に渡り、50数年ぶりの祭事を行ったが、4つの御嶽全ての位置を確認出来なかった。

 久米島町
 【久米島(くめじま)】
面積は59.53km2。周囲は53.3km。最高地点は310m(宇江城岳)。
人口は7241人(2023年、住民基本台帳)。7733人(平成27年、国勢調査)。8526人(2013年)。
鳥島354 七嶽神社 境内には「鳥島移住記念之碑」があり、移住に至るまでの経緯が記されている。
兼城十五夜まつり=旧暦8月15日夜。兼城公民館で行われる。兼城獅子舞、子供会、婦人会による余興、球美若獅子太鼓によるエイサーなど。
綱引き=宇栄城、仲地では雨乞いのときに行われる。
 ■エイサー
儀間=旧盆。

山城
1975年頃、沖縄市近辺から指導を受けた。男は太鼓、女は手踊り。

真我里、比嘉
=詳細不詳。

謝名堂
=旧盆。1975年頃、北谷から来て数年間、謝名堂に住んでいた人より指導頂く。字中心で活動。
演目は「仲順流れ、久高、スーり東、かたみ節、海のチンポーラ、アカヤマー」。

宇根、真謝、島尻
=詳細不詳。
 【久米島全島エイサーまつり】
9月初旬、18:00〜、仲里野球場横 駐車場で開催。平成25年で6回を数える。主催は久米島町青年団協議会。
出場団体:(地域エイサー)儀間・比嘉・謝名堂・西銘。なでしこ保育園児・登那覇太鼓・球美若獅子太鼓
鳥島ハーリー(鳥島漁港)旧暦5月4日開催。8:30〜

儀間ハーリー大会=旧暦5月4日、9:00〜15:00頃開催。儀間漁港。主催は儀間ハーリー行事実行委員会。グラスファイバー船3隻の爬龍船による競漕。小櫂10丁・大櫂1丁。

字誌『じまむら』よると、明治38年日露戦争旅順陥落祝賀行事として行ったのが最初で、ついで大正4年大正天皇即位祝賀行事として行われ、以後続いていたが漁港造築のため中断され、平成5年に復活とある。

真泊ハーリー(真泊漁港)旧暦5月4日開催。9:00〜
 【奥武島(おうじま)】
面積は0.63km2。周囲は3.4km。最高標高は15m。
人口は30人(2023年、住民基本台帳)。22人(平成27年、国勢調査)。23人、13世帯(2012年)。
昭和58年に完成した海中道路で久米島と繋がる。以前は潮が引いた時には徒歩で、潮が満ちてきたら竹馬か船で渡っていた。明治初年に本島から漁業者が移住して集落が形成された。奥武島・オーハ島の2島を合わせて奥武島と総称し、東奥武・西奥武で区別することもある。
 【オーハ島(東奥武島)】
面積は0.37km2。周囲は2.7km。最高標高は8m。
人口は9人(2023年、住民基本台帳)。0人(平成27年、国勢調査)。3人、2世帯(2012年)。
昭和35年の最盛期は134人の人口があった。
明治末期に渡名喜島などより入植者があり集落が形成された。
奥武島とは100mほど離れている。
 【鳥島(とりしま)】
面積は0.04km2。周囲は1.3km。別名、久米鳥島。久米島の北約28kmにあり、島の全域が町有地となっている。
島全体を含めた周囲がアメリカ空軍が管理する「鳥島射爆撃場」となっており、この水域は、使用期間中漁業及び立ち入りが禁止となる。
 【硫黄鳥島(いおうとりしま)】
面積は2.5km2。周囲は7.3km。沖縄県の最北端となる無人島。
日本の島ガイド「シマダス」日本離島センターによると、定住の始まりは明らかでないが、1631年の噴火で住民多数が死傷し、1829年の大爆発では徳之島へ避難したと言われている。
正保3年(1646)の「正保国絵図」には「人居有り」とある。1816年にはイギリス艦隊で来航したベイジル・ホールは「朝鮮・琉球航海記」の中で、硫黄鳥島をサルファーアイランドと呼び、スケッチを残している。琉球王国の重要な進貢物だった硫黄の産出地として古くから知られ、薩摩の島津氏の琉球要り後も琉球王支配下にあった。
明治12年に沖縄県に所属、現在は久米島町の行政下におかれている。同15年には飢饉の影響もあり、県が久米島への移住を説得したがそのまま残留。
同36年(1903)4月に再び激しい爆発が起こり、住民は協議の結果移住を決意。明治36年12月、翌年2月の2回に分けて100世帯548人が久米島へ移り、鳥島という新たな集落を作った。その後、硫黄採掘の再開によって42世帯が再入植、人口600人以上に増加し小学校なども開かれ、硫黄採掘は戦前まで続けられた。しかし、噴火の危険が迫り、昭和34年7月に再び無人島化した。
 島には7つの御嶽があって遠く祖先の代から作物の豊作、住民の無病息災、作業の安全を祈願していたので、移住に際し、この7つの御嶽の砂を取って壺に納め、それを御神体として移住地に移し、まとめて祈願所としたのが七嶽神社である。
                           
 大東諸島
 南大東村
 【南大東島(みなみだいとうじま)
面積は30.57km2。周囲は23.2km。最高地点は75m。人口は1295人(2013年)。
池ノ沢 大東神社 9/22、23 神輿8基 6字地区と事業所合わせて8基
約12台 ※6字より2台ずつ約12台出る。山車の形態はトラック(2t〜4t)を木の葉等で飾り付けたもの
 北大東村
 【北大東島(きただいとうじま)
面積は11.94km2。周囲は13.52km。人口は541人、249世帯(2012年)。沖縄県の最東端。
中野 大東宮 9/22、23 大人神輿、子供神輿 祭典奉讃会主催
山車1台
山車=二輪。1ツ屋根。トラクターの牽引。
平成14年までは神輿で島内を練り歩いていたが、担ぎ手不足などの理由から、現在は役場前から大東宮までの巡幸である。
22日の前夜祭は琉球舞踊、大東太鼓、大人たちによるエイサー などの奉納演芸が催される。打ち上げ花火もある。
翌23日には豊年祈願式典が行われ、各自参拝の後、一般青年及び児童生徒による沖縄角力・江戸相撲の奉納がある。
中野 金刀比羅神社 10/10 沖縄角力・江戸相撲
境内において一般青年と児童生徒による沖縄角力・江戸相撲が奉納
中野 秋葉神社 11/23 沖縄角力・江戸相撲
午後からは、境内において各事業所代表による沖縄角力の団体戦や、児童生徒による江戸相撲が奉納。また、当年中学を卒業する生徒による親子対決(男子は沖縄角力、女子は腕相撲)がある。
 【沖大東島(おきだいとうじま)
面積は1.147km2。周囲は4.5km。別名はラサ島。
燐鉱石の採掘のため最盛期には2000人もの人口があったが、昭和20年に資源枯渇・米軍攻撃の激化を理由として、従業員・家族ら民間人が引き揚げた。
全島がラサ工業の私有地であるうえ、同社から貸与される形で米軍の射爆撃場(沖大東島射爆撃場)として使用のため立ち入り不能。
米軍の射爆撃場の返却がされないことに加え、ラサ工業は現在は燐酸肥料を含む化学肥料事業より撤退のため現時点では有人化は難しい。
しかし1979年7月2日、ラサ工業、防衛施設庁、大学教授の調査によると、燐鉱石約350万トン埋蔵。
さらに1990年の海上保安庁の調査によると、鉱物資源の宝庫と報告があるのでいずれ開発されると思われる。

 慶良間諸島
 渡嘉敷村
 渡嘉敷島(とかしきじま)
面積は15.31km2。周囲は19.6km。最高標高は227(赤間山)m。
人口は658人(2023年、住民基本台帳)。728人(平成27年、国勢調査)。693人、408世帯(2012年)。
渡嘉敷、渡嘉志久、阿波連の3つの集落があ
る。
渡嘉敷 渡嘉敷神社 11/中旬 種取り 豊年を神に感謝し、神社境内にて区長の祭祀で厳かに執り行われる
12/20 末御願 一年間無事に過ごせたことに感謝し、迎える年の無病息災を祈願する
もともとは殿内小(トゥンチグヮー)と呼ばれたノロの拝所だったが、昭和18年(1943)に古波蔵春という女性が神職講習を受け、渡嘉敷の祝女(のろ)となり、現在の社名が使われるようになった。
綱引き=旧暦6月25日。渡嘉敷集落を東西に二分して200mの大綱を引きあう。
阿波連ハーリー=毎年旧暦5月4日。10:00〜。場所は阿波連ビーチ。その昔琉球王府時代には、座間味島の阿護の浦と同じように、那覇を出航して唐(現在の中国、当時の明や清)に行く進貢船が停泊し風待ちをしたところとしても知られている。その頃すでに行われていたと云われる。
各字に分れて競い合う。
 前島(まえじま)
面積は1.59km2。周囲は7.0km。最高標高は133m。
人口は0(令和2年、国勢調査)。2人(平成27年、国勢調査)。9人、7世帯(2012年、住民基本台帳)。

昭和37年12月には全島民36人が沖縄本島へ移住し、無人島となる。この間も島の人々は島の祖先や神々のために拝みには来ていたが、定住者はいなかった。
 しかし2003年から一組の夫婦が住み、故郷の島を復興しようとしている。この中村さんは1951年まで前島に住んでいた出身者。
島を離れ、40代に入ってから前島に帰りたいと考えるようになり、52歳で会社をやめ、大工仕事を覚え船の免許を取り、前島に住民票も移したが現在は再び無人化。
 慶伊瀬島(けいせじま)[神山島・ナガンヌ島・クエフ島](別名:チービシ)
神山島[面積は0.29km2。周囲は約2km:ナガンヌ島[面積は0.29km2。周囲は約3km]]:クエフ島[面積は0.02km。周囲は約0.6km]。
慶伊瀬島とは慶良間列島の東端にあり、渡嘉敷村に属する環礁群の総称である。
神山島、ナガンヌ島、クエフ島という隆起サンゴ礁で出来た3つの島の総称で、チービシ(慶伊干瀬)とも呼ばれている。

 神山島には灯台(昭和47年初点灯)があり、沖縄戦においてアメリカ軍が沖縄本島を直に砲撃するため砲兵陣地を敷設、M2 155mmカノン砲(ロング・トム)24門が設置されていたことで知られる。

 座間味村
 座間味島(ざまみじま)
面積は6.66km2。周囲23.2km。最高標高は161m(大岳)。
人口は568人(2023年、住民基本台帳)。564人(平成27年、国勢調査)。579人、314世帯(2013年)。
海御願(海神祭)=旧暦8月20日頃に行われる、豊漁と航海安全を海の神様に祈る伝統行事。ミルク神が登場し、島の老若と踊る。夕方からはハーリー競漕やお宮の前での宴もある。
座間味島祭り=8月下旬開催。会場は座間味港ターミナル広場。主催は座間味島祭り実行委員会。
真夏の海・島々にマッチした村民及び観光客も含めたみんなの祭り。太鼓、小学生エイサー、中学生エイサー、座間味エイサー同好会、琉球舞踊、ハワイアン・フラ、民謡ショーや花火大会など、様々な催し物がある
 阿嘉島(あかしま)
面積は3.82km2。周囲12.3km。最高標高は187m。
人口は250人(2023年、住民基本台帳)。248人(平成27年、国勢調査)。269人、159世帯(2012年)。
座間味村の島々の中では座間味島の次に大きな島。
海御願(海神祭)=旧暦8月20日頃に行われる、豊漁と航海安全を海の神様に祈る伝統行事。ミルク神が登場し、島の老若と踊る。夕方からはハーリー競漕やお宮の前での宴もある。
 慶留間島(げるまじま)
面積は1.15km2。周囲4.9km。最高標高は157m。
人口は53人(2023年、住民基本台帳)。58人(平成27年、国勢調査)。64人、37世帯(2012年)。
阿嘉島とは平成10年(1998)6月に完成した阿嘉大橋(530m)で繋がっている。
 外地島(ふかじしま)
面積は0.83km2。周囲4.6km。最高標高は76m。
平成元年2月に完成した慶留間橋(240m)で繋がっている。無人島だが、全長800mの滑走路を有する慶良間空港がある。
 ■屋嘉比島
周囲は約3km。往古より銅の採掘がされていて、最終的にラサ工業が採掘しており久場島と合わせて約1000人の住民がおり、沖縄戦直前には座間味小学校の分教場や診療所などがあったが、沖縄戦により壊滅となる。現在は無人島だが、国指定天然記念物の慶良間鹿がいる。
 ■久場島
屋嘉比島と同様に戦前は銅の採掘がされていて約1000人が住んでいたと言われるが、沖縄戦により壊滅となり、現在は無人島。
慶良間で一番高い約270mの山がある。この島は、クバの原生林に覆われていることからこの名前になったといわれています。山の頂上には御嶽があるらしい。
 ★展示場
 【豊見城市歴史民俗資料展示室】
豊見城市字伊良波392(市立中央図書館1階)。
平成14年9月オープン。時間:9:00〜17:00(火曜〜日曜)※入室は閉室時間の15分前まで。12時〜13時は休憩時間。

休室日は月曜、国民の祝日、年末年始、その他特別な理由が生じた場合。
無料。館内には住まい、農具、漁具、祭り、行事、沖縄戦などのコーナーがあり、豊見城のライフスタイルや移り変わりを見学することが出来る。先人達の暮らしの様子や、懐かしい生活の様子のなかに様々な知恵を感じることができる資料が数多く展示されている。
 祭り・行事のコーナーは12年に1度の高安のガンゴウ祭や保栄茂、翁長の豊年祭の紹介である。
 【与那原町立綱曳資料館】
島尻郡与那原町字与那原556。пF098−945−0611
時間:平日の9:00〜16:30。休館日は木曜、祝日、年末年始及び慰霊の日(6月23日)。

無料。与那原町内にある綱曳の資料館。与那原町の歴史も含め、綱曳に関する様々な情報を得ることができる。
 【南風原町立南風原文化センター】
島尻郡南風原町喜屋武257。пF098−889−7399
時間:9:00〜18:00。休館日は水曜日。12月29日〜1月3日。入館料は大人300円、中高学生200円、小学生150円。
南風原・沖縄に関する歴史資料や沖縄戦に関する展示。そして移民やむかしの暮らし等の展示を行っている。
常設展示には年中行事の綱引きの綱や獅子舞などの実物の資料もある。
このほか企画展や講演会、音楽会、交流会なども行っている。
 【久米島博物館】
久米島町嘉手苅542。пF098−896−7181
時間:平日の9:00〜17:00(入館は16:30まで)。休館日は月曜(祝日の場合、は翌火曜も休館)、祝日(子供の日、文化の日を除く)、年末年始及び慰霊の日(6月23日)。
料金は大人200円。
久米島の自然・歴史・民俗をわかりやすく紹介する総合的な文化施設として、また、新たなる文化の創造・発展を目指し、文化活動の情報発信拠点としての役割を担っている。
図書館(沖縄県や久米島に関する、色々な書籍を無料で閲覧することが出来る)。
「久米島のまつりと行事」映像コーナー。[祭り1][祭り2][弔い]の3部構成からなるビデオ映像で、祭祀行事や娯楽、旧盆行事などの概略を紹介している。
 【北大東村民俗資料館】
島尻郡北大東村字中野152−1。пF09802−3−4350
2000年12月開館。 時間:平日の9:00〜10:00。休館日は土日、年末年始。
入館を希望者は宿泊先または、北大東村教育委員会(TEL:пF09802−3−4138)まで連絡すること。
神輿展示。この神輿は戦前から1981年ごろまで使用された。