萌木色の風に揺られて… 
… 泉 香 …



 ありがちな、片想いをしています。

 胸ときめくような出会いとか、運命のインスピレーションとか、きっかけは何にもありませんでした。
 でも十六にもなって、高校生なんかになっちゃって、好きな人の一人もいないんじゃ周りの話題についていけないかなって、それで誰かを好きになる事にしました。

 多分「恋に恋してる」っていう奴です。



 相手に選んだのは、同じクラスの男の子。
 彼はクラスの中では小さい方の子(それでも私よりは少しだけ大きいし)で、きしゃな身体で、あんまり怖くなさそうだったから。

 あだ名は「ポエマー」
 由来は、小学校2年生の時の文集。

「ぼくは大きくなったら、し人になります」

 詩 という字が書けなくて、ひらがなで書いたんだそうです。
 齢八歳にして自分の将来を確定した彼は、十六になった今でも、何かを思いついた時にはノートにそれを書き付けています。 
 それが授業中でも、お昼の時間でも、たとえ歩いている時であっても。

「変わり者なのよ、あいつ」

 同じ中学出身という子が言うのを、最初は興味もなく聞いていました。
 堅そうな真っ黒の髪、量が多いみたいないつもおさまりの悪いそれを掻きながら、無心に文字を綴るごつごつとした長い指。

 その先にある言葉に興味を持ったのは、いつからだったっけ?

 眉根を寄せる横顔を、ただ見つめるようになったのは?

 きっかけは分からないけれど、気付いたら私は、決めていました。
 彼の名前は、木田 孝(きだ たかし)と言います。







「谷さんてさ、木田の事好きなの?」

 隣の席の笹谷君が何げにそう呟いたのは、現代社会の授業中だった。
 先生が休んでしまって、自習はプリント一枚、教室は無法地帯。
 席を立つ人がいない分だけかろうじて休み時間より少し静かな教室の喧噪の中で、私はぼんやりと窓際の席に座る彼を見ていた。

 眉根にしわを寄せて、無心に文字を綴る。きっとプリントなんてやってない。
 いつも広げてる小さなノート。あの先には、どんな言葉が綴られているんだろう…そんな事を考えながら、ぼんやりとしていた。

 だから、隣の席の男の子に話しかけられても、別にかまいはしない。

 でも…
 苦手、なのよね。友達じゃない、あんまり親しくない人とちゃんと喋るのは…。

「…なんで?」

 振り返って、右隣に座る男の子、笹谷 竜(ささや りゅう)君を見る。
 少し長めの、さらさらとした黒い髪。まんまるの子犬の瞳。無邪気な笑顔、素直な性格、要領のいいクラスの人気者。

 結構、私とは対極の人。
 密かにチェックしてる子多いけど、同じクラスの水橋 沙姫子(みずはし さきこ)ちゃんとつき合ってるのは有名な話だから、誰も彼を狙ったりしないって、お約束。

「なんでって…」

 だいたい私笹谷君に(というか男の子に)この話をした覚えはないんだけど…

「一週間も、毎日同じ方向見てれば普通気付くよ」

 首を傾げる私に、笹谷君は淡々と言った。

「一週間…」

 そう言えば、この席に席替えをしてから、今日で一週間になるんだわ。
 真ん中よりの後ろから二番目。
 谷君は窓際の列の前から三番目で、私は窓の外を見ているふりをしながら彼の姿が見れていいなあなんて思っていたんだけど…同じ方向を見てれば…?

「笹谷君て、ホモ?」

「げいん!…」

 わけの分からない擬音を発しながら、わざとらしく机に頭をぶつける。
 あ、なんか結構痛そうな音がした。

「…あのねえ、そんなわけないでしょ!」

マジでぶつけちまった≠レやいておでこをさすりながら笹谷君は顔を上げて、それから私を睨んだ。

「でも…」

 谷君の事を見つめてたって事は…

「俺が見てるのはその隣!」

 呆れたように、窓際の席を顎でしゃくる。
 隣?谷君の隣の席…窓際の谷君の席の左隣は当然窓、右隣は…あ、そうか沙姫ちゃんだ。

「あ、あの、ごめんなさい」

 素直に頭を下げる。

「いいけどね、別に。女の子ってそういう話好きだよね…」

 ああ、モーレツに呆れてる感じ。

「何で俺がポエマー木田の事なんか…」

 笹谷君はぶつぶつ言いながら、プリントの問題を片づける。男の子らしい、黒々とした大きな字…怒ってるのかな?
 そう言えば、一週間も隣に座ってたのに、ろくに話したことなかったかも…こんな風に文字を書く横顔見るのも初めてだ。
 でもあんまり本気で怒ってる感じじゃないし、いつまでも見つめてる訳にもいかなくて、私もプリントを片づける。
 5分くらい、たった頃。

「あのさあ…」

「え?」

 笹谷君が、また呟く。

「俺と沙姫子、一週間前から喧嘩してるの知ってる?」

「嘘!」

 あ…思わず出してしまった大きな声に周りの視線が集まって、顔が熱くなる。
 やだ、恥ずかしい…でも気になるよ。
 みんなが興味を失うのを待ってから、私はひそひそと切り出した。 

「…本当に?」

 だって笹谷君と沙姫ちゃんって、幼なじみでいつも一緒でお似合いでクラスどころか学校中の公認カップルなんだよ!?

「……谷さんて、ほんっとうに鈍いよね」

 ほんっとうにをやけに強調して。なんかやけに引っかかる言い方だわ。

「ま、あいつとなら似合いか…」

「へ?」

「いや、独り言。ね、聞いてもいい?」

 別に断る理由もなく、嫌と言える訳もなく。

「木田ってかなり変わり者だと思うけど、谷さんあいつのどこがいいの?」

 ううう、またストレートな質問を。
 こういう時、さらっと流して答えたいと思うけど、それが出来れば苦労はしない。
 私はどもりどもり、単語を並べる。

「あんまり、私、上手く喋れないから。言葉を綴る人が、羨ましくて…」

「ふ〜ん」

 なんだか、納得いかないみたいな顔。

「木田って、あんまし喋らない奴だけど。それにすごい口悪いよ」

「でも、いつもノートに何か書いてて、言葉を。どんな事を書いてるのかなって…」

「………そうか」

 そうかって、頷かれても困るんだけど。







「そっか〜、ふ〜ん笹谷がね〜」

 お昼休み、やりきれなかった現社のプリントをやる私を見て美弥ちゃんは、ふむふむとうなずく。
 彼女はクラスは別だけど同じ水彩部で、校内で一番仲のいい友達。

「でもあかりちゃん、知らなかったんだ。笹谷と沙姫ちゃんの事」

 呆れたように言う美弥ちゃんの言葉に、私はプリントを書く手を止める。

「美弥ちゃん、知ってたの!あの二人が喧嘩してるって…」

「…って言うか、みんな知ってると思うよ」

 が〜ん。私って、そういう話に超うといのよね。それにしても、違うクラスの子まで知ってるっていうのに…。

「喧嘩っていうか、なんか沙姫ちゃんが一方的に笹谷の事避けてるって感じかな〜。放課後も一人で帰っちゃうみたいだしね」

 そうだったんだ…全然気付かなかった。

「それで笹谷、最近すっごく機嫌悪いって噂だよ。ホントに気付いてなかったの?」

「う、うん。思いもしなかった…」

 まあね〜、それがあかりの良い所だよね〜美弥ちゃんはそう言って、うんうんと頷いた。







 それにしても、結局笹谷君は何が言いたかったんだろう…。

 今更な疑問にぶち当たって、ふとほうきを動かす手を止める。
 掃除時間、物理室。やる気のなさが見え見えのクラスメートは、そのほとんどがひそひそ声で噂話に興じている。
 掃除の班は出席番号順に十人ずつが一つの班になるから、私、谷あかりと、水橋沙姫子はぎりぎりの同じ班。
 しかし、なあ…今更だけど…。
 本当に私まるで気付いてなかったけど、そう言えばそうだったんだ。ここ一週間位、なんかみんなが集まって噂話してるのよく見かけた。そしてチラチラと見る視線の先は…。

 まっすぐに伸ばされた背。意志の強そうな、大きな目。
 黒髪を頭のてっぺんで結わって、肩につくポニーテールが、モップを動かす手に合わせて揺れる。
 水橋沙姫子ちゃんは、集まる視線をモノともせずに、いつもどうりに凛としていた。

 綺麗だなあ………思わずため息。

 ふとその沙姫ちゃんが、顔を上げた。
 ぼうっと見つめてた私と目が合って、私は何故か赤くなる。
 そんな私に、沙姫ちゃんはにっこりと微笑んで言った。

「もう時間だね、終わろっか」

「う、うん」

 道具入れにほうきとモップを片づけて、なんとなく教室まで並んで歩く。

「そうだ、言おうと思ってたんだ」

 沙姫ちゃんはふと顔を上げて、私の顔をのぞき込んで目をあわせる。

「あかりちゃんて、水彩部だったんだね」

「あ、うん。なんで?」

「先週、水彩部展やってたじゃない?たまたま覗いたら、あかりちゃんの絵があったから」

 はきはきと喋るのに、全然うるさい感じじゃない、綺麗な声。
 私は何故かどきどきしちゃって、もごもごと口を動かす。

「あっと、うん。あれは、水彩部って普段は帰宅部みたいなもんなんだけど、顧問の先生がせめて学校祭の前に、少しは名前の出ることしようって言って…」

「すごく良かったよ、あかりちゃんの絵。私はあの中では、一番好きだと思った」

 うわあ、そんな事、そんな大きな瞳で言われたら!

「でもあれ、先生や先輩には評価低くて…イメージだけが先走ってて、表現力やポイントがまるでないって…」

「そんな事ないよ」

 ぼそぼそと言うのを遮る、鋭い声。

「あかりちゃん、そんな人の評価とか、あんまり関係ないよ。私は絵描かないから専門的な事は分からないけど、あの絵を見て、何かが伝わる感じがしたの。すごく、綺麗な気持ちになったの。きっとあかりちゃんの中に、伝えたい気持ちが沢山あるんだと思った。だからそんな風に、人の言葉で自分の絵を評価しない方がいいよ」

 うわあ…。 

 私はただ呆然と、その強い瞳を見つめる。
 なんて、なんて真っ直ぐに言葉を紡ぐ人なんだろう。
 なんて、よどみのない…。

 黙り込む私を見て、沙姫ちゃんがちょっと首を傾げる。

「ごめん、私、余計な事言ったかな?」

「ううん」

 ぶんぶんと首を振る。

「あ、ありがとう。実は私もあの絵、ちょっと気に入ってたの…」

 沙姫ちゃんの笑顔を見てたら、私も自然に、笑うことが出来た。
 こんな風に、もっといろんな事が上手く言葉に出来たらいいのにな。
 そうしたら、木田君にも、もう少し近づける気がするのに…。










「どうも、失礼しました」

 ぺこんとお辞儀をして、職員室を後にする。
 私とろいから、現社のプリント、結局三十分も居残りになってしまった。
 もう誰も教室にはいないだろうな…そう思って戻った教室の手前で、何故か所在なげに突っ立っている黒い影。

 ドキッ。

 あ、やだ、どうしよう…。

 あんまり高くない背、華奢な身体、おさまりの悪い黒髪。
 手帳みたいな小さなノートを広げて、何か書き込んでる…木田君。

「あ、どう、したの?教室入ったら」

 うわあ、声が裏返ってるよ私。

 激緊張してる私とは逆に、木田君はごく普通に私の顔を見て、一瞬こいつ誰だっけ?という表情をした(結構傷つくよね…)。
 それから無言で、扉の向こうの教室を示す。
 ごく細く、かろうじて開いている扉。
 多分開けたんじゃなくて、勢いよく閉めた反動で開いたみたいな感じ。
 聞こえてくる会話。

「…だから、理由をきいてんだろ!」

「ごめんなさい…」

 笹谷君と、沙姫ちゃん…。
 そっと覗くと、窓際に二人が向かい合って立ってるのが見えた。
 逆光になって表情は見えないけど、これは…。

「ど修羅場」

 ぼそりと、私の耳元で呟く声。
 うわ、木田君の身体がめちゃくちゃ近いよ!って、こんな時に私は何を…。

「…いいから、理由を教えてよ」

 笹谷君の鋭い声。
 思わず二人を見てしまう。

「ごめんなさい、今は何も聞かないで!」

 沙姫ちゃん、もしかして泣いてる?

「……、何があったの?」

 低い、全部の感情を押し殺して、でもすごく怒ってるみたいな声。
 何を言っているのか、はっきりとは聞こえない。
 沙姫ちゃんが何か答えて、笹谷君がまた何か言って…。

「やめて!違うの!」

 ぴりぴりする。怖いくらいに空気が震えるのが伝わってくる。

「沙姫…」

 怒鳴られて、あっけにとられたみたいな、笹谷君の声。
 行こうとする笹谷君を引き留めて制服の袖を掴んだ、沙姫ちゃんの細い腕。

「どうして?沙姫」

 優しい声。
 震える沙姫ちゃんの手を逆に掴んで、そのまま細い身体を抱き寄せる。
 わ、どうしよ、もしかしてこれって、キス、する…

「嫌!」

 ガタガタガタッ!

 え?

 止まった空気。
 馴れた感じで抱き寄せた彼の腕を振り払った沙姫ちゃん。
 そのまま机にぶつかって、ただ呆然としてる笹谷君。

「あっ…私…ごめんなさい」

「沙姫!」

 小さく呟いて、沙姫ちゃんが机をすり抜けてこっちに来る。

 え、やだ私、どうしよう!
 慌てて下がろうとして、すぐ後ろに立ってた木田君にぶつかる。
 あ、やだこんな時に。

 ガラガラガラッ。

「え?」

 スローモーション、開かれた扉、慌ててよける私と木田君、驚く沙姫ちゃん…

「ご…」

 ごめんなさいと、私は言おうと思った。
 言えなかったのは、泣き濡れたその顔に胸が鳴ったから。

「ごめんね…」

 そう言って横をすり抜けて行く沙姫ちゃん、目を伏せるその仕種の、ため息つくよな色っぽさ…。





 ど、どうしよう…。
 私は呆然と、走り去る後ろ姿と開かれた扉を見比べる。
 扉の奥には、机に座って外を眺める少年一人。

「あ…」

 スッと、その私の横をすり抜けて、木田君が教室に入って行く。スタスタと行くのは自分の席。でもそこは、今まさしく笹谷君が座っている机。
 足音に、笹谷君が顔を上げる。木田君をみとめて、自分の足下に置いてある鞄をみて、ああと頷いて机を降りる。
 それから、扉に向かって歩き出して、当然私と、目があっちゃう…。

 背中から射し込む光で、その表情はよく見えないけど、ため息ついたみたいだった。
 それからわざとらしく天を見上げて、肩をすくめて、気を取り直したようにこっちに向かって歩いてくる。

「あの、ごめんなさい。私、立ち聞きするつもりはなくて…」

 なくて、でもしてたのね…
 言葉が続かない私に笹谷君はすれ違いざま何かを呟いた。

「超バッドタイミング…」

 そのまま振り返らずに、教室を出ていった。
 うわあああ、怒ってた、よね?当然だよね、どうしよう〜…
 瞬間パニックになる私に、ごく冷静な声。

「鞄、取りに来たんでしょ?」

 はあ!そうだった。

 がたがたと席に着いて、帰りの仕度をする。
 それにしてもよりによってこんな状況で、木田君と二人きり…。
 心臓がばくばくと暴れ出すのが分かる。
 焦りまくる私をよそに、木田くんが何か言った。

「仕方ないよ…」

「え?」

 ぼそりと呟く、ばつの悪そうな横顔。

「痴話喧嘩なんて、教室でやるもんじゃない。あいつらが悪い」

 穴があくくらい、見つめた横顔。

 ごもっともな、お言葉…。










 バクバクバクバク……落ち着け心臓。

 パタパタパタパタ……響く足音。

 ああどうして本当に、こんな風に木田君と並んで廊下を歩いていいの?

「び、びっくりしちゃったね、でも」

 何か喋らなければと、口を出たのはこんな言葉。
 何が?と言うように一瞬私をみて、それから思い出したように、ああと頷く。

「ああいうの、よく分かんないや。他人どうしで、なんであんなに一生懸命になれるのか」

 そ、それはまた淡泊なお言葉。

「で、でも木田君、詩とか書いたりするんだよね?こ、恋の詩とかは、書かないの?」

 うわわわわ、聞いてしまった。
 見つめる横顔、こんな近くていいかしら?

「恋……」

 ふいに木田君は立ち止まって、考えこむ。
 意味深な間。
 あの〜?

「…今の所、まだあんまり経験ないから」

 今の所、まだあんまり?そ、それはそれは、ちょっとはあるって事なのかしら?って、そんな事聞けない!
 ああ、どきどきする。そう言えばあんまり考えてなかったな〜。木田君の恋人とか、好きな人とか、そういう存在…。

 階段降りて、右に曲がってすぐ昇降口。

 はあ、やだなあもう、って、やだってやだ嬉しいのよ、でも嬉しくない…でも…。

 木田君はさっさと靴を履き替えて、もたもたしている私を振り返り、

「え?」

 へ?

 振り返ると、なんだかびっくり目玉の木田君。
 うわあ、こんな顔初めて見た…

「谷 あかり?」

「はい!」

 びっくりした。いきなり大きな声で名前を呼ばれて、条件反射で返事をする。

「あんた、同じクラスの人だったの?」

「は?」

 あまりと言うにあまりな発言。
 唖然と返す私の間抜け面。

「そうか、しまった。名簿ぐらい見れば良かった!あ!あいつ絶対知ってたくせに…」

 木田君はぶつぶつと誰かに文句を言い続けてるけど、もしもし?

「ああ、ごめん」

 なんておもむろに顔を上げて、うわ、木田君て、こんなに真っ黒の綺麗な目してたんだ。

「あんた、俺と一緒にいよう」

「へ?」

 全然話が見えません、センセイ。

「ああ、っていうか、いるべきだ。その方がお互いに、良いものがかける、絶対」

 なんなの?なんだか急に意気込んで、きゃああああ、手を、手をいきなり掴んだりなんかしたらダメじゃない!

「一目で思ったんだ。先週の水彩展の絵を見た時に。一年・谷 あかり、だけでクラス書いてなかっただろ?あれ。だからどうやって探そうかとずっと思ってて…」

 な、な、なんか変よそれ!

「名簿見たりとか、誰かに聞いたりとか、簡単に分かるじゃない…」

 あ、違う。問題は言いたいのはこんな事じゃなくって…

「そうなんだよな、笹谷に聞いたんだけどさ、教えてくんなかったんだよ。でも名簿って思いつかなかったな〜」

 へ、変よ変。絶対に変。きゃ〜、そんなに顔近づけたりしちゃダメだって!

「あ、あの、手を離して!」

 パッ。
 いきなり自由になる両手。

「はあ、はあ、はあ」

 息が荒いの私。
 だって当たり前よね、な、何事?今のは!
 そんな私を見て、木田君はぽりぽりと頭を掻いた。

「ごめん、俺思いつくと一気に言動に出るから…ちゃんと説明、いるよね?」

 こくこくこく。
 馬鹿みたいに、頷いた。



 …大事に大切に、想いを込めて筆を進めていた絵。
いきなり思いっきり水入れひっくり返してぶちまけて、何故だか意外とそっちの方が良くなっちゃった、みたいな感じ…。










「ふうう〜〜ん、それで引っ付いちゃう事になったんだ、谷さんと木田。人の痴話喧嘩をだしにして!」

 次の日、放課後のバーガーショップ。
 すごおおっくとげのある声で言うのは、不機嫌さを隠しもしない笹谷君。

「あの、ごめんなさい」

 ただひたすらに、謝る私。
 ううう、恥ずかしい。二重に恥ずかしい。

「謝ることないよ、俺達悪くないもん」

 無表情に言い切るのは、ポエマー木田。
 バーガーやらポテトやらシェイクやら、山程乗ったトレイを持って私の隣に座る。
 込み合った店内は騒がしくて、込み入った話をするのに不足はなし、でも…。

「大体、このバーガーだって俺の奢りなんだし…」

「当然でしょそれわ!俺が、どおして僕彼女に嫌われちゃったの?何で?って悩むその姿をだしにして、自分達はばっちり上手くいっちゃってらぶらぶ状態なんだから!」

 ら、らぶらぶ状態って…。
 笹谷君は逆上気味に怒鳴って、おもむろに目の前の山に手をのばす。

「それに笹谷、お前知ってたんだろ、俺が探してるのが同じクラスの彼女だって。なんで教えてくれなかったんだよ」 

 同じように目の前の山(のようなバーガーエトセトラ、よ)に手をのばして、木田君がうらめしげに言う。

「知ってましたよお俺は!先週木田が水彩部の展示を見た後で、絶対に惹かれあう、同じ言葉を持ってる人を見つけたんだ!水彩部一年の、谷あかりって誰だか分かる?ってお目目きらきらさせて言ったその時から!」

 私は、二人がこんなに仲が良かったなんて知らなかったわよう…

「も、ホント谷さんに見せたかったね、いつも無表情の木田のあの輝いた目!」

 ああなんか、昨日夕方見たような…。

「…なんで教えなかったんだよ」

 不機嫌に、ポテトをシェイクで流し込む木田君。

「だあって普通、知ってるでしょ?俺達このクラスになって、もう3ヶ月もたつんだよ?クラスメートの名前ぐらい、覚えてるよね、普通。まあよっぽどの馬鹿でなきゃ!」

「悪かったな!…他人の事には興味ないんだよ、俺は」

 木田君はきまり悪げに斜めを向いて言う。

「そうだよね〜、その木田君の好きになった相手、席替えで隣になったもんだから、どんな子かな〜なんて観察してたらば、これまたこっちには見向きもしないで毎日毎日誰かさんばっかり見つめてるし…」

 あうううううう、顔から火が出そう。

「こっちは沙姫と喧嘩して毎日くさってんのに、こいつら何やってんだ二人して、ってちょっかいかけたらその日の内に引っ付きやがって…」

 ああ、それで笹谷君、あんな風に聞いてきたのね…でも。

「別に、お前のおかげで上手く行った訳じゃない、困ったんだ、俺達だって」

「そう!、あんな風に教室でしてて、すごくびっくりしたんだから!」

 思わず力説してしまって、笹谷君の白〜い目。
 ううう、怖いよ〜う。

「いいですね、仲のよろしい事で」

 すご〜くさめた声で、笹谷君が言った。



「あ、俺達の事はいいから。気にするなって言うのも悪いけど、気にしないで。ま、せいぜいお幸せに」

 そんな風に言って片手をあげて、笹谷君は一人で帰って行った。

「…二人の問題だからな」

 木田君はそんな風に呟く。
 二人の問題…確かに。
 あんなに真っ直ぐな沙姫ちゃんと、(多分)いい人な笹谷君の二人だもの。そんな二人の喧嘩は、私が口を出せるような単純な問題じゃないんだと思う…。
 それに、人の事ばかり気にはしていられないのよね、私も。

隣に並ぶ、無表情な少年を見上げる。
予想以上に口の悪いこの人とどんな風につき合えばいいかというのが、またそれはそれで問題な訳で…。

 だけど…。

「行こ」

 言葉少なに、彼が右手を差し出す。
 ごつごつしたそれを、そっと握り返した。







 そんな訳で。
 恋に恋してる、と思った片想い。
 ありきたりのそれは、あんまりありきたりじゃない(かもしれない)方法で、両想いになりました。

 開いてる教室を利用して、先週開いたクラブの水彩画展。
 たまたまそれを見た木田君は、わかったのだそうです。

「同じ言葉を持ってる人だ」

 さすが詩人。

 ため息つく私に、

「空気とか、色とかって言ってもいいよ」

 と彼は言いました。
 それなら少し分かる気が、私にもします。

「とりあえず、今まで書いた詩は全部あんたに見せるから。っていうか見て欲しい」

 ノートの向こうの文字は、あっさりと手に入るみたいです。





 淡い水彩画。

 緑の木々、風のそよぐ音が聞こえれば良いと、そう思って描きました。

『萌木色の風に揺られて…』

 それは、彼の横顔をイメージした絵でした…。







                〈fin〉




萌木色の風に揺られて、制作秘話を読む



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