夏 空 散 歩 
… 泉 香 …




 空を歩く人を見た。
 すべてが狂っちゃったように暑い夏の夜に、彼は涼しげな顔で空を歩いていた。


「私と目が合うと、手を振ったの、本当よ」

 と、親友の千絵に話したらば、彼女は私の顔をじっと見て言った。

「ね、美里ちゃん、やっぱり部屋にエアコン買ってもらった方がいいよ、寝不足で頭ぼけてるんじゃないの?」

 うう、なんて遠慮のない言葉なの、と子供心に私は思った。
 夏の想い出って、こんな会話ばっかり、暑さぼけは、私の夏の日課である。




 木田 美里。16才。高校一年生の夏休みは、あきれるぐらいに退屈で、めまいとともに溶けちゃいそう。
 去年の今頃も、たいして変わらなかったです。受験生だったけど、無理はしません、私。
 苦労しないで入れる辺りの高校選んで、苦労しないで入りました。
 夏休みって、嫌い。
 だってね、長すぎちゃって、暑すぎちゃって、することなくってもう大変。
 千絵は、高校入ってからお付き合いしだした男の子がいて『でえと』に忙しいんだって。私とは遊んでくれないの。
 いいけどね、乏しいお小遣いじゃ、お買い物も映画もカラオケも満足に行けないし…

「バイトしたかったら止めないわよ」

 毎日家でごろごろしてる私に、呆れた母は言うけれど。

「疲れるから、やだ」

 無気力です、私。
 だってね。
 起きてるだけで、疲れちゃうよね。
 息するのって、めんどくさいよね。
 着替えるのだってめんどくさいし、なんでお腹ってすくんだろ。
 なんにもしないで暮らしたい。
 毎日眠って過ごしたい。
 夏になると、毎年思うの。去年の夏も、一昨年の夏にもそう思ったわ。
 来年の夏も、きっとそう思うのね、進歩のない私。
 そんなこんなの夏休み。
 代わり映えしない、つまらない時間…


「いただきました」

 見飽きた夕飯。

「またこんなに残して!だいだいやせすぎなのよ、美里は」

 まんまるの顔をふくらまして、ママが怒るのもいつもの事。

「ママが太りすぎなのよ」

 そっけなく言い返しちゃう私に、

「おいおい美里、母さんにちょっと言い過ぎじゃないか?」

 笑いながらいさめるパパ。
 いつもの風景、幸せな家族。
 恵まれてるんだから、大事にしなきゃって、お説教はいいのよ分かってるから。

「そういえば美里、あなたの部屋本当にエアコン付けなくていいの?」

 食器を洗いながら、ママがこの話するの何度目だっけ?

「うん、いらないって言ってるじゃない」

 去年の夏も、これで喧嘩したんだよね確か。

「でも、夜寝苦しいでしょう?パパのボーナス、それぐらいは余ってるのよ。お友達も皆、自分の部屋にエアコンぐらいついてるでしょう?」

 ママの嫌いなとこ。すぐ周りと比べるの。

「エアコンの風って嫌いなの。頭痛くなるし、肩もこるのよ」

「それは長い時間つけっぱなしにしておくからでしょう?ちゃんと調節してつければいいのよ。ママだって長い時間あたってたら頭痛くなっちゃうわよ」

「だったら最初からつけなきゃいいんじゃない」

 ばかみたい。
 夕飯の後、ママが洗った食器を拭くのが私の仕事で、その間いつもママのお小言聞かされるの。うんざりしちゃう。

「でもね、あなたが夜寝れてないんじゃないかと思うとママ心配で…この頃昼間よく寝てるのはそのせいじゃないの?」

「関係ないよ」

「まあ!それにあなたこの頃口が悪いわよ。女の子がそんな」

 うるさ〜い!

「もう、ほうっといてよ!」

 近ごろのママは、特にうるさくって嫌い。 洗いものなんて放っておいて、二階の部屋に掛けのぼっちゃう。

「まあまあ、あの子もそういう年ごろなんだよ…」

 分かったような顔するパパも嫌い。
 うっとうしいの、放っておいて。私何にもしたくないんだから。
 階段登って奥の部屋、六畳洋間の私の個室。
 大きな音させてドアを閉めて、ベッドにダイブ!

「はあぅ」

 意味不明の呟き一つ。
 無意味な抵抗。
 もうこの部屋から一歩も出ないで、毎日眠って過ごしたい…










 あっついな…
 勘弁してね、夏の夜。
 眠れなくって、やな感じ。
 クーラー嫌い、風よ吹け。
 風もなまぬる、熱帯夜。


 眠れないのよ、夏の夜。
 お散歩しましょ、赤い月。





 夜に、部屋の外に出るのは好き。
 パパもママも寝静まってて、絶対に起きないの。
 パジャマ代わりのTシャツに、サンダル履いて、お出かけしましょ。




 疲れちゃって、足ふらら。
 もうやだねって、夢うつつ。
 露草散って、夏かなし。
 私もチッて、地面を蹴って。

『なんにもしたく ないのよほんと。
 どこにも行きたく ないのよ私』

 呟いてみても、虚しいみたい。


 ああ、思い出しちゃった。あの夢見たのも、こんな夜だったんだ…



 12才ぐらいの、夏だった。
 その夜もこんな風に暑くって、私は眠れなくって、でもまだこんな風に夜に出歩く勇気はなくて…
 夢の中でも私は眠れなくて、ベッドの上に座って窓から空を見ていたのよ。
 暑い夜にふさわしく、暑苦しいまんまるお月さま。
 その下を移動していく黒い影。
 夢なのにあせったわ。だってその影、人型に見えたんだもの。幻だよねって、夢の中で呟いて。
 でもだんだんこちらに近付いてきて、分かったの。男の子よ、人間の!
 だって私と目があったら、手を振ってにっこり笑ったんだもの!
 でも、夢はそこで終わり。
 私も空を飛べるとか、そーいう夢見ればいいのにな。
 夢の中まで、つまんない。




 でも、そんなもんだよね。
 今日の月も見事にまんまる。
 夜空を見上げて、ため息ひとつ。
 世の中がひっくり返っちゃうような、面白い出来事。
 夢見てるけど、ないこと知ってる。
 ああ、本当につまんない。
 見慣れたご近所散歩したって、なんにも変わらない。

『夜に出歩くと、いつもの風景がまるで違って見えるのよ!』

 興奮して千絵に話したのがその少し後だっけ。夜にお散歩するの覚えた頃。
 十三の夏…には慣れっこになってたから、やっぱり十二? ああそっか。

「あの夢、見た後からだ」

 小さな呟きが、夜道に響く。
 探してたのかな…
 夢で見た男の子を?
 ばかみたいだわ、私。
 夜道にスリルを感じたのも、最初のうちだけだしね。
 もう慣れちゃった。
 あくびを一つ。
 帰ろかなって思った時に、それは空から降ってきた。



「あの〜すいません、僕ちょっと、捜し物してるんですけど…」

 えぇと…。

「あ、捜し物って言っても、なかなか説明するのはむずかしくって、というか人なんですけど、昔この辺りであった事のあるような気がする人なんですけど、なにぶん当時は小さかったもんで僕もよく覚えてなくって」

 とかってしゃべり続けているのは、色素の薄そうな白金の髪の、はかなげな美少年。
 年は私と同じくらい? 背丈はよくわかんない。だって…

「ど…」

 どちらさまでしょうか?とか聞くのも馬鹿らしいような…
 いくら暑いからって、これはちょっとあんまりよね。
 私はとりあえず口を開けたまま、何も言えずに思考停止。
 人間ってだめね。
 夢みたいな事に実際に遭遇すると、途端にパニックになってしまうんだわ。
 だってその人、私の肩辺りの位置に足があって、でも何かにぶら下っている訳でもなくって、私は彼の顔を見上げてて、ええとつまり、宙に浮いているとしか思えないのよ?

「ちょっとあなた、人の話聞いてます?…あれ?え、あああ!」

 あまりの大声に、思わず一歩下がってみたりして。

「あなたもしかして、普通の人間なんですか?」

「「「「そーです私は、ちょっと疲れて、夏の暑さにぼけまくってお散歩している、ごくごく普通の女の子です。

「ああああ、それはびっくり!」

 …したのはこっちもなんですけど?

「でもあなた、まさか普通の人だとは思えませんでしたよ」

 それ以外の、何に見えるって言うのかしら?

「ああ、びっくりさせてしまって申し訳ありませんでした。僕ちょっと空飛べるだけで、別にあやしい人じゃないんですよ」

 にっこり。
 笑顔は素敵なんだけど、あやしいわよ十分。

「でもあなた、それで普通の人間だって言うんなら、よくないですよ。大分疲れてるんじゃないですか?」

 その普通の人間≠チていうのがねぇ?さっきはとりあえずうなずいたけど、普通じゃないのってどんな人なのよ?
 しかしとりあえず返事をしてみる。

「すっっっっっごく疲れてますけど?」

「そうですよね〜、いけませんよそれは。よし、じゃあ驚かせたお詫びに、気分転換させてあげます!」

 と言ってその男の子は、いきなり私の腕を掴んで、そのまま夜の空に飛び上がった。
 忘れてたけどこの人、ず〜っと空に浮いていたのよ。
 そしてこの場合、私も空に浮いたうえに、更に空高く昇っていったと、いうことなんだけど、信じてくれる?




「はぁ〜やっぱり空はいいですよね〜気分爽快、ぬるい風すら心地良い♪」

 彼はすっかり浮かれ気分で、地に足つかず………比喩にならず。

「いい気分でしょう?」

 見事な笑顔に、つられて笑う。
 でも確かに、これはちょっと気分爽快!
 真っ暗な空、まんまるお月さま。
 足元にぼんやり、街の明り。
 あの中のどれかにうちがあって、うるさいパパとママが眠ってるのよ!千絵もどこかにいるんだわ!




 疲れちゃって、もういやねって
 思ってるのは、今も変わらないけれど
 月丸くって、見事だねって
 微笑む顔が、また見事。
 本当に綺麗ね、お月さま。
 なんにもしたく、なかったの。
 どこにも行きたく、なかったけれど
 あなたがあんまり誘うから。
 こんな気分の 月夜の晩に 宵空散歩 悪からず。




 しばらく辺りを飛び回って、給水塔に無事着地。
 給水塔!またまたはしゃいじゃう私。
 小さい頃から、一度登ってみたかったのよ、実は。
 だってこれ横に、ハシゴみたいな段がついてるじゃない。ちょっと離れて見ると、簡単に登れそうな感じがするのよね。
 実際登ったら大変だろうし、怒られるのわかってて登る勇気はなかったけど。

「ちょっとは気分転換になりましたか?」

 夜風に髪をなびかせて、男の子が笑顔で聞いてくる。
 結構風が強いの。
 でも気分いい!
 眠る街を見下ろして…ふふふ、詩人だわ。

「うん、すごく!」

 なかなか素直に返事が出てきて、自分でもびっくり。

「……あなたさっき、神経一本すっとばしてるみたいな感じで歩いてましたよね?」

 男の子はそんな私を見て、ちょっと遠慮するように言う。

「……そうだけど、なんで?」

 二人して、給水塔の縁に腰掛けて話す。
 普通ならおっこちそう…とか思うけど、今日は平気よね。落ちたって、きっと助けてくれるわ。

「そうでないと、見えない筈なんです。僕達はみかけは普通の人間と変わらないけれど、ちょっと特殊な能力を持っているので…。僕達は、この世界では普通の人間の生活に干渉出来ないように、同じ空間にいてもお互い見えないようになっているんです。でも特別な力をもっていたり、ちょっと特殊な事情のある人とは、こうやって話したり触れたりもできるんです。でも、なかなかいない筈なんです。本当は」

 ぽつぽつと、言いにくそうに話してくれる。
 『特殊な能力』ってのがちょっと気になったけど、きっと内緒なのよね。
 だから聞かない。

「そうか、それで最初あんなに驚いてたのね」

 私が声に出したのはこれだけで、男の子はうなずいて、また話しだす。

「あなたの場合、特別な力ってゆうよりも、神経疲れすぎて変になってる感じがしました。そのおかげで会えたのは嬉しいんですけど、あんまり良い状態じゃないですから。ちょっとでも気が楽になってくれたらいいなって思って……ちょっと強引に空に連れて来てしまったんですけど……」

 しゃべり声が、なんとなく控えめになっていく。

「強引すぎましたか?」

 上目使いに聞くのが可愛いくって。

「ううん、そんな事ない」

 首をふって、それから、ありがとうって素直に言えた。







「……でね、ママったらすっごくしつこいの!うるさ過ぎるのよ、やんなっちゃう。パパの理解ある父親の顔も嫌いなの!」

「ま〜ま〜美里さん、押さえて押さえて」

 いつのまにか私は、ソラト(男の子は、自分の事を私の好きな名前で呼んでいいって言うんだもの。だから空飛ぶ少年≠フ最初を取ってソラト£P純?)に向かってさんざん愚痴っていた。

「お父さんもお母さんも、美里さんの事が好きだからそう言うんじゃないですか」

「分かってるのよ!そんな事。私が一人ですねて反抗してるだけなのよ、思春期≠ナすもんね。それが分かってるからよけいいやなの!もう何にもしたくないの」

 あん、なんかまた嫌になってきちゃった。

「難しいですね〜」

 苦笑いのソラト。もう!

「どうせ私なんて子供なんだわ。ちっとも成長してないの。毎年同じような、不毛な夏休みを過ごすんだわ!」

 完全にすねて、そっぽ向いちゃう。
 ソラトは給水塔の縁から体を中に浮かして、私の前をふわふわと飛ぶ気配。
 顔が見える方にまわり込んで来て、言う。

「でも、今年は去年とは違いますよ。だって、僕に逢えたでしょう?」

 やだ、なんて自信満々の笑顔。

「昨日と今日が、完全に同じだなんて事、ありえませんよ。現に昨日のあなたは僕に逢っていなくて、明日のあなたは僕に逢った事のあるあなたです。出会いと別れ、新しい知識、考え。人は生きているかぎり、知らない内にいろいろな事を体験しているんです。そんな毎日の繰り返しが積み重なって、一年になるんですよ。同じような夏休みの過ごし方、いいじゃないですか。そんな一日があなたの中で確実になにか≠ノなっている筈ですよ」

 すました顔で言うソラトの言葉は、ちょっとお説教臭くもあったけど、だったらいいなってうなずける。
 それにしても。

 月明かりを受けて、輝く白金の髪。
 白い肌、整った横顔。
 …自分に出会えた事が特別だなんて、どうして胸をはって言えるのかしら?
 でも反論できないわ。
 私ずっと、待ってたんだ。
 夢に見た、あの日の少年。
 恋してるみたいに、ずっと…




 夏酔い気分、夢気分。
 こんな気分の月夜の晩に、あなたに会えて、いとうれし。
 疲れちゃって、足ふらら。
 もういやねって、夢うつつ。
 逃げたくなっちゃうこんな日は、神経飛ばして歩いてみましょ。
 闇夜に光る、空飛ぶ少年。
 あなたに会えて、良かったわ。




「こんな風に、昔もあなたに逢えたら良かったのに」

 もう一度ソラトに手を握られて、今度はゆっくりと空を飛行しながら、私は呟いてた。

「ちっちゃい頃、あなたみたいに空を歩いてる人の夢、見た事あったのよ、私」

「へ〜、そうなんですか」

 ソラトは一旦動きを止めて、うわっ何にもない空中で止まってる!

「う、ういてるわよ、ソラト!」

 うわずった私の声と対照的に、落ち着いたソラトの声。

「美里さん、今更なに驚いてるんですか?さっきからずっと空にいるでしょ」

「だって、飛んでる間は動いてたからなんか安心だったけど、止まっちゃうと地に足がついてないのがはっきりわかって……」

 動いてる時より止まった今の方が、ずっとインパクトがあるのよ!
 言いたくないけど、ちょっと恐い…かも。 ソラトは、私の無言の怯えをちゃんと感じとってくれたみたい。
 正面に立って私の両手を、自分の両手でしっかり握ってくれる。

「大丈夫ですよ、ちゃんとこうやって手をつないでいれば」

 にっこり笑いで、何故か安心できちゃうの。

「う、うん。大丈夫」

 と云いつつソラトの左腕に、両手ですがりつくような格好になる私。
 そのまま今度は二人で、空を歩きだす。
 へんな感じ。確かに歩いてる感触はあるのに、足元にはなんにもないなんて。
 でももう、恐くなんてない。

「みんなに自慢したいな。こんな風に空を飛んだり歩いたこと」

 千絵なんてすっごくうらやましがるわ。
 ソラトは苦笑して答える。

「それはちょっと…言っても信じて貰えないと思いますし…」

 それはそうよね。

「それに美里さん、秘密≠チて事にしておいた方が、面白いですよ」

 いたずらっぽく瞳を輝かして微笑む。
 ふむ、それはそうかも。
 口に出して言ってみる。

「私は、昨日の私とは違う秘密を持っている」

「そうそう、そんな感じ」

 あ、なんか気分いいかも。

「パパもママも、こんな私の事は知らない」

「お友達も、誰も知らない」

 良い感じ!

「ありがと、ソラト!私の前に降りてきてくれて。なんかすごく幸せな気分!」

 急にハイになってしまった私に驚くソラト。

「大好きよ」

 抱きついちゃう!なんだか大胆な私。
 でも言った後で気付いちゃった、私ソラトの事、好きになちゃったの?

「ありがと美里、僕もだよ」

 !
 でも、だからって……
 キスしていいなんて、言ってないのよ。
 初めてだったんだからね!私。









「あ〜、しまった!結局人探しが出来なかった…」

 ソラトが呟いたのは、東の空がうっすらと水色に染まる頃。
 夜明けと共に、帰らなくちゃいけない決まり≠ネんだって。
 ちょっとつまんないけど、私の家の近くに向かって飛んでる途中。

「人探し?」

 そういえば、最初にそんな事言っていたのよね…

「ね、どんな人を探していたの?」

 ちょっと好奇心。

「どんな…というか、よく分からないんですけど…昔、僕と目が合った人です…」

「??」

 全然わかんない。

「ただ目が合っただけの人を探すの?」

「というかですねぇ、さっきも言ったように、僕と目が合う人って、ちょっと普通じゃない筈なんですよ。あの女の子も、ちょうどさっきのあなたみたいにひどく疲れていたみたいだったから、気になってて…」

 ふぅむ、女の子ねぇ…

「幾つぐらいの子なの?」

「ええ〜と、当時10〜12才のような気がしたから、今は15才か16才ぐらいと思うんですけど…なにぶん昔の事なので僕もまだ子供だったし…」

 ってことは、3〜4年前?

「なんでそんな昔の事を、今更探しているのよ?」

「ああ、それは僕が自由に一人で出歩けるようになったのが、まだ最近の事なんですよ。僕の種族はちょっと特殊だから、一人前になるまで勝手に出歩いちゃいけなくて…その時はたまたま、禁を犯して一人で抜け出しちゃったんです…」

 ふうん、なんか決まりごとが多くて、結構大変そうね。

「えっと、ここら辺でしたよね?」

 すとん、という感じで地面に降り立つ。
 う〜ん、数時間ぶりのアスファルトの感覚。

「ちょうど今みたいに暑い季節で、僕は浮かれて空を歩いていて、ふと視線を感じたんですよね。その女の子は窓の中から、僕の事をみていました。目が合ったのが嬉しくて僕はその子に手を振って…あ、もう夜明けだ。行かなくちゃ!」

 ええ!ちょっと待ってよ!
 私はなんだかひたすらあせっていた。
 なんか嘘みたいだけど、それって私の夢に似てない?
 ああでも、あせって上手く喋れない…

「じゃあ、お元気で」

 口をぱくぱくさせてる間に、飛んで行っちゃうあの日の少年!
 鈍いわよあなた!

「それはもしかして、私の事かもしれないのよ」

 呟いたって、遅いよね…
 でもあれ、夢じゃなかったんだ。



 空に昇る後姿をぼけっと見上げてたら、ソラトが振り返って叫んだ。

「あのね、一度知り合った僕達の種族と人間って、わりと簡単に何度でも会えるんですよ」

 そして周りを気にするように、そそくさと昇っていってしまった。
 ねぇそれは、また逢えるって事?
 逢いたいってソラトも思ってるって、信じていいのよね?
 信じちゃおっと。
 それで今度会ったら、教えたげよっかな。

「あの日の女の子は、私なの。私達は、もしかしたら何度も会っているかもしれないのよ」

 うん、そうしよう。
 いつまでも、口開けて突っ立っててもしょうがない。
 目覚める前の、ぼんやりとした青い街の中を歩きだして、私はその日、改心の笑みを浮かべる。
 夢じゃ、なかったんだもんね。
 今日のこれが夢だなんて、私は絶対思わないし。
 ソラトは律儀に出会った場所に私を降ろしてくれて、ここから家まで約10分。
 パパとママが起きだす前に、急いで家に帰らなきゃ。
 誰にも秘密、千絵にも今度は話さない。
 退屈な夏休みはまだまだ続いているけれど、別にいいのだ、退屈で。
 私は秘密を持ってる女。
 単純だけど、いいでしょそれで。





 青くなってく、夏の空。
 白くなってく、お月さま。

『いいんですよ、それで』

 空の向こうで、世にもにぶい男の子の頷く声を聞いた気がした。




                 〈fin〉




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