ー 天 上 の 華 ー オリジナルバージョン 下 … 泉 香 … |
・・・・二人 9月も終わりに近付くというのに、今年の夏はやけに暑い。 近年例のない異常気象だとか、雨が降らないのでこのままでは深刻な水不足が心配されるとか、テレビはうるさいく騒いでいる。 でも珠鴬にとってそんなことはとりあえず関係ない。 それよりも、近頃調子の悪そうな和沙の事が気になる。 空気が綺麗だから体にいいと言われてわざわざ越してきたのに、それがかえってよくなかったとしか思えない。 ある日、帰ってくると和沙は窓際で倒れていた。 その晩から高熱を出し、3日程で落ち着きはしたが、微熱はまだ続いている。 たまに酷い頭痛がするらしく、青い顔でベッドに起き上がるのがやっとだ。 それでも、和沙は珠鴬を気遣う。 「嫌だよ、今日はもう学校なんて行かない。ずっとここにいて和沙の事見てる」 「珠鴬、そんな事言って、昨日も休んだじゃないか。大丈夫だよ、今日はとても気分がいいんだ」 「嘘だよ。昨日も朝は気分がいいとか言って、午後からまたひどく苦しそうだったじゃないか」 「でも、今日は実力考査があるんだろう?」 「あんなの関係ないよ。ほっとけばいい」 「だめだよ。それでなくても転校してからさっそくさぼったり休んだりして、母さん怒ってるよ」 「だって」 「珠鴬、お願いだから学校にはちゃんと行ってよ、ね?」 「……じゃあ、すぐに帰ってくる」 不承不承、珠鴬は出掛ける。 ・・・・部屋の外 「あの子は、どんどんおかしくなっていくような気がします。違いますか?」 「あなたがそんな風におしゃったらいけませんよ」 「でも転校してからも、毎日のように学校から電話がかかってくるんです。さぼったり、休んだり。食事もろくにとらないし、顔を見合わせても何もしゃべってくれないんです。あの子はああやって、部屋にこもって何をしているんでしょう?」 「話をしているんでしょう、和沙君と」 「和沙なんて。あの子は、もうとっくに……………ですよ!」 「…………です、彼にとっては。お母さんも今までどうり、そのように振る舞ってください」 「……そんな風にして偽っていくことが、本当に正しいことなんでしょうか?」 「そうしなければ、彼は今まで生きてこれませんでしたよ」 「でも……」 ・・・・珠鴬 日曜日だと言うのに、学校に行った らしい。 先日行なった実力考査が、はげしく教師達のお気にめさない点数たっだらしく、転校前の学校と授業の進みがだいぶ違うらしいから、特別に補習をしてくれるとかなんとか…。 まったく余計なお世話だ。 しかもしっかり家に電話までかけてくれたおかげで、朝から母と言い合いをして部屋を出た(ような気がする) 今日も外は暑くて、校舎の中は少しだけひんやりしていた。 ……まるで、自分に向けられる周りの大人たちの視線のように。 補習の授業はつまらなくて、さっぱり理解出来なくて、分からなくて当然だと言うような教師の態度がやる気のなさを増長させて、最悪だった・・・多分。 あれが本当にあったことなのか、夢だったのか。 まるで現実感のない記憶。 だけどその冷たい空気や、冷えた汗が背中を伝う不快感や、いごごちの悪さだけは、妙にはっきりと覚えている。 補習には成績のかんばしくない他の生徒も来ていて(何が特別に、だ!)、その彼らより授業についていけない珠鴬を影で笑う。 あまり耳に入ってはこないけれど(興味のない事だから?)、不快感だけは強く感じる。 「あいつさー、いっくら誘っても一緒に遊ぼうとせんねん。変ちゃう?」 「すかしてんやろ」 「双子の兄が家で待っとるで、はよ家帰るんだと」 「それやけどさ、あいつの兄て、9つのときに………やて」 「マジ?」 「担任と教頭が話しとんの聞いたん」 「あったまおかしーんちゃう?」 「テストの点も悪いしな」 「人のこと言えんがや、お前」 「ひっで〜」 窓の外で、蜩がしつこく鳴き続けている。 どうして今年に限って、こんなに暑いんだろう? あの紅い華はまがまがしく、咲き誇る。 ・・・・和沙 午後の日差しに眼を覚まして、ふと我にかえる。 なんだか最近、本当に意識が飛んでいる事が多い。 確かに自分はいる筈なのに、やけに記憶が途切れているような気がする。 そして目覚めるたびに、自分の存在が弱くなっていくのを感じる。 実際、引っ越してきたことが影響しているらしい。 いつまでも続くこの暑さと、この場所と、都会ではあまり見かけない、あの華。 こうして自分がここにいられるのも、長くはないかも知れない。 ……………から、それも仕方のない事だけれど。 きつく眼を閉じて、ゆっくりと呼吸して、再び眼を開ける。 和沙は、紅い華に囲まれていた。 一面に揺れているのに、なぜか悲しい。 これは、罪の色だから…… 無残に流れた紅い血。 包み込む炎。 ゆれないで ゆれないで 悲しいことを思い出すから ふれないで ふれないで もう少しだけ このままで 偽りでも 幸せだから それ以上は 言わないで 今のままでいたいから それ以上は 聞かないで きっともうすぐ、おまえは気付いてしまう。 その時おまえは、どうするだろう? ああ、また、頭が痛い。 だんだん激しくなっていくような頭痛に、眉をしかめる。 ・・・・珠鴬 いつのまに家にたどりついたのだろう? 気が付くと珠鴬は、白い部屋の中にいた。 窓の外を、見つめていた。 紅い花、揺れる。風に飛び散る、花びら。 窓にはまっているのは、分厚いガラス。開けることは、なぜか出来ない。 まるで閉じこめられているような、白い部屋。 ガラスの向こうに揺れる、紅。 どうして自分は、こんな所に、一人でいるんだろう? 自分は、何をやっているんだろう? 窓に近付く。 冷たいガラス。誘いかける、紅。 哀しい予感に、鼓動が激しく波打つ。 ……ゆれないで ゆれないで 頭の奥で誰かが何かを伝えようとしているようなのに、何も聞こえない。 「言いたいことがあるのなら、はっきり言えよ」 ……聞かないで 聞かないで どうしようもなく苛立って、衝動的にこぶしを叩きつける。 「!」 ガラスは揺れもせずに、握った右手が、鈍く痛む。 「どうして?」 部屋を見回す。白い壁、白いベッド、白いシーツ、ガラスの花瓶に、紅い花。 なにかが、間違っているような。 哀しい予感。 ・・・・和沙 次に目覚めたとき、頭痛は治まっていた。 自分は、部屋の中程に立って、窓の外を見つめている。 揺れる、紅い華。 そう言えば珠鴬はどうしたんだろう? 窓から入る日差しは多分午後のもので、だとしたらもう帰ってきてもいい頃のはずだと思う。 そう言えば朝方、母とまた言い合っていたのを聞いたような…… 外は今日も暑そうだし、また不機嫌そうな様子で帰ってくるだろう。 そう言えば最近、珠鴬の不機嫌な顔ばかり見ているような気がする。 本当に笑った顔なんて、どれだけ見ていないだろう? もう少し、よく笑ったりよく泣いたり、少なくとも幼い頃はもっと元気が良かったのに… 昔から家の中にいることの方が好きで、おとなしかった自分との違いが、はっきりと際立つほどに。 一緒に生まれて、一緒に育った二人なのに、幼い頃から自分たちはまるで違っていた。 でも、正反対の二人だったけれど、僕らはとても上手くやっていた。 あの時も、あの一面の華を見つけたときもそうだった。 いつも住んでいる都会の風景とはまるで違う田舎の様子がめずらしくて、つい珠鴬と一緒に走り回っていたけれど、足の速い弟にはついていけなくて、最初に見つけたのは、やっぱり珠鴬の方だった。 家に帰って、華の名前を調べたのは和沙。 自分が読み上げる内容を、目を輝かせて聞いていた、珠鴬。 なんだか妙になつかしくなって、またあの頃に、戻れたらいいのに。 ほころびかけた頬を引き締めるように、入り込んでくるもうひとつの意識。 なにかが、間違っているような…… ああ、やっぱりそれに、気付いてしまうの? ……偽りでも 幸せだから もう少しの間だけでも、あの頃に戻ったようなこの生活を、続けていたかったのに…。 呼んでるよ、和沙。 ガッシャ〜ン!! ガラスの割れる激しい音に、和沙は意識を取り戻した。 何?今の。いま自分は一体何を考えていたの? 否、それよりも、今の音は何? 珠鴬? 「珠鴬?何をやっているの!」 和沙はベッドから飛び降りて、部屋の中央にたたずむ弟に駆け寄る。 珠鴬は茫然としたような表情で顔をあげ、焦点をあわせるようにゆっくりと和沙に視線を向ける。 その様子に妙な胸騒ぎを感じて、もう一度、険しい声で同じ問いを繰り返す。 ・・・・珠鴬 「珠鴬!何をやっているの!!」 和沙。 「だめじゃないか、血がでてるよ」 分厚い窓と、投げ付けた花瓶が割れた、ガラスの破片。 跳ね返った破片に、傷付けられた頬から流れる紅。 「はやく手当しなきゃ。…珠鴬?」 差し出された白い手を、反射的に振り払った。 「これは 誰?」 紅い華を欲しがったのは、和沙、珠鴬。それは自分。 交差する、二つの記憶。 窓の外に、燃える紅。 炎に包まれる家。燃えていく、家。 祖母の家だった。 自分たちはまだ9才で、夏休みに二人だけで預けられていた、古い木造の家。 パチパチと、耳障りな音と息苦しさに和沙は目を覚ました。 辺りはやけに熱くて、高い天井に届くほどの、大きな炎。 開け放たれた襖の向こうで、炎に包まれる太い柱。 横に寝ていたはずの珠鴬はいなくて、そういえばしばらく前に、トイレに行くといって部屋を出ていったような気がする。 自分はただ眠くって、そのまま寝なおして、そしてそのせいで自分はもう助からないことを知った。 珠鴬は、大丈夫だろうか? トイレは、祖母たちの寝ている母屋にある。 広い祖母の家、空き部屋が沢山あるのがめずらしくて、珠鴬と二人で走り回って、離れの一番端にあるこの部屋を今夜の寝床に選んだ。 炎が揺れる。 和沙は泣きもせず、叫びもせず、近付いてくる炎を、ただ見つめていた。
和沙が体験したはずの記憶。 どうして自分が、こんなにはっきり思い出せるの? この時自分は、何をしていた? 母屋は広くて、珠鴬は離れにつながる廊下を見失い、ただ歩き回っていた。 なんだかやけに熱いなと、気付いたときには、目指す離れに炎が見えた。 「お母さん、お父さん!」 いないことは分かっているはずなのに、とっさに両親を呼ぶ。 「珠鴬!」 叫び声に自分を抱き締めてくれたのは厳しかった祖母で、珠鴬の手を引いて庭に連れ出す。 「和沙は、和沙は?向こうで寝ていたんだ。お祖母ちゃん、和沙は?」 駆け出そうとする珠鴬を引き止めながら、祖母は皺だらけの顔を横に振った。 「和沙は、和沙は…」 あれは、9才の夏休み。 発火の原因は不明。 長く雨が降らなかったし、離れは昔のままの木造で乾き切っていた。 漏電の可能性が高いが、火のまわりが早くて発火場所がつかめないため、それも定かではない。 幸いにも焼けたのは離れだけで、それでも珠鴬は、その後二度と祖母の家を訪れることはなかった。 その日から、自分は一人になった。 「どうしたの珠鴬、僕だよ?」 じゃあ、これは、誰? 「違うよ、和沙は火事で死んだんだ。おまえは誰?」 和沙は、悲しそうな顔をした。 ……言わないで 言わないで それ以上は言わないで 「どうして、気付いてしまったの?」 「なんで…」 そっと、自分とまったく同じ顔をしたそれは、珠鴬を抱きしめる。 「僕らはあの日から、二人で一人になったんだよ」 似すぎている。 その白い顔を見つめながら、珠鴬は思う。双子だから、そう言って片付けるには今の珠鴬と和沙は、あまりにも似すぎている。 これじゃあまるで、同じ人間みたいじゃないか。 「否、一人で二人になったのかな」 微笑みが、凍りつく。 「違う」 頭が痛い。 これは、何? 「違う、これは違う、間違ってる、こんなの知らない。これは何?どうしたの!」 錯乱・・・ 頭をかすめる、燃えていく家。 あたりに咲き誇る、紅い華。 ……ゆれないで ゆれないで 悲しいことを思い出すから 「和沙は死んだの?いなかったの?お前は何?これは、悪い夢の続きじゃないの?」 ……偽りでも 幸せだから それ以上は言わないで どうしてそんな風に、和沙と同じ顔で、自分と同じその顔で、そんなに冷たく微笑むの? 「珠鴬」 鼓動が、激しく波打つ。 焼け崩れていく離れを、何もできずにただ見つめていた。 自分は和沙を見殺しにしたの? 出火の原因は不明。 でも、僕は知ってる。 あの日離れの押入には、昼間取ってきたあの華が隠してあったんだ。 だけど、あれは…… 「…知らなかったんだ。あんな意味のある華だなんて、僕は知らずに取ってきたんだ!」 子供のように叫んでかぶりを振る珠鴬をなだめるように、和沙は囁く。 「珠鴬?どうしたの、何を言っているの?」 「火を呼んだんだ。あの華が、僕が炎をつれてきたんだ!!」 「珠鴬!そんな風に考えないで。」 抱き締める手を降り払う。 「どうして思い出させるの?あの華も、あの火事も、忘れていたい事だから、思い出したくなかったのに」 黒い瞳を見開いて言う。 その珠鴬の言葉を聞いた瞬間、和沙の顔がこわばる。 「………珠鴬。お前が、それを言うの?僕をここに生み出した、お前がそれを僕に言うの?」 低い声で言う和沙の台詞に、いつもの優しげな面影はみられない。 「知らない……お前なんか、知らない。」 ……よらないで よらないで あなたを 傷つけたくはないのです 全てを認めたくなくて、ただ激しく首を振る。 「どうして僕が、いつからこうしてここにいると思うの?和沙は天上で眠ってる。ここにいるはずはないのに」 「やめて!どうしてそんな事を言うの?和沙はそんな事言わない。お前なんか、和沙じゃない!」 薄笑いを浮かべながら、和沙が囁く。 「そうだよ、僕は、お前なんだから」 その瞬間、珠鴬の中で、全ての疑問がつながって、そして、なにかが弾けた。 …………なにも考えられなかった、和沙をなくしたあの日から。 まわりの事も見えなくて、聞こえなくて。 でもある日気が付いたら、ベッドの上に和沙が寝ていた。 変わらない優しい声で僕の事を呼んだんだ。珠鴬≠チて。 「珠鴬?どうしたの、ぼうっとして」 「和沙。和沙だよね?ほんとに」 「……何を言っているの、珠鴬。悲しい夢でも見たのかい?」 そうだよ、あれは夢だったんだ。 和沙は変わらなくて、優しくて、ずっと傍にいたんだ。 だから、だから… ・・・衝動。 「お前なんか、いらない!」 これもきっと、悪い夢。 偽物の和沙なんて、いらない…… 飛び散る赤い血。 珠鴬は、和沙を切り付けた。 ガラスの破片を握り締めた珠鴬の右手から流れる血。 それ以上に、傷ついた胸元から溢れてくる大量の紅。 とどまる事無く、それは、珠鴬の胸から… 「……どう して?」 胸を押さえた手のひらに、ぬめりとした感触が伝わる。 「どうして?僕は 和沙を 傷つけたのに。」 珠鴬が切り付けたのは、和沙。 血を流す珠鴬。 「僕は、僕を 殺すの?」 流れだす、赤い血液。 その中央にたたずんで、珠鴬は自虐的な笑みを浮かべる。 これは、罪の色だから… 地に落ちた紅が悲しくて あなたを想って 天(ソラ)を見上げる。 流れ出た紅い血は、しだいに違うものへと変化する。 それは、紅い華。 あの日二人で見た、燃えるような真紅の華。 綺麗だったね、風に揺れて。 この世の物じゃないみたいって、お前はそう言ったね。 そうだよね、だって、天上の華だもの。 「珠鴬」 呼び掛ける、大好きな声。 「和沙っ」 「珠鴬、待ってたよ」 真っ赤な草原を歩いてくる、なつかしい影に手を延ばす。 「和沙!とてもつらかったんだ。お前が、先にいってしまうから」 長年離れていた恋人に再会したように、二人は抱き合う。 「ごめん。でも、いつも僕の方が置いていかれていたから、これでおあいこだね」 離れないように手をつないで、二人は駆け出す。 辺りには一面の紅。 まるで、燃える炎のように…… 彼岸花 別名 曼珠沙華 花言葉「悲しい想い出」 「思うのはあなた一人」 〈fin〉 |