毛利伸は、なんだかモーレツに怒っていた。 「なんだよあいつ、信じられない!ちょっとは人の都合も考えろって言うんだ!」 急ぎ足で歩く町中はほのかに春めいて、暖かな日差し、柔らかな風。 街路樹のつぼみもほころんで、行き交う人々が足を止めて言葉を交わしている。 そんなうららかな陽気の町並みを、けれど伸は早足で歩く。 「どーせ僕には関係ないよ。忙しいってのに…」 とうに終わらせていなければいけない筈の課題の制作が終わらなくて、とてもじゃないがそんな事を楽しむ気分にはならない。 「それをあの馬鹿!が絶対に来いだなんて言うから!」 ブーイングさえ起きないほどの冷ややかな目線の研究室メンバーに頭を下げまくってやって来たのだ。 それなのに! 「なんだよあいつ、信じられないよあの態度!」 ぶつぶつと呟きながら歩く伸は、ふと立ち止まって、はたと考えた。 あんまりむかついたんで何も考えずに歩いてきてしまったけど、既にここは駅の前。時計の針は午後の2時を少しばかり回った所。 本当ならこのまま研究室に戻って作業を続けるべきなんだけど、あんなに無理を言って抜けさせてもらったのに、こんな半端な時間に戻るというのも腑に落ちない。 それにこんな気持ちで戻ったって、皆に八つ当たりして迷惑をかけてしまうかも知れない。 「どうせ迷惑かけるなら…」 頭に浮かぶ、一人の人物。 「最近会ってないもんね…よし、決めた!」 思い立ったらなんだか少し怒りも収まったような気がして、伸は気持ち上機嫌にとある行き先の切符を買った。 30分後。 ピンポーン! 「はいはいはいっと今開けますよ〜っと、あ?おお〜〜しん!?」 「久しぶり、秀。ちょっといいかな?」 チャイムの音にドアを開けた秀 麗黄は、珍しい人物の訪問に目を丸くした。 |
…… ある日の出来事 …… |
事の起こりは、その日の朝。 課題の制作で大学に詰めていた伸は、自宅から一本の電話を受けた。 自宅と行っても、それは伸が現在暮らしている都内のアパート。 よって電話の相手は、同居人である当麻… 「は?何言ってるんだい君は?」 いつも穏和な彼の苛立った声に、何事かと電話を繋いでくれた助手が振り返る。 「あのね当麻、僕が今どうしようもなく忙しいって言う事は分かってるだろ?夕べだって帰れないかも知れないって前々から言ってあったよね?ああそう…それでもどうしても?」 伸は心持ち声を潜めて、とんでもない事を言い出す電話の向こうの当麻の言葉を待つ。 どうしてもだ、と強引な声がうなずくのにため息をついて、答えた。 「分かったよ。少し遅れるかも知れないけど、いいね?」 嬉々とした承諾の声を耳にして、伸は電話を切った。 「何か用事があったのかい?」 さて困ったと頭をかく伸に、普段から親しくしているその助手が声をかける。 「いえ…なんだか急用らしくてどうしてもって呼び出されて…」 「でも毛利君、今グループ課題の制作途中だろう?」 「そうなんですよ。みんな徹夜で気が立ってるのに」 抜けたいだなんて言って大丈夫かと、伸は眉を寄せる。 「ま、頑張っておくれ」 人ごとだからと気楽に言う助手の言葉に、伸は頭を抱えた。 おいおい冗談じゃないと呆れ、本気かよと怒り出す友人達に頭を下げて昼食をおごって、伸が当麻との約束の場所に駆けつけたのは待ち合わせた時間を30分も過ぎた頃。 ずいぶん待たせて怒っているかと思われた当麻は意外に上機嫌で、まあ急に呼び出されたのはこっちなんだしそれもそうか、と納得しかけた伸は、けれどその10分後には怒り狂う事になる。 「で、なんの用事があったのさ、わざわざこんな所で待ち合わせて」 「うん、伸、映画見よう!」 「は?」 にこにこと言う当麻の顔を、何を言い出すんだと思って見つめ返す。 「映画?」 「そう、ほらアレ。2時半からの上映だから、間に合って良かったよ」 指さす先に映画館。早く行こうぜと促す当麻につられて歩きながら、伸は慌てて言う。 「ちょ、待ってよ当麻。映画を見てどうするのさ?」 「その後?どっかでお茶してケーキでも食べて、買い物!」 「な、何を買うつもり?」 「なんでもいいよ、伸の欲しいモノ」 全く上機嫌な笑顔の当麻と裏腹に、伸はふつふつとした怒りがこみ上げて来るのを感じた。 何を言っているのだろうこの馬鹿は! 「とーま…」 買い物の後はレストランで食事をして、それからこないだ雑誌に載ってたバーに行って…とかなんとか嬉々としてその後のプランを話していた当麻は、目の前の伸の様子におやと足を止めた。 「どうかしたのか?」 どうかしたのかなんてこっちが聞きたい。あんなに苦労して抜け出して来たって言うのに。 「君、もしかして、今日そんなデートまがいの事をしたくて僕を呼びだしたのかい?」 「うん、そうデート。だって今日は…」 「冗談じゃないよ!何考えてるんだよ!」 「伸…?」 怒りの余り真っ白になってしまっている伸の顔を、戸惑うように当麻は見返す。 「君ねぇ、僕がどんな苦労をして今この時間にここに来たと思ってるの?忙しいって事はさんざん言った筈だよね?それをなんだよ呑気にデートだなんて何考えてるのさ。そんな事、今日じゃなくたっていつだっていいだろ!」 いらだちの余り叫ぶ伸を驚いたように見ていた当麻は、伸のその言葉に眉をひそめた。 「本当に、そう思うのか?伸」 「何だよ!」 「今日じゃなくてもいいって言うのか?」 意味深な聞き方に、頭に血が上っている伸は気づかない。 「あたり前だろ!」 「…じゃあいいよ、戻れば」 「はぁ?」 いったい何を考えているのだろう、この馬鹿当麻は。 あまりの事に呆然としている伸を残して、さっさとその場を立ち去ろうとしている。 「ちょ、当麻!」 名前を呼ばれて、少しだけ振り返った当麻は何かいいたそうな顔をして、けれど何も言わずにまた歩き出した。 「な、なんなんだよあいつは!」 残された伸は軽いパニック状態。 そして、その後に湧いてくる当麻への怒り。 「なんだよあいつ、信じられない!ちょっとは人の都合も考えろって言うんだ!」 こうして、冒頭へと戻るのである。 |
「どう思う秀?信じられないよなあいつ!」 そんな訳で伸は、鼻息も荒く目の前に座る秀へと話しかける。 「はあ、そりゃ、大変だったな」 こんな興奮した人物を相手に、それ意外の何がいえると言うのだろう。 秀はため息を隠しながら、同情するように頷いた。 「まったくだよ!何考えてるんだかあの馬鹿!」 ぶりぶりと怒ってる伸を、やれやれと言った面もちで秀は見つめる。 温厚な伸がこんな風に怒ることは珍しい。 珍しい分、一度こうなってしまったら、しばらくはどうにもならないと言うことを秀は知っていた。 うんうんうんと頷きながら話を聞くフリをする、ここは秀が都内に借りているマンション、のキッチン。 「まあな〜、あいつもイマイチ人付き合いの大切さとか、人の都合とか分かってないところがあるからな〜」 「でしょ〜!もうおかげで僕がどれだけ苦労してるか!大体ほらこの前だってさ…」 適当に口を挟んで、後はふんふんふんと相づちを打ちつつ、さりげに伸の目の前のカップにウーロン茶を追加する。 これがもう少し遅い時間だったらコップの中身は間違いなくアルコールなのだが、さすがにこの時間からそれは不味いだろう。 さんざん愚痴って喋り倒して、大きなティーポットが空になる頃。 「はあ〜、すっきりした。あ、秀もういいよ、これ以上もらうとお腹ががぼがぼになっちゃう」 伸はお代わりを作るべきかと立ち上がりかけた秀を制した。 「おう、そうか」 秀は明らかにほっとしたため息をついて、目の前の伸を見返す。 本当に言いたい事を言い尽くした伸の表情は確かに晴れ晴れとしていて、しかしながら疲労の色は隠せない。 「伸、しばらく寝てないのか?」 「う〜ん、寝てはいるんだけどね。夕べは3時間ぐらい」 そりゃ大変だなと、心から頷く。 当麻のヤツもその辺察してやりゃぁいいのになと思いつつ。 けれど秀には、実は当麻の方の気持ちも分かっていたりするので。 まあ俺だったらもう少し上手い方法を考えたと思うけど、あの不器用なヤツにしては上出来だとほめてやるべき点も、確かにあるとは思うので。 教えてやるしかないよな、あ〜俺って良い奴! 「でもさ、伸」 「ん?」 「おまえ、本当に当麻のヤツが“今日”に拘った理由、わかんねーの?」 真面目な秀の顔。 伸は、ぱちくりと瞬きを一つ。 「どういう事?」 忘れてるんだよなぁ…こいつマジで。 やれやれと、大きなため息を一つ。 それから秀は、壁に掛かったカレンダーを指さす。 「伸、おまえ今日が何日だか、わかってる?」 大きな手につられてカレンダーを見て、数字の羅列を目で追って。 「………あ、れ?」 もしかして、もしかして。 「オレなんか律儀にまるうってあるのに。おまえも、俺達のは絶対忘れたりしないくせにな」 しみじみと秀が言う。って事はやっぱり… 「ご、ごめん秀!僕帰るね!」 見る間に真っ赤になって、伸は慌てて立ち上がる。 すっかり綺麗に忘れてた。でも、覚えててくれたのだ、あいつは。 「おう、またいつでも遊びに来いや」 にこにこと言うよりもニヤニヤと笑う秀。 もう、もっと早く教えてくれればいいのに! 慌てて玄関に行って靴を履いて、じゃあねと言おうとして振り返ったら、差し出された大きな袋。 「ホントは明日あたり押し掛けようかと思ってたんだけどよ、ま、今日渡しておいてやるよ」 よく見るとそれは、近頃伸が好んで着るブランドの紙袋。 まったく! 「ありがと、秀!」 破顔して受け取って、両手が埋まった所で肩を掴まれた。 もう片方の手に顎を取られて、素早くキス! 「へへへ、愚痴聞いたんだし、このぐらいの役得はアリでしょ?」 「し、知らないよ、アイツにばれたら!」 「ばれるかばれないかは、おまえ次第でしょ?」 にゃははと笑うその笑顔には、笑顔しか返せない。 「もう、今日だけだからね!」 「おっけい。早く帰りな、拗ねてるぜ〜あいつ」 大きな手に背中を押されて、伸は秀の部屋を後にした。 |
誕生日なんて実のところ、何でもないタダの日で。 幼い頃はみんながお祝いしてくれて、何より楽しみな日だったけど。 「あなたがここに生まれてくれた、記念の日よ」 母の笑顔は遠い昔。 歳を取るにつれて、大人になるにつれて、より「普通の日」になっていく。 学校はあるし、勉強もあるし、電車も止まらない。 二十歳も過ぎて、今更一つばかり歳を重ねたって何も変わらないだろう? そんな風に、言ってしまえばそれまでだけど。 |
伸は地下鉄に乗って大慌てで家に帰る。 エレベーターを待つのももどかしく4階の自分達の部屋まで駆け上って、躊躇もせずに回すドアノブ、予想通り鍵はかけ忘れ、しかってやらなくちゃとドアを開けると。 玄関先に無造作におかれた色鮮やかな花束。懐かしい女文字のメッセージ。
優しい笑顔が頭に浮かんで、どうしてだろう、少しぼやける。 花束の下には平たい小包。 その隣にもう一つ、中身の分からない宅急便。 まったく、なんて! 胸がやけに苦しいけれど、それは悲しいからじゃない。 伸はのろのろと靴を脱いで、大切なそれらを抱えて部屋に入る。 入ったすぐ左が当麻の部屋だけど、多分そこにはいない。 細い廊下を歩いてキッチンを抜けて、続くリビングのソファに、伸は探していた人を見つける。 手に持つすべてをテーブルにそっと並べて、眠るその人に近づいた。 脱ぎ捨てられたまま、ソファーに掛けられたコート。 ちゃんとハンガーにかけろっていつも言ってるのに、いつもその辺に脱ぎ散らかす。 ローテーブルの上には、飲みかけのコーヒーが冷め切ったマグカップ。 そしてソファーに丸くなる、可愛い人。 子供みたいだと、伸は思う。 ちゃんと、言ってくれればいいのに。 こっちの都合も考えずに、何も言わずに一人で行動して、一人で怒って… でも。 覚えてて、くれたんだね。 祝ってくれようとしたんだね、僕の為に。 「と〜ま」 囁きかけると、小さく身じろぎ。 「ん…」 そっと唇を寄せて、啄むみたいなキスをする。 青い目が、ゆっくりゆっくり開いて、ぼんやりしてる所にもう一度キス。 「ごめんね、当麻」 「伸。帰って来たのか?」 弱気な声。自信家な当麻らしくもない、でも当麻らしい弱気な態度。 「ごめんね」 もう一度伸が言うと、当麻は起きあがって小さく首を振った。 「俺の方こそ、おまえが本気で忙しいの分かってたのに…迷惑かけちまった、ごめん」 しかられた犬みたい。きっと帰って来てから思い直して、沢山落ち込んだりしたんだろう。 頭良い癖に、たまに簡単な事が分からなくなる、不器用な人。 「ね、今日は僕の誕生日だから、僕がわがままを言ってもいい日だよね?」 向かい合う当麻の背中に手を回して、伸が聞く。 「ああ、なんだって!」 肯定の言葉を耳にして、伸は笑顔で言った。 「じゃあさ、デートのやり直しを、頼めるかな?」 大好きな伸の笑顔を、当麻は伸ごと抱きしめた。 Happy Happy Birthday! 誕生日なんて実のところ、何でもないタダの日で。 歳を取るにつれて、大人になるにつれて、より「普通の日」になっていく。 だけど、だけどさ。 年齢+1年前の、今日という日に。 生まれたから、あなたに出会えた。 忘れないで、特別な日を、特別な君と過ごしたい。 生まれてきて、良かった。 生きてきて良かった。 そんな風に思い出させてくれる、大切な日。 <fin> |
Happy Birthday! 毛利 伸様 数え切れないぐらいにいろんなモノを、私にくれたアナタに… 生まれてくれて、ありがとう。 生きててくれて、ありがとう。 最大限の感謝の気持ちを、贈ります。 遅れちゃってごめんね、でも愛してます(笑) 1999.3.22 (Today's my birthday!) 泉 香 |