「そろそろだな」 と、何気ない風にあいつが呟いた。 前置きもフォローもないその言葉に僕は少しだけ胸の痛みを感じながら 「そうだね…」 と、シャツのボタンを止めながら無表情に呟き返した…
君のそばで感じたら 涙さえ 逃げていく 消えていく そんなふうに僕は思う ━━━ 僕は思う ━━━ “食事は、出来る限り揃ってとること” それはいつの間にか決められた、柳生邸でのルール。 もちろん反論する者は誰もいなくて、約一名が朝食に間に合わないのをのぞいてはだいたい守られている。 「今日は買い出しに行く日だったな」 少し遅めの昼食を揃って終えた後で、征士が言った。 「ええ、雨が降っているから少し面倒なのだけど…征士と秀は、またついてきてくれるかしら?」 「ああ」 「もっちろん」 ナスティの言葉に、荷物持ち役の二人がうなずく。 「当麻はどうするよ?」 「俺は今日は残るよ。ちょっと読みたい本があるんだ」 秀の問いに当麻がそう答えて、その日の午後は僕と当麻と遼の三人が留守番役という事に決まった。 「片づけはしておくから、早く行って来なよ」 「そうね、じゃあお願いするわ、伸」 「俺も手伝うぜ、伸」 慌ただしく出かけていく3人を見送って、遼に手伝ってもらいながら食器を片づける。 「しばらく部屋にこもってるから」 当麻がそう言ってダイニングを出て行ったけど、はたから手伝う気のない奴の事は既に無視。 大量の食器をとりあえずキッチンに運んでもらって、僕は遼に言う。 「後はもう一人で出来るから、遼は白炎と遊んでおいでよ」 「そうか。でもなぁ…」 素直にうなづいた後で、遼は一瞬ちらりと視線を窓の外に向ける。そう言えば、雨が降ってたんだっけ… 「じゃあ、洗い物が終わったらゲームでもしようか。すぐに終わらせるから待っててよ」 「ホントか!じゃあ俺、上の部屋から持ってきて準備しておくよ!」 「オッケー、後でね」 満面の笑顔につられて微笑みながら、僕は大量の食器と格闘を始めた。 育ち盛り5人プラス一名のお腹を満たすだけの食事…がのるだけの食器って言うと、馬鹿にならない量なんだよね。 でもまあ、流しに下手に他人がいるよりも一人の方が動きやすいし、手早くやればそれほどの手間でもないし… きゅいきゅいとスポンジの小気味良い音と水音を響かせて、次々と食器を洗う。 単純作業だから頭の方は暇で、とりとめもなくいろんな事を考える。 あれ、なんで上の部屋にゲームがあるんだっけ? …そーいえば夕べは遼と秀が夜通しで勝負するって言って、遼の部屋にゲームを持ち込んで遊んでたんだ。 体力の塊みたいな秀はともかく、遼はかなりきつかったんじゃないのかな。起きてきた時もぼ〜っとしてたし。 その割には全然懲りてないんだよね、ホント、一つの事に夢中になるととことんはまるんだから。 すぐにムキになる、子供じみた彼のその表情を思い出してくすくすと笑っておいて、ふと不思議な感覚にとらわれる。
出会ってからだって、一年も経っていないっていうのに… まだどれほども経っていない筈なのに、まるでずっと昔から知っていたみたいなこの感じはなんだろう? あんな風に出会って、あんな風に戦いの時を過ごして、やっとの思いで手に入れた、平和な時間。 みんなの体力が回復するまでは……誰も何も言わなくて、でもきっと同じ事を考えてこの柳生邸で暮らしてる。 居残った妖邪の動向を探るために……みんなが元気になってからはそんな事を理由に、まだこの屋敷での生活を続けている。
思い出される、夕べの当麻のセリフ。 無視し続けてる胸の痛みが、少しだけ大きくなる。
分かってるんだ、本当は。 いつまでも、このままじゃいられない。 ここにいるのは、すごく心地のいい事だけど。 何よりも大切だと思えた仲間達と、ずっとこのまま一緒にいたいと思うけど。 朝になったら起きて、素振りを終えた征士に挨拶して、朝食の下準備。起きてきたナスティと食事の支度をして、遼と秀が揃ったところで朝食。 洗い物と掃除と洗濯を分担して済ませて、少し自分の時間。 お昼になったら昼食の準備、寝起きの悪い当麻をけ飛ばして、6人揃っての食事。 午後はまた好きなように過ごして、3時過ぎには揃ってお茶を。 買い出しは週に二回。力のある秀と征士をつれて、ナスティは山のような食料を買い込んでくる。 夕食の後はみんなで団らん。9時を過ぎたら順にお風呂に入って、眠くなったら自由に寝て… 何にもしなくていい、何にもする事のない自由な生活。 こんな生活が、いつまでも続けられる訳がない。 今は…今はまだ、いろいろな後始末でごたごたしているから。 三日ぐらい前まで当麻とナスティは書斎にこもりっきりでデータの整理をしていたし、毎日の偵察は二人づつ交代で続けてる。 でも…
平和に、戻ったように見えるから。 もう、平和になったと思うから。 元通りになったように思うから。 僕らも、戻らなくちゃいけない。
出会う前の、あの場所に… なんだか沈み込んでしまった気持ち。 洗い物を終えた僕は、ふとガス台に目線を止める。 いつも慌ただしく大量の料理をするから、吹きこぼれてしまったり、少し焦げてしまたっり。 少し拭いただけじゃあ落ちないその汚れを見ていたら、自然と体が動き出していた。 がちゃがちゃとガス台から焦げ付いたコンロを外して、磨き用のスポンジにクレンザーをつけて。 更なる単純作業を、今はあえて続けたい。 そろそろだなと、あえて口には出さなくても。 本当はもう、気づいているんだ。 最後まで寝込んでいた遼が無事に笑顔を見せて、みんなと変わらない生活が出来るようになってから、もう何日経つだろう? そして… 征士が、近頃ぼうっと考え事をしている時間が増えた。それは数日前、実家かららしき手紙が届いてから。 秀が、電話口で妹たちに泣きつかれて弱ったと、笑いながら話していた。笑顔の中の、少しの戸惑い。 電話の向こうの姉さんは、何も言わなかった。ただ、家の中が静かだわ、と呟いた。
気付きかけているんだ。 もちろん、帰りたくない訳じゃないよ。 でも、離れがたいと思うのも事実な訳で。 「おいし〜ん、喉かわいたんだけど、なんかないか?」 ! いきなりの声に、びっくりして振り返る。 あんまり勢いよく振り返ったから、逆に驚いたみたいな顔。 「なんだ、当麻か」 ほっと息をついて出た言葉に、案の定の返事。 「なんだはないだろう。悪かったな、俺なんかで」 「ごめんごめん。冷蔵庫にジュースあるけど、それでいい?」 「ああ」 洗剤まみれの手をゆすいでコップを出してやると、当麻は自分で冷蔵庫からジュースを出して待っていた。 「はい」 「サンキュー」 100%のオレンジをコップに注いで、一気に飲み干す横顔をなんとなく見つめる。
ほとんど一人暮らしに近い生活をしていた彼。 それでも。 待つ人なんていないというその部屋に、きっと帰って行くんだろう。 「伸ちゃん?俺の顔、見ほれる程格好いい?」 カラのコップをひらひらと左右に振って、口の端をにやりとあげる。 「ばか…」 吐き捨てて、流しに向かい直る。 「もういいんならそれもすぐ洗うから、こっちかして」 後ろ手に出した左手首を、捕まれた。 ほとんど同時に右手首も捕まれて、僕は身動き出来なくなる。 「伸」 耳元で聞こえる、真面目な声。 思い出して、どきりとする。 「なにするんだよ、こんな所で」 自分でも驚くほどの、低い声。冷たいしゃべり方。 それは、当麻と二人だけでいる時だけのモノ。 当麻と僕が、ただの仲間じゃなくなる間だけのモノ…
心は“彼”のモノだと、そう言い張る僕の体だけを抱いて、こいつは何を感じているのか。 激しく抗っていたその行為を、夕べの僕はすんなりと受け入れた。その理由を、こいつは気づいているのだろうか。 気づいて、いない筈はないけど。 “そろそろだな” 行為の後のあの言葉が、それを物語っているけれど。 「何して欲しい?こんな所で」 「怒るよ…」 振り向いた顎を捕まれて、呆れるような素早さで唇を重ねられた。 いつも通りの、強引なキス。 「当麻!」 自由になった右手で頬をぶつと、ほんの少しだけ辛そうな顔をした。 傷ついた、子供の顔。
「当麻、同じ事を、二度言わせる気?」 「おまえの…」 かすかに赤みの残る頬を、左手でなぜる。 「何?」 そらさない、視線。 少しだけ見せた子供の顔を大人の顔に直して、当麻は言った。 「おまえの、そういう所が俺は好きだよ」 「どういう意味だよ」 それには答えず、背中を向ける。 それはいつもの当麻のやり方。 子供じみてると思えば大人の顔になって、強引な行動で全てを明かさない。 そして…
見送るだけの僕をドアの手前で振り返って、なんでもない口調で当麻は言った。 「そう言えばさっき、遼がリビングで暇そうにしてたけど?」 その言葉に、はっと気づいて時計を見やる。 壁のそれが示す時刻は、既に2時半。 「しまったぁ〜…」 当麻になんてかまってられない。 一瞬で気持ちを切り替えて遠ざかる足音を無視して、速攻でやりかけのコンロを磨き出す。 洗い終わったコンロを清潔なふきんの上に並べて、後は乾いてからでいいや。 “すぐに終わらせるから…”という自分の言葉を激しく裏切るその事実に、僕は焦ってキッチンからリビングへと向かった。 「ごめん!りょおっ……遼?」 ああ… 勢いよく開けた扉を、極力静かに閉める。 ソファにもたれるその人に近づいて、顔を、うつむく顔をそっとのぞき込む。 乱れた黒髪の下、閉じられた瞼と、繰り返す寝息。 そうだよね、どうせ夕べはほとんど寝てないんだから。 セットされたゲーム。ついたままの画面はゲームオーバーのまま止まってる。 コントローラを握った形のまま放り出された手。力が抜けたひょうしにずれ落ちたと思われるコントローラを拾って、僕は机の上においた。 電源を切って、少しの思案。 どうしようか、このまま寝顔を見ててもいいんだけど、こんな所にこんな姿勢で寝てたら後が大変だろうし、折角の午後をそんな風に終わらせたら、きっと遼は怒るだろうし… 考えて、僕は再びキッチンへと向かった。 「遼、りょーう、起きて。風邪引くよ」 相変わらず眠ったままの彼に、僕は声をかける。 「…う〜ん」 うなるその頬に、冷たいグラスを押しつけてみる。 「っ!うわ!何だ?」 途端に目が覚めた声。いきなり身を起こすのは予想の行動なので、グラスの中身をこぼしたりはしない。 くすくすくす。 可愛いなぁって思わず漏れた笑い。 遼は僕に気づいて、微笑む。 「伸!洗い物終わったのか?」 向けられた僕の方が嬉しくなる、その笑顔。 「うん。ずいぶん待たせちゃってごめんね。お詫びにアイスティー入れて来たから」 「そう言えばすっごく喉が乾いてるよ。ありがとな、伸」 「だと思った。こんな暖房のきいた部屋で大口開けて寝てるから…ほら、よだれ出てるよ」 「わ、ホントだ〜」 焦って口元を拭う遼に微笑みながら、僕も自分用に入れてきたアイスティーを飲む。 お茶うけは、暇な時にナスティと二人で山ほど焼いたクッキー。 お父さんと二人だけの生活が長かった遼には手作りのお菓子なんて珍しいみたいで、何を出しても無邪気に喜んで食べてくれる。 「俺これ好きなんだ〜」 なんて言いながらナッツとレーズンのクッキーを一杯にほうばって、ふいに遼が言う。 「へへへ、ずっとこうだったらいいのにな」 なにげない一言。 そうだねって笑顔を作ればいいはずの僕は、めずらしく失敗をした。 「あ…」
まっすぐな、遼の視線。 偽れない、誤魔化せない、逆らえない… 曖昧な顔のまま固まってしまった僕に、遼は言った。 「やっぱり…。もう、2ヶ月だもんな。俺もさ、気づいてるよ。そろそろみんな、帰るんだろ?」 「遼…」 言葉を無くしてしまった僕。どうして、なんて聞くのも愚問だ。 「ここ2〜3日、元気なかっただろ?伸と征士と、秀と。気になったから、秀に聞いてみたんだよ、夕べ」 少しだけばつの悪そうな顔を、そっと見つめる。 そうだよね、遼だって気づいてたよね。 「遼も、帰るんだよね?」 「ああ。俺だって学校あるし…。ちょっと寂しいけど、仕方ないよな」 「うん…」
だって時は流れてるから、僕らも止まったままじゃいられない。 それぞれの場所に帰って、それぞれの生活が待ってる。 みんな離ればなれになって、僕らは別々の道を行く。 「おとぎ話みたいに、ハッピーエンドのまま終われたらいいのにね」 「おとぎ話?」 口をついた言葉の脈絡のなさに、遼が聞き返す。 「うん。悪者を退治して、王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしました、って。そしたら僕らも、このままただ幸せに暮らせたのに。どうせなら、一番良かった瞬間で終わっちゃえば良かったのに」
気づかないふりをしていたかった。 出来ればそんなモノに蓋をして、このままでいたかった。 「ああ、そういう事か〜。伸ってたまにすっごく変わった事言うよな〜」 感心しているんだか呆れているんだか分からないようにうなずいて、それから遼はあっさりと言った。 「でも、これからだよな」
「折角みんなに逢えたんだ。まだこれから、もっと楽しいこと一杯出来るよな」 そして、極上の笑顔!
あっけにとられて黙り込んでしまった僕に、遼は慌てたように言った。 「俺、何か間違った事言ったか?」 真剣なその顔に、僕は破顔する。 「ううん、その通りだよ」
それは、僕の悩みを一気に吹き飛ばす言葉。 「なんだよ、脅かすなよ〜。まだこれから、いくらだって逢えるだろ?」 「うん、そうだね」 ほっとしたような遼の笑顔に笑い返しながら、心が一気に軽くなるのを感じる。
元通りの生活に戻ったら、元通りにならなければいけないような気がしてた。 戦いの前の、あの生活に。出会う前の、僕らに。 “そんな訳ないだろ?” そうやって、誰かに言って欲しかった。 「あ、雨あがってるんじゃないか?」 ふいに遼が、窓に近づいて言う。 そう言えば、さっきそんな気配がしてたんだ。 「ほら、晴れてる!伸、散歩に行こうぜ」 途端にじっとしていられなくなった子供みたいに走り出す遼を慌てて引き留める。 「待ってよ遼、外は寒いんだから暖かくして行かないとダメだよ!」 「じゃ、上着取ってくる!」 「りょお〜、そんなに急に走ると危ないよ!」 もどかしげに二階へ走る遼を追いかけた。
君のそばで感じたら 微笑みは 二人分 ふくらんで そんなふうに僕は思う 「あのさあ、伸」 春まだ遠い柳生邸のまわりをはねるように歩きながら、遼が言う。 「遠くに住むとか、近くにいるとか、関係ないよな。俺達、ずっと仲間だよな」 それは、遼以外の誰が言っても、思わず笑い飛ばしちゃいそうになる言葉。 “一昔も前の青春ドラマやってるんじゃないんだからぁ!” なんて、け飛ばしちゃいそうなセリフ。 でも。 「俺達がさ、この俺達5人がこうやって出会えたこと、偶然だって俺は思いたくないんだ。5人だから、みんなで戦えた。おまえ達4人だから、俺は安心して全てを預ける事が出来た。そんな俺達が、少し離れたぐらいで変わらないだろう?まるでいつも一緒にいるみたいに、きっと上手くやっていけるよな!」 真っ直ぐな、真っ直ぐな遼の瞳、遼の言葉。 「ああ、そうだね!」
君の想いだから、信じられる。 本当は僕は、もう少しずるい人間だけれど… ずっと変わらずにいる事なんて、決して出来ない事を知っているけれど。 少し照れたように、前を行く遼。 「遼」 名前を呼んで、振り向いた所を抱きしめようとして、先に抱きしめられた。 「りょ…」 驚く僕に、かすめるみたいな小さなキス。 「伸には、いっつも先にされてたから、今日は仕返し」 いたずらっ子みたいに微笑むいつもの顔に、少しの違和感。 「遼、もしかして背のびた?」 それは目線の違い。 「さあ?でもここの所よく寝てるから、のびたかもな」
気づいたら追いつかれていた。そして、抜かれていく… 「雨上がりの空気って気持ちいいな!」 少し赤くなった頬をごまかすみたいに慌てて僕から離れて、大きく伸びをする。
変わらないで、いてね。 離れても、大人になっても、君だけは変わらないでいてね。 「遼、好きだよ」 呟いた声に振り返って 「俺も伸の事、好きだよ」 遼は笑った。 どこからか現れた白炎に声をかけて、走り出す。 遠くなる後ろ姿に、ふいに泣き出しそうになって、慌てて僕も走り出す。
ごめんね、僕はずるい人間で、汚いことも沢山してる。 君みたいに、純粋な想いだけで戦う事が出来なかった。 重圧感に耐えきれなくて、僕を好きだという当麻の強引さに、その想いに流されるふりをして、君には言えない夜を過ごした。 君を好きでいる資格も、君に好きだと言ってもらう資格も僕にはないけど。 「伸!早く早く!」 先へ行く君が振り返って、僕に手を振る。 いつもそうやって、僕は遼を追いかけている気がして。 その後ろ姿が眩しくて、目が潤んで立ち止まる。
ごめんね、でも、好きでいさせて。 君を、好きでいさせて。僕を許して。 君を大切だと思うこの想いだけは、純粋だから。 僕の一番、綺麗な所だから。 離れても、この想いだけ、一緒にいさせて。 それだけで、それだけで僕は…
真っ直ぐで、いられるから…
君のそばで感じたら 涙さえ 逃げていく 消えていく そんなふうに僕は思う 「し〜ん?」 不振げな声に、そっと瞼をぬぐう。 振り返る君に手を振って、笑いながら追いかけた。
毎日じゃないけれど あきらめることを ずっと知りたくはない 君のそばで 君のほほ ゆっくりと 過ぎていく 季節を見つめていよう 楽しいことに 満ちあふれている 毎日じゃないけれど 大切なことは 君がそばにいること 分かったのさ 何気ない おだやかな 太陽に ずっと 包まれていたい 君と包まれていたい <fin> |