真っ暗だった。 あたりは闇に包まれていて、足が地についている感覚が無かった。 俺は、浮いているのだろうか? それすらもわからなかった。 ただ一つ、はっきりしていること。 海の中だった。 否、違うかも知れない。 魚も、海草も、生物の気配が、何も無かった。 ただ、水の中。 と、遥か前方からこちらに向かって近付いてくる光。 あれは、何だろう。 光は、俺に近くなるごとに、大きくなっていく。 何だか、懐かしい。 温かくて、優しい光。 光は、段々と、何かを形どっていった。 人? 穏やかな、天使のような微笑み。 「伸……?」 次の瞬間、俺は、光にのみこまれていた。 そして………………………… ━━━━ 気になる… 「遼、リョーウ?」 「ん……」 白い、男にしては細い手が、俺の頬をたたいていた。 「シ…ン?」 「遼、風邪ひくよ、こんなとこで寝てると」 次第に、意識がはっきりしていく。 本を、読んでいたんだ。 窓枠に腰掛けて、午後の日差しに包まれながら。 いつの間にか、寝ていたんだな。 「どうしたのさ、ぼーっとして」 不思議顔で俺を見つめる伸は、エプロンをつけていて、水をかまっていたんだろうか?、手が赤い。 「ああ…」 「?。まあいいよ。夕食できたからさ、冷めないうちに来てよ」 「ああ、すぐに行くよ」 「んっ、早くね!」 寝ている間に、手から滑って床に落ちた本を拾いながら、ぱたぱたとスリッパの音をさせて部屋を出ていく伸を見送る。 どうしよう。 最近おかしいんだ、俺。 お前のこと、変に気になる…… 夕食後。 伸は、食器を洗っていた。 台所から、水の音と、カチャカチャと食器の触れあう音。 当麻と征士は早々に部屋にひきあげていて、俺と秀はソファーに座ってテレビを見ていた。 ふと思い付いて、聞いてみる。 「な、秀」 「あん?」 「伸のこと、さ、どう思う?」 「どうって?、いいヤツだろ、少々口がわりぃけど」 「………」 いいヤツ、そうだよな、いいヤツなんだ。 「あんでんなこと聞くんだよ?」 秀は、無邪気な顔で聞いてくる。 「いや、別に」 「はーん。ま、なんてったってあいつ、料理うまいもんな、うん」 料理がうまい=いいヤツ、か。 ま、秀らしいよな。 少々苦笑しながらも、納得する。 「うーん、しっかし腹減ったなー、おーい、伸、なんか作ってくれよー」 「またぁー?、秀、夕食たべたばっかだよー」 伸は、邪心のない声で叫ぶ。 ‘いいヤツ’。秀はそう言い切った。無邪気に。 わかるよ、あいつ、いいヤツだ。 仲間だしさ。 一緒に戦ってきた。 他の三人と一緒に、悩んでる俺を、励ましてくれた。 でもさ、それだけだよ。 特別な感情なんて、持つ理由はなにもない。 はずなんだ。 でも俺……おかしいよな。 あいつ、男だぜ。 そりゃ、女みたいに色々気が付くけどさ。 年上なんだぜ。 −なんとかがあれば、年の差なんて− 一瞬、とんでもないフレーズが頭に浮かぶ。 げっ。慌てて頭を振る。 とんでもない。 そんなんじゃねーって、別に。 ただ、気になるだけだよ、ちょっと。 ………。 そーゆーのって、やっぱりそーゆーことになるんだろーか。 うそだろー。 俺、おかしーんだろーか、やっぱり。 頭をかきむしる。 えーい、なんなんだよっ、このもやもやした気持ちは。 「……遼」 ギクッ。 横に立っていたのは、当麻だった。 「変な奴だな、病気か?」 「嫌、とうとうおかしくなったんだろう」 隣には征士もいる。 「お前らっ、いつここにきたんだよっ」 「あー、当麻、遼はほっときなよ、さっきからおかしいんだ」 「秀、おまっ、なんて事言うんだっ」 「そうか、わかったぞ、遼」 「…何だよ、当麻」 「お前、‘恋わずらい’だろう」 ………。 「なる程」 征士、納得なんてしないでくれ。 「しかしだな、遼」 え〜い、当麻っ、右目つぶって指立てて話すのはやめてくれっ! 「仲間に欲情するのは、関心しないな」 カァ〜〜。 「何だよ、遼、真っ赤になって」 「図星だな」 ………。え〜い、なんて奴だよっ。 「なに、遼、秀の事好きになったの?」 ズンッ。(ショックがのしかかってくる音) 「おや、伸、どうしたんだ?」 「うん、お茶がはいったんだけど…。遼?、どうしたの?」 「…も…いい」 「?。なにが?」 「もう、寝るよ」 なんて奴らだ、もうしらねー。 「遼、お茶は?」 「いらないっ」 「寝込み襲うなよ」 するかよっ、征士じゃあるまいしっ。 「どういう意味だ?」 「俺は何も言ってないっ」 「私は地獄耳なんだ」 しるかっ。 バタンッ。 ドアを足で蹴飛ばして、部屋を出た。 夜。 「ん…」 歌が、聞こえる。 いい声だ。 誰が、歌ってるんだろう。 こんな時間に、なんで……。 えっ?。 そうだ、今は夜中だぜ。 枕許の時計は、2時を指している。 隣のベットで寝ている筈の伸がいない。 かわりに、ベランダに面した窓が開いていて、歌声はそこから聞こえていた。 「………なにやってんだ、あいつ」 呟きながら、ベランダに出る。 「伸」 隣の部屋で寝ている筈の当麻たちを気づかって、小さめ声で呼ぶ。 「遼」 「なにやってんだ、こんな時間に」 「うん、ちょっと。ごめん、遼、起こしちゃったみたいだね」 「いや、いいさ、別に」 言いながら、てすりにもたれる。 「へぇ…」 町のネオンが、綺麗だった。 「星みたいだな」 呟いて、ちょっと見とれる。 「うん、そうだろ?。…でも…」 伸は、少しだけ悲しそうに、目をふせる。 「でも?」 「海がないね、ここには」 言いながら、てすりに腰掛けて。 見つめているのは、町のネオンなのか、空なのか。 それとも、遠い故郷の海を思っているのか。 ただただ、遠くを見つめて。 俺はしばらくの間、淡い月明かりに照らされた伸に見とれていた。 生暖かい風が、柔らかそうな髪をゆする。 遠くを見つめる、やさしげな目もとも、軽く開けられた口も、白い、細い首も、首筋から肩にかけての曲線も。 まだ、完全な男のそれじゃないんだ。 かといって、女じゃない。 なよなよしてるんじゃなくて、でも、筋肉質なわけじゃなくて。 だけど、綺麗なんだ。 おかしいよな、これって。 片恋相手の女の子に、見とれてる気分。 しばらくして、俺はとあることに気付いた。 柔らかな水色の瞳から流れ落ちる、一筋のしずく。 …涙?…。 「伸」 なぜだか、声がかすれる。 「泣いてるのか、お前」 あ… 伸は、すぐに我にかえって、涙を拭う。 「ヘヘ、ごめん」 照れ隠しに、少し笑って。 「なさけないよね、親兄弟が恋しい、なんて年でもないのに」 前髪をかきあげながら言う伸に、何だか異様なほどの、神秘的な何かを感じて。 「別に…。そんなことねーよ」 見ちゃいけないものを見たような気がして、目を伏せる。 「ね、遼」 「うん?」 「家に、帰らないの?」 ………。 「さあな。伸、おまえは、なんで早く帰らないんだよ」 涙する程に、家が恋しいのなら。 「早く帰って欲しい?」 ………。 「さあな」 答えられねーよ、そんなの。 フフ。伸は、意味ありげに笑う。 「僕はね、ずっと遼と一緒にいたいから、帰らないんだよ」 カァー。 「お前…それって…」 「て言ったら、驚く?」 くすくす。伸は、いたずらっぽく、笑う。 「はめやがったな、お前っ」 「遼、耳まで真っ赤だよっ」 「嘘つけっ、なんでこんな暗いところでわかるんだよっ」 2人して、じゃれあい程度に言い合って、笑う。 離れちまったら、こんな言い合いも、出来なくなるんだな。 なんて、ちょっと思った。 「さ、もう寝ようか」 「ああ、そうだな」 「…ね、遼」 「なんだよ」 「海に行こうよ、今度」 「山口の?」 「どこでもいいよ、海なら」 「じゃ、なんでだよ」 「見せてあげたいんだ、遼に」 「…。見たことあるぜ、海ぐらい」 「違うよ、そうじゃなくて、もっと…」 「もっと?」 それきり、伸は、黙りこんだまま。 「どうしたんだよ」 「ううん、別に」 いいながら、腕にしがみついてくる。 「ね、遼、今夜そっちのベットで寝てもいい?」 ………。 「いいぜ、別に」 「ありがとっ」 言って、嬉しそうに笑う。 ………。理性がもたなかったら、どうしようか。 「あったかい」 「おい、あんまひっつくなよ」 「いいじゃない、ケチ」 んなこと言ったって…。 「狼になったって、知らないぜ」 思わず呟く。 「えっ、なあに、それ?」 ……。わかっててばっくれんなよ。 くすくすくす。 ひとしきり笑った後、ふっと真顔になって、伸は言う。 「いいよ、遼なら」 ドキン、なんて。 そんな色っぽい目付きすんなよ、頼むから。 思わず赤くなってると、伸はまた笑いながら言う。 「嘘だよ、遼」 「ばかっ、あたりまえだろっ」 くすくす。 「すねないでよ、遼」 ふんっ。 「もう知らないよ、お前なんて」 くすくす。 「笑うなっ」 「ね、遼」 「なんだよっ」 「好きだよ」 耳元に囁く伸を、おもわず殴った。 伸はそれからたいした時間もかけずに、眠りについたようだった。 「まったく、人の気も知らないで」 罪のない寝顔。 「黙ってれば、どっから見てもおとなしいお坊ちゃんなのに」 ため息一つ。 だけどやっぱり…。 形のいい耳に、おもわず囁く。 「好きだぜ、伸」 直後、自分の言ったことに自分で赤面して、頭から布団かぶって寝ることにした。 水の、中にいた。 だけど、朝の夢とは違う。 水面に近いわけじゃないのに、どこからか柔らかな光が入り込んでいて。 妙に、安心するんだ。 温かい気持ちになる。 伸、水の中は、温かいな。 <fin> |