30mバンドで獲得したWAZとDXCCアワード。DXCCルールでは、30mシングルバンドの特記はありません(その後2002年にシングルバンドが出来た)が、申請は30mバンドで得たQSLカードで行いました。WAZはZone_2のQSLを得るのに時間が掛かってしまいました。実はビューロー経由でVE8が届いていたのに、気付くのに何年か遅れてしまったのです。世界のNo.25で1997年11月30日付けの受賞ですが、アジアでは早い方だと思います。参考までに、世界のNo.1はJG6MQI/長富氏で1991年2月20日付けで受賞をされています。長富氏のこのバンドにかける情熱には頭が下がる思いでした。CQ誌DX欄の30mバンドコラムも担当されておられました。
DXを本格的に始めたきっかけは、1985年11~12月仕事でインドに行ったとき、持参した短波ラジオの40mバンドで、JAの強力な信号を聞いたからです。早朝にローカル局並みの強さでJAのSSBが聞こえたのです。そして1986年のCQ誌に、JA6HW/角居OMの書かれた30mバンドについての記事がきっかけでこのバンドにQRVするようになりました。
当時の30mは、正体不明の局や業務局が頻繁にQRVしており、よく一方的にQSYを求められたものです。中にはRSTリポートを交換してしまった局もありました。またQTH?と打つと「Your Up Island」と打ち返してくる局もありました。分かりますか?。これは未だ30mバンドが解禁に至らなかった、北方Uゾーンの島からのQRVと思われます。もちろんコールサインは打って来ません。2次業務バンドならではの経験をしたと思っております。また今では許可されないSSBの記載が免許状にあり、週末はお馴染み局とDX情報の交換をやったものです。これをワッチしていたJARLの指導員の方から、「SSBは不可!」とする赤紙を頂戴した事もあります。でも免許状には、今でもSSB(A3j)の記載が継続しております。
1988年初頭、CQ誌にJA1IFP/菅原OM担当の30mDXコラムができ、JAのアクティブティが上がりましたが、本格的に運用する局が増えたのはDXCCにクレジットできるようになってからです。それまでは、「大海原に釣り糸を垂れる」感が強く、来る日も来る日もCQを叩いていた記憶があります。
右のアンテナは、実家の30m3eleモノバンド八木と14~28MHzトライバンド4els八木です。30m3ele八木は、ミニマルチアンテナの城野氏にCR-303と言う型名で作ってもらいました。上げた1989年頃は、パイルらしいパイルなどありませんでしたが、殆ど一発で射止めていました。その後このアンテナは、18MHzとのデュアルバンダーとなって製品化されたようです。なお、手前は一風変わったGAP ANTENNAのDX-10Jですが、電気的には大変興味のあるアンテナです。3.5MHzのVK0IRはこのアンテナでゲットしました。
30mのDX運用ではJA1IFP/JA1HGY/JH1DLJ/JA3AA/JH3DJX各局にお世話になりました。おかげ様で、1988年と1889年のAceOfAces(CQ出版社)を連続で受賞することができました(写真参考)。