JH2CLV's Topics & Memorandam
April 2012

Apr 28-30. 2012  連休前半・・・農に戯れ青空工房でお茶を濁す
ゴールデンウィークが始まった。昔なら何処かへ出掛けようとなるのだが、相変わらず家周りの作業に明け暮れる。28日は午前中、通称西ノ谷津(ヤツ)で甘夏の採取、昼から葬式参列でお寺、そして再び西ノ谷津で草刈と剪定。29日は午前中カミサンの手伝いでタケノコの瓶詰め作業。その合間に自作トランシーバ改修作業で庭先にテーブルと電源を用意し青空工房。瓶詰めは火の番で釜に入れた瓶詰めを煮沸する係り。昼食を挟み2回行い結構な時間を要す。そして15時過ぎこの日も西ノ谷津の草刈を日没まで。業務用電話の転送が数件ありその対応にも四苦八苦。その晩は月1の集落の寄り合い。飲みすぎて30日は絶不調。何とか復活したのは晩飯前だった。
写真は青空工房の様子。程よい好天で明るくて作業がし易い。物好きと笑われそうだ。何をやったかと言うと、出力タンクコイルをエアダックスからステアタイト製に交換。ネットオークションで購入したがFT-101Zのモノらしい。160mやWARCバンドタップは不使用とした。しかしこのコイルの線材、エアダックス(101016)の1mmより細い。初期のTS-510やFT-400等の100W機は1mm以上あったと思うが、真空管機器の末期はこんなモノだったのか・・・。

Apr 27. 2012  このマナーどうにもならないの・・・車の割込み渋滞
毎朝R1静清バイパスを西走し静岡へ通勤する。渋滞がなければ30分の行程だが通常は40〜50分を要す。理由は、鳥坂IC〜千代田IC間が1車線しかないことに起因。しかし走ってみるとそれだけじゃない。 鳥坂まで2車線だった道路は、一つは本線もう一つは出口へつながる。 手前数百mに長崎ICからの進入、また数百m先の瀬名ICからも進入がある。 これらが絡み合って渋滞になるのだが、それだけならまぁ道路設備の問題として理解できる。 問題はここから。朝の通勤時間には鳥坂の手前で、追越し車線に数Kmの渋滞ができる。走行車線はそのまま鳥坂出口となる。普通鳥坂で出ないドライバーは追越し車線の列に並ぶ。しかし相当数の輩は鳥坂で降りるかの如く走行車線を突っ走り、出口直前で渋滞の列へ無理やり割込んでくる。割込めないと道路に立ち往生、鳥坂を出る車にまで影響を与え渋滞に拍車。この割込みは殆どが常習者で、それを快く思わないドライバーの割込み拒否も見受けられる。分岐点のアスファルトに固定されたパイロンが取れたり折れたりしている姿に争いの後を感じる。 写真は鳥坂IC手前の様子。急ぎたい気持ちは皆同じ、列の後に続けば最低限の渋滞で済むと思うのだが。何とかならないものか。

Apr 22. 2012  SSD搭載の総括
旧式のノートPCへSSD(Solid State Drive)を組み込んで好結果を得ている。客観的な評価のためにCrystalDiskMarkと称する評価プログラムを走らせて見た。手元にあるノートPCとデスクトップPCでの結果を拙作サイトのTest&Dataコーナーで紹介している。ノートPCは3台で全てIDE-SSDを実装。デスクトップはメーカー製1台と自作が2台である。左はSSD実装のHP_NX6100の状況である。サイトでは全ての測定結果を公開している。なおデスクトップPCは全てIDE-HDDであるが、これがSSD実装でどの程度改善されるのか楽しみだ。
さて今年になり近隣のお年寄りが立て続けにお亡くなりになっている。来月88になる親父は、毎朝静岡新聞朝刊の訃報欄に目を通す事が日課になっている。この辺りでは既に年頭になってしまったオヤジだが、どうも本人は昔と同じだと思っているらしい。毎朝訃報を見て唸っているが、自分のことは余り気にしていない様だ。
実は今週も親戚に不幸があり、週末はお通夜に告別式と寂しい時間が流れた。いずれは自分もかと将来を想像したりもするが、健康に注意してTakeItEasyで行きたい。などと考えているが、親父は私以上にTakeItEasyで驚かされる毎日だ。

Apr 21. 2012  遅れ馳せながらのタケノコ掘り・・・GPS-ANT仮設
既にタケノコのシーズンが始まっている。これまでカミサンが掘って茹で、そして調理したタケノコを家族で楽しんでいた。今日は1年振りに通称ヒヤミズの竹薮へ朝から赴きタケノコ掘り。3歳若いカミサンの動きは軽快だが自分は体力低下を感じ鈍い。よく見るあの小粒なタケノコは当地では掘らず、一定の大きさにしてから掘る。そして掘ってから直ぐ茹で上げる。竹薮で皮を剥き持ち帰ったタケノコは30Kg程あった。これを2つの釜で2回に分けて茹でる。タケノコは切割りせずそのままで、沸騰してから約1時間半茹でるのが当家のやり方。タケノコは柔らかく、そして風味が流れ出ない様にするのだ。火を着けてから2時間以上茹で続ける事になる。その間火の番と水の補給が続けられる、結構気の長い作業だ。来月88になるオヤジも火の番だった。
そして軒先に置いていたGPSアンテナ。手が届く程の高さで障害物が多く衛星捕捉に難。GPSロックSGの周波数精度が上がらないため、瓦屋根の中断まで上げてみた。捕捉数が増加したと思われ10MHz精度が*E-10オーダーまで上がった。オンマウスはそのGPSアンテナ。防水用にタッパーを利用、底にアンテナを貼り付け逆さにして固定している。福井単身赴任時代から使っているものだ。

Apr 15. 2012  はるみ移植完了・・・ヘトヘトの週末
昨日は一日中雨模様でウィークエンドファーマーは休業状態だった。そのため今朝は晴れているが多量の雨露が残った。7時半より「にわかファーマー」に変身・・・このコピー実はカミサンには不評、「にわか」じゃ困るって!。腰に剪定バサミと鋸をぶら下げ、手始めにレモンの枯れ枝や腐敗した実を落とし、露の落ちるのを待つ。そして懸案のはるみの移植。2週間前に手をつけた後、カミサンが奮起して幾本か移植していたが、この日7本を移植し一定の形になった。青島の老木を切り取った後へ移植する場合は、老木の切株や根を撤去しなければならない。昨年切った株なのに未だ根が生きている事があり、完全な撤去は容易ではない。ツルハシやスコップを使った土方作業、移植するより遥かに時間を要す事になりヘロヘロになりながら作業。実は右ひじを今冬痛めてしまい、握力や腕力が今ガタ落ちなのだ。それでも近所のオバサンが「あんたち良くやるねぇ!」と声を掛けてくれた。そうなると痛みを伏せながら頑張ってしまうから始末が悪い。
写真は本日植えたはるみの苗木(2年生)の一部。今は根を張らす事に専念。不要な枝葉は落としさっぱりしている。これ以外にミツバチのケアや不要木の枝払い等々と、中々終わりが見えない。

Apr 14. 2012  新東名開通ランと復元屋根裏シャックの電気工事
この日は雨模様。午前中孫の鯉のぼりの物色で静岡駒形を往復。午後上空でヘリの音…そうか今日は15時に新東名開通だ。家の西側の山を東名から新東名への連絡路が走る。その途中に「清水いはらIC」ができた。そこは何と農道から出入りする知る人ぞ知るIC。小さな看板が立てられたばかりだ。大型車が流れ出たら地区は大混乱と思っていたが読みは外れた。この後どうなる分からないが、「らしい」連絡路が必要なのでは・・・。写真は15時過ぎに通過する清水いはらICのゲート。雨の中、新東名を西走し浜北で折り返した。下りは貸切状態に近かったが、帰りは普通の込み具合になった。物珍しさか、新東名を上から覗く人々も多数。市街地は殆ど見えず、見えるのはもっぱら山と空とトンネル。家族で行く2時間の話の種ドライブだった。
さて、夜はラジオライフ発祥の部屋「屋根裏シャック」再現のための電気工事。ベニヤの羽目板を外し天井裏に入り、屋内配線の100Vと200Vを分岐。スリーブを使わず導線を巻込みハンダ処理しテープを巻く。シャックに100Vと200Vのコンセントを設置。さっそくPCを起動し無線LAN状況を確認。近い内にここにオール自作のシャックを再現させる予定だ。柱や梁に中学時代の落書き・・・あぁ懐かしい。

Apr 7-8. 2012  急な発熱と悪寒にもメゲズの週末
6日16時頃急に寒くなり足元がガタガタ。15時頃外周りから戻った時は何ともなかったのに耐え切れない。大事を取り早めに帰路に就く。燃料が空でセルフGSに立ち寄るともう大変。風に触れるだけで強烈な悪寒。足踏みでそれを押さえ、震えながら給油。帰宅しても車から降りられず暖房最大で暫く暖。直ぐ家に駆け込もうと車は玄関前横付け。カミサンの「入ったら!」で一気に2Fの寝床まで駆け上り布団に飛び込む。そんな状態が7日朝迄にほぼ回復。昨晩は体温を測る気力もなかった。朝36.2℃だったが昼まで布団で様子見。そして昼食後、両親の友人の葬式で興津理源寺へ赴く。好天で穏やかな昼下がり、建物や木々をぼんやり眺める・・・何とも言えない空間。故人の関係筋の方から昔話を伺い頷くのだが、これも貴重なコミュニケーション。 8日朝7時半、舞台と屋敷のミカンにボルドーを散布。そして昼から友人の市議後援会主催の花見に潜入。3百数十の顔顔。久し振りに同級生、地元のお歴々と歓談。架設ステージでは太鼓、元YLのフラダンス、有志のバンド演奏…等々が場を盛り上げる。皆さんの会話はアルコール変調で絶好調。予定時刻を回っても盛り上がりが続いた。提供したAKGブームスタンド2本を担ぎ歩いて帰路に就く。

Apr 3. 2012  低気圧通過で強烈な風雨
4月3日の天気は荒れるとニュースがいつになく大きく伝えていたが、当地の朝は普通に晴れていた。ところが昼頃から急変、ラーメン店で昼食を取り出てくると大雨。そして15時頃には強風を伴い、職場から見る駿府公園の木々は大揺れ状態。社内にも業務に支障が無い場合の退社勧告が出る程だった。定時に退社して家路を急ぐと、R1バイパスは突発的な豪雨と強風。ちょっと普通の風雨とは違う趣だ。帰宅してからがこれまた凄く、家の中に居ると風で家屋がキシム音が聞こええ、風が雨戸を叩く音が未明まで続いた。おかげで最近睡眠不足のところに更に追い討ちが掛かった。
写真は低気圧が通過した翌朝8時快晴のスナップ。タワーのローテータは動かなくなって久しいが、風によりアンテナの方向がEu方面からW方面に回ってしまった。マストには上から14/21/24MHzトライバンド4エレ八木、50MHzHB9CV、10MHzモノバンド八木。タワー横に144/430/1200MHzGP、Butternut HF-6V(3.5-28MHz&WARC)が見える。10MHz八木のステンレス線の同調スタブは捲れ上がってしまったが、それ以外の被害はなかった。そういえば最近DXingをやっていないなぁ・・・と独り言。そろそろローテータを直さなくちゃ・・・。

Apr 1. 2012  今年も4月…新年度だぁ
雨上がりの田んぼのミカン畑で、剪定した枝葉を軽トラに積み込む。天気は良いが雨露で軍手はビショビショで冷たい。大峰の山頂へ上り枝葉を廃棄。それに来月88になる親父が同行したいと車に同乗。ヒノキ林にミカンの枝葉を捨てる。そして親父は茂畑の畑総を眺めウォーと唸った。谷が土で埋め尽くされて何haもの平地が出来、元のミカン山の面影は全くない。子供の頃、農道整備前に歩いた山道、ミカン畑、竹薮、雑木林…何処へ行ったのか。毎週の如く見ている自分には当たり前の風景だったが、話には聞いても親父が見るのは本当に久し振りで感慨深げだった。
昼前にはるみの2年生苗を苗床からみかん畑へ移植。2年生と言っても結構根が張り掘り起こすのが大変。移植先はカミサンと親父が穴を掘り土に肥料を混ぜ作業済み。カミサンから根っ子の取扱いが雑と苦言。植物は自分で考えるから大丈夫と反発。土の中から冬眠から目覚めたカエルが顔を出し目をキョロキョロ。カエルに和まされ苦笑。 昼食は蒲原御殿山の善福寺ソバを尋ね盛りソバ定食を食う。この地も昨年9月の台風15号の爪痕が目立ち、対岸から崩れ落ちた山林の無残な姿が迫る。空は晴れているが風の強い一日だった。