Dec 31. 2005 今年最後の日・・・実家のシャック

2005年もついに大晦日だ。実家の正月支度や掃除も終え今日は出勤の為に静岡の借間に戻った。写真は何年振りかに掃除をした自宅のシャック。3年前の転勤時に持ってきたダンボール箱がそのままになっていたが、昨日何とか片付けた。右奥はオペレーションデスクでIC-756とIC-PW1が鎮座している。元々左下にあるTL-922が乗っていたが先月友人から譲り受けたIC-PW1に入れ替えた。ノートPCはPC-9821/MS-DOSマシンだが、置き場所がないのでアンプの上に置きLog用にした。中央の木製ラック上には51S-1/BとR-390Aが積み重ねてある。今でも時々電源を入れ聞いているが受信音は絶品。ラックには自作のTRCV・FM直検・IC-750Aが並んでいる。足元に菊水のVTVM(164)と芝電の低周波発振器(380)が見える。ラックの左手は自作したパワーアンプ群でリードのLK-1ケースに収めたシリーズ。時々通電するが今でも動作補償付き。その左手は無線には関係ないがALTECのスピーカーA-7。TL-922の奥は懐かしいFT-620とHeathKitの500Wダミーロード。右手前はPCラック。
来年はGU-84B/50MHzとGU-74B/144MHz、それにIC-PW1による変更申請を提出する予定だが果たしてどうなるか・・・。

Dec 30. 2005 清水の実家で正月支度

昨日実家に戻った。名古屋の家族(一部)も車で渋滞の中4時間かけて戻り合流。30日は朝から正月支度。神棚や部屋の掃除に御飾りの据付と餅つきに忙しかった。餅つきでは電動の餅つき器が可笑しくなるハプニングがあり、一時は10年も使っていない臼と杵を持ち出す一幕もあったが何とか機械で完了。御飾りもかつては藁から縄をない、ウラジロやユズリハを山野から取ってきて作っていた。しかし今は、出来あいの品を買い笹竹に縛り付け玄関や神棚に取り付ける程度になってしまった。写真は「年神さん」のすすを笹竹で払っている様子。田舎ではこの他にも神棚が幾つかあるが、先祖の思いが垣間見れて面白い。右のダルマは富士市吉原の毘沙門天から毎年買ってくるもので6個ほど並んでいて壮観。昔これを見た子供達は目を白黒だった。
オンマウスすると何とかWindows98が立ち上がったPC-98121/Xa16の様子が見える。CPUアクセラレータの影響で通常のインストールが出来ず、元のCPUも行方不明でトホホ状態だった。そこで別のPCでインストールしたHDを放り込んだら何とか起動するようになった。しかしCDドライブを認識せずドライバーのインストールが完了していない。今時こんなPCを何故と思いつつ・・・これが趣味というものか?。

Dec 26. 2005 給湯器がNG・・・ガス屋さん来訪で部屋掃除

昨夜風呂にお湯を落とそうとしたらお湯にならない。給湯器が燃えていない!。今朝不動産屋と連絡を取り午後ガス屋さんに見に来てもらった。原因は給湯器ではなくガス弁のプロテクタが働いていたらしい。ガス屋さんによると安全の為にに50分程度連続で燃えた場合はガスを停止する装置が付いているらしい。私の住まいはコンロは電気なので、ガスを大量に使うのは風呂しかない。風呂も20分程度で一杯になるはずだから・・・とガス屋さん。そう言えば前々日の24日ローカルHamとミニ忘年会をやった後、酔っ払ってお湯を落とし気が付いて栓を閉めたら水風呂だった。その時は酔っ払っていたので燃焼SWを入れるのを失念したと勘違いしていた。プロテクタは階段の下にありリセットを掛けてから約3分は水を流さないようにすると復帰するらしい。一つ偉くなった。
写真はガス屋さんが来ると言うことで久し振りに掃除をした部屋。あんまり綺麗に見えないと言う人もいるかも知れないが、自分では随分と違うと思っている。何しろバラバラだった製作中の受信機(手前)がケースに収まっているから。右端は復活したPC-9821/V200、中央はGU-84B/50MHz/KWアンプ。今年もあと数日で終わりか・・・。

Dec 25. 2005 PC-9800/9821と闘う・・・V200でWindows98復活

先週の土曜日深夜の作業の続きをこの連休に行った。作業を停滞させていたのはWindowsの起動ディスクを持って来なかった事に尽きる。あるのはMS-DOS(Ver5.0AH)だけで、付属ツールのFDISKやFORMATコマンドを行うとMS-DOSの制限に突き当たる。それでMS-DOSドライブにバックアップソフトWASHで保存してあるファイルを起動HDに解凍するが、これもやたらと時間がかかり可笑しい。色々調べるとHDがやられている模様。それで手持ちの4GBを持ち出しMS-DOSコマンドでFDISKをやる。ところがMS-DOSは512MBが限界で実行すると怪しい数字を表示し、それも上がったり下がったりで話にならない。それではという事でDOS/V機でFDISK(2GB+2GB/FAT16)とFORMATを実施してV200に実装。しかし何故かV200に怒られる。そんな作業を一昨日の深夜から昨日の昼過ぎまでやった。それで本日早朝、意を決して同僚のT氏からV200用の起動ディスクやバックアップディスクを借用してきた。それで見事復活に漕ぎ着けた。起動後バックアップファイルを起動ドライブに解凍し元通りの環境になった。写真は2段重ねにしたHD(下:Windows用、上:MS-DOS用)。オンマウスは大騒ぎの実家居間の様子。ノートもMS-DOS機で出来るのはMS-DOSの起動ディスクだけ。さて残るはXe16だ。

Dec 19. 2005 名古屋方面昨夜から大雪

名古屋に58年振りに記録的な雪が降ったらしい。雪国の積雪量に比べたら微々たるものだろうが、そのつもりで生活していないから都市のインフラは一気に機能しなくなる。高速道路、電車、バス・・・。
同僚のM氏が所用で名古屋に居たようだが、16日に車で名古屋入りし、帰る予定のこの日は高速道路が麻痺していて、結局車を諦め新幹線で帰ってきた。
18日深夜、名古屋にいるカミサンが自宅周辺の雪の模様を携帯電話デジカメで撮影してメールにして送ってきた。ところが、写りが余り良くなかったので今日再び撮影して送ってきたのがこの写真。レンズに雪が付着したのか部分的にボケているのが面白い。
自宅前の道路はご覧のとおりで17日から車に乗るのは止めにしていたようだ。この日も雪を払って様子を見ていたようだが、日が陰って気温が低下すると路面はカリカリ状態のようだ。
それにしても静岡は真っ青で雲ひとつ無い晴天が続き、富士山もくっきりと見える。同じ東海道筋なのに実に面白いと思う。また12月としては各地で記録的な大雪で、暖冬とか温暖化とか言っていたところなのに、世界的規模で何か起きているのだろうか?。

Dec 18. 2005 年賀状の印刷と宛名印刷

12月も広範囲入り慌しくなってきた。考えるばかりではダメなので、本日思い切って年賀状の印刷を行った。図案は昨年を踏襲。写真のみを今年のものに入れ替えた。おまけに撮影場所やアングルも昨年とほぼ同じ。近所のコンビににでインクジェット用ハガキをン百50枚購入。プリンタは先日購入したPM-G720、慌ててドライバーをインストールする。ソフトだけで設定出来てしまう最近のプリンタは凄い。試し印刷を行い文章内容を確認。写真の暗部がやや暗いのでγを持ち上げ修正し印刷を開始する。半分も過ぎた辺りで設定をインクジェットにしていない事に気付き修正。更に試しに「きれい」に設定すると印刷時間はかかるがその通りになった。動作は安定しているので印刷中は他の作業が出来る。
問題は宛名書き。乗り換えようと思っていて今年もまた文豪ミニ7に頼ってしまった。実家にタックシールを持参し設定を確認し試し印刷をする。プリンタから「ガガガッ」音。スライド部分にCRC5-56を吹き掛け修復。あっという間に目的を果たした。
シールを年賀状に貼りつけ郵便番号のみ手書きする。その気になれば一日で完了する作業である。

Dec 17. 2005 PC-9801/9821と闘う

昨日同僚と夕食をした際、昔のPCの話しになった。後輩のT氏が未だPC-9821/V200を使っていると豪語していた。V200は東京時代に秋葉原SofmapDから中古で買い求め使っていた事がある。オリジナルCPUはMMX/200MHzだがK6-U/400MHzを乗せてあったが現在は田舎で眠っている。またPC-9800/FAやPC9821/Xe16もゴミ同然で拾ってきたものを整備し、FAはメモリフル実装、Xe16はK6-U/500MHzを実装し、皆Windwosが起動できるようにしてあった。それでT氏の話に負けないようにこれらのオールドPCに電源を入れてみた。ところがどうだろう、まともに動いたのはFAのノロノロWindows95とMS-DOS(Ver5.0AH)だけ。V200は一度だけWindows98が起動したが、その後何をやっても起動しなくなってしまった。Xe16に至っては最初からウンともスンとも言わない。とりあえずV200を何とかしようとHDフォーマットや再インストールを試みたが、夫々の作業に膨大な時間がかかりどうも可笑しい。夜なべ仕事になったがこの日は諦め年末年始の休みの楽しみに取っておく事にした。写真左はPC-9821/V200、右上はPC-9800/FA、右下はPC-9821/Xe16・・・これ以外にRXやUVもあるがこちらはMS-DOS専用。

Dec 16. 2005 ここ2・3日の冷え込みで池に氷が張る

通勤途中にある池に氷が張っている。初氷は12月14日。そして翌15日は静岡市で一番冷え込み-1.6℃を記録した。また今日16日は氷点下にはならなかったが写真の通り池全体が凍った。気象台発表の気温はあくまでも測定点のもの。温度計は地面より高い位置にあるので、気温がプラスでも地表や水面は氷点下になっている可能性がある。また地形により冷え方が大きく違うので大雑把な情報であるこ事を認識すべきだろう。実家では既に初氷を見ているのに、マスコミは市街地の情報を大きく報じるため、同じ市内なのに食い違いになる。子供の頃から不思議だなぁと思っていたが今もって同じ状況で苦笑している。市単位で括ってしまうのは最初から限界があるのだ。
この池は自宅から1分程度の処にあり毎朝9時頃自転車で通過する。既に陽が差していたが、まだ氷は残っており小鳥が嬉しそうに氷上を歩き回っていた。寒いけど、のどかでゆったりとした風景が印象的だ。小鳥は小さく確認するのが難しいが分かるだろうか・・・中央やや下方に右向きで写っている。写真は自転車にまたがったまま携帯カメラで撮影したもの。道行く人は「あの人は一体何をやっているんだろう?」と思ったに違いない。

Dec 13. 2005 所用で大代山・粟ヶ岳に上る

所用で大代と粟ヶ岳に上った。静岡からR1バイパスを西進、島田で昼食をとり大井川を渡りR473を北進し更に県道81を大代川に沿って西進、途中から農道を左へ上る。R473を曲がった辺りの電柱に「竹下」とあり、これは1975年の「第8回静岡県青年の船」で同室だったK氏の住所であることに気付いた。そういえば後に上る粟ヶ岳は掛川市でここにも同室だったT氏が居る。30年程前に仕事で牧の原の茶原を訪れた時、偶然K氏とばったり出会い、夜になってから二人でT氏に会いに行った事がある。この地はそんな昔話を思い出させてくれる。大代への道は開墾されお茶畑となっているが、上りだした13時過ぎには既に日陰になっている畑もあり、こんな所でお茶が育つんだろうかと疑問がわいて来たりする。この日は風も強く山頂付近は風花が舞う状況で、手袋をしている指先もガチガチだった。
その後下山しR1で掛川に入り日坂から粟ヶ岳を目指した。途中に点在する集落を見ると、ここに住み着いたご先祖の心意気や思いは如何程だったかと思いが馳せてしまう。粟ヶ岳山頂は誰も訪れる人は居なかった。こちらも寒く薄く雪が積もるほどだった。諸作業を終え16時半帰路に就く。
写真は14時頃、大代山頂付近からの島田・大井川方面の眺望。

Dec 11. 2005 実家でミカン切

朝8時実家へミカン切りの手伝いに帰る。天気は曇りだが風が無いので寒さは感じない。むしろ昨日までは天気は良いが風があり寒かったようだ。ミカン切りと言っても通常のミカンである温州ミカンではなく、地元の特産太田ポンカンを切った。実家の南にある小高い山に畑があるが、実家も含めこの辺一体を伊野川原(いのがわら)と呼び、山間から流れ出た水が沢となって本流の山切川に注いでいる。この季節の沢には殆ど水は流れていないが、雨が降ったり台風が来ると大暴れする。この日は両親と姉夫婦、それに私の5人で凡そ1.5t余りのポンカンを収穫した。太田ポンカンは地元の太田氏が昭和20年代に発見した枝変わりに端を発している。温州ミカン全盛時は日の目を見なかったが、全国的な生産過剰となった昭和40年代後半になって注目を集め出した。太田氏は私の父と親しかったが既に没されている。父はミカン接木の名手で、ポンカンの新芽を丈夫な台木に接木して苗木を育て、関係者に頒布するなどして栽培本数を増やしてきた。地元の柑橘生産者の努力で太田ポンカンの生産量と知名度は上がった。写真は伊野の畑の太田ポンカンと、16時過ぎにわかに陽が差し夕焼けとなった実家アンテナタワー越しの裏山。

Dec 10. 2005 Linux "Fedora CORE 4"のインストールに挑戦

何気なく立ち寄った本屋さんに毎日コミュニケーションズのLinux Fanと言う雑誌があり思わず衝動買い。Linuxと言えば東京単身赴任中にVine Linux(CR)を後輩より譲り受け楽しんでいた事がある。インターネットは56KBモデムでやっていたが、その後ADSLに変更したがVine側のドライバーがLanカードに対応しておらずブロードバンドは棚上げになっていた。その思いが何処かにあり、Fedora CORE 4と言うLinuxが付属し、詳細な説明のあるこの雑誌は非常に魅力的だった。
実は2日前からインストールを試みていたのだが、手持ちHDでは容量不足でインストーラに叱られていた。4年程前Vine Linuxの容量は非常に少なかったのだが、最近はGUIが発展し結構な容量を必要とする。本日マルツ電波で80GBのHDを購入。インストールはブートをCDドライブに変更し、全てCDから行うことが出来る。
無事インストールを終えると何もしなくてもインターネットにつながった。Vineから足掛け4年、Fedoraに至ってようやくブロードバンドが可能になった。なおLinuxのPPPoEツールがどうなっているのか分からないためCoregaのルーター(CG-BARMX)を併せて購入し設置した。写真はFedoraのディスクトップとオンマウスは付属の上海ゲーム。

Dec 9. 2005 20年振りに上った日本平

凡そ20年振りに日本平に上った。前回は次男が誕生した時に長男の子守で旧清水市内を車で走り回った時以来である。その長男は既に22歳に、次男は20歳になった・・・早いものである。
写真は日本平山頂付近から北方面を臨んだ写真。普通のお決まりショットは上手に三保や清水港を入れ、下手に駿河湾越しの富士山を入れるのだが、田舎の庵原地区(静岡市清水区庵原学区)を中央に配し、富士山は上手に追いやってみた。オンマウスすると庵原地区のアップを見ることが出来る。ちょっと分かり辛いかもしれないが、東名清水IC越しに庵原中学校や三池平、更に第二東名高速連絡路工事中の様子が伺える。この第二東名高速連絡路の向こうがオーナーの郷土である山切地区になる。
もう40年以上も前のことだが、日本平展望台の望遠鏡から見る郷土は東名高速も無く、庵原田んぼと庵原農協の工場、それにミカン山だけだった。随分と様変わりしたものである。
また日本平山頂も地上デジタル放送のタワーがそびえ周辺も綺麗に整地されていた。写真にはないが、アナログTV放送が終焉を向かえ、鉄塔や局舎が取り壊されるのもそう遠い日ではないのだろうか。

Dec 7. 2005 EPSONのプリンタPM-G720衝動買い

12月4日に静岡市のコジマデンキにEPSONのプリンタPM-G720が\9980で出ていたらしい。
これを見て衝動買いした同僚が翌5日その自慢話を始めた。昨年のモデルだが思いあたる安売り案内サイトを見ても、この価格で販売しているところは無かった。それで無くなるといけないと思い電話で確認すると在庫は十分であった。ところが日曜日は期間限定の安売りと言う事で、現在は\10800との事。 しかしそれでも何処よりも易いことが分かり、後輩に依頼し翌6日に買ってきてもらった。
単身赴任にはプリンタを持参しなかったので、年賀状印刷をどうしようか考えていた処に吉報だった。またCD/DVDへの印刷も簡単に出来、一昔前のプリンタとは違う機能やソフトが付加されていて驚く。
このPM-G720を本日7日、自転車のカゴに箱ごと突込みヨロヨロ状態で自宅に持ち帰った。
山積みになっていたようなので、近隣で興味ある方はお尋ね下さい。写真はEPSONのPM-G720のサイトへリンクさせて頂いたものです。

Dec 4. 2005 ARRL HANDBOOK 2006とQST 12月号

3日の結婚式の帰路、東名高速守山サービスエリアで途中下車し名古屋の自宅に帰る。既に届いていたARRL HANDBOOKを手にした。丁度QSTの12月号も到着していた。今年のHANDBOOKは80周年記念という事で、1926年版HANDBOOKが復刻され付属している。現在のHANDBOOKの正式名称は「THE ARRL HANDBOOK FOR RADIO COMMUNICATIONS」でAMATEURの文字が見えない。ところが1926年版は「The Radio Amateur's Handbook」としている。その内容の違いに80年のラジオエレクトロニクスの変遷を感じるが、今のが敢えてAMATEURを冠していないのが興味を引かないだろうか。
1926年版の末尾には部品メーカーの広告がある。その中にあの3極管を発明したDE FORESTの会社が誇らしげに当時は珍しい写真を入れているのが目を引く。アカデミックな人達と事業が結び付き出した時代を感じさせる。
2006年版はHFリニアアンプの製作例にEimacの3CX1500D7が登場している。久しく続いたロシア球旋風がやや静まった感もある。いずれにしてもこのボリュームある図書を毎年更新し続けるヤンキィ達のパワーと文化には敬服する。

Dec 3. 2005 2年振りに京都に降り立つ・・・結婚式に参列

親戚の結婚式が京都で行われ親族一同大挙して京都に赴いた。前日帰省し名古屋から出発する予定でいたが、新幹線を団体予約したと言う事で同行する事になった。8時50分にJR静岡駅南口に集合、9時14分の「ひかり」で出発、10時40分には京都に到着した。
京都は2年前の仕事以来だ。12月ともなるとさすがに寒く、車窓から見る街路樹や山々の木々の色がそれらしくなっている。
さて今回の目的は結婚式と披露宴。今時の結婚式は色々な形があるもので、写真はホテルロビーで行われた式の模様である。神父さんと怪しげなコーラス隊が配置に着くと新郎新婦が入場し階段を上り誓いの言葉を述べる。式は親族以外に道行く人やホテルのお客さんに丸見えの環境である。非常に開放的で結構なことであるが、可笑しな輩が飛び込んできた時はどうするのか?、と一抹の不安もある。
式が終わると親族の紹介や写真撮影があり披露宴になだれ込む。皆さんから放たれるスピーチは夫々に味があって興味を引く。こういう場は綺麗に取り繕うより、真実を素直に語った方が勝ちのようだ。
静岡から駆けつけた皆さんは比較的おとなしく過ごしたが、帰りのバスの中では皆さん絶好調だった。新郎新婦さまゴメンナサイ。