JH2CLV's Topics & Memorandam
December 2015

Dec 30-31 正月準備に奔走
昨日作ったお飾りは、カミサン曰く「29日は縁起が悪い」らしく据え付けは控えるらしい。今まで気にしたこともなかったが、お飾り講習会で入れ知恵されたのかも知れない。それで据え付けは30日に行う。年越準備で31日も含めあっという間に時間が過ぎた。神様やお墓の清掃と飾り付けに奔走する一方、年末の挨拶回りや買い物に時間が割かれるからだ。
家には複数の神様が祭ってあって面白い。歳神さん、おいべっさん、大黒さん、火の神さん、地の神さん、達磨さん、そして仏さん。それぞれにお飾りを付け、榊を立てお鏡餅とお神酒を供え、更に元旦には雑煮も捧げる。
写真は玄関に飾った三つ編みのお飾り…カミサン製作。意外とサマになっていて違和感がない。自作!と告げると驚かれる人も多く、殆どの人が出来合いで済ませていることが分かる。オンマウスは家の北側の地の神様。こちらには簡易なお飾りと榊に鏡餅を供える。
神様の多さに唖然とするが、昔からの事なので何の違和感もない。適材適所で神様を使い分ける農村文化の合理性も感じる。
ところでお神酒のお酒が余ったため、久し振りに日本酒で蕎麦を食い、紅白観戦し新年を迎えた。色々あった2015年も遂に終焉。

Dec 29 正月飾り製作に取り組む
もう何年も昔のことか忘れてしまったが、正月のお飾り製作は各戸自前で親父の仕事だった。藁をないウラジロとユズリハ、そしてダイダイを取り付け笹竹に固定する。子供ながらに親父のやることをしっかりと見ていた。ところが親父も70を超えた辺りからか、作業が面倒になり、出来合いの品に依存するようになった。今年もそのまま行くのだろうと思っていた矢先、カミサンが自治会婦人部OBの集まりで妙なことを始めた。そう、講師を招いてお飾り作りを始めてしまったのだ。まさか自分の手で作ることになるとは…カミサンの思惑に見事にハマってしまった。だいたい彼女、縄をなったこともないのだ…。
写真は神棚用の大根薪を藁でなっている様子。だいたい藁を「なう」なんて言葉最近使ったことがないし、若い人は言葉そのものを知らないかもしれない。オンマウスはカミサンが挑戦する三つ編み。大物から小物まで、ああでもないこうでもないと、記憶を辿りながら試行錯誤のお飾り作りとなった。その間カミサンと言葉の応酬があったのは言うまでもない…何で右薪じゃダメで左薪?誰が決めたのとか。
ところで藁以外の材料は全て家の周りで揃ってしまうから面白い。米を作らなくなったから、藁は買ってくるしかない。それから藁を叩いて柔らかくする木槌や霧吹き等の道具も自前で揃う。

Dec 28 御用納めに名古屋往復
28日は暦通り出勤だが、14時から名古屋で会議が急きょ招集され往復。御用納めの日で、諸々の予定があったが取りやめて赴いた。僅か1時間の会議の殆どは、話を聞くことが主たる内容で、終わりに僅かの議論があった程度だった。15時でとんぼ返りし、17時半から始まった勤め先の納会で一年の業務を締め括った。
写真はJR名古屋駅で新幹線の乗降時よく立ち寄るきしめん屋「名代住よし」。13時頃の撮影したモノだが、手軽さから一日中人が絶えない。妙なきしめん屋へ入るより、選択肢やコストパフォーマンスがグッドでお奨めだ。この日はイカ天きしめんを頼んだつもりだったが、自動販売機のボタンを押し間違え天玉きしめんを食したが、こいつも中々グッド。
オンマウスは久々に写真に収めた名古屋テレビ塔(久屋大通り)とセントラルブリッジ(桜通り)。TV塔は放送用VHF-TVアンテナやマイクロ波FPU受信基地設備が撤去され、昔のイメージと大分変わってしまった。現在はV-High(200MHz辺り)を利用したマルチメディア放送(JAPAN MBILECASTING)が行われているが、その存在を知る人は少数だろう。またその将来も気になるところである。「NOTTV」と「モバキャス」がでサービス終了宣言(来年6月)をしたばかりだから…。

Dec 26-27 はるみ他の後拾い完了…早朝の月
26日、気になっていた田んぼのミカン畑で後拾い。青島とはるみが対象だが、早生の苗木に紛れて成長したポンカンが1本あり僅かだがそ れも。青島は完熟で、どの実を食べても当地らしい濃い味を出している。残していたはるみはほぼ色が来たが、中には全く色が来ないものもある。後拾いと言いながら100Kg近い収量で、其々貯蔵庫に収納し年明けの撰果と出荷を待つ。
写真は収穫したはるみ。まだ薄黄色のモノもあるが、2月初旬まで貯蔵すると色が着くから面白い。デコポン似でお尻が突起したモノは、はるみとしての価値が落ちるのでブランド化を目指すJAは好まない。味は変わらないので殆どが戸配に回る。小玉も同様だが私や家族は小玉が大好きだ。樹木の大きさに不釣り合いな、多量の実を生らすはるみは手が掛かるが、爽やかな甘味は最高だ。
オンマウスは27日朝7時前の西の空。清水いはらIC付近に沈む満月を、工房屋根のR7000越しに撮影したもの。前夜隣組で今月の寄り合いが有り程良いアルコール変調の翌朝だ。この日はマイナンバーカード申請用の写真撮影をカミサンのご両親宅で実施。復活したプリンタで印刷して申請書類を作成・発送。簡単に指定の45mm×35mmに変換できると思い込んでいるカミサンは気楽なもの。

Dec 23 いよいよ年賀状印刷
朝から曇天で、11時頃ついに雨。縁側の藤の敷物をじゅうたんに交換するなどカミサンと二人三脚。ソファやマッサージ機があり1人では容易ではないのだ。
雨のおかげで、不調だったプリンタにケリ、新しいプリンタをヤマダ電気へ物色に行こうとした。これカミサンの強い要望。念のため今一度テストプリントを試みる。するとビックリ。あのWindowsフラッグとテキストが綺麗に印刷された。これにはカミサンもビックリ。今夏、あれほど試したのに全く印刷されない状況が完全復旧だ。半死に状態の別プリンタの青色印刷でテキスト印刷していたのが嘘の様だ。
ヤマダ行はあっさり取り止め、年賀状の裏面印刷作業が始まる。文案や写真は孫達をあしらおうとしたが、カミサンの助言で取り止め、自分たちのことでまとめた。
さて肝心の印刷は問題なき様に見えたが、とんだ落とし穴が発覚。ハガキの装填枚数を増やすと複数枚を一緒に噛み込んでしまう現象が発生。幸い書き損じは無かったが、これは20枚程度ずつ装填することで難を逃れた。
後日宛名書きを行う予定だが、不安を隠し得ない状況だ。プリンタには本当に泣かされ続けている。

Dec 20- イタリアから届いたクリスマスカードと深夜作業
2001年にイタリアのクレモナに家族で移り住み、本格的なバイオリン製作を始めた後輩で友人の菊田氏から、電子メールでクリスマスカードが届いた。スポットライトで浮かび上がったスクロールとペグ部分を滑り台に、これからサンタがソリで流れ出ようとする、彼らしい遊び心を感じるカードだ。オリジナル画像は800x533pixだったが、アスペクトを4:3の320x240pixに変更させて頂いた。
2001年にイタリアに渡ってから早いもので15年になる。バイオリン製作者の世界コンクールでグランプリをとるなど、いまや国際レベルで活躍をされている人物だ。
かつて同じ職場で番組制作(音声・撮影)に励んだことが懐かしい。40を過ぎてから、自分の夢を追いかけてイタリアへ渡ってしまう勇気と決断は、一体何処から出てくるのだろうか。ひょっとしたら、本当はご本人でも良く分からないのではとずっと思っている。こちらからは再開を夢見て近況を撮影した写真を返送した。
この日は深夜から明日朝にかけて富士宮の馬見塚で仕事があり赴いた。その往路、富士のJA2FTL井上氏のところで恒例の忘年会があり挨拶に立ち寄る。午前中からBBQにアルコール変調で羨ましいの一言。ところで真夜中の仕事は夜明けまでに無事終了した。

Dec 19 スルガエレガントに落下防止剤散布
舞台のスルガエレガントが色付いている。収穫初年度だった昨年は、寒さの後の落下で苦渋を味わった。その反省から寒さが来る前に落下防止剤を散布することになった。30リットルで足りるとカミサンが宣言したが、ちょっと心配なので40リットルで薬調。ところがそれでも数本を残すハメになり、再び少量の薬調を繰り返し、50リットル弱でようやく全てに散布完了。その間カミサンからかけ方が悪いとか、私ならかけ切れたのにとかブツブツ。
ところでこの散布の効果が如何ほどのモノかは来年の2月か3月頃にならないと分からない。ちょっと楽しみである。昨年は凡そ500Kgの収穫があったが、今年は如何に…。
写真はスルガエレガント越しのアンテナ&タワー。タワーの前に四つ溝の渋柿を生らした柿木が有るのだが一寸分かり難い。左に僅かに見える高架道路が清水いはらICで、東名と新東名を結ぶ連絡路の途中に位置する。
ところで、今年の暖冬はどうなっているのか。昨年の日記を紐解くと、12月18日に-4.5℃、そして19日には-3.5℃を記録し氷も張っている。しかし今年は一番冷え込んだ朝でも+2.7℃程度である。この先どうなるのだろうか。ちなみにこの日、朝6時半の気温は3℃だった。

Dec 16 師走の一日…県内を走り回る
この日は所用で静岡富士山空港と由比の秋葉神社を訪ねた。そもそも空港や神社そのモノに用事があった訳ではなく、そこに設置してある設備のメンテナンスが目的。
写真は13時40分頃、清水区由比地区の秋葉神社から見下ろす由比地区。富士山が雪をいただいていて綺麗だが、この大きさに縮小すると印象が弱い。 右が駿河湾で、東名高速道路、R1バイパス、JR東海道線、旧R1が並ぶ東西交通の要所だ。余り知られていないが、由比地区や東側の蒲原地区からは、この要所が遮断されても旧富士川町(現富士市)へ山越え出来るルートがある。
そう云えば、清水の秋葉神社の祭り「秋葉さん」が15〜16日であることを思い出した。子供の頃は必ず家族で出かけたものだが最近はどうなっているのだろうか。
オンマウスは静岡富士山空港10時頃の写真。遠方の稜線の左端がに粟ヶ岳と思われる。斜面に樹木で「茶」文字が記されているのだが、このサイズでは確認できない。
凡そ3時間(9時〜12時)程滞在したが、その間に着陸が1回あっただけで、何とものんびりした空港だ。飛行場なのに飛行機が1機も見えない時間が圧倒的に多い。

Dec 11-13 週末の諸々…
11日(金)はJA2BNV山形OMと最期の分かれに北名古屋市へ赴いた。東名高速と東名阪道を乗り継ぐ道中、過去の思い出が頭の中を過った。色々あり過ぎて一言では語れないが、東京単身赴任から戻った2002年頃、OMの要請でGO-84B/50MHzアンプを一緒に完成させた思い出が、ひと際強い。写真はOMが4CX1000Aアンプを改修してGU-84B化工事中のスナップ。GU-84Bとソケット、そして30Kg近い電源トランスを共同調達し、それをハンドキャリーした事も懐かしい。会社の喫茶コーナーや今はなき龍園支店でのアンプ談議も忘れられない。ただただご冥福をお祈りするばかりだ。
今週末12日(土)は、伊野と屋敷のポンカンの後拾い。午前中は好天だったが、午後から曇り出し、そして晩には雨。それでも70%着色分約500kgを取り切り、僅かを残して完了。13日(日)は雨で農作業は中止。代わりに家周りの雑用に追われる。久し振りに紙ゴミの焼却や、カミサンの要請でじゅうたん・カーテンの物色、親父の命日を控え未処理の不用品の整理等で一日が過ぎる。
もう12月も中旬との言うのに、公私において未対応の案件が複数あって、落ち着かない年末になりそうだ。
オンマウスは大野市のJA9BOH前川OMより届いた恒例のサトイモ。

Dec 8 訃報…JA2BNVサイレントキー
JA2BNV山形OMが7日21時頃サイレントキーとなられた。72歳だった。 今年のハムフェアは、体調を崩された後で大事を取られ不参加だった。その後の経過は順調と伺っていたので安心していた矢先だった。公私共にお世話になり、訃報に接した時は「あの元気な山形さんが…」と耳を疑った。ひるがの高原の別荘で、日中アンテナ設置作業をされた晩に容体が急変し救急搬送されたと、同行されていた奥様が今夕OMの携帯で知らせてくれた。淡々と話されていたが、OMにずっと連れ添われてきた奥様の心境は察するに余りあるものだった。御冥福をお祈りするばかりだ。
写真は2011年6月18日、北名古屋市のご自宅を訪問した時のスナップ(奥様撮影)。机上にIC-7800やAIWAのリボンマイクが誇らしげに鎮座し、棚には自作3-500Z/50MHzアンプとTL-922。写真では見えないが足元に私と共同製作したGU-84B/50MHzアンプが設置されている。50MHzへの拘りが色濃く伝わってくるシャックだった。
オンマウスは昨日と今日の出張先、伊東市街。中央はR135。本日の帰路、亀石峠を越えようとしていた15時半頃、JA2QXY/JN1DNG川村氏から訃報が入った。24時頃、OMとの写真を眺めていたら、このままでは床に就けないと急に思い立ちこのメモを記している。

Dec 6 伊野太田ポンカン定植後初収穫…SAMSUNGのSSD実装
写真は、1年生苗木を定植して3年目の伊野のポンカン畑。今年から実を生らし(今までは木を強くするために落としていた)たものが色付き収穫を行ったあと。収穫は色の来た物を採ったので、残ったポンカンは黄色く未だ青みがかっている。それでも温暖化のせいか成長が早く、屋敷のポンカンより味が良い。一部カミキリ虫にやられ枯れてしまった木もあるが、それでも元気に成長して実を付ける様は見ていて頼もしい。
オンマウスはNECのVersaPro/VY25AAZ7A(Windows7)をSSD(SAMSUNG)へ換装するためのコピー作業中のスナップ。これにより、今まで45秒も掛っていたデスクトップ音出までの時間が25秒に短縮されビックリ。これに気を良くして、もう一台あるVersaPro(Windows10)もSSD化。こちらは何と59秒掛っていたところが25秒に短縮され再びビックリ。
ところでこのSSD、ドライブがスリープ状態で、Windows(OS)からドライブが見えない。当初は何かのトラブルかと思ったが、購入した2台とも同様。Windowsのシステムツールでドライブを見るとやはり割り付けされていない。ドライブ設定とフォーマットでようやくドライブを認識し、付属のコピーツールが使える様になった。

Dec 5 太田ポンカン初切り…見上げるタワーのアンテナ群
例年より半月も早く太田ポンカンの収穫が始まった。藤枝姉夫婦の支援を受け、この日は約1.2トンの収穫。貯蔵を基本としているが、今の段階でも十分に生食に耐える。早生や青島温州と同様に、全体に生育が早く驚く。
この日は写真の如く快晴で、青空に太田ポンカンと無線アンテナが生える。ちなみにオンマウスはアンテナタワーの上部。この1年間に2.4GHz帯の北向きグリッド・パラボラと無線LAN端末(茶箱)が設置され更に賑やかになった。これは1.7km先の大峰山頂に設置予定のリモートシャックやWebカメラのLAN回線用だ。何時になるか分からないが、来年以降の目標になってしまいそうだ。
なおアンテナの詳細は、上から14/21/28MHz/4エレ八木、50MHz/HB9CV、10MHz/3エレ八木、ANT切替器(AMERITRON)、1.8-50MHz/Windom&ATU(MFJ-998RT改)、1.9/3.5MHz/InvVee、144/430/1200MHz/GP、2.4GHz/グリッド・パラボラ&LAN端末。ただしワイヤー系アンテナはこのサイズで確認出来ない。
ちなみにローテーターはクリエイトデザインのRC5A-3だが、漏電が原因と思われる障害が発生しており、ここ10年以上北を向いたままだ。何とかしなければと思ってから久しい。

Dec 1 今年も早や師走
今年も早や師走。12月になってしまった。今頃になってやり忘れたこととか、リストしてもやれなかったことの多さに気付く。このまま来年の目標になるのだろうか…。残された時間は潤沢に有る訳ではなく、焦るばかりで瀬戸際の毎日になりそうだ。
写真は先月より本格的なデータ取りを始めているTOKYO-HYPOWERのHL-2.5KFX(下)とTHAMWAYのDXV-501Lのリニアアンプ。HL-2.5KFXはその増幅デバイスARF-1500に興味が有り、友人からの打診に二つ返事で応えQSYが成立したもの。データシートにはapplications up to 40MHzとあり、28MHz辺りではその影響を感じる。エキサイタやアンプに50MHzが含まれる時代に、どうしてHF専用アンプを製品化した意義に興味が及ぶ。またDXV-501LのデバイスはシリコンカーバイトSTC2450。トランスレスで手の平に乗る大きさから、500Wが連続キーダウンで取り出せるなど想像もつかない。
この日は無線回線の調査があり富士市や富士宮市を走り回っていた。心配していた天気は快晴でポカポカ陽気となったが、時間の経過で気温の上昇を招き、見通しはイマイチだった。普通なら12月と言えばしっかりと冷え込み、やや風が有って絶好の見通しシーズンになる筈なんだろうけど…。オンマウスはその出向途上の新東名。

Nov 29 休む間もなくミカン撰果と肥料撒き…ところが
朝からカミサンと藤枝姉が30日出荷用の早生ミカンの撰果を始めた。自分は力丸君で肥料6体(約120Kg)を田んぼのミカン畑へ運び、収穫の終わった青島を中心に撒きだしていた。
ところが1/3程済ませた10時半、業務連絡が有り急きょ出勤。作業を終えて戻ったのは15時過ぎだった。出勤のついでに、別の予定していた業務もこなそうと、静岡市内の葵区→清水区→駿河区と車で走り回っていた…実にけな気だ!。残った肥料撒きは16時過ぎにカミサンと一緒にやり完了するが、袋の開け方でやり方が違うとカミサンとやり取り。自分は必要以上に口を広げないが、カミサンは全部開けてしまう…どうして?などと。一日中動き回っていて中々休ませてくれない週末だった。
写真は本日15時半頃に上った大峰の茶畑からの富士山。ここに来ると何故か落ち着く(リモートシャック&Webカメラ用地)。曇天でも空気が澄んでおり富士がくっきりと見える。陽が出ていれば稜線にエッジが付き赤く染まるのだろうけど…。でもここは、やっぱり新緑の時期がベストかも知れない。オンマウスは翌々12月1日の7時過ぎ、新東名新清水IC付近から見る富士。仕事で富士宮へ赴く途中だが、何処から見ても富士山は良い表情をしてくれる。