当地(伊野川原)の南の集落(奥平)にある半僧坊さんの建屋が、老朽化が進み取り壊すことになった。2・3日前に地区の皆さんが集まり終焉の勤めを行った。祠にしまってあった品々が取り出され、地主殿のお宅に保管されることになった。そこで、故人が彫った仏像が幾つか見つかり、先輩が刻まれた氏名を見て、どうも当家曾祖父(初代)の名前ではないかと28日連絡があった。そして29日、年末挨拶で地主殿を訪ねた際、保管された仏像を拝見する。間違いない、曾祖父「望月辰次郎」の名前が彫られていた。さらに「明治廿四年正月刻主」と添えてあった。曽祖父は彫刻が好きで、自宅の仏様にも曾祖父の手による仏像が一体供えられている。仏像は大小五体あった。全てに名前が彫られていた訳じゃないが、彫り方からして同じ彫り主であることは容易に想像できた。全てをお預かりして家の仏さんに並べ新年を迎えることになった。数えると134年振りの帰宅ってことになる。 ところで状況が変わらないリモートシャック。風が強く寒いため、CPE710の交換作業は二の次になっている。オンマウスは27日、もう少し状況を観察しようと収容箱で調査を進めている。写真はスティックPCへKBを繋いでIPアドレスを手打ちている様子。ローカルデバイスは皆見えるのに、自宅側が全くダメで、インターネットもダメ。しかし軽トラ(CPE510)からアクセスすると、山頂も自宅もデバイスは全く見えないが、インターネットへは出られる。これ一体何?。そのまま2025年へ持越しになった。 |
温州ミカンや中晩柑の太田ポンカンやはるみの収穫は既に終了し、現在は粗選果を済ませ貯蔵体制になっている。しかし汁見谷には不知火の木が数本あって実を生らしている。1月の大寒辺りまでは生らせておきたいとそのままにしてあったが、気になり様子を見に行った。もう周辺のミカン畑には殆どミカンは無くなっていて、不知火も良い感じで着色が進んでいた。このままだと、鳥が最後の餌場だと言って集まり出す果も知れない。ダメ元だが、汁見谷の東側フェンスに設置してあった鷹カイトを、不知火の直近(北側フェンス)い移設してみた。頭の上で鷹カイトがバサバサと舞うので、それなりの効果は期待できるかも知れない。本当なら、果に袋を掛けて大寒を通り過ぎ木生りで出荷したい位だが、そこまで元気がない。 ところで最寄りのビニールが飛び骨だらけになったハウスのゆら早生が気になった。殆どケアを忘れていた様なもので、このところの感想や久しく雨や降らない天気が気になっていた。草もほぼ刈れた状態になっていて土を出で掘ると、大分乾いている。それで思い付いたように、ゆら早生に水やりが始まった。1本に1分程度(20リットル)水をやると、全部終わるのに1時間程度はかかる。さすがに地面の吸収が良く、流れ出すこともなく、自然に地面に吸収されて行った。御礼肥えやマシン油の散布をやりたいが、気持ちばかり焦り苦笑している。 |
12月21日の電波教室の際、半田付け面を診るのに便利だと、藤枝の先輩S氏が写真の様な顕微鏡カメラを持参された。半田付けの状態を診断するためだが、撮影したクリアな映像に一同驚いた。ことのついでに、これで不良になったSSPAのLDMOSのセルを撮影出来るのではとピンときた。無理を承知で借用をお願いすると二つ返事でOKとなり、当日の夕方持ち帰り、早速に上蓋が外れNGになったLDMOSのBLCU188XRSを乗せてみた。説明書は無いが、電源を入れると出て来るメニューに3つの項目がありテキトウに選んで操作している内に何となく使い方が分かって来る。USB端子があり、これをPCへ繋ぐとメニューに応じてPCがメモリデバイスを認識するので、PC側へ画像を取り込むことが出来る。これでこれまでルーペに依存していた目視作業やデジカメの接写から解放される。画像をクリックするとセルの拡大画像が表示される。 ところで先日、カミサンがオーブントースターが壊れたと騒いでいた。名古屋時代からのシロモノで、既に四半世紀以上は使っている。調べるとオンマウスのタイマーがダメで空回り状態。Amazonで類似品を見つけて投入すると見事復活。リード線の取り外しと取り付けには半田付けが必要。カミサンは、折角新しいのが買えると思っていたのに、そのチャンスが潰れたと、治ったのに機嫌が悪い。女性ってのは皆こんなもんなんだろうか。この感じでは死ぬまで使えそうだ…。 |
7日前にリモートシャックへ接続を試みたが繋がらない。山側CPE710をはじめStickPCやLAN_IO、そしてカメラもネットワーク上に見えない。過去の経験から、絶対にバッテリLowでCPE710が停止していると思った。所用で赴いたついでに、収容箱内を見るとバッテリは14.1Vを示し、StickPCも動作している。しかし自宅サーバーや前記のデバイスが見えずインターネットもダメ…可笑しい。ところが、軽トラPCとCPE510でCPE710(AP)へアクセスすると自宅経由でインターネットへ繋がる…何だこれ。自宅PCのネットワークツールで自宅側CPE710を覗くと5.6GHz帯の電波は不感。それでも山頂から自宅経由でインターネットへ繋がるなんて…あり得ない。山側CPE710のPOEかも…悩みが続いている。 前世紀からお世話になっている技術評論社の「電脳会議」が、vol.228を最後に冊子配布を終了、WebのPDF版に集約された。最近は年6回だが、昔は年10回の時代もあった様に記憶している。228回も出したと言うことは、年10回でも23年近く、6回なら38年…創刊が何時だったか技術評論社へ問い合わせ中だが、記憶では未だMS-DOSを転がしていた様な気がする。PC情報や書籍の案内を要領よくまとめてあり、時代を知る貴重な冊子だった。 写真は久し振りに訪れた夕焼けに染まるリモートシャック。まるで火事みたいだ。オンマウスは電脳会議vol.228最終ページで告げる冊子配布の終了…クリックで拡大。 |
今朝7時の気温は、自宅玄関の温度計では-0.1℃だった。もしかしたらと、貯蔵庫前のバスタブへ走ると、しっかりと初氷が張っていた。まぁ年内に凍れば例年並みと言えるだろうか。昨夜は布団に入っても寒さを感じ、中々寝付けなかったし、寝付いてからも寒さで目が覚める程だった。まぁ厚めの布団1枚で、毛布も掛けていないから当然と言えば当然だが、それまでの寒さとは違っていた。起きてから温度計を見てやっぱりかって感じだった。写真はその初氷。手で割って氷の一部を手で摘み上げた様子。厚さは3〜4o程度はありそうだ。家の前のミカン畑は一面霜が降りていたが、舞台のスルガエレガントは?と、裸足にツッカケ姿で赴くと設置した扇風機の効果が出ていて。殆ど霜が降りていない…シメシメだ。日本海側では雪が降り続き、太平洋側は好天だが乾燥して冷え込む天気が暫く続きそうだ。 ミカンは切り上げたが、貯蔵庫にはミカンの詰まったコンテナで溢れかえっている。この日も遅れている貯蔵作業を行った。十分な余措後、初期腐敗を取り除くが、今年の青島は意外と腐敗が少ない。青島は写真の様にモロブタへ収容し、加湿器で湿度を与えて貯蔵体制に入る。ポンカンは殆ど腐敗が無い。L未満を木箱、L以上をコンテナに収容し、日中10℃以上に上昇する貯蔵庫南室で熟成を続けるが、主たる目的は糖度向上と着色推進。 |
両河内生涯学習交流館で「電波教室」(両河内生涯学習交流館・静岡県電波適正利用推進員協議会共催)が行わた。
両河内地区は清水区の北端に位置し、北側の山脈は山梨県との県境になる。 両河内?と聞いた後、ここでラジオが安定に受かるのだろうか?と疑問を持ち、カーラジオによる受信調査と挨拶(開催日確認)で現地を訪ねたのが7月3日。その後複数台のラジオを持参し会場での受信テストを7月23日行い「AMラジオキット」製作を決め、25日には急遽製作した実機の「AMラジオキット」で交流館周辺での受信確認。11月20日15時最終打ち合わせと、資材調達等の準備を着々と進めていた。 そして12月21日(土)当日を迎えた。写真は交流館の講義室・会議室(2室)をぶち抜いて行われた電波教室の様子。この日は12組の生徒と親御さん、交流館協会の見学、推進員協議会名古屋事務局からの参加もあり、大いに賑わった。奇しくも冬至と言うこともあって、終了した16時半には山間地と言うことも手伝い辺りは薄暗くなっていた。ラジオが鳴った時に、表情が一気に明るくなる子供たちの姿はここでも同じだった。参加者も関係スタッフも十分に楽しめた一日になったのではと思う。皆さまお疲れさまでした。 |
青島とはるみの収穫が一区切りついたと思ったが、着色の遅い田んぼの青島や、実験的に栽培している屋敷のセトカ2本の収穫が残っていた。20日はセトカの収穫から始まった。屋敷の畑は陽が昇る前は霜が降りていて寒い。日が昇ってから収穫をはじめると、みるみる内に霜が解けて行く様子が足元で見え面白い。セトカは梢に立派なとげがあるため、心して収穫しないとトゲで果を傷めたり手や腕にキズを負うことになる。また、収穫前に強風が吹くと、トゲで自らの果を傷めるので管理が面倒な柑橘だ。今年は写真の様に、例年になく玉が大きく奇麗だ。葉付きで撮影してみた。オンマウスは後拾いした田んぼの青島。多くが定植して数年の若木から採った物で、多くが真っ青で心配になる。しかしこれが、来月後半には真赤になるから面白い。軸太の粗皮果は出荷できないが、そうでないモノは4L玉として十分出荷できる。 さてこれで年内の柑橘収穫に一定の区切りがついた。残りは年明け後に収穫予定の汁見谷の不知火が残っている。貯蔵庫の作業をはじめ、年末の慌ただしさが暫く続き、年明けに出荷が始まる青島・太田ポンカン、そして2月からのはるみの貯蔵体制を整える作業が続く。 |
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秋葉山の祭りの頃(12月15・16日)に寒波が来て初氷が張るのが昔からの言い伝えなのだが、今年は未だだ。玄関の温度計は、冷えてもせいぜい1℃を切るのがやっと。寒さはいつ来るか分からないし、凍らなくても年末になり大地が冷えていることには違いはない。屋敷や舞台のミカン畑には連日霜が降りている。毎年のことだが、年末から1月にかけての懸案がある。舞台のスルガエレガントの凍結問題だ。自宅前は毎年-6℃台まで冷え込む。ここ数年の最低は-6.7℃だ。これはこの地区(山切字伊野川原)特有の気候で、地方気象台発表の予報は全くあてにならない。そして毎年スルガエレガントの果が凍り付き果皮や実がダメになる。凍ってガラス玉の様になった果は救い様がない。それで昨年は試しに大型扇風機2機を舞台の上段に設置し、サーモスタットで気温2.5℃以下で回る様にした。これが功を奏し、周辺の畑に霜が降りても舞台は降りることが無くなった。空気の対流により湿気や冷気が淀まなくなったのだ。効果はてきめんで、1月の大寒も無事クリアでき、寒さを恐れて早期収穫する必要がなくなった。貯蔵するぎりぎりまで生らしておくことが可能になった。写真は20日夕暮れ時、舞台上段の畑に設置した業務用扇風機。オンマウスは扇風機越しの園地。冷却ではなく、空気を流す(移動させる)だけなので大きなパワーは必要ない。電源は自宅から80m、VFFとキャプタイヤでAC100Vを送っている。サーモスタットはそのつなぎ目に挿入してある。 |
屋敷南のはるみは昨年7月から管理を引継いだ。半年以上放置状態だったが、何とか復活し実を着けている。しかし虫が入った木もあり、この時期その影響がもろに出て来る。葉が黄色っぽくなり、枝の先端から枯れ始める。それを眺めていたカミサンが、木が可哀そうと言い出し、その弱った木何本かを収穫したのが12日…コンテナ9杯もあった。そして15日より本格的な収穫が始まった。はるみは屋敷南・田んぼ・汁見谷と3ヶ所に園地があり。大小70程の木が実を生らせている。写真は屋敷南で収穫したはるみとそれを自宅まで運ぶモノラック。舞台へ上る途中でまでを往復している。屋敷南は16日までに夫婦で切り上げる。そして17日は姉夫婦の支援を仰ぎながら田んぼを切り、18日は夫婦で田んぼを午前中に切上げ、午後から汁見谷を切りる。そして19日は1人で汁見谷を切り上げる。カミサンは平衡して合間合間に貯蔵庫モロブタねへの収容作業を行い、空コンテナを確保してくれた。200個程度あるコンテナの殆どを使い切っていて、貯蔵庫のコンクリフロアはポンカンやはるみの入ったコンテナが山積みになっている。オンマウスは、貯蔵庫・車庫南で収穫する姉とカミサン。 |
今日の月はコールドムーンって言うらしい。朝のTVニュースの天気キャスターが「12月に観測される満月のこと」と説明していた。お恥ずかしいが、70年も生きて来たのに初めて耳にする言葉だった。写真は、鳥坂の佐川急便へミカンの荷物を運び込んだ後の16時半頃。R1バイパスで帰路に就き、清水IC西交差点手前辺りに来た時、興津の山の上に出たコールドムーン。満月と呼べば良いのに、何故か今日は横文字で呼んでみたくなった。ところで同時刻にやや北方向へ目をやると、地元の稜線(自宅裏山)の向こうに、真っ赤に焼けた富士山の山頂が顔を出していた。たまたま交差点が信号待ちになり、これ幸いと軽四のフロントガラス越しに撮影したもの。バイパス上の車は、皆月に向かって走っている様に見え、何んだか妙な感じがして面白い。ありえないけど車が揃って礼拝している様にも見える。多くは家路を急ぐ車と思われるが、昔から変わらない夕暮れ時の月と富士を見て、ドライバー皆さんは何を感じているのだろうか。これも残り2週間ほどになった師走の風景か…。そういや15〜16日は、清水の秋葉山の祭りだ。例年だとこのころに寒波がやってきて氷が張るのだが、今年はそんな雰囲気がしない。 |
7日、カミサンの養蜂仲間で80を超える御仁からソーラーパネル交換の依頼が来た。山原中継所近くの山中に設置した山小屋の電柵電源にソーラーパネルを使っているらしい。屋根の上に数10Wのパネルが有って、日中は鉛電池を充電しているらしい。ミカン切りで一年の中で一番忙しい時期にどうかと思ったが、他人には優しいカミサンから手助けを促された。それで最初に連絡があった日の昼休みに山原中継所前で合流し数百m先の山小屋で下見。新しいソーラーパネルを持参された。現用の仕掛けを確認すると、充電コントローラー経由で鉛電池へつながっていた。コネクタの交換も必要なく、パネルの交換だけで行けそうだ。それで本日、待たせてもいけないと、朝から預かっていたパネルに細工。屋根へ取付るためのL金具をビスで固定。ネジ穴なるものが無くタップを立てる気の入れ様だ。これを山原の小屋へ運び、旧パネルとスゲ替えた。SHARP製の200Wモノは流石に馬力があり、これまで充電電圧が12V台だったのが一気に13Vを超えて来た。写真は取り付けを終わったソーラーパネル。周辺はスギやヒノキの他に雑木も生えているので、しばらくすると枝葉に埋もれるかも。お年を伺うと84と聞きビックリ。軽トラで農道をかなりのスピードで走る姿はスーパー爺さんだ。オンマウスは7日の山原無線中継所。雑草が生え、マイクロ波をはじめとする往時の姿が消えて久しい。 |
12月になってからはミカン一色だ。先日田んぼの青島を切上げ、今日8日からは伊野の太田ポンカンの初切りを行った。写真は10時頃の休憩時間の様子。カミサンに姉夫婦とカミサンの実兄、そして甥に通りすがりの友人が映っている。昔はこの季節に何処でも見られた光景だが、最近はちょっと珍しい。通りすがりの人が入ると話題の方向が急に代わり面白い。伊野は9時頃にならないと陽が当たらないので、一番陽が最初に当たる北西の角から攻めて行く。午前中に西側を切り上げ、午後から東側へ移ったが、100本超ある太田ポンカンの木の半数程度を切り15時半頃この日の作業を終えた。今年は酸味の抜けが早く切りながら食べられるが、着色が揃っていない木が目立つ。着色状態を診ながら切り込むが、どうしてもハサミを入れ難い果もあり、それは後日の後拾いに回す。その選別は説明はするが最後は切り子の判断になる。コンテナへ空けた時に、着色状態が他人と揃わず面白い。まぁ1ヶ月程貯蔵したら着色が進み、問題のない状況になるのは分かっているのだが…。この日の収穫量は凡そ1.5トン程度。その後数日掛けて切り上げるが、今年の収量は4トン近くになるだろうか。先月の採取摘果で大分落としたのだが、それでも落とし切れておらず苦笑いする。ところでオンマウス、12月だと言うのに未だカメムシがまつわりついてくる。いったい今年はどうなっているのだろうか。 |
伊野の太田ポンカンと屋敷南・田んぼ・汁見谷のはるみの収穫を控えている。太田ポンカンが先だが、その前に防腐剤(べフラン、ベンレート)の散布を行う必要がある。収穫後1〜1.5ヶ月ほど貯蔵するから、その間の腐敗を抑えるためだ。7時前に車載タンクに500リットル給水し薬調して朝食。天気は良いが風が強い。昨日も同様で1日待ったが、風害が出る強さで、実った枝が折れる程だ。今後の予定もあるため、朝食後の7時半過ぎから散布を始めた。写真は9時半頃、伊野ポンカン畑の様子。もう少しで終わる頃、加勢してくれたカミサン。木を挟んで2系統のホースでやる散布は圧倒的に早い。その後屋敷南のはるみを散布して農薬が切れる。再び400リットルで薬調し、田んぼ・汁見谷を散布。60リットル程度防腐剤が余ったが、これは汁見谷と田んぼの一部へ掛け直して使い切る。後から田んぼと汁見谷は、青島の時に散布したなぁと思い出す始末。記憶力の低下はこんなところにも表れていて苦笑する。防腐剤散布は午前中に終了。 午後は選果落ちした早生ミカンの個配対応を行う。今年は量が少なく、選果落ちでも高値が続いているため、お客さんへのワケアリ案内は控えている。個別にリクエストのあった場合にのみお応えしている。オンマウスは貯蔵庫で箱詰め作業中のカミサン。3S〜3L程度の大小混在で、機械詰めとは異なり、全ての果に人の手の温もりが伝わる。なるべく均等に詰めたいが、人のやる事なのでアバウトな時もある。夕刻までに作業は終了。多くが明日引き取られていくが、中には甲府からの御仁も居られる。 |
昨日12月4日までに、青島をほぼ切り上げた。姉夫婦の加勢があり、一気にペースが上がった。青島は貯蔵なので7部着色で収穫可能だが、特に定植後3〜4年の小木で着色の遅延が見られ、一部は残したままいなっている。さて今日5日は、寺山の寿太郎の収穫を行った。寺山は畑の総合整備をしたときに、猫の額程度の土地が割り当てられ、寿太郎が6本植えてある。もう10年近くになり、昨年の収量は500kg近くになった。最終的に1本で100kgの収量を目標にしていた。ところが今年は、現在も続くカメムシ被害と例年にない鳥獣害に遭遇し、収量は昨年の1/3程度しかなかった。収穫と始めると写真の如く程良い果が実っているが、木の天辺の果は殆どが食いちぎられ酷い状況になっている。もう悔しいとしか言葉が見つからない。被害に気付いた日から、早々に獣害対策に臭い剤や電柵を用意し、鳥害対策には鷹カイトを飛ばすなど行い、一定の成果を見ていた。したがって、発見する1週間程前には被害は無かったので、その僅かな期間にやられたことになる。直ぐ隣にははるみが良い色で実っているが、こちらには全く被害がない。確かに寿太郎は酸味が無く大変甘い。来年は早目の鳥獣害対策を心掛け(畑全体をネットで覆うとか)目標を果たしたい。 さてミカンの収穫は、温州ミカンから中晩柑の太田ポンカンそしてはるみへと移っていく。実はその前に、防腐剤散布を7日に行う予定なので太田ポンカンの初切りは8日になる見込みだ。好天が続くことを願っている。 |
2・3日前から有線電話がつながらない。有線電話は携帯電話のおかげで殆ど出番が無くなっているからと楽観視していたが、よく考えたらJAからの連絡の多くはFAXで来ることが多い。無視できないって後から気が付いた。我が家は20年以上前から光電話になっている。インターネットは問題なく、有線電話の受話器と取った時に受話器からツーツー音が聴こえず、時折ガリガリとノイズが出る。また電話機を交換しても状況は変わらない。それで、NTTサポートへ電話を入れると中々つながらない。ようやくつながると、Biglobe光になった時から窓口はBiglobeになったと連れない。それでBiglobeサポートへ連絡をするのだが、これが全くつながらない。2日目にようやくつながると、技術的な問い合わせなので技術窓口へ連絡する様に電話番号を知らされる。ここも中々つながらなかったが、数回の内につながった。YLの対応だったが懇切丁寧に対応してくれ、電話器のモジュラーケーブルの交換を促されハッとする。これ見事に復活。電話器の反対側はルーターPR-400MIにつながっている。そこで接触不良を起こしていた様だ。写真はそのモジュラーケーブル。ケーブルが変質して緑っぽい液状のモノが見える。昔よく体験した思い出があるが、ケーブル側の経年変化だと考えている。電話器交換で変化のない段階で、ケーブルを疑うべきだったと反省している。 ところでオンマウス。リモートシャックへ緊急代替として投入していたDX501LSが戻ってきた。25Wドライブで500Wを出力(10MHz)するが、このときVd=120V、Id=5.5A。ドレイン効率が76%程度あり、30分連続キーダウンでも涼しい顔をしている。 |
早生ミカンを収穫しながら、青島ミカンの着色の速さに追いかけられている状況だった。早生の収穫と出荷が終わり、本日ようやく青島の収穫が始まった。これまで、倒れた青島を、個別に収穫することはあったが、正式に切り出すのは今日の汁見谷が初めてだった。写真は40年物の老木で収穫作業中ののカミサン。上部は今時珍しく人が昇って収穫する。1日中頑張っても2人でこのクラスの木2本がやっと。1本あたりの収量は20kgコンテナで10杯以上になるから、少なくとも200kgは生っている。収穫しながら、よくもこんなに重い荷を背負っているもんだと感心する。人間の都合で、一機に切り上げてしまう荒業をミカンの木はどう感じているのだろうか。何となく気持ちを通わせたくなるような状況に陥る。なので、切り終わったら御礼肥えをたっぷりやるから!と心の中で呟く。この調子だと、汁見谷の青島を切り上げるには3日程かかりそうだ。オンマウスは初切りしてコンテナに入れた青島。上に枝付きの青島が横たわっている。汁見谷は高台にあるため、周辺の見通しが良い。このためカラスの待機場みたいな場所になってる。鳥獣害の影響はも出ていて、木の上部はほぼ餌場になった感じだ。裾はイノシシが覆いかぶさり主枝が折れた若木もある。先日取り付けた鷹カイトが効いたのか、その後のカラスの飛来は無い様に思える。ただヒヨドリやメジロはお構いなしに木の中を飛び回っている。カラスの鳴き声に気付き、遠方に目をやると数百羽の大群が舞っている。あんなのが来たらひとたまりもない。それを横目に、早く収穫した者勝ちとばかりミカン切に励んでいる。 |