JH2CLV's Topics & Memorandam / February 2009

Feb 28. 2009  2月も終わり・・・車のバッテリNG
今月で2月も終わり明日からは3月だ。本当に時の過ぎるのが早いと感じている。それが原因かどうか分からないが今朝は4時に目が覚めた。しかしさすがに早く再び横になったが、それでも7時過ぎには起床。食事と口三味線のラジオ体操を済ませ昨日までの日記をつける。日記を当日つけないのは記憶力を確かめるため。久々の青空に誘われて布団を干し洗濯と掃除をすると結構忙しい。田舎から持ち帰った柑橘を午前中に友人宅へ届けようと車に行くとセルモータがクシュン。長年の直感で直ぐ取り止め、バッテリを部屋へ持ち帰り充電。ALINCOの無線器用電源の電圧を調整しながら充電電流を管理。最初は8A程流れたが数百mA(13.8V)になるまで凡そ2時間(オンマウス)。その間に郵便局の小包再配達受領や7MHz/SSBで仙台と市内のお馴染局と交信。バッテリを車に戻してセルモータを起動。朝吸ったGASが燃えずにプラグを湿らせているようだが、朝とは勢いが違う。ちと不安が過ぎったが回し続けると無事エンジンがかかり一安心。チョーク等無い最近の車はどうも良く分からない。ようやく復旧した車で友人宅を回った。写真は最初に訪れたJA9ZQ生駒宅でのHF-2050。ご自慢の受信機だがロックが不調らしくメンテの最中だった。

Feb 21-22. 2009  帰省・・・山原無線中継所を訪ねる・・・真空管の預かり物
20日21時福井を発ち清水に帰ったのは25時半頃。雨の道中は滋賀県に入るとミゾレが混じり、黄砂も手伝い白い車は汚れに汚れた。21日朝一番、友人のNヘアーサロンで散髪。相変わらず喋りまくりのN氏を冷やかすと、奥様と他のお客さんがクスクス。空を見上げると山原(ヤンバラ)無線中継所が目に入り車で上る。小中高時代に幾度か歩いて登り、その後車道が完成し自転車でも登った。山原無線中継所は昭和30年代始めに作られた。当初は有人局舎で屋上に巨大なホーンアンテナが設置され輸送用のロープウェイもあった。昭和44年に紅白の鉄塔、その後灰色の鉄塔が増築されマイクロ波全盛時代を支えた。ところが20世紀末になると無線は光ケーブルに置換わり無線中継所の多くが機能縮小。現在の状況からは往時を想像する事も出来ない。時の流れに感傷的にさえなる。午後清水区宮下町のユニオン無線を訪ねオンマウスの真空管を譲り受ける。懐かしいTV球で溢れている。30分程世間話で盛り上がったがF御夫婦は元気そうだった。自分の仕事の原点はこの店にあるなぁと呟やいたり。翌22日も好天、豊田に住む3男の所へカミサンと引越し荷物を運ぶ。その後カミサンは東名高速バスで清水へ、自分はそのまま福井への帰路に就く。

Feb 19. 2009  文豪ミニ7RXの修理で突然の御礼メール
「文豪ミニ7RXを修理した・・・」と、突然見知らぬ方からメールが届いた。何だろう?と開くと差出主は富山のT氏だった。電源を入れてもパイロットランプの点灯もおぼつかず、ワープ起動など望むべくもない状況だったらしい。販売店やメーカーのサービスには相手にもされなかった模様。藁にもすがる思いでネット検索する内、拙作HPの文豪ワープロページに辿り着かれたようだ。自力の修理作業が始まったのだが、HPの内容が大いに参考になったと記してあった。電源ケミコンの総入替えで復旧したとの事だが、液漏れ状況はHP案内の事例にベストマッチだったそうだ。ケミコン購入費用や諸々の経費で合計\6Kに収まったと喜ばれていた。実は最近文豪ワープロに関係する問い合わせが減り、ようやく世の中から消えようとしているのかと感慨にふけったばかりの事で驚いている。氏は20年もミニ7RXを愛用される「文豪信者」のご様子で、これからも「修理」で地球環境に貢献して行きたいと決意を記されていた。楽しみでやってきた事が見ず知らずの方のお役にたてるのは本当に嬉しい。ネットワークの有難さと有用性を感じている。私もミニ7RXを大切に使って行きたい。左はT氏から御礼に届いた噴火翌日の煙りたなびく浅間山の写真。

Feb 17. 2009  3週間振りの雪と不安定な天気・・・形になるかSSPA
昨晩からやや冷え込みエアコンが頼りだった。ひょっとしたらと思い窓を開けると外は雪景色だった。TVニュースによれば3週間振りの積雪らしい。先週は晴天が続きポカポカ陽気だったのに嘘の様だ。春一番も吹き、一時はこのまま春か?と思わせる程だったが、やはり自然は正直という事だろうか。写真は17日朝7時半、アパート4Fの自室からの東方の眺望。1月のこの時間だと太陽は大分低かったが、2月も中旬を過ぎるとご覧の通りだ。この天気からすると、その後雲が消え晴天になったと想像したいところだが、それは間違い。この日は朝から雪・晴れ・雲・雨が次々に繰り返され、20時頃帰宅する時はアラレまで降り出し、無かったのは雷くらいだった。春が待ち遠しいと言うより、1日の内でもコロコロ変わる天気から早くオサラバしたい。
15日から半年振りに突いたSSPA。これを実験から次の段階に発展させたくなった。即ち何とか形にして実用に供したい。実験用電源の3段積み重ねは止めて専用電源(48V/1KW級)をRS-ONLINEで物色。COSELのADA1000F-48に白羽の矢を立てた。最後は50MHzは諦めHF/CW専用でも構わないやとやや消極的になり掛けている。
…雪はスノーノイズを招き、VHF-FMのSQをも開き苦笑している。

Feb 15. 2009  半年振りにSSPAを突く週末・・・etc
福井市街は終日好天で洗濯や布団干しに弾みが掛かった。1昨日同僚の親戚に不幸。今年になり周辺に起こる不幸が実に多い。高齢で冬季と言うことも有るのだろうが、60歳前後なのに病気で逝かれる方も多い。健康管理には気を付けなければいけないと自戒する。
久し振りにSSPAを突く。と言っても作業が中断した昨年8月の状況を再現した程度。半年間放置した実験ベンチは、接続確認が先ず必要だった…要するに忘れている。ドレイン電源48V、続いてゲートバイアス電源3Vを入れる。そしてエキサイタのドライブレベルを徐々に上げる。周波数は24MHz帯でCW。450W超の出力があり「オー!」と自己満足。これだけじゃ芸が無いので、出力Z変換トランスの線材を変えてみる事に。同軸ケーブルとテフロン腺によるトリファイラを全てテフロン腺に巻き変えた。これは工業用RF電源メーカーの友人I氏からの助言。しかし状況に劇的変化が無いのは昨年同様。1ユニットの伸びが2合成で再現されない。余り深追いしない様にしたいのだが…原因はZ?それとも位相?興味津々だ。基板上の右は同軸バイファイラの合成トランス、左がテフロン線で巻き直したZ変換トランス。電気・電子、それに高周波の振る舞いってのは本当に面白いと思う。

Feb 9. 2009  福井駅前でアイボール
先週、友人O氏から来福するので食事でもとメールが入った。仕事で福井大へ赴くらしい。候補日が幾つか上がったが、こちらの都合を伝えると2月9日(月)にする旨の返事が先週末届いた。福井駅近くに会場設定を依頼されたが、O氏はせっかくの福井なのに生魚は苦手らしい。それで、鍋が出来る店を探す事になったが、結局昨年5月22日O氏と初アイボールした善甚にあっさりと決定。それから今回はその大学のK教授も御誘いする事になった。教授は半導体研究が専門で、特に窒化ガリウム(以下GaN)の研究では世界的に有名な方だ。新しい測定器群が揃い研究に弾みが掛かると熱弁されていた。そして将来のマイクロ波パワーデバイスの主役はGaNに代わると豪語。丁度11年前、ガリウム砒素(GaAs)FETの高出力アンプの可能性を追って、内外メーカーを調査した事が頭に浮んできた。ところが今、それがGaN-FETで果されることになり感慨深い。既に製品化を始めた国産メーカーもある。電子デバイス談義は半導体から真空管まで及び、その特長の応酬で話は巡りに巡り気付くと23時過ぎ。示唆に富んだお話を楽しく伺う事が出来大変有意義だった。写真はO氏持ち込みのRFワールドNo.5。オンマウスは東芝製GaN-FETS9J53

Feb 7-8. 2009  再び氷見でミーティング…iPod shuffleを楽しむ
北陸東海に散らばる同僚達とのミーティングのために氷見市を1泊で訪れた。福井市内はここ3日程晴天が続いているが例年では考えられない事だ。暖冬の影響だろうか・・・。7日は午前中メールや日記のチェックと洗濯に時間が過ぎた。昼食は久し振りにアパート1Fにある喫茶店ヴェリイへ「太田ポンカン」を下げ訪ねる。ご主人からお返しに「きのこのり」を頂戴する。カレーライスで昼食を取った後、同僚のフォレスタで北陸道を氷見目指し走る。福井へ来てから北陸道をこの方向へ走るのは2度目。流れる景色が新鮮だ。例年なら東側の山にもう少し雪が有るのだろうが思った程目立たない。石川県に入ると海岸沿いを走る。何Kmも民家が無く不法入国があっても分からないんじゃないと呟く。富山県に入り小矢部から東海北陸道に乗換え北上すると、福井から2時間程で目的地である氷見市の岩井戸温泉マイアミに到着。ミーティングと言うと聞こえは良いが、実は懇親会で部屋に入ると早々にアルコール変調。もしやと思い持込んだTH-F7は出る幕も無い。風呂と睡眠以外の殆どがアルコール変調状態だったが、貴重なコミュニケーションが図れ、iPod shuffleをゲームでゲット。写真は帰路に立寄った、人でごった返す氷見Fisherman's Wharf
2月7-8日の氷見ミーティングでゲットしたiPod shuffle。ついこの間まではMD等ディスクメディアが携帯音楽再生器用として幅をきかせていた。ところが、半導体メモリーが激安になりそんな時代ではなくなってしまった。我が家では10年近く前にデジタルレコーダーを購入し、カミサンが読み聞かせ等の収録に使っている。ファイルで扱えPCへの取り込みも容易だ。子供達は知らぬ間にiPodなるApple社の推奨する再生器を使っている。遠巻きで見ていたが、どうも世の中の主流に見えてきた。カセットテープでは持ち歩くのが恥かしい。このままだと時代に取り残される様な気がしていた。つまり世の中は音楽を始めとする各種素材を全てファイルで扱う時代に突入している。そんな訳でiPod shuffleのゲットは非常にラッキーだった。折りしも昨年から30年も前のアナログ録音をデジタイズした事も手伝い、オレも一丁やったるか!って具合になった。iPod shuffleは本体とUSBケーブルの他に非常に簡単な説明書が付いているだけ。PCにインストールしたiTunesを操作することで、このiPodにファイルを転送し音楽を聴く事が出来る。ファイル操作なのでコピー時間は長時間要らないし何度でも手直し(編集)出来る。こりゃ使わない手は無いと言うのが実感だ。

Feb 5. 2009  Silent Key・・・友人JA2INOの通夜
1972年6月21日、7MHz/SSBを運用していると強い局が呼んできた。JA2INOとの出会いだった。彼はずっと「また逢いたくなる気を起こさせる」魅力ある人物だった。1stアイボールした1974年頃、AF-CWフィルタの試作中で、部品の中からLM3900を数個取り出し分けてくれた。35年経た今、実はそのLM3900の一部が実家の部品箱に残っている。転勤で清水を離れ30年振りの再開を果したのは2005年の11月。実家で実った柿を下げて訪ねると、奥様が「佐渡の柿と違うね」と言われ一緒に柿の味を楽しんだ事が懐かしい。このときJUNK真空管や松下電器のVC、それにICOMのIC-PW1を引き取る事になった。同年暮れ、酔った勢いで無線仲間と押しかけた時も快く応じてくれた。あの頃は元気だったのに・・・2007年11月13日「言葉を失った」とするメールに驚き17日に訪ねると既に筆談状態にあった。急な訪問にも関わらず明るく振舞って頂いたが、近い将来その日が訪れるのを覚悟されている様子だった。当日の日記にはINOの献身振りに大いに恐縮し涙する行がある。あの日に帰れるのなら…もっといっぱい話をしておくべきだったと悔やんでいる。ご冥福をお祈りするばかりだ。写真はご自宅(建徳寺)で通夜を見守る7MHz八木アンテナ。

Feb 4. 2009  再びLCDモニター修理
再び産廃行きLCDディスプレイを2台拾ってきたのが先月29日。年末、 LCD72VM-Rを突き随分と勉強になった。HPに記した修理状況に対し助言を頂くなど、ネットならではのコミュニケーションにも発展した。その経験はノウハウの蓄積となり喜んだ。それから1ヵ月、修理ベンチが再び賑かになった。今度はI・O_DATALCD-AD202GB。 20.1インチとやや大型で約3年間連続通電が行われたもの。覚悟して臨んだが、大変だったのは裏蓋の取外し作業。ビスで締める構造なのに、やたらと勘合がしっかりしている。電源が入らず、調べると2台共12V電源が壊れていた。1台は出力平滑ケミコン、そしてもう1台はトランジェント吸収用の双方向ツェナーダイオード。ケミコンは早々に交換し復旧させたが、ダイオードは見つからず途方に暮れていると友人から助言。RS-ONLINEへ発注したモノが本日届き完全復旧となった。修理を始めると設計者の考え方が見えてくる。また外からは分からないが、コスト低減のために世界各国の部品が基板上に展開し昨今の電子業界の縮図を垣間見れる。この産廃回避の一品の嫁ぎ先を探したが、新品24インチが\30K程度で入手できる現在ではリスクも大きく見向きもされない。当面は単身赴任アパートで稼動予定。

Feb 1. 2009  帰省の続き
ようやく年が明けたと思っていたらもう2月。この感覚は年を年を追う毎に早くなり、1年なんてあっという間に過ぎ去るのだろうか・・・。などと妙な思いにふけったりする。実はこの日、親父の仕事つながりの知人の葬式が清水の谷津であり運転手を兼ね出掛けた。お寺の近くで親父を降ろし、何百mも離れた道端に車を留めた。多くの弔問客が訪れ、境内には入り切れず道路まで人が溢れていた。お経は「南無妙法蓮華経・・・」おやここは日蓮?と気付くが、考えてみると眼下に甲州街道(R52)が走り、日蓮宗大本山身延山の参道の様な所だった。友人や家族から弔辞が述べられるとさすがに目頭が熱くなる。快晴で空は真青。裏山に目をやるとシュロの葉だけが妙に風にたなびきまるで生き物の様。海に目をやると駿河湾がエメラルドグリーンに輝き遠く伊豆半島が濃紺のシルエットを見せる。自然が作り出す情景ってスゴイ・・・などと気を紛らせても余計感情移入してしまい空を仰ぐ。しかしそこにも青空バックにつぼみを蓄えた桜の枝が揺れ、それに軒先をアシナガバチが舞う。何てこったぁ・・・目のやり場が何処にも無かった。・・・福井へ帰る準備中、JH2AHZから訃報・・・INOが昨日亡くなったと・・・うーん、再び思いにふける。写真は届いたQSTとQEX。