Feb 26. 2006 50MHz/1KW変更申請書・関連資料作成

懸案だった50MHzの1KW変更申請のため、遂に重い腰が上がった。書いている内にGU-74B/144MHzアンプの事が気になり、月面反射通信による500W申請も追加する事にして、結局下記の如き変更内容とした。なおこの申請については1KW/50MHz変更申請と題して一部を公開している。
@エキサイタの交換・・・IC-756:1.9〜50MHz/100W
Aアンプの交換・・・・・・IC-PW1:1.9〜50MHz/1KW
Bアンプの追加・・・・・・GU-84B:50MHz/1KW専用
C144MHz設備増設・・・GU-74B:144MHz/500W/EME専用
東海総通に電話でお尋ねしたところ、通常の変更申請書の他に「電波防護指針データ」「空中線設置概要」「1kWを必要とする理由書」等が必要であると言われ(他管内は不明)必要なデータを集め添付資料として作成した。これらに総通担当者宛の依頼文書を添えると全部でA4にして7枚になった。返信用封筒を沿え封筒に入れ片手で持つとちょっと重い。翌27日投函前に郵便局に駆け込み秤に載せたら何と\10不足だった。随分慌てて書いたような気がしており不備が有るかもしれないが総通さんからの返事が楽しみである。

Feb 25. 2006 CQ ham radio 3月号

先週名古屋に帰省しカミサンと近くのダイーに出かけたとき、「今日は19日だなぁ…」と気付き本屋さんを尋ねた。1月号から連載のJA1AEA鈴木OM執筆「Hi-Fi SSB講座」が気になっていた。その理由は2月号は違うOMの執筆だったから3月号がどうなったのか興味があった。本屋さんで置き場所が分からず、店中を探し回り遂に発見するが手にして唖然!。何と鈴木OMがにこやかな顔で表紙を飾っている。そして背景に写る自作無線機群。少年時代にボロボロになっても読んでいたあの「SSBハンドブック」に掲載された「オールバンドSSB送信機」が鎮座。メカフィルタイプのジェネレータ、ドライブは6CL6で終段6146パラレル、VFO発振管カソードに挿入したナツメ球、巧妙なアイデアによる2重ツマミとバンドSW、バランスの取れたパネル配置とレタリング、物作りの心意気を感じるシャシ上のレタリング・・・一瞬にして35年前にタイムスリップ。OMの記事は当時まだ高校1年生だった少年に物作りの基本教えてくれた貴重なバイブルだった。そんな訳で記事の事など忘れて暫し表紙に見入ってしまう事になった。
実はこのページを書き出したら鈴木OMから電話入り余りのタイミングの良さにビックリ。世間話と連載の裏話をちょっぴり教えて頂いた。

Feb 18-19. 2006 1ヶ月半振りに名古屋へ帰省

家族の住む名古屋に帰省。前夜は同僚と飲み帰宅は23時。夜明けと共に出発すると決心して床に就く。18日5時30分起床。洗濯と諸作業を済ませ車に乗るとラジオ体操が始まる。唐瀬ICからR1バイパスに乗るが賤機山で渋滞。しかし時間も早く車も多くない為大した時間も掛からず通過。車外の気温は5℃、掛川辺りに達すると1℃に低下。袋井からは東名高速に乗り変え名古屋には9時過ぎ着。
見上げるとアンテナのワイヤーが隣のビルのTVアンテナに引っかかっている。ビルは休みで入られず自宅2Fから釣竿を出して悪戦苦闘、何とか復旧。PC98ノートのWindowsが不調、ドライバ再登録やHDのデフラグ等を実施。Junkは実家に持ち帰るように整理を試みる。夜は同僚とTV塔東「龍園支店」へ。店主も加わり23時までアイボール。酔ったまま床に就き19日朝を迎えたが、起きて来たカミサンがメガネを踏み付けボキッ!。メガネ屋の開店を待ち構え使えそうなフレームを物色、何とかか復活。ダイエー電器屋のポイントが溜まっているためプリンタインクで還元。3台あるプリンタの型名が違いインクもまちまち。実に能率が悪い。4CX1600BとGU-84Bを混同している方の為に写真撮影。こんな状態であっという間に帰りの時間になった。

Feb 5. 2006 島田の知人とアイボール・・・デジタルTVがやってきた

以前からメールとBBSで交流のあるJA2AGP矢澤氏、本日初めてのアイボールが実現。氏は「魅惑の軍用無線機」「Vintage Radio Collection」等の執筆で大変有名な方である。11時半に清水の実家を出発、R1バイパスを西走。相変わらず賤機山のトンネルで渋滞するが、今日は日曜のためか思った程時間が掛からず通過。その後は順調で島田の野田ICを降り、12時45分頃矢澤宅付近に到着。早々に電話で誘導をお願いすると、電話器を手にした矢澤氏が後ろから現れ「初めまして!」。その後16時過ぎまで受信機談議に花が咲いた。疑問であったIF-455KHzRxの受信周波数の限界、軍用プリセレクタの能力と執念、同調コイルのQの考え方、SP-600JXの50MHzバンドでの安定度の話から、64KHzメカフィルによるIFシフト&可変Width装置の考察、地一号設計の裏話etc・・・話し出したら止まらない。案内された倉庫にはコリンズ、ハマーランド、ハリフラクターズ、ナショナルetcの名機と補修部品が整然と並び圧倒される(写真)。スタートは日本軍の放出品「地一号」だったそうだが、ここまで揃え整備するのは並大抵の事ではない。また壁一杯に配された本箱を開けたとたんに顔を見せる世界の蔵書群と資料。無線を愛し理論と実践を現在でも追及する姿に思わず敬服である。
2月4日午前に配達予定のデジタルTVが、翌5日になると3日夜連絡が入った。ところが5日、お昼近くなっても中々来ない。11時半まで待っても来ないため島田の矢澤氏とのアイボールに出かけた。その後午後配達する旨の業者からの連絡と、家族から届いた旨を知らせる連絡が前後してあった。 17時半頃実家に戻るとしっかりと届いていた。箱を見るとでかくて驚くが、取り出してみると薄くてそんなに大きいとは感じない。早々にアンテナをつなぎテストしたところ、アナログ放送は何もしなくてもOK。BSはアンテナLNB電源ONを失念していたが「アンテナ設定」メニューのスイッチをONにして無事OK。問題は地上デジタル受信。室内ダイポールアンテナでチャンネル設定を幾度も試みるが放送チャンネルを拾い上げてくれない。放送波のあるチャンネルは明らかに時間が掛かり何か考えているようだがスキップしてしまう。先週テストした松下(マスプロ)チューナーではOKだったのだが・・・と思いながらアンテナを軒先に出しようやくOKとなった。両親は巨大な画面に目を白黒させていたが、ハイビジョンやデジタル放送の違いや、複雑なリモコン操作について行けるのだろうかと別の心配事が出来てしまった。元気な内にハイビジョンを見せてあげたいと思っての事だったが果たしてどうなるだろうか。

Feb 4. 2006 友人の思い出

2月2日の夕刻訃報を告げる電話が入った。清水区興津の旧友T氏が交通事故で他界された。53歳だった。人様のご不幸を私的サイトに掲示するのを躊躇していたが、お通夜や告別式に集まった皆さんとの話を思い出している内に記しておきたい気持ちになった。
・・・T氏との出会いは青年団。団と言うと怖そうなイメージだが自治組織の末端に位置する団体であるが全国組織を構成している。社会人の入り口である20歳前後、地域活動を通じて地元に貢献しながら人間形成を目指す自然発生的な組織である。私の田舎では、地域の美化運動、下水消毒、運動会・駅伝、各種研修会、野趣の会(川原で特産品販売試食etc)、祭り(盆・豊年踊り・どんどん焼き)、ダンスパーティ、スキーツアetc・・・と言った活動に毎週の如く若者が集い汗をかいていた。大人の世界に足を踏み入れ辛酸を味わったり、または逆に励まされたりと色々な体験を積む訳である。T氏とは違う地区であったが、そうした活動を通じて知り合った。またT氏の奥様と私の奥様は同級生という事もあり、T氏を中心に多くの仲間との関係に発展していった。仕事や考え方はそれぞれに異なるが、何かあると自然と声が掛り集まって来て同じ目標に向かう・・・あの姿は今も同じだった。昨日のお通夜と本日の告別式と、故人の意志により宗教にとらわれない進行の中、県下から集まった300名以上の仲間が別れを惜しんだ。
その昔清水市青協の会長をされていた頃、イベントの終わりに黙々とゴミを拾いながら「オレはこれ位しか手伝えないから・・・」と言っていた言葉が忘れられない。♪勇む足どり歌声も・・・溢れくる潮の色に黒金の強きを受けて・・・♪、懐かしい清水の歌はもう一緒に歌えなくなってしまった。告別式で生演奏で流れた高石ともやの♪私に人生と言えるものがあるなら、あなたと過ごしたあの夏の日々♪を耳にしたら四半世紀前の思い出が次から次に巡り涙が頬を伝わった。安らかに・・・合掌。

Feb 2. 2006 誤操作でメインPCのHDをフォーマット(誤消去)

メインPC(といっても現在はこの1台しか置いていない)の先頭ドライブHDが誤操作でクラッシュ?した。このHDはWindwosXpがインストールされているが、Linux等の他のOSと切り替えるためにスロットベイに放り込むタイプになっている。そして抜くと内臓HDでWindowsMEが起動するようになっていた。今さらMEというのはMEでないと動かないハードやソフトがあるからで、PC-VFOがその主たるもの。この環境は数年前からの物だがいつしかWindwosMEのグラフィックが可笑しくなりドライバ認識させたり、設定を変更するとWindows保護エラーが出てしまい、16色等とDOSの基本グラフィックしか使えなかった。何度もWindowsMEを上書きしてきたが状況が変わらないため思い切ってフォルダ名を変更して退避させた状態で新たにWindowsMEをインストールすることにした。実はこの際起動ディスクでスタートしたのであるが、前述のHDスロットを外す事を失念してしまい、どうやらNTFSフォーマットに妙なデータを書いてしまった模様。貴重な文書や写真があり現在トホホ状態でなのだ。
その後WindowsMEは無事インストールでき完全復活した。このページもWindowsMEを起動して書いている。OSやアプリケーションソフトは時間があれば何時でもインストールできるが、データはそうは行かない。バックアップは別HDにとってはあるが、ここ数週間はアップデートしていないので・・・しばらくはトホホ状態が続きそうである。翌日修復を試みたがNTFSがFAT32に書き換わっており通常の手法では無理と判断した。写真はメインPCで通称PC4(PentiumV/933MHz)。殆どジャンク品で構成され組んでから既に5年位経つ。