今月7日の冷え込みで、全面的に氷の世界になった舞台のスルガエレガント。気温は地面付近で-6.1℃を記録し、あぁこりゃ全滅かと思わせた。その後も氷点下に冷え込む時が幾度もあったが、水を張っバケツが凍っても、この時程に冷え込むことはなかった。連日果実を観察するのが日課になっていた。開催中止になったが「清水いはらフェス」の準備や、ディーゼル発電機の対応、そして神社の樹木伐採等の自治会関係の対応で、例年になり多忙感の中、知らぬ間に収穫の目安大寒(1月20日)を過ぎていた。こりゃマズイと思いつつ、収穫に取り掛かったのは今日1月31日だった。果実の傷みは思ったより少なく、昨年の様に何百kgも畑に落とすこともなさそうだ。昨年は悔し涙を浮かべながら収穫した記憶がある。ただ、今年の様なこともあるので、大寒を待たずに年明け早々に収穫するのがベターなのかも知れない。その場合は凡そ2ヶ月間の貯蔵管理を徹底し、ヘタ枯れやヘタ落ちを最小限にする必要がある。また、寒さに当たっているので、す上がりも進むと思われるので悩ましい。 写真は収穫したスルガエレガント。モノラックで自宅前まで搬送し、その後軽トラに積み貯蔵庫まで運ぶ。初日の収穫量はコンテナに39杯。カミサンが時々応援に来るが、この調子だと3日〜4日程掛かりそうだ。オンマウスはたわわに実る収穫前のスルガエレガント。 |
朝始動テストを行う。エンジンが回り無事発電誘起している。リレーやソレノイドの制御で、SWやリレーの接点で火花が散るのが気になり、要所要所にダイオードを抱かせ火花対策をする。先日も制御基板のブレーク接点がオープンになってしまったが、これは燃料弁のソレノイドの自己誘導による火花が原因だ。半導体回路だと、デバイスへの影響を考慮して、必ずダイオードを抱かせるのだが、この発電機は考慮されておらず、作りのアバウトさに驚く。それから元々のAVR、リード線を途中から切断したが、AVR側もファストン端子を圧着処理した。それから最終的に元のAVRを投入している。運用性を考え、点検窓から操作できる様にバッテリの上に仮設置してある。 複数回試運転を行ったが、良好に動作しているので現用投入することにした。写真は軽トラで搬送したD6500ETを油圧リフター台車で下ろしている様子。幾度もやっているので、150kgもある発電機も一人で容易に移動できてしまうから驚く。オンマウスは、AVRのツーショット。左が元々のAVRで、ファストン端子軽油で発電機につながっている。右は新規購入してテストしたAVR。今回の障害は、AVRを疑い新規購入までしたが、結局犯人ではなかった。しかし、新たな発見が幾つもあり、ノウハウの蓄積となった。物好きと言われそうだが、このスタンスは死ぬまで続きそうだ。さて、次はどんなトラブルに遭遇するだろうか…。その夜は、深夜まで10MHz/FT8運用を楽しんだ。 |
D6500ETは車庫でパレット上に鎮座。毎日EG-2600を起動し、DC出力でD6500ETの充電を続けていた。そして時々エンジンを始動させてみる。発電機の励磁がダメなので、AC出力やDC出力は僅かでソレノイド弁も開き切らない。バッテリからソレノイド弁へワニ口で給電してから始動。エンジンは調子良い。注文中のAVRが昨晩届いた。朝既設AVRのリード線を切断し、本体側にファストン端子を圧着。これにAVRをつないでいよいよ起動。しかしエンジンは好調だが発電は期待に反し全くショボい。AVRの線間電圧を測ると、何と元のAVRと全く同じ…AVRは犯人じゃなかった。励磁電圧を上げたらどうなるか興味があり、DC12V〜40V程度をフィールドコイルへ印加すると徐々に発電を始め100V超を出力。これ以上は電源が無いので、試みにフィールドコイルをAVR出力へつなぐと何と210Vを出力。この時AVR出力はDC50V程度で、しっかりと制御している。AC出力の他、充電系と機器系の各DC電圧も復帰している。暫く発電を行い、停止させてから再起動するなどを行う。この状況をローカルのJA2JZ佐野OMへオンエアで伝えると、残留磁気が無くなったかと力説。僅かなAC出力ながら、DC出力は半分程度あったのでまさかと思ったが、誤りだった。外部からの強制励磁で残留磁気が復活したと結論付けることにした。それにしても、写真の様に全分解し、発電機の端子盤まで辿りついたが、この保守性の悪さは何とかならないものか。 |
昨晩、庵原道の駅社会実験実行委員会の企画会議が行われ、2月5〜6日に予定されていた第1回「清水いはらフェス」の中止が決定しました。オミクロン株の急激な拡大で、今月初旬より開催が危ぶまれていましたが、最終判断を1月27日に行うことになっていたものです。 残念ですが、このところの連日のコロナ感染者数記録更新(複数クラスタ発生)やまん延防止施策で静岡県下も大変な状況にあります。中部横断道路による県外からのお客様も、国の指示により制限が掛かる状況にあり、社会実験が正常に行われる環境に無いと判断された模様です。 事前の準備をされていた皆さんは、肩を落とされている向きもありますが、これまでに得られたノウハウを次の開催に向けて生かして欲しいものだと思います。むしろスタートラインに立ったと考えることが大切ではと思ってます。 自分は昨年11月より広報部員の立場、そして今月より会場・イベントPA担当として動いておりました。昨夜からHPやBBSへの「中止」案内の掲示や、今朝からのポスター外しに奔走しています。それからPA機材(Mic/Sp/Amp/EG等)の準備やチェックが進行中でしたが、これらを実施後収納作業を行う予定です。ほぼ2年振りの埃落としになり無駄にはなっていません。 |
確定申告が近付いているが、その前に農業関係の決算書の作成が恒例になっている。自分でPCingして作成するのも良いのだが、JAの支援を仰ぐのも恒例。支援が建前なのだが、周辺の相談テーブルを見回すと、おんぶにだっこの人も多い。税務署から見ると奇異に見える様で、令和5年には支援が無くなるらしい。自分の場合は、エクセルに数字を放り込めば、決算書の枠組みに従って計算結果が出来る様にしてある。ただ、モノグサ人間なので、毎回指摘される内容が反映されないマイペース。前日までに領収書やレシートからデータを入力。その結果をA4で5枚程にプリントアウトし27日に持参。それを元に決算書へ数字をはめ込んで行くと、30分ちょっとで作業は終了。最初から所定様式で作成した方が良いに決まってると言いながら、恒例の様にそれを忘れてしまう…まったくのモノグサに苦笑。 ところで投入した予備EG-2600と持ち帰ったEG-2600、双方良好に動作している。これでベアフットのFT8/10MHz運用を続けている。それとD6500ET、作業し難い位置にあったAVRをフタ近くまで移動し調査を行った。AVRに出入りする6本/3組(赤/白、青/青、白/灰)のリード線間電圧を確認。接続端子が無いので、裁縫のマチ針をリード線へ突き刺しワニ口リードでテスタへつないだ。何しろ振動がもの凄く、テスタ棒を当てる行為は不可能。電圧はDC7.32V/AC2.10V/AC0.66Vだったが、これをどう見るか…情報がない。 |
神社の樹木が大きくなり、近隣の住宅の上空へ侵入するケースが増えている。当地の東久佐奈岐神社は、昭和37年までは一面の田んぼと山の間に位置し、郷土の原風景の一翼を担っていた。ところが水田転換に非市街化調整区域も手伝って開発が進み、今や周りは全て住宅が囲む状況と化した。当初は気にならなかった神社の樹木も、歳月を経て上に横に伸び、人々の生活に影響を及ぼす程に成長してしまった。台風や強風時に枝の落下があったり、住民の恐怖感に拍車をかける様になってきた。それで数年前より行政の補助金制度を利用し、この時期に障害となる樹木や枯れ木の伐採を続けている。今回も昨年4月から、幾度も静岡市と連絡を取り合いながら補助金の獲得に努め、自己資金も含めてようやく伐採に漕ぎつけた。
この東久佐奈岐神社は太古の昔より東海道を行き交う人々に親しまれてきた。古くは日本武尊が東方征伐時に立ち寄ったと伝わる由緒ある神社なのだ。 写真は、民家にかかる様に出たシイやヒノキの枝を高所作業車を使って伐採している様子。これ以外に、特殊なクライミング技術を使って伐採する二刀流で対応した。オンマウスは作業開始前に宮司殿と関係者により行われた安全祈願。作業は22日終日と23日午前中で終了した。早々に行政への報告とともに補助金請求を行う予定。新年度になったら早々に補助金確保に動き出すことになる。 |
このところ発電機の話ばかりで自分でも困惑している。150kgもある発電機を、要領良く軽トラへ積み込み、毎週の如く往復している姿を誰かが見ているに違いないと、やや妄想的な感覚になっている。19日に持ち帰った不具合発電機の内、EG-2600はセルを回しても排気口から生ガスの匂いがしなかった。だから、燃料がキャブレターまで達していないか、キャブレターが吹いていないか、弁が閉じっぱなしかと考えていた。それで20日、試しにとセル起動をやめチョークを閉じてリコイルスタートを試みたらあっけなく回った。しかも、排ガスは暫く真っ白だった。これ、オイル上りか?などと考えているが本当の原因は良く分からない。それ以降セル起動でもしっかりとオートチョークが働いて起動している。写真は21日午前中の様子。EG-2600を起動し、自分のバッテリとD6500ETのバッテリをブースターケーブルでつないで充電。そしてDC12V出力で他の軽四バッテリ(EG-2600の反対側)を充電している様子。D-6500ETはインジェクタソレノイドへDC12Vをつないぎ、起動接点をワニ口リードで渡すと心地良くエンジンが回る。しかし発電はせず、同じ状況が続いている。まとまった時間が取れたら発電機内部を調査する予定でいる。また注文中のAVRの到着を待ってAVAの動作状態の確認もする。色々と課題が山積みで、柑橘の出荷や甘夏の収穫も頭の中を過り、相変わらずの多忙感が続いている。 |
19日0〜15時、BIGLOBEで保守がありHPアクセスが出来なかった。 さて、リモートシャックでD6500ETを分解修理をするのは至難の業なので、再び持ち帰ることにした。替わりに昨日、先代のEG-2600を登場させたのだが、凡そ5ヶ月振りに回そうとしたらダメ。また修理かよと思いながらも、自宅の予備EG-2600を投入し運用出来る体制を整えた。ただこの発電機は、Ecoモードを外しても1kW運用で出力がシャックリしてPCソフトを止めてしまう場合があり運用電力には注意が要る。そしてD6500ETは道路まで引きずり上げてリフター台車で軽トラに積んだ。回らないEG-2600はガソリン満タンで45kg程の重量。これを抱えたり、引きずったりして道路まで運び上げ軽トラに積んだ。両者は自宅の車庫へ放り込み修理待ちとなった。D6500ETは、4回目の里帰りで苦笑の極みだ。平行してAVRを中華サイトEliexpressで注文してある。ただケーブルが短くコネクタ処理のため、現用ケーブルを切断してコネクタ処理する等の作業が必要になる。何れにせよ今回は、発電機側を覗く必要がありこれまでにない対応になる。 午後からはポンカンの出荷と選果、そして自治会の行政対応があり、このところ休む間もない生活が続いている。 写真は投入した予備EG-2600。オンマウスはその前夜、自宅車庫で起動テストしながらバッテリ充電する様子。 |
15日の夜明けが待ち遠しかった。朝飯前にリモートシャックへ赴こうとしたが、カミサンの手前ちょっと遠慮して朝食後に向かう。昨夜リレーを交換した制御基板をD6500ETへ投入。エンジンキーを回すと2〜3回のトライで正常起動した。全面復旧だ。起動したまま下山し、自宅で発電誘起を確認。WSJT-Xを立ち上げ10MHz/FT8をワッチ。午前中はバッテリ充電のためにD6500ETは回しっ放しにして仕事に就く。そして昼、3時間程充電したところで発電を停止させた。ところが、仕事や所用を済ませた16時頃、起動を試みるも又もや発電誘起が返らない…何故?。早々にその日2回目の出向をすると、エンジンは起動するものの発電が出来ない。これって、1月4日の症状と同じじゃん!。AVRのVRの接触不良か?。この日は他の整備(車輪受け台設置・車輪ベアリング交換)があり、復旧は翌16日の作業とした。16日、朝食後赴き始動を試みるが、インジェクタソレノイドへ12Vを供給しないと起動しない時がある。電圧が6.3V程度に低下しているためで、タイミングが良ければ回る。確かにエンジンが回っても発電しない。AC出力は8.9V、DC出力は6.3Vでお話にならない。それで前回同様AVRのVRをマイナスドライバーで回すが、柳の下に2匹目のドジョウは居なかった。まったく反応しない。さてどうしよう…正直言葉にならない。写真は16日、発電機の位置を変更したリモートシャック。オンマウスは交換したベアリングと車輪。 |
写真はこの時季一番冷え込む7時頃、屋敷ゆら早生畑の気温。地表の雑草の上に温度計とセンサを置いている。昨晩から確かに寒かったので朝の冷え込みを気にしていた。まさかここまで冷えるとは思わなかった…‐6.1℃を示している。これで雨露でもあったらミカンの枝葉はガチガチに凍っただろう。この気温を確認し、近くにあり標高が約5mほど高い舞台のスルガエレガント畑へ走った。オンマウスは地上から凡そ1m程度で、実を付けているスルガエレガントの枝に温度計を乗せて測定した様子。‐4.1℃を示している。ちなみに地上だと‐4.4℃程度だった。4段の軽い段々畑だが、場所場所で微妙に温度差があるので中央付近の代表値である。前回(1月7日)の冷え込みと氷結よる、果皮への目に見える影響は今のところないが、この先の冷え込みを考えると今が収穫時かも知れない。 連日選果に追われていたが、今日は午前中に最後の青島、午後ポンカンの初出荷があった。ポンカンは軽トラ2台分のため、カミサンの実家から軽トラを借り、カミサンと2人で出荷してきた。ポンカンはこの後1月中に5回程出荷することになっている。 ところで昨日も記したD65600ET。本日夕刻制御基板の回収を実施。調べると予想通りリレーのブレイク接点のオープン。形の違う代替リレーを基板へ貼り付けて配線し復活させた。明日現用投入する予定だが、果たしてどうなるか…。 |
本日朝、リモートシャックのD6500ETは順調に発電していた。ローカルのOMと51MHzでラグチュウしながら、不謹慎にも10MHz/FT8運用していたらエクアドルのHC3RJが呼んできた。ローカルラグチュウしながらDXingできるのは、FT8ならではの妙技だと感心する。昼食後、再びD6500ETを回そうとしたら発電誘起が返らない。10回以上トライするが変化なし。ミカン撰果の合間を縫い14時頃、緊急出向してみた。セルモータは回るが、爆発が行われていない様子。最初燃料系を疑い、燃料ホースが発電機を浮かす角材に踏まえているかに見えたが、燃料はインジェクタまで届いていた。続いてインジェクタソレノイドの端子電圧を図ると0V。何じゃこれ、燃料が遮断されたままだぞ!。それで、ワニ口リードで12Vをソレノイドへ供給しながらエンジンキーを回すと、何と爆発が始まりエンジンが起動。あれっ、この症状って過去にも有ったなぁと、記録を遡ると昨年10月30日に対策した一件に酷似している。リレーのブレイク接点が接触不良を起こしていると思われる。前回は隣り合ったリレーと入れ替えることで難を逃れたが、もう頼れるリレーが無い。同等品があっても再発が予想され使う気にはなれない。パワーアップしたリレーを使いたくなるのが人情。それに、ソレノイドへ12Vを供給する際に相応の火花が散るため、その対策も行う必要がある。写真は昨年の不具合時のモノ。 |
太田ポンカンの2L以上の出荷が12日にあるので、このところその選果に追われていた。要するに2L以上を仕分けるのだが、始めてみると2Lギリギリで落ちる、いわゆるLサイズが非常に多い。500kg程選果してもコンテナに1杯あるかどうかの2L以上。摘果をしたつもりだったが不十分だったようで、生らせすぎの結果と言える。ただ2Lの様な大玉よりL程度が良いと言う個人的な思いも、摘果不足を手伝ったのかも…。それでJAより割り当てのあった2Lはキャンセルし、14日出荷の2L以下に鞍替えして選果することにして貰った。太田ポンカンは全て若木に植え直したことにより、粒も揃う様になり我が家の稼ぎ頭になっている。選果も2S以下の小玉を落とすだけで済む様になり、収穫量から出荷量が凡そ分かるようになっている。今年は今月中の6回程のJA出荷があり、凡そ3トン超程度をそれに向けるが、残りは個配へ回す予定。 平行して老木を伐採し苗木を定植している青島の選果もある。こちらは老木の収穫が激減しているので、出荷量もそれに連動している。また悪いことに、収穫前に発生した赤サビダニの影響で、JA出荷できない果実が多く、個配でどれだけさばけるかが課題になりそうだ。写真は太田ポンカンのL玉を手にするオーナー。ポンカンはこれから糖度が上がり絶妙な味になる。 |
この日は地元山切地区のどんどん焼きと庵原地区新成人を祝う会が重なった。どんどん焼きは前日に下準備をして、朝から飾り付けなどが行われ10時10分着火となった。今年も昨年と同様に、コロナ感染拡大防止のため一般参加は取り止め、関係者のみの形を踏襲した。残念だがギリギリの選択である。山切地区のどんどん焼きは、かつては青年団の手に委ねられていたが、現在は自治会社会部が受け継いでいる。毎年メンバーが変わる自治会だが、先輩たちが見守ってくれ毎年支援の手を差し伸べ、この伝統行事を守っている。終了後は、消防団と一緒に火消しを行い午前中に撤収が完了する。 一方、新成人を祝う集うは庵原生涯学習交流館で行われた。こちらもコロナ感染を意識し、椅子の配置を千鳥型にするなどして離隔をとった。準備は前日夜行われた。国家と地元歌「わがまち庵原」を流すのだが、CDラジカセにマイクを当てれば良いとする手法にビックリ。タイミングや音量調整が難しいのでと、急遽PC再生を勧め採用して頂く。式典は10時から始まり予定通り終了したが、その後が大変。会館前の広場で写真撮影をしたが、その後親御さんを含めオンマウスの様にごった返した。この様子は自分が成人した47年前と変わらないなぁと目を細めながらどんどん焼き会場へ向かったが、既に撤収後。自治会館へ向かい、関係者に労いの言葉をかけた。 |
この日は色々なことがあった。昨日復活したリモートシャック発電機D6500ET。午後暫く自宅で発電させ様子を見ていたが、16時頃になって現用投入を決心。暗くなる前にと、再び軽トラに積んでリモートシャックへ赴く。オレンジの物体を積んだ軽トラが時々バス通りを通るが、あれ一体何?と思われる地元の人たちも居たに違いない。燃料を入れると150kgもある物体だが、専用リフターのない軽トラでも、リフター付きキャスターで1人で作業出来てしまうので自分でも驚く。さすがに現在右奥の車輪がベアリング不良で欠落しているが、それをブレーキ代わりにして藪の中に敷いたコンパネの上を引きずり下ろす。あっと言う間に設置とケーブルやホース類の接続を完了し始動テストに至った。もちろん一発起動。久し振りに収容箱のAC系に電源が入った。無線運用だけじゃなく、この様はトラブル対策も楽しみにしてしまう生活も、決して悪くはないなぁと呟いている。 オンマウスは8日に届いた道の駅社会実験のチラシとポスターの発送準備。19時から交流館資料館で2時間程の仕分け作業を行った。印刷の上りも想像以上の出来で一安心だった。枚数を数えるのは効率が悪いので、広報部長が持ち込んだデジタル秤で重さで枚数を数えることで、作業効率が大幅に改善した。 写真はリモートシャックへ現用投入したD6500ET。オンマウスはチラシとポスターの仕分け作業風景。 |
7日朝、畑は‐4.5℃だった。昨日の雪交じりの雨がそのまま凍り、スルガエレガントは写真の如く氷の世界だった。これが復活するのか死んでしまうのか気が気でならない…。8日15時頃、発電しないD6500ETを持ち帰る前に確認したい事があった。バッテリ充電用巻線にACが誘起されているか?。エンジンが起動してもバッテリ電圧の上昇が認められないため、その理由を確認するためだ。ACが来ていないのならAVRが不具合と考えられる。D6500ETは、フライホイルジェネレータでのバッテリ充電ではなく、発電機に専用巻線があるようだ。よって、AVRがフィールドコイルを制御していないと全ての巻線で誘起が無いと考えられる。カバーを外しテスタを当てると想像した通りACが無い。これでAVRをはじめとする制御系と判明。発電機を持ち帰る決心に至った。自宅を往復しリフター台車を搬入。軽トラに積み込み帰宅すると16時半過ぎ。自宅車庫へ入れ、ワニ口で起動制御するとエンジンは一発起動。ただ発電機はリモートシャック同様。やっぱりダメかぁとトホホ状態。AVRユニット購入等が頭の中を過った。ところが待てよ、叩きつける振動は普通じゃないし、VR類の接触不良があっても可笑しくないと機転。マイナスドライバを取り出し、試しにAVRユニットのポテンショメータを左右に回すとビックリ、出力メータが200Vを指している、復活してるじゃん!。 一憂一喜、こんなに気持ちを動かしてくれるモノは最近ないなぁと頷く。 |
今日は年明け青島の出荷が9時半からあり、軽トラに選果した荷を積んでいた。そのうちに雨が降り出しよく見るとみぞれ交じり。慌て荷物にシートを掛けてゴムバンドで引っ張り、その上からロープをかけた。老木の伐採と苗木への改植で、奨励品種の青島の出荷量は激減し底を突いている。北方のリモートシャック方面を眺めると真っ黒な雲だが未だ雪にはなっていなかった。出荷を終えて帰宅し11時半頃富士山カメラを覗くとビックリ。一面雪化粧となり初雪だ。写真は11時23分の富士山カメラの様子。完璧なモノトーンだ。オンマウスは6時53分のもの。あっという間の天候の変化に驚く。とにかく今日の静岡県方面は寒い一日になっている。 ところで、ディーゼル発電機が4日昼から回らない。昨夕出向すると、何とエンジンは回るがAC出力がゼロ。これ初めての体験だ。回れば発電すると思っていたが、チト障害のレベルが高そうだ。原因は単純なヒューズ切れか、それともAVR回りか…コイツ、今年も楽しませてくれそうだ。 |
1月6日に青島ミカンの出荷があるため、4日と5日に撰果作業を行った。作業中に自治会絡みのリクエストがあり、行ったり来たりの時間が過ぎた。4日は新年最初の一般ゴミ回収日。予想はしていたが、正月のゴミが集積場の枠をはみ出し周辺に積まれている。出荷用のコンテナを共撰場へ取りに行った際目に入った…こりゃ回収作業も楽じゃないなぁと。そして14時前、知人から携帯に電話入った。ゴミ集積場にカラスの大群が舞い下り、好き放題やってると。撰果を止め急遽赴くと大変。道路の半分までゴミ袋を引っ張り出して突いている。こりゃ片側通行だ。追い払って道路に散乱したゴミを回収。ところが、カラスは川面や電線に下りて待機している。その数何と百数十羽。立ち去ると再びやられるので、行政窓口へ一報し至急でゴミ回収車を回して貰う。そして5日9時過ぎ、撰果作業中に突然断水。一体何処で断水しているのか友人宅へ電話を入れ確認する。状況を行政窓口へ伝えると、東名高速の側道にある幹線から漏れているらしい。影響は当地区だけじゃなく広範に及んでいる模様。範囲が広いので市の同報無線で告知を依頼するが、何とも対応が遅く録音してオンエアされたのは昼食後。危機管理はどうなってんのと言いたかったがじっと我慢。徐々に復旧しているが、もしもの時のために給水車を派遣するときた。駐車場を確保し、給水車は15時半頃まで待機したが、何事もなく復旧。正月明け早々、連日慌ただしい。 |
元旦の晩までに2年振りに家族全員が揃った。写真は元旦の夕食の様子で、鍋を囲んでいる。名古屋組の到着が急遽早まったため、次男をJR清水駅へ迎えに行った帰路、急遽24Hスーパに立ち寄り追加の食材の買い出しをした。2人暮らしが一気に12人になり、正月三が日はほとんど託児所状態だった。写真には撮影者の自分と、次男が遠慮したのか写っていない。オンマウスは1月2日午後、カミサンの実家のご両親に新年の挨拶に出かけたときのスナップ。ご母堂は90になるためお祝いの衣装を身に着けている。こうした写真をこれからも撮り続けていきたいが、後何年続けられるだろうか。歳は取りたくないが、黙っていても、何もしなくても時間は間違いなく経過して行くから悩ましい。2年前には存在しなかった3男夫婦の長男と、物おじしない元気いっぱいの姉、随分と大人っぽくなった長男夫婦の子供たちの所作や気遣いなど、ネット経由の動画では分からなかった成長を感じることが出来、カミサンと目を細めている。兄弟で性格が違う様に、それぞれに家風が見え隠れして面白いし、相互に刺激があったものと思う。皆心身ともに健康で穏やかに生きて欲しい。 2日の晩に次男が東京へ、3日の夕食後長男一家が名古屋へ、そして深夜近くに3男一家が群馬への帰路に就いた。あっという間の三が日だった。また来年、いやその前の夏休み辺りに全員集合できるだろうか。 |
明けましておめでとうございます。2022年も穏やかに明けました。写真は向山から見下ろす山切地区北部。玄関横の温度計は-2.2℃を示していた。空は雲一つない快晴の朝だった。 元旦は9時より自治会の年頭会が東久佐奈岐神社であり、10時から庵原小学校で消防の出初式、11時から再び東久佐奈岐神社で神社の元旦祭、そして最後に草ケ谷橋で消防の放水と、午前中は学区内を行ったり来たりの大忙しだった。 午後から三男の群馬組、夕刻に次男が東京から、晩には長男の名古屋組が帰省。2年振りに家族全員が揃った。去年の正月はコロナでオンライン新年会をやったが、やっぱり直接会えるのが一番だ。カミサンがそれに備え、暮れから食材の買い出しや寝具の用意などに奔走していた。 写真は元旦恒例の向こう山からの定点撮影。終日快晴で真っ青な空が印象的だった。13時頃の撮影だが、冬季はこの時間になると、写真左側から日陰になるので一気に寒くなる。オンマウスは神社の元旦祭の様子。神社の祭りごとは全て写真の宮司さんが執り行っている。実は宮司さんも学区内の神社を掛け持ちで回って居られ、大忙しの元旦のご様子だった。 |
写真は、庵原小学校グラウンドで行われた静岡市消防団清水第15分団の出初式で披露された、梯子隊の演技。各分団からの選抜メンバーで構成されたチームが、各出初式を回って練習の成果を披露する恒例イベント。一体何処で練習をしているのだろうかと思わせる程の妙技だった。 オンマウスは15分団の消防車を草ヶ谷橋下流の山切川左岸に集結させ一斉に放水した様子。太陽の加減で中央に虹がかかって綺麗だ。こんなに綺麗な虹になるのは滅多にない。 午前中にすべてのイベントは終了するのだが、伝統行事のため容易に時間変更も出来ず、毎年この忙しさが続いている。 余談だが、子供の頃は広く見えた小学校のグラウンドだが、この年になって見回すとそんなに広く見えず苦笑する。校舎も体育館も建て替えられ、当時を思い出させてくれるのは、校歌にもある「すずかけ(プラタナス)」の巨樹のみになってしまった。何しろ55年も昔の話だから…。戦前の親父達が通った尋常小学校時代からあったと言うから、当地のことを一番良く知っているのはこの巨樹なのかも知れない。無造作に撮った写真の左手に、その「すずかけ」が映っている。 ところで消防団員の勧誘に苦労されているようだが、若者たちの奮起を期待している。 |
令和3年も遂に大晦日だ。ミカン切りがひと段落した後、正月飾りやお寺への付け届けに供え物を用意し、お世話になっている方へ届け物をしたりなど、連日軽トラで走り回っていた。毎年のことだが、メモしておいても忘れ物が多くて無駄な動きが多く笑っちゃう。カミサンは餅つきの日を決めていて、そこは絶対に動かさないのだが、こちらは気分でやっているのでアンマッチすることが多い。いきなり餅ちを伸ばしてとか切ってと言われても…となる。それでも、30日晩までには何となく収めてしまうのが面白い…割り切りと言うか。それで31日は恒例の東久佐奈岐神社の清掃が8時から行われた。併せて氏子総代さんによる元旦の祭りごとの準備が行われた。写真は以前から気になっていた神社本堂の屋根の枝葉によるゴミ。もう幾年も落としてなかったので堆積状態となっていた。軽トラに2段梯子と笹竹を積み、予定より30分程早く赴き早めに枝葉を落とした。当初は熊手で引っ掻けば済むだろうと思っていたが、結局屋根の上った方が早いとなり、年甲斐もなく鳶職?に転じて竹ぼうきを手に瓦屋根をはいずり回った。写真は北側の屋根の終盤。南側と神殿は写真撮影を失念したが、もっと多量の枝葉に占拠されていた。下に見えるのは副会長のDさん。オンマウスは、本堂越しに見る参道方向の清掃風景。集められた枝葉は境内で焚き付けられた。 |