青島ミカン最後のJA出荷日だった。昨日カミサンの加勢を仰ぎ選果を行った。田んぼの青島は40年モノの老木が毎年朽ちるため残り数本。代わりに数年の若木が主流になりつつある。2シーズン目だった汁見谷の青島も30年超の老木だ。今年は黒点病が少なく、また貯蔵でも腐敗が少なく選果が楽な年だった。おかげで選果落ちのワケアリは例年より少ない。ぼちぼち個配の頒布案内を始めよと思う。そんな訳で一区切りとなるので、カミサンの一声で温泉へ行くことにした。カミサンは、午前中外出したついでに、昼食を買い込む要領の良さ。11時半過ぎ、特に目的の温泉がある訳じゃなく中部横断道に乗った。行ったことのない温泉をイメージしながら甲府方面を目指した。近間だと南部の湯や下部温泉とかが、車中の会話で出たが、富士川東側の山中にある湖、四尾連湖(富士八湖)のことを思い出した。入る川も、出る川も無い湖だ…丁度富士五湖の様に。山梨県に入り早々にナビに入れると、六合ICで下りろときた。ナビの案内は随分遠回りをしている。時間も有るからまぁ良いかなのだが、気が付くと見覚えのある道。これみたまの湯で通った道じゃん!。その途中の交差点を右折して山に入る。何もないと思ったら、途中町が有ったり、もう無いだろうと思ったら数件の集落が点々。ちょっと歴史を感じさせる地区だ。それでようやく辿り着いた四尾連湖。湖の半分以上が凍結し、日陰は霜柱の山。徒歩で一周して昼食をとり下山。カミサンが売店でみたまの湯の割引券を買ってしまったので、帰りはそこで温泉に浸かり帰路に就いた。写真は最後の青島出荷。オンマウスは四尾連湖の霜柱越し風景。 |
「清水いはらフェス」の後片付けの残りを29日朝行った。毎度のことだが、故障や破損など不具合が発生した機材の確認と復旧を行う。今回はPA-MixerのPMP1680S内蔵のエフェクタが途中から強烈なザー・ノイズを出し使えなくなった。電源の再投入を行えば復旧することは分かっているのだが、会場の進行上それができない…それ以外は生きているから。それでリバーブのリクエストのあったバンドには事情を伝え丁寧にお断りした。そのエフェクタ、昨年もコンサート中にザーノイズを発し、出演者やお客さんに多大な迷惑をかけ、業者に基板を交換してもらった経緯がある。その時も届いた時の最初の電源投入で1回だけノイズを発生し、電源再投入で回復している。しかしその後発生しないので回復と診ていた。ところが今回のステージで明らかに未解決と判明、終了まで2次被害を避けるために、エフェクトVR(FX1/FX2)は絞り切りにして、通電を続けた。さて、問題のPMP1680Sの動作、倉庫で通電し、MicとSPをつなぎテスト環境を整えた。エフェクタへの入力レベルが高い時に発生するため、Mic-ATTはスルーにして、FX_VRを一杯に上げてがなり、意図的にエフェクタ入力を飽和させた。入力バーグラフは振り切れだ。しかしノイズは発生せず極めて良好だ。温度特性の可能性もあるため、29日朝からずっと通電を続け、毎日確認するが変化はなく正常。過去の電子機器の製作や修理の経験から色々と想像を巡らす。基板内部の不良というより、こりゃケーブルコネクタの接触やコンタクト部の馴染みの問題ではと考える様になった。修理業者殿も好意的に対応してくれているが、その旨を伝え総合的に判断することにしている。機材の撤収や収納、或いは運搬時の振動が効き、コンタクト部の接触が安定になったのではと推測している。 |
当HPサイトでも紹介していた「第3回清水いはらフェス」が28日(日)開催された。昨年同様好天に恵まれ、会場となった清水庵原球場駐車場とプロムナードには多くのお客さんが訪れ、「たった一日の道の駅」を楽しんだ。新規設立されたイースタンリーグ球団の「くふうハヤテベンチャーズ」のホームグラウンドと言うこともあってか、主催者発表によると前回を上回る5000名のお客さんで賑わった。9時45分花火が上がり、開会セレモニーで道の駅プロジェクト会長、静岡市長、代議士(代理)、JA清水組合長の挨拶が続き、道の駅プロジェクト顧問の開会宣言で10時、地元庵鼓会の太鼓演奏で開始となった。昼休みには監督以下ベンチャーズ全員がステージに上がり挨拶をされ、その後会場内に流れ地元との交流を深めていた。この日はベンチャーズの練習も公開されたため、球場周辺の大渋滞が予想されたが、清水署の指導の下、大胆な一方通行規制で難を逃れることが出来た。 写真はステージイベントで、東海大翔洋高のブラスバンドの演技がステージ前で行われ、背景には会場を訪れたお客さんや店舗のテントが見える。オンマウスはステージイベントの始まりを飾った庵子会の太鼓演奏。背景には今回もポスターと手書き画を市松状に飾り、昨年の横断幕を白ペンキでなぞった。主担当はPA設備設置とMixingだが、今回はステージPAとは別に、一般向けPAを2台のトランペットSPで独立させたり、重量級電源のパワーアンプを止め、SW電源のPWMアンプで小型軽量化を図った。また、受電環境が整わず、予備含めてガソリン発電機を持ち込んだ。インフラがが有りながら解放されない苦渋を今回も味わうことになった。 |
24日は前日選果した青島を10時に出荷。そして午前中に富士のお客さんへ青島のワケアリを50kg超届けた。今年の青島の出来は黒点病が殆どなく綺麗に仕上がっているのだが、何となく味に押しがない。この時期の貯蔵ミカンはグッとコクが出てくる筈なのだがそれがない…何なんだろう。なお今年は選果率が良く、JA出荷で落とされる果が例年より圧倒的に少ない。これは悪いことではないのだが、選果落ちをワケアリとして個配に回す量が、大分減る感じになってきた。そして25日は再び選果して26日に出荷。 正月明けから青島と太田ポンカンの選果と出荷を繰り返してきたが、26日午後からの週末はいよいよ「清水いはらフェス」モードへ突入。ところが、自治会から有線放送線の河川区域占用許可の更新手続き(10年毎)を依頼されていた。法務局で公図を取ったり、図面を書いたりの作業を連日行っていた。そして26日午前中、自治会館で本書と控えの2部を印刷、本書は県土木事務所へ発送、控えはファイルに綴じようやく「清水いはらフェス」モード。PA機材の準備が始まるかと思いきや、ステージの飾りつけグッズの作成で時間が過ぎる。 写真のピンクコンテナは出荷占用で選果した青島。これ位いの玉が食べ易い。オンマウスは自宅前で「SHIMIZU IHARA FES」の横断幕を白ペンキでなぞった様子。昨年は、いきなり白スプレー缶で書いたが、やはり刷毛で書くべきだった…。左の パネルはステージ背景になる画。 |
第3回清水いはらフェスまで既に1週間を切っている。PA関係の機材チェックと準備をしなければと頭の中が動き出した。準備作業を軽減したく、上層部に打診している案件の改善見込みがない。その一つが電源。イベントやるなら最優先で考えるのが電源だと思うのだが、そうならない状況に苦笑。開場の隅に照明塔用分電盤があるのだが、使えるのは盤横に出たコンセントのみ。中には汎用のNFBがあって、配電機能は設備されながら「前例がない」を盾に先に進まない。数々の屋外イベントで電源を借用してきた経験からすると異例。どう説明しても、地元市議殿に助言して頂いても、市民への開放は閉ざされたままだ。プロ球団を受け入れる球場としては実に寂しい話だと呟く。壁コン(15A)以上は望めないと判断し、昨年同様に自前でガソリン発電機を用意することにした。写真は2年半前までリモートシャックで使っていたEG-2600。気が付いたときにテストを行っているので大丈夫だろうと始動をかけるといきなりバッテリ上がり。軽四のバッテリをつないで始動すると1台は回った。ところがもう1台(手前)、セルは勢い良く回っても爆ぜる感じがない。妙!とマフラーの排気を診ると圧はあるがガス臭が無い。可笑しいと燃料を診るとタンクの中は濡れている。しかし余りにもウンでもスンでもないので、もう一度タンクの中を覗き発電機を揺すってみた。すると何と底を突いている!。スタンドへ走り持ち帰ったガソリンを給油すると何事も無かった様に回った。ちなみに2台共オイル補充を行い万全だ。 こんな道具のチェックを土曜日午前中まで行い、同日午後からいよいよセッティングだ。 |
朝から雨。13時から太田ポンカン2L以下果の出荷がある。午前中、前日の選果の残りを行う。カミサンが途中から加勢。1杯分足らないため、2L以上で選果落ちしていた果からリベンジの選果を行い荷を作る。着色が遅かった3L果が未だ多数残っている。これらはJAではもう荷受けしないから、熟成して個配に回す予定だ。2月頃になるとポンカン独特の味に仕上がる筈だ。昼食中に男子駅伝が始まった。雨が上がるのを待ったが12時半になっても止まない。仕方なく軽トラ荷台に、シートをかけながらコンテナを積む(写真)。最後にシートの上からロープをかけた。13時、共選場への往復も雨が続いた。選果場は一番乗りだった。出荷後、次の青島出荷用にコンテナ24個とパレット1枚を受領。ポンカンはもう1度JA出荷を予定していたが、3L玉が多く2L以下の荷が揃わないので断念。山間園地での栽培の辛さを感じる。あと1週間2L以上集荷が遅ければ目論見は果たせるのだが…JA販売戦略との闘いだ。まぁそれでも、塾生は貯蔵庫の南室でマイペースで出来るので、今年の個配は大玉中心になりそうだ。 閑話休題。昨年友人が投棄して行ったTechnicsのレコードプレーヤーSH-10B4。何とか日の目を見せたくて、夜になって居間のテーブルに取り出し回してみた(オンマウス)。カートリッジのRchが内部断で音が出ず、代わりにSONY/PS2500から外してきたモノで、中島みゆきを音工房Zのバックロードホン聞いてみた。中々グッドだ…アナログレコードは郷愁を感じさせる。 |
大寒の20日、雨音で6時半過ぎに目が覚め起床。玄関の温度計は9.1℃だった。例年この時季の土地は、連日氷点下数度の気温が続き(昨年の最低は-6.4℃)、毎朝水溜に厚い氷を目にし、畑を歩くと霜柱を感じる。ところが今年は暖冬。気温はほぼ0℃止まりで、氷の張りも薄い。それでも急に来る冷えも有るので、舞台にはこの大寒に備えて冷気のよどみを打ち消す扇風機を仮設した。サーモスイッチは舞台の地べたで2.5℃設定なので、さすがにこの気温では回らない。この雨は21日午後まで続き、カラカラだった大地は久々に潤った。 ところで、雨の週末を利用して同窓会の仕上げ作業を行った。幹事有志が撮影し収録したCDを19日晩受け取り、これと印刷した集合写真と簡単なメッセージをB6封筒に入れ、郵便局本局で定形外郵便として投函。また地元幹事の皆さんへは、区分けして直接配る段取りをした。また、20日までに、使った経費の集計を行い、決算書を作成。来月中旬に予定されている幹事会で通帳と決算の説明をすることになっている。前回の同窓会とほぼ同額の繰越金を残し、幹事会のご苦労様経費として僅かだが使わせて頂くことにした。写真は幹事M君制作のCD。オンマウスは郵便局本局へ持ち込んで発送したB6封筒多数。これで同窓会一連の作業が終わったと思ったら、アンケートの集計を忘れていた。回収率は80%程度あるが、次の開催年月等を伺う4項目の回答を表にするだけなので、大した作業じゃないが…。 |
ラジオは農作業の友達だ。先日太田ポンカンの出荷コンテナをトラックへ積む際、柱に打った釘に掛けてあったラジオ(SONY ICF-801…親父の米寿祝に購入)を引っかけてしまい、コンクリートの地面に落としてしまった。電源を入れるが放送が聴こえなくなってしまった。その後ミカンの選果中は音が無いと寂しいので、自作ラジオを持ち込み代用していた。自作のラジオが奏でる音を聞きながら、ミカンを一つ一つ手にして選果する、何ともアナログな世界が良い…なんて自己満足なことを言っている。3日連続で出荷した最終日17日の午後。放置してあったラジオを自宅へ持ち帰り、ようやく調査が始まった。良く診るとFMは正常でAMがダメ。チューニングすると所々にキャリアを感じるが放送をとらえていない。それでビスを6本程緩めて裏ブタを外した。ハメ込んだりツメで引っかけたりが無いのですんなり外れビックリ。同調VC辺りに触れるとノイズが発生するので、アンテナコイルがつながっていないのかもと推測。バーアンテナを触るとグラグラでコイルからのリードが一部断線している。落ちた時の衝撃で、バーアンテナが動いてしまった様だ。バーを固定していたパラフィンも割れている。切れたリード線をワニ口リードを使い、コイルの端子台でプリントパターンへつながっている端子へタッチする。一気にAMラジオの音になった。リードを端子へはんだ付けして無事復活。その間30分も経っていない。これで従来の受信環境が復活した。写真は修理を終えたラジオ。オンマウスはその基板。SPの上にバーアンテナのフェライト棒が見える。 |
青島ミカンと太田ポンカンの出荷が並行しちょっと忙しい日々が続いている。そして13日は小中学校の同窓会があり幹事長の対応があり、好きでやっていてもやはり多忙感を拭えない。そんな最中、14日は太田ポンカンの品評会出展日だと気が付いた。それで13日の午後、屋敷で1本だけ収穫を残していた太田ポンカンを全て収穫した。年明け後天幕を掛けるなどして寒さを防いで来た甲斐があり、果実は良く出来ている。完全着色で糖度も上がっている。収量はコンテナ1杯半程度だった。この中から品評会用を選択しようと考えていた。ところが出店締切日の朝、所定の段ボール箱へ詰めだしたら、指定のL玉40個が入らない。ゲージを当てると2Lサイズ以上が殆どで、Lは極僅か。こりゃまずいとなり、貯蔵庫へ赴き選果前のコンテナからL玉を拾い出す。10時締切なのに、9時過ぎになってこんなことをやっている。我ながらチト呆れる。何とか良さそうな奴を40個箱詰めし体裁を整えた。しかし、拾い上げたコンテナはほんの一部だし、最高の果実かどうか分からない。毎年こんな調子だから今年も入賞など望むべくもない。それでも次点に泣いているから、一定レベルのモノは作れていると思う。出荷時の速報でも秀・優ランクが8割近くあるし、何しろ選果が楽で速い。写真は最後に収穫した太田ポンカン…しかし品評会出展サイズに合わなかった。 |
今年は暖冬だとか言っていたが、12月下旬にはやはり氷が張った。このところ0℃近い気温が続き、家の前のゆら早生畑に霜が降りている。この状態が続くと大寒の頃には再び強い寒さがやってきて、スルガエレガントが氷玉と化すことが予想される。毎年同じ失敗を繰り返すのは意に反することだ。さりとて大寒前に収穫して貯蔵するのも有りだが、これだと貯蔵庫が青島や中晩柑と輻輳するので余りやりたくはない。無理してやっても、出荷は3月下旬だろうから、春に向かって気温が上昇する時期の自然貯蔵は、ヘタ枯れやヘタ落ちに腐敗を招きやすい。したがって、2月末まで木生りで持たせ、貯蔵時間は極短時間にしたい。と言うことはおのずと大寒を上手くやり過ごすしかない。それで今年は、盆地で冷気が溜まりやすい園地に風を送り。常に空気が流れる体制を作ってみることにした。仕掛けは極めて簡単。大型の首振り扇風機を用意し、サーモスイッチで一定温度に下がったら電源を投入するというもの。写真は、スルガエレガント園地舞台の最上段に設置した50cm級の扇風機(場所は暫定)。オンマウスは、自宅から凡そ80m張った電源ケーブルのつなぎ目に挿入するサーモスイッチの様子。温度は2.5℃程度以下になるとONになりファンに電源を供給する。自宅冷蔵庫でアバウトな調整を行っている。暫定的だが、この仕掛けを11日夕刻に実施したところ、12日朝は霜の降り方がまるで違って少なく、効果が期待できそうな雰囲気と判明。 |
このところ青島(4L〜2S)と太田ポンカン(2L〜4L)の選果と出荷が繰り返されている。今年の青島は出来が良く、例年になく選果が容易だ。即ち選果落ちする比率が圧倒的に少ない。昨年は夏の長雨で黒点病に悩まされたが、それが殆ど無い。ところが、太田ポンカン出荷の第1陣は2L以上なのだが、着色がイマイチで日中気温の上がる貯蔵庫南室で熟成を続けている。余り熱を加えると果皮がやられるので柔らかく温度を与える。陽が落ちてからは毛布やキルティングを掛け、一定の温度を確保する様にしている。写真はその南室の様子…南面はスリガラス。この作業により12日出荷予定の太田ポンカンの割り当て量を確保する。要するに着色が遅れると出荷量に影響するから生産者としては必至だ。さらに2L以下は今後も出荷は可能だが、2L以上(大玉)は12日が最後の荷受けとなるから、残ってしまうとその処分は自分でやるしかない…個配に回るが。あと1週間もあればこの方法で間違いなく着色OKになるのだから、今は実に悩ましいタイミングと言える。 ところで、「第3回清水いはらフェス」まであと2週間余りとなった。11日は最後の実行委員会があり参加した。未確定要件が未だ複数あり、来週あたりからミカンの出荷と並行しながら準備が進む予定で、また忙しくなりそうだ。時間に追われながら初老のオヤジが軽トラを飛ばしている姿が目に浮かんでくる。 |
昨年12月、昔のPC-VAN文豪Sig仲間のT氏から超誤無沙汰メールが届いた。T氏は今も、文豪ワープロを収集し修理活動をされている(12月19日Topics)。文豪ミニ7などもうお呼びじゃないだろうと思っていた自分には大きな衝撃だった。30年程前からMS-DOS機として稼働する文豪ミニ7RXの電源を入れてみたが0番FDDが読めない(12月29日Topics)。その後T氏から状況を伝える写真が次々と届き静観出来なくなった。過去の経験からFDDベルト断か延びだろうと、関係グッズを探すが無い。ダメかぁと無線部屋の棚を見たら「文豪M7」と記した段ボール。開けるとFDDベルトが3本あった。2004年に千石電商から購入した10本の残りだ。幾度も交換したものだと驚く。夜、工房からミニ7RXを抱えて来て、コタツの間で復旧作業。SPCカードとSCSIコネクタを取り付けた背面板を外し、プリンタが一体となった上部カバーを外す。プリンタボードも外し、作業をやり易くする。経年劣化で樹脂類が革質化し、はめ込み部のツメが割れ易い。FDDは0番と1番が金属フレームで一体化。前面パネルへ固定するセルフタップビス2本と、後方から支えるセルフタップビス1本は金属フレームへ固定している。これら3本を外せば、FDDがフレームごと外せる。FDDをビス2本でフレームから外すと、ベルトの緩みを確認(オンマウス)。ベルトを交換して無事復活となった。文豪ワープロはもとより、OPTION起動するMS-DOSやHDD/MOシステムも問題ない。2台あるミニ7RXのもう1台も同様で8日晩に復活。これ何に使うの?って聞かれそうだが、NECのPC9801/9821を横目で見ながら、ワープロ文豪ミニ7で独自のMS-DOSワールドを構築したネットワーカーたちの、心意気の証として生きた状態で残したいのだ。 |
1月7日は山切地区のどんどん焼きが山切公園で行われた。朝から有線放送で社会部長が正月飾りの回収と、どんどん焼きの案内を複数回アナウンスした。自宅でも正月飾りを回収し、紙袋に入れてゴミ集積場へ出した。当番区の組長さんがこれらを回収しどんどん焼き会場へ運ぶ。ここ数年、コロナ禍で一般参加を控えていたが、今回は通常通りの開催となった。社会部と組長さんを中心にしたどんどん焼きの設営の他、自治会女性部の豚汁、ワイワイ倶楽部の模擬店や餅つきも出て、公園には人だかりがあちこちに出来た。また消防部の火の用心の存在も大きい。久し振りに何時も通りのどんどん焼きイベントになった。皆でやっている感がグッドだと思う。関係の皆様ご苦労様!。写真は13時に着花した直後のスナップ。飾りは伝統的に引き継がれているが、S師匠(背中)の存在が大きく、毎回適切な指導を頂いている。ところで、来週は青島の出荷と並行してポンカンの初出荷がある。ポンカンは2Lサイズ以上を最初に出荷するため、2L以上を取り出す粗選果を行う。これ青島選果と輻輳するので、今やらないと間に合わない。今回の粗選果で外れたL2以下は月末までに本選果が行われ出荷となる。何回も選果している様だが、過去の経験からこのやり方が一番やり易いと思っている。ただカミサンはどうも馴染めない様だHi。と言うことで、どんどん焼き支援は欠席とさせて頂き、粗選果に没頭した。しかし昼食後、点火時間の13時が近づくとソワソワ。結局それに合わせて点火の前後のみ山切公園へ赴いてみた。オンマウスは粗選果(2Lサイズ取り出し)中の太田ポンカン。 |
今日は年明け青島の初出荷だった。青島は当地の推奨品種で生産者も多く、荷受場の混雑を避けるため、時間が地区ごとに決められている。当地は9〜10時だったので、随分と遅い朝の感じがした…これまでは8時だったので。朝食後軽トラにカミさんの加勢を受けて積み込む。写真は9時に共選場へ進入した時のスナップ。車の中からパチリ。1トン車が多いが、中には2トン車にパレット3枚分(72杯)を持ち込むお宅もある。老夫婦2人の体制では軽トラが一番と思っている。パレットに8杯基準で3段までを一括りにして出荷し、荷受けPCが印刷した伝票を荷の指定位置に置く。これをフォークリフトで所定の場所へ集積すると、その後2Fにある選果場へ送られ機械による選果が行われる。選果状況の速報はメールとFaxで自宅に届き、次の選果の参考資料になる。今年は雨が少なかったので黒点病が少なく果皮は例年以上に綺麗。てことはワケアリ頒布量が大分少なるか…。 ところでこの日は初出荷が終ったので、朝食時に温泉に行こうかとなった。それを失念して田んぼではるみの後拾いをしていたらカミサンから「温泉は?」と電話。早々に帰宅し昼前に出発。目的地は2013年5月11日以来の口坂本温泉(オンマウス)。ヌルヌルしたアルカリ湯が良い。この日はこれだけでは終わらず、峠まで上り北上。県民の森まで走り、南アルプスや富士山を臨んで来た。1985年にベト場取材で訪れた聖岳山麓が雪を被り綺麗だった。 |
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写真は口坂本温泉から県道を上り、大日峠を県民の森方向へ進んだところにある南アルプス展望所からの眺望。聖岳方面と思われるが、実はこの辺りは思い出深い場所。1985年4月20日に取材下見で椹島ロッジ経由で、取材先のベト場がある聖岳の山懐を歩こうとした。その日は4月も後半だからもう雪は降らないだろうと思って入山したら季節外れの雪。結局その日は二間小屋ロッジを往復するなどして現地の道路状況を確認するだけで終わった。そして翌日、猟師のO氏のガイドで椹島から出会小屋経由で聖沢へ下り、再びベト場まで登った。生憎の雨で聖沢は増水、体も冷えて来る。O氏は沢に生えていた直径25cm程の木を倒し、先端を上流から沢へ流し点々とする石に引っ掛け橋を架けた。見事だった。また生木を薄く細長く削りバレーボール大まで丸め込んで火を付け焚火を起こし暖をとった。これも凄かった。ベト場では、対岸のやせ尾根に樹木を敷いてスペースを作りテントで野営。本隊入山に向けた準備と下見を行い下山している。そして1ヶ月後、総重量1トンに及ぶ機材と装備に食料と燃料を担ぎ上げ、ベト場付近にベースキャンプを設置した。下界の情報は中波ラジオのみ。現場の状況はVHF無線で椹島で待機する車両氏により職場へ報告した。もう39年も前の事だが、昨日のことの様に思い出せるから不思議だ。オンマウスは展望所でカミサンとのツーショット。後方が雪を被る南アルプス。 |
1月5日に青島の初出荷があるので、空き時間にせっせと選果を始めている。我が家は老人夫婦の弱小球団なので、一気にこなすことが出来ないからボチボチと始める。出荷コンテナの借用が12月29日に設定されていたのに、正月準備に奔走する余り気付いたら夕方だった。それでも昨年の早生の出荷時に残したコンテナが16個あり、これに入れ出した。今季は果皮が綺麗で、家庭選果は順調に進み、大した時間もかからず16杯できた。そして正月休みが明けた4日朝、出荷コンテナを借用してきて、これに不足分の8杯を作る。借用数は8日と12日の青島と12日のポンカン分を含んでいる。 さて、12月の収穫で伊野のポンカンの木に付着した、ルビカイガラムシ(ロウムシ)の多さに驚いた。多くは枝や梢を切り落としたり、削り落としたりして急場凌ぎをしているが、最初のマシン乳剤を寒い内に散布したいと考えていた。それで4日、選果を午前中に済ませ、午後から伊野のポンカンへマシン乳剤を濃い目(x50)に散布した。20リットルで足りるだろうと思っていたが、やはり気が気が成長し300リットル程必要だった。水200リットルで2回薬調したが、100リットル程余った。これは舞台早生へ散布。7本程度を残して使い切る。マシン乳剤は、通常3月と4月に散布しているが、伊野のポンカン以外の園地では、ルビカイガラムシの発生は僅かなので例年に倣うことにする予定。伊野の園地は昔から発生頻度が高いので何とか潰しておきたい。オンマウスは12月24日伊野、ポンカン切上げ時のルビカイガラムシ…これは未だ少ない方。 |
写真は1日昼、玄関前で行ったBBQの様子。3男一家とカミサンが映っている。カミサンが昨年買ってきたBBQ用釜を、どうしても使いたくなって焼きそばパーティが始まった。半世紀前に、ミカンの在来種を青島に植え替えるときに伐採したミカンの木で作った木炭が貯蔵庫2Fのザルに収容してある。これを三男と一緒に取り出して来て釜に入れ火を点ける。椅子やテーブルが無いと寂しいので、車庫奥から昔使ったテーブルやイスを取り出してくる。焼きそばにした理由は、焼きそば用麺を1kgも貰ってきたから。具は家の中で調理済みだから、外では釜とセットの肉厚のあるフライパンに材料を放り込むだけ。随分アバウトな調理だが十分な味だった。テーブルでは自作ラジオが鳴っている。焼きそばの後はコーヒーブレイク。空は真っ青でぽかぽか気温。孫たちにはこの穏やかな空間がどう映っただろうか…。 オンマウスは2日午前中。早くも初仕事だ。貯蔵庫で寿太郎をモロブタへ移し貯蔵する作業を再開した。せっかくなので孫たちにその作業を体験させた。何で手袋をするの?とか、どうして並べるの?とか、率直な疑問が飛び出して面白い。予措中の初期不良(腐敗)果を取り出せる貴重な時間なので。我が家ではこの作業を重要視している。でも寿太郎って、販売戦略上出荷が2月後半から3月になる見込みで、悩ましい。 2日は夕食を外食で済ません、次男は早々に、三男一家は深夜になってから帰路に就いた。あっという間の賑わいだった。 |
2014年は実に穏やかに開けた。昨晩、群馬の3男一家が帰って来て一気に賑やかになった(次男は1日夕方帰省、名古屋の長男一家は急用で苦渋のドタキャン)。6時過ぎに起床、カミサンが作った雑煮を小分けして神棚や仏様に供える。そして自分たちも雑煮を食べる。そうこうしている内に年頭会で東久佐奈岐神社へカミサンの車で送って貰う。自治会役員やOBの皆さんに新年の挨拶。そして9時になると本堂前に集まり全員でお参りをする。自治会長とJA運営委員長から新年の挨拶。境内では焚火を囲んでお神酒を頂き世間話に興ずる。大したことをしている訳じゃないが、地元を思いやる皆さんが自然と集まって来る。理屈は要らない、この空気感が良い。10時頃には流れ解散。自治会長は消防の出初式へ向かい、11時からは自治会役員と氏子総代による元旦祭が行われる。穏やかだが慌しい年の始まりだ。 写真は6時40分頃のリモートシャック富士山カメラ映像…日の出時間だ。オンマウスは向山(西山農道)から撮った元旦恒例の定点撮影写真。10時過ぎ、年頭会に来られた先輩O氏の車で赴いた。山切地区を俯瞰しながら、当地の歴史話に興じていた。その後農道を上り原畑総経由で汁見谷に出て自宅まで送って貰った。 昨年購入の釜を初使用してBBQを楽しんだ後の16時10分頃、能登半島の地震のニュースが飛び込んで来た。何ということか…。 |
このところ神棚の清掃や飾り付けを行っている。大晦日の午前中までに何とか形が整った。基本的にはシバの葉を交換し、お神酒を上げ、半紙の上に鏡餅を供える。それが神棚、年神、大国様、恵比寿様、火の神、地の神と6ヶ所ある。しめ飾りは玄関の他に神棚と年神に火の神に飾る。玄関と年神は正月が去れば撤去するが、神棚と火の神は飾りっ放しとなる。これら以外は簡易なお飾りを掲げる。これが我が家の昔からの習慣だが、記憶も曖昧になり時々忘れたりするから、実際にはアバウトなモノ。今回も年神様用にしめ飾りを買い求めたら適当な物が売り切れ、やむなく御坊巻きを購入したが、やはり寂しい。それでダイダイとユズリハを切って来て中央に取り付けたが何か変。ウラジロが無いと気付き、裏山で一枝切って来て後ろに配して形にした。考えたら出来合いよりしっかりしていて生き生きしている。このやり方も悪くは無いなぁと、来年の選択肢に入れ様としている。要するに何でもアリで良いんだと考えている。 ところでオンマウス。午後食材の買い物に出たらサトイモが売り切れ。我が家では正月の雑煮にはサトイモが付き物だ。カミサンから畑から取って来いと指示が出たと思ったら、大き目のを洗って持って来いときた。すきクワで土を起こしサトイモを物色し、水で土を流し落してから容器に入れイモ洗い。これで新年からサトイモ入りの雑煮が食える。最初からそうすりゃ良いのに…。今年も慌しく、多くの懸案を抱えたまま暮れていく。今年の紅白は興味津々だったが、孫たちの相手でそれどころじゃなかった…。 |