JH2CLV's Topics & Memorandam / May 2008

May 31. 2008 西へ東へ
5時前に目が覚める。東の稜線が見えるので天気は回復方向かと思ったが、西から急変、期せずして雨模様になった。勝山の取立山へ登ろうと思ったがこれで完全にボツ。朝から無線三昧を決め込んだが、静岡(叔父から)から再び届いた甘夏の事が気になる。7MHzでJA9ZQ生駒OMと交信したのを機に甘夏を下げ友人の所を回る。先ず5ヶ月振りに生駒OM。続いて大野街道を走り、先日もお邪魔したJA9BOH前川OM。前川OMのところはNEC98ノートを届ける別目的もあった。大野まで行くと取立山の登山口がどうなっているか見たくなり、R157を勝山に向かい現場に赴く。雨は上がっているがガスで視界が悪い。カッパ姿で登れない事はないが、道に迷う可能性を考えたのと、昼食前で食料も持っていない事もあり引き返す。帰りは勝山街道を下る。半年前にカミサンと尋ねた松岡のけんぞう蕎麦に立ち寄り遅い昼食をとり福井へ戻る。写真は取立山登山口とけんぞう蕎麦。

May 26. 2008 懐かしいグミと蛍の便り
カミサンからグミと蛍の写真が届いた。実家南側のミカン畑の端に、何十年も前に親父が植えたグミの木がある。1963年12月ここに引っ越した頃、元の家から移植したと記憶している。犬の散歩でこの木の前を通るのだが、一昨日の帰省時は違うコースを歩いたので気付かなかった。実が青い内は殆ど目に入らないが、5月下旬、田植えの時期になると色付き目に付く様になる。丁度ビワもこの頃から色付くので、子供の頃はこの時期が待ち遠しかった。食料事情は良くなかったので、野イチゴや木イチゴにマキノキの実、それにシイの実や山グリにアケビなど争うように採った。今だったら考えられない光景だ。ビワが色付いても、誰も手をつけないまま腐り落ちてしまう状況は、食文化の変遷を物語っている。親父達は「少しでも楽しみを!」と家の周りに果樹を植えるのが習慣だった・・・ビワ・柿・ナツメ・グミ。さてこのグミ、果たして完熟しているのだろうか?。携帯сJメラでは質感まで分からない。子供の頃は、競争し完熟前に食べてしまうため、まともな味を楽しんだ事が無かった。今は何処の子供も興味を示さない。この味が分かるのは昔の田舎モノの証拠か・・・。オンマウスの怪しい光は実家裏の沢で育った蛍。7匹もいたらしい。

May 24-25. 2008 帰省
23日名古屋で所用後そのまま帰省。24日は名古屋の長男と豊田の3男へ荷物を届けにカミサンと回る。ETCの通勤割引が使えるよう9時前に東名清水ICへ。100Km未満に位置する浜松西ICで降り割引条件を満たし再び高速へ。11時過ぎ守山区の長男のアパート(不在)で荷を下ろしR155で豊田へ向う。3男とは一緒に荷を運んだ後、佳織の店で昼食。遥々尋ねる親心をどう思っているか分からないが、何も苦にせず車を走らせるのはやはり親だからか・・・と降り出した雨の中を東走。25日は親父の84歳の誕生日だが、この日は姉夫婦も交え軽いお祝いの夕食。25日は単身赴任先に帰ってしまうから。親父は上機嫌だった。84歳にもなると70歳台とは変わり、マイペースやアバウトさが目立つ。昔の事は良く覚えいるが妙に頑固。車の運転も市内なら何処へでも行く。しかしやっぱり老人、昔と同じじゃ無い。程々さが必要なのだが親父は未だ現役だと勘違い。老兵はただ去り行くのみ!とは言わないが・・・。写真は25日午前に行なった今年初の自家製ハチミツ(採蜜は親父とカミサン達が対応・糖度79%)の瓶詰とラベル貼作業。午後13時過ぎ福井へ旅立つ。オンマウスは佳織の店の入り口からレジ越しに店内を覗いた様子。

May 22. 2008 思いがけないアイボール
先月24日に某出版社のO氏から突然メールを頂戴した。5月23日に金沢で学会があり参加するので、その前後でアイボールできないかと言うものであった。その時点では即断できなかったが、連休明けにスケジュールが確定したため「アマチュア無線の話なら」と言う事でお逢いできる旨を伝えた。
ところでどうして私に?とメールでお尋ねしたところ、拙作HPをご覧になり何やら興味を持って頂いたらしい。 その後会場を福井駅前の善甚に確保して時間などをお伝えし当日を迎えた。
その日の19時頃、やや緊張しながら駅前で合流。初対面と言うのは本当に緊張するが今回もその例に漏れずであった。しかし、会場に着き早々にアルコールが入ると俄然元気になり、いつものペースを取り戻す。これはO氏も同様のご様子だった。それから氏はJH6とJA1のコールを持つHamでもあった。
話はラジオからPC、真空管からCPU、それに物作りへの拘りや近年の理科離と工学オンチの話まで多岐多様に展開。特に文豪ミニ5を修復しながら今でも愛用され、ネームシールの印刷に使っている話は、自分の文豪ミニ7と同じだぁと妙な親近感。こうした話は同席した同僚2人を圧倒していた。
目的を果たされたのかどうか分からないまま、ややヨロヨロしながら店を後にした。 しかしO氏は、工作好きの紛れも無いラジオ&エレクトロニクス少年だった。青少年への正しいRF基礎技術の啓蒙を出版に期待するのは酷だろうか・・・頑張って頂きたい。写真は創刊間もないO氏が担当する季刊誌。

May 17. 2008 荒島岳(1523m/日本百名山)登山〜友人宅訪問
会社の先輩でOBのH氏から大野市にある日本百名山の一つ荒島岳の魅力を聞いていた。H氏は先月29日も雪渓の残る時期に登られ、お逢いしたその夜は荒島岳談議になった。5月に入り気候が安定した事もあり、意を決して登頂を試みた。登山用具は実家に置いてきたので有り合わせの装備で出発。腰にLEATHERMANの工具、デイパックにデジカメ・カッパ・食料・地図・手帳・洗面具・ティッシュ・防水袋・無線機を放り込む。5時に福井を出て6時勝原スキー場駐車場に到着。6時10分頃から登り出し9時5分荒島岳山頂に辿り着く。早々に携帯電話でH氏へ登頂の一報。所要時間は3時間弱であったが、久々の登山で足場が刻々と変わる環境に慣れず、そして体力不足を露呈する結果となった。山頂には約1時間滞在し写真撮影や数人の登山客と歓談。また途中で紛失し諦めていた無線機を後続の方が拾ってくれるなど、思い掛けない出会い。下山は、足首無し靴のためつま先に負荷が掛かり、疲労の他に痛みも手伝い辛い状況。ところが最後に日本カモシカとの出会いがあり辛い状況は何処へ吹っ飛んでいた。写真は三角点から西方向、オンマウスはスキー場に出没したカモシカ。数名の山頂も、下山時は百余名の登山客で賑う。
転勤してから絶対にお邪魔しなければと思っていたアマチュア無線家が大野市にいる。昨年8月アイボールを果たしたが、訪問の機会には中々恵まれなかった。日本を代表するEMEerの一人JA9BOH前川OMがその人である。17日に荒島岳に登るので帰りにお邪魔できないかと打診したところ、予定を変更して頂ける事になった。ややフラフラ状態で、カミサンから届いた田舎の土産甘夏を下げ14時に尋ねた。ご自宅は田んぼのほぼ中央にあり、奥越大野と言えど相当に恵まれたロケーションだった。田植えが終わった田んぼには水が張られ、これがEMEをやる時のグランドノイズに影響を与えいていると立ち話。この地方独特な造りの母屋周辺に144/430MHzのEMEやHFのアンテナ群。2Fに案内して頂くと、そこはシャックと言うよりOMの歴史が詰まった実験場。写真は運用デスクに座るOM。しかし、この画角の外には各種実験材料や試作品、測定機群と蔵書群が所狭しと置かれ、よくも集めたものだと絶句。またオンマウスで分かるように、活動の中に常にハンドメイドと研究開発が垣間見える。17時、YEWのμA計・mV計と実験用電源をお土産に頂きOM宅を後にした。それにしてもスゴイ。しかし原点は紛れも無いラジオ少年だった。

May 14. 2008 Heath Kit SB-220リニアアンプの修理依頼
岩手花巻の先輩T氏から、ヒースキットのリニアアンプSB-220のNFBが飛ぶ旨の連絡があった。修復のための助言を求めて来られ、数回メールのやり取りをしたが復旧に至らず、結局昨日現物が届いた。SB-220は憧れのアンプだった。3-500Zパラで、当時の法定最大電力500Wも楽々だった。梱包を解くと懐かしいヒースカラーのパネルとノブ。憧れの製品を手にすると思いが先行し冷静さを失う・・・。過去、幾度か障害があった様子でカバーを外すとT氏の苦労が伺える。まず得意の臭覚で部品の異常を探る・・・問題は無い。ダミーとTRCVをつなぎ電源を入れる。フィラメントが灯りHVメーターが振れる。問題はなさそう。いよいよ無入力で送信、BIASが流れる・・・すると数十秒でAC100VラインのNFBが飛ぶ・・・これかぁ!。NFBを押し込み再挑戦するが状況変らず。幾度か試すうちNFBの跳ね返りが弱い事に気付く・・・NFB電流値の値下りだ。ワニ口でNFBを短絡し復活。3.5MHzの500Wで30分連続キーイング。安定している。NFBはACラインの往復で入っているが、片側だけで目的を果たせると判断、不良側をリード線で短絡し仮復旧。SB-220は福井に1泊し岩手へ返送となった。写真はヒースカラーが美しいSB-220のフロントパネル越しの内部。

May 6. 2008 福井へ移動〜3-500Z/50MHzアンプ修理
連休も遂に最終日。ETCが付いたのに使えないのは悔しいので、帰路はカミサンの車のカードを借用した。6日は朝3時過ぎに起床し、深夜割引時間の4時前に高速道路に乗る。実際には3時半頃に乗り無事深夜割引(40%)が成立。清水-福井間は普通は\7450だが割引により\4450になった。こりゃ使わない方が絶対に損だと納得。しかし、何年も現金払いしているお客さんに対して、何も還元が無いのは理解しがたい。JHさん、心あらば一考を!。途中養老と杉津で休み福井へは7時過ぎに帰還。未明に見送ってくれたカミサンに一報する。
写真はラジオ体操のために立ち寄った杉津(スイズ)PAからの敦賀湾の眺望。時間は6時半。車の横でカーラジオを鳴らして体操するオヤジは皆さんにどう映っただろうか。オンマウスは友人の50MHz増力用に用意した3-500Z/500Wアンプ。1979年製作と記してある。昨日数年振りに電源投入するといきなりバチッ。高圧でスパークし球にはグローが見え、メーターの振れも可笑しい。様子を診ると高圧リターンにあるメーター回路等の抵抗が吹き飛んでいる模様。時間も無いため福井に持ち帰ってから修理した。原因は後日Test&Dataコーナーに記すが、安定に動作していたのに高圧の振舞いは実に面白い。

May 4-5. 2008 掛川森林果樹園〜興津坐漁荘他を尋ねる
4日掛川の菖蒲園へ行ってみようと決めカミサンと愛犬Hanaとで出発する。掛川ICを降りると菖蒲園の方向が大変な渋滞。簡単に諦める事にし道路案内にあった森林果樹園を訪ねる。人も少なくゆっくりと山野を散策できこれは穴場だった。果樹栽培についての助言や意見交換なども出来楽しい時間を過ごす。
5日は午前中から雨で何も出来ず冴えない日になった。午後は以前から覗いてみたいとカミサンに言われていた興津清見寺の坐漁荘を訪ねた。坐漁荘は1920年に西園寺公望が建てた別荘。1970年に愛知県犬山市の明治村に移設されたが、2004年に同じ場所に復元され現在はNPO法人の手で運営が行なわれている。一般公開され入場は無料。明治〜昭和にかけ、この地が当時の政治家の安らぎの場となっていたた事が分かる。眼下には清見潟が広がっていたが、現在はR1バイパスが作られ当時の面影は写真でしか伺い知る事が出来ない。それでも1960年台はオヤジに連れられて貝殻拾いに来たものだ。案内の皆さんと話が通じ盛り上がった。オンマウスは坐漁荘から東へ少し歩いた清見寺前にある魚屋の魚格さん。この日はマグロのくん製が置いてありビールのツマミにと刺身と併せ買い求めた。

May 2-3. 2008 帰省〜人間ドック〜宮沢賢治展〜その他
5月2日に人間ドックを夫婦で受診するため深夜に帰省。実家に着くと時間は既に24時を回っていた。ETC装置は設置したがカードが未だ届かず悔しい思い。21時以降食事はダメとドックの説明書にあり、空腹のまま床に就く。2日は6時過ぎ起床、諸々の支度をして8時までに静岡健診クリニックに入る。職場の血圧計で測ると、やや高めなので心配していたが問題は無かった。それよりメタボリック症候群関係のチェックがあり課題として記録されてしまった。そして食事や運動についての宣言めいた事まで書かされてしまう。終了後に医師より結果を伺ったが、特に再検査する必要は無いとの事で取りあえず一安心。カミサンは極めて健康だったらしい。4Fアパートの階段を毎日上り下りしているが大した運動量では無いのか。これを1年近く続けており階段には随分と強くなったんだが・・・。
写真は3日大嶺にあるヒノキ林に伸びたタケノコを払ったもの。ここに隣りの竹薮から根っ子が伸び毎年顔を出す。まだ程々のタケノコは収穫も出来て可愛いが、放置しておくと短時間で伸び硬くなるので、この時期の必須業務。オンマウスは人間ドックの後に尋ねた静岡アートギャラリー「宮沢賢治展」の入り口。宮沢賢治は大好きだ。