JH2CLV's Topics & Memorandam
May 2010

May 30, 2010  もう限界・・・タイヤ交換実施
今年の春は可笑しかった。3月中にポカポカになり今年の桜は早いぞと思わせた。ところが3月末、咲いた桜に雪が積もるなどの状況になり、一向に気温が上がらなくなった。そして4月中旬になってからも雪が降り、奥越方面など山間部では場所によっては急な積雪に遭遇。このため4月中にはやろうと思っていたタイヤ交換が延び延びになっていた。一方、夏用タイヤの磨り減り具合も気になり、タイヤ購入と交換を一挙に業者へ頼もうと、近所のタイヤショップへ打診した事もあった。ところが本日、夏用タイヤに掛けたシートを外した時、急にタイヤの溝を測りたくなった。モノサシを当てると法定限界の1.6mmを越えている。ラッキィ!。是か非か、田舎者はこれでつい弱腰になり方針変更。結局4Fからせっせとタイヤを担いで下ろし、タイヤ交換が始まってしまった。折りしも好天で作業日和。4Fと駐車場を4回往復、凡そ1時間で作業が完了した。あぁこれでまた半年この古タイヤにお世話になるのか・・・。その後久し振りに、溜まった洗濯を行う。ところが午後から曇天になり気温が上がらない状況に・・・。厚手のズボンは乾かないまま夕暮れを向えた。5月も終りなのに最高気温20℃前後の可笑しな天気が続いている。作物の出来が心配だ。

May 29, 2010  東芝製の白黒TV(MODEL 14EA)修理に挑戦する友人
愛媛西条市在住の無線仲間K氏がら東芝の白黒TVを修理したい旨を伝えるメールが届いた。実は1昨年、白黒TVを4台も保管する物持ちの良さを知らされていた。当然全て動作NGだが、4台もあれば何とか1台くらい動作するモノを作り上げられるのではとK氏。写真だけかと思ったら、TV内部か背面に貼られていたと思われる、「TUBE LOCATION」と称する真空管配置図やあの懐かしい電源トランスTBW-913Bの内部回路図が添付されていた。これらは今となっては貴重な資料だ。中学時代に電気屋さんのゴミ捨て場を回り白黒TVを集め、修理して使ったり部品取りにしていた事があり懐かしい。現在の仕事のルーツはひょっとしたらこの時代に遡るのかもしれない。お陰でTV受像機の内部構造の殆どは今でも頭の中にある。写真を見ると懐かしい水平出力管・ダンパー管・フライバックトランスetcが並ぶ。ハングリーだったあの頃が蘇ってくる。それで、K氏へ助言を送ると共にHPへ掲載する旨をお伝えした。中古のTV受像機は、テレビジョンの動作原理やTVの修理技術に加え、デジタルやシリアル伝送の概念を田舎でも学べた貴重な教材で、本当に勉強になった。写真は東芝14EA型受像機。詳細はK氏のBlogをご覧あれ。

May 22-23, 2010  帰省・・・人間ドックにアイボールと高圧トランス発送・・・藤枝まるはんの鰻
土曜に人間ドックがあり帰省。金曜深夜に高速を走り24時を回ったところでICを出る「ETC土日\1000」。20時に福井を発ち24時半帰宅、25時床に。ドックを控えチト早めを狙ったが、5時半起床だと大して眠れず苦笑。オマケに検便取得もNGで前日取得したモノのみ持参する事に。7時に出発し7時45分にはJR静岡駅南のクリニックで受付を済ませドックが始まる。昼食後、参加者への講話と個別説明があり、結果は夫婦共々Goodでホッ!。終わると15時近い。松坂屋に用事があり駐車場エキパに入るが、これが初体験のフルオートメーション駐車場。この仕掛けじゃ年寄はついて行けないなぁと呟きながら用を足し帰路を急ぐと16時。晩は富士市で無線仲間のミーティング。カミサンに清水駅まで送ってもらう。土産に13Kgあるトランス(オンマウス)を2個下げて東海道線に乗り吉原駅下車。久々に逢う面々。物作りや無線談議と昨今の社会経済情勢等々の話に2次会まで盛上がり帰宅すると24時。忙しい一日だった。写真の無線仲間はRFやプラズマ関係の製造業に従事される面々。プロ・アマ関係無しの本質をついた議論が展開し大変有意義だった。左からJA2XCR/JH2CLV(私)、そしてJA2FTL/JA2RLL/JF2XGF。皆理科好きのラジオ少年だ。
23時20分、吉原駅で沼津へ帰るJA2XCRを見送ると直ぐに静岡行きの電車が到着し乗車。富士駅でインド人と思われるカップルが乗って来て横に座った。2人の顔が正面のガラス窓に映っている。時々聞こえる声は英語でも日本語でもなく母国語の様だ。暫く様子を伺っていたが意を決した。会話が途切れたタイミングで声を掛けた…どちらからですか?。インドではなくスリランカだった。県立大で日本語の勉強をしているらしく、ご夫婦だった。新蒲原あたりから下車する清水まで日本語の会話が続いた。母国との違いや静岡の感想など色々と伺ったのだが既に記憶が曖昧だ。背中を押してくれたのはアルコールだと思うとその力に感謝だ。いや、ただの酔った勢いだけど…無線でDXやってても外人に直接声を掛けるのは勇気が要るとつくづく。
日曜朝はボランティアのトランス発送作業。何しろ12Kg超の鉄と銅の塊。専用の箱は無いので適当な段ボール箱を探し、周辺に段ボールを切って詰め込み梱包。11個の内5個が宅急便で全国へ旅発った。残り3個はハンドキャリー、更に3個を自家用に残した。このトランスは2種類あった。温度センサの有無と、1次巻線端子が直付けか端子台かの違い。一部に端子のグラつきや端子台や温度センサの破損があり、誰にどれを送るかは考えず梱包したためゴメンナサイだ。
さて来週の27日は親父の86の誕生日。ちょっと早いがそれを祝し、親父の好きな鰻を食べに藤枝のまるはん(ヘソ曲り)を訪ねた。この店は予約制で品書きも無い。酒類は持ち込みで対応する一風変わった店だ。金曜日に予約を入れたが何とか午前11時半の予約がとれた。それを目指して10時に清水を出てR1バイパスを西走。唐瀬IC先で渋滞に巻き込まれるが何とか時間までに辿り着く。今日は熊本産のウナギらしい。相変わらずの良い味に親父も満足そうだ。藤枝の姉夫婦を訪ね、その後13時、東名吉田IC経由で福井への帰路に就き17時福井着。朝から雨と風の一日だった。写真はまるはんの鰻・・・メニューはこれのみ。オンマウスは雨で外に出られない留守番のHana。

May 15-16, 2010  体調不良微熱の週末・・・Digi-Keyを初体験
14日(金)の晩は久し振りに福井を訪れた同僚と福井一安い居酒屋「ひさだ」で懇談。楽しい時間を過ごした。明日は朝7時発と言う事で早々に切り上げる。21時には帰宅、酔っ払ったまま床に就いた。それが悪かったのか朝起きるとちょっと可笑しい。10日の朝から36.5℃前後の微熱があり危惧していたのだが、本日とうとう37℃に達してしまった。こりゃ大変と予定を大幅に変え、この週末は静かに自宅待機に勤しむ事になった。とは言え休日の起床時間の早さは相変わらずだ。写真は朝4時20分にアパートから東方を臨んだ様子。遠方の稜線中央は白山。この後5時頃に日が昇るのだが、自分はこの時間の静けさが妙に好きだ。ところでPLL用ICの9046。東京の同僚に秋葉原を、名古屋の友人には大須を探索してもらったが見つからない。東京の同僚にDigi-Keyにあるよと言われていたが、怪しい感じがしてその気になれなかった。しかしサイトを覗くとしっかり在庫。価格も\276と適価。これしかないと神頼みのつもりで5個発注(送料\2K)したのが14日(金)。それが何と16日(日)昼にUPS便でUSAから到着(オンマウス)。何と言う早さだろう。これなら送料2Kも納得だ。ディスコンになったデバイスの入手でお困りの向きは是非お試しあれ。

May 9, 2010  「夜叉ヶ池」を目指すも・・・
昨日に引き続き今日の福井方面は快晴の朝だった。何と5時には起床し諸作業が始まるから自ら年を感じる。寝ている時間が勿体無いのだ。東側の窓を開けると丁度稜線から陽が顔を出すところだった。白山より北側なのでもう夏の位置だ。
その気は無かったのだが稜線を見ているとそわそわし出した。家事もあるしそんな時間は無いよなぁと自分に言い聞かせたが気が付くとリュックに荷物を突っ込んでいる。困ったもんだ。朝食を済ませた7時過ぎ、車は北陸自動車道を南下し今庄を目指した。そう、あの夜叉ヶ池に登るためだ。7時40分に今庄ICを降りR365沿いのコンビニで食料を調達。途中から広野ダム方向に左折。昨年秋以来の道だ。両脇に水が張られた水田が田植えを待っている。集落を抜けて広野ダムに出る。辺りは新緑。しかしダムを渡ると様子が違う。昨年は無かったチェーンが掛けられている(写真)。6月6日が山開きで、今は車両の進入が出来ないらしい。オッと!だった。登山口までは何Kmもあり一機に気が失せて行く。しゃぁないとあっさり諦めダムの写真を撮り帰路に就く。次はもう少し情報を集めてから来よう。ちなみに昨年は山開き前でも登山口近くまで進入できた。オンマウスは広野ダム湖。

May 1-5, 2010  帰省・・・穏やかな連休
4月30日は21時過ぎに職場を離れ、静岡への帰路に就いたのは22時半頃。 やはり連休という事で何時もはガラガラの北陸自動車道も車が多い。と言っても渋滞とは無縁なのは相変わらずだ。 名神・東名高速もそれなりの込み具合だったが、岡崎ICの手前でやや渋滞した程度で、まずまず快適なドライブだった。最近ガソリンが値上がりが著しいので、意識的に速度を落としエコ運転を試みた。このため帰宅は26時半頃になった。速度を95Km/h程度に抑えると、燃料計の丁度半分で300Kmも走るから面白い。床に就いたのは27時だった。
1日は8時頃起床、長男の結婚絡みの内祝いを物色するためにカミサンと静岡まで2回往復しているうちに時間が過ぎる。そして長男夫婦が2日から2泊する事がこの日分かりその受け入れのための準備(掃除など)に深夜まで奔走。写真は2日昼食時、庭先の柿木の木陰で行われた家族のバーベキュー。午前中に次男も帰省、そして姉家族も加わり賑やかだった。オンマウスは1日夕刻、実家南側の土手を散歩するHana。周辺の草の緑が印象的だと思う。ポカポカ陽気で実に穏やかな連休だったが、次男は日帰りで小金井へ、長男夫婦は4日未明に名古屋へ、自分は5日朝福井への帰路に就いた。
その他連休中の出来事を記す。写真は4日、実家の東側にある荒地の整地と野焼きをする親父。元々親父の友人のミカン畑だった。10年以上も放置されていたため葦や雑木が生え荒れ放題だった。家に近い事もあり親父が何とかしたいと借り受けたのだ。手間の掛からない甘夏系を植えたいらしい、それに野菜も・・・。親父は間もなく86だが、その情熱には驚く。本人の楽しみとは言え、それに関わる労力の多くは本人以外に依存するのは明らか。これをどう理解するかは非常に難しい。コストを考えたら「止めたら!」となるのだが、親父のやりがいや健康維持、収穫の喜びと振舞い、家族の連携etcを考えたら即断は出来ない。ただ周辺からの「察し」を半ば期待する古くからの考えが見え隠れする。若い世代には、優先しなきゃいけない事が他に山積みなのも事実。それを見て天国でオフクロが笑っている様だ。この日は朝6時半から16時頃まで、真っ赤に日焼けする作業になった。途中ミツバチの分蜂(オンマウス・・・カミサンと親父)やシロアリ騒ぎもあった。田舎の生活はそれらに自力で対応しなきゃいけない。自然の中で生かされている・・・そんな感じがする。でも一番大切なのは柔軟なコミュニケーションか・・・。
4日の晩、Hanaの散歩で大道を下る。左手に金属加工工場。そこには似合わない装置が山積みになっていた。どう見ても電子装置だ。近寄ってみると何とマイクロ波発振機とある。そしてパネルには「SPC」のロゴ。SPC?何処かで聞いたことがある。散歩から帰りインターネットでSPCを検索するとやっぱり・・・あの島田理化工業だった。
翌5日。普段ならカミサンからHanaの散歩を催促されるのだが、この日は6時半自らHanaのリードを引いた。そう、あの発振機をもう一度見るためだ。この時間なら誰も居ないだろうと近寄ってみると事務所からゴソゴソと音がしてご主人が現れビックリ。自己紹介をし事情を話す。高周波乾燥機に使っていたモノらしい。廃棄物だからご自由にどうぞと言われ「ラッキィ!」。Hanaの散歩もそっちのけで家に戻り、「五月ヶ瀬」の小箱を御礼に下げ車で赴いて1台ゲット。一体何にするのと聞かれそうだ。マグネトロン(2.45GHz)と思われるが、出力1.7KWで電源が3KVA以上は魅力。RF的にはアマチュア向けでは無いが電源としては十分使える。30数Kgもあるが、腰が痛くてもその瞬間は重さを感じない。困ったラジオ少年だ。写真は積み上げられたマイクロ波発振機12台とHana。オンマウスは持ち帰ったモノと導波管。