JH2CLV's Topics & Memorandam
November 2020

Nov 28 恩師の個展…
このところの日の過ぎる速さには驚く。ミカン切りとその選果に出荷に明け暮れていると時間の経つのも忘れる。そして今日11月は28日は親父の七回忌。もう7年目に入ったのかぁと、これまでの出来事を振り返ったりする。知らぬ間に時間ばかり過ぎるといけないので、日記を付けながら代表的な話題をこのコーナーで紹介しているが、最近は後追いが多くやや苦戦気味でもある。
写真は本日28日午後、庵原小学4年の時の恩師の個展を尋ねたときのスナップ。先生を囲んで、左から友人のA君とTさん、そして本日初対面のKさん。恩師は担任ではなかったがクラブ活動(図工部)でお世話になり、独創的な指導が羨望の的で憧れの先生だった大瀧先生。先生のクラスだったメンバーと、転出先の辻小学校の担当クラスのメンバーが協力し合い、先生の米寿を祝うこの個展が企画された。25日から30日の予定だったが、気付くと28日で慌てて赴いた…遅れ馳せながら。背景は会場となった庵原交流館・郷土資料館昭和54年。昭和54年、青年団時代に自分たちの手で建てた旧連合青年団事務所だ。今は郷土資料館と看板があるが、会議や打ち合わせで使うことが多いらしい。恩師の個展が、自分たちの手で建てられた建物で開かれるのは、ちょっと感慨深い。オンマウスは先生の作品をあしらった案内カード。

Nov 23 保福寺の観音会…東久佐奈岐神社の新嘗祭・七五三
写真は東久佐奈岐神社で行われた新嘗祭・七五三の式典後の境内の様子。コロナ感染を気遣いながら、境内で記念撮影を行っている様子.
オンマウスはそれに先立ち保福寺観音像前で行われた秋の観音会のお参り。こちらはコロナ感染を気遣い、世話役以上の皆さんの参加となった。お寺ではその後本堂で役員会議が開かれた。その後車で超特急で神社へ移動して式典の行われる本堂へ忍び込んだ。
自分も七五三の祝いはこの東久佐奈岐神社で行って貰い、記念写真の記憶が今でも脳裏に焼き付いている。今年はコロナ禍で開催が危ぶまれたが注意を払いながら何とか実施に漕ぎつけ、様々な思い出を残すことが出来た。これに先立ち地区の組長さんによる神殿と境内に参道の清掃が朝8時から行われた。皆様ご苦労様でした。
いずれも昔から続く山間の村の慣わしで、秋の好天のなか穏やかに執り行われていた。

Nov 21 このところのミカンの様子
写真は色が着いた順に収穫をしている早生温州ミカンの木(興津早生)。この木は毎年良い感じで実を付けるのだが、今年は着色がイマイチで色が十分に回らず苦慮している。オンマウスは40年物の青島温州ミカンの老木。この1本で200〜300kgの実を付けている。木に上らないと切り取りが出来ない実が相当数あって苦慮する。今時木によじ登ってミカンを切る光景は殆ど見られなくなった。効率は極端に悪いし、だいたい危ない。現在は、こんなに大きな木にはしないで、地上から手が届く範囲で育てるのが一般的だ。昔は限られた面積や木の本数で、どれだけ収穫出来るかを競った時代もあったが、今はそんな時代ではなくなった。
早生の色付きや色回りを待っている間に、青島がどんどん色を付けてきて早生を追い越していく感すらある。この土地が本当に早生に適しているのかとする疑問も同時に湧いてくる。青くても貯蔵すれば黙っていても完全着色して糖度も来る青島系は素晴らしいミカンだと思うが、貯蔵管理が付いて回る。親父は一機に出荷して後腐れのない早生を追加したようだが、中々思い通りにはならない。もう少し日照時間が有ればと、いつも悔しい思いをしている。

Nov 19 連日の早生ミカン切りと撰果、そして出荷…QEX_No.37届く
今日は早生ミカンの2回目の出荷日。7時過ぎ、昨日まで収穫と撰果をした舞台と田んぼの早生ミカン、写真の様に軽トラに積み8時に共同撰果場へ搬入。朝飯前の力仕事は目覚ましには格好と笑う。朝起きた時は雨上がりの後でミカンの木は雨露でビショビショだった。園地を回り露の状態を確認するが、これじゃぁ午前中はミカン切りは不可能。ミカン切りは昼食後から始めようと踏んでいたら、隣の奥さんが昼食中に訪ねて来て「雨だ!」。ご丁寧に洗濯物の回収を促してくれた。辺りが急に暗くなり、さっきまで陽が差していたのが嘘の様に雨になってしまった。ミカン切りどころじゃなくなってしまった。このところ連日の作業でやや疲れ気味だったが、良い湿り絶句となった。それは自分だけでカミサンはミツバチのケアに奔走。
手前味噌ながら、今日はCPE710のプロダクトリポートを寄稿したQEX_No.37の発売日。昨日は同じ発売日のCQ誌12月号が届いたので、今日は届くだろうと思っていたら昼の郵便には無かった。半分諦めていたら15時頃のヤマト便で届いていた。オンマウスは早々に手にして執筆したページを開いた様子。自分の記事より、友人の皆さん(JF1DMQ山村氏、JA1RPK川名氏、JA7QQQ中村氏)の記事と一緒に掲載されたことが嬉しい。なお山村氏執筆の「強制バラン型ラジアルの効果シミュレーション」は豊富なデータで必読モノと感じた。

Nov 16 舞台モノラック全線開通…早生ミカン出荷
今年より、隣組の先輩からの依頼で早生ミカン園地をお借りしている。舞台のスルガエレガント畑から沢を渡ったところにある。モノラックで鉄製のグレーチング(50kg以上)を運び、終点から横に転がしながら移動し、カミサンの力も借り沢の上に渡した。それを2ヵ所で行い相互の往来が楽になっていた。早生ミカンの収穫もこの「グレーチング橋」のおかげで随分やり易くなった。ところがモノラックの終点まで、遠いところでは50m近く歩く必要があり効率が悪い。モノラックの延長は以前から計画があり、業者に見積もりをお願いしていたのだが、早生ミカン収穫の真っ最中に工事をお願いすることになった。延長は凡そ30m。早生ミカン園地の中央付近まで乗り入れることにした。工事職人の皆さんはスルガエレガント畑へ張った時と同じで、中にはハムも居て昼休みに世間話で盛り上がった。8時半から始まり14時には完了した。これで自宅から凡そ80mの軌道となった。
写真は沢を超えて延長したモノラック・レール。補強のために両岸に専用の支持金具を取り付けている。左端に、渡して橋になったグレーチング。右上は東名清水JCTと新東名新清水JCTを結ぶ連絡路。オンマウスは本日19日朝8時過ぎ、出荷で訪れた共同撰果場の様子。この日は今次プールの初日とあって出荷者が多く、またフォークリフトの稼働数が少なく凡そ30分の待ちだった。1Fが集積場で、2Fが機械化された選果場になっている。

Nov 11 舞台の早生温州ミカン本格収穫
日照時間の少ない当地でも気が付くと早生ミカンンが良い色に何っている。その様子をみて出荷申告を急遽早めるなどの対応を行った。ただ、色が来たと言っても手に取って至近で見ると未だ緑部分があったり薄黄色っぽかったりする。十分色が回り切らないモノもありイライラする。JAの出荷基準は完全着色なのだ。そのために目揃え会も行いレベル合わせをしている。しかし同じ園地じゃないのでバラツキは大きい。川沿いに2kmも下れば、起きた時から陽が出て、遠い稜線に陽が沈む地区もあれば、日の出は9時で日の入りは15時の当地ではとても太刀打ち出来ない。この地の利の違いに何10年も悔しい思いをしている。それでも何とか当地の特色を生かしながらの生産を行うことになる。
写真は舞台のモノラック終点付近に集結したコンテナ群。ビクに収穫して、ここまで数10mを歩いて運んであける。自宅前まではここから60m。1度に2段積みで12個のコンテナを運ぶ。周辺は実を付けたスルガエレガントだが、ようやく着色が始まった状況だが、これから一気に黄色くなる。オンマウスは収穫中のカミサン。色付きの悪い実はそのまま残し後日収穫する。遠方に自宅のタワーとアンテナが見える。左奥に清水いはらICがある。

Nov 9 自宅インターネット回線のSpeedTestで100Mbps
家のメタル回線が光化(フレッツ光)したのは2006年1月26日だった。光化で電話はVoIP化され、PCデータと同様にデジタル化された。その後2012年9月に、VoIPやModemなど複数の箱が一体化された。その時の作業報告によると「フレッツ・光ネクスト ファミリー・ハイスピードタイプ光電話」と記されている。また、当初はNTT西日本が契約先だったが、その後業界の再編が行われ回線はBiglobe光となりKDDIが契約先となった。物理的な回線や設備に変化はないのだが…。Biglobe時代のURLやメールアドレスはそのまま引き継がれ現在に至っているが、何とも妙な世界だ。光回線に目を付ける業者もし烈で、毎月の如く入替を勧める電話があり苦慮している。さて、前置きが長くなったが画像は現在のシステムでのBNRスピードテストの結果。105Mbps程度の数字が出ている。幾度か試したが間違いないので記念に画像をキャプチャした。実は安定に100Mbpsを記録するのは最近になってからのこと。NTT側で何かあったのだろうか。速度に応じて値段が決まる世界なので、欲を出せばきりはないのだが、この程度の速度が安定に出ればOKとしている。光化する前は56Kbpsモデムのメタル電話回線だった。その時代を考えたら何も不足はないと言ったら言い過ぎだろうか。オンマウスはその後、西条市の友人へ追加で送ったPC-9800/9821のキーボードとマウス。

Nov 7 さらばNEC/PC-9800&PC-9821
愛媛県西条市在住の友人とメールのやり取りをしているうちにPC-98の話になった。PC-9800やPC-9821が複数台あり、こいつらも無線機ジャンクと同じ道を歩むのだろうかと考えていたら、友人から未だ現役で仕事に活躍していると連絡があり、欲しい!と伝えてきた。PC-98専門の買い取り業者へ打診するなどしていたが、大した金額にもならず送料も出ないかも知れない状況に苦慮していた。着払いで良いからとあり、これ幸いと二つ返事で送ることを伝える。11月7日の朝、倉庫から適当な段ボール箱を集め、3個口に梱包した。運送屋じゃないので、有りもののクッション材や段ボール箱を切り出して間に詰め込み、何とか形にした。発送した旨友人へメールすると「速!」と返事が有った。通電して動作確認などしていないが、このころのPCは基板も筐体もしっかりした造りで、まぁ最悪部品取りで使えるだろうと勝手なことを呟いている。
写真は上段左がPC-9801FA、右がPC-9821V200、下段左がPC-9821Ap2、右がPC9821-Xa16。PC-9800FAはWindows95を無理やり組み込んだもので、LAN接続して自作SCSIカード(SPC)によるHDD共用を文豪ミニ7RXと行っていた。DOS/V機からLAN経由で文豪ファイルを操作していたのだ。他はWindows98が組み込まれている。果たしてどうなるか…大事にしてもらえよ。さらばPC-9800/PC-9821!。

Nov 2 何十年振りかで訪れた大井川「蓬莱橋」
20代前半の頃、仕事で島田や牧之原方面を訪れ、初めて蓬莱橋を見た。11月2日、アウトバックのバッテリ充電を兼ね藤枝の姉を尋ねた。R1バイパスからR1へ降り藤枝市街地へ入った。その後、帰路に就こうとしたらカミサンが蓬莱橋へ行ってみたいと呟いた。そのままR1を島田方向へ進み近くの商業施設の駐車場へ車を止め赴いた。頭の中に残っている20代の頃のイメージとは全く違う風景が飛び込んできた。蓬莱橋その物は変わっていないと思うのだが、大井川土手に設置された料金所や物産店、そして勝海舟の記念碑やその他モニュメント。眼下の大井川東岸は整備された公園に…あの頃のイメージはもっと自然で田舎っぽかったのだが一瞬にして吹っ飛んだ。
写真は物産店前からの蓬莱橋。江戸時代までは橋がかけられなかった大井川だが、明治12年に牧之原の開拓で人々の往来が多くなり、木造橋を架けたのが始まり。現在も補修が続けられ当時の景観が保たれている。人物は山野草好きのカミサンで、珍しい花を見つけたらくスマホを取り出している。この日は雨の予報だったが何とか天気は持ち、対岸まで橋を歩き祠にお参りして戻った。長さは897.4mある。眼下の大井川や源流の南アルプス方面、そして河口の駿河湾方面が臨め楽しい。JA2AGP矢澤OMのお宅もこの辺だったなぁと帰路に就くと、目前に見付けるも後へ流れて去って行った。

Nov 1 地区環境整備日
今日は学区の環境整備日。天候が危ぶまれたが、晴れの朝を迎えることができホッとした。自治会2役は、開催決定の放送や、整備グッズの配布で自治会館へ6時半頃から詰める。このため、組の作業はカミサンに任せている。写真は当組が担当する山切川沿いの石垣。石積みが凡そ300m程続く場所があり、ここに草木が生えるため春と秋に刈っている。石積みは高さ5m程あるため、道路からガードレール越しに草刈り機を差し出しても上部しか刈れない。川に下りて下から刈っても中段が残ってしまう。また近年は生の枝葉は回収する習慣があるため、作業が面倒になり手を付けなくなった部分もある。環境整備の1〜2時間程度の作業ではやり切れないため、手付かずの状態に拍車がかかる。さりとて、行政にお願いしても中々対応して貰えず、見かねた地元民の心意気によるボランティアに依存しているのが現状だ。環境整備日に備えて、事前に刈り込みをしてくれる人も居る。自分も古くからのの石積みを見てきたので、それに草木が生え、特に小木が太く長くなっていく姿は放置できない。小木の生長はは石積みを壊して行くから。そんな理由で先日のバリカン狩りなど、自然に体が動くから面白い。
写真は作業が終わり道路際にたたずむ皆さん。オンマウスは先月末に草木を刈った石済み。青かった草木も茶色に変色し自然に帰って行く。小木も短く切って自然に帰るのを待っている。

Oct 30 田んぼマキノ木剪定終了…環境整備準備
田んぼのマキノ木の剪定がようやく終わった。最初は外側を南側の東から攻めてバス通りを北上し北側を東に入る。恐らく100m以上ある。道路側はシートを敷きそこに枝葉を落とし一定量になったら引きずるか背負って内側のミカン畑へ廃棄する。その繰り返しを何十回も繰り返す。枝はは全てがシートに落ちることは無いので、最後は竹ボウキではいて回収する。ここは田舎なので、作業していると車で通る友人知人が声を掛けていく。中には止まって世間話が始める御仁がいるから苦笑する。内側はシートは敷かずそのまま切り落としてしまうだけなので作業早い。マキノ木の作業が終わると、気になっていた山切川土手の草木刈りが始まった。小木が成長すると石積みを動かしてしまう。12月1日が環境整備日なのだが、毎回手が回らないので、事のついでにバリカンを掛けた。電源は側溝の土管に電源コードを通して川側へ引き出した。発電機(EG-2600)を摘んだ軽トラをミカン畑へ乗り入れた。土手に梯子を掛けて作業を始めたが、梯子を移動するより石垣を上った方が早く、昔取った杵柄(?)で対応した。
写真は大体刈り揃ったマキノ木の生垣。オンマウスは軽トラに積んだ発電機とマキタのバリカン。バリカンの消費電力kは400Wとあるので、発電機はオーバースペックかも知れないが、親指位の太い枝をガリガリ切るときは、回転数が上がり唸っていた。