福井単身赴任中に友人のJA9CPYよりQSYしてきたKWM-2に、ネットオークションで入手した電源PM-2を背後に挿入したのが10年近く前。単身赴任解消後は自宅に持ち帰り無線部屋にセットし、一日30分程度の通電を行い機器の活性化を行っていた。 そのKWM-2が1年程前から電源が入らなくなった。不精人間なので何時でも修理できるわいと、何もせずそのまま放置してあった。何で修理する気になったかはっきり覚えていないが、古資料を整理しているうちに壊れたモノの放置が気になってきたのだろう。 それで深夜近くになってから棚から取り出し、初めて様子を診ることになった。早速電源ヒューズ4Aを取り外してみると断。これ4Aを謳いながら7Aが入っていた。5Aのヒューズに交換して電源を投入するとパイロットランプが一瞬と灯るも、ボーと音がしてトランスが唸り再びヒューズ断。KWM-2側かPM-2側かを見極めるため分離して確認すると原因はPM-2側にあった。 購入後初めて覗くPM-2は、コリンズの名が恥かしい程に、部品交換の手が入っていて苦笑。臭いものに蓋をするわけじゃないが、関係する部分の修理のみを行い、動作確認し早々にケースに収めた…逃げる様に。修理の詳細はTest&Dataコーナーに記した。今は極めて良好に動作している。 |
第1回目(2015年)は11月開催で、快晴だったが日没後は寒くてブルブル。2回目(2016年)は9月に早めたが雷雨の荒天で早々に雨天会場の庵原生涯学習交流館へ変更。そして第3回目の今年は曇天だったが何とか開催に漕ぎつけた。 三池平古墳は5世紀頃この地域(大井川〜富士川)を支配していた豪族の墓(前方後円墳)とされ、昭和31年にミカン畑で発見され、昭和33年より本格的な発掘調査が行われた(庵原郡庵原村の時代)。現在は公園として整備され市民の憩いの場となっている。古墳の前方部(海側)に仮設ステージや仮設売店が設けられ、歴史ウォークラリー・演芸会・神事・古代人迎送儀式・各種展示などが行われた。 写真は陽が落ちてから行われた古墳祭り神事。オンマウスは演芸会トップを切った「原こども園の園児たち」による「港かっぽれ」の遊戯。後方に清水港と三保半島、そして遠くには駿河湾と伊豆半島を望む。上空は終始曇りだったが、駿河湾や伊豆方面は快晴の模様。 |
写真は昨年に引き続き出演の「丸山研二郎×ノーザンスター」のお二人。オリジナル曲の独特な響きが印象的。そして静岡の昔の歌を綴ったアルバムの紹介と演奏もあり活動の幅を感じさせた。ノーザンスターのayumiさんは、SUREのSM-58BETAがお好きな様で毎回持参され面白い。 オンマウスは地元のフォークバンド「ホームタウン」の5人組。55歳超の中学校(庵原中)の同級生の集まりと聞く。よく見ると友人の弟さんがいたりして可笑しい…上手でベースを弾いている。自分のことは棚に上げて、随分と歳とったなぁと呟く。 実はこのホームタウン、一番マイクロフォンを使うグループだったが、楽器は全てエレクトリックに落ち着きステージ上で音量バランスを取って貰い、ボーカルを中心にMix&PAして最終バランスをとった。これにより当初はSoundcraft/FX16Uでセッティングしたが8本に簡素化しBehringer/PMP1680S8に収めている。 屋外のライブは室内と異なり、Voiceに全く残響感が無いので、スピーチでも僅かなリバーブをかけている。演奏時は楽器とのリバーブ感の整合性を考慮した処理をする。 |
写真は清水いはらIC北側の園地で行われた摘果の講習会実習風景。9時からJA清水庵原支所で座講を行った後移動した。参加者は10数名で、これまでカミサンが参加していたが話のタネにと代わりに出てみた。M講師の話より、試作地の管理の方が気になりキョロキョロの連続だった。摘果と言うより、来年に向けた穂や葉の落とし方や、農薬散布の話の方が内容が厚かった気がする。遠方は清水港。
オンマウスは田んぼの草の状況。3週間程度で膝を超える位まで延び苦笑する。しかも、前回刈った時とは異なる種類の草が延びていて面白い。これを草刈り機で刈っているが、やはり草は虫を呼ぶし、この状況は好ましくない。今年やたらとカミキリ虫が多いのもそれが原因の一つとして考えられる。来年からは除草剤の併用(ミツバチ飼育との共存があり)を考えたいと思っている。余談だが、この季節になると日中でもスズムシがリーンと鳴いていて、草刈りすると逃げ回る姿がある。バッタやカマキリも多く、まったく昆虫の楽園になっている。 |
台風18号は日本海へ抜け、朝は写真の如く快晴の富士だった。一定の風と雨をもたらしたが長時間は続かず24時頃がピークだった。山頂リモートシャックの設備は問題なかった。ただ玄関前にある「はるみ」の木が西側へ傾き、東側の根元が浮き上がった。と言うよりカミキリ虫に食われボロボロだった。早朝よりこれを起こし、木材でステーを取り対策。現存する根で何とか頑張って欲しいと願う。伊野にもカミキリ虫に根をやられたポンカンが1本あって、こちらもグラグラ。同様に木材でステーを取る。 今日は藤枝の生涯学習センターでハムフェスティバル(支部大会)があった。9時過ぎに家を出て新東名とR1をつないで現地を訪ねる。JUNK市で懐かしいエアVC(タイト製)の複同調IFTを発見。軍仕様とある未使用JUNK品。これ5本と6Pメタルコンセント一まとめを\1Kでゲット。そして5KΩプッシュプル(20W)出力トランス(新品)を発見。6080アンプを楽しんでいる最中で何とタイムリーなことか。それを出展していたのが51MHz/FMでお世話になっている焼津のJA2AQR小林OMでビックリ。初アイボールだが、まさかこんな所でお逢いするとは…。OMの友人を含めて暫く真空管アンプ談義。こりゃ買わなきゃ損とばかり2個\5Kでゲット。楽しい時間を過ごさせて頂いた。オンマウスはIFTと出力トランス。こうした部品に気持ちが動く姿は、未だ自分はラジオ少年だなぁとつくづく思う。 |
週末は雨と曇りの繰り返しだった。これ幸いと、無線部屋にあった資料を整理して焼却するなどの作業を実施。資料と言っても色々で、メーカーカタログ・パンフレット、紙にしておけば便利だろうとコピーしておいた物、物品購入時の伝票、各種郵便物、そしてレシートまで様々。思い入れがあったりするものは取り出してはいるものの、これも時間が経つとゴミになるのかも知れない。 天気が悪く雨が降っていると燃やしても煙や匂いが遠くまで飛ばない。朝食前の早い時間からぼちぼちと焼却するのだが、この紙ってのは重なると火の通りが悪くくすぶるので、ねじり込んで立体的にして燃やすのがコツ。勢いがない場合はウチワであおる。そんなことを週末は幾度となく行った。 写真は作業中の無線部屋の様子で足の踏み場がない程だ。当事者の本人でも何が何んだか良く分からない状況だ。今まで躊躇していた資料も、退職を境に随分と整理できるようになったことに気付いた。結局は持っていても10年以上も紐解かないモノばかりで、人間って(自分だけかも知れないが…)何でこう欲深い生物なんだろうかと笑ってしまう。 いずれにせよ、これまでは整理と言うと場所を移動するだけで終っていたことが、処分まで至っていることは事実である。今後もっとスリム化を推進して行きたいと考えている…。 |
退職挨拶を発送してから、懐かしい友人達から電話が入った。10日(日)は1974年第8回静岡県青年の船で同班だった浜松のM氏。年賀状のやり取りはあったのだが、可笑しなもので彼は何処で私に遭ったのかを覚えていなかった。30分以上電話で話しているうちに段々と思い出し、それが「青年の船」であることをようやく思い出した様だ。私より歳が多く海外生活もあり外国語にストレスのない先輩だった。その後も世界中を回っていた様で、普通の人とはスケール感が違うと笑った。42年振りで、興奮の夜だった。 もう一人。同郷のK君。11日(月)晩の電話で、これまた大いに盛り上がった。4歳下だが、青年団時代から妙にウマが合い、スキー・バンド・居酒屋…色んな場面が目に浮かぶ。13日(水)18時、善は急げと「だいご味」で奥様同伴のアイボールとなった。海外研修で一緒だった奥様と結婚され同じ学区に住んでいる。年賀状やe-mailのやり取りはあったが、再会は彼らの新婚旅行後にカミサンと訪ねて以来。33年振り位じゃないかと思う。最初だけよと言っていたカミサンは、話に引き込まれ結局22時半頃まで。家族や仕事に趣味と思いなどの話が途切れることなく続いた。終盤は日本酒を飲みすぎヘロヘロで申し訳なかった。K君・奥様楽しい時間を有難う…カミサンも。 話に夢中で写真撮影を失念。代わりに伊野のポンカン畑越し大峰(リモートシャック)と1979年8月11日にK君達と参加した相模湖ピクニックコンサート&キャンプの写真(オンマウス)を貼ってみた。 |
昨夜から断続的な雨。農薬散布の続きを目論むも無理。早々に今日休業を決める。近くの温泉かとも思ったが、暫くアウトバックを走らせてないので充電を兼ね遠乗りすることに…。11時過ぎ、清水いはらICから新東名へ出て東走。昼食は沼津駿河湾SAで取るが、カミサンは腹の調子がイマイチでパス。行先は決めていなかったが、この辺で御殿場ICで降り富士山を左回りするかぁと宣言。御殿場市内を抜け須走の「道の駅」へ辿り着く。カミサンが食材を物色。一番奥に自衛隊関連コーナー…身に着けるアクセサリにプラモデルは理解できるが、自衛隊をテーマにしたお菓子まであり苦笑。その後R138で篭坂峠を越え山中湖へ出て西へターン。同じルートを24の頃自転車で走ったが、随分と変わった印象だ。河口湖の手前に富士吉田市の「富士山レーダードーム館」ってのがあり立ち寄る(写真)。今日は休館日だった。ガラス窓越しに中を覗いたり写真を撮ったりする。富士山頂にあったドームがそのまま復元され、関連の設備も一部移設されているらしい。さらに西湖、精進湖の南を西走。そして本栖湖を過ぎ朝霧辺りまで来ると見慣れた風景になる。県境を越え富士宮に入り、富士からR1で清水を目指す。およそ200kmの走行で充電は十分だろう。袖師の「川さき庵」で蕎麦を食べて帰宅すると18時半。上空はオンマウスの如くSF的な雰囲気に満ちていた。殆ど走りっ放しの思い付きドライブもたまには良い。 |
9日、Hanaの火葬で興津の宗徳院を訪ねた折、R1沿いにある茶楽に立ち寄った。奥の席に座ると棚に2A3の真空管アンプが鎮座。小型スピーカーを心地良い音で鳴らしている。その横には、回路図や写真を綴ったファイルとアンプ雑誌。こりゃ好き者の世界だなと思っているとご主人が現れ期せずしてアンプ談義。店は満席で大繁盛のため長話はできなかったが、あの雰囲気を見たら真空管アンプ熱に火が付いてしまった。帰宅後、四半世紀ほど前まで常用していた6080アンプに灯を入れたくなった。アンプ本体は無線部屋で観賞用になっていたが問題は電源。考えられる場所を探しようやく工房で発見。半雨ざらしの日々もあったと見え、シャシは汚れと錆。動作確認中に誤操作でヒューズが飛び整流ダイオードが短絡…トホホ。11日何とか復旧させ通電したのが写真。ALTEC/A-7をつないで馴染みのCDをかける。オー懐かしい。聞くだけで時代を遡るから不思議。しかし、その発熱量はタダものではない。完全A級プッシュプルで、11W×2chを得るのに300W近い発熱。それが嫌で半導体化した筈なのに…分かっていても時代は繰り返すんだなぁと呟く。 ところで天候不順やスケジュールが合わず延び延びになっていた柑橘の農薬散布。11日朝から行ったが一部を残してしまった。そして21時ころから断続的な雨。農薬は乾いてはいるとは思うが、効きがどんなものか心配だ。 |
写真はカミサンに抱かれ最期となったHana。昨夜23時頃ケイレンが始まったが、何時もの様に短時間で収まるものと思っていたら、1時間経っても収まらない。掛かり付けの動物病院へ相談し座薬を24時過ぎに頂きに上がり、24時半頃には肛門から挿入。30分程度でケイレンは収まり安堵していた。ところがケイレンの開始と同時に始まった呼吸回数の増加が、ケイレンが収まってからも収まらず朝もずっと続いていた。2・3日前まではパクついていた食事も取れなくんなっていた。そして本日14時半頃、ついにその時がやってきた。
写真はその直後にカミサンが抱きかかえたもの。大変静かで穏やかに息を引き取った。表情も生きているかの様だった。名古屋時代に家にやってきて16年と4カ月間我が家のヒロインだった。元は子供たちの動物か飼いたいで始まったのだが、子供たちは成人・結婚し離れて行き、最後はカミサンの心の支えになっていった。表現の下手で不器用なオヤジには、どうもHanaは馴染んでくれなかった雰囲気もあるが、思いは同じなんだと分かってくれただろうか。人間で言うと100歳近い年齢になるだろうが、よく頑張ってくれたと思う。9日午後火葬(興津・宗徳院)後、家の墓地にある歴代ペットの墓石前に埋葬する予定だ。合掌。オンマウスは2011年8月21日のHana。 |
5時起床。小雨で肌寒いと思ったら気温20℃。清水駅までカミサンに送って貰い静岡経由で新幹線始発に乗り上京。7時半過ぎには八重洲口に出た。東京も小雨だがもっと寒い。出掛けにカミサンが半袖で大丈夫?と言ったことを思い出すがもう後の祭り。振り向くと駅ビルにユニクロ…この時間じゃ空いている筈も無く諦める。ATMで軍資金を確保。そしてここ何年か続くお決まりのバスコースでビッグサイトへ。8時半過ぎに到着するが、随分と余計な所を歩いてしまい、結局は守衛さんにヘルプ。エレベータで4Fへ上がると有った。聞いては居たがフロアが変ったのだ。ようやく辿り着くと何とも狭苦しい待機場。整理券をJARL会員価格¥1000で購入。入場の列に並ぶ気も無く階下のカフェ・ローヤルが空くのを待ち9時半。コーヒーを買いテーブルへつこうとすると白髪の叔父様。良く見るとJA2QXY川村氏。一気に話が盛り上がる。その内JH7DFK藤野氏やJR7AHH大場氏、そしてJH1SEJ中里氏にJA2KRV竹内氏の皆さんが現われ一寸したラウンドテーブル。10時、4Fで開会式が始まる。会場PAが相変わらず悪く、話している内容が全く聞き取れない。PAになっていない。そうこうしている内にテープカットが終わり開場。行列が動き出し会場内へ消え始めた頃、ようやく立ち上がりローヤルを後にした。写真は会場入り口ゲート。オンマウスは黒山の人だかりのYNDXCブース。 |
今回は東京単身赴任時に初交信して以来お逢いしていなかったJA1HOU渡邊氏とそのローカルJA1WSK勝見氏と初アイボール。アイボール出来そうで出来ずに16年余の歳月が流れてしまった。JA1WSKはOrangeVillageのユーザーであったが、JA1HOUのローカルであることを今回初めて知りビックリ。世間は広い様で狭いとつくづく…。横浜線界隈で一杯やろうとの話もあり今後の展開が楽しみだ。東京マートクラブのブースを尋ねJA1ADD中島氏とアイボール。失礼ながらお年を伺うと85。無線と実験の情熱をあらためて知り元気を貰う結果となった。そのほか多くの皆さんとお逢いすることができ有意義な1日だった。
写真は恒例の八重洲口前の通り三丁目の居酒屋でのミーティングスナップ。ハムフェアで合流した後輩のJH2SARを誘い参加。30名程の参加があったのだが、全員の写真を撮るのを失念、帰り際の写真のみとなってしまった。22時頃の新幹線に乗るために21時45分頃JH2SARと会場を後にした。22時頃の新幹線に乗り静岡の自宅へ戻ったのは24時を回った頃だった。 オンマウスは今回の収穫。買ったものはCQ誌9月号とBIRDのQCコネクタとMicコネクタのみ。その他はYNDXCのブースで貰った多量の部品、そして興味を引いたFlexRadio・ACOM・SPE他の資料。HPAにはLDMOSの時代を、無線機にはネットワーク制御の時代を感じる。 |
西崎電機へ注文していたリモートシャックのアンテナローテータ制御器の電源トランスが届いた。トランスは巻き直しをお願いしようと考えたが、新規製作した方が早いし料金も余り変わらないらしいため新規に巻いて貰った。交換実装し通電テストするまで、トランス2次側の内部ショートが不具合原因と考えていたが、通電し動かしてみるまで不安がつきまとうのが面白い。結果は良好で正常動作が復活した。回路図と現物の電圧が不揃いだったが、回路図の電圧に合わせて貰った。つまりACモーター用は26V、電子回路用は11Vとした。単体での動作テストを行った後、IPによるLANIO制御リレー出力を接続し、PCからの制御動作を確認した。今回は不具合が発生する前の状態に戻しただけだが、近日中にCW・CCWの其々のリレーのブレイク接点を、反対側の回路へ直列挿入して、モーターコイルへの電流が絶対に同相にならない工夫を行う予定。 この日の20時過ぎ、アンテナを真北へ向け再び甲府のJA1KAW(8eleYagi)を呼んだ。そしてビームのピークを探ったが、やはり真北にピークがあるようだ。その後JE1CCD(11eleYagi)がオンエアして来ると5W程度でも59で入感する状況だった。写真は到着したトランスと後ろにカバーを外した制御器。オンマウスはリモートシャック収容箱で制御器のテストの様子。トランスは入れ替わっている。 |