アルジェ
@Jun/'06 Alger, Algeria


アルジェ、カスバ地区の迷路のようなスーク(市場)



イエメンから夜行便でアルジェに入った。 イエメンに比べて随分とカラフルな気がするのは、女性のファションのせいだろうか。 イエメンでは殆ど例外なく女性は黒いワンピースに黒のイシャール(スカーフ)ですっぽり顔を隠していた。 目だけが見える、あのスタイルである。 それはそれなりに奥ゆかしく、また魅惑的に見えるのも事実だが。 ここでは多くの女性がイシャール(スカーフ)を被っていないか、被っていても髪だけを隠しており、顔は見える。 イシャールの色も黒は殆どなく、一様にカラフルである。 いや、この地をカラフルに感じるのは女性のファッションのせいばかりではなかろう。 アルジェは南にオクシデンタル山脈を抱え、北は地中海に面した、丘の多い緑濃い街である。 人間が一番過ごし易い地中海性気候の土地なのだ。 フランス文化の影響が濃い街でもあるようだ。 言葉の影響がはやり大きい気がする。 国語はアラビア語とベルベル語と聞いたが、街を歩いていて聞こえてくるのは殆どフランス語だ。 ホテル、カフェ、レストラン、何処に行っても対応はフランス語である。 試しに、こちらがアラビア語で話してみると、相手はちゃんと理解しており、返答はアラビックかと思いきや、やはりフランス語で返ってくる。 パンが旨い。 フランスパン(バゲット)である。 レストランでホブツ(アラビア風の薄い丸いパン)とホンモス(ひよこ豆ペースト)を注文してみた。 驚いたことに無いと言う。 バゲットしかないアラブの国があるのか。 だがそのバゲットが旨いのはありがたい。



 
宿舎: Mouflon D'or (金の子羊)の部屋からの眺め
郊外の遊園地に接した松の杜の中にある古くて小さいが格式のあるホテル
丘と丘の谷間にある比較的広い敷地にはプールも備わっている



 
ホテル専用のドライブウエー:前方奥にホテルのゲートがある   ホテル内のプール・サイド:バーベキューレストランが備わる
     うっそうとした森に両脇を挟まれている         ホテルの建物は奥の方に緑に隠れて一部しか見えない



ドバイでの乗り継ぎはイエメン行きの時に比べ、若干時間がタイト気味であった。 今度は荷物をバゲージ・スルーにしておいたので、空港の外に一旦出ることはない。 トランジット・カウンターでチェック・インを済ませ再び出発ロビーに戻るのである。 このトランジット・カウンターには少しがっかりしたが。 何処の空港でもトランジット・カウンターでは、浮かない顔をした旅行者がチケットを片手に長い時間待たされているのを見かける。 この超近代的なドバイ空港も例外ではなかった。 航空会社のチェック・イン・カウンターと違いトランジット・カウンターは空港職員がやっているせいか、航空会社のカウンターのようなきめ細かいサービスは全く感じられない。 加えて、最近の旅行者は格安チケットで移動しており、そのような航空券には様々な制限が付くこと夥しい。 かような制限条件をチケットを見て瞬時に判断しなければならないのである。 トランジット・カウンター職員の苦労も伺える。 30分程度で何とかチェック・インを済ませ、ダイナース・カードのラウンジへ向かった。 メールのチェックとトイレを済ませる為だ。 一人だと手荷物が厄介である。 ラウンジならロビーにくらべかなり安心してトイレにも行けるので助かる。

アルジェ行きアルジェリア航空 AH4063便に乗り込んだ。 機体はA-330、やはりスクリーンにはメッカの方向を示す機体と大きな矢印が定期的に表示される。 客室乗務員は全員男性だ。 感じは悪くないが何か物足りないのは、夜間飛行のせいだろうか。 アラビア半島を横切り、アフリカ大陸の北岸を縫って飛行する。 チュニスの上空に差し掛かった。 太陽は後部から昇っており眼下にかつてのカルタゴがローマに破れた戦場と思われる海辺に接した沼地の地形を観る。 



チュニス上空: 眼下の沼地はかつてのカルタゴがローマに破れた戦場であろうか



アルジェに降り立った。 ターマックから空港ビルへの移動はバスだ。 パスポート・コントロールは割りとスムース。 カスタムズも殆どチェック無し。 さてホテルへはタクシーで行くしかあるまい。 タクシー代を払うために現地通貨を換えておかなければ。 カスタムズを出ると、ホテルの案内所がある。 そこの係員に両替所は何処、と訪ねてみた。 若い御夫人の係員は後方を指差し、カスタムズの前だと言う。 先程通過したカスタムズを、バゲージを転がし再び中に入る。 無事両替を済まし、カスタムズも難なく再通過。 

タクシー乗場がわからない。 うろうろして居ると、やって来た。 「タクシー?」、 例の白タク屋である。 この手の白タクは何処の空港にも居る。 時にして法外な値段を吹っかけるやからである。 この運転手もそうであろうか。 観ると人のよさそうなおじさんである。 幾らか聞いてみた。 1500 アルジェ・デナール(約2000円) だと言う。 多分此方の物価からして高いだろうと思いつつ、2000円なら路頭に迷うよりは良かろうと承諾した。 この白タクの運転手は英語がかなり出来る。 街へ向かう途中、当たり障りの無い話題から、急に話題が変わった。 外貨を換えないかと言う。 胡散臭い。 既に空港で換えたばかりだと言うと、300ドルを空港と同じレートで良いと言う。 こう言う闇のレートは正規のレートより良い筈だが、、、。 実を言うと空港では100ドルしか換えて居ない。 早晩、街で換えなければならないのである。 運転手は、色々と話し出した。 アルジェでは土地の者は外貨を入手するのが大変困難であること。 1年間に1回、限られた額のユーロしか交換できないらしい。 家族とフランスへ旅行するのに外貨が不足しているので、少しでも良いから交換してくれと言う。 どうせ、嘘の口実に違いないが、彼らが外貨を自由に交換できないのは本当らしい。 私もどうせ、直ぐにドルを交換しなければならない。 両者の利害が一致したところで、空港より僅かに良いレートで250ドル交換してあげた。 彼は大変嬉しそうな顔をしている。 この程度で嬉しい顔をするのは大した悪人ではなかろうと、勝手に想像する。  


 
アルジェ・センターへ下る坂道の途中にある国立Bardo歴史博物館
入館料: 20 アルジェ・デナール(約30円)


今週は国際見本市がアルジェで開催されるので、ホテルはどこも満杯らしい。 現地マネージャーのシュエさんが苦労してアレンジしてくれたホテルは、Mouflon D'or (金の子羊)と言う郊外の杜の中にある古くて小さなホテルだ。 両側を松林の丘に囲まれた谷間の専用ドライブ・ウエーを緩やかに数百メートル下ると、ホテルのゲートが見えてくる。 外壁の塗装は禿げかけ、外見はお世辞にも良いとは言えない。 イエメンからは夜行便で着たので、ホテルには朝の9時過ぎには着いてしまった。 ホテルの混んで居る時である。 空き室は無い。 チェック・アウトの12時迄待たなければならない。 荷物をカウンターに預け、 2階のルーフ・バーで珈琲を頂き左右を囲む濃い松林の緑を楽しみながら贅沢な時間を過ごす。 12時に最上階(4階)のスイートをあてがわれた。 流石にスイートは広い。 バス・ルームだけでも普通のホテルのシングル・ルーム程あろうか。 小さくても広い敷地にはプールも備わり、陽が落ちるとルーフ・テラス・バーには生バンドが入る。 スイートの居間室には子供用ベッドに、6人掛けの大きなテーブルがある。 これは仕事机に丁度良い。 パソコンや書類を広げても十分だ。 ただ照明が極端に暗い。 夜仕事をするのが間違っているのであろう。 文句は言えまい。 



博物館内部の展示



アルジェに着いたのが水曜日で、日本の金曜日に相当する。 午後は事務所に顔出しする為、チェック・インを済ませた後、ホテルの電話で現地マネージャーの携帯に電話を入れた。 首尾よくシュエさんが出て、1時間後に迎えに来るという。 先月末から入居していると言う新しい事務所兼作業場を拝見させて頂いた。 建物はかなり古いが内部は清潔な感じである。 先ずは現地での仕事と安全確保の為に携帯を入手した。 5000円の通話カード付きで1万4千円程だ。 これで、今後順次訪れる国では、シム・カードと通話カードだけ購入すれば、この携帯電話機を使える。 


 
アルジェ: シテイー・センター部: 看板はアラビア語とフランス語で併記されている  


木曜、金曜が週末だ。 ホテルにじっとしていてもつまらない。 街に出かけよう。 確か空港からのタクシー運転手が海まで10kmとか言っていた。 地中海は北であることに間違いはない。 北へ向けて2-3時間歩けば、アルジェの中心街、そして地中海に辿り着けるに違いない。 一様ホテルの小さな売店で土地の地図を買い求めたが、全く役に立たない。 アルジェの中心街と湊の部分は載っているが、滞在先のホテルが載っていないのである。 ホテルのカウンターの数人の人に聞いても、この地図のどの方向にホテルがあるのか、誰も言い当てることができない。 

しかたあるまい。 太陽の方向と腕時計のコンパスを頼りに北に向けて歩き出した。 歩き初めて判ったが、アルジェはとてつもなく起伏の多い街だ。 従って道はどうしようもなく曲がりくねっている。 太陽の位置がめまぐるしく変わる。 朝方であるから、太陽の位置は右手のあれば北に向かっていることになるが、後になったり左手になったりする。 分疑点には道路標識があるが、仏語であるのと地名を知らないので、これも当てにならない。 右に左に、アップ、ダウンを繰り返し、どうにかAlger Center と言う道路標識に辿り着いた。 ホテルを出てから2時間後のことである。 標高150m、ここからは湊迄は下る一方だ。 眼下にアルジェの白い街並みが丘陵の緑に程良く溶け込んでいる。 ヘアピン・カーブを幾つも下り、アルジェの中心部へと足を進めた。 

下る坂の途中に Bardo歴史博物館があったので、休憩を兼ねて見学してみた。 入場料20アルジェリア・デナール(約30円)。 南部砂漠地帯には有史前から人類の足跡が刻まれている。 そしてローマに、イスラムにその領土をゆだね、極最近ではフランスに一旦征服された後、1962年に独立を勝ち取っている。 こじんまりした博物館で休憩には丁度良かった。 これが大英博物館やエジプト博物館の場合はそうはゆかないのである。

再び坂を下る。 博物館から30分程で街の中心部に来たもようだ。 道が平坦になり、建物の向こうには港に停泊している船舶のマストや港湾設備のクレーン等が見え隠れする。 遂に前方に何も遮るものが無い場所に出た。 其処は城壁の端のような感じになっている。 湊と街の間には鉄道のターミナル駅と幾筋ものレールと広い車道が桟橋と同じレベルに横たわる。 そして垂直の城壁のような壁がありアルジェの街は広がるのである。 




アルジェ港湾管理事務所


城壁のような壁の端を港に沿って西へ30分くらい歩くと港の西端に辿り着いた。 其処はアルジェリア海軍の指令本部になっているらしい。 そしてその北側の丘陵地に、かの有名なカスバ地区が広がる。 内部はまるで迷路のように入り組んだ街並みで安全度もあまり高くないらしい。 しかし此処まで来て、カスバを観ずに引き返す訳には行くまい。 今は昼の最中である。 立ち止まることなく通り抜けてみた。 市場街はおびただしい人で活気に満ち溢れている。 流石にアラブの匂いが濃い。 私には大変懐かしく感じられる。 



湊の一番西側は旧港だろうか
小型漁船が整然と並ぶ



ホテルを出て既に4時間余り経ち、時刻は午後の1時を廻っていた。 適当な昼飯処を見つけなければならない。 通りに面したピザ屋があった。 ここにしよう。 ここでは何処の店も、間口は1間も無いほどの小さな店が殆どである。 奥に6-7卓のテーブルが一列にカウンター席がある。 カウンター席の方が断然安い。 お店の叔父さんと顔馴染みの土地のおねーさんが、カウンターの立ち席でピザを頬張っていた。 私は一人だがテーブルに座りミックス・ラザーニャ・ピザとダイエット・コーラにミネラル・ウオーターをボトルで注文した。 ヨルダンのように男性は1階、女性と家族は2階と言う席の分別は無い。 席は自由に取れる。 日本や西洋と変わらないので違和感は無い。 朝から歩き通しなのでコーラとピザが旨い。 



   
カスバ地区へ入る広場に建つ古いモスク
屋根には樹木や草が生えている



腹も膨れたことで、来た時とほぼ同じ道を東の方向へ、あくまでも土地の人のペースで歩きながら戻った。 途中本屋があったので立ち寄った。 私の癖で新しい土地に来ると無性に地図が欲しくなる。 地図は無いかと物色していたら、店の店員らしいおねーさんが、「何かお探しでしょうか?」と訪ねてきた。 無論フランス語である。 聞かれた意味はわかるが、とっさに返答ができない。 やっと ”プラン・ド・ビール” と言う単語が出てきた。 継ぎはぎだらけの仏語で、「ホテルと街の間ががわかる地図を探している」 と言えたような気がする。 すると、「ホテルは何処?」 と聞いてくる。 当然である。 「ムフロン・ドール」 と答えたが、どうもぴんと来ないらしい。 娘さんはキャッシャーに座っている親父(?)に聞いている。 親父は、振り向きもしないで、「*****」と何か答えた。 娘さんは、「あー、判った」、と言う風で、 「アルジェの市街地図は、44に分かれているの」と言いながら、一枚の市街地図を取り出し、広げた。 1m四方は十分にある大きさだ。 「此処が郵便局で、今居る場所が此処」、と説明してくれる。 昔、地図が読めない女と言う文句があったが、彼女は外国人で女性にしては珍しく(失礼)地図が読める。 「貴方のホテルはヒドラ地区だから、この上のほうね」、と言っているらしい。 そして更に別の同じくらいの大きさの地図を取り出し、やはり広げる。 狭い店内に他の客が居ない訳ではない。 あまり他のお客のことは気にしないのである。 「えーと、ホテルの印は、これ(星)だから、、、ここ。」、と示してくれた。 地図にはホテル名までは記入されていないが、地形的にぴたり合っている。 これで一安心。 自分の居る場所が地図で確認できると何故か安心するのである。 大金350アルジェリア・デナール(約700円)を支払って店を出た。 



 
海岸のプロムナードから釣竿を垂れる釣り人


湊からホテルに帰るには山を2つ越えなくてはならない。 一つ目の山を越えた場所がHIDRA地区である。 ここは高級な土地で各国の大使館がひしめき合う。 この丘の谷間の通りにはハイセンスなお店やレストランが並ぶ。 ホテル迄後徒歩30分程度の場所である。 一休みをするに丁度良い。 この通りに、一際小奇麗なカフェ・レストランを発見した。 Le Troquet と言う。 入ってみると、目一杯おしゃれをし、着飾った若い女性の熱気を感じる。 何処の国も若い女性はファッションには敏感だ。 こう言う場所は必ず彼女達に占領される。 見渡すと若い女性ばかりでもない。 中年の、派手に着飾った有閑マダムも多い。 当然そう言う場所にはダンデーな粋な男性が寄生する。 メニューの値段を見るとかなり高めの設定だ。 飲物だけでも、街の食堂の普通の食事の値段程する。 女性達は食事は殆ど取っておらず、思い思いの飲物を手にお喋りに余念がない。 内部のインテリアはとても近代風に凝っていて清潔感がする。 壁には超大型の液晶テレビが掛かっており、折りしもドイツで熱戦が繰り広げられているワールド・カップの中継が流れている。 それにしても、スカーフ(イシャール)等被っている女性は一人もいない。 金髪や栗毛の髪をなびかせ豊かな胸を露にするファッションはヨーロッパと寸分違わない。 

エスカロープ・パニエ(鶏肉を平たく叩き伸ばし衣を付けて揚げたものに、ポテト・チップと生野菜が少し付く)に紅茶とミネラル・ウオーターを注文して780アルジェリアン・デナール(約1,200円)。 ホテルより4-5割は安い。 紅茶は数回分入ったポットでサーブされる。 タイム(此方ではナーナと言う)の香りがたっぷり入った紅茶はいける。 この店はとても感じが良いが、そう頻繁には来れまい。 私は一人なのである。 残念ながら他の客とのバランスが取れない。




カスバ地区の海岸から海軍指令本部を望む
ビーチの海水は予想に反してあまり綺麗ではなさそう



休日毎に地中海岸迄歩く。 片道約2時間半、往復で5時間余り、街での昼食を含めて6時間のウオークである。 坂道が多い、かなり良い運動になる。 帰路に水、果物、おやつ等ホテル生活の必需品を仕入れる。 最初はアルジェの街の中心へ出ていたが、海は湊でビーチではない。 港の西端に僅かにビーチがあるが水質は大変汚染され海水浴には適さないものだ。 だが2週目、更に西側のBab El Ouedに出てみた。 ここのビーチは地中海のイメージそのもの。 アルジェでやっと地中海に逢えた感じがする。 カスバの先端のKettani岬を越えると水質は俄然綺麗になる。 砂浜には多くの海水浴客が水辺で戯れている。 イメージした地中海にお目に掛かれて何故か一安心する。 ただ不満なのは、ビーチにはカフェが全く無い。 それに輪を掛けて我々に取って悪いのは、街は昼間(太陽が南中のお祈りの時間の前後)は飲食店を含め殆どの店が閉まってしまう。 遊んでいる場合ではない、モスクに行く時間だから当然な訳であるが。 我々不謹慎な無神論者者には大変都合が悪い。 

 



Bab El Oued の海岸:此処の水質は綺麗で多くの海水浴客がなぎさで戯れる
El Kettani岬の展望台から






9/Jun/'06 林蔵 @Alger Algeria, (Updated on 18/Sep/'08)#224

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