エルミナ城
(世界遺産)
@Dec/'08 Elmina, Ghana


ホテルビーチから見るエルミナ城とケープ・コースト城


[世界遺産、ボルタ州・グレーターアクラ州・セントラル州・ウエスタン州の要塞群、文化遺産、1979年登録]1482年ポルトガルによって立てられた城。サハラ以南で建設された初めての欧州式の建造物。ギニア湾での最初の交易地。後に大西洋奴隷貿易の拠点となる。ガーナの沿岸部には、15世紀以降西洋人が貿易のための拠点を設置した。ベナン湾一帯は、かつてゴールドコースト(黄金海岸)と呼ばれたことからも明らかなように、もとは金の輸出で栄え、のちには奴隷貿易で栄えた。貿易が盛んになり、拠点となる要塞(多くは商館を兼ねる)が次々建てられると、沿岸部は要塞群が点在する独特の景観を呈した。かつて60以上あった要塞群も現存するのは約3分の1であり、博物館や学校等の施設に転用されているものもある。「ウイキペデイアより」



エルミナ、この言葉の響きから貴方は何を想像するだろうか。 私はこの言葉を始めて聞いた時何かロマンチックな感じを覚えたのである。 上の写真をご覧頂きたい。 私が感じたロマンチックな感じがあるだろうか。 2008年12月の初め、私はこの場所にいた。 実に平和なアフリカ西海岸リゾート地の時間だと思った。 太西洋に太陽がさんさんと降り注ぐ、赤道直下の南国である。 宿を取ったのはエルミナ・ビーチ・リゾートと言う豪華なリゾートホテルだ。 
 




ホテルビーチの朝


だが、貴方は知っているだろうか。 この土地がかつて奴隷貿易盛んなころ、奴隷貿易の拠点だったことを。 ブラジル、欧州やアメリカへ多くの黒人奴隷が、この地から輸送船に乗せられ輸送されたことを。 人間は何と残酷になれる動物なのだろうか。 他の動物は生きる為と、子孫を残す為以外に必要以上の殺傷はしないように思う。 人間の行う殺傷もその範囲内だろうか。 私にはどうしてもそうとは思われない。 先進国の大都会で出る食べ残し食品、どんなに多くの家畜や野菜の尊い命が無残に地に帰ることだろう。 無理な領土拡大や、自国民の生命と財産を守る為と言い、度を過ぎた殺傷をしては居ないだろうか。 人民の解放と言い必要以上の人権蹂躙がなされていないだろうか。 人間の思考能力は本当に発展しているのだろうか。 私には答えを出すことができない。




ホテル中庭


この平和な風景をご覧頂きたい。 美しく整備されたホテルの中庭。 のどかな昼下がりに南国の陽光が降り注ぐ。 しかし、この現在のホテルにて単に快適な居住空間があるとリゾート気分を味わうことは、私にはできない。 ホテルを一歩出れば、我々が一泊に支払う宿泊料金で、1家族が何十日も暮らせる生活を強いられている人々が殆どなのだから。 この格差を知れば、暢気にリゾート気分等味わえないのである。 かつては奴隷と言い、現在は従業員と言う。 我々の快適な生活は彼らの搾取の元に成り立っているのではないだろうか。 この富の不公平な循環システムは、それを享受するものに取って捨てるに捨てがたい。 或いは誰かを搾取をしている等微塵も感じていないかもしれない。 そこにシステムの大きな落とし穴があるような気がする。 それでも、このシステムの中にも自己治癒システムが反応していると思えるのは一縷の光を投げかけてくれる。 各種のボランテイア活動。 慈善活動。 全ての人々が平等等、理想に過ぎず、現実は違う姿を示すのが事実と容認しつつも、基本的人権や安全を確保できる社会にはならなければと思う。 安全な水、最低限の栄養、生命と財産の安全を確保できない人々の数は実に驚く程多いのを御存知だろうか。 正確には数えることはできないが、世界の数人に一人はそんな環境にあるのだ。 億人の単位で存在するのである。 豪華なリゾートホテルに身を置きながら、実に非論理的であるが昭和初期の頃の日本人の心を忘れてはならないと肝に銘じるのであった。




ホテルビーチ


「歴史」
15世紀、ファンテ(Fante)が居住。エルミナはフェトゥ(Fetu)とエグアフォ(Eguafo)の領地に近接。当時のガーナ沿岸部族は部族間、スーダンの民族と貿易を行う。
1418年、エンリケ航海王子はアフリカ沿岸調査を派遣。調査の目的は、アフリカに豊富に存在すると考えられていた、金と象牙の採取と、インドへの南海路を確立してアラブ人を介さず直接貿易を構築、アフリカでキリスト教国家を築いていたと信じられていたプレスター・ジョンとの同盟など。
1471年(アフォンソ5世治世)、エルミナに到達。ポルトガル人がヨーロッパ人で最初にゴールドコーストを発見。商人フェルナオ・ゴメス(Fernão
Gomes)は近郊で発掘される金の貿易を開始
1481年、ジョアン2世 は貿易の保護を目的として砦を建設。
1481年12月11日、建築材料の輸送のためのキャラベル船10隻と、運送船2隻が、ディオゴ・デ・アザンブージャ(Diogo de
Azambuja)の指揮のもと、ポルトガルより出港。
1482年1月19日、建築材料がエルミナに到着。クリストファー・コロンブスがこの船団に乗っていたとする学説もある。
アザンブージャは砦の完成後、知事に任命される。
16世紀初頭、金貿易の最盛期には地球に存在する金の1/10にあたる、24,000オンスがゴールドコーストから輸出。
地域民はヨーロッパとの交易品を享受する一方、沿岸他部族との交易は減少。
17世紀、São Jorge da Mina は大西洋奴隷貿易の主要交易地となる。アフリカ人はブラジルなどのポルトガル植民地に売り渡された。
1637年、エルミナ砦はオランダ人に占拠され、オランダ・ゴールドコーストの首都になる。オランダ人は大西洋奴隷貿易を継続。
1642年、オランダはポルトガル・ゴールドコーストを占領。
1871年、大英帝国が占領。
1957年、イギリスはゴールドコーストの独立を承認、管理は独立政府に移る。
1990年代、ガーナ政府により改修:Elmina Strategy 2015 。
現在はユネスコ世界遺産に制定されている。
[歴史記述はウイキペデイアより]








林蔵@Cape Coast 2/Dec/'08 (Updated on 7/Feb/'09)#314
  

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