ジャカランダ
@Nov/98 Hartbeespoort South Africa


Hartbeespoortダム手前のSnake Park


ロンドン、ヒースロー空港、 第3ターミナル。 南アフリカ 、ヨハネスブルグ行きのカウンターを探す。 無い。 しだいに出発時刻が迫り、心配になる。 まずい。 またやってしまったようだ。 南アフリカ行きは第3ターミナルではなく、第1ターミナルだった。 ヒースロー空港の第1と第3ターミナル間はとても短時間で歩ける距離ではない。 焦った気持ちで無料の連絡バスに乗りこんだ。 こんな時に限って、自分に取っては都合の悪いことが起こる。 身障者の団体がバスに乗りこんできた。 全員が乗りこむには相当の時間が掛かった。 もー、観念せざるを得ない。 それでも淡い希望を抱き、広いターミナルを急ぎ足で第1ターミナルを南アフリカ航空カウンターに向かった。 既に私の乗るフライトのチェック・イン・カウンターは Close され、辺りは閑散としている。 直ぐに、同日の他便を探したが、ヨハネスバルグ行きは、1日1便しかない。 その日は諦め、翌日のフライトをその場で予約し、一人住まいのノッテイングヒルのアパートに戻った。

翌日のフライトで、ヨハネスブルグの空港に降り立った。 懐かしい感情がこみあげてくる。 ザンビアの空気と同じなのである。 余りにその感じがリアルだったので、空港から留守宅の家に電話を入れた。 安着報告を兼ね、その様子を家人に伝えた。 ザンビアの空気、それは数少ない家人と共有できる話題の一つである。 空港には先に現地で作業に当たっていた20年来の同僚 K氏が出迎えに来てくれていた。 空港の Budget レンタカーで車を借り、K氏の車の後について、宿のある Hartbeespoort 向かう。



ジャガランタの花: ザンビアでも良く見かけた、木全体が高貴な紫色に染まる


Hartbeespoort は、南アフリカの首都プレとリアから西の方角、ヨハネスブルグからは北西の方角に位置する。 空港から車で1時間位のところにある小さな村落。 人口の湖 Hartbeesppol に付随したリゾート村である。 仕事とは言え、現地での投宿はこのようにリゾート地となることが多い。 傍から見れば随分優雅に見えることだろう。 治安や生活の利便性から、そうなるのであるが。 宿に着くや、宿の主人が現れて、今日と明日は部屋がいっぱいなので友人の家に泊まってもらうが良いか、との話である。 私はこだわらない質(たち)だから、何の不安も抱かずOKと答えた。 個人家に泊めて頂くほうが、少しでも土地の人達の生活が身近に感じられ、良いと思う面が有るからだ。



プテイ・ホテル: 広い平屋のビラをホテルに改造したものだろうか



ホテルのマスターの友人と言う人の家に行った。 相変わらず広い家だ。 あてがわれたのは8畳くらいのお客用の部屋だ。 トイレ、お風呂も専用のものが付いている。 ザンビア時代を思い出す。 ザンビアでは私自身も2、000m2の敷地の家に、2人の住み込みお手伝いさんを抱え、生活していたことがある。 夕食は家族と一緒、ダイニングに招かれ、会話と食事を共に楽しみながらゆったりと取る。 食後はリビングに通され、更に家族との会話が続く。 大規模農園の主らしい。 相当の歳(私と同年代、50歳代)に見えるが奥さんとの駆けあいは、歯が浮くような甘い言葉が飛び交う。 
 "Honney"
 "Darling"
の連発だ。 もっと感心したのは、お互いに長所を何度も言い合っていることだ。
 "そこの美人さん"
 "なーに、そこのたくましい男(ひと)"
と言った感じ。 恐らく二人が知りあってから、何十年も同じような言葉を掛けあっているのであろう。 大切な事だと思う。 見習いたいが、とても無理かなーとも。 旦那は、趣味の大型クルーザーを作成中で、来年には日本へ無線装備の買い出しに行きたいとの話である。 南アフリカは黒人政権になってかなりの年月が経つが、植民地時代の名残がまだこのような農場主にも感じられるとも思った。 今、お世話になっている農場主のように裕福に暮らしている人は、昔ながらのパトロン階級の一握りなのかと思う。 当家の主人を始め、家族の人達は皆、客人を丁寧にもてなし普段は勤勉に働く極普通の市民であろう。 最近、英国を旅行した娘さんが、旅行中に取ったビデオをリビングのテレビに映し、まるで友人か親戚の人に話すように様々な体験を聞かせてくれる。 複雑な感情(多くの黒人が今なお、差別から抜け出ることができず、貧しい生活に甘んじている現実を目の当たりにしながら)を胸に抱きながらも、与えてくれる歓待に素直に甘んじている自分であった。




ホテル部屋専用プライベートガーデン



2日後、予約して有ったホテルに移った。 湖に面した旧植民地時代の大きな平屋の屋敷を改造したようなプテイホテルが、これから1週間ばかりお世話になる宿だ。 夫婦と使用人(従業員)1名でやっている。 広い裏庭が付いた客室が当てがわれた部屋である。 表玄関からも、裏の勝手口からもアクセスできるよう鍵を2個もらった。 南半球は初夏から盛夏に移り変わりつつある季節だ。 ロンドンから来ると、その暖かさと青空には自然の恵みを感じずには居られない。 このリゾート集落には粗末な雑貨屋が2軒ある。 簡単なフードとソフト・ドリンクが置いてあるのみだ、日本のコンビニには程遠いレベルである。 大概我々の買うものは、水、ソフトドリンク(お酒を飲むひとは、ビールやワイン等も加わる。)にビスケット程度である。 それだけ揃っていれば十分である。 

ダムの近くに小さなスネーク・パークがある。 (ザンビアにも、やはりスネーク・パークは有った。) ダム手前の一帯は少し開けていて、レストラン、アイスクリーム屋、ハンバーグ屋等、小綺麗な店が数軒居並ぶ。 夕食はいつもここのグリル ”Squires” に通った。 圧巻はここのリブ・ステーキ、実にでかい、しかも旨い。 出張中は余ほど気を付けないと太る。 食後は隣のアイスクリーム屋に寄ったりするのだから。



我が家の猫 ”さくら” もお気に入りの絵: クリスチャン・ニール氏の作品



ホテルのリビング・ルームがロビー風になっている。 壁に掛かっている絵を何の気無しに眺めていると、なかなか良い絵に見えてくる。 主人に良い絵だと誉めてやると、その絵を書いた画家、クリスチャン・ニール氏は南アフリカでは第1人者だと言う。 しかも彼のアトリエがこの街外れに有ると言う。 早速連絡を取ってやると、電話を掛けてくれた。 そこまでしてくれたのでは尋ねない訳には行かない。 車で15分位の場所に、ぽつんとある瀟洒なアトリエは直ぐわかった。 アトリエの主は画家の息子夫婦であった。 宿のロビーで見たのと同じ画風の絵が所狭しと壁やフロアーに並んでいる。 適当な大きさの気に入ったのを1枚探し出し買うことにした。 彼の絵は年間35%の割で値が上がっているとの説明であった。 別に投機のつもりはないが、購入年月と購入価格の証明書を作成してくれた。 この絵は、今も私の書斎にあるお気に入りの数枚の絵の、1枚である。



赤い試験管(花)



仕事場のサイトは、ダムを渡って対岸から更に西へ車で30分くらい行った所にある。 あたり一帯は見渡すかぎり乾燥したサバンナの丘陵がなだらかにうねる。 時折、野生の麒麟が出たりするのだ。 お昼はサイトへの道の中間地点にある Music Farm で取ることが多い。 何もないブッシュの中にぽつんとそのレストランはある。 レストランと呼べるかどうか怪しげでもあるが。 客は毎日我々意外には居ないだろう。 小さな小屋に、古びたビリヤードが1卓、テーブルが1卓に数人が座れるバーカウンター。 前日に翌日来る人数を告げておく。 メニューはお任せ、選択は出来ない。 ボリュームはたっぷり、味は悪くない。 実はこの小屋の奥には本格的な店棟があり、週末のみ生バンドの競演をフード付きでサービスすると言う。 ここがミュージック・ファームの名を冠している所以だそうだ。

季節がらジャカランダが丁度日本の桜のように広げた枝一杯に咲き誇り、湖の岸辺に紫色の花弁で色彩の乏しい山肌を賑わせている。 ジャカランダもザンビアで知った花木だ。 ザンビアの首都ルサカでは、街路樹として広く植えられおり、季節にはその高貴な色に染められる異国の都路に半ば酔ったものである。 26年目のジャカランダとの再会に心が浮き立つのを覚える。



裏山のハングライダー飛び降り台にて、Hartbeespoort湖を見下ろす。




1/Nov/'98 @南アフリカ 林蔵 (Updated on 27/Feb/'08)#066

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