トリポリ
(タラブラス)
@Jul/'06 Tripoli, Libya


ビーチ: マグレブに沈む太陽
メド(地中海)にはホテルから歩いて10分で行ける



[リビアの歴史] リビアの正式国名は若干難しい。 日本語では、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒーリヤ国と言う。 英名はGreat Socialist People's Libyan Arab Jamahiriya である。 ちなみに通称リビアと言うがその言われは、ギリシャ語からくる。 ギリシャ神話に出てくるエパポスとメムピスの娘で、ポセイドンの愛人であるリビュエ(Libya)に由来する。 何ともロマンに満ちた名前である。 この地は、7世紀アラブに征服されイスラム化が進んだ。 1510年、7つの海の征者スペインが侵攻、その後1551年、西アジア・地中海の征者オスマン・トルコが侵攻、永くこの地を治めることになる。 1991年に帝国主義覇者の一員であるイタリアが侵攻し植民地とする。 第2次世界大戦では、枢軸軍と連合軍の間で大々的な戦闘が展開する。 戦いの勝敗は補給で決まると言い切った高名なドイツの軍人、砂漠の狐と連合軍から恐れられたロンメル将軍が活躍したのもこのリビアの戦線である。 第2次世界大戦後、1951年の国連決議により独立国となる。 1969年カダフィー大佐がクーデターで政権を取得後、全ての法律はコーランによるとするジャマヒーリア(人民社会主義)の国家建設が現在に至る。 


2006年7月、トリポリに赴く機会を得た。 アルジェリアからの移動であったが、ビザ取得がかなり面倒である。 在アルジェリア、リビア大使館に行きビザの申請を試みた。 大使館のゲートは高い鉄の扉で硬く閉ざされており、門脇の小さな窓から用件を述べると、門番が門を開けて門脇の詰め所のような場所に招き入れられる。 その辺りの町を歩いて居そうないでたちの若い、伺い人のような係員が居て、用件を聞いてくれる。 ビザを頂きたいと述べると、トリポリのリビア外務省経由、受け入れ先からの招聘状と、在アルジェリア日本大使館の紹介状と、写真2枚に、1,000アルジェリア・デイナール(約1,500円)を揃えてくれば良いと、一様親切に教えてくれる。 リビアの受け入れ先である客先へ E-mail で招聘状の依頼をする。 そして日本大使館に行き、リビア入国の為の紹介状の依頼をする。 日本大使館はさすがに立派、高い塀の中は広大な敷地に大木が茂る西洋庭園が広がる。 担当領事の方が、以前にも同様のレターを準備したことがあるが、実際にビザが発行されたかどうかは確認できていないとのお話であった。 しかもリビア大使館からの要求は大使のサインを要求されている。 通常このような市井の用件にはせいぜい領事サインのレターが発行される。 それでも今回は特別に私ごときの為に大使が直々にサインをして下さった。 そんな甲斐もあり、私のリビア入国ビザは、無事アルジェリアを発つ日迄に発行されたのである。 



 
シタデル: ポートエリアにある旧市街城壁(現在は内部が博物館になっている)
週末の陽が落ちた後、5回目のお祈りが済んだ時刻(9時頃)から人々は
旧市街に隣接する公園に三々五々繰り出す、真夜中まで人出は減らない



 

トリポリは、地中海に面したリビアの首都である。 街は港と旧市街を取り囲むように ASSAHA AL KHADRA広場を中心に発展する。 数年前から米国との外交関係も改善され、様々な変化が見えているらしい。 以前はホテルも全て国営であったが、最近はプライベートのホテルも営業を始めたらしい。 そんな小さなプライベート経営のホテルにチェック・インした。 旧市街の近く、ダウンタウンにあるホテルである。 部屋が狭いのが玉に傷だが、新しく、お湯の出、清潔さ、インターネット接続、小さいがカフェも備わって居て、ほぼ申し分ない。 値段は50リビア・デイナール(4,500円程度)である。 

港から街の中心をオマール・ムフタール大通りが真っ直ぐ伸びる。 ホテルはこの大通りから2本海よりに入ったケネデイー通りにある。 港やビーチには歩いて10分程度の地の利にある。 トリポリの地中海はアルジェに比べ、たいそう地中海的だ。 連日、素晴らしい蒼いメド(地中海)が望めるのである。 マックも、KFCもミスドも無いけれど、蒼い地中海が真近にあるのは実にありがたい。 



ASSAHA AL KHADRA広場から、旧市街へ入るアーチ門


旧市街は高いレンガ壁の城壁で囲まれている。 内部はおびただしい数の小さな間口の店で埋め尽くされている。 金製品を扱う金スーク(市場)、生地や服飾品のスーク(市場)、狭い通路には、まがい物の金装飾品を扱うベドウイン風の女性商人。 この街は何時の時代のものだろうか。 どんな歴史を秘めているのだろうか。 街には観光案内所のようなものが極めて少ない。 私が見つけられないだけだろうか。 蒼い地中海と言い、旧市街と言い、美しい海岸線と言い、観光開発を旨くすれば、素晴らしいリゾート地に変身すること請け合いだが、様々な理由で未だその気配は薄い。 海岸線沿いにはローマ時代の遺跡が点在し、ローマ街道の足跡を追うこともできる。 また内陸部のデザート・エリアは友人の話によると、モロッコや周辺の国よりアクセス、規模、美しさで断然群を抜いているらしい。 

  

   
AL ASSAHA AL KHADRA広場:           アルジェリア広場のモスク:
   旧市街,,港に隣接し、夜は多くの人で賑わう    かつて教会であったが、モスクに改築された


旧市街に隣接するAL ASSAHA AL KHADRA広場、港公園は広々としていて、夕刻のお祈りが終わった後、人々は三々五々広場や、周辺のカフェ(水タバコ屋)にたむろする。 そして夜は遅い。 夜半過ぎになっても人の姿は消えない。 昼間は容赦ない太陽がじりじり照り返し気温はさほど高くなくても外にでるのは億劫である。 太陽を求め請うヨーロッパ、特に北欧の人々とは対照的である。 治安はいたって良く、夜出歩くにも何ら不安を感じないのは、街を歩くのが趣味の私には大変ありがたい。  
 


ビジネス、住宅地区の海岸通りAL KURNISH通り: 高層ビルの手前にはビーチが広がる
今、学校は長い夏休み、ビーチは子供連れの家族で大賑わい



トリポリ周辺の海岸は岩場と砂浜が交互する。 蒼い海と街の景観が大変良くマッチする。 東の方向に数km行くと、長い砂浜が続く。 丁度、私が住んでいる神奈川県の湘南海岸の様な感じさえある。 ビーチには多くの家族が海水浴に訪れ、砂浜は葦のような材料、或いはなつめ椰子葉の垣根で延々と仕切られ、日陰とプライバシーを確保している。  



 
ポート: 近年、西側の豪華客船が寄航する、
停泊中の豪華客船はイタリアのコスタ・コンコルデイア
 


港には近年、外国の豪華クルーズ船が着岸するらしい。 先日、夕刻の散歩で港へ行ったら、イタリアの豪華客船、コスタ・コンコルデイア号が丁度着岸していた。 3,000人を超す観光客が数日リビアの休日を楽しむのだそうだ。 大型観光バスで、世界遺産のローマ遺跡等を訪ねるらしい。 港の西側は漁港になっている。 早朝、散歩で漁港の傍を通ると、水揚げされたばかりの生きの良い魚介類が仲買人や料理人に売りさばかれている。 料理が出来れば、鯛や平目等を買って煮物や焼物にすれば、さぞ旨かろうとよだれが出る思いである。




AL FAT'H通り: 港公園プロムナード
夕暮れ時から、家族連れやカップルで大変賑わう、フローテイング・レストランも2,3隻浮かんでいる


港公園のプロムナードは広く良く整備されている。 だが港湾部の海水の汚染はかなり酷い。 嫌な臭気が漂い、せっかくのプロムナードが台無しだ。 下水処理や環境保全の整備と言った基礎インフラの整備遅れが、若干気がかりである。 ここは少しの社会基盤の整備とサービスの向上を図れば、一大リゾート産業の芽生えを秘める土地であるに違いない。


 
  オマール・ムフタール通りのカフェ ”Copa Cabana”:   ローマ時代の名残を残す吹き抜けの広場カフェ: 
 カプチーノとケーキはいける(約140円)           かつては浴場にでも隣接していたのだろうか



トリポリの目抜き通り、オマール・ムフタールの西端に近い一角に粋な名のカフェがある。 その名は、 ”コパ・カバーナ”、 入ってみた。 例の如く男一人の私は1階席にしか座ることはできない。 カプチーノとガトー(ケーキ)を頼んでみた。 ほぼイメージ通りの品がテーブルに届いた。 外の眺めはいまいちだが、スペースもゆったりしており、割りと静かだ。 休日、PCを持ち込む場所にには良いかもしれない。  



   
メド(地中海): アルジェでは滅多にお目にかからなかった蒼い地中海が連日見られる



静かなメド(地中海)はあくまで蒼く、見渡す限りどこまでも続く。 だがどうして、この素晴らしいメドを眺めながら飲物を楽しむカフェが海岸通りにないのだろうか。 西洋や日本では考えられないことだ。 いずれサービス概念の価値が上がり、そのような粋なカフェも出てくるに違いない。 残念ながら、私の滞在する短い時間には、そんな変化は望むべくもないが。  



トリポリ空港: 車寄せからデパーチャー・アライバル・ロビーへの廊下


トリポリの空港は内陸部と海岸沿いの二ヶ所にある。 リビア航空や多くの西側航空会社の国際便は内陸部の空港から離発着する。 空港内は大変判りやすい。 国内便デパーチャー、アライバル、国際線デパーチャー、アライバル、銀行、航空会社空港支店、カフェ、お祈り場等、全てがグランド・フロアーにあるので大変便利で判りやすい。 街まではタクシーで30分弱、10-15リビア・デイナール(約800円ー1200円)で行ける。 タクシー値段は定価がなく、交渉が必要。

 



オールド・シテイー: スーク(市場)、夕暮れ時最も賑わう



リビアの結婚式は大変派手である。 大概は実家で行われ、多くの親戚縁者が集まり盛大に執り行われる。 実家の前の公道は大きな特殊な飾り天幕で覆われ、一時的に通行止め状態になる。 役所に許可を取っている様子もない。 こんなことは日常茶判事で誰も文句は言わない。 良く見ていると、招かれた客は車から、それぞれの祝い物を持ち込んでいる。 見ると、米や豆の袋と言った、実に即役立つ物が多い。 パレードも派手である。 我々にはうるさいと感じることしきりである。 殆ど連日、大通りを派手にテープや生花で飾った車が、多くの縁者の車に囲まれて、それらの車がクラクションを鳴らしっ放しで走り去る。 これも誰も文句を言わない。



結婚式宴会場(家の前の道路)に張られた飾りテント      代表的な結婚式料理クスクス: 1式4人前      
男性はこのように外で料理を頂く、 一方、女性達は家の中でベールを脱ぎ捨て、派手に踊り、歌いまくる
 









10/Jul/'06 林蔵 @Tripoli Libya, (Updated on 22/Sep/'08)#227

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