'02年元旦ツーリング:
川越 蔵の街
@Jan/'02 川越 東京


川越蔵通の芋菓子老舗 亀屋栄泉



2002年元旦、今年も友人で同僚でもある”O”氏と元旦ツーリングに出かけた。 数年前から恒例になった正月行事だ。 ”O”氏は、バイクで10分位の市内に住んでいる。 人間GPSと言われる程、良く道を覚えている。 1回行った場所は、殆ど迷わず行ける。 僕にが、マジックのように思える。 それに旨いものには目が無い。 しかも味がしっかりわかる。 調理師の免許も持っている味感覚の持ち主である。 だから、一緒に行くと旨いものにありつけると言うおまけまで付く。 良い事ずくめなのである。 今回は近場で川越市に向かった。

国道16号を北上。 1時間くらいすると米軍横田基地を過ぎる。 横田は東京の中にありながら広大なスペースを占有している。 もっとも米軍に貸し与えた終戦当時は、辺りは閑散とした武蔵野の林であっただろうが、今では周囲に住宅や店舗工場等が立ち並び、塀の中と外は典型的な日米の様相を呈している。 外はせせこましく建物が立ち並ぶが、中は遊びのスペースがたっぷりのアメリカそのものである。 1時間位走ったので休憩兼、朝食を取る為マックに寄る。 ”O”氏はマックがお気に入り。 料理の免許を持つしっかりした舌を持つ割には、ファーストフードもお気に入りと言う不思議な人なのである。 16号は川越市の手前で西にそれる。 ここで16号から分けれて、真っ直ぐ川越市内に入った。 店の屋号を書いた古めかしい大きな木製看板が、1階の屋根上にでんと構える。 厚い土壁に黒漆喰を塗った蔵造りの家々。 江戸時代そのままの蔵の町並みが両脇に立ち並ぶ。 芋菓子の元祖、亀屋、栄泉の前に小さな駐車場がある。 正月なので空いていた。 バイク2台を駐輪場に止め、蔵の街をブラッと歩いた。



芋菓子老舗 亀屋栄泉の店


川越は江戸時代、江戸の台所として栄えた商業街である。 明治26年の川越大火で街の殆どが消滅した。 この大火で蔵造りの商家が災難を免れたことから、商家は競って蔵つくりの家を建てたそうだ。 当時は200軒以上に登ったそうだが、現在では30軒程度になっていると言う。 それでも、之だけの蔵造りの家が並ぶのは全国でも珍しく、今では毎年多くの観光客でにぎわう。 芋菓子が有名だ。 中でも芋菓子の元祖、 亀屋 栄泉は2階に資料館を備えた、由緒ある芋菓子屋である。 店の中も凝っていて、店舗の奥には琴と生け花が粋に飾られている。  品の良い70才代の女将が、「昔はテレビやラジオの宣伝が、なかったから、芋菓子を全国に広める為、旅をして、商品を売り歩いたんですよ。」と語っていた。 いつの世も、やはりお客様一筋にこつこつと精進努力するものこそ、本物を極める可能性の秘めているのだとつくずく思う。 時の鐘も観光名所の一つだ。 やはり明治26年の川越大火で焼失したが、直後に再建されている。 鐘は今では電動であるが、16mの奈良の大仏と同じ高さを持ち当時の面影をしっかり残している。 古い文化と伝統が残る、落ち着いた雰囲気の街である。 獅子舞等が各家々を回っており、お正月気分を盛り上げてくれる。 お昼に、亀屋 栄泉の前の甘味屋で芋ソーメンを頂いた、¥700。 余り芋の味は無かった。 つゆがそばつゆだったので、ソーメンそばのような味。

帰りは、八高線に沿って南下し16号に戻り、家路に着く。 途中何処かでコーヒー・ストップでもと思ったが、丁度良い店を見つけることができず、珈琲ブレークは無く家に着いてしまった。  ”O”氏に家に寄ってもらい、お茶を飲んで貰う。 丁度息子ファミリーが、軽井沢から初孫を連れて来ていたので会って貰った。  ”O”氏は息子には何度も会っているが、お嫁さんと孫に会うのは初めてだ。 気兼ねの要らない友人の一人である。 今年も、安全で楽しい年で有りますように。



 
レトロ調川越本町郵便局              正月飾りの蔵通り




奈良の大仏と同じ高さの時の鐘




1/Jan/'02 林蔵 (Updated on 18/Feb/'08)#059

{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る]