高野山:
弘法大師(空海)入定の山(世界遺産) 和歌山
@May/'99 和歌山県 |
紀伊の山々(十津川渓谷)
{世界遺産: Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range 文化遺産、2004年登録} 紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる、 寺院や参詣道(熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道)などの総称。2004年7月1日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)
に登録された。以下を含む。 吉野・大峯, 面積44.8ha, 吉野山(奈良県吉野郡吉野町): 金峯山寺,吉野水分神社,金峯神社,吉水神社,大峰山(同天川村),
大峯山寺, 熊野,熊野三山,熊野速玉大社(和歌山県新宮市),熊野本宮大社(同田辺市本宮町),熊野那智大社(同東牟婁郡那智勝浦町), 那智大滝,青岸渡寺,補陀洛山寺,那智原生林,
高野山: 高野山(和歌山県伊都郡高野町),金剛峰寺 ,金剛三昧院, 慈尊院(同九度山町), 丹生官省符神社, 丹生都比売神社(同かつらぎ町)
参詣道(熊野古道): 大峯奥駈道(吉野・大峯-熊野三山、約140km),玉置神社(奈良県吉野郡十津川村), 小辺路(高野山-熊野三山、約70km),
中辺路(田辺-熊野三山), 熊野川, 雲取越え, 大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km), 伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、 約160km),
花窟神社(三重県熊野市), 七里御浜(三重県南牟婁郡御浜町), 高野山町石道(金剛峰寺-慈尊院) (Wikipedia より)
高野まき
私はいい加減な無宗教者であるが、八百万(やおよろず)と言うの日本の神・仏に対する考え方が大変気に入っている。 幼い頃、田舎では隣保(町内会のような単位)で
”真言”と言う、持ちまわりのお教をそらんじる会が月1回行われていた。 月の決まった日、農作業が終わった夕べ、10軒程度の隣保の家々から1名ずつ出て、家々に祀ってある先祖代代の仏壇に向かって
”真言” を繰るのである。 集まった内の長老のような者が、皆に礼を述べて、 ”真言” のリードをする。 皆の衆は、それに追従して、和唱する。 ”真言” が終わると ”ご馳走” と少しのお酒がが出る。 今思えば、大した馳走でもなかったかも知れないが、当時の村の人々の食事はつつましく、ご飯に味噌汁、
それに野菜の煮物でも付いておれば立派なご馳走である。 また娯楽が少ない昔の田舎生活では、村の ”寄り合い” は楽しみの一つであった筈。 ”真言” の後は、”ご馳走” を頂きながら世間話に花が咲く。 子供の頃、私は長男と言うこともあってか、時たま私が家の代表で、”真言” に出席させられることがあった。 大人達の妙に艶っぽい話や、苦労話、自慢話を面白く聞いたのを、今でもかなり鮮明に覚えている。 そんな訳で、”真言宗、密教” には多少の興味を今でも覚えるのである。
さて前置きが長くなった。 かくして ”真言” とは若いときからの若干の付き合いがある。 密教の奥深さ、民衆を導き救う力にも大変興味が持てる。 5月の連休を利用し、バイクでキャンプをしながら高野山を訪れることにした。
03:45 出発。 準備は前日に全て済ませてある。 キャンプ道具一式をバイクの後部座席に縛りつけてある。 かなりの荷物だ。 混雑を避ける為、未だ夜も明けない内に出発。
05:46 R246を走り沼津に到着。 寒い。 7-11で暑いコーヒーとおにぎりの朝食。 ここからR1に乗る。
06:45 道の駅 ”富士川” で小休憩。 下りの道の駅は無人の自動販売機があるだけ。
08:00 静岡でガソリン補給。
09:00 浜名大橋。 この橋は何時来ても、天に伸びる橋と思う。 橋は浜名湖出入りする船舶の便を考えて、中央部でかなりの高さがある。 橋に差し掛かった処で、前方を見るとそこには空しか見えない。 建物も、木立も何も無い。 この先は天かと思う。
11:00 浜名大橋を過ぎ、知多半島の南側を走る国道42号に乗り換える。 メロン畑が続く田舎道を快調に走り、知多半島先端にある道の駅兼フェリーターミナルの ”クリスタルポルト” 着。 紀伊半島に渡るにはこのフェリーが便利。 だが、今日は5月の連休で道も港も大混雑。 バイクは1便に15台しか乗れない。 バイク専用駐車場に鉄馬をトメタ。 丁度15台目でセーフ。 チケットを買い、11:40の出港を待つ。 昼をクリスタルポルトで取ろうと思ったが、とてもこの短い時間では取れそうにない。 鳥羽に渡ってからにしよう。 約1時間の船旅。
伊勢志摩パールライン料金所から英虞湾を望む
12:40 鳥羽港着。 ここからパールラインに入り入り組んだ美しい海岸風景を楽しむ。 展望台のレストランで昼。 やけに道が混んできた。 後で分かったが伊勢志摩スペイン村の入り口混雑であった。 だいぶ時間をロスってしまった。 R260を海岸沿いに走る。 家の数が途端に少なくなる。 コンビニも無い。
坂本ダム: 今夜はここでキャンプ
16:25 尾鷲の8km手前でやっとコンビニを1軒発見。 コンビニストップ。 飲み物と甘味物を買って休憩。 尾鷲からはR425の山道に入る。 険しい山道である。 「狸に注意」の標識。 トンネルの入り口では、「不意に停電することがあります。」の注意看板。 国道と言えども、相互通行区間があったり、ガードレールも無い急峻な坂道もある。 だんだん辺りが暗くなる。 今夜の宿は決めていない。 坂本ダムの堤で少し開けた場所を見つけた。 ここでキャンプをすることにした。 既に辺りは相当暗くなっている。 バイクのエンジンをかけ、ヘッドライトの明かりでテントを設営。
翌日、
06:20 起床。 前日にコンビニで買ってあった、パンとコーヒーを沸かして朝食。
07:25 坂本ダムを出発。 相変わらず国道とは思えない山道を登り降りする。
道の駅 ”十津川郷”
09:00 十津川着。 道の駅 ”十津川郷” でコーヒー休憩。 ここからは十津川沿いにR168を北上する。 高野山へ登る別れ道の脇に、猿谷貯水池を見下ろす食堂が1軒ぽつんとある。 ここで昼を取ることにした。 パーキングには車が1,2台有り、中には数人の先客。 ここから高野山に辿り着くまで10km余りの山道には、民家、コンビニ、ガソリンスタンドが一切無い。
歴代名士の墓標が居並ぶ奥の院霊廟への道
12:30 高野山到着。 今までの急峻な登りが嘘のような平地が広がる。 ここが弘法大師空海をして、「空海、少年の日、好んで山水を渉覧せしに、吉野より南にゆくこと1日、更に西に向かいて去ること両日程にして、
平原の幽地あり、名つけて高野と言う。 計るに紀伊の国、伊都郡の南に当たれり。 四面高嶺にして人しょうみち絶えたり。…」、と言わしめた、高野の土地である。 改めて霊気を感ずる。 ゆっくりしたい気持ちも有ったが、今回はこの山の雰囲気を味わうだけで十分な気持ちになった。 多くの寺院や伽藍の内部は殆ど覗かずに、山を降りることにした。
山門
14:15 R371を ”下界” の橋本市へ向けて下り降りた。 橋本からはR24である。 奈良方面へ向け走る。
畝傍山
15:30 五條市のマックで昼。 この時キーを挿したままライトを点灯してあるのに気がつかなかった。 マックから出てきてエンジンをかけようとすると、うんともすんとも言わない。 近くのガソリンスタンドまでバイクを押して行き、充電してもらう。 充電している間、店の中を見ると、ユニークな店であることがわかる。 店には熱帯魚や小鳥がうなるほど居るのだ。 充電してもらっている間、それらを眺めていると、まったく飽きない。 魚や鳥達に取っては、本当は狭い空間が大きな迷惑かも知れぬが、ガソリンスタンドの主人とその家族は本当に魚や鳥たちが好きなようであったので少しは救われた感じがした。 我が家にも猫が2匹いる。 1匹は完全な家猫、家の中で過ごしている。
勿論日に何回かは外へ一人(匹)で散歩には出かけるが。 もう1匹は餌だけ貰いに来る。 台所の窓の外で決まった時間にじっと待っている。 彼らは野生の習性を忘れた猫だ。 少しかわいそうであるが、人間の我がままを許して貰えればと願っている。
耳成山
バッテリーの充電が済み、再び東へ向かって走り出した。 24号はゆっくり左にカーブして、橿原市、桜井市、奈良市へ通じる。 耳成山、天香久山、畝傍山等、平安の昔からの地名を懐かしく思いだしながら古都を駆けぬける。 天理市でR25に合流。 R25は、別名 ”名坂国道” と呼ばれ、昔は有料であったが今は無料になっている。 その昔、若い頃、この ”名坂国道” の伊賀の山奥を夜歩いていると、警察官に見つかり一般道に引きずり下ろされた覚えがある。 何故、夜、伊賀の山奥を歩いていたんだって? 若い頃、ただ歩いてみたかっただけの話。 名古屋から淡路島まで歩いた時のことだ。
天の香具山
名坂国道が終わり、R1号と平行するR23号に乗る。 亀山から名古屋、豊橋迄来た頃には、既に深夜。 むしょうに眠くなる。 今夜は泊まる予定は無い。 このまま徹夜で走り、相模原迄帰るつもりだ。 国道脇にバイクを止め、缶コーヒーをすすりながら暫く休む。 だいぶ走る気分が戻ってきた。 一気にR1号を一路東京方面へ走る。
8:00 無事、相模原の自宅に帰着。 またばか亭主が帰ってきたと、家人はその馬鹿さ加減に言葉もない。
三輪山
1/May/'99 林蔵(Updated on 8/Mar/'08)#076
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