記念艦「三笠」
@Nov/'10 横須賀, 神奈川


記念艦「三笠」: 進駐軍により全ての装備が撤去された、 その後ダンスホールや水族館に改装されていた
現在は、記念艦として当時の姿を再現している



戦争は二度と行ってはならない。 しかし国難の危機に立ち、国民の安全と祖国の独立を守らんとする敢然たる態度と勇気は持ち合わせねばならない。 その教訓を今一度新たにしようと、日露戦争・日本海海戦で日本の安全と独立を守り、我が国の植民地化を筈か一歩手前で阻止し、世界史の行方を大きく舵取った三笠、今は記念艦となり横須賀の海浜公園に一般公開されている実物を訪れた。 
 

製造: 英国ビッカース社、バロー・イン・ファーネス造船所
明治35年: 竣工、就役
連合艦隊旗艦
排水量: 15,140トン
全長: 122m
幅:23m
速力: 18ノット
主砲: 30cm x 4門
副砲: 15cm x 14門
副砲: 8cm x 20門
魚雷発射管: 4門
乗組員: 860名
装甲: 舷側; 9インチ(23cm)、甲板; 3インチ(8cm)



「三笠」: 船尾


明治38年5月27日、この日は徳川幕府の大政奉還に次ぐ、日本国の進路を大きく決定した日ではなかろうか。 日本海軍連合艦隊は自軍の沈没艦僅かに水雷艇3隻のみで、当時世界に冠たるバルチック艦隊を殲滅すると云う史上まれに見る奇跡の一大勝利を成し遂げた。 又陸軍に至っては15対1と言うまさに大人と赤子と言う戦力比を持って勝利したことは、当時列強の誰が予想しただろう。 そこには明治人の合理性、全国民力、真の国際感覚を見ることで必ずしも奇跡だけではない事実を、見出す事ができるのではないだろうか。 現代は成熟社会故の経済不振に陥っているものの、列強の植民地になることなく、戦後の驚異的な経済成長を成し遂げた日本国は、この日の勝利なくしてありえない。 と同時に、数え切れない尊い命を失い、途方もない資源を塵灰と化し、貴重な財産と遺産を失ったことも忘れてはならない。 正義と平和を守る為にはあらゆる努力を惜しんではなるまい。 時折りしも司馬遼太郎氏の作、日露戦争を松山出身の2人の人物に焦点を当てた「坂の上の雲」がNHKで放映されんとしている。 この機会にわが国の近代史を振り返って大局を舵取る教訓を読み取れればと思う。




副砲列(15cmx14門)とブリッジ: 見学入り口になっている


11月のある日、バイクで三浦半島を走った。 目的は記念艦「三笠」を訪れることである。 平日の朝、8時過ぎに家を出た。 案の定、16号は断続的に渋滞が続く。 気分は良くないが急ぐ旅ではない。 トラックやバスの後で排気ガスに悩まされながら、左手が痺れる程クラッチ・レバーを何度も握る。 東名・横浜町田ICを過ぎて保土ヶ谷バイパスに入っても渋滞は続く。 結局横浜の狩場ICから横浜横須賀道路に入ってようやく、渋滞から開放された。 横横道路は三浦半島の背骨を走る。 最近、馬堀海岸迄繋がった。 PAが一箇所ある、横須賀PAだ。 ここで珈琲休憩。  今年の元旦ツーリングで訪れた時と同じ場所に同じ野良猫家族が居た。 相変わらず食事事情は良さそうだ。 横横道路終点、馬堀海岸で海岸に沿う国道16に出る。 16号を横須賀方面に少し戻ると、記念艦「三笠」が保存されている三笠公園に簡単にアクセスできる。 横須賀の街の中心を走る国道16号から海辺の三笠公園迄、街路樹に覆われた感じの良い広い遊歩道が真っ直ぐ伸びる。




横須賀PA: 元旦ツーリング時に居たと同じ野良猫家族


三笠公園に保存されている記念艦「三笠」を初めて目にする。 やはり実物も見ることは大事だ。 実物はいかなる書物や映像より訴える力がある。 現代の大型空母を見慣れている我々には、大きさのインパクトはない。 しかし、日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅した日本連合艦隊の旗艦とあっては、その厳粛な威厳を感じ、謹んで敬意を払わざるを得ない。 入艦券(500円)をチケット売り場で購入し、ブリッジから艦内へ足を踏み入れる。 艦内には、いずれもその国の独立の危機を救った記念艦、「三笠」、「ビクトリア号」、「コンステイチューション号」の模型が誇らしげに展示されていた。




主砲: 30cm、船首に2門、船尾に2門


それにしても、艦内展示で改めて教えられることが多い。 バルチック艦隊は3万kmに及ぶ大航海をし、マダガスカル島で長期の滞在をした後の厭戦気分が艦隊全体に蔓延したとは言え、世界に冠たる艦隊に違いはない。 それを産まれたばかりの明治政府が急ごしらえで造ったばかりの連合艦隊が、事実上無傷で殲滅した偉業は、今でも思えば汗を握る。 又所謂6・6艦隊を造る費用を、貧弱な国家予算から憲法違反を覚悟で捻出した明治人の肝っ玉の太さに感銘するばかりだ。 更に、勝負がつくや、敵艦隊の将兵を進んで救助したり、重傷を負った敵艦隊司令長官のロジェントスキー中将を、平服で見舞い、見下ろさないように椅子に座り話しかける等、武士の情けを重んじた東郷の気使いや、ロシアの捕虜が投降時 ”マツヤマ(松山の捕虜収容所での捕虜の扱いが極めて人道的なことがロシア側にも知れ渡っていた)” と叫んだ事実等、世界に卓越した自らの国民性が我が心に湧き出る思いである。 我々は、今日、世界第2位を中国に譲り渡したとは言え、尚も世界第3位の経済大国で在り得、その繁栄の恩恵にあずかれるのは、偏に彼らの英知を持った勇気と英断のお陰と言わざるを得ない。




砲兵: 副砲操作模型、砲兵はこの部屋で起居し、訓練と砲の手入れに奉じた



操舵輪: 現物、中央展示室に安置されている



連合艦隊指令長官公室: マホガニー製テーブル




本日の相棒: トライアンフ・トロフィー900、横須賀PAにて















林蔵@三笠公園、横須賀 26/Nov/'10 (Updated on 8/Dec/'10)#349
  

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