四国108ヶ所遍路 @Aug/'10 巡礼、四国 番外4番霊場、鯖大師前にて 「灼熱の大地に育まれた穀物は夏の終わりに枯れてしまいますが、褐色に熟したその果実は充実して硬く張り、お百姓さんの手で大切にに刈り取られて今日の食卓にあります。その姿は実に誇らかではありませんか。 充実して働いた後に年老いる身体にも誇りが満ちています。 この身体が健康に動く限り、最後の瞬間まで仏様に代わって働く。」 これは、八十八ヶ所巡りの第一番霊場、霊山寺の案内所で頂いた巡礼小冊子に書かれていた言葉の一部です。 一番霊場、霊山寺の前に伸びる霊山寺通 最初の日はこの通にある遍路宿に投宿した かねてからその行為に身を託してみたい願望はあれど、この期に至るまで、何となく踏ん切りが着かなかったのである。 この度、友人からの何気ない誘いに、丁度退職後お世話になっていた会社との契約期限が切れ、次の職探しの前だったこともあり、それこそ大した覚悟や思いを持つことなくその誘いに乗った。 実にいい加減と言えばいい加減である。 友人の、”思った時に実行しなければ何時まで経っても実行できない”、と言う一言が決め手だった。 8月の後半、今年の夏は異常に暑い、その最中、約2週間掛けバイクで廻る計画だ。 友人は昨年、2回目の巡礼を済ませている、地理に滅法強い、更にお坊さんと言っても誰もが信用するほどに作法やお経に長じている。 私に取ってこの上ない先導者であり、先行き何の心配もないと言う訳である。 今こうして無事巡礼を終え、振りかえって見るに、全てに右も左も判らぬ私を連れての、友人の先導は実に偉大なことであったと、今更ながらその御苦労にただ感謝するのみである。 2日目の遍路宿: 13番霊場、大日寺の真横にある 昔からの遍路宿で老女将が気まめに御接待してくれる 朝出発時にバイク用ブーツに(湿気取りに)新聞紙が入っているのを発見し感動する さて、表題の108ヶ所巡礼は、通常の八十八ヶ所巡礼に番外霊場の20寺を加えたものである。 友人の特別な思いで番外霊場20寺を加えたのだ。 東京から徳島迄、高速道路を使い一日で移動する。 東名、新名神、山陽、神戸淡路鳴門自動車道、いずれも渋滞は全くなく、鳴門市の一番霊場直ぐ前で営みをする遍路宿、”かどや椿荘”には、未だ日も高い4時頃に到着することができた。 それにしても暑い。 この炎天下、約2週間走り詰めは大丈夫だろうか。 一抹の不安が脳裏をかすめるが、もともと楽天的な性格(いや、慎重に欠けると言ったほうが当たっている。)である。 そんな不安は何時の間にか忘れる始末。 だがここで打ち明けておこう。 バイク(とりわけ重い、大きいバイク)での真夏のお遍路は正に修業であることを。 よくもまー、熱中症(この巡礼期間中、全日見事に快晴に恵まれた。)で倒れなかったものだと、冷や汗が出る。 太龍寺ロープウエー 全長2775m、傾斜32度、10分の空中散歩、国内有数のロープウエー、 眼下に広がる800町歩(800ha)の山林は西の高野と呼ばれる太龍寺の寺領林だ 四国お遍路は四国4県全域に及んで、徳島を発心の道場、高知を修業の道場、愛媛を菩提の道場、香川を涅槃の道場と言われている。 筆者の発心の道場めぐりは、巡礼の何たるかもおぼつかないまま、それでも友人の導きのお陰で順調に過ぎた。 1番霊場から2日半で終わり、3日目の午後には、修業の道場、高知へと進んだのである。 この時期は巡礼としてはオフシーズンだそうだ。 それもそうだろう、本来は歩いて回るお遍路である。 この酷暑の中、歩くのは大変なことだ。 (実はバイクも、それに負けじ大変だと言うことが、判ったのであるが。 一日中、50度のサウナに入っているようなものだから。) 何処の遍路宿も比較的空いている。 それでも必ず数組の遍路客と同宿になる。 簡単なご挨拶と、何処からおいでになったのか、動機などを軽く言葉を交わす機会も多い。 そこで目の当たりにするのは、実に幅の広い年代層、その事情も様々。 改めて仏(宗教)の衆生を救う真言を見る思いだ。 そして、その信仰の様も千人千通りであることも、生物の多様性を感じずにはいられない。 室戸岬灯台: 説明には日本一のレンズとあった 近くには空海が修業をした洞窟もある 香南市夜須の手結(てい)可動橋 港から漁船が出入りする為の仕組みだ 31番霊場、竹林寺: 手水にはセンサーが取り付けれており 人が訪れた時だけ水がでる仕掛け、水不足の地域の節水策 3日目からいよいよ修業の道場、土佐の国だ。 高知では道草したい場所は数多くあれど、今回は巡礼である。 しかも限られた時間で工程を消化する計画だ。 訪れたい場所は別の機会に譲ろう。 発心の道場から修業の道場に入ったとはいえ、筆者には心境の変化は殆ど感じられない。 相変わらず、霊場から霊場への移動と霊場でのお勤めで精一杯だ。 これが無心、虚心、何も考えない、自らの見つめなおしになる訳だが。 土地の大学生だと言う3人娘、 80才で奥さんの霊を弔う為小型バイクで廻っている男性、川崎からやってきた定年を過ぎたと思われる歩き遍路の御夫婦、富山から車でやってきたやはり定年を過ぎた御夫婦、姫路から大型アメリカンバイクでやってきた実業家青年、親父の言葉に刺激されての巡礼らしい、東京八雲から空路で四国入りしレンタカーで巡礼している母娘、そこにはあらゆる人生のドラマがある。 卯之町: 江戸時代、大名行列が通った通に当時からある松屋旅館 右側白壁に格子戸の建物 5日目には遂に菩提の道場、伊予の国、愛媛県に入る。 迷いから目覚めただろうか。 そんな悟りには程遠い自分が情けなくもなる。 一度の巡礼で全てが悟れるなど凡夫の最たる筆者には土台無理なことだ。 素直に小さな悟りで満足し、さらなる悟りの境地を求める人生の旅を続けよう、と自らを慰めるのである。 伊予の国で最初の宿は、松屋。 300年続く江戸時代からの宿場町卯之町の老舗旅館だった。 これも友人の秘めた計らいである。 著名な文人や政治家が宿を取った旅館である。 こんな素晴らしい宿がお遍路価格で泊まれるのだからありがたい。 泊り客との何気ないおしゃべりから、時代の流れ、経済の動向を機敏に察し取る女将の話を聞くのも楽しみの一つだ。 迷路のように入り組んだ館内、傷みも激しいらしい。 毎年多くの修繕箇所が出るともこぼしていた。 それでも薄利の遍路客に真心を込めて御接待をする姿には頭がさがる。 出す食事もなおざりでなく、変化と塩分とスタミナを付ける心配りは絶品だった。 特に漬物は特級、江戸時代から続く糠床を今も使っていると言うから驚く。 300年の老舗旅館、松屋: 名物漬物の糠床は江戸時代からのものだそうだ(凄い) 老女将の話では、松屋ではこの辺の名物であるかつおは出さないそうだ、 お遍路さんは、ここに来るまで、いやと言うほどかつおは、ここに来るまでのお遍路宿で 頂いているはず、だからうちでは、お肉と自家製のお漬物を出す、のだそうだ、 梅干だけでも毎年120kgは漬けるそうだ 箸蔵ロープウエー: 番外15番箸蔵寺へもロープウエーを利用する 四国の山は険しく3霊場はロープウエーを利用した 第66番雲辺寺: 雲辺ロープウエーで昇る、観音寺市街が一望に視渡せる 全長2700m、120乗りの大型ゴンドラ さて、9日目、最後の道場、涅槃の道場、讃岐の国に入る。 筆者の心中は相変わらず涅槃など無常の彼方にある。 お勤めの般若心経も未だに教本を見なければ唱えられない。 だがお経を唱える際に、これまであったこころの中の違和感が薄らいだ気分になったのは、進歩だろうか。 中年を過ぎる頃迄、経を読む自分など考えも及ばなかったが。 我を捨て人の為に生きる、働くことに意義を見出し、身体の衰えに惑いや恐れを感じず、誇りを持てる心境に近ずけただろうか。 雲辺ロープウエーの山頂駅は徳島と香川県の県境: 66番霊場は徳島側にある 豊かに水を湛える満濃池: 何度も決壊する堤を空海がたちどころに解決したとされる 空海は所謂、宗教者であり芸術家であり技術者であった、スーパーマンだったのだろうか 坂出の町と瀬戸大橋: 簡保の宿、坂出より 簡保の宿もお遍路価格で宿泊できる、朝食は7時とお遍路客には少し遅いが ちなみに、簡保の宿でもお遍路宿でも朝は結構しっかり出る その朝食をしっかり全部頂くのである、 お遍路をしていると、その日にできるだけ多くのお寺を回ろうとお昼抜きで先を急ぐ、 休憩もお寺でお勤めが終わった後、次のお寺に向かう前に水分補給をする程度だ その時、偶々お饅頭や果物が境内で売られていると昼食代わりに頂くこともある 番外19番西香寺: 門をバイクで潜るのは失礼と、門の外にバイクを止めた ところが駐車場はこの門を潜った中にあった 84番霊場、屋島寺: 立派な資料館が備わる 源平の戦いで名高い古戦場、一般観光客でも賑わう 遍路もいよいよ終盤: 87番霊場、長尾寺から最後の88番霊場、大窪寺へ向かう途中にある遍路センター ここには遍路に関わる資料が沢山備わっており、歴史ボランテイアーが親切に説明をしてくれる 88番霊場、大窪寺: 遂にここまで、事故も病気もなく無事たどり着けた、 同行してくれた友人の、そして遍路を支えてくれた多くの方々のお陰、感謝の気持ちを忘れてはならない 番外20番霊場: 大瀧寺 その石柱には四国八十八ヶ所総奥の院とある 最後にこの霊場を訪れ一連の作法を終えた時、この11日間の総仕上げをした実感が身体の内部から湧き出るが如くだ 最後の遍路宿、支度の栄荘で今朝宿を出る際に頂いたお弁当(お握り、お茶、漬物)を境内で頂く、美味しい うだつの町、脇町: 番外20番霊場から振り出しの一番霊場、霊山寺へ戻る途中に寄る 長野県の海野宿でも立派なうたつが残る宿場町を見たが、ここ脇町のうだつも立派、 そして昔の町並みが見事に残され整備されているのも立派 古き良きものが生きている感じがする 108ヶ所巡礼。 駆け足だったが炎天下11日を要した。 正直言って回っている間、巡礼の意味や、自身を見つめ直す暇はなかった。 それでもこの時間は決して無駄ではなかったと確信している。 何よりも、同行してくれた友人、そして多くの人々の暖かい支援や心遣い、お接待のお陰で、最後まで辿り着くことができ、今その意味を改めて見つめ直している。 若い頃から宗教には懐疑的であった。 建設的、生産的ではないと感じていたのである。 人々が生きてゆくには、食べる為に、雨風を防ぐ為に働き、物を生産しなければならないと思っていたのである。 ただ祈るだけでは、何も生まれないと思っていたのである。 しかし齢を重ねるに従い、宗教の建設的意味を見い出すようになった。 精神の安定、衆生の為の奉仕心、身体の衰えにたいする不安や恐怖からの脱却、これこそ尊い仏の導きではなかろうか。 今でも形式に拘ることは大嫌いである。 だが仏のありがたい言葉は受け入れたいと素直に思う。 衆生の為に、この身体が動く限り、最後の瞬間まで仏に代わり働きたい。 感謝。
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