Asan
@Jul/'02 Asan, Korea



Onyang Grand Hotel


私にとって韓国は近くて遠い国だった。 50才も半ばになり、ようやく訪れる機会を得た。 日曜日の午後2:05、成田を発ったJL955は予定の飛行時間2時間30分より15分早く、韓国 Inchon 国際空港に降り立った。 着陸直前に見る韓国の山、街、海は日本のそれとあまりに違わずとても安堵観を憶える。 この空港では出迎えの便をはかる為、到着便毎に出口が指定されている。 我々の乗ってきたJL955便の出口指定はF出口だ。 23列あるバゲージ・クレームの割り当ては出口指定に一番近い21番ベルトである。 空港は新しく広くて機能的だ。



ホテル玄関


空港には、客先である Korean Telecom お抱えの運転手、張さんが迎えに来ている筈だ。 F出口を出て、出迎えの列を見まわしたが張さんの姿がない。 会ったことはないが、私の名前を書いたプラカードを持っているから、直わかるとの事であったが。 運転手の張さんの携帯に電話しようと思ったが、あいにく電話番号を控えていなかった。 しかたなく、空港のタクシー・スタンドでタクシーをひらい、宿舎である Onyong Grand Hotel へ行く事にした。 問題はこの後起こる。 タクシーの運転手は、快く引きうけたものの、Onyong Grand Hotel が何処にあるか、さっぱりわかっていない。 途中高速道路で車を止め、ホテルの電話番号を聞いてくる。 幸い、ホテルの電話番号をサイト情報のファイルから取り出し、手帳に控えてあったので、その番号を運転手に示した。 運転手は携帯でホテルに電話をするが、通じないらしい。 更に困ったのは、運転手は韓国語しか判らないのである。 かばんからノートPCを取り出し、サイト情報のファイルを開けてホテルの住所を見せた。 私は、ホテルは ”長南ーChounan” にあると思っているから、 運転手にはチョーナンの Onyong Grand Hotel だと何度も同じ事を言ったのである。 運転手は、サイト情報にある住所を見ても、良く要領を得ない様子。 首をかしげながら、とにかく南の方向へ走りだした。 ICに差し掛かる毎に係員に、手帳に書き写したホテルの住所を見せるが、なかなか的を得た返事は返ってこない。 後で反省してみるに、運転手はローマ字で書いた住所では判らなかったのである。 チョーナンは”長南”ではなく”天安”と書く。 そして宿舎のホテルは、”天安‐Cheonan” にあるのではなく、20km程離れた隣街の ”牙山‐Asan” にあったのだ。 確かにサイト情報にあるホテルの住所を見ると、 Asan-City と書いてある。 運転手には、Asan を強調しなければならない処を、チョーナンを連発したものだから、 しかも超日本語訛りの チョーナン では運転手は ”天安” を思い浮かぶすべももなく混乱してしまったのであろう。



ホテルの部屋からAsanの街を望む


それでも何とか、Asanの街中に入り、街の人に聞きまくり、やっと宿舎の Grand Hotel に辿りついた。 運転手は、英語を喋らない(日本でも事情は対して変わらないだろう)。 そして地図など持っていない。 またタクシー会社の本部に連絡を取りサポートを頼んだりしない。  いくらタクシーの運転手と言えども150kmも先の街のホテルや地理に詳しい訳がない。 もっと宿舎のホテルの地理を良く調べて置けば良かったと反省しきり。 お陰でタクシー代はダブル(この運転手と、空港に待たせてあったチョウさんの分である。)で取られた。



ホテルの部屋から街の眺め


韓国は、全てが実に日本と良く似ている。 水田には青々と植えたばかりの稲が夏の太陽に萌えている。 川には水が豊かに満ち、山々は木々が茂り多くの恵みを創りだす。 人々は穏やかで親切。 土地の隅々まで丹念に利用されている。 日本と多少変わる点もあるが。 ホテルの朝食は西洋式のバイキングだが、コーヒーが出てこない。 特別に注文しないと出てこないのだ。 僕のように引っ込みじあんの者に取って、特別に注文するのは酷く面倒なことである。 結局、いつもコーヒーを飲めないまま朝食を終えることが多い。 街の看板は殆ど韓国語だ。 英語の表記が実に少ない。 ホテルにチェックインした後、早速街を小一時間街を歩いた。 商店街を歩いてみたが、遂に英語表記の看板がなかった。 つまり、僕には1つも理解できる看板がなかったのである。 運転手の張さんも英語は殆ど喋れない。 日本語はほんの少し。 韓国語にわずかの英語と日本語を交えて話しかけてくる。 元来話し好きの張さんらしい。 何度も同じ事をしつこく繰り返して話してくれるので、何となく言っていることが判ってくる。 此方は英語と日本語で答える。 変な会話であるが、これが現実の会話であろう。 ホテルからサイトまでの片道40分、往復で80分が張さんとの会話時間でるあが、恐らく韓国語は少しも覚えて帰らないだろう。



ホテル部屋: 靴を脱いで部屋に上がるのは日本の住居形式と同じ


仕事場のサイトは、ホテルのあるAsan市から35km先にある。 水田風景の田舎道を、時には舗装が途切れる細い道を行く。 小さな集落を幾つか通りすぎる。 一目でそれと判るキリスト教会とプレジャー・ホテルがそこかしこに点在する。 韓国のお墓は眺めの良い山の斜面に、綺麗に木が刈り取られ芝生の中にこんもりと盛り土がしてある。 沖縄のお墓に似ている。 故人の魂が何時でも現世を見守り、戒めてくれているのだろうか。



Chonan SAN Site






09/Jul/'02 林蔵@Asan Korea (Updated on 10/Apr/'08)#112

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