ゴール(Galle)
@Aug/'07 Galle, Sri Lanka


Galleの海岸: 城壁に囲まれた要塞跡内は綺麗に整備されている
インド洋の荒波が遠浅から急に深くなる海崖で白く砕ける



コロンボから南に100kmばかりにGalleと言う街がある。 スリランカではリゾート地として名高い。 インド洋に面した風光明媚な街である。 この時期、既に雨期に入っている。 コロンボの空はどんよりと厚い雲に覆われ、今朝は酷いシャワーで散歩はできなかった。 休日の朝、友人が車でホテル玄関まで迎えにきてくれた。 休日を利用して列車でリゾート都市Galleへ行こうと言うのである。 中央駅では混むだろうからと、小雨の中、一つ手前の駅へ向かう。 9時発の列車に乗ることにした。 スリランカの列車は国営で庶民の脚として使われている。 庶民の脚だから、料金はあまり高くする訳には行かない。 自然手入れや整備の為の資金は不足しがちだと言う。 車両は100年以上も前のものを今でも使用していて、快適と言うには及ばない。 やってきた列車も年代もので、デイーゼル機関車はカナダ政府の援助であるシールがあった。 この程良い国土の大きさとを持つ美しい楽園に、鉄道網の整備と車両と施設の近代化を図れば、諸外国からの観光客の招聘には大きな武器になること請け合いかと思う。 温暖な気候に、繊細で心の篭ったサービス、そして美しい自然、一大観光産業が発展する条件は見事に揃っているのだ。 観光産業は外貨獲得の一翼を担う筈だ。 だが、それも内戦と言う悲しい社会の歪が障害となって、計画は頓挫したままになっているのは、残念でならない。 



要塞内タウンの郵便局前にて



9時の列車は少し遅れてやってきた。 10分や20分の遅れは、遅れではない。 日本の鉄道の時刻表の正確さは外国では異常と言われる。 車内は既に多くの乗客が乗り込んでおり、とても座る席など望めない。 100km程度の旅程である。 体調(お腹の調子)は今一だが、立って行ったとしても然程のこともなかろうと混雑した客車に乗り込んだ。 列車内は一様に小奇麗な身なりの人達である。 不潔さや、嫌な匂いは全く感じられない。 これで、車両が新しく、時間が少し正確になれば申し分ないように思う。 




日本で任務を終えたバスは、そのままの姿で第2の役目を立派に働いている



列車はセイロン島の西海岸を縫って進む。 スマトラ沖地震で発生した津波の爪跡は西海岸にも及んでいるのをみて、改めて自然災害の甚大さと恐ろしさを感じる。 列車は約2時間でGalle駅に到着した。 ゴールの街を守る要塞跡が海に面して土褐色の城壁をめぐらす。 要塞城壁の内部は、今でも普通の街の生活が営まれている。 立派なホテルや瀟洒なレストランもある。 実は、今日は体調が思わしくない。 多分、私でなければ今日のゴール行きは中止していたであろう。 だが、好奇心が一際強い林蔵は、友人のせっかくのアレンジもあり無理をして出てきた。 2時間の列車で立っているのがとても辛かった。 そして下痢気味のお腹の調子も治っていない。 城壁内に足を踏み入れた時点で、トイレを模様してきた。 友人の話によると、これから行こうとしているレストランには、綺麗なトイレがあるそうだ。 レストラン迄はそう遠くないに違いない。 レストラン迄の我慢だ。 城壁内の街は半分、インド洋の大波が打ち寄せる海に面している。 

城壁内にある海辺のレストランはある豪族の住家をホテル・レストランに改造したものらしい。 2階がテラス・レストランになっている。 ここは私が勘定を持つことにして頂いた。 レストランに入るなり、激しいスコールがやって屋根や地面を叩き出す。 危機一髪でスコールに打たれることを免れることができた。 

上等のレストランでトイレを済ましすっきりした状態で、インド洋の荒波が打ち寄せる海を借景に旨い昼飯を楽しんだ。 帰りの列車は、又混雑が予想されるので、エアーコンの効いたバスで帰ることにした。 バス停でバスを待つ間に、又しても激しいスコールが道路やバスの屋根を叩く。 コロンボ行きのマイクロ・バスがやってきた。 一番前の席座だった。 景色は思い切り良いが、エアーコンが強烈に効いている。 体が冷える。 だが、もう乗ってしまった。 案の情、1時間もしない内に、腹の具合が悪くなる。 2時間何とか我慢して、コロンボの入り口迄やってきた。 友人は気を使ってくれて、大きな病院の前でバスを降りた。 病院ならトイレが完備していると思ったからだ。 バスを降りて、当たりを見ると、病院の前に中規模のホテルがあった。 病院へ行くのをやめて、そのホテルに入った。 2階に綺麗な来客用のバスルームがあった。 やれやれ、助かった。 そこで、友人の弟が車で迎えに来てくれるのを待った。 友人の弟が来て知ったのだが、何とこのホテルの支配人と友人の弟は知人同士だったのだ。 最上階、5階の中華レストランに招待され、腹具合を整えるのにブラック珈琲をご馳走になった。

そして、それから、友人の家族の家に招かれ、大変なご馳走にるったのである。 その家には犬が3匹も居る。 真っ黒でいかつい顔をした大型犬は番犬、丸々太ったスピッツ、愛嬌のあるポメラニアン。 この家族はスリランカでも裕福な家族に違いない。 82歳になる友人の母親は江戸っ子のような気質で流暢な英語で衰えなど少しも感じない会話力で話しをしてくれる。 旨い食事と楽しい会話ほど人を和ますものはない。 調子の良くないお腹を抱え庇いながらのゴールと友人宅の訪問ではあったが、何と幸せな境遇に恵まれたことか。 このような機会を持てたことに、列車システムの大改造を夢見るすばらしい友人に、そして仕事を与えてくれた人々に感謝。







林蔵@Galle 28/Aug/'07 (Updated on 18/Oct/'08)#295 

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