イスラマバード @Apr/'07 Islamabad, Pakistan
1000m級の峰峰が連なるマルガラ(Margallah)山塊の南麓に広がる平地。 ライオン河(インダス河)の支流が悠久の時間と人智の及ばぬ巨大なエネルギーで為した産物だろうか。 その昔ガンダーラと呼ばれていた土地である。 ラワルピンジがその東の中心地だったと言う。 ラワルピンジから10数km西北、マルガラ山塊にぴったりより沿うようにこの計画政治都市は作られた。 1960年5月24日、当時の大統領 Muhammad Ayub Khanによって、平らな平野に珍しく一箇所盛り上がった小さな丘で、マルガラ山塊と小高い丘の間に横たわる緑溢れる樹木で覆われた平地を検分され、この土地をこの国の首都にするマスタープランが承認された。 翌1961年10月、新都市建設に着工、1963年10月に新しい街は産声をあげた。 まだ誕生して40年そこそこの極めて若い街である。 計画都市である極め付きは、440km2の面積の、実にその半分に及ぶ220km2が公園、緑地にあてがわれていることに見ることができる。 ビューポイントから望むマルガラ(Margallah)山塊と公園面積がその半分を占める緑溢れるイスラマバードの街
3月17日、中国のウルムチ経由で、ヒマラヤの高峰K2(8,711m)が聳えるカラコルム山脈を超えてイスラマバードに入った。 ヒマラヤに近いから寒いのかと思いきや、照り付く太陽がまぶしく暑い。 会社の運転手が空港の到着ロビーで私の名前を書いた紙を持って待っていてくれた。 空港は昔からガンダーラの街として栄えた一見無秩序に発展したかのような街ラワルピンジにある。 空港からイスラマバードまでは立派な高速道路で繋がっている。 高速道路を走る超派手なトラックやバスが懐かしさを呼び起こす。 17年前に短期間滞在した時の空気を思い出す。 30分程度でイスラマバードの宿舎ホリデーインに到着。 今は国際標準になったゲートで銃を持った警備員に車の外、底、中を徹底的にチェックして車寄せに入る。 建物の中では空港と同じ金属検知器をくぐる。 此処でも自動銃を下げた男女の警備員が居る。 前回はマリオットホテルだったが、今回は長期滞在なので宿代はそれなりの設備を選ばざるを得ない。 恐らく街の誕生と同じ位の年期の入った古いホテルである。 設備は古く吹き抜けのロビー等は無いがインターナショナルホテルの格式は備わっている。 計画都市イスラマバードの中心を議事堂から真っ直ぐに伸びるFaisal アベニュー 両脇の松並木の更に両側に広い側道がありその更に両側に商業施設が整然と数kmに渡り並ぶ この通りの両側はブルー・エリアと呼ばれるイスラマバードの商業の中心地であり街の中心地でもある 仕事場は、街の中心を真っ直ぐに伸びる目抜き通りJinnah Ave.沿いに設定された商業地区、ブルー・エリアの中ほどにある。 それにしてもこの通りは流石に計画都市のそのものと言える。 上の写真はファイサルアヴェニューであるが、ここは街の中心地で商業地区なのにそれらしき建物は僅かに数基のビルが右手に見えるだけである。 この中央分離帯のある広い通りの両側には立派な松並木が延々と続く。 その松並木の外に更に広い側道が設けられている。 その側道の外側に商業設備が広い駐車スペースを取って並ぶのある。 飲食店は数える程しかない。 銀行、電気屋、生地屋、家具屋、カーペット屋、民芸品屋等が整然と数kmに渡り並ぶ。 駐車スペース等の脇には簡単なローカルスナックを取る簡易食堂が人々にサービスを提供している。
3月の後半、この季節エアーコン無しでも過ごせない事はない。 昼間照り返す太陽の下、気温は相当に上昇するが朝夕は肌寒い感じさえする。 だがこれからの季節エアーコン無しではとても過ごせない。 ブルーエリアの建物の裏に回ると壁とベランダはエアーコンの室外機で埋め尽くされる程だ。 ビル共同のセントラルエアーコンと言う概念はこの国では育たないらしい。
ブルーエリアではシルクとカシミアの看板に良くでくわす。 シルクもカシミアも高級生地に違いないが、パキスタンの女性に取っては欠かせないファッションの素材である。 ゆったりしたシルクの民族衣装に身を包み、肩には薄いシルかクカシミヤの長いショールを流す。 職場での立ち居振る舞いも、まことに優雅である。 そんなシルクであるが、Dubai Silkの看板を見かける。 シルクはもともと中国から遠く危険なシルクロードを運ばれ中東のシルク市場で取引されたのだろう。 ドバイはそんな市場の一つであったにちがいない。 そしてドバイ・シルクのブランド名を羽織り再びシルクルクロードを戻って来たのだろうか。 商品はブランド名が付くととたんにその価値が時に過分に認められる。
Dubai Silk の店内に入ってみた。 間口は狭いが奥が深い店内には、様々な柄のシルク生地が整然と天井迄ある棚に隙間無くびっしりと収まっている。 およそ展示を凝らす等と言うことは無い。 とにかく商品の数、量で勝負するのはアラビア商人の特質だろうか。 ここはとてもアジアとは思えない。 アラブの世界そのものではないだろうか。 お店は見せてもらったが生地を買うでもなく、綺麗な店だとお世辞を言い、サラマリコンとありきたりの挨拶と会釈を交わし店を出た。
パキスタンは言わずと知れたイスラムの国である。 モスクを見ないでは居られない。 イスラマバード一番のモスクと言えば、街の中心ゼロポイントからマルガラ山塊へ伸びる一本の道がマルガラ山に突き当たる場所にある。 このモスクはサウジアラビアからの贈り物だと言う。 12年前に来た時もあったから、相当昔からあるモスクだ。モスクにしては近代的なデザインの建造物である。 4本のミナレットはあるが中央にあるべきステレオタイプの丸いドームは幾何学的な形を呈している。 この大きな幾何学的な建造物の中には仏教の寺やカトリックの教会のような荘厳な飾りや像はない。 広い空間があるのみである。 メッカの方向の面した壁(ミスラーブ)の前には巨大きなコーランが開かれ、大きな演台のようなものの上に置かれている。 仏教もキリスト教も回教その起こりでは偶像を持たなかったそうだが、現代に至りその教えを守っているのはイスラム教の世界でしか見出せない。
Faisalモスク内部:大理石の回廊 背後にはMargallah山麓の新緑がまぶしく映える モスクの内部で見かけだ看板: (外国人観光客等)女性の服装に関する注意書き 10/Apr/'07 林蔵 @ IslamabadPakistan (Updated on 5/Oct/'08)#285 |
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