キャンデイ(Kandy) @Aug/'07 Kandy, Sri Lanka Kandyで一番と言うホテルを友人は予約してくれた この地は昔の王朝時代の都だと言う。 現在の首都コロンボから島の中央部へ100km程度の位置にある。 山と湖のある美くしい景観を誇る街だ。 土地の友人が是非行くようにと薦めてくれた。 数百年も続いているお祭りであるらしい。 沢山の電飾で派手に飾った象が参加するこのお祭り(Esala Procession)は、東南アジアではその規模と内容の豊かさ、エキゾチックさでは郡を抜いているらしい。 この時期、国内外から大勢の観光客がKandyを訪れるので、ホテルはどこも超満員。 友人の知り合いがマネージャーをやっている、コロニアル風の超格式が高いホテルにようやく予約が入ったと連絡があった。 ここまでお膳立てしてくれるのはこの上なくありがたい。 かくして、有名なKandyのお祭り(Esala
Procession)を見に行くことになった。 そうだ、最初に断っておかなければならないことがある。 このお祭りの写真だが、この記事には残念ながら紹介できない。 激しい幾多の民族踊りや派手な電飾で飾られた多くの象達は松明の照明では、カメラに収めることはできなかったからである。
レンタカーで行くことにした。 列車もあるが、時間が掛かるのと設備が老朽化しており、快適さに欠けるので友人から推薦されなかった。 100kmの道のりだから2時間もあれば十分だろうと思い、ホテルを9時に出た。 Kandyで十分街を見物できる筈だった。 ところが、100kmの道のりを、実にレンタカーで4時間も掛かるのだった。 コロンボとKandy間は幹線道路、国道1号線が走っている。 幹線道路である、舗装状態に問題ない。 何故時間が掛かるのか。 それは道が途中の街の中を通るからだ。 バイパス道路はない。 スリランカは比較的人口密度が高い。 途中に多くの村や町がある。 村や町は人や車が多い、渋滞は茶判事と言う訳だ。 当国の観光開発には、バイパス道等のインフラ整備が不可欠であろう。
最上階、5階のVIPルームがあてがわれた。 広い。 良く磨かれた、濃い色の厚い板張り床が高級感を醸し出す。 一晩では実にもったいない気がする。 このようなゆったりしたリゾートホテルでゆっくりしたいものである。 近頃の客用にデスクには高速インターネットのケーブルが備わっている。 勿論ミニバーは充実しており、その収納も立派だ。 今コロンボで投宿しているホテルも5つ星だが、5つ星でもランクは低いのではないかと思うのは、ミニバーの収容が、ワードローブの中にあり、とても使い難くいのである。 ここのミニバーは、専用の濃い木の収納キャビネットで部屋の一角の使い易い位置にある。 部屋からの眺めは、さながら熱帯雨林の只中にいる様相である。 中庭中央には広いプールが備わっており、プールサイドでレジャータイムを楽しむ西洋からの観光客や長期滞在者にも申し分ない。 レストランは中庭に開いたオープンレストランなっており、自然の涼風を楽しみながら食事ができる。 カフェコーナー、バーコーナーがシームレスに並んでいる。
お祭りを見るチケット(7500ルピー(約9000円))をホテルのフロントで申し込んだ。 ホテルの専用バスが4時半にホテル前を出るとの案内だった。 4時半前にホテルの車寄せに行くと、そこには、一台の木製のクラシックバスが我々を待っていた。 ホテルのフロント脇でチケットを頼む際についでに頼んであった弁当を受け取り、バスに乗り込む。 それにしても、弁当を受け取っている客は少ない。 夜11時迄のショーである。 何も食べないでは済まない筈だが。 トイレはあるのだろうか。 実はここ数日下痢気味なのである。 様々な国、主に欧州からの観光客を10名余りを乗せてバスはほぼ定刻の4時半にホテルを出た。 さながらデズニーバスに揺られているが如くだ。
約30分程度で会場に着いた。 会場と言うのはキャンデーの中心街、目抜き通りである。 ”会場” 周辺は厳しく警察軍隊に大型バリケードで取り囲まれ、犬の子一匹たりとも入いる隙もない。 会場内に入るには、軍の厳しいボデーチェックがある。 男性は男性の兵士に、女性は女性の兵士に本核的なボデーチェックを受ける。 軍のボデーチェックに比べると空港のボデーチェックは形式でしかない。 金玉までしっかり握られ、息が苦しくなる程度に胸を押されるチェックである。 長いL字型のメイン通りの両脇にびっしり見物席が設けられている。 その歩道レベルの見物席の後に雛壇風に設営された特設見物席が片方の広い歩道側にずらりと並ぶ。 この席が9000円の席である。 我々、ホテルから来た10名余りの見物客も全員その席に収まった。 トイレは何処にも在りそうにない。 一応椅子席なので姿勢は楽である。 それにしても未だ5時半である、この椅子で6時間の間じっと座っていなければ成らないのは、考えると苦痛になる。 なるべく考えないようにしよう。 何時から祭りが始まりメインの象とダンスの行列が始まるのか、プログラムのようなものは一切ない。 会場のメイン通りは、既に通行規制が行われ、祭り関係者以外はその中には入れない。 目当ての或いは予約した見物席に行く人々は道路の左端を歩くよう、交通整理兼警備の警察官の補導されている。
既に席に着いてから2時間半以上になる。 そうこうしていると、ピザ屋のおにーさんが注文を取りに、狭い席を掻き分けやってきた。 同じホテルからやってきた西洋人たちも、注文している。 この手が有ったのだ。 30分程度で注文されたピザとドリンクが運ばれてきた。 旨そうな匂いが辺りに漂う。 冷えたホテルの弁当より、暖かいピザのほうがなんぼも旨いに違いない。 皆夫夫に腹ごしらえは済んだようだ。 未だ始まらないのだろうか。 椅子の席は楽とは言え、数時間も座っていると尻も痛くなる。 もう日はとっぷりと暮れている。 更に30分程度そわそわと何かが始まるのを待っていた。 8時過ぎ頃だろうか、いよいよEsala Processionが始まった。 先頭を飾るのは、長い縄の様なものを勢い良く振り回しながらやってきた。 爆竹隊だ。 20名程度の若い衆がゆっくりとすざましい爆竹音を鳴らしながら通りを進む。 爆竹隊には、爆竹の破裂した破片を丁寧に素早く拾う若い衆も含まれている。 長い縄のようなものを振り回す毎に、爆竹が暗闇の空間を裂き破裂する。 これから始まるショーに群集の気持ちをいよいよ高ぶらせる。
その後に続いて進んで来たのは、竹馬を履いた若い衆や半裸で練り歩くファイヤーダンスチームだ。 大きな火車や火の棒を火の粉を浴びながら、巧みに操りながらゆっくり行進する。 その後には数え切れないくらいの様々な趣向を凝らしたダンスチームと、派手な電飾に飾られた(現地の友人は、動物虐待だと言ってこのお祭りを見るのが嫌いだと言う。)象が目の前をゆっくりと見せ場を作りながら行進して行く。 ダンサーは、ごく一部のチームを除き若い男性が圧倒的に多い。 20組程のダンスチームと電飾の象が通り過ぎた頃だろうか。 特別な象がやって来た。 見物客が一斉に立ち上がり手を合わせる。 仏像か、或いは釈迦の爪と言われる聖遺物を乗せた象らしい。 その後には又数え切れないダンスチームと電飾象が前を通り過ぎる。 夜の11時頃になりようやく最後のダンスチームと電飾象が通り過ぎ、祭りは終焉を迎えた。 私の脳は、興奮と飽和状態に疲れ、早くホテルの部屋に帰りたいと叫んでいる。
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