タキシラ (Taxila)
世界遺産@Apr/'07 Taxila, Pakistan



Mubammad Nari 出土、 Saravastiの奇跡伝説のブッダ像(紀元300-400年)
 

[世界遺産: Taxila 文化遺産、 1980年登録] Taxila is an important archaeological site in Pakistan containing the ruins of the Gandharan city and university of Takshashila (also Takkasila or Taxila) an important Vedic/Hindu and Buddhist centre of learning from the 5th century BCE to the 2nd century CE. In 1980, Taxila was declared a UNESCO World Heritage Site with multiple locations. The name "Taxila" is spelled ٹیکسلا in Urdu/Persian. In ancient times, the name was written as तक्षशिला (Taksasila) in Sanskrit; its ancient Pali name is transliterated as Takkasila. Historically, Taxila lay at the crossroads of three major trade routes: the royal highway from Pataliputra; the north-western route through Bactria, Kapisa, and Puskalavati (Peshawar); and the route from Kashmir and Central Asia, via ?rinigar, M?nsehr?, and the Haripur valley across the Khunjerab pass to the Silk Road. Today, Taxila is located in the western region of the Islamabad Capital Territory to the northwest of Rawalpindi and on the border of the Punjab and North West Frontier Provinces?about 30 kilometres west-northwest of Islamabad, just off the Grand Trunk Road. (Wikipediaより

 

この地はガンダーラと呼ばれていた。 現在では、アフガニスタンのカブールからパキスタンのインド国境に近いラホールに跨る広大な地域で、交通、通商の要地、或いは人類が生息するに極めて条件の良い豊かな土地が広がる一帯をそう呼んでいた。 そのほぼ中央に位置するTaxila。 その昔、三蔵法師(日本では西遊記の名で知られている。)が仏教の真髄を学ぶ為、西安から苦難のシルクロードを旅した天竺への行きかえり、この地を通ったに違いない。 そして、北の匈奴のエフタルに拠って無残にも破壊された仏教施設を目の当たりにしたであろう。 或いは破壊から逃れた大学の一部で当時最高レベルの仏教教育センターだったと言われる大学で勉学の為の道草をしたのであろうか。 ここは、かつてクシャーナ朝最盛期(紀元1-5世紀)には、ヘレニズム文化とインダス文明が融合した独特のガンダーラ美術が花咲いていたのである。 また当時世界随一の学問センター、仏教を教える大学があったと言う。 インドで生まれた仏教は、クシャーナ朝全盛時、第2代王、アショカ王によって精力的に保護推奨され、広く北西にその版図を延ばした。 そして東西の文明が、民族が合流する地、インダスが育んだ豊かな地、ガンダーラに、仏教の一大布教、研究、教育センターが設立され、当時の知識人や為政者達を引きつけ、その名を歴史に深く刻んでいる。 



Kara-Iの結婚式シーン、Swat出土、(紀元1-3世紀)



Hariti王、 Sabri Bahlol Bardan出土、 (紀元500年)



この地を語るには、遠く紀元前6世紀に遡らなくてはならない。 そのころ、現在のアフガニスタンの東部からパキスタンの東部に渡る広大な地域が、ガンダーラと呼ばれる北インドでは16大国の一つであったらしい。 同じ頃現在のイランには強大な王朝帝国、アケメネス朝がペルセポリスに壮大な首都を築いていた。 その直ぐ東に位置するガンダーラ王国はアケメネス朝に従う独立国だったのだろうか、それとも属領だったのだろうか。 ペレスポリスの遺跡にはには、多くの国々から貢物を運んでくる行列に、ガンダーラの一行の姿が見られる。 そしてマケドニアの若き王、アレキサンダー大王の登場である。 西洋では、”The Great” の名で知られるアレキサンダー大王であるが、アジアの歴史にも顔を出す大物だ。 ギリシャのマケドニアに生を授かったアレキサンダーは得意の騎馬戦術で瞬く間に小アジア一帯を征服し、どう言う訳か、その後、彼は矛先を東に指す。 当時マケドニアの西にあった、未だ建国僅かのローマは固唾を呑み、胸元を撫で下ろしたに違いない。 彼は、富の多くは東にあると信じたのだろうか。 かくしてアレキサンダーは、ペルシャのアケメネス朝ダリウス3世王の、当代切っての贅を尽くした都ペレスポリスを徹底的に破壊炎上させた後、更に東進しこのガンダーラの地を、紀元前327年に勢力圏に収めている。 ギリシャ文化の影響を受けたアケメネス王朝の配下にあったガンダーラであるが、アレキサンダーの登場により、Taxilaのギリシャ色は一層強くなたのではないだろうか。 アレキサンダー大王の思わぬ急死後も、この地は大王の残したギリシャ人に依って暫くの間バクトリアとして統治されることになったようだ。 歴史は時に目まぐるしく、あるいはゆっくりと変遷する。 モンゴルを追われた月氏は天山山脈の裏手に逃げ、大月氏として勢力を蓄えていた。 紀元前2世紀、その大月氏が南に下りて来たのである。 アレキサンダー大王が残したギリシャ系のバクトリア政権は撤収されたが、ギリシャ人はその地に留まり、ヘレニズム(ギリシャ)文明の継承に貢献している。 紀元前1世紀、大月氏はやがてクシャーナ王朝へと変遷して行く。 このクシャーナ王朝時代、ガンダーラに大乗仏教が花咲き、ギリシャ文明と東洋の文明が融合した独特のガンダーラ美術が生まれるのである。 だが歴史はその繁栄を永遠には許さない。 5世紀、北の遊牧民族、エフタルに拠って占領され、仏教施設はことごとく破壊された。 その後再興することは無く、ガンダーラの名も地上から永遠に消えたと言う。 




子供を抱えるHaritiの妻Panchika、 Sabri Bahlol Mardan出土、(紀元200-300年)


週に一日の休日、日課の早朝ウオークを少し長めに歩く。 普段は7000歩から8000歩だが、今日は1万1000歩歩いた。 F6地区にスーパーマーケットがある。 スーパーマーケットと言っても、日本のイメージをしてはいけない。 かなり広い地区に平屋の専門店が集まっているのである。 正にスーパーなマーケットなのである。 ここのパン屋がお気に入りだ。 西洋風のパンにドーナツも揚げている。 大きめのバターロールに砂糖をまぶしたのを4個、ドーナツを2個、アップルパイを4枚で110パキスタンルピー(約220円)。 

この日曜日には、イスラマバードから40km程西に位置するタキシラを訪れることにした。 そこには、ガンダーラ美術の仏像等が展示されていると聞いたからだ。 イスラマバードに住んで居るのだ。 この機会を逃す手はない。

このパン屋の前は公共の広い駐車場になっていて、いつも数台のタクシーが客待ちをしている。 黄色いスズキの軽、何れもかなり年期が入っている。 スピードは出ないだろう、むしろ安全かもしれない。 仕事で使っているトヨタの運転手付きレンタカーは、新しく馬力もあり、スピードは思い切り出る。 その上、此方の運転手は上等のサービスとは、早く客を目的地に運ぶことと信じて疑わない。 凡そ客に安心感を与える等と言う概念は持ち合わせていない。 私は後部座席で手に汗を握る始末となる。 だが、このおんぼろの黄色いスズキの軽なら、手に汗を握ることはなかろうと、破けた後部座席の客になった。 運賃は乗る前に交渉で、タキシラの博物館で2時間の待ち時間を入れて800パキスタンルピー(約1600円)と決めてある。 



Taxila博物館内にある世界遺産登録標識



タクシーはラホールとペシャワールを結ぶ高速道路に向かう。 思った通り、スピードはでない。 安心して破けた後部座席に身を任すことができる。 この道も有料の高速道路だ。 高速道路と言っても日本の高速道路のイメージは無い。 単に舗装された道路だが、至る処で工事がされ、片側通行が何度もあるが、この車線変更部分が酷い。 中央分離帯が臨時的に削り取られ、舗装無しの砂利道が数10mから数100m続く上にでこぼこが激しい。 大きな重い荷を積んだトラック等、タイヤや車体をきしませながら上り下り間の車線を移動する。 舗装状態も決して良いとは言えない。 随所に舗装の破損箇所があり、運転手はこの道を庭のよう知っているのか、巧みに窪みを避けて走る。 ラホールからペシャワール、更にカイバー峠を越えてアフガニスタンのカブールに向かう幹線道路に入った。 此処でも料金所があり、運転手が確か10パキスタンルピー(約20円)を払っていた。 幹線道路の高速道路と言っても、街に入れば市場でごった返す中を通り、至る所から牛や羊、ロバを先頭にしたジプシーの一行が道路を横切る。 ジプシーの一家を見たのは久しぶりだ。 イランの西部、イラクの国境に近い、アサダバッドに住んで居た時の話だ、 もう30年も前のことになる。 ジプシーとは国境を持たない民。 広く中央アジアから欧州にその行動範囲を持つと言う。 彼らを見ると今では死語になりつつある家族単位と言うのが良くわかる。 家長に妻(複数の場合があるかもしれない。 興味本位ではなく厳しい自然に生き子孫を絶やさない厳しい掟に従うまでのことだと思う。)、老人、子供、家畜、家財。 今でもロバと足で移動する。(欧州のジプシーは、トラックやピックアップで移動し家電やパソコンも完備した移動住居に住むらしいが。) この古代のシルクロードにはジプシーがとても似合う。

  

Taxila博物館は日曜日でも開いている、入場料200パキスタンルピー(約400円)


タキシラに入る分岐道で更に料金所を通る。 いよいよ1980年ユネスコに拠って世界遺産に登録されたタキシラだ。 エフタルに拠って破壊され、タキシラの名はこの世から消えたとは言え、500年に渡って栄えたガンダーラの全てを消すことは出来なかった。 その遺物はイギリス統治時、発掘、整備されたお陰で、当時の栄華に遡ることができるのである。 私は今その博物館の前に立っている。 ガンダーラ美術の片々が収められた博物館である。 入場券売り場で入場券を200パキスタンルピー(約400円)で購入する。 内部は余り広くはないが、日本でも馴染みの石仏像を見ると、文明の伝達のダイナミックさに驚かざるを得ない。 インドで生まれた真理を追求する哲学がギリシャで生まれた同じく真理を追求する哲学が、シルクロードの要所ガンダーラで衝撃的な出会いを果たし、偶像を持つに至った仏教。 更に中国の文明で味付けされ、遠く極東に至り我が国でもその存在は社会基盤に根付いているのは神の仕業だろうか。 そもそもこのように神仏を混在して述べるのは軽率なことだろうか。



Taxila博物館の裏庭: 欧州風の庭園が広がる


博物館内はさして広くはない。 展示の説明はあまりなく即座にその展示物の所以をしることはできないが、如何にもヘレニズム風のブッダの像があったり、日本で見慣れているブッダの像があったり、正にヘレニズム文化の影響を受けたことが如実に取ってわかるのである。 土地の女学生の一団が博物館に入ってきた。 先生のような人が入場券売り場でまとめて入場券を支払っていたが、一人400円は土地の人にとって如何にも高い。 割引はあるのだろうか。 彼女達はもれなくイスラム教徒であることはその装束から見て取れる。 この殆ど仏教で埋め尽くされた博物館内の展示を見て彼女たちは何を感じるのだろう。 その答えを聞くことは出来なかった。 




ブッダの足跡を刻んだレリーフ、Takht-e-Bhai Mardan出土、 (紀元200-300年)




ブッダ像、 Gandhara出土、 (紀元200-300年)

 




紀元前327年、ガンダーラに侵攻したアレキサンダー大王のシルバーコイン
(大英博物館所蔵)



博物館展示物を見、時間を過ごすのは、大変面白く興味もあるが、私は重大な問題を抱えている。 私の脳味噌はどうしたことか、にわかに新しい事物を受け入れる容量が極めて小さいのだ。 つまり直ぐに飽和状態になってしまうのだ。 運転手には、博物館の前で2時間待てと言ってあったが、1時間そこそこで博物館を出た。 運転手は駐車場の木陰にスズキのミニタクシーを停め、駐車場の片隅に店を広げる簡易コンビニでコンビニ主と話し込んでいた。 運転手に目的の用は達したと伝え、イスラマバードへ戻るよう告げた。 来た道を戻る黄色いタクシーの後部座席に身を沈めながら、思いは遠い昔の仮想の世界を漂っていた。 




幹線ロード沿いのガソリンスタンドで出合ったトラック



かつてのシルクロード、幹線ロードを駆け抜ける現在の商隊、トラック
この派手さはどうだろう、強さと、やさしさと、繁栄と安全を願っているのだろうか







15/Apr/'07 林蔵 @ Taxila Pakistan (Updated on 8/Oct/'08)#286

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