ジブラルタル
@Apr/'94 Al Hesiras Spain


スペイン リニア市から見たジブラルタル


海外でイースターホリデーに、出くわすことが多い。 所謂キリストがゴルゴタの丘で処刑され埋葬された3日後、奇跡がおこり復活した事を祝うキリスト教の復活祭である。 今年もスペインの首都マドリッド滞在中に迎えることになった。 特にカトリックの国では、この期間全国民が教えに忠実に営業活動を止めることになり、我々の仕事も中断せざるをえなくなる。 長期出張者にとって、まことに好都合な遠出のチャンスでもある。

今回はかねてより想いを馳せていた、イベリア半島の先端にある面積6、5km2、人口29、000人の英国海外領ジブラルタルを目指すことにした。 古くはフェニキアや、カルタゴが占領した地中海西端の関所。 大英帝国が7つの海を制覇していた時代、1713年に当半島をスペインから奪って以来、執拗に手放さない戦略半島。 大航海時代、英国の船乗りが千金の値を与えた半島の魅力をこの目で確かめない訳にはゆくまい。



マドリッド発アルへシラス行きののバス


午前6時、リュックにクッキーと缶ティーに地図、カメラ、ラジオ,アーミーナイフを詰め、手には2リットルのミネセルウォータを持ってマドリッドの宿舎、アパートメント・ホテルを出る。 エージェントの指示に従い27番のバスに乗る。  バスはマドリッドの目抜き通りカスティーリャ通りを,まっすぐ南に下る。 約10分で終点の国鉄アトーチャ駅に着く。  ヨーロッパ特有の終着駅と一目でわかる大きなドームが、夜が明けかけたうす闇に浮かんでいる。 ドームを左に見ながら5分ばかりゆるやかな大通りを下る。 マドリッドに数ヶ所ある長距離バスセンターの1つに辿り着く。 ここは,主にマドリッドから南西方向の街へ向かう長距離バスの発着場である。 8時30分発マラガ経由,アルヘシラス行きのバスを探す。 どれも外見・内部ともに立派なベンツの大型バスだ。 お目当てのバスを見つけ、10分前に乗り込む。 ほぼ満席。 みんな大きな荷物を荷物コンパートメントに詰め込み、長距離異動スタイルで乗り込んでくる。 私も小さなリュックを荷物コンパートメントに乗せようとしたら、運転手が ”ドンデバ?(何処まで?)” と聞いてきた。 ”アルヘシラス” と答えると、無言で荷物コンパートメントの隅を指さす。 小さなリュックをそこに置きバスに乗り込んだ。 朝食を取っていない人が多いらしい。 バスに乗り込んでから, ボカディージョ(小型フランスパンにハムや卵焼きを夾んだもの)にかぶりついている光景が前後ろに見える。

バスは8時30分きっかりに出発した。 15分もすると、もう郊外に出る。 見るからに痩せた土地の田園風景が続く。 山には乾燥に強いオリーブの木が植えられている。 どこまで行っても同じ光景である。 こんなにオリーブの木が有っては生産過剰になかないかと,要らない心配をする。 9時間の長旅である。 通路向かいの2人組のお嬢さん達は準備宜しく毛布持参だ。 途中グラナダの近くのサービスエリアで20分休憩。 天気はあまり良くない。 今にも雨が降りそうだ。 1時間半程で,最初の停留所マラガに到着。 コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心地。 白い壁、照りつける太陽に蒼い地中海、リゾート雰囲気満点の街だ。 天気もすっかり回復した。 まさに太陽の海岸である。 ここでかなりの乗客が降り乗りする。 これから地中海に沿って別荘が延々と続く地帯を、ひたすらラ・リニア(ジブラルタルに接するスペインの街)を経てアルヘシラスへ向かう。



アルヘシラス港: 地中海を横断しセウタへ向かうフェリー



エステポナを過ぎたあたりから、左手前方地中海に巨大な岩影が飛び込んでくる。 ジブラルタルだ。 岩影はどんどん大きくなる。 凄い。 やはり実物を自分の目で見るに限る。 スペイン側は比較的なだらかな地形だが、ジブラルタルは突然海面からせりあがり、400Mに及ぶ垂直の白い石灰岩壁が如何なる外敵をも寄せ付けない完璧な要塞半島を呈する。 特に大航海時代の存在価値は絶大であっただろう。 ジブラルタルをあらゆる方向から眺めながら、バスの終点アルヘシラスに着いた。 ここからは少し緩やかな傾斜のジブラルタル西岸がアルヘシラス湾を夾んで全貌が手に取るように見える。 軍施設、住居が点在するようだ。

まずは宿探し。 マドリッドのエージェントの話によると、この街はリゾート地ではないので宿はすぐ見つかるはずだと。  港のバス会社事務所で帰りの便を予約し、ついでに宿を紹介してもらうことにした。 帰りの便は毎日21時発、マドリッドには翌朝6時に着く。 帰りのバス便はイースター最後の日を予約した。 休み明けは、バス停から直接出勤だ。 すでに定期便は満席で臨時便のバスだと言う。 帰りの便を確保した後、おもむろに安宿はあるかと聞いてみた。 答えは幾らでもあるとのこと。 安心して、宿を求めて街にくりだした。 懐かしいアラブ風の小さな宿が目に付いた。 ”MARRAKESH”(後で聞いたのだが”モロッコ”の意味。)と言う名の宿だ。 看板はアラビア語でも書いてある。 入ってみた。 薄ぐらい受付ロビーにアラブ風の中年男が3人ソファーに寝そべりテレビ・ドラマに見入ってい。 17才位の青年が受付を任されているらしい。 全部で10部屋位の小さな安ホテルだ。 部屋の内部を見せてもらう。 バス・トイレは共同、部屋は超簡素だが清潔だ。 料金は素泊まりで2、000ペセタ(1500円)/夜。 安い、ここに決めた。



アルヘリラス湾越しに見るジブラルタル: あの垂直の壁は丁度裏側になる



夕食がてら夜の港から海岸通りを歩いた。 さすがモロッコ航路の港街だ、アラビア語の看板がやたらと目立つ。 マドリッドよりは気温が7ー8度暖かいだろうか。 夕刻でも20度近くあろうか。 アルヘシラス湾には対岸ジブラルタルの灯が浮かんでいる。 港町だからさぞ旨い海産物レストランがあるものと想いきや、全く見あたらない。 仕方なく無難な中華にする。 明日は朝一番のフェリーで地中海を渡り、対岸モロッコ側にあるスペイン領セウタに行ってみよう。



アルヘシラス港: 物資や観光客、車等を満載しセウタ向けジブラルタル海峡を渡るフェリー



夏時間なので、朝7時はまだ暗い。 受付のアハムッド君はロビーのソファーで寝ている。 そっとホテルを抜け出て、港に行く。 まだ夜が明けきらない港の向こうには真っ黒いジブラルタルが東の白んだ空を遮っている。 セウタからの帰りは取り敢えずopenにして往復の乗船券を買う。 さすが地中海を横断するフェリーだ。 大きい。 1万トンはあるだろうか。 今日はイースターの3日目にあたる。 乗客はそんなに多くはない。 フェリーは紺碧の地中海へ滑り出た。 海から観るジブラルタルも又格別だ。 東岸は400mの絶壁、西岸は45度の傾斜を持つ3角形を呈している。 船上では、かなり強い一定方向の風を感じるが海は靜かだ。 1時間半の地中海横断の航海を存分に楽しんでいるうちに、フェリーは対岸のセウタに着いた。



ジブラルタル海峡を渡るフェリーから見る紺碧の地中海に浮かぶジブラルタルの壁



更に気温は上がる。 25度は完全に越えているだろう。 街全体が夏のリゾート感覚だ。 僅か100m幅程の付け根から地中海に突き出た丸い半島とモロッコ側2km位がスペイン領セウタだ。 こんな狭い街にも車が溢れている。 タクシーも多い。 殆ど少し古いベンツのタクシーだ。 アラブを感じる。 言葉・文化・生活、全ての面でスペイン・アラブ・フランスの要素が入り込んでいる。 早速キオスクで絵はがきと切手を買う。 ”ブェノスディアス”, 西語だ。そうだ,ここはスペインなのだ。 絵はがきと切手をもらい,お金を払う。 ”メルゥシィ”,おやフランス語に変わった。  別れ際には,”マッサラーム”,こんどはアラビア語だ。 同じキオスクのおやじとのやりとりである。 かように3つの文化は融合し、日常化している。 



アフリカ大陸の一部セウタ港に到着


スペイン側からの観光客に加え、陸続きのモロッコ側からの買い出し客が目だつ。 ここはフリー・ポートだ。 物に税金が掛からない分、安価に物を買うことができるからだ。 コードレス電話を大量に買い込み、店の前で包装を全て捨て, 中身だけを黒いビニール袋に詰め直しているアラブ人の買い物客を見た。 たちまち店の前は空箱の山だ。 注意してみると街のあちこちで、同じような黒いビニール袋を運んでいるアラブ風の人を見かける。 半島の先端から、山の手のモロッコ国境まで歩きまわってみた。 国境近くの山の手はアラブ人街になっている。 追いやられているのはアラブの民か。 それともモロッコから流れ込んでくるのか。 途中美味しいそうなパンを売っているパティスリーを見つけた。 明日の朝食用にチョコレート・クロワッサンを買った。 つぶれないようにリュックの上部に入れ,大事に地中海を渡った。




地中海の真珠セウタ: モロッコの国境近くからの眺望




セウタは一名、”地中海の真珠”と呼ばれている。 天気も良かったせいで地中海は素晴らしい紺碧のマゼンダ。  僅か100mの幅の付け根から、満丸く突き出た半島。 真珠と呼ぶにふさわしい美しい姿だ。 こんな平和な海だが、取り巻く陸地のあちこちで、昔も今も争いが絶えない。 矛盾こそ人間の業なるか。

18時の便でアルヘシラスに帰ることにした。 1時間前に港に行く。 来る時とはまるで様子が違う。 すごい人だ。 乗船客の長蛇の列は殆ど進まない。 出航時間がせまる。 気が焦る。 やっとの事でどうにか出航時間を15分過ぎて乗船できた。 さすがの大型フェリーも船室・デッキ共も人で溢れている。 イースター休暇を終えた客を満載しフェリーは、セウタを30分遅れで出航した。 ジブラルタルはセウタからも見える。 だんだん大きくなる三角形の岩塊。 正に要塞と呼ぶにふさわしい。 明日はいよいよ本陣ジブラルタルに乗り込んでみよう。

2泊分の宿代, 4、000ペセタ(3200円)を払いチェックアウト。 アルヘシラス湾の対岸ジブラルタルまでは距離で40KM,定期バスで30分で行ける。 早速バスセンターへ行き乗車券を買う。 200ペセタ(160円)、安い。 ラ・リニア(ジブラルタルに隣接するスペイン側の街) へ向けて、バスは弓なりの湾岸を殆ど高速並に走り,時間通り30分でラ・リニアのバスセンターに着く。 ジブラルタルの国境はすぐ目の前にある。 

英国では車は日本と同じ左側通行であるが,ここはヨーロッパ大陸と同じ右側通行のままだ。 パスポートコントロールでは ”どちらからおいでですか?” と聞かれただけ。 気分良く通してくれた。 英国なのだから当たり前だが、きれいな英語である。 言葉が通じることは,なんと嬉しい事なんだろう,なんと楽なのであろう。 改めて感激さえする。 水を得た魚の気分である。 パスポートコントロールを過ぎると,すぐ空港滑走路が横たわる。 200m先の高さ400mの石灰岩の垂直の壁迄は,海抜0m地帯であり,英国ロイヤル空軍と民間航空会社が共用で使用する滑走路がスペインとの国境脇に伸びる。 商用定期便は1日1便なので,通行人・通行車共,滑走路を横断して書かれた黄色の線の内を移動する。 10名余りのスペインの婦人団体と一緒になる。 最初は観光客かなと思っていたが,暫くすると正体が判明した。 みんなスーパーに消えてゆき,帰りはそれぞれ手に大きな買い物袋を下げている。 買い出し散歩である。 ジブラルタル内では物価は英国価格なので,品物によってはかなり安くなっているらしい。 スイス・ジュネーブの主婦が、フランスへ朝食のパンを買い出しに行くのと同じ現象である。 キオスクで絵はがきと切手を買い,短い便りを書きポストに投函する。 今回の旅は,各地の郵便局の機能確認も行っている。



シークレット岬に向かう途中の地中海


1時間余りのジブラルタル散策を終え,再びアルヘシラスへ戻った。 ただ1つ残念なのは,ジブラルタルのインターコンチでコーヒーを飲めなかったことだ。 小さな半島とは言え,徒歩で片道30分は,さすがにインターコンチ迄は辿り着けなかった。 急いだ理由は,午後にはこれ又徒歩でジブラルタル海峡を眼下に見おろす,シークレット岬まで行く予定だったからだ。 地図で見ると片道約10km。 手には2リットルのミネラルウォータを持ち,リュックにはマドリッドから持ってきたクッキーを入れ,郊外の別荘地帯をどんどん南下した。 殆ど真夏の太陽が照りつける。 帽子を持ってくれば良かった。 約3時間でシークレット岬に到着。 海峡が一番狭くなっている場所だ。 対岸のセウタ,あのカスバの町があるモロッコのタンジールが真向かいにみえる。 イメージよりは遥かに広い海峡だ。 先端にある白い土塀にすだれ屋根のレストハウスで,コーヒーを一杯頂き疲れを癒す。 この辺りも,いわゆるコスタ・デル・ソルの続きで,別荘地の売出がめだつ。 開発はまだまばらだ。 レストハウスの近くに外塀のみ出来上がっている別荘地がある。 建物はまだ影も形もないが,所有主の家族が全員ペットの犬も連れてやってきており, あたかも家があるが如く,ビーチパラソルにサンチェアーを広げて休暇を楽しんでいる風であった。




シークレット岬の灯台: ジブラルタル海峡を挟みアフリカ大陸が対岸に見える



アルヘシラスには7時に戻った。 マドリッド行きのバスは9時だ。 まだ時間はある。 人でごった返すバスターミナルで,セルフサービスのスナックを買い、雑踏に混じって夕食代わりに小腹を満たす。 昼は(スペインの昼食は2時から4時),リュックのクッキーと水しか取っていないので,これでも旨い。 バスの出発時刻1時間前。 そろそろバスの方へ行ってみよう。 うわっ、凄い人だ。 イースター最後の日。 誰もが明日からの日常の生活に向けて、移動しようとしている。 マドリッド行きのみならず、バルセロナ,バレンシア,セビリア等、ほとんどのスペイン中の主要都市に向かってバスは発車しようとしている。 何れの路線も大幅な臨時増発である。 ちなみに、我々マドリッド行きは、通常1台が9台増発。 大型バス10台連ねてのコンボイである。 10台中、8台は他社のバスだ。 それぞれ融通しあっているらしい。 各バスに運転手が2名乗り込み、夜の高速道路を10台のバスコンボイが駆け抜ける。 壮観である。 相当の人達が同時に移動するが、日本のような渋滞は全くない。 3時間余り走り、サービスエリアで食事(スペインの夕食は遅い)休憩に20分間のストップ。 バス10台、800人が20分で食事を取る。 普段スペイン人の食事は2時間かかる。 どうなることか、これは見物だ。 サービスエリア側も例年の事で慣れているらしい。 調理済みのメニューがカウンターに所狭しと並べられている。 コーヒーもすでにカップに注がれて、これ又何十と並んでいる。 料金もかなり均一化されており、レジも早い。 すこぶる効率的だ。 スペインも捨てたものではない。 食べる方も早い。 普段とは全く違う時間が流れる。 見事に20分で800人もの集団が食事を終え、バスに戻っている。 次の午前3時の休憩は、トイレ・足伸ばし休憩であった。 誰もが疲れきったようす。 



アルヘシラスバスセンター: このバスでマドリッドに向かう



朝6時きっかりにマドリッドのバスセンターに辿り着いた。 旅の終わりである。 このまま事務所に行こうかとも考えたが、やはり一旦ホテルに帰った。 シャワーを浴び、スーツに着替え、長距離夜間バスの疲れで節々が痛む身体をかばいながら普段の月曜の朝の如くさっそうと出勤したのであった。




マドリッドの長期滞在者用アパートメント宿舎: ユーロビルデング




2/Apr/1994 林蔵@Gibraltar Spain (Updated on 20/Feb/'08)#061

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