Lisboa 世界遺産@Sep/'04 Lisboa, Portugal
[世界遺産 Monestery of the Hieronymites and Tower of Belem in Lisbon 文化遺産 1983年登録]
大西洋に流入するテージョ川(スペイン語ではタホ川)の河口に位置する港湾都市である。
テージョ川河口には4月25日橋(1966年完成、かつてはサラザール橋と呼ばれた)とヴァスコ・ダ・ガマ橋が架かる。
坂の多い街で市電とケーブルカーが名物である。地下鉄もある。市内はテージョ川河口と古城サン・ジョルジェ城の建つ丘からなる旧市街、
その周辺の新市街からなる。 リスボンは古代からフェニキア人(カルタゴ人)などにより港として利用されてきた。
当時はフェニキア語でアリス・ウボと呼ばれた。紀元前のギリシア人の集落跡が出土している。大プリニウスは『博物誌』
でリスボンの創健者をオデュッセウスであるとしている。紀元前205年にローマの支配下に入り、オリピソの名で知られる。
紀元前48年にはガイウス・ユリウス・カエサルによりローマ都市の資格を与えられ、フェリキタス・ユリアと改名。属州ルシタニアの首都となった。
719年にイスラム教徒であるムーア人に占領される。
以後1147年に最初のポルトガル国王アフォンソ1世がイスラム教徒より征服するまでイスラム教徒に支配された。
1260年には、アフォンソ3世がコインブラから遷都し、ポルトガル王国の首都となった。15世紀はじめには35万人の人口を有し、
当時の世界最大級の都市となった。しかし1531年にはリスボン地震で被害を受け、また1569年にはペストにより6万人の死者を出した。
1755年、リスボン大地震で市民の3分の2にあたる約6万人の死亡者を出した(地震の被害者総計は約9万人から10万人といわれる)。
市内は津波と火災により多く家屋も損傷し、リスボン市のみならずポルトガルの国内経済にも影響を与える甚大な被害をこうむった。
市内はのちにポンバル侯爵の設計で再建された。1924年から1974年のファシズム政権、いわゆるエスタド・ノヴォのもとで、市街はさらに拡張された。
(Wikipediaより)
地下鉄のゲートが開くのを待って地下鉄に乗る。 因みにリスボンの地下鉄は4本あり、其々の線は色で区別されている。 赤線、緑線、青線、黄線の4本だ。 リスボンの地下鉄はマドリッドより安い。 一乗り0.65ユーロである。 自動販売機の英語のマークを押し、Single
Trip を押すと、E 0.65 と表示される。 料金を入れると、切符と、お釣りがあればお釣りが出てくる。 この切符自動販売機はマドリッドのものとほぼ同じである。 Orinte駅から
Alameda駅迄は赤線だ。 Alameda駅で緑線に乗り換えRassio駅で下り、ここで青線に乗り換え、北へ3駅上ると Marques de
Pombal駅に到着する。 ここで降りる。 ここはリスボンの目抜き通り Avenida Da Liberdade の北の端に当たる。 昔滞在したホテルもこの広場にある
Fenixホテルである。 因みに Fenix Hotel は未だ立派に営業していた。 インターネットで予約した安ホテルはこの Placa Marques
de Pombal から放射状に伸びる通りの一つ、Avenida Douque de Loule通りにある筈だ。 通りを暫く東に歩くとホテルは直ぐ見つかった。 未だ朝も早い時間である。 チェックインは12時なので、とりあえず荷物のリュックを預かって貰って、再び街へ戻る。
モザイク石畳のAvenida Da Liberdadeをゆっくり南に下る。 この大通りは、中央の車道の両脇に広い緑地帯があり大木の街路樹が濃い日陰を与えてくれる。 マドリッドのカステリヤーノ大通りに似ている。 1km位下ると緑地帯は無くなり、下町旧市街に入る。 ペドロ4世広場を越え、更に歩行者天国になっている Ruo Augusta を抜けると海岸通りの Placa Do Comercio に出る。 そこでは丁度メキシコに行った時、動物園前で展示されていた航空写真家 Ann氏の写真展と同じ写真が展示されていた。 世界各地の息を呑むような航空写真の数々を展示している。 旅先で何か知っていることやものに出会うと不思議な身近な感情を覚える。 海岸通りに出た。 この当たりの海岸通りはいたる処工事中で歩き難い。 海岸通りをゆっくり散歩しようと思ったのだが一寸残念。 (後ほど、ニュー・ウオーター・フロントには感じの良い、広く長いプロムナードが新しく造られていることを知る。) だが天気は最高。 気温も17度程度で爽やか。 海の如く広い Tejo(タホ)川もブルーに輝いている。 広いブルーの帯を通勤用のフェリーが白い波後を残して忙しく対岸との間を往復する。 そうだ、インターネット・カフェを探さなくては。 街を歩いてみたが見つからない。 観光案内所が在ったので聞いてみた。 ワン・ブロック下った処の右手にあると言う。 成る程、ポルトガル・テレコムの出先機関で電話とインターネット・サービスを行っている。 自分のPCを使えるかと聞いてみたら駄目だと言う。 仕方なく、備え付けのPCでメールをチェックする。 日本語は読めるが書くことが出来ない。 仕方なく此方からの発信は英語になってしまった。 料金は30分で1.25ユーロ。 マドリッドより高い。
Cafeで朝にしよう。 Tofaと言うCafeに入る。 カウンターに行きとりあえず英語でミルク珈琲とショーケースにあるハムタルトを指差し注文した。 カウンターの中の小太りした女性従業員がきびきびした態度でテーブル席を示しポルトガル語で何やら言っている。 “席に座って。 直ぐ運ぶから。” と言っている様子。 席に付いて暫く待つと、注文通りのものが運ばれてきた。 ハムタルトは食べ易いように2つに切られている。 因みにスペインでもポルトガルでもカウンター席で立ったまま珈琲とパンの朝食を取るものが多い。 カウンター席の方が幾らか安いのである。 注文の品と同時にクレジット・カードのようなものを持ってくる。 このカードは勘定書になっており店を出る際、出口のレジでカードを渡すと料金が表示される仕組みになっている。
ホテルにチェックインし、先ずはシャワーを浴びて髭を剃り暫く休む。 部屋は狭いが値段と立地条件からすると文句は言えまい。 少し休むつもりが6時になってしまった。 未だ日は高い。 St.
George城跡へ昇ってみた。 小高い丘の上にありリスボンの街と Tejo川、更に Tejo川に架かる4月25日橋が一望に見渡せる。 日が西の空に沈みかけたので丘を降りた。 ポルトガルに来たのである。 魚を食しなくては。 観光客用のレストランには行く気がしない。 海岸通りから一つ入った細い通りを歩いていると、2軒小さな土地のレストランが並んでいた。 その一つに入ってみた。 入ると言っても石畳の通りに板のプラット・フォームを作ったテラス席である。 テーブルは白い天幕で覆われている。 英語の出来ないオヤジと女将が給仕をしている。 メニューは辛うじてポルトガル語と英語で書かれていた。 女将が今日は鰯がお勧めと言うので、鰯にした。 これが大当たり。 期待以上の味とボリューム。 先ず鰯は塩焼きである。 熱々の塩焼きの鰯5匹が皿に乗ってやってきた。 これはいける。 付けたしはゆでたポテトにトマトとレタスのサラダ。 パンと麦酒と珈琲を付けて11.2ユーロ。 マドリッドなら20ユーロ以上はする筈。
ウオーター・フロントはどこもおしゃれで人気の場所だ。 ここリスボアも例に漏れない。 ウオーター・フロントは新しく開発されていた。 リスボン港から川下にかけTajo(タホ)川沿いのプロムナードは整備され、ヨット・ハーバー沿いにはファッショナブルな飲食店が居並ぶ。 とても一人で入れる雰囲気ではないので今回は通り過ぎるだけ。
流石に世界の名港の一つである。 豪華客船が2席着岸していた。 Royal Princess号と Queen Mary2号だ。
更に河口に向かって歩くと発見の塔、ベレム・タワーと見所が続く。 Tejoはスペインから流れてくる国際河川。 水質は必ずしも良くない。 大変汚れていると言ったほうが当たっているだろう。 河岸に沿って歩くと嫌な匂いさえする。 汚れていると言うことは肥えているとも言えるのだろうか。 川岸には魚が溢れているのが肉眼で見えるのである。 魚の多い場所でよく見かけるかもめが垂直降下し川に飛び込み魚を捕らえる姿も見える。
リスボンには野良犬が多くなったのではないだろうか。 数年前にチリのサンチャゴを訪れた時も、野良犬の多さに驚いたことがある。 何れの街の野良犬もおとなしい。 かつては飼い犬であったに違いない。 人間の勝手で捨てられたのだろうか。 リスボンではその数は驚く程ではないが、気になる数である。 歩道の真ん中に堂々と寝そべっている。 彼らはいずれもあまり痩せていないのがせめてもの救いである。
帰りのバスに乗るには、未だ随分時間があるが国際バス・センターに向かうことにした。 ホテルに預けてあったリュックを引き取り歩いて数分の場所にある国際バス・センターに向かう。 実はこのバスセンターは昨日、ナザレに行く際に偶然発見したのである。 ホテルでナザレに行くバスの発着場を聞き、来てみるとマドリッド行きのバスもここから出ることを発見したのだ。 一昨日リスボンに来た時、Orientoで降りてしまったが、ここまで来ればホテルにも歩いて行ける距離だったことが後で判ったのである。 2時間前に来た筈なのに、見覚えのある黄色のALSA社のバスが駐車場に止まっており、人だかりもある。 2時間前にしてはおかしい、と思い近いてみると、確かにマドリッド行きのバスである。 20:30発とある。 自分のチケットを確認してみると20:30と印刷されている。 危うくマドリッドに戻れないところだった。 2時間早めに行くように言ってくれた神様に感謝。 バスは定刻にバスセンターを出発。 7割程度の混み様である。 来る時に誤って降りてしまった
Oriento駅を経由し、海のようなTejo川に掛かる長い橋を渡り一路バスはマドリッドへ向け走る。 Sep/'04 林蔵@Lisboa Portugal (Updated on 29/Jun/'08)#177 |
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