Marseille
@Nov/'05 Marseille, France


フランスの高速 A39 のサービス・エリア内: Ibisホテルで観る朝焼け


Bouches du Rhone (ローヌの唇)州の州都である。 スイスのローヌ氷河で生まれた大河ローヌがマルセイユで地中海に注ぐ。 古くから港町として栄えた美しい街、ローマ時代にはジュリアス・シーザーが帝国運営の為、ローマ帝国に併合した重要拠点でもある。 今回は、このフランス第2の規模を誇る街、地中海の対岸アルジェリア等から多くの移民が渡り住む街を観ておこうと思い、マルセイユにやってきた。

11月のある日、一時帰国の戻り、フランクフルトからレンタカーでやって来た。 マルセイユには以外に簡単に、ドイツとフランスの高速を走って辿り着いた。 フランクフルトから、丁度1000kmの距離である。 予約してあったハーツのレンタカーを空港で受け取り、既に夜の帳が下りたアウト・バーン5号へ繰り出す。 中型車を予約してあった。 ゴルフを予想していたが、渡されたのは、Ford フォーカスだった。 フォーカスなら、以前ドイツで仕事をしていた時、借りて運転していた車である。 多少は勝手が判っているので安心する。 未だ新しい。 距離計を見ると、未だ2000kmに満たない。 新しいモデルは随分高級感がある。 ドイツ車に似て造りがしっかりしていて、ドアーの開閉も感じが良い。 空港を出ると、Baselの標識を頼りにアウトバーンを南に走る。 その日の宿は取っていない。 高速のサービス・エリアにあるモーテルにでも泊まろうと言う安易な考えである。 ハイデルベルグへの出口辺りで大変な渋滞に巻き込まれる。 昔持っていたアウト・バーンのイメージとはだいぶ違う現代のアウト・バーンである。 路面の痛みもあり、渋滞もある。 これでは日本の高速と大して変わらないのでは、と思ったりするがが、無料であることは素晴らしい。 350km程南下したあと、Mulhouseの標識で右折する。 ライン河を渡りフランスに入るのである。 




フランス高速道路 A39号線: Jula サービスエリアへの陸橋上から



昔の国境は、EUになった現在、最早用も無く、誰も管理者が居なくなり、只空き家になった建造物だけが残っている。 検問所は撤去工事中である。 無人の検問所を Transit の標識に従い、狭い工事現場の道を廻ってフランス側の高速に入った。 時刻は22:30。 ドイツ国内、或いはストラスブルグ辺りで泊まろうと思っていたがが、以外に遠くまで来てしまった。 フランス国内の高速にもモーテルはある筈だ。 暫く、Lyon方面の標識を頼りに夜の道を走る。 24:00時頃、ベッドのマークがあるサービス・エリアに差し掛かった。 Besanconのサービス・アリアだ。 フランクフルトを出てから423km。 まだ疲れた感じもなく、眠くもなっていないが、今日はここで泊まろう。 ホテル Ibis の看板がある。 レセプションには、男性が一人ゲームに興じていた。 値段を聞くと63ユーロだと言う。 モーテルにしては高いが、明日の安全運転の為、此処で泊まることにした。 トイレとシャワーを済まして無理やり眠りに就いた。



ポンピドープロムナード: メルボルンのビーコンコーブに似た海岸通り 
朝、多くのランナーと出逢う
丘の丘陵は緑に覆われ、瀟洒な物件が程よく点在する



翌日、高速のモーテル Ibis を、夜明けともに出発。 気温は10度程度。 既に欧州の秋は深い。 途中のサービス・エリアで珈琲休憩と昼食休憩を取り、マルセイユには、午後の2時半に到着した。 高速7号線の終点である。 フランクフルトを出てから、丁度1000kmである。 以外に楽に来れた感がある。 フランスの高速は、ドイツの高速より良いのではないかと思うくらい良く整備されている。 天候も良かった。 感心するのは、サービス・エリアが大変良く整備されていることだ。 何が良いかと言うと、駐車場が大変広く、緑豊かな敷地に設定されて居る。 キャンピング・カーが止まれる設備になっている。 これらは遠く紀元前の時代、西インド辺りから、徐々に西に移動し、今では全中東・全欧州に散らばる国を持たない民族ジプシーの為の停泊スペースだろうか。 だが、多くのサービル・アリアは、夜間長距離トラックの格好の仮眠場所になっている。 ヨーロッパは国際トラック便の数がすざましい。 山岳地帯が少ないドイツ、フランスの幹線道路は、そのような国際トラック銀座となる。 一昔前は東欧の長距離トラックが無料でドイツのアウトバーンを駆け抜けていたが、現在、トラックは有料だそうだ。 ドール、リヨン、バランス、アビニオンを経てマルセイユに入ったが、改めてフランスは農業大国であることを実感する。 フランスに入ってから700km、地形はなだらかな丘陵或いは平野であり、殆ど農業地帯の中を走り抜けた感がある。 マルセイユに近ずくと、石灰岩の白い岩肌の断層地形が目立ってくる。 起伏の複雑な地形になる。 起伏が複雑な地形は自然美しい。 風光明媚の所以である。 


  

 
フランス国鉄駅 Gare St. Charlesの大階段:上からの街の眺めは抜群、 大階段前のカフェ:「Le Grand Escalier :大階段」  

 

午後2時半には、マルセイユに着いたのであるが、街が全くわからない。 高速A7を降りて市街地に出たが、いったい、今何処に居るのであろうか。 車を止めて場所の確認をしたいのだが、マルセイユの街は夥しい数の車が犇き合い、駐車スペースが全くない。 駐車場の看板も見かけない。 不安を抱きながら、見知らぬ街を当ても無く流れに任せて進む。 この時点でマルセイユの印象は悪くなりかけていた。 大きな病院を過ぎ、墓地の横を通った処で、どうにか路駐スペースを見つけた。 レンタカーを路駐し、大きな病院の方へ歩いて行く。 病院の守衛さんに道を聞いてみたが、さっぱり要領が掴めない。 益々マルセイユの印象が悪くなる。 更に歩いて大通りに出た。 キオスクのおじさんに、街のマップ(仏語でプラン・ド・ビール)が無いか聞いてみた。 若干英語が通じる。 おやじは、「無い。」とつれない返事。 だが、その後、「何処へ行くんだ。」と聞いてくれた。 インターネットから取り出した、ホテルの案内書を差し出し、「Best Westinに行きたいんだけど。」と言ってみた。 おやじは暫く、ホテルの案内書を眺めていたが、ついに、「これは遠いよ。 地下鉄を2つ乗り換え、そこからバスで行ったら良い。」と言って、後に居るお客そっちのけで、古紙の裏に地下鉄のライン名と駅名を書いてくれた。 この親切は大変ありがたかったが、実は僕は車なのである。 おやじに丁重にお礼を言い、地下鉄に乗るふりをして、車の停めてある方向へ戻った。 確か、ホテルはあっちの方向だと言った。 おやじの示した方向に車を走らせたが、直ぐ一方通行にはまり、方向が全くわからなくなってしまった。 

そうこうして居る内にパーキングの表示があったので、地下パーキングに車を入れて、辺りを歩くことにした。 やはり地図を手に入れよう。 地図が無ければ、何処にいるのか、どちらの方向に向かえば良いのか、全く見当が付かない。 再び近くのキオスクで地図(プラン・ド・ビール)が在るか聞いてみた。 幸運にも、今度のキオスクにはマップが有った。 そこで、おやじに、「このホテルの場所は何処。」と、再びインターネットから取った Best Westin の案内書を見せて聞いてみた。 このおやじも、先程のおやじと同じように、後のお客をそっちのけで、詳しく教えてくれた。 今買った地図を店一杯に広げ、地図の上で示すだけでなく、やはり古紙に自分で簡単なマップを描いてくれた。 曲がる場所をわかり易く描いてくれたのである。 フランス人は概して良い人かもしれない。 マルセイユの印象は、すこぶる良い方向に改善されたのは言うまでもない。 1.25ユーロの駐車料金を自動料金機に入れ、今度は進むべき道を頭に描きながら再びマルセイユの街へ出た。 

マルセイユに着いてから、実に4時間も掛かり、やっと Best Westin にチェック・インすることができた。 ビーチからは歩いて15分位掛かるが、眼の前がカール・フールと言うすこぶる便の良い処にある。 Ibis ホテルと同じ建物を使用している中型ホテルだ。 部屋は広く清潔。 一人で泊まるには申し分がない。 



ホテルから一番近い Borely ビーチ: 地中海の海原が眼前に広がる


 

マルセイユに来たのである。 湊を見なくてはなるまい。 そして海から街を眺めておこう。 昨日手に入れた地図によると、湊へは歩いて行けそうだ。 歩いて2-3時間だろうか。 昨日は一日中運転したので、今日は一日歩こう。 Bonneveine通りを20分位、ゆるい坂を南に下ると Borely ビーチに出る。 夏場はさぞかし賑わうであろう。 白い砂の海岸が広がる。 お気に入りの白いビーチに巡り会い、朝から気分が良い。 平日であるが、朝から多くのジョガーとすれ違う。 メルボルンのビーチ、ビーコン・コーブを思い出させるような海岸である。 マルセイユの目抜き通り、プラド通りを経て、湊にやってきた。 流石に港町。 漁師がその日水揚げした魚介類を桟橋で売っている。 長方形をした旧港、Vieux Port を取り巻く街並みが美しい。 その地上階は大概がレストランか、カフェになっていて、品の良いカラフルなサン・シェードとテラス席が湊を取り巻く。 IF島に行く連絡船が出ている。 海に出てみよう。 IF島往復の料金は10ユーロ。 170人乗りの連絡船である。  



連絡ボートから観たマルセイユの旧湊 Vieux Port: Quai des Belges


次のIF島行き連絡船は2時だ。 チケットを購入し、連絡船 Miraboに乗り込んだ。 20~30人の乗船客を乗せて連絡船は湊を後にした。 湊内はあくまでゆっくりと徐行する。 湊を出ると、エンジンをフル回転させ、一気にスピードが上がる。 私の居る甲板席には、潮のしぶきが容赦なく吹き付ける。 大して風は無いが海は侮れない。 30分足らずで連絡船はIF島に着岸。 多くの客は此処で降りる。 

IF島は石灰岩の切り立った岸壁に囲まれた小さい島だ。 面積は僅か3ヘクタール。 マルセイユの防衛の為、当時のフランス王、フランソワI世により、1516年、IF島に城砦の建設命令が出される。 1531年に、1辺28m、3隅に塔を持つ城砦は完成し、街の防衛に功をなしたらしい。 険しい絶壁に囲まれたIF島城砦は、脱出不可能であり、間もなく刑務所として使われるようになる。 それは完成後、僅か数年後のことである。 最初は君主制の謀反者、そして新教徒、裁判をせずに王の封印状で投獄された名門の子息達等が、この島に監禁されたそうだ。 また、ポルトガル王が、ローマ法王へのプレゼントとして、犀(サイ)を献上する輸送中に嵐に合い、IF島に一時非難したことでも知られる。 



  


連絡船: IF島に着岸した「Mirabo号」


 

IF島の中央部に在るIF城跡は、今は小さなミュージアムになっている。 入場料 4.6ユーロを支払い内部に入ってみる。 それにしてもフランスの消費税は高い。 19.8%も納入しなければならないである。 どこかの国が5%から7%にするのに揉めているのとは桁が違うのである。 チケット売り場のおばさんが、私の英語をほめてくれた。 相手が誰であろうと、褒められると悪い気はしない。 1辺が28mの比較的小さな城は、決して精巧な造りではない。 それでも難攻不落の城として、マルセイユの防衛には随分と役立った。 IF島は日本人にとっては、アレクサンドル・デユマの小説 「モンテ・クリフト伯」 (和名「巌窟王」)の舞台として良く知られているかもしれない。



IF城の屋上から、マルセイユの一部を望む



ホテルの前にある、カールフールに行ってみた。 流石に大規模である。 買い物客の買い方も西洋風である。 大きなカートに溢れんばかりの商品を買い込んでいる。 支払いは殆どカードである。 そう言えば、私も最近、日本のスーパーではカードで支払うことが多い。 マックもある。 入ってみた。 テーブル・クロスのあるレストランとは明らかに客層が違う。 コストが3分の1位で済むのである。 普段着の庶民に接するには、こんな場所が適しているのかもしれない。 子供連れの若い夫婦、老人、カラードの家族。 カラードの家族には3人の娘が居る。 小学校から中学生くらいだろうか。 コーカサス系の同年代の金髪の娘がやってきた。 彼女は先ず、カラードのおやじに挨拶のキッス、そして母親に、それから、3人の娘に。 こんな風景を見ていると、人種の融合も相当なものなのだと思わざるを得ない。 メデイアでは折りしも、移民等で比較的経済的に恵まれない人々や、失業者に拠る、暴動がフランス全土で起こっているのが大々的に報道されている。 目の前の光景を見ると、人種の融合は随分と濃淡があるように思う。 目の前の光景は、同一人種同士よりも濃いくらいの融合度をみせているのだが。



IF城の内部:完成後間もなく牢屋として使用されたと言う



今日はよく歩いた。 万歩計は32,000歩を記録している。 それもその筈、IF島に行く船に乗ったのと、昼食、それに2回の珈琲休憩以外は、朝の8時から夜の8時迄、歩き詰めなのである。 翌日の高速に乗る道順の確認も兼ねての歩きだった。 歩くと街が良く見える。 フランス鉄道(CNCF)のマルセイユ・Gare St. Cahrles駅前の巨大な階段・Grand Escalier も発見した。 ローマのスパニッシュ・ステップ(スペイン階段)にも劣らぬ規模である。 街の眺めが良いのも似ている。 多くの若者達がたむろする場所でもある。 Bd. Garibaldi通りにバイク街がある。 モト・グッチの専門店や、様々なバイク・ギアーを扱う専門店が通りに犇きあっていた。



Bd. Garibaldi通りのバイク・ショップ: 内部の品揃え、インテリアは抜群、表には高級なトライスターが



湊から、伸びるメイン通り La Canebiere は緩やかな登り坂になっている。 坂を1kmくらい上ると、大きな教会がある。 マルセイユにある幾つもの教会の一つ、St. Vincent de Paul教会だ。 その通りに店を構える小奇麗な携帯屋。 店先に停めてあったバイクに眼が留まった。 市販では最大排気量(2300cc・3気筒)を誇る英国製トライアンフだ。 とてもセクシーで美しい。 デザインは機能を表すのは本当だ。 美しいものは、強く性能が良い。 



La Canebiere通り:携帯屋の店先に停めてあった、トライアンフ (2300cc)
 


フランクフルト-マルセイユ往復 2,100kmを無事走破した Ford Focus 1600cc
戻り、ドイツ国内の高速A5号のサービス・エリアで







9/Nov/'05 林蔵@Marseille France (Updated on 6/Aug/'08)#212

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