@Nov/'05 Marseille, France
Bouches du Rhone (ローヌの唇)州の州都である。 スイスのローヌ氷河で生まれた大河ローヌがマルセイユで地中海に注ぐ。 古くから港町として栄えた美しい街、ローマ時代にはジュリアス・シーザーが帝国運営の為、ローマ帝国に併合した重要拠点でもある。 今回は、このフランス第2の規模を誇る街、地中海の対岸アルジェリア等から多くの移民が渡り住む街を観ておこうと思い、マルセイユにやってきた。
翌日、高速のモーテル Ibis を、夜明けともに出発。 気温は10度程度。 既に欧州の秋は深い。 途中のサービス・エリアで珈琲休憩と昼食休憩を取り、マルセイユには、午後の2時半に到着した。 高速7号線の終点である。 フランクフルトを出てから、丁度1000kmである。 以外に楽に来れた感がある。 フランスの高速は、ドイツの高速より良いのではないかと思うくらい良く整備されている。 天候も良かった。 感心するのは、サービス・エリアが大変良く整備されていることだ。 何が良いかと言うと、駐車場が大変広く、緑豊かな敷地に設定されて居る。 キャンピング・カーが止まれる設備になっている。 これらは遠く紀元前の時代、西インド辺りから、徐々に西に移動し、今では全中東・全欧州に散らばる国を持たない民族ジプシーの為の停泊スペースだろうか。 だが、多くのサービル・アリアは、夜間長距離トラックの格好の仮眠場所になっている。 ヨーロッパは国際トラック便の数がすざましい。 山岳地帯が少ないドイツ、フランスの幹線道路は、そのような国際トラック銀座となる。 一昔前は東欧の長距離トラックが無料でドイツのアウトバーンを駆け抜けていたが、現在、トラックは有料だそうだ。 ドール、リヨン、バランス、アビニオンを経てマルセイユに入ったが、改めてフランスは農業大国であることを実感する。 フランスに入ってから700km、地形はなだらかな丘陵或いは平野であり、殆ど農業地帯の中を走り抜けた感がある。 マルセイユに近ずくと、石灰岩の白い岩肌の断層地形が目立ってくる。 起伏の複雑な地形になる。 起伏が複雑な地形は自然美しい。 風光明媚の所以である。
午後2時半には、マルセイユに着いたのであるが、街が全くわからない。 高速A7を降りて市街地に出たが、いったい、今何処に居るのであろうか。 車を止めて場所の確認をしたいのだが、マルセイユの街は夥しい数の車が犇き合い、駐車スペースが全くない。 駐車場の看板も見かけない。 不安を抱きながら、見知らぬ街を当ても無く流れに任せて進む。 この時点でマルセイユの印象は悪くなりかけていた。 大きな病院を過ぎ、墓地の横を通った処で、どうにか路駐スペースを見つけた。 レンタカーを路駐し、大きな病院の方へ歩いて行く。 病院の守衛さんに道を聞いてみたが、さっぱり要領が掴めない。 益々マルセイユの印象が悪くなる。 更に歩いて大通りに出た。 キオスクのおじさんに、街のマップ(仏語でプラン・ド・ビール)が無いか聞いてみた。 若干英語が通じる。 おやじは、「無い。」とつれない返事。 だが、その後、「何処へ行くんだ。」と聞いてくれた。 インターネットから取り出した、ホテルの案内書を差し出し、「Best
Westinに行きたいんだけど。」と言ってみた。 おやじは暫く、ホテルの案内書を眺めていたが、ついに、「これは遠いよ。 地下鉄を2つ乗り換え、そこからバスで行ったら良い。」と言って、後に居るお客そっちのけで、古紙の裏に地下鉄のライン名と駅名を書いてくれた。 この親切は大変ありがたかったが、実は僕は車なのである。 おやじに丁重にお礼を言い、地下鉄に乗るふりをして、車の停めてある方向へ戻った。 確か、ホテルはあっちの方向だと言った。 おやじの示した方向に車を走らせたが、直ぐ一方通行にはまり、方向が全くわからなくなってしまった。
マルセイユに来たのである。 湊を見なくてはなるまい。 そして海から街を眺めておこう。 昨日手に入れた地図によると、湊へは歩いて行けそうだ。 歩いて2-3時間だろうか。 昨日は一日中運転したので、今日は一日歩こう。 Bonneveine通りを20分位、ゆるい坂を南に下ると Borely ビーチに出る。 夏場はさぞかし賑わうであろう。 白い砂の海岸が広がる。 お気に入りの白いビーチに巡り会い、朝から気分が良い。 平日であるが、朝から多くのジョガーとすれ違う。 メルボルンのビーチ、ビーコン・コーブを思い出させるような海岸である。 マルセイユの目抜き通り、プラド通りを経て、湊にやってきた。 流石に港町。 漁師がその日水揚げした魚介類を桟橋で売っている。 長方形をした旧港、Vieux Port を取り巻く街並みが美しい。 その地上階は大概がレストランか、カフェになっていて、品の良いカラフルなサン・シェードとテラス席が湊を取り巻く。 IF島に行く連絡船が出ている。 海に出てみよう。 IF島往復の料金は10ユーロ。 170人乗りの連絡船である。
IF島の中央部に在るIF城跡は、今は小さなミュージアムになっている。 入場料 4.6ユーロを支払い内部に入ってみる。 それにしてもフランスの消費税は高い。 19.8%も納入しなければならないである。 どこかの国が5%から7%にするのに揉めているのとは桁が違うのである。 チケット売り場のおばさんが、私の英語をほめてくれた。 相手が誰であろうと、褒められると悪い気はしない。 1辺が28mの比較的小さな城は、決して精巧な造りではない。 それでも難攻不落の城として、マルセイユの防衛には随分と役立った。 IF島は日本人にとっては、アレクサンドル・デユマの小説 「モンテ・クリフト伯」 (和名「巌窟王」)の舞台として良く知られているかもしれない。
ホテルの前にある、カールフールに行ってみた。 流石に大規模である。 買い物客の買い方も西洋風である。 大きなカートに溢れんばかりの商品を買い込んでいる。 支払いは殆どカードである。 そう言えば、私も最近、日本のスーパーではカードで支払うことが多い。 マックもある。 入ってみた。 テーブル・クロスのあるレストランとは明らかに客層が違う。 コストが3分の1位で済むのである。 普段着の庶民に接するには、こんな場所が適しているのかもしれない。 子供連れの若い夫婦、老人、カラードの家族。 カラードの家族には3人の娘が居る。 小学校から中学生くらいだろうか。 コーカサス系の同年代の金髪の娘がやってきた。 彼女は先ず、カラードのおやじに挨拶のキッス、そして母親に、それから、3人の娘に。 こんな風景を見ていると、人種の融合も相当なものなのだと思わざるを得ない。 メデイアでは折りしも、移民等で比較的経済的に恵まれない人々や、失業者に拠る、暴動がフランス全土で起こっているのが大々的に報道されている。 目の前の光景を見ると、人種の融合は随分と濃淡があるように思う。 目の前の光景は、同一人種同士よりも濃いくらいの融合度をみせているのだが。
湊から、伸びるメイン通り La Canebiere は緩やかな登り坂になっている。 坂を1kmくらい上ると、大きな教会がある。 マルセイユにある幾つもの教会の一つ、St.
Vincent de Paul教会だ。 その通りに店を構える小奇麗な携帯屋。 店先に停めてあったバイクに眼が留まった。 市販では最大排気量(2300cc・3気筒)を誇る英国製トライアンフだ。 とてもセクシーで美しい。 デザインは機能を表すのは本当だ。 美しいものは、強く性能が良い。
9/Nov/'05 林蔵@Marseille France (Updated on 6/Aug/'08)#212 |
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