ニース
@May/'85 Nice, France


ビーチでくつろぐ老夫婦
実にさまになるなー



’85年、5月の連休。 スイス国内は粗方回ったので、仲間と南フランス、ニースに行こうと言うことになった。 スイス、バレー州の片田舎、宿舎にしていたSusten駅前ブッフェで早速地図を広げ、ドライブルートを練る。 セントバーナード峠を越え、ひたすら南下、イタリアのトリノを経、地中海海岸に出て、地中海を左に見ながらニースに向かうことにした。 欧州の道は良く整備され、標識もしっかりしている。 しかも地中海に出れば後は海岸沿いに西に進むだけだ。 間違わずに辿り着けるに違いない。 
 




スイスからニースへはセントバーナド峠を越える道をとる
5月と言えども、セントバーナード峠は未だ雪深い



未だ夜も明けきらぬバレー州の谷底を走るE62号を、西に(ジュネーブ方面へ)車を向ける。 Martignyでレマン湖・ジュネーブ方面へ向かうE62と別れ、進路を南に取る。 ここからイタリア方面へ向かうE27号に乗る。 セントバーナド峠を超える為である。 スイスとイタリアの国境にある古来難関の峠。 昔は遭難者が多く、遭難救助隊に同行する、気付け薬(ウイスキー)を首に掛けたセントバーナード犬で有名だ。 今はトンネルが通じており、車で快適に峠越えができる。 国境はトンネルの中にあり、一旦停止し、パスポートのチェックを受ける。 トンネルを越えるとそこは雪国(イタリア側)だった。 朝日がアルプスの尾根だけを白く輝かせていた。 トンネルを抜け、最初の街はアオスタ。 アオスタから高速に乗り順調に南下しイタリアの代表的な工業都市トリノに到着。 トリノ市内には入らず、環状線でトリノの南側に出、再び高速E74で地中海岸の街サボナを目指す。




サボナ海岸: スイスアルプスは5月と言えども未だ雪深かったが、地中海は流石に暖かい


サボナからは、E74号は海岸線に沿って西に伸びる。 後はニース迄一本道だ。 イタリア北部の海岸線は山がせり出している。 山肌には日本程木々が茂ってはいない。 スイスから下ってくると温暖な気候が肌で感じることができる。




仏国境に近いベンチミグリアの街、.街路樹は何と、みかんだ


サン・レモを過ぎ、フランスとの国境近く迄来た。 ベンチミグリアと言う小さな街だ。 ここで昼食を取ることにする。 街中に車を乗り入れ、レストランを探した。 街の街路樹がオレンジなのには、さすが南国と言う感じがする。 通りの魚レストランに入った。 誰もイタリア語はさっぱりできない。 注文がうまくできない。 そうこうしている内に、ウエートレスが我々を厨房に連れて行ってくれた。 どの魚にする?と聞いているらしい。 身振り手振りでどうにか注文を済ます。 腹しらえの後、更に進路を西に取りE74を走る。 フランスとの国境の街メントンを過ぎ、モナコ公国内を走り抜けると、ニースはもう目の前だ。 フランス国鉄ニース駅の前に車を止め、スイスの旅行会社で予約したホテル、’Frantel” の場所を探す。 ホテルの場所が確認できたので、道順を頭に入れ、再びハンドルを握る。 が、駐車場のパーキングメーターが時間超過で10フランの罰金切符がフロントグラスに貼られている。 どうやって払えば良いのだろう。 まー良いか、スイスに戻ってから事務所の秘書に相談しよう。 (結局、罰金10フランはスイスの郵便局で払った。) ホテルは街のど真ん中にあった。 車をホテルの地下駐車場に留めチェックイン。 清潔な感じのシテイー・ホテルだ。 ホテル前の通り、突き当りにはパリにあるのと同名のノートルダム(聖母マリア)寺院の鐘楼が聳える。 




ニースの宿: フランテルに到着、通りにはノートルダムの鐘楼が聳える


ニースの街の背後には神戸の六甲のような小高い山が連なり、格好の別荘地を提供している。 豪奢な別荘群を遠目にも伺うことができる。 山裾から海岸迄の平地がかなり広くニースの街を発展させる立地条件となったのであろう。 夕食は街中の庶民向け(?)レストランで取ることにした。 フランスの地中海岸の街にきたのである。 魚料理を注文しよう。 フレンチで魚料理と言えば、ブイヤベースだ。 料理がテーブルに運ばれてきた時、その形状や中身が予想を裏切る経験をするのは、旅の楽しみの一つである。 今回のブイヤベースもその予想外の驚きを経験するものであった。 大きな鍋がテーブルに運ばれてきた。 その中には、様々な地中海で捕れた魚が丸ごと何尾も多くの貝類も混じって収まっているのである。 量も凄かったが味も旨かった記憶がしっかり今でも蘇る。




海岸通り: ニースは熱海のように背後に急峻な山が迫り、豪奢な別荘が軒を連ねる




ニース海岸: 当時トップレスが大流行、老若競ってトップレスになる


ニースに来たからにはやはりビーチに行かなければならない。 早速出掛けた。 ホテルからは十分歩いて行ける距離だ。 海岸通りは広く清潔で、良く整備されている。 そして弓なりの美しい海岸線が温暖な地中海に延びる。 ところがビーチは何と石ころビーチだ。 砂浜びーちではないのである。 天は2物を与えずの典型的な例だろうか。 それでも臆せず、ビーチに横たわる。 ここは当時トップレスで有名なビーチだった。 欧州人は暗く冷たく長い冬が終わると、こぞって南国へ太陽を求めて押しかける。 ここニースもそんな目的地の一つだ。 老若男女、構わず、衣服を脱ぎ捨てる。 正に脱ぎ捨てると言う表現がぴったりだ。 海岸通りから若い女性が2名、ハイファッションに身を包み、海岸にやってきた。 辺りを見るでなく、突然衣服を脱ぎだした。 アッと言う間に、ビキニのパンツ一枚になり、石ころに上に寝っころがった。 その素早さと、あっけららかんさには、たじろぐ程である。 




我々も海岸で遊ぶ: 優美な弓なりの海岸線が温暖な地中海にシルエットを刻む
残念なのは、ニースの海岸は砂浜ではなく石ころ海岸だ





ニースの街: フランスのお家芸オープンカフェが何処でも見かける




流石ツールドフロンスの国、自転車を積んだ車が目立つ、
道路わきには「Fruka(ツールドフロンスで有名なスイスのフルカ峠)」の表示も見える



連休は3日だ。 ニースには2泊しかできない。 2泊目の夜が明け、ホテル ”Frantel” をチェックアウト。 帰路は、マルセイユに抜け、ローヌ川を北上、リヨンからジュネーブに戻る道を取ることにした。 フランスの田園地帯を駆け抜けるのである。 途中寄りたい場所は幾つもあるが、悲しいかな、その日の内にスイス、バレー州迄帰らなければならない。 ひたすら、フランスの高速道路を走るだけになった。 ツーロン、マルセイユ、アビニオン、何れも高速道路は、街を取り巻くバイパスになっている。 リヨンで小休止。 




リヨン: Cok D’Or(金の鶏)公園




リヨン: Cok D’Or公園内



ローヌ河: スイス、ローヌ氷河を源流とする国際大河
ここリヨンからローヌ河沿いにジュネーブ、レマン湖を経て、スステン(スイス)へ戻る



ジュネーブの街は半分がフランス、半分がスイスだ。 ジュネーブに着いた頃には、既に日も暮れかかっていた。 ジュネーブまで来ると、既に家に着いた気分になるから不思議だ。 レマン湖北側を走り、バレー州の谷間街道を東に車を走らせる。 シオン辺りですっかり夜も暮れ、スステンに着いたのは深夜に近い時刻だった。 2泊3日の南フランス旅行は、駆け足ながらも魅惑に満ちた心ときめくものであった。 そして何より無事に戻れたことに感謝しよう。 安全で平和な国土に、穏やかで勤勉な、自由を求め規律を守る人々に喝采。








林蔵@Nice, France 4/May/'85 (Updated on 25/Jul/'09)#323
  

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