ノルドベスト
@Jan/'03 Frankfurte, Germany


息子の職場で


[世界遺産 Cologne Cathedral 文化遺産 1996年登録]  ケルン大聖堂(だいせいどう、独:Kolner Dom)は、ドイツのケルンにあるゴシック様式の大聖堂。正式名称は、 ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂(Dom St. Peter und Maria)。 ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、現在はカトリック教会の管理下にある。 現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀のことであった。正方形の建物で、最も古い聖堂として知られていた。 2代目は818年に完成したが、1248年の4月30日に火災により消失した。 3代目は2代目が消失した年である1248年に建設がはじまった。 しかし財政難から一度工事が途絶し、正面のファサードの塔がひとつしかない状態が続いた。 近世のゴシック・リヴァイヴァルによってケルン大聖堂に注目が集まり、もうひとつの塔が建造された。 全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年のことであり、 高さが157mの大聖堂はアメリカのワシントン記念塔(高さ169m)が完成する1884年まで建築物としては世界一の高さを誇った。 大聖堂は第二次世界大戦時に14回もの爆撃を受けたが崩れなかったため、1956年までに復旧工事が行われ、 元の状態に復元された。1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたが、 周辺の新建築物による景観破壊の危機にさらされ、2004年に危機遺産に指定された。(Wikipediaより)

フランクフルトの中心から北西7km辺りをノルドベスト(Nordswest)と呼ぶ。 息子一家が昨年の夏から住んでいる場所だ。 家人と二人で某航空会社のマイレージを使って遊びに行った。 1週間+1日の有給休暇を思い切って取った。 之まで年間44日ある休暇を殆ど取らないで30年働いてきた。 之からは、全部とは言わないが、せめて半分位は家族サービスに使えたらと思う。 

成田を10:00に発つ便だ。 我が家から成田に行くには、3時間はゆうに掛かる。 それでも地方の都市に比べれば大変便利と言わざるを得ない。 出発の2時間前に空港に着こうと思えば、5時に家を出ることになる。 始発電車5:18に乗った。 調布で急行に乗り換えた。 電車が発車して直ぐ気が付いた、パソコンの入ったリュックを普通電車の網棚に置き忘れたのを。 急行の次の駅で降り、普通電車が来るのを待った。 5分程度の時間が、時計が止まった如く長く感じる。 やがてさっき降りたばかりの普通電車がやってきた。 車両の位置も、殆ど同じ場所で降りた処だ。 リュックははたして網棚に置かれたままだった。 ラッキーだった。 やれやれ、又家人に馬鹿にされる失態を見せてしまった。  今度の旅では、英語のあまり得意でない、あまり海外旅行に馴れていない家人に、少しは良い格好を見せようと思った矢先に幸先が悪い。 

新宿を6:15のリムジン・バスに乗る。 成田には7:20に着いた。 渋滞も無く割と早く着いたのでチェックインを済ませ、グローバル・ラウンジに行き、お茶兼朝食をとる。 グローバル・ラウンジは、既にこの時間かなりのお客で込み合っている。 10:00 私たちの乗った飛行機は予定通り成田を飛び立った。 長い12時間のフライト後、パリ、シャルル・ドゴール空港に到着。 空港の案内スクリーンで乗り継ぎ便、AF2318 の出発ターミナルを確認する。 F24だ。 パスポート・コントロールを抜ける。 見せるだけである。  F24で待っていると、フランス語と酷いフランス語訛りの英語で、私達のフライトがキャンセルされたアナウンスがあった。 どちらかと言うと、訛った英語よりフランス語の方でそのことを知った。 F21ターミナルから次の便が出るとのことだ。 ユーロ通貨は持ちあわせがなく、クレジット・カードが使える電話機を探し、息子に電話を入れ、1便遅くなる事を伝えた。 

F21ターミナルは1階である。 階段を降りF21に行く。 係りのスタッフにボーデイング・パスを貰う。 私と家人は離れた席だ。 暫く待合室で時間を過ごしていると、さっきの若い男性スタッフが、家人に別の席のボーデイング・パスを持って来てくれた。 A席とB席だ。 時間になり移動バスに乗りこんだ。 その時、さっきの若いスタッフが、急き込んでバスにやってきて家人にまた別の席のボーデイング・パスをもって来た。 これが最後ですと言ってバスから飛び降りた。 E席だ。 僕はB。 機内に乗りこむと、その余りの狭さに驚く。 所謂コミューター・プレーンと言って小型の短距離用飛行機だ。 それでも背の高いドイツ人は器用に席に滑りこむ。 家人は余りの狭さに閉所恐怖症気味だと機嫌が悪い。 片側1列、他側が2列の計3列しかない。 1列はA席、2列はB席とE席である。 あの若い男性スタッフは並んで座れる席を最後まで探して居てくれたのだ。 若いフランス人スタッフの粋な計らいに思わず微笑む。 

フランクフルト迄は1時間足らずのフライトである。 フランクフルトは第二ターミナルに着く。 新しい小さい方のターミナルである。 JAL便が着くターミナルでもある。 パリからフランクフルトの移動はEC域内なのでパスポートのチェックも荷物の検査もない。 荷物を受け取り直ぐ外に出た。 そこには笑顔の息子が手を振っていた。 



ローデンブルグの町並み



空港から息子一家が住んで居るノルドベスト迄は、車で20分程度である。 至極便が良い。 アパートでは、義娘が息子の世話と1才5ヶ月の孫の世話で大変なとことろ、私達を暖かく迎えてくれた。 これから1週間、日本では考えられないような広いアパートで、大変お世話になり、楽しい1週間を過ごさせて頂くことになる。



怪我したロバのレストラン



翌日、早速フランクルトの中心地、レイマー広場に息子一家の車で連れて行ってもらった。 冬はシーズン・オフで観光客は少なく、寒い。 典型的なヨーロッパの気候ではあったが、家人に取っては始めてのフランクフルト、多いに楽しんでいた様子。 少し安堵の感が湧く。 夕食はアパートの近く、ノルドベストの駅の傍にあるドイツ料理店に連れて行ってもらった。 "怪我したロバ と言う名のレストラン。 人気のレストランらしく広い店内は満席だ。 息子の薦めで、ドイツ・トンカツと言われる、シュニッツラを注文した。 実に量が多い。 大きなトンカツ2枚にたっぷりのカルトーフェ(ジャガイモの油炒め)にサラダ。  かみさんは、ドイツ・ソーセージにポテト・サラダに酢キャベツ、こちらも半端でない。 味はなかなかのもの。 たっぷりのドイツ料理を楽しみ、大きなお腹を抱え幸せな気持ちでアパートへ帰った。 




フランクフルト中央駅 ICEに乗る



19日(日曜日)、かねてからお願いしてあったケルンの大聖堂を見に行くことにした。 1996年、世界遺産に登録された大伽藍がそのお目当てだ。 列車で行くことになった。 昔から息子が電車マニアであるのと、孫が乗り物、特に電車がお気に入りと言うことで、ヨーロッパ最高の列車、 ICE(欧州国際急行列車)の1等車両に乗り込んだ。 欧州の列車はアナウンスも無く、時刻になるとスーと静かに発車する。 ICE128号は定刻10時にフランクフルト中央駅を発車した。 ケルン迄は田園風景の中、多くのトンネルを通過する。 起伏は大して無いが新線は運行時間短縮の為トンネルが多い。 これは改善では無く、俗に言う改悪では無いかと思う。 ヨーロッパの列車の旅は、車窓を楽しむ醍醐味に魅力が有るのではないかと思う。 小一時間でケルンに到着する。 ケルンはオー・デ・コロン(仏語でケルンの水)の名でも名高い。 ケルンの水は、かくもみずみずしく綺麗であったのだろう。 又京都の姉妹都市であるらしい。 

大聖堂は凄い。 何度見ても凄い。 実は私は既に仕事でドイツに出張時、このケルンの大聖堂を観ているのだ。 このような巨大な芸術品を見る度に、つくずく人間の技の凄さに鳥肌が立つほど感動するのは私だけだろうか。 1248年に着工され永い年月の建設期間を経て1880年、南塔の先端を飾る頂華に最後の仕上げの石がはめ込まれ完成した。 三賢王の遺骨は1164年にイタリア、ミラノから運び込まれた。 有名な、1万m2の広さがある北側の5枚のステンドグラスは、それぞれ、 一.キリスト受難、二.ペテロ伝説、三.羊飼いの礼拝、四.三賢王の礼拝、五.聖母戴冠が美しく投影される。




写真に納まらないケルンの大聖堂



風が強く寒い。 中ではミサの最中で、祭壇前部には行けなかった。 お昼は大聖堂の前で見つけた中華料理店 ”北京” で取ることにした。 小さい子供がいると、あまりかしこまった店に入るのは若干気兼ねがするが、中華はその点気楽に入ることができる。 大聖堂とケルンの街を行き交う人々を眺めながら、中華レストラン ”北京” で休日の昼食をゆっくりと楽しむ。 このように大勢家族で食事をすることは、日本でもなかなか無いことに気付く。 小のような機会に恵まれるのは有難いことである。

帰りのICE 14:49をケルン駅の待合室で待っている時、一寸変わった経験を2つした。 一つ目は、隣に座っていたカジュアルルックの中年男性が、我々一行(5名)の前に歩み出て、何も言わず笑顔で持っていたチョコレートのステイックを1本ずつ我々にくれた。 そして何事もなかったかのように自分の椅子に座り、自分もチョコレートのステイックをかじり始めた。 我々も同様にステイックをかじり始めた。 もう一つは、カートに大きな荷物を山と積んだ男性が、片言の英語で、「荷物ヲ見テイテクダサイ、チケットヲ買ッテクルカラ。」 と言って足早に階下のチケット売り場へ駆け下って行った。 暫くすると、その男性はチケットを手に笑顔で戻ってきた。 日本ではあまりお目に掛かれない経験だった。



別荘から見るスイスアルプス



20日(月曜日): 今日は、私一人で30年来のスイスの友人A氏に会いに行く。 7時18分のバスに乗り、地下鉄駅ノルドベスト(Nordwest)に行く。 駅はバス71番に乗り終点だと教えられていた。 時間通りにやってきたバスに乗り込み、「ノルドベスト」 と運転手に告げ、2ユーロ硬貨を運転手に渡す。 切符と5セントの釣が返ってくる。 終点のノルドベストで降り、人の流れに沿って歩くと電車の駅に着く。 自動券売機で切符を買う。 フランクフルト・セントラムまで1.95ユーロ。 50番と大人のマークのボタンをお押し、2ユーロを入れる。 チケットと5セントの釣が出てきた。 ノルドベストはU1ライン1本だけであるが、上り下りを間違ってはいけない。 SUD(南)と書いてあるほうの電車に乗るようにと言われている。 間違いなく、南方面行きの電車に乗った。 次の難関は、Haptbachでの乗り換えだ。 ここでS1に乗り換えるのだ。 一つ上がったプラット・フォームがS1だと言う。 そのプラット・フォームはS1だけだ。 ここでもやはり、上り下りを間違えると、とんでも無い方向に行ってしまう。 ここでもキーワードは、SUD(南)だ。 今度は南と反対方向に乗るのである。 守備良く北方向に乗った。 2つ目がフランクフルト・セントラムだ。 

8:30 フランクフルト地下駅に着く。 地上の中央駅に出る。 ICE775のバーゼル行きの時刻を中央掲示板で確認する。 予定通り10:05発だ。 私の事である、電車の乗り換えを間違えることを思い、かなり早めにアパートを出たのである。 間違いは無く順調に来たので、随分時間がある。 こんな時の余った時間は有りがたい。 自分への思わぬ小さなプレゼント。 一人で自由に使える時間だ。 早速、駅の中を歩き回る。 フード・センターは既に全店オープンしている。 美味しそうな様々な形のドイツ・パンが、パン屋の店先に山と積まれている。 其の中から随分迷って、電車の中での昼食用に2個のパンを買った。 ホームの朝食スタンド(サンドイッチと飲み物だけを売っている手押しのスタンド)でエビアンを1本買う。

10:05 ICE75は定刻フランクフルト・セントラム駅を静かにすべり出た。 途中の駅で予定外の長い停車時間があったお陰で、スイスのバーセル駅には定刻より10分遅れて着いた。 急いで乗り継ぎのミラノ行きEC(Europe Express)を探したが見当たらない。 駅員に聞くと既に発車してしまったとのこと。 次のECを待とう。 ECは1時間に1本あるのだ。 息子に借りたGSM携帯で、A氏に1時間遅れることを伝える。 9年ぶりの懐かしい声が携帯から聞こえてきた。 ベルン駅での再会を約束し、電話を切った。 電車待ちの時間を利用しバーゼルの駅前をしばし散策する。 駅のコンコースでアメリカ風スタンド・カフェを見つけた。  派手なアメ車のボンネット部を店のテーブルの一部に使っている。 ここでチーズ・サンドにコーヒーのスナック休憩。 

14:04のミラノ行きECに乗った。 景色が、がらりと変わる。 ドイツではずっと平地の農地を走ってきたが、さすがスイスは山国。 列車は谷間を縫って走るようになる。 15:10 列車は深い谷になったアール川に掛かる鉄道橋に差し掛かった。 ベルンに到着したのだ。 ホームには懐かしいA氏の顔があった。 ’93年6月以来の再会である。 再会を喜びあい、弾む昔話を引きずりローカル線に乗りこんだ。 Bull-Utzigen駅で降り、そこからは彼の車で家まで連れて行ってくれた。 

家では奥さんのローズが笑顔で出迎えてくれた。 変わらない、全然変わっていない。 1973年に始めて会った時からちっとも変わっていない。 お互い確実に歳をとっている筈だが変わらないのである。 その夜はローズの特上の手料理を頂きながら、時間の過ぎるに任せ時代や家庭を語り合う。 翌日は、コル・デ・モスにある彼の別荘に行く予定にし、与えられた2階の客室で興奮した心を静め静かな眠りについた。 




コル デ モスの別荘で A氏 と ローズ



翌朝、7時起床。 黒パンとチーズにコーヒーの朝食を頂き、ピクニック材料をデイ・パックに詰め、いざ出発。 150km、約2時間のドライブである。 天気はいまいち、曇りである。 フリボーグの少し先までは高速道路を利用する。 スイスの高速は有料だが、年間3000円程度、車のフロント・グラスにステッカーを貼る方式だ。 高速を降りると、いよいよ山道である。 深い谷、険しい山に分け入る。 何やら白いものが降ってきた。 道に雪は無いが山側の崖には、分厚いつららが幾つも連なる。 10時半、コル・デ・モス 標高1400mに到着。 心配した天気は良くなった。 青空が開け太陽が顔を出した。 見渡す限りの銀世界。 別荘が点在するだけの小さな村。 それでもスキー・リフトが廻っている。 5,6名のノルデイック・スキーヤーが谷を駆ける。



ペチカの燃える居間で ローズが昼のデイナーを準備



A氏の別荘は、メインの道から1km位雪原を歩く。 其の為、長靴を貸してもらった。 A氏の軍長革だ。 雪は深くない。 適度に踏み固められたノルデイック・スキーのコースを歩く。 A氏夫妻は、1週間を本家と別荘で、それぞれ半々に過ごしているとのこと。 先週は本家での用事があり、別荘に来たのは2週間目だそうだ。 さー、全ての窓を開け空気の入れ替え。 別荘に居ない時も電気ヒーター(オイルの入った)を1階と2階にそれぞれ1台付け放しである。 部屋が極端に寒くなり内部の設備に悪影響を与えない為だそうだ。 滞在中の暖房はオイル・ヒーターと薪のペチカが活躍する。 火と水を起こすのは男の役目。 ローズが台所で昼食の準備に掛かる。 2階には、メイン・ベッド・ルーム、リビングと無線部屋、トイレ・バス、台所、 1階は、客室(3ベッド+テーブル+トイレ)、 洗濯場、食料倉庫、燃料倉庫、工作部屋がある。 食料倉庫には冷凍の肉や、小麦粉、調味料、ワイン、水等3ヶ月分が保存されている。 勿論生活しながら順次入れ替えている。 1泊だけでは別荘滞在は短過ぎる。 今日は昼のピクニックだけだ。 昼食の準備が出来、テーブルに着くと、外は大雪。 山の天気は変わりやすい。 ローズの天下一品の料理がテーブルに並ぶ。  チキンのパイぐるみ、フレッシュ・サラダ、太く硬く短いスパゲッテイ、赤ワイン。 




A氏の別荘: 無線機が並ぶ趣味部屋



遊びが続く。 翌23日(木曜日)は、忙しいところ息子が休みを取ってくれた。 何処へ行こうか議論になる。 ローレライか、ハイデルべルグか、それともローデンブルグか。 結局家人に取っては最も馴染みの無い、ローデンブルグへ行くことにした。 ローレライは、ただ川と崖だけだし、ハイデルベルグは、 崖の上にある古城に行くには険しい階段を昇るのは大変と言う理由である。 私もローデンブルグを見るのが大賛成である。 3年位前、ドイツ出張中に仕事仲間と一度訪れたことがあるが、再び妻と訪れるのは、願ってもないことだ。 城壁に囲まれた中世の古都は中世ヨーロッパ情緒満点、正にタイムスリップし中世に身を移すことができるのである。 天気は今日も典型的なヨーロッパの冬空。 高速5号線に乗り空港方面へ向かう。 空港のジャンクションで3号線に乗りかえる。 途中、お昼・トイレ休憩の為サービス・エリヤに寄る。 日本のSAと似ている。 トイレとレストラン設備がある。 トイレは有料だ。 50セント硬貨を持って居なくてはならない。 3号線を西に150kmくらい走り、更に南に伸びる7号に乗ると、ローデンブルグはもう直ぐだ。 

途中雨になったがローデンブルグでは雨は止んでいた。 城壁の外の無料駐車場に車を止めた。 城壁に開けられたアーチ状の入り口から、城壁内に足を踏み入れる。 そこには時間が止まった美しい中世の街が広がる。 時代を感じさせるが、良く手入れの行き届いた建物が居並ぶ。 ヨーロッパの殆どの大都市には旧市街があり、旧市街に足を踏み入れると時間が止まるのを感じるが、ここは格別だ。 石畳の路地をウインドー・ショッピングしながらそぞろ歩く。 街は深い川の崖縁にへばり付くように発展している。 昔、防衛上の理由からこのような土地が選ばれたのだろう。 日本にも各地に平家の落人とか言って、山中人里離れた場所に住んだ跡があるが、我が同朋と決定的に違う点は、彼らは戦うことを常に前面に出していることだ。 それに比べ、我が同朋は、戦わないことを一番に考える。 我が同胞のこの非戦闘DNAを地球の調和と繁栄に役立てられればと想う。 おや、心配していた空模様が崩れ、雨が降ってきた。 ローデンブルグ名物のシュガー・ボール (クレープに砂糖やチョコをまぶし八重桜の花びら状に丸くした菓子)を売っているお店に入り、シュガーボールを5個買い込む。 城壁の外に止めた車に急ぐ。 



ローデンブルグの石畳街路で



フランクフルトに戻り、夕食はフランクフルトでは一番と言う日本食レストラン、 ”いろは” を予約して頂いていた。 フランクの一等地、最高級ホテル ”Frankfurt Hof” の地下にある。 6:30に予約を入れて置いたが、首尾よく丁度その時間に着いた。 高級レストランは店構えがそれぞれ凝っていて雰囲気を盛りたててくれる。  ”いろは” も例に洩れず、立派な広い店構え。 地下に広い中庭風の空間があり、如何にも空間を贅沢に使った佇まい。 食材も、海外の日本食にしては厳選されている。 新鮮で良質なのが、味音痴の私でもわかる。 2時間半のコースを、久しぶりに大勢で楽しく味わい大変幸せな気分に浸る。 



日本料理店 “いろは” の地下ロビー



1週間と1日の休暇を頂いて、始めてのかみさんと海外旅行。 ドイツとスイス、何れも素晴らしい時間を過ごすことができた。 職場の皆さんに、息子婦夫に、A氏&ローズに、そして素晴らしい地球にそれぞれ感謝を述べたい気持ちで一杯になるのを覚える。 



冬化粧の美しいスイスアルプス(別荘からの帰路)








Jan/'03 林蔵@Frankfurt Germany (Updated on 17/Nov/'10)#140

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