PRADO
@Mar/'94 Madrid, Spain


プラド美術館正面


出張中の休日。 日本の拙宅に居る時にくらべ実に時間が裕福だ。 マドリッドはさすがに大都会。 行きたい場所は尽きない。 更に欲も出て、長距離バスや列車で足を伸ばしたくも思う。 だが資金面の制限もあり、大概はリュックにカメラと滞在先のアパートメントホテルで無料配布している市内マップを入れ、徒歩と地下鉄を利用して市内探索に繰り出す。 マドリッドの地下鉄はこぎれいで、安くて安全。 しかも全市をカバーしている。 とても便利である。 料金は何処まで乗っても125ペセタ(約100円)。 10回券を買えば、ただでさえ安い通常料金の約半額と超お徳なのである(10枚の回数券で約500円)。 ふだん運動不足の為なるべく歩くことにしているが、距離や時間を稼ぐ必要がある時は、迷わず地下鉄に乗る。 行く先は大方決っており、市内マップに緑色で塗ってある公園や美術館である。 中でもお気に入りは、レティーロ公園とプラド美術館だ。 何れも、宿舎から徒歩で50分位の位置にある。



プラド美術館前庭: カステーリヤ通りとの間のグリーン



マドリードの中央を南北に伸びる目抜き通り、カスティーリャ通り。 道幅は名古屋の200M道路より広く、交通量もとても多い。 横切るにはなかなか難儀な通りである。 だが、道路の中央部は広い緑地帯と遊歩道になっており、大きなプラタナスの並木の中を歩くのは実に気持ちが良い。 宿泊先のアパートメント・ホテルを出、カスティーリャを南下する。 ほぼ南端に近くなった処、特に緑の木立が多くなる場所がある。 プラド美術館はこれらの大木に囲まれ、その巨大で壮麗な姿を緑豊かな場所に佇んでいる。 美術館に隣接して、これ又私のお気に入りの一つ、王立植物園がある。 特にこの植物園は、私がザンビアに住んでいた頃の匂いを思い出させる。 ザンビアの春(日本の秋)、雨期に入ると植物が猛烈な勢いで茂りだし、様々な虫や昆虫類が地表に現れる時の臭いを強く発する。 ここマドリッドの植物園の側を通るだけでその雰囲気が外部に溢れ出して来る。 その臭いが私をたまらなく魅了するのだ。 長く家族を離れ、遠く国を離れ、異文化の大都会の中で、この匂いが、何か安らぎの気分を与えてくれる。




プラド美術館: ゴヤ入り口



プラド美術館は前庭、後庭を広く取ってあり、いかにもゆったりとした造りだ。 ゴヤ,ベラスケス,ルーベ゛ン,ボーシュ等の作品を初め、スペインの至宝 3、000点余りを展示し、その目録は6、000点にも及ぶハイパー美術館である。 1785年、チャールスIII世王の命により、18世紀スペイン建築界の巨匠、ファン・ビリャヌェバにより建立された一大モニュメントでもある。 地下には、スペインには欠かせない ”バル” が設けられている。 作品の展示されているギラリーへ、湿度、温度や臭気の影響が及ばないよう、”バル” への通路はまるで迷路の如く、 狭く入り組んだ設計で、確実に、ギャラリーと ”バル” は隔離されている。 ”バル” では、作品の観賞中、低い声で話していた紳士淑女が、いかにもスペインらしく、飲物や食べ物を前に明るくはじける声でおしゃべりに余念が無い。




ゴヤ像: ゴヤ入り口の前にある



600ペセタ(約500円)の入場券を買って中に入る。 外から見る以上に内部は天井が高く、まるで天を見上げるごとくだ。 奥行きは端が霞む程遠く感じる。 名画(私には、本当の価値などとうてい解らないが。)の数々が、誰の手にも触れる場所に、惜しげもなく掛けられているのには、いたく感激する。 やはり本物は凄い。 教科書や説明書ではとても感じることのできない心が揺さぶられる思いに浸る。 とりわけ、その絵の大きさが違うことから、全く違った迫力と感動を受ける。 

あれはアフリカ出張からの帰り、アムステルダムのレイスク国立博物館を訪れた時のことであった。 私にとって、国内外を含め、初めての本格的美術館(博物館)を訪問した時のことだ。 レイスク国立博物館には、オランダを代表する画家レンブラントの作品を初め、幾多の傑作を収容している。 私には、中に収容されている作品よりその荘厳な建築物(博物館)そのものに大きな感銘を感じるのである。 しかし、中を廻っている内、運命的とも言えるレンブラントの「夜警」に出逢う。 薄暗くゆったりした大空間の一面(壁)一杯に、その作品は置かれていた。 その時、私は初めて「絵」が人に感動を与える事を知った。 それまでは恥ずかしいながら、「絵画」は貴族や金持ちの道楽に過ぎないなどと思い、たいして意にも留めていなかったのである。 今でもそんな気持ちは拭いきれないが。 天才画家達の非凡な才能と努力は、他のあらゆる職業と同じく、磨かれた技と才能が創り出す作品は、やはり人の心を感動させずにはいられない。 

あのレンブラントの、[ナイト・ウオッチ]で味わった感動を思い出しながら、ときめく胸を押さえ、ギャラリーをまわる。 何れも大作であろう作品を、無心に見てまわる。 ここは、いわゆるスペイン旅行の、どのコースにも組み込まれる最重要ポイントの一つでもある。 さすがに日本人が多い。 我々長期滞在組に取って、いつも心配するのは同胞のマナーだ。 近ごろの日本人観光客は、外国に旅慣れた人が多いせいか、比較的安心して見て居られる。 いつもながら、若い女性が多い。 私など、この歳になっても自分の時間とお金を使って海外旅行をした事がない。 若干羨望の念が涌く。 多数の宗教画もあるが、正直言って、私にはこの手の絵画には殆ど感動は感じられない。 




Bosch作: The Garden of Delights



今回、特に感じた「作品」が2点ある。 何れもボーシュの作品で、「The Hay-Cart」 と 「The Garden of Delights」だ。 2つの作品は 縦135cm、横100cmに両側に幅45cmの添画が付いている。 どちらも人類の行方を暗示した構図で、中心の絵は正に我々が生活している現代、物と人と動植物が地に満ち溢れ、歓喜に満ちている。 左の添絵は、人は少なく静寂で希望と何がしかの不安を漂わせている。 右の添絵は、暗く動植物は見えず、人々の姿は痩せ衰え極度に疲弊している。 あまり大きくないこの「絵」を見て、私はこの「絵」が無限に広がり、右に伸びる時代に人類は確実に向かっている現実をまざまざと見る思いであった。 一種の悪寒さえ感じたのである。 おそらくこの作品は、現代を遡ること数百年の時代に描かれているはずだ。 ことさら、彼ら天才画家達の時代を越えた、鋭い社会現象捕縛感覚に敬服してしまう。 

人間の欲と我がままを深く反省するとともに、「思考は出来るだけ広く大きくし、行動は小さく身近な所から実行する。」 という1992年のブラジル「環境地球サミット」の標語を改めて思い起こし、何か小さくても良いから行動を起こさねばと焦燥感が走る。







13/Mar/'94 林蔵@Madrid Spain (Updated on 5/Nov/'08)#031

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