ローヌ源流への旅
@Sep/'04 Valais, Swiss


渓谷道を登りきったGletschにあるホテル“Hotel Glacier Du Rhone” からローヌ川源流であるローヌ氷河とフルカ峠を仰ぎ見る



フルカ峠から誕生したばかりのローヌを見下ろす


地中海マルセイユに注ぐ大河ローヌの源流をもう一度訪ねてみようと思った。 もう一度と言うのは、既に遠い昔になるが以前当地に仕事で滞在中に訪れたことがあるのである。 スイスValley州 Brig からローヌが削り取った深い渓谷ゴムス地方を東に進む。 道は徐々に狭く登りが急になってくる。 急な渓谷道を登りきると突然視界が開け、雄大なローヌ氷河とフルカ峠の一大パノラマが眼前に迫るのである。 ローヌ氷河もその崩落点は地球温暖化の影響で毎年後退しているらしい。 今一度その源流を見てみたい。

今回のヨルダン滞在中の欧州休暇はドイツ経由であるから、帰り道ドイツから足を伸ばそう。 フランクフルト空港でレンタカーを借り、フランスのストラスブルグ、ミュルーズを経由し、仏高速A35号線でスイス・バーゼルに入った。 因みにフランス語ではバーゼルのことを “BALE” と言うが、これが最初判らなかい。 高速の行き先表示を見ながらの運転である。 地名が進行方向に無いと大変不安になる。 まー、南に向かっているから間違いないとは思っていたが。

バーゼルの国境ではパスポートも何も見せない。 只、車両にスイス国内の高速使用許可ステッカーを貼っていないと、おまわりさんから、 “スイスの高速を使う?” と質問される。 “使う” と答えると、スイス国内の高速使用許可ステッカーを40スイス・フラン(約2800円)で購入することになる。 私の借りたレンタカーにはステッカーが無かったので、40スイス・フランで高速使用許可ステッカーを買った。 因みにこのステッカーは1年間(1月―12月)高速を利用し放題のステッカーである。 ステッカーを貼った意識を凄くしながら、スイスの高速に入った。 スイスの高速には料金所が無い。 だからステッカー無しでも簡単に高速に入れるのである。 但し、ステッカーを貼らずにポリスに捕まると多額(幾らかは知らないが)の罰金を徴収されるらしい。 もっとも、見つかることは殆ど無いらしいが。 しかしそこは契約社会、どの車もステッカーを貼って居るのである。 

スイスの高速に乗り、バーゼルからベルン、ローザンヌへE25号線を順調に走る。 ローザンヌ迄は、山国スイスらしくない低い山地が近くに見える割と開けた農地を縫って高速は伸びる。 ドイツ、フランスの平坦さに較べると遥かに日本的な地形に見えて日本を出てから6ヶ月目、懐かしささえ覚える。 ローザンヌで高速を降り、レマン湖沿いを東にバレー州へ向かう。 レマン湖沿いは風光明媚で著名な地でもある。 ローザンヌ、ブベー、モントルーと絵に描いたような街が並ぶ。 街も良いが私のお気に入りは、澄んだ湖面とそこから続く長い急斜面一面に這う葡萄畑だ。 急斜面の葡萄畑での手入れや収穫は決して楽なものではない。 そこにつぎ込まれる人々の労力が美しいコントラストを湖面との間に造っているような気がする。 質素で勤勉な人々の姿をみるからだ。



レマン湖畔に浮かぶ Chillon城



モントルーを過ぎ、レマン湖も東の湖端に辿り着こうとする頃、Chillon城が湖岸に浮かんでくる。 その湖面に浮かぶ美しさで、またバイロン卿が投牢されたことで有名なシオン城である。 しかし内部は決して美しいとは言い難い。 展示物は夥しい武器や拷問器である。 城とは言え要塞、牢獄であった時期のほうが長いのではないだろうか。 そんなことはさて置き、視覚的に美しいものは見ておこう。 観光客用にバスと乗用車の広い駐車場が設けられている。 既にオフ・シーズンのこの辺りであるが、やはりここでは幾組かの日本人に会う。 




レマン湖沿いの急斜面に這うように栽培されているワイン葡萄畑



レマン湖を後にし、レマン湖に注ぎ込むローヌ川に沿ってローヌを遡る。 遡ると言う程のものではない。 バレー谷間の平地を走るだけである。 天候は今一である。 雨こそ上がっているが、雲は厚い。 澄み切った青空は望むべくもない。 それでも水蒸気がそのまま雲になっている谷間の両側に聳えるスイス・アルプスの峰々を見上げると スイスに来た実感が湧き上がってくる、長く住んだ土地の懐かしさがこみあげてくる。 

昔に比べると、随分とロータリーが多くなった。 街の出入り口や分儀路は多くがロータリーになっている。 このロータリーは街の手前でスピードを緩めるのには敵面の効果がある。 一方、交通量が多くなると面倒な渋滞の原因にもなるが。 バレー州の州都シオンを過ぎ、シェーレ迄来ると、ホーム・タウンに帰ったような安堵感と懐かしさを覚える。 街や道の細部は変わっていても全体の姿は少しも変わらない。 両脇を3000m級の山々に囲まれた谷間を流れるローヌに向かって開けたスステン扇状地。 その牧草地にまばらに家々が点在する。 極めて牧歌的な風景である。 牧草地には大きなカウベルを首につるした牛が雨上がりの濡れた草を食んでいる。 牧草地に囲まれたTホテルの駐車場にレンタカーを止めた。



Sustenのプチホテル前:雨上がりの牧草地で大きなカウベルをぶら下げて草を食む牛 
丁度中央の家の高い木に軍用滑走路が隠れている



9月の後半にもなるとスイス・アルプスは既にオフ・シーズン。 山間のホテルやレストランは何処も閑古鳥が無く状況である。 Tホテルは部屋数10程のプチ・ホテルだが宿泊者は私だけだ。 かえって客が有る方が、ランニング・コストが高くつくのではと心配するほどである。 裏のテニス場も地下のバーも、そこに居る人こそ変わっているが昔のままである。 3階の山小屋風屋根裏部屋をあてがって貰った。 スイスでは、この山小屋風屋根裏部屋がとてもしっくりくる。

昨夜来の雨。 朝、未だ雨は止まない。 グランド・レベルにあるレストランで朝食を一人で取り、リュックに地図とカメラを詰める。 雨はようやく止んできた。 ホテル前の牧草地に囲まれた駐車場に止めてあったレンタカーを雨上がりのローヌ・バレーに繰り出した。 Susten から谷間の僅かな平地に伸びる国道9号線を東に向かう。 Zermattへの分技点 Visp迄のポプラ並木に沿う直線道路を走る清清しい快感は、今も昔も変わらない。 途中谷間の狭い平地にスイス空軍の滑走路が見える。 このような滑走路はスイスの狭い平地に至る処にある。 国民皆兵制の軍備に裏打ちされた永世中立国の気概を垣間見る。 丁度滑走路に沿う9号線が一部工事中になっている部分がある。 迂回路のサインに従って車を進めると、そのスイス空軍のジェット戦闘機が離着陸する滑走路を走ることになった。 Vispの街の発展には少し驚きを覚える。 品数の揃ったデパートの食品売り場並に立派なCOOP、街道沿いに軒並ぶ洒落たレストラン・カフェやブテイック、新しい事務所や住宅ビル。 全てが新しく輝いて見える。 

Brig の街の手前では立派なバイパス道路が出来ており、シンプロン峠、ゴムス、市内への分技ロータリーがある。 そう言えば以前は無かったロータリーを今回多くみる。 ロータリーをゴムス方面に出る。 すると道は突然トンネルには行った。 Brig の街を見ることなくゴムス方面行きの道に出てしまった。 Brig の街を見なかったのは少し残念な気持ちである。

ゴムスの谷間の狭い道に入ったころ雨は完全にやんだ。 水蒸気が山の肌から盛んに立ちあがる。 箱根でも良く見かける風景であるが、ここの山はスケールが全然ちがう。 空の雲はまだ厚い。 この分ではフルカ峠のローヌ氷河は見えるだろうか。 少し心配ではあるがすがすがしい空気の中、車を進める。 



ゴムスからGletschへの渓谷道: ドイツで借りたレンタカーPunto,
正面はグリムゼル峠へのジグザグ道



両脇の山がますます迫り、登りが段々と険しくなってくる。 暫く右に左にハンドルを切りながら坂道を登ると急に前方が開ける。 いよいよローヌ氷河を仰ぎ見ることができるだろうか。 雲は切れているだろうか。 登り切った。 Gletschである。 雲は2,500mラインの上にあった。 かってのローヌ氷河が自身で削り取った雄大なU字型谷が眼前に広がり、その遥か彼方に夏の黒々したローヌ氷河が横たわっている。 氷河が解けて生まれたばかリの白く濁ったローヌが足元を流れる。 光量は充分では無かったが取りあえずカメラに収めた。 渓谷道を登り切った処、Gletsch に昔ながらの Glacer Du Rhone ホテルがある。 ここには流石にかなりの観光客がいる。 ドイツからの団体旅行客であろうか。 20-30名ががやがやと朝食を取っている。 同じ大食堂でコーヒーを1杯戴きしばし休憩。

Glacer Du Rhone ホテルから一気にフルカ峠迄掛け登る。 ホテルの姿がみるみる下方に小さくなってゆく。 峠の少し手前で氷河の崩落点の直傍を通る。 駐車場があるので降りて息を飲むような大パノラマを楽しむ。 隣に止まったドイツ・ナンバー(EUの国々は全てEUマークのナンバーだがEUマークの横に小さく国名のイニシャル、例えばドイツだとDが付いている。)のワン・ボックス・カーの乗客はどうも日本人らしい。 ドイツからの家族旅行のようだ。 若夫婦と老夫婦が乗り込んでいる。 



アンデルマットを見下ろす展望台



崩落点の駐車場からフルカ峠に向こうと急に霧(雲)の中に入る。 峠で一旦停車。 峠の道路標識をカメラに収めて置こう。 ここから雲の中を数百m下ると視界が開けてくる。 遥か下方の谷間にハイジーが飛びだしてきそうなアンデルマットの小さな街が目に飛びこんでくる。 やはり眺望用のパーキングが道の両側にある。 山側のパーキングからはトンネルで谷側のパーキングに行けるようになっている。 こんな処にスイス人の勤勉さが現れているような気がする。

アンデルマットに降り、イタリアとの国境に跨る国際湖マジョレ湖に向かう為、南に向かいサンゴタード峠を越えなくてはならない。 ここは峠を越えず長いトンネルを潜る。 天候はがらりと変わり、南国風の快晴になる。 人々の暮らしや気質もがらりと変わる。 車のFMラジオから聞こえてくる音楽も何となくラテン系が多くなる。 Bellinzona の看板が目に入る。 何時の間にか高速の表示はイタリア語である。 Bellinzona のSAで小休止。 スイスに入った時バーゼルのSAで貰った無料の地図を確認する。 ここからマジョレ湖北端の街 Locarno で昼にしよう。 Bellinzona から Locarno は高速で20分足らずの距離である。 Locarnoで腹ごしらえをした後は、イタリアとの国境を越え Domodossora に抜け、ここから進路を北に取り、ナポレオンが難儀したシンプロン峠(2005m)を越えてBrigに戻る。



ロカルノ: 太陽の照りも強くマジョレ湖畔は南国ムード



Locarnoに入った。 マジョレ湖湖畔の湖が見えるテラス・レストランで席に着いた。 ウエートレスは勿論イタリア語である。 パスタ ド カサ(自家風パスタ)を頼んだ。 何でもその店の得意ものを頼めば間違いは無い筈だ。 案の定、適度なひつこさのスパゲテイーだった。 明るい太陽に照らされた澄んだ湖を借景に、ゆったりした休日の食事と人間ウオッチングを楽しむ。 ここではコーヒーはカプチーノだ。 ストレートに通じる。 食事の後、暫く湖畔を散歩してレンタカーに戻る。 2時間半のパーキング・チケットでぴったりだった。



湖畔のテラス・レストランで休日の昼食



ここから山間の細い道を Domodossora へ向けて西に入る。 Locarno の地点では Domodossora と言う地名は未だ道路標識には出てこない。 何度か道を間違いやっと国境への道に出た。 峠の少し手前が国境だ。 国境ではやはりパスポートの提示要求は無い。 顔パスである。 “EUへようこそ”と言う大きな立て看板がある。 細い曲がりくねった道を下ると遠い昔にスイスから下ってきたことがある Domodossoraだ。  今回の旅は峠にあるのと、今日中に Sustenの宿に戻りたかったのでドモドッソラの街は素通り。 



イタリア側からシンプロン峠に向かうプント(レンタカー)
その昔ナポレオンが難儀した道も今は高速道路で難なく登ることが出来る


Simplon の表示に従いハンドルを切る。 街並みが途切れる辺り迄の殆ど真っ直ぐな道がにわかに登りとカーブがきつくなる。 シンプロンへの道だ。 峠の手前の谷間が国境である。 明日のチェック・アウトの為スイス・フランへ両替をしておこう。 小さなひなびたキオスクで両替も行っている。 200ドル交換して238フランを受け取る。 これで今回のスイスでの宿代は払える。 ナポレオンの時代とは異なり、今は峠を高速道路で簡単に越えられる。 だが両脇は険しい岩壁が真上に端が見えない程高く立ちはだかる。 峠からイタリア側の民家の屋根は平たい石が使用されているのが、この辺りの特徴だ。



シンプロンパス: イタリア側を望む、 このホテルレストランで珈琲を戴く
 

2005mの峠に差し掛かった。 気温は10度を切っている。 T-シャツ1枚では寒い。 峠にはホテル・レストランが3軒点在する。 何処も車は殆ど止まっていない。 その内の一つに入ってみた。 珈琲を戴こうと思ったのである。 客は居ない。 女性従業員が2人レストランのテーブルでゲームに興じている。 その傍のテーブルに座り、ミルク珈琲をいただけるだろうか、と聞いてみると快く快諾してくれた。 珈琲を飲んで一休みした後、峠を歩いてみた。 多くの高山植物が雑草の間から可憐な花を咲かせている。 シンプロンを象徴する石の鷲像も昔と変わらぬイタリア側をきっと見つめていた。 今日の行程はこれで終わりである。 事故もなく快適なドライブであった。 後はゆっくり峠を下るだけである。



シンプロンパス: スイス側を望む




鷲像は今もイタリア側を視る




シンプロン峠に咲く可憐な花達










Sep/'04 林蔵@Susten Switzerland (Updated on 4/Jul/'08)#181

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