Sintra @Aug/'80 Sintra Portugal
[世界遺産 Cultural Landscape of Sintra, 文化遺産 1995年登録]シントラは、英国の詩人バイロンが「エデンの園」と讃えた町で、緑あふれる丘陵に絢爛豪華な城館が点在しています。
シントラの歴史は、8世紀頃ムーア人により築かれた「ムーアの城跡」に始まります。16世紀、マヌエル1世が「王宮」を増築しました。
豪華な王宮は、躍進する大航海時代のポルトガルの栄華を反映しています。1850年、フェルディナンド2世が「ペーナ宮殿」を建築し、
現在の姿になりました。 シントラの王宮は、30mの巨大なトンガリコーンのような2本の煙突を持つ台所と、
天井一面にカササギを天井に描いた「カササギの間」が有名です。カササギの間は、女官にキスしようとして王妃に見つかった王が、
特定の女官を寵愛していないことを示そうと、女官と同数のカササギを天井に描かせたと伝えられています。
(学情研メルマガ20005/11/11より)
8月8日(金)、7日間の夏休みを終え、まだ休み気分も抜けきらないまま成田へ来た。 確か、私の乗る飛行機は、21:30発だからと、・・・・・・まだ時間は充分ある。 まあいいか、先にチェック・インしておこう。 それにしても、成田は遠い、しかも電車が直接空港内へ乗り入れていない空港なんて
(当時はJR、京成共、空港地下迄乗り入れていなかった。)、 世界第2の経済大国の空の玄関と、とても思えない。
アンカレッジ空港に給油の為立ち寄る。 先発のK氏とトランジットルームで逢う。 彼の幾分冷ややかな目線を感じる。 乗った飛行機を替える訳にもゆかず、パリで落ち合う事を確認し、再び別々の機に乗り込む。 シャルル・ドゴール空港で、K氏と落ち合い、オルリー空港へ移動する。 リスボンへ向かうのは、国内便ターミナルになる。 欧州域内の空路は、国内便扱いなのだ。
客先が準備してくれたホテル・チボリは我々には余りにも格式が高い。 リスボンの目抜き通り、緩やかな傾斜をエドワード二世公園から、市内の中心を貫くリーベルダート大通りの一等地にたたずむ豪華ホテルだ。 作業着で出入りするには、あまりに似つかわしくない。 客先には申し訳なく思いながら、すぐ隣のホテル・フェニックスに移った。 それにしても、このリーベルダート大通りはすばらしい。 名古屋の100m道路など足元にも及ばない。 道路と言うよりは、公園の機能の方が遥かに大きい。 更に、大通りを登りきると、そこには、広大なエドワード2世公園が広がる。 日比谷公園のゆうに3倍はあろうか。 この2大公園が街の中心に巨大なT字を形取る。 市民が最も利用しやすく、又必要な場所に位置している。 まさに街のゆとりと遊びを感じるのである。 ニューヨークのセントラル・パークにも匹敵するのではなかろうか。(ニューヨークのセントラルパークを実際に見ていないが。)
今回の出張は、いつもとは一寸と違っている。 帰りの航空券・滞在費・現地経費等、現地経費は全て現地通貨払い。 私が現地で、客先の会計係から直接現地で受け取ることになっている。 翌朝早速、客先本社に赴き、しかるべき現地通貨(エスクード)を受け取る。 2人分のホテル代、通勤費、食費を払為である。 現地通貨エスクードは余ったからと言って外貨には換金できないから面倒だ。 1ケ月の短い滞在であったが、僅かに余ったエスクードは、ささやかな接待に当てる事にした。 そんなこんなで、ポルトガル独特の、フラメンコと演歌を一緒にしたような ”ファド” を鑑賞する機会を得た。 騒々しさや、リズムは、なんとなくアラブの臭いを感じる。 休日に乗った観光バスの、ガイド (男性のガイドである。 日本ではバスガイドと言えば殆どが女性であるが、外国では、男性も多いのである。) の説明では、ポルトガルはその昔アラブに侵略され、大量のアラブ人が帰化した。 その名残もあり現在ではポルトガル人の血の3分の1はアラブの血が流れているのだそうだ。 そう言えば、黒い髪、栗色の目、大きな鼻の人たちが目につく。
現在のポルトガルは、たいした産業もなく、特産品としては、僅かに北部ポルト市の甘口のポートワインと、コルクくらいしかない。 また、松林の中では、今なお昔のゴム園よろしく、幹に矢型の切り込みを入れ、したたり落ちる松やにを、小缶で受ける採集所が多く見られる。 今は欧州で一番貧しい国として位置付けられているが、私が接したポルトガル人は、少なくとも我々より生活を楽しんでいるのではなかろうか。 食べる事に時間を掛け、おしゃべりや、瞑想の為に散歩をする。 そんな生活は私の50才からの夢目標でもある。
朝、出勤前、ホテルの窓からリーベルダート大通りを行き交う通勤族を見おろしていると、日本の通勤族とは歩き方のペースからして違う。 駅での駆け込み乗車など、考えも及ばない事であろう。 一度だけ、駆けている人を見た。 それは、ひどく異常に映ったのを鮮明に憶えている。 郷に入れば郷に従えである。 私も10時出勤、昼食はローカルワインをお茶代わりに、2時間位掛けて取る。 4時には仕事を終えて帰る準備。 別に怠けて居る訳ではない。 客先のエンジニアーと行動を共にしているだけのことである。 仕事場のサイトは、リスボンから10km位離れた畑のまん中にある。 彼らの勤務時間は、リスボンの本社の近くから出る通勤用バスに乗り込んだ時間から始まり
、帰りの通勤用のバスがやはり本社の近くの停留所に着く時間で終わるのである。 実労5ー6時間であろうか。 しかも今は夏時間、仕事を終えた後、4時間位、まだ夏の太陽と遊べるのである。
物価は欧州で最も安く、風光明美で気候は温暖。 人口密度も高くない。 定年後の別荘を、当地に買おう等と妄想をしては気晴らしをした。 8月のヨーロッパはバカンスの季節。 物価の安いポルトガルには、特に多くのバケーショナーがヨーロッパ各地からやってくるらしい。 仕事を終え夕食前に街の南端、下町に当たるテジョー河の河口をぶらつく。 大西洋からの風が夏の夕日に心地よく感じる。 夏の夕暮れ時、それにしてもすごい人出だ。 時に催しものが無いのに、アラブや欧州人は、只散歩を楽しむ。 そして人間観察を楽しむ。 土地の人の話によると、この辺りをそぞろ歩いている人々の半分位は、北(フランス以北)からのバカンス客だとの事。 我々には土地の人なのか、旅行者なのか全く見分けが付かない。 そんな雑踏の一員になるのも悪くないか。 いやまて、歳老いて車で走り回るには、ポルトガルは余りにも西に寄りすぎている。 やはり、地中海のまん中辺りが私には都合が良い。
8/Aug/'80 林蔵@Lisboa Portugal (Updated on 18/Jan/'09)#037 |
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